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<title>MikSの浅横日記</title>
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<description>世界や歴史の動向を忘れないための備忘録・・・・・・&amp; 読書日記 &amp; 身辺雑記</description>
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<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-24T01:52:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24">
<title>『アリエッティ』が右派の論客にこきおろされる</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-24</link>
<description>　『アリエッティ』が海外のメディアのニュースの見出しにあったので、ああ評判がいいというニュースだろうなと流し読みをしていたら、どうもおかしい。アメリカの右派の論客の攻撃対象にされたらしいのだ。……　まあ、中身は読めばすぐ判るので省略。　こういう「批判」は、別にふざけている訳ではないのだろうが、やはり面白い。多くのメディアがこの件を取り上げているのも、やはりちょっと笑える話だからだろう。しかし、そういう風に取り上げられることを狙って、わざと滑稽な批判を展開している……ということはないだろうな。　ちなみにドブス氏の発言は、元記事の所に行けば映像で見ることができる。　イギリス『ガーディアン』の記事より。　　Fox host Lou Dobbs slams Arrietty and The Lorax for 'liberal agenda'Ben Childguardian.co.uk, Thursday 23 February 2012 11.32 GMThttp://www.guardian.co.uk/film/2012/feb/23/fox-lou-dobbs-lorax-liberal-agenda「　フォックスTVの論客であるルー・ドブス、『アリエッティ』と『ローラックス』を「リベラルな策略」ゆえにこきおろすアメリカの右派のコメンテーターが、ハリウッドを「またもや子供たちを洗脳しようとしている」といって批判した。（貸し手ではなく借り手を助ける……スタジオ・ジブリのアリエッティの画像）　保守的な映画ファンはこう忠告した。「ハリウッドは、臆面もなくリベラル寄りのメッセージを流す二本の新作映画をリリースすることで、あなたの子供たちを（再び）狙っている」のだと。　　スタジオ・ジブリのアニメーション『アリエッティの秘密の世界』は、階級間の嫉妬と富の再配布を奨励する陰湿な問題作だ。他方、『スース博士のローラックス（Dr. Seuss' The Lorax）』はまたもや現れた環境急進主義の例だと、フォックス・ビジネス・ネットワークのルー・ドブスは述べた。　『ルー・ドブス・トゥナイト・ショー』で発言した際に、この右派のコメンテーターは、ハリウッドの周知のリベラルな方針をこきおろすフォックスTVの最新の論客となった。12月には、ドブスの仲間のエリック・ボーリングが、（『セサミ・ストリート』でおなじみの）マペットが出演する新し..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-24T01:52:23+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　『アリエッティ』が海外のメディアのニュースの見出しにあったので、ああ評判がいいというニュースだろうなと流し読みをしていたら、どうもおかしい。アメリカの右派の論客の攻撃対象にされたらしいのだ。……　まあ、中身は読めばすぐ判るので省略。<br />
<br />
<br />
　こういう「批判」は、別にふざけている訳ではないのだろうが、やはり面白い。多くのメディアがこの件を取り上げているのも、やはりちょっと笑える話だからだろう。しかし、そういう風に取り上げられることを狙って、わざと滑稽な批判を展開している……ということはないだろうな。<br />
<br />
　ちなみにドブス氏の発言は、元記事の所に行けば映像で見ることができる。<br />
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　イギリス『ガーディアン』の記事より。　　<br />
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Fox host Lou Dobbs slams Arrietty and The Lorax for 'liberal agenda'<br />
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Ben Child<br />
guardian.co.uk, Thursday 23 February 2012 11.32 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/film/2012/feb/23/fox-lou-dobbs-lorax-liberal-agenda" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/film/2012/feb/23/fox-lou-dobbs-lorax-liberal-agenda</a><br />
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「<br />
　<strong><span style="font-size:large;">フォックスTVの論客であるルー・ドブス、『アリエッティ』と『ローラックス』を「リベラルな策略」ゆえにこきおろす</span></strong><br />
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<strong>アメリカの右派のコメンテーターが、ハリウッドを「またもや子供たちを洗脳しようとしている」といって批判した。</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Arrietty-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Arrietty-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Arrietty-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Arrietty-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>（貸し手ではなく借り手を助ける……スタジオ・ジブリのアリエッティの画像）</strong><br />
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　保守的な映画ファンはこう忠告した。「ハリウッドは、臆面もなくリベラル寄りのメッセージを流す二本の新作映画をリリースすることで、あなたの子供たちを（再び）狙っている」のだと。<br />
<br />
　<br />
　スタジオ・ジブリのアニメーション『アリエッティの秘密の世界』は、階級間の嫉妬と富の再配布を奨励する陰湿な問題作だ。他方、『スース博士のローラックス（Dr. Seuss' The Lorax）』はまたもや現れた環境急進主義の例だと、フォックス・ビジネス・ネットワークのルー・ドブスは述べた。<br />
<br />
<br />
　『ルー・ドブス・トゥナイト・ショー』で発言した際に、この右派のコメンテーターは、ハリウッドの周知のリベラルな方針をこきおろすフォックスTVの最新の論客となった。12月には、ドブスの仲間のエリック・ボーリングが、（『セサミ・ストリート』でおなじみの）マペットが出演する新しい映画に込められた共産主義的な意味合いを暴露していた。彼によれば、マペットの映画は、テックス・リッチマンという貪欲な石油会社の幹部を悪役として描くことで、金持ちを臆面もなく中傷しているというのだ。<br />
<br />
<br />
　「さて、次は、リベラルな国営のメディアでは聞けないようなお話ですよ」とドブスは話を始めた。「ハリウッドは、またしてもわが国の子供たちを洗脳しようとしているのです。今年封切られた二本の新作映画ですが、明らかに策略が込められていて、明らかにいわゆる１%の人々を悪者扱いして、何としても環境エネルギー政策の美徳を称えようとしているのです」。<br />
<br />
<br />
　気に障る映画のシーンを流した後で、ドブスはその二本の映画を、すべてのアメリカ人は公平に税を払うべきだとするバラク・オバマの演説になぞらえた。「ハリウッドにいる大統領のリベラルな友人たちはアニメ映画を使って、連中の策略を…子供たちに売り込んでいるのです」と彼は述べた。<br />
<br />
<br />
<br />
　『ローラックス』はアメリカの有名な子供向けの物語りに基づいたアメリカのプロダクションの作品だが、『アリエッティの秘密の世界』は、ハリウッドのリベラルな陰謀との結びつきは希薄なので、ボーリングが怒るのに相応しいオプションではないようだ。スタジオ・ジブリは日本の会社であり、原作の本は、いまは亡きイギリスの作家メアリー・ノートンによるものだ。ドブスの攻撃は、何も知らない人間から家のものを「借りる」小人たちを描いたノートンの物語りが、富の再分配を支持する社会主義的な問題作として寓意的に読み込まれた史上初の試みであるようだ。<br />
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　<br />
<br />
」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-20">
<title>世界報道写真コンペティション2012</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-20</link>
<description>　10日前に発表されたので、ちょっと古いが、「世界報道写真コンペティション2012」の受賞作品を紹介する。『ガーディアン』紙のスライドショーより（一部省略）。World Press Photo competition 2012 winners - in picturesguardian.co.uk, Friday 10 February 2012 14.41 GMThttp://www.guardian.co.uk/media/gallery/2012/feb/10/news-photography-photography#/?picture=385813808&amp;index=0「 世界報道写真コンペティション2012受賞作品　　毎年開催されている世界報道写真コンペティション第55回の受賞者がアムステルダムで発表され、イエメンの首都サナでの反政府抗議デモの後で負傷した縁者に付きそうイエメンの女性を撮ったスペインのサムエル・アランダ（コルビス・イメージ）に大賞を授与した。１．「ニュース・ストーリー（News Stories）」の「人（People）」部門で第一位となったのは、ヤスヨシ・チバ（Yasuyoshi Chiba ）による、津波の後遺症が残る日本の写真（2011年4月）。２．「アートおよびエンターテイメント（Arts and Entertainment）」部門で第二位となったフランスの写真家ヴァンサン・ボワゾ（Vincent Boisot）の、セネガルのダカールの中心部にある仕立て屋の露天の前でポーズをとるモデルの写真（2011年7月9日）。彼女は、デザイナーのヨランデ・マンチーニの創作したドレスを着て、第9回目のダカール・ファッション・ウィークに出席する予定だ。３．「ニュース」の「人」部門の第二位となったのは、ポーランドのトマシュ・ラザール（Tomasz Lazar）による、2011年10月25日にニューヨーク・ハーレムで起きた警察の方針と収入格差に反対するデモの最中に参加者が逮捕される写真。４．「日常生活（Daily Life）」部門で第一位となったのは、タイで活動しているロイターの写真家で、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダミール・サゴルジ（Damir Sagolj）による、ピョンヤンのビルを飾る北朝鮮の建国の父・金日成の肖像画を撮った写真（2011年10月5日）。５．「自然」部門で第一位となったのはアメ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-20T12:41:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　10日前に発表されたので、ちょっと古いが、「世界報道写真コンペティション2012」の受賞作品を紹介する。『ガーディアン』紙のスライドショーより（一部省略）。<br />
<br />
<br />
<br />
World Press Photo competition 2012 winners - in pictures<br />
<br />
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guardian.co.uk, Friday 10 February 2012 14.41 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/media/gallery/2012/feb/10/news-photography-photography#/?picture=385813808&index=0" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/media/gallery/2012/feb/10/news-photography-photography#/?picture=385813808&index=0</a><br />
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「<br />
 <strong><span style="font-size:large;">世界報道写真コンペティション2012受賞作品</span></strong><br />
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　<br />
　<strong>毎年開催されている世界報道写真コンペティション第55回の受賞者がアムステルダムで発表され、イエメンの首都サナでの反政府抗議デモの後で負傷した縁者に付きそうイエメンの女性を撮ったスペインのサムエル・アランダ（コルビス・イメージ）に大賞を授与した。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>１．「ニュース・ストーリー（News Stories）」の「人（People）」部門で第一位となったのは、ヤスヨシ・チバ（Yasuyoshi Chiba ）による、津波の後遺症が残る日本の写真（2011年4月）。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/One-of-the-winning-images-001.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_One-of-the-winning-images-001.jpg" width="600" height="399" border="0" align="" alt="One-of-the-winning-images-001.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_One-of-the-winning-images-001.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>２．「アートおよびエンターテイメント（Arts and Entertainment）」部門で第二位となったフランスの写真家ヴァンサン・ボワゾ（Vincent Boisot）の、セネガルのダカールの中心部にある仕立て屋の露天の前でポーズをとるモデルの写真（2011年7月9日）。彼女は、デザイナーのヨランデ・マンチーニの創作したドレスを着て、第9回目のダカール・ファッション・ウィークに出席する予定だ。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-009.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-009.jpg" width="600" height="373" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-009.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-009.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>３．「ニュース」の「人」部門の第二位となったのは、ポーランドのトマシュ・ラザール（Tomasz Lazar）による、2011年10月25日にニューヨーク・ハーレムで起きた警察の方針と収入格差に反対するデモの最中に参加者が逮捕される写真。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-008.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-008.jpg" width="600" height="376" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-008.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-008.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>４．「日常生活（Daily Life）」部門で第一位となったのは、タイで活動しているロイターの写真家で、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダミール・サゴルジ（Damir Sagolj）による、ピョンヤンのビルを飾る北朝鮮の建国の父・金日成の肖像画を撮った写真（2011年10月5日）。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-007.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
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<br />
<br />
<strong>５．「自然」部門で第一位となったのはアメリカの写真家ジェニー・E.ロス（Jenny E.Ross）。ノヴァヤゼムリャ島北部にあるオストロヴァ・オランスキーの海上の断崖をおっかなびっくりに歩くオスのホッキョクグマは、海鳥の卵を捕ろうとしているところだ。
</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-004.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-004.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-004.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-004.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>６．「同時代の問題（Contemporary Issues Stories）」部門で第一位となったのは、『ナショナル・ジオグラフィック』誌と契約していたアメリカ人ステファニー・シンクレア（Stephanie Sinclair）。（赤い服の）タハニは、彼女が6歳で夫のマジェドが25歳のときに結婚したが、以前のクラスメートで、やはり子供のころ結婚したガーダとともに、イエメンのハジアの山にある自宅の外で、写真のためにポーズをとる（2010年6月10日）。イエメンの女性のほぼ半数は子供の頃に結婚する。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-005.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-005.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-005.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-005.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>７．「スポーツ」部門で第二位となったのは『スポーツ・ファイル』誌の写真家のレイ・マクマナス（Ray McManus）。写真は、2011年2月5日ダブリンで激しい雨が降る中行われた、オールド・ベルヴェデーレ対ブラックロックのラグビーの一戦。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-003.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-003.jpg" width="600" height="402" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-003.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-003.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>８．「スポーツ・ストーリー（Sports Stories）」の第二位になったのはオーストラリアの写真家のアダム・プリティ（Adam Pretty）。彼の写真は、2011年7月17日、中国・上海のオリエンタル・スポーツ・センターで開催された第14回FINA世界大会で練習する飛び込みの選手たちを写している。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-012.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-012.jpg" width="472" height="472" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-012.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-012.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>９．「スポット・ニュース・ストーリー（Spot News Stories）」部門で第二位になったのは、スウェーデンのニクラス・ハマーストロム（Niclas Hammerstrom）が、2011年7月にノルウェーのウトヤでアフトンブラデット紙のために撮った写真。アンデレシュ・ベーリング・ブレイビックは、オスロ郊外のウトヤ島で6月22日に69人を射殺した。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-011.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-011.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-011.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-011.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>10．2012年のワールド・プレス・フォト大賞をとったのはスペインの写真家で『ニューヨーク・タイムズ』と契約していたサムエル・アランダ（Samuel Aranda）。大賞受賞作は、2011年10月15日イエメンの首都サナで起きた反サレハ大統領抗議デモの最中に負傷した縁者を抱きしめる女性を撮影したもの。審査員の一人は、進行中のアラブの春の蜂起の最中に撮られたこの写真を「胸を打つ、共感をよび起こす瞬間、偉大な出来事が引き起こした人間的なドラマ」と評した。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/A-winning-image-in-the-Wo-010.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_A-winning-image-in-the-Wo-010.jpg" width="600" height="398" border="0" align="" alt="A-winning-image-in-the-Wo-010.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_A-winning-image-in-the-Wo-010.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-18">
