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ドイツの旅4 [雑感]

 ケルン大聖堂は、周囲とあまりに隔絶した、そして黒光りするような古めかしい姿だったので、おもわず「巨大な墓」という第一印象を抱いてしまった。そしていくら眺めても、何か人を拒絶するようなオーラが常につきまとっているように感じられた。この点についてはまたいずれ書こう。


 大聖堂は、一目で全体をつかむのはできないので、ぐるりと回ってみたくなる。しかし、二度三度とめぐっても全体をつかめたという気にはとてもなれない。 



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 塔が高すぎて一枚の写真に収めることができない。



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 駅から近づいて階段を上った根元部分にカメラ屋があるのが少し不自然なところであった。


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 いろいろな角度から撮っても、単なる部分のショットにすぎないという不全感が常に残ったし、もういいや、これで充分という気持ちにならなかった。汲みつくせないほどの細部へのこだわりがあり、局面局面で思いがけないほどの変化に富んでいた。私は、子供を連れてなければ、何度も周囲を回ったに違いない。


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 この聖堂の建設に600年もの歳月が費やされた(もっとも、宗教改革の混乱で中断期間が相当あったそうだが)。この聖堂が具現化している情熱こそ、良くも悪くも、キリスト宗教の本質だった。そして、このような情熱は、おそらく19世紀の後半を境にして、衰退の道を歩み始めるのであるが、おそらくその前触れは、ゴシック教会が体現している物質的外面性や儀式的修飾性を一切除き去って、聖書の文字の権威にのみ宗教性を見出そうとした宗教改革にあるのだろう。物質的な威容によって宗教性を誇示しようとすることは、キリスト教の精神性とは無縁であるという考え方である。したがって、困難な建築物への意志そのものが非キリスト教的と見なされたのである。こうして、大聖堂の建築はいうまでもなく、公共的な建築物の威信が低下するようになる。しかし、プロテスタンティズムの宗教的精神性の威信も、まったく別の意味で衰退の道をすでに歩み始めていた。こうした点については、また別の機会に譲る。








(つづく)











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