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ローマへ (サント・ステファノ・ロトンド -- 準備編その3) [雑感]

サント・ステファノ・ロトンド(英語:Santo Stefano Rotondo)

 
 この教会は、教皇シンプリキウス1世(468-483)によって殉教者ステファノスに捧げられた教会だという(もっともステファノスの遺品は何一つないのだという)。それ以前は、外国兵士のための宿舎だったそうだ。円形の教会としては最古のもの(「ロトンド」は「円形」を意味する)。



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 スタンダールが『ローマ散歩』でこの教会に触れているが、彼がこの教会を訪れた1828年当時、この教会が立つチェリオの丘は、広大なブドウ園を管理する農家が点在する以外にほとんど住む人がいなかった田園だったようだ。

 それはともかく、殉教者ステファノスに捧げられているわけであるから、ステファノスについて述べなければならない。最初期のキリスト教は迫害と受難の連続であったが、ステファノスは最初の殉教者であった、根拠のない罪状で捉えられたステファノスは法廷で、告発をした人々に対してひるむこともなく、イスラエルで預言者が迫害を受けてきた歴史を語り、聴衆の怒りを買う。


 「彼らはこれを聞いて、心においてひどくかりかりきてしまい、彼に対して歯ぎしりをなした。だが彼が聖霊に満ちて天を見つめると、神の栄光と、神の右に座っているイエスが見えた。そして言った、「見よ、私は天が聞け、人の子が神の右に立っているのを見る」。彼らは大声で叫び、自分の耳をふさぎ、思いを一つにして彼に襲いかかった。そして彼を町の外にほうり出し、石をぶつけることにした。そして証人たちが自分の衣を脱いで、サウルと呼ばれる若者の足もとに置き、ステフアノスに石をぶつけた。彼は声をあげて言った、「主イエスよ、我が霊をお受け下さい」。また膝をっき、大声で叫んだ、「主よ、彼らにこの罪をきせ給うな」。こう言って、彼は亡くなった。

 サウルは彼の殺害に一緒になって賛同していた。その日には、エルサレムにある教会に対して大きな弾圧が生じた。使徒以外は、すべての者がユダヤ、サマリア地方に散らされた。真面目な人たちがステフアノスを葬り、彼について大いに哀悼の意を表した」(使徒行伝7:54~8:2)。



 一応法廷での証言に続く個所なのだが、挑発されたと思ったユダヤ人の聴衆たちが勝手にステファノスを引きずり出して、石を投げつけて殺した、と読める。おそらくは私刑(リンチ)で殺されたのではないか? そして迫害を行う者の一人にサウル、後のパウロもいたという構成が面白い。

 が、それはともかく、サント・ステファノ・ロトンドは殉教者に捧げられた教会だけあって、その見どころは、円形の壁に沿って並べられている殉教の場面を描いたフレスコ画である。


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 これらを見終えた文豪のディケンズは次のような感慨をもらしたという。


「サント・ステファノ・ロトンドは、ローマ郊外にある、円形の湿っぽくかび臭い古い教会だが、その壁を覆っている忌まわしい絵画のおかげで、ずっと私の心に浮かんできてはかき乱すことになるだろう。これらの絵は、聖人や初期のキリスト教徒の殉教を描いたものだ。こんな惨劇と虐殺のパノラマは、たとえ夕食に豚を一頭丸々生(なま)で食べることができる人であっても、夢に思い描くことすらできないものだ」。

 



(つづく)   
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