<title>数百人のチベット人が拘束されている</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-18</link>
<description>　何やらチベット関係がきな臭い。僧侶の焼身自殺が相次いでいるという報道は日本のメディアでも目にしたが、詳細な記事は皆無である。詳しい記事は欧米のメディアでもほとんどない。せめて『ガーディアン』紙に載った最新の記事を紹介する。ただし、これはロイター電の簡単な記事で、日本の各紙もこれを利用したようだ。情報がほとんど途絶状態であるのが、不安を大きくさせている。　China detains hundreds of Tibetans for 're-education', says human rights groupReuters in Beijingguardian.co.uk, Friday 17 February 2012 12.55 GMThttp://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/17/china-detains-tibetans-re-education「　人権団体によると、中国は数百人のチベット人を「再教育」のために拘束しているという　拘束されたチベット人たちは、ダライ・ラマとの会合に参加した後、インドから帰国する途中だった、とヒューマン・ライツ・ウォッチは語った。　インドのダルムサーラで語るチベットの精神的指導者ダライ・ラマ　中国政府は、ダライ・ラマの監督のもとに行われた教育の会合に出席した後インドから帰国の途にあった数百人のチベット人を拘束し、彼らが政治的な再-教育を受けるように強制していたと、ある人権団体は語った。　　ニューヨークに本拠を置くヒューマン・ライツ・ウォッチ（Human Rights Watch）は、中国当局がこれほど大量にチベットの一般人を拘束したのは1970年代の終わり以降初めてのことであり、これは中国がチベット各地の騒乱に苛立っているからだろうと述べた。　中国は、12月31日から1月10日にかけてインドのビハールで行われた、亡命中の精神的指導者ダライ·ラマとの会合に約7000人のチベット人が参加することを許可したが、これは、ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、チベット人に対するそれまでの政策を緩和する兆候であると考えられていた。　「しかし、チベット自治区の東部で騒乱が起き、それが（チベットの首都である）ラサにまで不安を及ぼすことが確実になったことを背景に、そうした政策は変更された」とヒューマン・ライツ・ウォッチは声明で述べた。　昨年の3月から数..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-18T17:47:15+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　何やらチベット関係がきな臭い。僧侶の焼身自殺が相次いでいるという報道は日本のメディアでも目にしたが、詳細な記事は皆無である。詳しい記事は欧米のメディアでもほとんどない。せめて『ガーディアン』紙に載った最新の記事を紹介する。ただし、これはロイター電の簡単な記事で、日本の各紙もこれを利用したようだ。情報がほとんど途絶状態であるのが、不安を大きくさせている。<br />
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China detains hundreds of Tibetans for 're-education', says human rights group<br />
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Reuters in Beijing<br />
guardian.co.uk, Friday 17 February 2012 12.55 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/17/china-detains-tibetans-re-education" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/world/2012/feb/17/china-detains-tibetans-re-education</a><br />
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　<span style="font-size:large;"><strong>人権団体によると、中国は数百人のチベット人を「再教育」のために拘束しているという</strong></span><br />
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　<strong>拘束されたチベット人たちは、ダライ・ラマとの会合に参加した後、インドから帰国する途中だった、とヒューマン・ライツ・ウォッチは語った。</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Dalai-Lama-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Dalai-Lama-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Dalai-Lama-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Dalai-Lama-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<strong>インドのダルムサーラで語るチベットの精神的指導者ダライ・ラマ</strong><br />
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　中国政府は、ダライ・ラマの監督のもとに行われた教育の会合に出席した後インドから帰国の途にあった数百人のチベット人を拘束し、彼らが政治的な再-教育を受けるように強制していたと、ある人権団体は語った。<br />
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　<br />
　ニューヨークに本拠を置くヒューマン・ライツ・ウォッチ（Human Rights Watch）は、中国当局がこれほど大量にチベットの一般人を拘束したのは1970年代の終わり以降初めてのことであり、これは中国がチベット各地の騒乱に苛立っているからだろうと述べた。<br />
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　中国は、12月31日から1月10日にかけてインドのビハールで行われた、亡命中の精神的指導者ダライ·ラマとの会合に約7000人のチベット人が参加することを許可したが、これは、ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、チベット人に対するそれまでの政策を緩和する兆候であると考えられていた。<br />
<br />
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　「しかし、チベット自治区の東部で騒乱が起き、それが（チベットの首都である）ラサにまで不安を及ぼすことが確実になったことを背景に、そうした政策は変更された」とヒューマン・ライツ・ウォッチは声明で述べた。<br />
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　昨年の3月から数えて少なくとも15人のチベット人が、主にチベット族が多く住む四川省と甘粛省の地域で、中国政府の支配に抗議して焼身自殺を図って死亡したと考えられている。<br />
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　チベットの擁護団体は、1月に四川省で起きた抗議活動の最中に、7人ものチベット人が射殺され数十名が負傷したと述べている。中国の国営メディアは、警察が警察署を襲撃した「暴徒」に対する自衛行為として発砲したと報じた。<br />
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」（おわり）<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-14">
<title>アメリカでも進んでいる教育格差</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-14</link>
<description>　　教育は社会的不平等を均一化する効果があると考えられてきたが、それはもう昔の話になってしまったのか?　親の収入が教育の格差に反映し、それに拍車をかけているということが複数の研究で明らかになったようだ。それを伝える『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。　　Education Gap Grows Between Rich and Poor, Studies SayBy SABRINA TAVERNISEPublished: February 9, 2012http://www.nytimes.com/2012/02/10/education/education-gap-grows-between-rich-and-poor-studies-show.html?src=me&amp;ref=general「　富裕層と貧困層の教育格差が拡大している　 教育は、恵まれない子供たちを底辺から引き上げ、大人になった時に成功するチャンスを高めてくれるものであるがゆえに、アメリカ社会を平等化するものであると歴史的に考えられてきた。しかし、最近発表された一群の研究は、富裕層と貧困層の学力格差が拡大しており、教育の平等化の効果を希薄化する展開になっていると示唆しているのだ。 （　　教育較差：スタンフォード大学の社会学者の研究によると、富裕層と貧困層の学生の共通テストの得点差は黒人と白人の得点差の２倍であるという。　学生の出生年ごとの、共通テストにおけるリーディングの平均点の差を示すグラフ。　オレンジの線　：　収入を度外視した白人学生と黒人学生の得点差　深緑の線　　　：　高収入家庭の学生と低収入家庭の学生の得点差　　）　裕福な家庭の子供が学校での成績がより良い傾向があることは周知の事実だ。しかし所得格差は、人種間の学力格差よりも、政治家や政府関係者からずっと少ない注目しか浴びてこなかった。　さて、ここ数カ月の間に発表された長期的データを分析した研究の中で研究者たちが発見したことは、白人と黒人の学生間の学力格差が過去数十年で大幅に縮小する一方で、富裕層と貧困層の学生の格差が同じ期間内に大幅に増大した、ということだった。　「私たちは、人種が家庭の収入よりも重要だった1950年代や1960年の社会から、家庭の収入の方が人種よりも教育上の成功を決定しているように見える今日の社会に移行してしまいました」と語るのは、スタンフォード大学の社会学者のショーン..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-14T11:49:18+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　　教育は社会的不平等を均一化する効果があると考えられてきたが、それはもう昔の話になってしまったのか?　親の収入が教育の格差に反映し、それに拍車をかけているということが複数の研究で明らかになったようだ。それを伝える『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。<br />
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Education Gap Grows Between Rich and Poor, Studies Say<br />
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By SABRINA TAVERNISE<br />
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Published: February 9, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/02/10/education/education-gap-grows-between-rich-and-poor-studies-show.html?src=me&ref=general" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/02/10/education/education-gap-grows-between-rich-and-poor-studies-show.html?src=me&ref=general</a><br />
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　<strong><span style="font-size:large;">富裕層と貧困層の教育格差が拡大している</span></strong><br />
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　 教育は、恵まれない子供たちを底辺から引き上げ、大人になった時に成功するチャンスを高めてくれるものであるがゆえに、アメリカ社会を平等化するものであると歴史的に考えられてきた。しかし、最近発表された一群の研究は、富裕層と貧困層の学力格差が拡大しており、教育の平等化の効果を希薄化する展開になっていると示唆しているのだ。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/10divide-graphic-articleInline-v2.gif" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_10divide-graphic-articleInline-v2.gif" width="187" height="600" border="0" align="" alt="10divide-graphic-articleInline-v2.gif" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_10divide-graphic-articleInline-v2.gif.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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（　　<strong>教育較差：スタンフォード大学の社会学者の研究によると、富裕層と貧困層の学生の共通テストの得点差は黒人と白人の得点差の２倍であるという。</strong><br />
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　<strong>学生の出生年ごとの、共通テストにおけるリーディングの平均点の差を示すグラフ。</strong><br />
　<strong>オレンジの線　：　収入を度外視した白人学生と黒人学生の得点差</strong><br />
　<strong>深緑の線　　　：　高収入家庭の学生と低収入家庭の学生の得点差</strong>　　）<br />
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　裕福な家庭の子供が学校での成績がより良い傾向があることは周知の事実だ。しかし所得格差は、人種間の学力格差よりも、政治家や政府関係者からずっと少ない注目しか浴びてこなかった。<br />
<br />
<br />
　さて、ここ数カ月の間に発表された長期的データを分析した研究の中で研究者たちが発見したことは、白人と黒人の学生間の学力格差が過去数十年で大幅に縮小する一方で、富裕層と貧困層の学生の格差が同じ期間内に大幅に増大した、ということだった。<br />
<br />
<br />
<br />
　「私たちは、人種が家庭の収入よりも重要だった1950年代や1960年の社会から、家庭の収入の方が人種よりも教育上の成功を決定しているように見える今日の社会に移行してしまいました」と語るのは、スタンフォード大学の社会学者のショーン・F.リアドン（Sean F. Reardon）。リアドン教授は、富裕層と低所得層の学生の共通テストの得点差が1960年代から約40％も拡大したこと、そしてそれが今では黒人と白人の得点差の２倍になることを指摘した研究の著者である。<br />
<br />
<br />
<br />
　ミシガン大学の研究者による別の研究では、大学修了――労働力市場での成功を占う最も重要な要因――という点での富裕層と貧困層の子供たちの不均衡は1980年代の終わりごろから約50％も増大したというのだ。<br />
<br />
　<br />
　この変化は地殻変動とも言えるものだが、過去数十年にわたって生じた社会的・経済的プロセスの結果なのである。これらほとんどの研究のデータは、不況の本格的な影響が感じ取れる前の2007年と2008年で終わっている。過去の不況期の経験に基づくかぎり、最近の景気後退はこのトレンドをさらに悪化させただろうと、研究者たちは述べている。<br />
<br />
<br />
　「収入の目減りは下の階層の方が深刻なので、この不況が格差をさらに広げた可能性は十分ありますね」とリアドン教授は述べた。彼がリーダーをつとめた研究で、研究者たちは1960年に始まり2007年に終了した12組に分けた共通テストの得点を分析した。彼は、収入が90パーセンタイルの家庭の子供――研究がおこなわれた2008年当時では年収約16万ドルに相当する――と10パーセンタイルの子供――2008年の1万7500ドルに相当――を比較した。<br />
<br />
<br />
　1960年から2008年の期間の終わりごろになると、収入別の学力格差は40％も増大したが、白人と黒人の学力格差は、収入に関係なく、著しく縮まった、と彼は述べた。<br />
<br />
<br />
　どちらの研究とも、社会科学の研究センターであるラッセル・セージ財団（Russell Sage Foundation）と、教育に主眼を置くスペンサー財団（Spencer Foundation）が募った論文からなる『機会はどこにいくのか（Whither Oppotunity? ）』という研究書に昨秋初めて発表された。彼らの結論は、社会科学の学者の小さな範囲では知れ渡ったことではあったが、所得の不平等がこの大統領選挙シーズンの中心テーマの一つになったこともあって、今やより広範囲な人々の注目を集めつつあるのだ。<br />
<br />
<br />
　親の所得の不平等と子どもの社会的流動性の関連は、共和党の大統領候補のみならずオバマ大統領にとっても関心を寄せる中心問題となっている。<br />
<br />
<br />
　学力の格差が増大した理由は、研究者によれば、裕福な親が子供たちに（週末のスポーツ、バレエ、音楽レッスン、数学の補習、それに子供たちの学校に対する全体的な関与に）かつてないほど時間とお金を投資しているのに対して、低所得の家庭は、これまで以上に片親しかいないことが多く、ますます酷使され時間や資金的余裕がなくなっていることにあるという。この点は、ますます多くの親が、大卒が経済的な成功にとってこれまで以上に不可欠となっているため、子供を大学に入れようと考えるようになった今日、特に当てはまるのだという。<br />
<br />
　<br />
　マドリードのファン・マーチ財団（Juan March Institute）の上級研究センターの研究者であるサビーノ・コーンリッチ（Sabino Kornrich）とフランク・F.ファーステンバーグ（Frank F. Furstenberg）による研究は専門誌『デモグラフィー（Demography）』に今年掲載される予定だが、その研究によると、1972年に年収のトップにいたアメリカ人が子供一人当たりに費やす費用は低所得の家庭に比べて5倍だった。2007年にはその差は9倍にまで拡大した。高所得世帯の支出は2倍になったが、低所得世帯の支出は20％しか増大しなかったためだ。<br />
<br />
<br />
　「今日の特権階級の家庭のパターンは集約栽培ですよ」とペンシルバニア大学の社会学の教授であるファーステンバーグ博士は述べた。<br />
<br />
　<br />
　こうしたギャップは大学でも拡大している。ミシガン大学のスーザン・M.ディナルスキー（Susan M. Dynarski ）とマーサ・J.ベイリー（Martha J. Bailey）による研究では、二世代の学生、一つは1961年から1964年に生まれた学生の世代と、もう一つは1979年から1982年に生まれた学生の世代を対象にした。1989年には、最初の世代の高所得層の学生で大学を修了したのは約3分の1だった。2007年には、2番目の世代の高所得層の学生の半分以上が大学を修了した。これとは対照的に、2007年、2番目の世代の低所得層の学生で大学を修了したのはたった9％だったが、この数字は最初の世代の1989年の修了率5％からわずかにアップしただけのものだった。<br />
<br />
<br />
　シカゴ大学の経済学者であるジェームズ・J.ヘックマン（James J. Heckman）は、子供の認知能力と人格を形成するうえで、親のしつけは収入以上とは言わないまでも、それと同程度に重要である、就学前の数年は特にそうだ、と主張する。<br />
<br />
<br />
　「幼児期の生活条件と子供にどれくらい刺激を与えるかという点はとても重要な役割を果たしています」と彼は言った。「危険なのは、貧困が単に所得の問題で、家庭により一層の補助を与えれば子供の将来は良くなるだろうという貧困撲滅運動（the war on poverty）の考え方に戻ってしまうことです。人々がそう結論づけてしまうならば、それは間違いというものです」。<br />
<br />
<br />
 カリフォルニア大学ロサンゼルス校の公共政策と社会学の准教授メレディス・フィリップス（Meredith Phillips）は調査データを用いて、富裕家庭の子供たちが6歳になるまでに自宅やデイ・ケア・センターや学校以外の場所（美術館からショッピング・モールに至るありとあらゆる場所）で過ごす時間は、低所得の子供よりも1300時間も多いことを示した。高収入の家庭の子供が学校に通い出す頃までに、そうした子供が読み書きの活動に費やす時間は、貧しい家庭の子供に比べると400時間も多いことをフィリップス博士は発見した。<br />
<br />
<br />
　 アメリカン・エンタープライズ 研究所 (American Enterprise Institute)の研究員で、その著書『崩壊： 1960年から2010年にかけての白人アメリカ人の状態（“Coming Apart: The State of White America, 1960-2010”』が1月31日に発売されたチャールズ・マレー（Charles Murray）は、所得の不平等を「原因というよりも徴候である」と記述している。<br />
<br />
<br />
　高学歴の人々と低学歴の人々のギャップの拡大は、一種の文化的な格差を形成するに至った、と彼は主張した。その格差は、高学歴の人は高学歴の人と結婚する傾向があるように、社会の自然な趨勢にルーツをもつが、福祉や政府の別のプログラムのような1960年代の社会政策にもルーツをもつのだ、なぜならそうした政策は独身でいたいという動機を提供したからだ、とマレーは主張する。<br />
<br />
<br />
　<br />
　「経済が回復しても、お金には何の関係もなく文化に大いに関係する理由で、これらの問題が依然として問題のまま残ることがいずれ判明するだろう」と彼は言った。<br />
<br />
<br />
<br />
　簡単な答えなどありません、それは問題が非常に複雑だからでもありますが、と語るのは、アトランティック・カウンシル（Atlantic Council）の研究員のダグラス・J.ベシャロフ（Douglas J.Besharov）。この問題の罪を最富裕層になすりつけるのはそれと同じくらい重要な要因を無視することだ、と彼は述べた。その要因とは、共働き家庭の財産で、それが、中流の家庭を低学歴のアメリカ人の家庭からさらに引き離したのだ、低学歴の家庭は片親の家庭である傾向が高いからだ、というのだ。<br />
<br />
<br />
　この問題は難問ですね、と彼は言った。「どうすれば改善できるのか、ほんのちょっとのアイディアすら誰ももっていませんよ。戸棚は空っぽの状態です」。<br />
<br />
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」（おわり）<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13">
<title>記念日にちょっと贅沢</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-13</link>
<description>　　・膳菜　ばち子と唐墨・お椀　ふく白子丸鍋・お椀　九絵うしお椀　・造理　（銀皿）　とろ　伊勢海老　さより　鯛　うに・焼物　新潟村上産松葉蟹・焚合　竹の子　ふき　南京　湯葉　赤ピーマン・御飯（赤絵四方皿）　黒毛和牛ヒレつけ焼・果実　プリン　苺　メロン　ブルーベリー　ラズベリー・御菓子　紅白きんとん・特別に書いてもらった品書結婚記念日を祝し「吉兆　西洋銀座店」で吉兆コースを堪能した。　　どの一品も忘れ難いが、このコースでしか見かけないこともあってか、はじめに出てくる｢ばち子｣が印象深い。「ばち子」とは、なまこの卵巣を干した珍味で、一枚作るのになまこ30個～50個が必要らしい。炙って食べるのだが、妙にしっとりした感触がたまらない。　　われわれとは別に、子供には寿司のコースを注文したが、彼もたいそう堪能していたようだ。やはり、家族そろっての記念日の食事はここにとどめをさす感じだ。吉兆 東京 ホテル西洋店関連ランキング：懐石・会席料理 | 銀座一丁目駅、京橋駅、宝町駅　　</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-13T12:16:31+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　　<br />
<strong>・膳菜　ばち子と唐墨</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC91.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC91.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆１.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC91.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<strong>・お椀　ふく白子丸鍋
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC92.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC92.jpg" width="338" height="450" border="0" align="" alt="吉兆２.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC92.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<strong>・お椀　九絵うしお椀　
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC93.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC93.jpg" width="338" height="450" border="0" align="" alt="吉兆３.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC93.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>・造理　（銀皿）　とろ　伊勢海老　さより　鯛　うに</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC94.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC94.jpg" width="450" height="300" border="0" align="" alt="吉兆４.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC94.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>・焼物　新潟村上産松葉蟹</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC95.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC95.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆５.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC95.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>・焚合　竹の子　ふき　南京　湯葉　赤ピーマン</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC97.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC97.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆７.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC97.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<strong>
・御飯（赤絵四方皿）　黒毛和牛ヒレつけ焼</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC98.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC98.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆８.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC98.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<strong>・果実　プリン　苺　メロン　ブルーベリー　ラズベリー</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC99.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC99.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆９.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC99.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>・御菓子　紅白きんとん</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC91EFBC90.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC91EFBC90.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆１０.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC91EFBC90.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<strong>・特別に書いてもらった品書</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/E59089E58586EFBC91EFBC92.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_E59089E58586EFBC91EFBC92.jpg" width="450" height="338" border="0" align="" alt="吉兆１２.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_E59089E58586EFBC91EFBC92.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
結婚記念日を祝し「吉兆　西洋銀座店」で吉兆コースを堪能した。<br />
<br />
　　どの一品も忘れ難いが、このコースでしか見かけないこともあってか、はじめに出てくる｢ばち子｣が印象深い。「ばち子」とは、なまこの卵巣を干した珍味で、一枚作るのになまこ30個～50個が必要らしい。炙って食べるのだが、妙にしっとりした感触がたまらない。<br />
<br />
　　われわれとは別に、子供には寿司のコースを注文したが、彼もたいそう堪能していたようだ。やはり、家族そろっての記念日の食事はここにとどめをさす感じだ。<br />
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<div><strong><a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002252/" rel="tabelog ef77cd770cb551e9a638a56c585c0cd9575bab74" target="_blank">吉兆 東京 ホテル西洋店</a></strong><br />
<script src="http://r.tabelog.com/badge/google_badge?rcd=13002252&user_id=467589" type="text/javascript" charset="utf-8"></script>
</div><br />
<p style="color:#444444; font-size:12px;"><br />
<strong>関連ランキング：</strong><a href="http://r.tabelog.com/RC010101/">懐石・会席料理</a> | <a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/R3371/">銀座一丁目駅</a>、<a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/R3326/">京橋駅</a>、<a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/R5853/">宝町駅</a></p><br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11">
<title>白人の下層階級</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11</link>
<description>　リベラル派のコラムニストのニコラス・クリストフが『ニューヨーク・タイムズ』に寄せたコラムを紹介する。　内容は、今日アメリカの白人の下流部分がいかに苦境に追い込まれているかを訴えるもの。アップルのことを取り上げた記事もそんな内容だったが、個人的に貧困や労働の問題にある程度の興味があるので、ついついこういう記事を見かけると気持ちが動いてしまうのである。　　ちなみに、ニコラス・クリストフ氏のコラムは、以前に一度取り上げたことがある。震災直後の日本にエールを送る気持ちの良い文章だった。「日本人が教えてくれるいくつかのこと」・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20The White UnderclassBy NICHOLAS D. KRISTOFPublished: February 8, 2012http://www.nytimes.com/2012/02/09/opinion/kristof-the-decline-of-white-workers.html?src=rechp「  白人の下層階級　いつまでも続く貧困は、アメリカが抱える道徳的な大問題だが、しかしそれよりずっと重大なことなのだ。 ニコラス・D.クリストフ　実際問題として、私たちは、国民の多くが下層階級に留まっていてくれなければ、教育問題にしろ医療費にしろ政府支出や経済的競争力といった問題を解決することはできないのだ。歴史的に見ると、「下層階級（underclass）」といぅ表現はしばしば「民族」を婉曲的に表現する語であると考えられてきたのだが、それが最近はますます白人の労働者階級の要素を含むようになってきた。　この点は、チャールズ・マレー（Charles Murray）の最新の著書 “Coming Apart”（『崩壊する白人アメリカ人』――訳者註）をめぐる論争の背景にもなっている。マレーは、白人の労働者階級で家庭の崩壊が進み、伝統的にあった（と彼は見ている）勤勉という価値観が衰退しているという事態を批判的に考察している。　リベラル派の人々のほとんどはこの本を批判したし、私もこの本の重要な部分については意見を異にしている。しかし彼が、スキルの低い白人労働者の間に広がる危機が社会的にどれほどの広がりをもっているかを強調したのは正しかったのだ。　私が基準として考えているのは、わが愛する故郷の町、巡り..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-11T00:49:30+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　リベラル派のコラムニストのニコラス・クリストフが『ニューヨーク・タイムズ』に寄せたコラムを紹介する。<br />
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　内容は、今日アメリカの白人の下流部分がいかに苦境に追い込まれているかを訴えるもの。アップルのことを取り上げた記事もそんな内容だったが、個人的に貧困や労働の問題にある程度の興味があるので、ついついこういう記事を見かけると気持ちが動いてしまうのである。<br />
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　ちなみに、ニコラス・クリストフ氏のコラムは、以前に一度取り上げたことがある。震災直後の日本にエールを送る気持ちの良い文章だった。<br />
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「日本人が教えてくれるいくつかのこと」・・・<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20</a><br />
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The White Underclass<br />
By NICHOLAS D. KRISTOF<br />
Published: February 8, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/02/09/opinion/kristof-the-decline-of-white-workers.html?src=rechp" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/02/09/opinion/kristof-the-decline-of-white-workers.html?src=rechp</a><br />
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「<br />
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  <span style="font-size:large;"><strong>白人の下層階級</strong></span><br />
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　<strong>いつまでも続く貧困は、アメリカが抱える道徳的な大問題だが、しかしそれよりずっと重大なことなのだ。</strong><br />
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ニコラス・D.クリストフ<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Kristof_New-articleInline-v2.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Kristof_New-articleInline-v2.jpg" width="190" height="240" border="0" align="" alt="Kristof_New-articleInline-v2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Kristof_New-articleInline-v2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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　実際問題として、私たちは、国民の多くが下層階級に留まっていてくれなければ、教育問題にしろ医療費にしろ政府支出や経済的競争力といった問題を解決することはできないのだ。歴史的に見ると、「下層階級（underclass）」といぅ表現はしばしば「民族」を婉曲的に表現する語であると考えられてきたのだが、それが最近はますます白人の労働者階級の要素を含むようになってきた。<br />
<br />
　この点は、チャールズ・マレー（Charles Murray）の最新の著書 “Coming Apart”（『崩壊する白人アメリカ人』――訳者註）をめぐる論争の背景にもなっている。マレーは、白人の労働者階級で家庭の崩壊が進み、伝統的にあった（と彼は見ている）勤勉という価値観が衰退しているという事態を批判的に考察している。<br />
<br />
　リベラル派の人々のほとんどはこの本を批判したし、私もこの本の重要な部分については意見を異にしている。しかし彼が、スキルの低い白人労働者の間に広がる危機が社会的にどれほどの広がりをもっているかを強調したのは正しかったのだ。<br />
<br />
　私が基準として考えているのは、わが愛する故郷の町、巡りあわせが良い日だと人口約925人にもなるオレゴン州ヤンヒル（Yamhill）だ。私たちアメリカ人は、アメリカの保守的な農村部ときけば美しい牧歌的な背景を思い出すが、最近では、ヤンヒルのような場所でわずかな収入を頼りにしている白人の家庭の中には、過去数十年間多くのアフリカ系アメリカ人の家庭を崩壊させてきた病理的現象を再現しているかのように見える所もあるのだ。<br />
<br />
<br />
　災いの一つは薬物の乱用だ。アメリカの農村部では、ヘロインではなくメタンフェタミンが好まれる。それはヤンヒルでの生活をめちゃくちゃにし、多くの者に前科という置き土産を残し、そのため彼らは良い仕事を見つける事が一層困難になる。親が刑務所にいるので、子供の養育はいい加減になってしまう。<br />
<br />
<br />
　それから、伝統的な家族のパターンが崩壊しつつある。マレーによると、高校の教育しか受けていない白人のアメリカ人女性において、出産の44％が婚外出産であるが、1970年の6％に比べると非常に高くなっている。<br />
<br />
<br />
　リベラル派には、伝統的な結婚を良しとするのは偏狭な態度だと感じる人がいる。私は、貧困の取材を重ねるにつれて、それとは反対の意見をもつようになった。きちんとした結婚は、貧しい人々の暮らしに有利となる多大なインパクトを及ぼすものなのだ（そのインパクトは中流階級の暮らしよりも大きいのだ。中流階級は、事態が悪化したとき、自分たちを支えるクッションとなるものをもっと持っているからだ）。<br />
<br />
<br />
　ボストンの低所得者層の非行に走る若者を対象にした研究の一つによると、犯罪から少年を遠ざけるうえで最もインパクトのあった要因の一つは、その少年が気にかける女性と結婚することだった。この点はスティーブン・ピンカー（Steven Pinker）が最近の本（ “The Better Angels of Our Nature”（『人間の本性にひそむ良い方の天使』――訳者註））の中で述べていることでもある。「若い男性が女性や結婚によって礼儀ある人間になるという考えは、8月のカンザス州のトウモロコシのようにつまらなく思われるかもしれないが、それは現代の犯罪学の常識になっているのだ」。<br />
<br />
　<br />
　職も貧困から脱出する突破口として重要だし、労働者階級の男性のますます多くが労働力市場からこぼれ落ちて行っているのは困ったことだとマレーが指摘しているのは正しいことだ。働き盛りの高卒男性で「労働力市場から落ちこぼれている」と言っている者の割合は1968年から4倍にもはね上がり、12％にもなってるのだ。<br />
<br />
　<br />
　1965年、ダニエル・パトリック・モイニハン（Daniel Patrick Moynihan）は有名なリポートを発表してアフリカ系アメリカ人の家族構成が危機を迎えていると警告したが、当時のリベラル派の多くは、このリポートが人種差別に近いものであると非難した。振り返ってみると、モイニハンが警告を発したのは正しかったのだ。<br />
<br />
　今日、大量の労働者階級のアメリカ人が、薬物、絶望、家庭崩壊、高い刑務所入所率、仕事と教育の役割が低下して社会的上昇が望めなくなったことなどの際立った特徴を見せながら、下層階級に陥って抜け出られなくなっているという危機に私たちが直面しているのではないかと私は恐れる。貧困がもたらすこうした問題の広がりについて国民的なレベルで話し合うことが必要であり、たぶんマレーの本がきっかけになってその口火が切られることになるかもしれない。リベラル派があまりにも性急になって不平等を基本的に税の問題として考えてしまわないかと私は恐れる。確かに、わが国の税のシステムは恥ずべきものだが、貧困問題はそれよりはるかに深く複雑なのである。…<br />
<br />
<br />
　私の高校の同学年の80％は高校を辞めたり大学に進学しなかったが、それは、製鉄所や手袋工場や製材所に勤めてきちんと生計を立てることができたからだ。そうした仕事は親がしていた仕事だった。しかし手袋工場は閉鎖され、労働者階級の職も消え去り、スキルのない労働者たちは移民との競争に巻き込まれてしまった。<br />
<br />
　理想的な解決策はないが、いくつかの証拠が示唆するところでは、われわれは（もっと少ない、ではなく）もっと多くの社会政策を必要としているのである。早期の幼児教育は、苦労しているシングルの親に育てられている子供たちのサポートになるだろう。麻薬患者を治療することは、彼らを刑務所に入れるよりもはるかに安くつくのだ。<br />
<br />
　新たな研究が発見したことだが、出所したばかりの受刑者に職業訓練を行ったところ、再犯率が22パーセントも下がったらしい。就業機会センター（the Center for Employment Oppotunities）によるこうした取り組みは採算が取れる以上の結果をあげた。1ドルの支出に対して3.85ドルの見返りがあったのだ。<br />
<br />
　だから現実を良く見よう。白人の労働者階級に危機が広がっているが、これは、アメリカで増大している所得格差の副産物なのだ。病理的な現象は痛みを覚えるほど現実に広がっている。しかし、解決策は、教え諭そうと人さし指を振ることでも目を逸らすことでもなく――機会を与えることなのである。<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10">
<title>ニーチェの言葉「神は死んだ」の政治的メッセージ</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-10</link>
<description>　ニーチェの政治嫌いは有名なので、「「神は死んだ」の政治的メッセージ」というタイトルを見たとき、これはさぞひねった内容なのだろうなと思ったのだが、最後まで読んでみると実にまっとうな内容だった。　「神は死んだ」という言葉は多義的で幾通りにも解釈できるし、実際これまで数知れないほどの仕方で解釈されてきた。中には、ニーチェは無神論者ではなく、19世紀ドイツの俗物ども（広くとれば、近代の人間たち）によって神が殺されたことを嘆き悲しんだのだと、初めて「神は死んだ」という思想が語られる『華やぐ智慧』の個所を解釈する人もいるほどである。　この記事を読むだけでも、この言葉の厄介な側面は感じ取れるはずだ。でも、『ガーディアン』紙が最近ニーチェのこの言葉を取り上げているのか、いまいちよく判らないのだが、まあ、そんな疑問はこの際、脇に置いて純粋な知的好奇心から読んでみたいものだ。The political message of Nietzsche's 'God is dead'Lesley Chamberlain guardian.co.uk, Tuesday 7 February 2012 09.00 GMThttp://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2012/feb/07/political-message-nietzsche-god-is-dead「　ニーチェの言葉「神は死んだ」の政治的メッセージ　「神は死んだ」というニーチェの宣言を今日的な文脈で考えると、それは無神論的な批判ではなく、理性と神との関連に対する攻撃なのだプロイセンの軍服姿のフリードリヒ・ニーチェを写した1864 年の珍しい写真。　フリードリヒ・ニーチェは「神の死」を1884年の著作『ツァラトゥストラかく語りき』で詩的な形で告知し、『アンチ・キリスト』(1888) では哲学的な主張としてそのテーマに立ち戻った。「哲学的な」ということで私が言いたいのは、この言葉が今の時代のわれわれの見慣れた信仰や信者に対する無神論的な批判ではなかった（あるいはそれだけではなかった）ということだ。それは、プラトンに始まり、17 世紀のルネ・デカルトにいたるまでキリスト教の伝統を通して受け継がれてきた理性と神との堅い結びつきに対する攻撃だったのだ。　デカルトは『省察』の中で、主体は世界の中で手にできるどんな「真理」であっても、それを合理..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-10T00:44:45+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ニーチェの政治嫌いは有名なので、「「神は死んだ」の政治的メッセージ」というタイトルを見たとき、これはさぞひねった内容なのだろうなと思ったのだが、最後まで読んでみると実にまっとうな内容だった。<br />
<br />
　「神は死んだ」という言葉は多義的で幾通りにも解釈できるし、実際これまで数知れないほどの仕方で解釈されてきた。中には、ニーチェは無神論者ではなく、19世紀ドイツの俗物ども（広くとれば、近代の人間たち）によって神が殺されたことを嘆き悲しんだのだと、初めて「神は死んだ」という思想が語られる『華やぐ智慧』の個所を解釈する人もいるほどである。<br />
<br />
　この記事を読むだけでも、この言葉の厄介な側面は感じ取れるはずだ。でも、『ガーディアン』紙が最近ニーチェのこの言葉を取り上げているのか、いまいちよく判らないのだが、まあ、そんな疑問はこの際、脇に置いて純粋な知的好奇心から読んでみたいものだ。<br />
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The political message of Nietzsche's 'God is dead'<br />
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Lesley Chamberlain <br />
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guardian.co.uk, Tuesday 7 February 2012 09.00 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2012/feb/07/political-message-nietzsche-god-is-dead" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2012/feb/07/political-message-nietzsche-god-is-dead</a><br />
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<span style="font-size:large;"><strong>ニーチェの言葉「神は死んだ」の政治的メッセージ</strong></span><br />
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<strong>　「神は死んだ」というニーチェの宣言を今日的な文脈で考えると、それは無神論的な批判ではなく、理性と神との関連に対する攻撃なのだ</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Friedrich-Nietzsche-in-Mi-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Friedrich-Nietzsche-in-Mi-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Friedrich-Nietzsche-in-Mi-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Friedrich-Nietzsche-in-Mi-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>プロイセンの軍服姿のフリードリヒ・ニーチェを写した1864 年の珍しい写真。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　フリードリヒ・ニーチェは「神の死」を1884年の著作『ツァラトゥストラかく語りき』で詩的な形で告知し、『アンチ・キリスト』(1888) では哲学的な主張としてそのテーマに立ち戻った。「哲学的な」ということで私が言いたいのは、この言葉が今の時代のわれわれの見慣れた信仰や信者に対する無神論的な批判ではなかった（あるいはそれだけではなかった）ということだ。それは、プラトンに始まり、17 世紀のルネ・デカルトにいたるまでキリスト教の伝統を通して受け継がれてきた理性と神との堅い結びつきに対する攻撃だったのだ。<br />
<br />
<br />
　デカルトは『省察』の中で、主体は世界の中で手にできるどんな「真理」であっても、それを合理的に証明することができないならば、それを疑わなければならないと述べた。デカルトは、理性が真理に達することを神が保証してくれることに関して6種類の証明を行うことで、彼の方法を精緻に仕上げた。しかし、デカルトの同時代の人々は、神が存在するかどうかは新たな時代の科学的方法にとってはどうでもいいことだと見なすことができた。<br />
<br />
<br />
　だが、デカルトの科学的な革命や啓蒙思想――そのいずれもが合理性を文化一般を前進させる力として確立させた――のおかげで、フランスやドイツの表舞台から（そして、ディヴィッド・ヒュームの登場とともに、イギリスでも）神は引きずり降ろされてしまったが、人間と自然と生命の意義をめぐる体系的な説明をする段になると、やはり依然として神を引き合いに出さざるを得ないのが実情だった。ある種の神の理念があったからこそ、ドイツ観念論として知られるヘーゲルやシェリングの偉大な体系は可能になったのである。<br />
<br />
<br />
　19世紀半ばのドイツの哲学者であったニーチェはこうした観念論の文脈で神は死んだと宣言した。彼は同時に「理性」も死んだと宣言してもよかったのかもしれない。実際、まさにニーチェはそうしたのだ。なぜなら、観念論的な文脈での理性とは、ただ単に経験についての命題が真であると証明する精神の能力だけではなかったからだ。ヘーゲルにとって理性とは実在する超自然的な力であって、世界を進歩に向けて動かしていくものだった。ニーチェの反抗が意味するのは、人間の生を統率したりそれに意味を与える枠組みを生み出すような偉大な形而上学的な力は存在しないということであり、すべての人間はたった独りで不条理ともなりうる存在に直面しているのだ、ということだった。しかし以上が「神の死」の唯一の意味というわけではなかった。<br />
<br />
<br />
　ニーチェは哲学者であると同じくらいドイツの著述家でもあった。彼の父は、ニーチェが4歳の時亡くなったが、プロテスタントの牧師であったし、ニーチェも陰鬱なルーテル派の敬虔な雰囲気の中で母と姉妹によって育てられた。彼が力を込めて反抗したのは、彼の感受性豊かな存在にキリスト教的な道徳が抑圧的な重圧を及ぼしたことに対してだった。この反抗心は慢性的な病気によってさらに焚きつけられたが、この病は彼が人生を愛する機会をさらに狭めていった。<br />
<br />
<br />
　こうした個人的な反抗心に、当時ビスマルクの下に新たに統一されたドイツの状況に対するニーチェの憤りも加わった。ビスマルクはドイツの文化をプロテスタント的で国家的なものとして統一しようとする国を挙げての「文化闘争（Kulturkampf）」を追求していた。ニーチェは教会を一つの制度として毛嫌いしていて、政治的にも文化的にも彼は当時の時代よりをはるかに超えたヨーロッパの自由思想家になったのである。<br />
<br />
<br />
　そこで、「神は死んだ」という言葉は、権力者どもよ、お前たちの制度を支えるために神の名を呼んでも無駄だ、ということだ。それは政治的なメッセージだった。<br />
<br />
　そして、「神は死んだ」が意味するのは、理性、大文字で書かれるべき「理性」、プラトン哲学を可能にした実在する力として理性、キリスト教の保守本流や西洋の哲学を通して理性と神との密接なつながりを可能にしてきた理性は、「人間」の本性を説明するためには用いることができない、ということである。しかし、このことが意味するのは、人間もまた死んだということだ。実際、ニーチェの神の死がもたらす最も深刻な結果は、理性的な能力によって定義され理性の進歩の道を歩む存在としての人間または人類なるものが死んでしまった、ということなのだ。<br />
<br />
　　<br />
　そこで「神は死んだ」は、ニーチェにとってさらに、肉体は自由だということも意味しているのだ。神の死に対してニーチェ的に応えるにはどうしたらいいかを探す必要があるとすれば、『華やぐ智慧（Die frohliche Wissenschaft ）』(1886)にまで遡ってみるべきだろう。私ならばこの書を「喜びの科学（The Science of Joy）」と翻訳するだろうが。ニーチェがこの著作のために書いた二番目の序文からちょっとだけ引用してみよう。<br />
<br />
<br />
<br />
　「生理的欲求が客観的で、理想的で、純粋に精神的なものという衣装を着せられ無意識のうちに偽装させられることは、恐るべきほど隅々にまで行きわたっている――私はしばしばこう自問したものだった、大局的に見れば、哲学とは肉体の解釈であるばかりか、肉体の誤解でもあるのではないかと」。<br />
<br />
<br />
<br />
　第三書には「祈りとは、本当は決して自分の考えを持ったことがなく魂のいかなる上昇も知らない人々のために作られたのだ…」とか「世界を醜く悪しきものと見ようとするキリスト教的な意思が世界を醜く悪しきものにした」といったアフォリズムを含んでいる。「神は死んだ」という思想は、ここでは、一人ひとりの人間が、自己自身を再発見して、キリスト教が抑圧した生きる喜びそのものを知る者とならなくてはならないという考え方に近づくのである。<br />
<br />
<br />
　かくして、「神は死んだ」は、人間のどうしようもなさが神を殺した、ということを意味する。これが『ツァラトゥストラ』の多くの部分のテーマであり精神である。このことがこのメッセージを悲しげなものにしているのである。<br />
<br />
<br />
　それとは対照的に、『華やぐ智慧』の遊び心が爆発しているような叙述は、人類に対して、この世界で真に生きるために自己を完全に再創造せよという――おそらく不可能な――課題を課しているのである。<br />
<br />
<br />
　ニーチェ以前からこうした再創造が行われてきた文脈は「唯物論」だった。それは、哲学的な意味で、ヘーゲルやシェリングの観念論の対極にあるものだった。ルートヴィヒ・フォイエルバッハが1830年代にそれを開始し、マルクスに哲学的な出発点を与えたことはよく知られている。<br />
<br />
<br />
　こう書いたからといって、ニーチェはマルクス主義者だと言いたいわけではない。そんなものからは程遠いのだ。そうではなくて、ニーチェの考え方でさえも全くの無から生じたわけではないということを言いたいのである。彼は、自分が生まれた時代のもっともラディカルな精神に乗っかって時代を過ごしたのだし、自分なりのやり方で、つまりドイツの著述家として、反-観念論者として、反-キリスト教徒として、時代を生きたのである。彼の著作の『アンチ・クリスト』というタイトルは、「反キリスト」を意味するとともに「反-キリスト教徒」をも意味するのである。<br />
<br />
　19 世紀半ばにすでに神が死んだことを西洋の世界に告げていたもう一つのナラティヴは、もちろん、ダーウィンのナラティヴだった。ニーチェは「ポスト-ダーウィニズム」の一部ではないが、彼が述べていることは20世紀の「神なき」文化的な潮流に流れ込むことになった。<br />
<br />
　私たちが今日の無神論者の文脈でニーチェを考察するときにとても重要となるのは、彼は理性を神の地位にまで引き上げなかったし、しかも、彼が立ち去ろうとしていた精神的伝統に対して真剣な関わり方をしたということに留意することである。<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05">
<title>死の間際の人が後悔することトップ5</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05</link>
<description>　タイトル通りの内容の記事をイギリス『ガーディアン』紙から。　ひとつ前に紹介した映画のベストテンのような企画ものではなく、実際に臨終まで立ち会った緩和ケアの看護師がまとめて本に著したものからの抜粋で成り立っている。　　意外に古風な後悔が並んでいるような気もするが、ひょっとしたらこういう後悔に古いも新しいもないのかもしれない。今の私には、よく判らないとしか言えない。　Top five regrets of the dyingSusie Steinerguardian.co.uk, Wednesday 1 February 2012 11.49 GMThttp://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying「 死の間際の人が後悔することトップ5ある看護師が、死の間際の人にもっともよく見られる後悔を記録したが、その上位には「あれほど一所懸命に働かなければよかった」という後悔があった。もし今日が人生最後の日ならば、あなたの最大の後悔は何になるだろう?　 緩和ケアの看護師が死の間際にいる人の後悔のトップ5を記録した　　　もっとセックスやバンジージャンプをしたかったなどという発言はなかった。死の間際の人々の最後の日々のカウンセリングをしてきた緩和ケアの看護師が、人生の終わりに当たって私たちが抱く最もよくある後悔を明らかにした。後悔の上位には「あれほど一所懸命に働かなければよかった」という後悔があったが、それは特に男性の後悔だった。　　ブロニ―・ウェア（Bronnie Ware）はオーストラリアの看護師で、緩和ケアに数年勤務し、患者の最後の12週間のケアを担当した。彼女は“ Inspiration and Chai （インスピレーションとチャイ）”という名前のブログの中で、死の間際にある人が悟るに至ったことを記録していたのだが、そのブログが多くの注目を集めたために、自分が見聞きしたことをまとめて『死の間際の人が後悔することトップ５（The Top Five Regrets of the Dying）』という題名の本を出版した。　　ウェアは、人生の終わりに至った人の視野が驚くべきほど澄んでいたり、われわれがそうした人々の英知からどれほどのことを学べるかについて書いている。「何か後悔はあるか、こうしておけば良かったと思うことはあ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-05T01:34:34+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　タイトル通りの内容の記事をイギリス『ガーディアン』紙から。<br />
　ひとつ前に紹介した映画のベストテンのような企画ものではなく、実際に臨終まで立ち会った緩和ケアの看護師がまとめて本に著したものからの抜粋で成り立っている。<br />
　<br />
　意外に古風な後悔が並んでいるような気もするが、ひょっとしたらこういう後悔に古いも新しいもないのかもしれない。今の私には、よく判らないとしか言えない。　<br />
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Top five regrets of the dying<br />
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Susie Steiner<br />
guardian.co.uk, Wednesday 1 February 2012 11.49 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2012/feb/01/top-five-regrets-of-the-dying</a><br />
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「<br />
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 <span style="font-size:large;"><strong>死の間際の人が後悔することトップ5</strong></span><br />
<br />
<strong>ある看護師が、死の間際の人にもっともよく見られる後悔を記録したが、その上位には「あれほど一所懸命に働かなければよかった」という後悔があった。もし今日が人生最後の日ならば、あなたの最大の後悔は何になるだろう?
</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/The-top-five-regrets-of-t-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_The-top-five-regrets-of-t-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="The-top-five-regrets-of-t-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_The-top-five-regrets-of-t-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　 <strong>緩和ケアの看護師が死の間際にいる人の後悔のトップ5を記録した</strong><br />
<br />
<br />
　<br />
　　もっとセックスやバンジージャンプをしたかったなどという発言はなかった。死の間際の人々の最後の日々のカウンセリングをしてきた緩和ケアの看護師が、人生の終わりに当たって私たちが抱く最もよくある後悔を明らかにした。後悔の上位には「あれほど一所懸命に働かなければよかった」という後悔があったが、それは特に男性の後悔だった。<br />
　<br />
　ブロニ―・ウェア（Bronnie Ware）はオーストラリアの看護師で、緩和ケアに数年勤務し、患者の最後の12週間のケアを担当した。彼女は“ Inspiration and Chai （インスピレーションとチャイ）”という名前のブログの中で、死の間際にある人が悟るに至ったことを記録していたのだが、そのブログが多くの注目を集めたために、自分が見聞きしたことをまとめて『死の間際の人が後悔することトップ５（The Top Five Regrets of the Dying）』という題名の本を出版した。<br />
<br />
　<br />
　ウェアは、人生の終わりに至った人の視野が驚くべきほど澄んでいたり、われわれがそうした人々の英知からどれほどのことを学べるかについて書いている。「何か後悔はあるか、こうしておけば良かったと思うことはあるかと聞いていったら、共通するテーマが繰り返し表われてきたのです」と彼女は言う。<br />
<br />
<br />
　ウェアが目撃した、死の間際の人が後悔することトップ５は以下のとおりである。<br />
<br />
<br />
<strong>1.　他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に忠実な人生を送る勇気をもっていたなら（ I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.）</strong><br />
<br />
<br />
　「これが後悔の中で最もよくあるものです。自分の人生がほぼ終わりに達したことを理解し、澄んだ気持ちになって人生を振り返るとき、いかに多くの夢が実現されなかったかが容易に見て取れるわけです。ほとんどの人は、夢の半分も実現することなく、しかもそれが自分のした（あるいは、しなかった）選択のせいだったことを知りながら死ぬしかありませんでした。健康は自由をもたらしてくれますが、その自由は、ほとんどの人がもう健康にはなりえなくなって初めて理解するものです」。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>2.　あれほど一所懸命に働かなければよかった（I wish I hadn't worked so hard.）</strong><br />
<br />
<br />
　「これは、私が看取ったすべての男性患者が口にした後悔です。子供が小さい頃に一緒にいてあげられなかったり、パートナーに対して親密にしてあげられなかったというのです。女性たちもこうした後悔を口にしましたが、ほとんどは古い世代なので、女性の患者の多くは働いて家計を支えていたわけではありませんでしたからね。私が看取った男性は皆、来る日も来る日も仕事だけの生活に自分の人生の多大な部分を費やしたことを深く後悔していました」。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>3.　自分の感情を言い表わす勇気を持っていたなら（I wish I'd had the courage to express my feelings.）</strong><br />
<br />
<br />
　「多くの人が、他人との平穏な毎日を維持するために、自分が感じていることを押し殺していました。その結果、彼らは平凡な生活を甘んじて受け入れ、本当はそうなれる存在になれずじまいで終わりました。多くの人が、その結果苦しみと怒りに苛まれることになり、それに関係する病気を発症することになったのです」。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>4.　友人たちと連絡を取りつづけていたならば（ I wish I had stayed in touch with my friends.）</strong><br />
<br />
<br />
　「多くの人は死ぬ数週間前まで旧友のありがたさを本当は理解していないことがしばしばですし、その友人たちに連絡を取ることが常にできるとは限りませんでした。多くの人は、自分の人生にかかり切りになってしまうので、まばゆい友情を年月とともに忘れてしまうものなのです。友情に対してそれにふさわしい時間と努力を費やさなかったことに多くの人が深い後悔の念をもちます。誰もが死にいくときに友人に会えずに寂しい思いをするのです」。<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>5.　自分がもっと幸せになってもいいと思えればよかったのに（I wish that I had let myself be happier.）</strong><br />
<br />
<br />
　「これは驚くほどよく見受けられる後悔です。多くの人は、幸福が選択肢の一つであることに最後まで気づかなかったのです。彼らは古くからのパターンや慣習で身動きが取れない状態でした。物質的な生活のみならず、自分の感情の中までにも慣れ親しんだ世界のいわゆる「居心地の良さ」があふれていました。変化に対する恐れから、彼らは自他に対して、自分は満ち足りていると言い張っていましたが、内心の深いところでは、今度生まれ変わったならば大いに笑ったり羽目をはずしたりすることを切望していました」。<br />
<br />
<br />
　　あなたの最大の後悔は何か?　そして死ぬ前にこれを成し遂げようとかこれを変えようと思っていることが何かあるだろうか?　<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01">
<title>ラストの名セリフ――映画史上のベスト10</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01</link>
<description>　イギリス『ガーディアン』紙に、映画史上最高の「ラストの名セリフ」ベスト10という企画ものがあったので紹介することにしようと思った。　選者が（たぶん）高齢のせいか、選ばれたのが古い作品に偏していることもあってか、一覧して得た率直な印象は「あまり大したことないかな」というもの。本当に名セリフと言えるものは『お熱いのがお好き』くらいではないかと思う。まあ、未見の映画もあるので断言はできないが。　別の人が選べば違う印象を与える結果になるのかもしれないが、ひょっとしたら｢名セリフで終わる」映画というものはほとんどないのかもしれない、とも思った。映画は、言葉ではなく映像で締めくくるべきものなのだから。　言葉がラストに出てきてインパクトを与える例として、私ならば『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」や『沈黙』の「精神｣などがとっさに思い浮かぶが、どちらも｢セリフ｣ではないしね。　それに、『博士の異常な愛情』（何という邦題だろう!）のラストは、ただただピーター・セラーズの演技の凄さが観る者を圧倒するので、「総統、歩けます!」というセリフだけを切り取ることには、誰もが違和感を覚えるだろうと私は思う。　ちなみに、未見の映画もあるので理解が行きとどいていない所があるかもしれず、それが誤訳に結びついているかもしれないことをお断りしておく。特に、1931年版の『フロント・ページ』の“bitch”の所がいまいち判ってない。　もう一つ、ちなみに、最後に出てくる「『テンペスト』においてプロスペローが述べる最後の言葉」とは、“We are such stuff　As dreams are made on”（我々は夢と同じ物で作られている）だそうだ。The 10 best last lines - in picturesPhilip FrenchThe Observer, Sunday 29 January 2012  http://www.guardian.co.uk/culture/gallery/2012/jan/29/ten-best-last-lines-in-pictures「　ラストの名セリフベスト10――を写真でふりかえる　カサブランカ70周年の今年、最高の映画の結末を選んでみた１．カサブランカ（マイケル・カーティス、1942年）「ルイ、これが美しい友情の始まりだな　（Louis, I think this is the beginni..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-02-01T04:00:25+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　イギリス『ガーディアン』紙に、映画史上最高の「ラストの名セリフ」ベスト10という企画ものがあったので紹介することにしようと思った。<br />
<br />
　選者が（たぶん）高齢のせいか、選ばれたのが古い作品に偏していることもあってか、一覧して得た率直な印象は「あまり大したことないかな」というもの。本当に名セリフと言えるものは『お熱いのがお好き』くらいではないかと思う。まあ、未見の映画もあるので断言はできないが。<br />
<br />
<br />
　別の人が選べば違う印象を与える結果になるのかもしれないが、ひょっとしたら｢名セリフで終わる」映画というものはほとんどないのかもしれない、とも思った。映画は、言葉ではなく映像で締めくくるべきものなのだから。<br />
<br />
　言葉がラストに出てきてインパクトを与える例として、私ならば『市民ケーン』の「薔薇のつぼみ」や『沈黙』の「精神｣などがとっさに思い浮かぶが、どちらも｢セリフ｣ではないしね。<br />
<br />
　それに、『博士の異常な愛情』（何という邦題だろう!）のラストは、ただただピーター・セラーズの演技の凄さが観る者を圧倒するので、「総統、歩けます!」というセリフだけを切り取ることには、誰もが違和感を覚えるだろうと私は思う。<br />
<br />
<br />
　ちなみに、未見の映画もあるので理解が行きとどいていない所があるかもしれず、それが誤訳に結びついているかもしれないことをお断りしておく。特に、1931年版の『フロント・ページ』の“bitch”の所がいまいち判ってない。<br />
<br />
　もう一つ、ちなみに、最後に出てくる「『テンペスト』においてプロスペローが述べる最後の言葉」とは、“We are such stuff　As dreams are made on”（我々は夢と同じ物で作られている）だそうだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
The 10 best last lines - in pictures<br />
<br />
Philip French<br />
The Observer, Sunday 29 January 2012<br />
  <br />
<br />
<br />
<a href="http://www.guardian.co.uk/culture/gallery/2012/jan/29/ten-best-last-lines-in-pictures" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/culture/gallery/2012/jan/29/ten-best-last-lines-in-pictures</a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
「<br />
　<strong><span style="font-size:large;">ラストの名セリフベスト10――を写真でふりかえる</span></strong><br />
<br />
　<strong>カサブランカ70周年の今年、最高の映画の結末を選んでみた

</strong><br />
<br />
１．<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-96981.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-96981.jpg" width="660" height="480" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-96981.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<strong>カサブランカ
（マイケル・カーティス、1942年）</strong><br />
<br />
<strong>「ルイ、これが美しい友情の始まりだな　（Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship）」。</strong><br />
<br />
<br />
　<strong>レジスタンス運動の夫婦が西アフリカの｢自由フランス」軍に加わるために制圧されたモロッコを去っていくとき、リベラルなナイトクラブのオーナーのリック・ブレイン（ハンフリー・ボガート）が対独協力者で警察署長のルイ・ルノー（クロード・レインズ）に言った言葉。『ハムレット』ほど引用どころ満載の脚本の中にあって、洗練されたこの最後のセリフには、戦時下での愛と義務が葛藤する要請に対してこの映画が愛国的な反応を基調としているがよく示されている。この映画には3人の脚本家が名前を連ねているが、この最後のシーンは、ガランとして霧に満ちたセットで、出しゃばりのプロデューサーであるハル・B ·ウォリス自らが脚本を書き演出したものである。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>２．</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2-b848b.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2-b848b.jpg" width="714" height="480" border="0" align="" alt="2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2-b848b.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<strong>風と共に去りぬ
（ヴィクター・フレミング、1939）</strong><br />
<br />
<strong>「家に帰ってから彼を取り戻すすべを考えよう。結局、明日という日があるのだから!　（I’ll go home and I’ll think of some way to get him back. After all, tomorrow is another day!）」</strong>。<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>この言葉は、ついに堪忍袋の尾が切れたレット・バトラー（クラーク・ゲーブル）が、「正直に言うが、勝手にするがいいさ（Frankly, my dear, I don't give a damn）」という捨てゼリフとともに去って行ったとき、意を決した南部生まれの美人スカーレット・オハラ（ヴィヴィアン・リー）が示す楽観的な反応である。これは、マーガレット・ミッチェルの1936年のベストセラーの最後の言葉とほぼ同じだが、小説にはテクニカラーの燃えるような夕日も、プロダクション・デザイナーのウィリアム・キャメロン・メンジズも、マックス・スタイナーの『タラのテーマ』もなかった。
</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>３．
</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3-ed1e6.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3-ed1e6.jpg" width="586" height="480" border="0" align="" alt="3.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3-ed1e6.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>お熱いのがお好き
（ビリー・ワイルダー、1959）</strong><br />
<br />
<br />
<strong>
「完璧な人間などいないよ!　（Well, nobody’s perfect!）」。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>
　陽気で、何度も結婚歴のある富豪オズグッド・フィールディング3世（ジョー・E.ブラウン）が、モーターボートを操縦してマイアミの桟橋から遠ざかるときに言う言葉。それは、女性だけのバンドで演奏していたダフネ（女装したジャック・レモン）がかつらを捨てて「私、男よ!」と言ったときのオズグッドの反応である。ワイルダーはラストを盛り上げる名人で、たとえば、『サンセット大通り』の「デミル監督、 クローズ・アップの準備はできてるわ（ All right, Mr. DeMille, I'm ready for my close-up.）」や、『アパートの鍵貸します』の「黙って配って（Shut up and deal）」などの最後のセリフは映画の古典になっている。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>４．
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/4-ca16f.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_4-ca16f.jpg" width="608" height="480" border="0" align="" alt="4.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_4-ca16f.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>キングコング
（アーネスト・シェードザック、1933）</strong><br />
<br />
<br />
<strong>「いや、飛行機じゃない、美女が野獣を殺したのだ　（Oh, no, it wasn't the airplanes. It was Beauty killed the Beast）」。</strong><br />
<br />
　<strong>これは、巨大な猿コングに対する追悼の言葉。コングは、フェイ・レイをエンパイア・ステートビルの屋上に連れ去った後に戦闘機によって撃ち殺された。追悼の言葉は、スカル・アイランドでコングを捕獲した冷酷な映画製作者カール・デナム（ロバート・アームストロング）が発した。コングが世界貿易センターの上でヘリコプターに攻撃される1976年のリメイク版にはそのような結末はない。ピーター・ジャクソンの2005年版はオリジナルにより近く、大恐慌に時代を設定し、デナムの最後のセリフを盛り込んだ。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>５.</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-af612.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-af612.jpg" width="664" height="480" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-af612.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>フロントページ
（ルイス・マイルストン、1931）</strong><br />
<br />
<br />
<strong>「あのクソ野郎が俺の腕時計を盗みやがった!　（The son of a bitch stole my watch!）」
</strong><br />
<br />
<br />
　<strong>これは、ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの1928年の偉大な新聞小説の最後のセリフで、皮肉屋でゴシップ紙の編集者ウォルター・バーンズが警察への通報として電話ごしに言ったセリフだが、これは、看板記者のヒルディ・ジョンソンが辞職するのを阻止するための最後の一計だった。1931年の映画では、検閲の怒りを買わないために、バーンズ（アドルフ・マンジュー）が「たまたま」タイプライターのキーに触れて“bitch”と打ってしまったことになっている。ウォルター・マッソーがバーンズ役を演じるビリー・ワイルダーの1974年版では、セリフが原作どおりに生かされた。
</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>６.　</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/6-94386.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_6-94386.jpg" width="638" height="480" border="0" align="" alt="6.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_6-94386.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>犯罪王リコ
（マーヴィン・ルロイ、1931）</strong><br />
<br />
<strong>　「マリア様!　これがリコの最後ですか?　（Mother of mercy! Is this the end of Rico?）」</strong><br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>これは、エドワード・G.ロビンソンを一躍スターにしたワーナー・ブラザーズの映画の中で死にゆくギャングが吐く最後の言葉である。いまや古典となった1948年のエッセイ『悲劇のヒーローとしてのギャング』の中で、ロバート・ワーショーは、リコが自分を三人称で語るのは「撃ち倒された者が、誰とも同じような一人の男なのではなく、名前をもった個人であり、ギャングであり、成功した人間であるからだ」と述べている。それに、ワーショーは「T.S.エリオットが指摘したことだが、シェイクスピアの悲劇のヒーローの多くは自分自身を劇的に見るというこうした手口を使っている」と述べている。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>７.　</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/7-45280.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_7-45280.jpg" width="569" height="480" border="0" align="" alt="7.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_7-45280.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>ユージュアル・サスペクツ
（ブライアン・シンガー、1995）
</strong><br />
<br />
　<strong>「悪魔がしかけた最大のトリックは、悪魔など存在しないと皆に信じこませることだった。そして突然――フッと――悪魔は消えてしまったのさ!　（The greatest trick the devil ever pulled was convincing the world he didn’t exist. And like that – poof – he’s gone!）」。
</strong><br />
<br />
<br />
　<br />
　<strong>この見事な筋立てのスリラーのオリジナル脚本でオスカーを受賞したクリストファー・マカリーは、この映画の妙に信用のおけないナレーターであるヴァ―ヴァル・キント（この役でケビンス・ペイシーはオスカーを受賞）が、警察の取調官に悪魔的なスーパー犯罪者カイザー・ゾゼのことを説明するときに、このセリフを言わせた。このセリフは、最後に破滅的なフラッシュ・バックとしてリピートされる。タイトルの「ユージュアル・サスペクツ」は、『カサブランカ』で警察署長のルノーが皮肉っぽい口調で繰り返す「常連の容疑者をつかまえろ（Round up the usual suspects）」に由来する。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
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<br />
<br />
<br />
<strong>８.</strong><br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/8-b3f82.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_8-b3f82.jpg" width="398" height="600" border="0" align="" alt="8.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_8-b3f82.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>博士の異常な愛情
（スタンリー・キューブリック、1964年）</strong><br />
<br />
　<strong>「総統、歩けます!　（Mein Führer, I can walk!）」。
</strong><br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>キューブリックと共同で脚本を書いたテリー・サザンが生み出したストレンジ・ラヴ博士は、ドイツ生まれで車椅子生活のアメリカ大統領顧問なのだが、フリッツ・ラングの『メトロポリス』に出てくるマッド・サイエンティストのロトワングと、『水爆戦争論』の著者であるハーマン・カーンと、ヘンリー・キッシンジャーと、イアン・フレミングのドクター・ノオを組み合わせたような人物だ。しかし、別の二つの役を演じたことに加えて、ストレンジ・ラヴの性格を作り上げたのはピーター・セラーズだった。彼は、意志の究極的な勝利を示唆するこのコミカルなまでに衝撃的な最後のセリフを含め、セリフの大半を即興で編み出した。</strong><br />
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<strong>９</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/9-ab478.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_9-ab478.jpg" width="720" height="480" border="0" align="" alt="9.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_9-ab478.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>
チャイナタウン
（ロマン・ポランスキー、1974）</strong><br />
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<br />
<strong>「忘れろ、ジェイク、ここはチャイナタウンだ　（Forget it, Jake, it’s Chinatown）」。
</strong><br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>映画の終わりとしては最も美しい言葉の一つであり、ロサンゼルスの私立探偵ジェイク・ギテス（ジャック・ニコルソン）に向かって同業者が発した慰めの言葉なのだが、これは、フィルム・ノワールを復活させネオ・ノワールの始まりを告げるこの映画の中でキーとなるセリフである。このセリフは、脚本家ロバート・タウンが戦前の南カリフォルニアを歴史的に調べ上げたことと、ジェイク・ギテスが私立探偵になる前に中国人ゲットーで警官として働いていた経験に由来している。チャイナタウンとは、1930年代のロサンゼルスが解読できないほど不可解な街でその腐敗も迷宮のようだったことを表わすメタファーである。</strong><br />
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<strong>１０．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/10-806c9.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_10-806c9.jpg" width="647" height="480" border="0" align="" alt="10.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_10-806c9.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>マルタの鷹
（ジョンヒューストン、1941）</strong><br />
<br />
<strong>「夢の中身さ（The stuff that dreams are made of」。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>　このセリフは、サンフランシスコ警察の警官（ウォード・ボンド）が貴重なマルタの鷹の偽物を掲げて「重いな、これは何だ?」と尋ねるときに、私立探偵のサム・スペード（ハンフリー・ボガート）が与える答えである。ハメットの小説はこれほど劇的な終わり方になっていない。ヒューストン監督のデビュー作のこの最後のセリフは、『テンペスト』においてプロスペローが述べる最後の言葉のちょっと間違った引用なのだが、これは、ヒューストン映画の多くの登場人物――たとえば、『黄金（The Treasure of the Sierra Madre）』や『王になろうとした男（ The Man Who Would Be king）』の登場人物――の手に届きそうで届かない聖杯を予見させるコメントである。</strong><br />
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」（おわり）<br />
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]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28">
<title>どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(3)</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28</link>
<description>　前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の5ページから7ページの部分を紹介する。長かったが、これでおしまい。　さて、この記事の最後は、ハッピーな気分で終わっている。亡くなったジョブズ氏追悼の意味もあるだろう、少しエモーショナルな終わり方だ。　しかし、終わり近くに掲げられた重大な問いは、問いのまま放置されている。つまり、かりに技術革新が近いうちに起きたとしても、かつて中流に所属していた人間は「もう二度と元の中流階級に戻れないのだろうか?」という問いだ。たぶん、この問いは、｢中流階級は永久に消滅してしまったのか?」と言い換えられるかもしれない。　この問いかけは答えられずに放置されているが、たぶん、それには｢イエス｣という答えしかない。それがこの記事の言外に込められているメッセージだろう。記事中のあのサラゴサ氏が、また浮上することがあるだろうか?　そんなことは、ありそうにもない、そんな書き方だ。かつてアメリカの大部分を占めていた中間層は分裂し、ごくごく一部はアップルの幹部のようになるだろうが、大部分にとってはサラゴサ氏のような運命が待ちかまえているのである。　かりに技術革新が起きたとしても、その商品の製造はすべてアジアに行ってしまうだろう。もはや、製造業のそうしたトレンドは変えられないほど、アジアへのシフトは世界経済の構造そのものと化してしまったようだ。しかし、アメリカの中間層にとって製造業が雇用の柱を提供していたのだから、製造業が復活できなければ中間層の復活もありえないのは当然のことだ。　折しも、オバマ大統領が中間層の復活を１月24日の一般教書演説でぶち上げたばかりだ。それは確かに緊急の課題に応えるタイムリーな政策発表だった。　しかし、この記事が言うように、アジアに持っていかれた製造業をアメリカに呼び戻すには世界経済の構造の大転換が必要であるはずで、そんなことはアメリカの大統領でも恐らくは無理な仕事であると思えるのだ。How the U.S. Lost Out on iPhone Work　By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHERPublished: January 21, 2012http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewant..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-28T01:08:24+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の5ページから7ページの部分を紹介する。長かったが、これでおしまい。<br />
<br />
　さて、この記事の最後は、ハッピーな気分で終わっている。亡くなったジョブズ氏追悼の意味もあるだろう、少しエモーショナルな終わり方だ。<br />
<br />
　しかし、終わり近くに掲げられた重大な問いは、問いのまま放置されている。つまり、かりに技術革新が近いうちに起きたとしても、かつて中流に所属していた人間は「もう二度と元の中流階級に戻れないのだろうか?」という問いだ。たぶん、この問いは、｢中流階級は永久に消滅してしまったのか?」と言い換えられるかもしれない。<br />
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<br />
　この問いかけは答えられずに放置されているが、たぶん、それには｢イエス｣という答えしかない。それがこの記事の言外に込められているメッセージだろう。記事中のあのサラゴサ氏が、また浮上することがあるだろうか?　そんなことは、ありそうにもない、そんな書き方だ。かつてアメリカの大部分を占めていた中間層は分裂し、ごくごく一部はアップルの幹部のようになるだろうが、大部分にとってはサラゴサ氏のような運命が待ちかまえているのである。<br />
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　かりに技術革新が起きたとしても、その商品の製造はすべてアジアに行ってしまうだろう。もはや、製造業のそうしたトレンドは変えられないほど、アジアへのシフトは世界経済の構造そのものと化してしまったようだ。しかし、アメリカの中間層にとって製造業が雇用の柱を提供していたのだから、製造業が復活できなければ中間層の復活もありえないのは当然のことだ。<br />
<br />
　折しも、オバマ大統領が中間層の復活を１月24日の一般教書演説でぶち上げたばかりだ。それは確かに緊急の課題に応えるタイムリーな政策発表だった。　しかし、この記事が言うように、アジアに持っていかれた製造業をアメリカに呼び戻すには世界経済の構造の大転換が必要であるはずで、そんなことはアメリカの大統領でも恐らくは無理な仕事であると思えるのだ。<br />
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How the U.S. Lost Out on iPhone Work　<br />
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By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHER<br />
Published: January 21, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=6&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=6&_r=1</a><br />
<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=7&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=7&_r=1</a><br />
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　　<strong><span style="font-size:large;">どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(3) 
</span></strong><br />
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 「わが社の顧客は台湾、韓国、日本、中国にいますよ」とコーニング社の副会長兼最高財務責任者（CFO）のジェームズ・B.フローズは語った。「アメリカでガラスを作って船で運ぶこともできますが、35日もかかりますからね。飛行機で出荷することもできるでしょうが、10倍も高くつきます。だからガラス工場は組み立て工場の隣に建てることになり、どちらも海外にある、ということになるわけです」。<br />
<br />
<br />
<br />
　コーニング社は161年前にアメリカで設立され、本社はまだニューヨーク州北部にある。理論的に言えば、同社は国内ですべてのガラスを製造できる。しかし、そうするには「業界の構造の全面的な見直しが必要でしょうね」とフローズ氏は言った。「家庭用電化製品の業界はアジアのビジネスになってしまいましたね。アメリカ人としてはそれが気懸りですが、私がどうにかできることではありませんからね。アジアは、この40年間のアメリカにとって代ったのです」。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong><span style="font-size:large;">中流階級の職が消えていく
</span></strong><br />
<br />
<br />
<br />
　エリック・サラゴサがカリフォルニア州のエルク・グローブにあるアップル社の製造工場に初めて足を踏み入れたとき、彼はまるでエンジニアのワンダーランドに入り込んだような気分になったものだった。<br />
<br />
<br />
　それは1995年のことで、サクラメントの近くにあるその施設には1500人以上の従業員がいた。それは、ロボットアームや回路基板を運ぶベルト・コンベアや、最後には、組み立てラインの様々な段階にあるカラフルなiMacなどからなる万華鏡だった。サラゴサ氏はエンジニアだったが、すぐに工場でのランクを上げ、エリート集団である診断チームの一員になった。年収は5万ドルに上昇した。彼と彼の妻は3人の子供をもうけた。彼らはプール付きの家を買った。<br />
<br />
<br />
　「ついに、学校に行った甲斐があったと感じましたよ」と彼は言った。「世界はモノ作りができる人間を必要としているのだと判ったのです」。<br />
<br />
<br />
　しかし、それと同じ頃、エレクトロニクス業界は変化していたし、そしてアップル社も――人気に陰りがでていた商品とともに――立て直しに苦労していた。焦点の一つは製造過程の改善だった。サラゴサ氏が職についた数年後、彼の上司が、カリフォルニア州の工場が海外工場と比べてどうなのかを説明してくれたことがあった。材料費を別にするならば、エルク・グローブで1500ドルのコンピュータを製造するコストは、マシン一台当たり22ドルだった。シンガポールでは6ドル、台湾では4.85ドルだった。こうした差がどうして出るのか、その大きな理由は賃金ではなかった。むしろ、在庫のコストや、労働者が一つの仕事を果たすのにかかる時間などが大きかったのだ。<br />
<br />
　<br />
<br />
　「1日12時間仕事をして土曜も来なければならない、と僕たちは言われましたよ」とサラゴサ氏は言った。「僕には家族がいたし、子供たちがサッカーするのを見たかったんですけどね」。<br />
<br />
<br />
　近代化はいつも、ある種の仕事が変化したり消えたりするのを引き起こしてきた。アメリカの経済が農業から製造業に移行し、さらに別の産業へと移行したとき、農民は鉄鋼所の労働者になり、さらにセールスマンや中間管理職に変わった。こうした変貌は多くの経済的な恩恵をもたらしたし、一般的に言えば、進歩するたびごとに、スキルのない労働者であっても、よりよい賃金と社会の上層に昇るチャンスが広がっていった。<br />
<br />
　<br />
　しかし、この20年間というもの、もっと根本的なものが変わってしまった、と経済学者たちは言う。中位の賃金の仕事（midwage jobs）が消滅し始めたのだ。特に大学の学位のないアメリカ人にとって、今日の新しい職は著しくサービス業に偏っている――レストランやコール・センターの仕事だったり、病院の付き添い係や派遣労働者などだが――が、そうした仕事についても、中流階級に到達できる見込みは、かつてほどではなくなっている。<br />
<br />
<br />
　学位をもっているサラゴサ氏でさえ、こうしたトレンドに対して無傷ではいられなかった。まず、エルク・グローブの日常的な業務のいくつかが海外に移管された。サラゴサ氏は気にもとめなかった。その後、アップル社の工場を未来の遊び場のようにしたロボット工学の進展のおかげで、幹部は労働者を機械に換えることができた。診断技術のいくつかはシンガポールに行ってしまった。工場の在庫を管理していた中間管理職たちが解雇されたが、それは、突然、インターネットで接続するわずかな人しか必要でなくなったからである。<br />
<br />
<br />
<br />
　サラゴサ氏は未熟練労働者としてのポジションにいる者としてはあまりに高給取りだった。それに上級管理職になるには十分な資格がなかった。彼は2002年の夜間勤務の後小さなオフィスに呼び出され、解雇を告げられ、工場から閉め出された。彼はしばらくの間、高校で教えた後で、製造業に復帰しようと試みた。しかし、アップル社は、かつてはその一帯が「シリコン・バレー・ノース（Silicon Valley North）」として聖地扱いされることに寄与したものだったが、その頃になるとエルク・グローブの工場の大半は「アップル・サポート（AppleCare）」のコール・センターに変わってしまっていたし、そこで新しい従業員は時給12ドルで働くこともあったのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
（5ページ終わり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　シリコン・バレーで職を見つけられる見込みはあったのだが、しかしどれも上手くいかなかった。「本当に求人があるのは、30歳で子供なしのような人間なんです」とサラゴサ氏は言った。彼は現在48歳で、5人の子供がいるのだ。<br />
<br />
<br />
　数ヶ月間職探しをした後で、彼は行きづまりを感じ始めた。教職の仕事もなくなっていた。そこで彼は、アップル社の専属の電子機器の派遣会社に籍を置き、返品されたiPhoneやiPadを、顧客に送り返す前にチェックする仕事についた。毎日、サラゴサ氏は、かつてエンジニアとして働いていたビルに車で出かけ、福祉手当のない時給10ドルで、何千というガラス製のスクリーンを磨いたり、ヘッドホンを差し込んでオーディオ・ポートの検査をしたりしているのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong><span style="font-size:large;">アップルにとっての給料日　
</span></strong><br />
<br />
<br />
　アップル社の海外事業と販売が拡大するにつれ、トップの経営陣は潤った。昨年度、Appleの売上高は1080億ドルを超えたが、これはミシガン州とニュージャージー州とマサチューセッツ州の州予算を合計した額よりも大きい数字だ。株式分割をした2005年以降、同社の株価は約45ドルから427ドル超にまで跳ね上がった。<br />
<br />
<br />
　その富の一部は株主のもとに行った。アップル社は最も幅広く保有されている株の一つで、株価の上昇は、何百万といる個人投資家や401（k）や年金基金に利益をもたらした。報奨金もアップルの労働者を豊かにした。昨年度、アップルの従業員や役員は、給与に加えて、20億ドル相当の株式を受け取り、それに加えて14億ドル相当のストック・オプションンを行使したり発行させた。<br />
<br />
<br />
　しかし最大の報酬はアップルの経営陣に与えられた。アップルのトップであるクック氏は、昨年、今日の株価に直すと、4億2700万ドルに相当する――10年にわたって発行可能な――ストック・オプションを受け取り、彼の年収は140万ドルに引き上げられた。2010年に、クック氏の報酬パッケージは、アップル社の有価証券報告書によると、5900万ドルとなっていた。<br />
<br />
　<br />
　<br />
　アップル社に近いある人は、同社の幹部が受け取る報酬は公正なものだ、同社はそれだけ多くの価値をアメリカや世界にもたらしたのだからと主張した。会社の規模が大きくなるにつれて、アップル社は、製造業の職を含め、国内の労働人口を拡大してきた。昨年、アップル社が雇うアメリカ人の労働者は8000人も増加したのだ。<br />
<br />
<br />
　他の企業はコールセンターを海外に移転したが、アップル社はコールセンターをアメリカに留めている。ある消息筋の試算では、アップル社の製品の売り上げのおかげで、別の企業は何万人もの米国人を雇うことができたのだそうだ。たとえば、フェデックスやユナイテッド・パーセル・サービスは、両社ともアップル製品の出荷量の増大のおかげでアメリカ人のための職を創出できたと述べている。もっとも、両社ともアップル社からの許可なしに具体的な数字を挙げるわけにはいかないとして、数字の提供を拒んだのであるが。<br />
<br />
<br />
<br />
　「中国人労働者を使用しているという理由でわが社が批判されるいわれはありませんよ」とアップル社の現役幹部は述べた。「アメリカは、われわれが必要としているスキルをもった人々を輩出するのを止めてしまったのです」。<br />
<br />
　<br />
　さらに、アップル社のある事情通は、同社は小売店の内部や、iPhoneやiPadのアプリケーションを売りこむ企業家の間に、大量で良質のアメリカ人の職を生み出した、と言う。<br />
<br />
<br />
　2ヶ月間iPadの検査の仕事をした後、サラゴサ氏は仕事を辞めた。賃金がとても低いので、職探しにその時間を使う方がましだろうと考えたからだ。最近の10月のある晩、サラゴサ氏がMacBookに向かって座りオンラインで履歴書を出していたとき、地球を半周したところで、ある女性が自分の事務所に到着した。彼女はリナ・リンといい、中国の深浅にあるPCHインターナショナルのプロジェクト・マネージャーだ。同社は、アップルや別のエレクトロニクスの企業と契約し、iPadのガラス製のスクリーンを保護するケースのようなアクセサリー部品の生産をコーディネイトする会社だ。彼女はアップル社の従業員ではない。しかし、リナ・リンは、アップル社の製品供給能力にとって無くてはならない存在なのである。<br />
<br />
　リナ・リンの給料は、サラゴサ氏がアップルから支払われた額よりも少し低い。彼女は流暢な英語を話すが、それはテレビを見たり中国の大学で学んだものだ。彼女と彼女の夫は毎月給与の4分の1を銀行に預けている。彼らは約100平方メートルのアパートに住んでいて、義理の息子と共有している。<br />
<br />
　<br />
　「仕事はたくさんありますよ」とリン夫人は言った。「特に深圳ではね」。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　<strong><span style="font-size:large;">技術革新の敗者たち</span></strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　ジョブズ氏や他のシリコン・バレーの幹部たちと昨年オバマ氏が開いたディナーの終わりごろ、皆が帰るために立ちあがったとき、大統領の周りには一緒に写真に写ろうとする人の群れができた。ジョブズ氏の周りにも、それよりわずかに小さいスクラムができた。彼の病状が悪化しているという噂が広がっていて、彼と一緒の、恐らくは最後の、写真を希望する者がいたのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
（6ページ終わり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　最後には、人々の軌道が重なり合った。「私はこの国の長期的な将来については心配していませんよ」と、ある観察者によると、ジョブズ氏はオバマ氏に語ったそうだ。「この国はめちゃくちゃ偉大だ。私が心配しているのは、私たちが解決策について十分話し合っていないことなのです」。<br />
<br />
<br />
　たとえば、ディナーでは、企業幹部たちは、政府は、企業が外国人のエンジニアを雇いやすくするためにビザのあり方を改革するように提案した。海外で得た利益を本国に持ち帰って、雇用を生み出すためにその利益を使えるように、企業に「免税期間（tax holiday）｣を与えてはどうかと、大統領に勧める幹部もいた。ジョブズ氏も、政府がもっと多くのアメリカ人エンジニアの職業訓練を支援するならば、アップル社の熟練技術の要る製造工場のいくつかをアメリカに設置することも、いつの日か可能になるだろうと述べた。<br />
<br />
<br />
　<br />
<br />
　経済学者は、こうした努力がどれほど有用であるかを議論しているし、低迷する経済が時には予想外の進展によって変貌することもあることに注目している。たとえば、前回高い失業率が長びきアナリストたちが気をもんだ1980年代初頭には、インターネットはほとんど存在しなかった。あの当時、グラフィック・デザインの学位が急速に有望株になる一方で、電話修理の勉強が終りになると推測していた人はほとんどいなかっただろう。<br />
<br />
<br />
　しかし、明日に起こるかもしれない技術革新をアメリカが利用して何百万人分もの雇用を生み出せるかどうかは、やはり判らない。<br />
<br />
<br />
　この10年間、太陽エネルギーや風力エネルギー、半導体製造やディスプレイ技術における技術力の飛躍は何千もの雇用を生み出してきた。しかし、これらの産業の多くはアメリカで始まったものだが、雇用の多くが発生したのは海外だった。企業は、アメリカの巨大な工場施設を閉鎖し、中国で再開した。企業の幹部たちは、こうした事情を説明するために、株主のためにアップル社と競争しているのだ、と言う。アップル社の成長と利益率に匹敵できなければ、生き残っていけないと彼らは言うのだ。<br />
<br />
　<br />
　「新たな中流階級のための職がいずれは登場するでしょう」とハーバード大学の経済学者のローレンス・カッツは言った。「しかし、40代の人がそうした職に相応しいスキルを持っているだろうか?　それとも、40代の人間は、新しい大卒に追い抜かれてしまって、もう二度と元の中流階級に戻れないのだろうか?」。<br />
<br />
<br />
<br />
　技術革新のペースはジョブズ氏のようなビジネスマンによって加速してしまった、とさまざまな業界の幹部たちは言う。GMは、大きなモデル・チェンジをするのに5年もかけた。対照的に、アップルは、ある種の消費者が支払う価格を下げる一方でデバイスの速度とメモリを倍増させながら、４年間に5台のiPhoneをリリースしたのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　オバマ氏とジョブズ氏が別れを告げる前に、アップルの幹部がポケットからiPhoneを引っ張り出して、信じられないほど繊細なグラフィックスの新しいアプリケーション――ドライブのゲームだった――を披露した。そのiPhoneは、部屋の照明の柔らかな輝きを反映していた。別の幹部たち、その価値の合計が690億ドルを超える幹部たちは、われ先に争って肩越しに一目見ようとした。そのゲームが素晴らしいものであることに、誰もが同意した。<br />
<br />
<br />
　そのスクリーンには、わずかな傷が一つもなかったのである。<br />
<br />
<br />
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」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-25">
<title>どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(2)</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-25</link>
<description>　前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の2ページから4ページの部分を紹介する。はじめはアメリカでの工場生産に誇りを感じていたアップル社が、どうして中国に生産の軸足を移していったか、そのプロセスが簡潔に描かれている。How the U.S. Lost Out on iPhone Work　By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHERPublished: January 21, 2012http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=2&amp;_r=1http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=3&amp;_r=1http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=4&amp;_r=1「　  どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(2)リナ・リンは、アップルと契約しているPCHインターナショナルのプロジェクト・マネージャだ。「仕事はたくさんあります」と彼女は言った。「特に深圳ではね」。  企業や別の経済学者は、そんな考え方は単純すぎると言う。アメリカの労働者の教育水準は世界で最も高いレベルにあるが、国は、工場が必要とするような中間レベルのスキルを十分多くの国民に授けることを止めてしまった、と企業幹部たちは言う。　　繁栄するために、企業は技術革新のための費用を払いつづけるのに十分なほどの利益を生み出せる場所に工場を移転する必要があると、企業側は主張する。そうしなければ、長期的にはさらに多くのアメリカ人の仕事を失うことにつながるのであって、そのことは、かつては誇り高かった国内メーカーの多く――GMなどを含む――が、 機動力のある競合他社の出現以降、縮小してしまったことが証明しているではないか、というわけだ。　アップル社には、この記事のためにニューヨーク・タイムズが作成したレポートの長大な要約を渡しておいたのだが、秘密主義で有名な同社はコ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-25T11:13:06+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　前回に引き続き、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の2ページから4ページの部分を紹介する。はじめはアメリカでの工場生産に誇りを感じていたアップル社が、どうして中国に生産の軸足を移していったか、そのプロセスが簡潔に描かれている。<br />
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How the U.S. Lost Out on iPhone Work　<br />
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By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHER<br />
Published: January 21, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=2&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=2&_r=1</a><br />
<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=3&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=3&_r=1</a><br />
<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=4&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html?pagewanted=4&_r=1</a><br />
<br />
<br />
「　  <span style="font-size:large;"><strong>どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか(2)
</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/JP-APPLE-2-articleInline.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_JP-APPLE-2-articleInline.jpg" width="190" height="126" border="0" align="" alt="JP-APPLE-2-articleInline.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_JP-APPLE-2-articleInline.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>リナ・リンは、アップルと契約しているPCHインターナショナルのプロジェクト・マネージャだ。「仕事はたくさんあります」と彼女は言った。「特に深圳ではね」。
</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
  企業や別の経済学者は、そんな考え方は単純すぎると言う。アメリカの労働者の教育水準は世界で最も高いレベルにあるが、国は、工場が必要とするような中間レベルのスキルを十分多くの国民に授けることを止めてしまった、と企業幹部たちは言う。<br />
<br />
<br />
　<br />
　繁栄するために、企業は技術革新のための費用を払いつづけるのに十分なほどの利益を生み出せる場所に工場を移転する必要があると、企業側は主張する。そうしなければ、長期的にはさらに多くのアメリカ人の仕事を失うことにつながるのであって、そのことは、かつては誇り高かった国内メーカーの多く――GMなどを含む――が、 機動力のある競合他社の出現以降、縮小してしまったことが証明しているではないか、というわけだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　アップル社には、この記事のためにニューヨーク・タイムズが作成したレポートの長大な要約を渡しておいたのだが、秘密主義で有名な同社はコメントを拒否した。<br />
<br />
<br />
　この記事は、経済学者、製造業の専門家、国際貿易の専門家、技術アナリスト、大学の研究者、アップル製品の供給業者、競合他社、パートナー企業、および政府関係者だけでなく、40名近いアップルの従業員と請負業者――現役および元職を含むが、その多くは自分の職を守るために名前を伏せるよう求めた――とのインタビューに基づいている。<br />
<br />
<br />
<br />
　アップル社の幹部たちは、世界は今やとても変化してしまったので、一企業の貢献を、たんにその従業員数を数えることによって測るのは間違っていると、個人的な会話では述べる――もっとも、アップル社は、かつてないほどアメリカ人の労働者を雇っていますよ、と彼らは付け加えてはするのだが。<br />
<br />
　<br />
　アップル社の成功は、起業家に活力を与え、携帯電話プロバイダのような企業やアップル製品を出荷する会社に職を生み出すことで産業界に恩恵を与えたではないか、と幹部たちは言う。そして最後には、失業を改善することは自分たちの仕事ではない、と彼らは言うのだ。<br />
<br />
　<br />
　「われわれは、百カ国以上でiPhoneを販売しています」とアップル社の現役幹部は述べた。「われわれにはアメリカの問題を解決する義務はありませんよ。われわれの唯一の義務は、可能な限り最高の製品を作ることですからね」。<br />
<br />
<br />
<br />
<span style="font-size:large;"><strong>　「ガラス製のスクリーンが欲しいんだ」
</strong></span><br />
<br />
<br />
<br />
　2007年、iPhoneが店頭に並ぶ予定の一月ちょっと前のこと、ジョブズ氏は一握りの部下をオフィスに呼び寄せた。何週間もの間ずっと、彼はiPhoneの試作機をポケットに忍ばせていた。<br />
<br />
<br />
　その会合に出席した人によると、ジョブズ氏は怒りにみちた表情でiPhoneを取り出し、そのプラスチック製のスクリーンにできた何十という小さな傷が皆に見えるように、iPhoneを高く掲げた。それから彼はジーンズからキーを引っぱりだした。<br />
<br />
<br />
　みんなこの携帯電話をポケットに入れるだろう、と彼は言った。キーだってポケットに入れるだろう。「僕はひっかき傷ができるような製品を売りたくないんだ」と彼は語気を強めて言った。唯一の解決策は傷ができないようなガラスを使うことだった。「ガラス製のスクリーンが欲しいんだ、しかも6週間で完璧なやつを」。<br />
<br />
<br />
　ある幹部は、その会合を終えた後、中国の深圳行きの航空券を予約した。ジョブズ氏が完璧なものを求めているならば、深圳以外に行く場所はなかった。<br />
<br />
　2年以上にわたり、同社は、事あるごとに同じ問題を突きつけるあるプロジェクト――コードネームは「パープル2（Purple2）」――に取り組んでいた。その同じ問いとは、「どうしたら携帯電話を根底から考え直せるか?」という問いだった。そして、何百万台もの製品がすばやく、十分な利益をあげられるほど安価に製造できるようにしながら、「どうすれば最高の品質の設計になるのか」――例えば、傷のつかないスクリーンに関して――という問いだった。<br />
<br />
<br />
　それらの問いに対する答えは、ほとんど何時も、アメリカ以外の場所で発見された。部品はバージョン間で異なるものの、すべてのiPhoneには数百ものパーツが含まれていて、その推定90パーセントが海外で製造されている。最先端の半導体はドイツと台湾から、メモリは韓国と日本から、ディスプレイ・パネルと電気回路は韓国と台湾から、チップセットはヨーロッパから、希少金属はアフリカとアジアからやって来る。そしてそれらのすべては中国で組み立てられるのだ。<br />
<br />
<br />
　初期のころ、アップル社は、製造に関する問題を解決するために自社の裏庭の彼方に目をやることはなかった。例えば、アップル社が1983年にマッキントッシュを作り始めた数年後に、ジョブズ氏は、マッキントッシュが「アメリカで作られたマシン」であることを自慢していた。 1990年、ジョブズ氏が最終的にアップルに買収されることになるNeXTの経営にあたっていた頃、彼はあるレポーターに「僕はコンピュータと同様に工場のことも誇りに思っています」と語っていた。2002年の頃になっても、アップル社のトップ幹部たちは、本社の北東に2時間ほど車を走らせて、カリフォルニア州のエルク・グローブにあるiMacの工場をしばしば訪れたものだった。<br />
<br />
<br />
　しかし2004年ごろまでに、アップル社はほとんどを海外生産に切りかえていた。その意思決定を主導していたのは、アップル社のオペレーション担当のティモシー・D.クックだった。彼は、昨年8月、ジョブズ氏の死の六週間前にCEOとしてジョブズ氏の後任になった人だ。アメリカの他のエレクトロニクス企業のほとんどはすでに海外移転に踏み切っていて、当時、苦戦していたアップル社は、どんなアドバンテージでも手に入れなければならないと感じていた。<br />
<br />
<br />
　アジアが魅力的だったのは、ある意味で、アジアの半熟練労働者が安価だったからだ。しかし、アップル社をアジアに駆り立てたのはその点ではなかった。テクノロジーの企業にとっては、労働力のコストは、部品を購入したり（数百社からのコンポーネントやサービスをまとめあげる）サプライ・チェーンを管理する費用と比べると大したものではないからである。<br />
<br />
<br />
(2ページ終わり)<br />
<br />
<br />
<br />
　クック氏にとって、なぜアジアに注目するのかの理由は「二つの点に帰着しました」と元アップル社の上級幹部は述べた。アジアの工場は「規模のアップ・ダウンが素早くできる」うえ、「アジアのサプライ・チェーンはアメリカのそれを凌駕してしまった」という二点だ。その結果｢現時点でわれわれは太刀打ちできなくなっているのです」とその幹部は言うのだった。<br />
<br />
<br />
　このアドバンテージの効果は、ジョブズ氏が2007年にガラス製のスクリーンを要求するやいなや明らかになった。<br />
<br />
<br />
　長年にわたり、携帯電話メーカーはガラスの使用を避けていたのだが、それは、実行がきわめて難しい研磨の精度が求められたからだ。アップル社は、大きな強化ガラスを製造するためにアメリカのコーニング社（Corning Inc）を選んでいた。しかし、巨大なガラスを何百万ものiPhoneのスクリーンに切り分ける方法を考えているうちに、空の切削工場を一つと、実験に使用する何百というガラス片と中間レベルのエンジニアが大勢必要であることがわかった。準備するだけでも莫大な金がかかるだろう。<br />
<br />
<br />
　そのとき、その仕事に対する入札の申し出が中国の工場からやってきた。<br />
<br />
<br />
　アップルのチームが訪れたとき、中国の工場のオーナーは新たな作業棟を建設している最中だった。アップルの元幹部によると、「私たちに契約を与えてくれる場合に備えて、工事をしているのです」とマネージャーは言ったそうだ。中国政府は多くの産業に対してコストを肩代わりすることに合意していたし、そうした補助金はそのガラス研磨工場にまで行き渡っていた。その工場には、アップルが無料で使用できるガラスのサンプルで満杯の倉庫があった。オーナーたちはエンジニアをほとんどノーコストで使わせた。彼らは、従業員を1日24時間利用できるよう工場内に宿舎を建てた。<br />
<br />
<br />
　こうして中国のその工場が仕事を得たのだ。<br />
<br />
<br />
　「今ではサプライ・チェーンのすべてが中国にあります」と別の元アップルの上級幹部は述べた。「ラバーのパッキンが1000個必要だって?　それは隣の工場に行けばいい。ネジが百万個必要だって?　その工場は1ブロック先にあるよ。ちょっと違った作りのネジが必要だって?　3時間かかるよ。まあ、そんな具合ですからね」。<br />
<br />
　<br />
　<br />
<br />
　<span style="font-size:large;"><strong>フォックスコン・シティーにて</strong></span><br />
<br />
<br />
<br />
　そのガラス工場から車で8時間のところに、非公式にはフォックスコン・シティー（Foxconn City）として知られている生産拠点があり、そこでiPhoneは組み立てられている。アップル社の幹部にとって、 フォックスコン・シティーは、中国がアメリカの労働者よりも優れた労働者――と勤勉さ――を提供できるということを示すさらなる証拠となった場所だ。<br />
<br />
<br />
　それは、フォックスコン・シティーに似たような場所がアメリカには存在しないからである。<br />
<br />
<br />
　この施設には23万人もの従業員がいて、その多くは週に6日働き、工場で1日12時間過ごすこともしばしばだ。フォックスコンの労働力の4分の1以上は会社のバラックで暮らし、多くの労働者の稼ぎは一日17ドル足らずだ。あるアップルの幹部がシフト交代時に到着したとき、彼の車は大河のように通り過ぎる従業員の流れにつかまり立ち往生してしまった。「あのスケールは想像を絶するものだった」と彼は述べた。<br />
<br />
　<br />
　フォックスコンは、労働者が出入り口に殺到して押しつぶされないように、歩行者を誘導する警備員を約300人雇っている。施設のセントラル・キッチンは一日平均3トンの豚肉と13トンのコメを調理する。工場にはチリ一つ落ちていないが、近くの喫茶店の空気はタバコの煙と悪臭でむっとするほどだ。<br />
<br />
　<br />
　フォックスコン・テクノロジー社は、アジアと東欧、メキシコとブラジルに数十もの施設をもっていて、世界の民生用電子機器の推定で40％を組み立ている。アマゾン、デル、ヒューレット・パッカード、モトローラ、任天堂、ノキア、サムスン電子、ソニーといった企業が顧客となっている。<br />
<br />
<br />
　「彼らは一晩で3000人を雇い入れることができるでしょうね」。そう語るのは2010年までアップルの世界的な需給マネージャーだったジェニファー・リゴーニ。彼女は自分の仕事の詳細について語り合うのを拒んだ。「アメリカのどこの工場が一晩で3000人も見つけてきて、彼らに宿舎で暮らすように説き伏せられますか?」。<br />
<br />
<br />
　2007年の半ばに、試行実験が始まって一月が経った頃、アップルのエンジニアたちはiPhoneのスクリーンに使用できるように強化ガラスをカットする方法をついに完成させた。カットされたガラスを載せた最初のトラックは、アップルの元幹部によると、真夜中にフォックスコン・シティーに到着した。そのときマネージャーたちは何千という労働者をたたき起こした。労働者たちは這ってユニフォームの場所にたどり着き――男性は白と黒のシャツ、女性は赤のシャツ――、そしてすぐに生産ラインに座り、携帯電話を手で組み立て始めた。3ヶ月間で、アップルは100万台のiPhoneを販売した。それ以来、フォックスコンは2億台以上ものiPhoneを組み立てた。<br />
<br />
<br />
　フォックスコンは、声明を出して、特定の顧客について語ることは拒否すると述べた。<br />
<br />
<br />
<br />
(3ページ終わり)<br />
<br />
<br />
　<br />
<br />
<br />
　｢わが社によって採用されたいかなる労働者も、契約条件の概要を記す明確な契約書と、労働者の人権を保護する中国政府の法律によって保護されています」と同社は書簡に記した。ファックスコン社は｢従業員に対する責任を非常に重く受けとめており、100万人以上もいる従業員に安全で明るい環境を与えるためにわが社は全力を尽くしています」。<br />
<br />
　<br />
　同社は、元アップル幹部の説明の細かな点のいくつかに異議を唱え、上に記したような真夜中のシフトなどあり得ないと書いてきた。なぜなら「わが社には、従業員の労働時間に関しては指定されたシフト時間に基づいた厳密な規則があり、すべての従業員はコンピュータ化されたタイム・カードをもっているため、容認されたシフト時間外ではどんな施設で働くことも禁じられているからです」。会社によると、すべてのシフト時間は午前7時か午後7時に始まり、スケジュールにどんな変更があっても、従業員には少なくとも12時間の告知期間が与えられることになっているそうだ。<br />
<br />
　<br />
　インタビューでは、そうした会社側の言い分に異議を唱えるファックスコン従業員もいた。<br />
<br />
<br />
　アップルにとってのもう一つの重要なアドバンテージは、中国がアメリカには敵わないようなスケールでエンジニアを提供できる、ということだった。アップルの幹部の見積もりでは、iPhoneの製造にかかわる20万人の組立てラインの労働者を監視・監督するには、約8700人の生産技術者が必要だった。同社のアナリストは、アメリカで優秀なエンジニアをそれほどの人数見つけるには9カ月もかかるだろうと予想していた。<br />
<br />
　しかし、中国で要した日数は15日だった。<br />
<br />
<br />
　アップルのような企業は「アメリカで工場を立ち上げる際の難題は、技術的な労働力を見つけることであると言っていますね｣。そう語るのは、マサチューセッツ工科大学の副学長のマーティン・シュミット。特に、企業は、学士をもっていなくてもいいが、高卒以上のエンジニアを必要としているという。それ位のスキル・レベルのあるアメリカ人を見つけるのは難しいことだと企業の幹部は主張する。「エンジニアは良い仕事なんだが、わが国にはそうした需要に応える十分な人材がいないのです」とシュミット氏は言った。<br />
<br />
<br />
　iPhoneのいくつかの側面はアメリカならではのものだ。たとえば、デバイスのソフトウェアや革新的なマーケティング・キャンペーンは、そのほとんどがアメリカで生み出されたものだ。アップルは最近ノースカロライナに5億ドルをかけてデータセンターを建設した。iPhone4とiPhone4S内部にある重要な半導体は、テキサス州オースティンにある、韓国のサムスン社の工場で製造されている。<br />
<br />
<br />
　しかし、これらの施設は大きな雇用を生み出すものではない。たとえば、アップルのノース・カロライナのデータ・センターにフルタイムの従業員は100名しかいない。サムスンの工場にいるのは推定で2400人の労働者だ。<br />
<br />
<br />
　｢携帯電話の売り上げが100万台から3000万台に伸びたとしても、プログラマーを増やす必要はありませんよね」。そう言うのは、1990年に去るまでアップルの製品開発とマーケティングを監督していたジャン=ルイ・ガッセ。「新しい会社――FacebookやGoogleやTwitterなども――こうしたことから恩恵を得ているのです。こうした会社は成長しても、雇用を増やす必要はないのです」。<br />
<br />
<br />
　アメリカでiPhoneの工場を建設するとしたら、中国に建設するのと比べてさらにどれくらい多くのコストがかかるかを試算するのは難しい。しかし、色々な学者や製造アナリストの試算によれば、労働力はハイテク製造のごく一部にすぎないので、アメリカ人に賃金を支払ったとしてもiPhone１台のコストには65ドルの上乗せがあるだけだろう。アップルの利益は電話一台当たり数百ドルなので、アメリカ国内に工場を作ったとしても、理論的には、アップル社にはほどほどの利益が残ることになるだろう。<br />
<br />
<br />
　しかし、このような計算は、多くの点で無意味である。アメリカでiPhoneの工場を作るとすれば、アメリカ人を雇うことよりもずっと多くのことが必要とされるからである――それには、国内経済や世界経済を転換させることが必要とされるだろう。アップル社の幹部は、彼らが必要とするスキルをもつ十分な数のアメリカ人は存在しないし、十分なスピードと柔軟性をもつ工場も存在しないと考えている。アップル社と協働しているコーニング社のような会社でも、海外に行かなければならないと言っているのだ。<br />
<br />
<br />
　iPhone用のガラスを製造したおかげで、ケンタッキーにあるコーニング社は息を吹き返し、今日でも、iPhoneのガラスの多くは依然としてそこで作られている。iPhoneがヒットして以降、コーニング社は、アップルのデザインを模倣しようと望む別の企業から洪水のような注文を受けた。その強化ガラスの売上高は１年で7億ドル以上に成長し、新規の需要を支えるために約1000人のアメリカ人を雇用するか、従業員として使い続けている。<br />
<br />
<br />
　しかし、需要が拡大するにつれて、コーニング社の強化ガラスの製造の多くは、日本と台湾の工場で行われるようになった。<br />
<br />
<br />
<br />
」（つづく）<br />
<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-24">
<title>どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか（1）</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-24</link>
<description>　工場の海外移転とそれに伴う国内産業の空洞化が大きな問題になっているのは、日本だけではない。アメリカでも深刻な問題として意識されつつあるようだ。しかも、アップルをはじめとする先端テクノロジーの本家本元のアメリカで、そのテクノロジーが雇用に結びつかず、製造業の衰退と中流階級の没落に拍車をかけているのだという。　『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。全部で7ページとかなり長いので、3回に分けて紹介する。How the U.S. Lost Out on iPhone Work　By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHERPublished: January 21, 2012http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html「　  どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか中国・河南省で開かれた2010年の就職説明会で履歴書を手にもってフォックスコン・テクノロジー社（Foxconn　Technology)のブースに殺到する中国の人々。  　昨年二月、バラク・オバマがカリフォルニアでシリコン・バレーのリーダーたちと会食したとき、招待された人は皆、大統領に対する質問を一つ考えてきてくれるように求められていた。　しかし、アップル社のスティーブン・P.ジョブズが話しだすと、オバマ大統領は話をさえぎって、自分の方から質問したのだ。アメリカでiPhoneを作るとしたら何が必要なのだろうか、と。　少し前まで、アップル社は自分たちの製品がアメリカで作られていることを自慢していたものだ。今日、アメリカで作られているアップル社の製品はほとんどない。昨年販売された7000万台のiPhone、3000万台のiPad、5900万台のその他のアップル社の製品のほとんどは海外で製造されたものだ。　　そうした仕事がアメリカに戻ってくることはどうしてできないのか?　とオバマ氏は尋ねたわけだ。　ジョブズ氏の返事に曖昧さの余地はなかった。「それらの仕事がアメリカに戻ってくることはありません」。別の夕食会のゲストによると、ジョブズ氏はそう言ったそうだ。　大統領の質問は、アップル社の核心をなす信念に触れているのだ。海外の労働者の方が安い、というだけではない。むしろ、アップル社の幹部の信念によると、海..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-24T01:10:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　工場の海外移転とそれに伴う国内産業の空洞化が大きな問題になっているのは、日本だけではない。アメリカでも深刻な問題として意識されつつあるようだ。しかも、アップルをはじめとする先端テクノロジーの本家本元のアメリカで、そのテクノロジーが雇用に結びつかず、製造業の衰退と中流階級の没落に拍車をかけているのだという。<br />
<br />
　『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。全部で7ページとかなり長いので、3回に分けて紹介する。<br />
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<br />
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How the U.S. Lost Out on iPhone Work　<br />
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<br />
By CHARLES DUHIGG and KEITH BRADSHER<br />
Published: January 21, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/22/business/apple-america-and-a-squeezed-middle-class.html</a><br />
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「　 <span style="font-size:large;"><strong> どうしてアメリカはiPhone関連の仕事を失ったのか</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/appple-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_appple-articleLarge.jpg" width="600" height="370" border="0" align="" alt="appple-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_appple-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>中国・河南省で開かれた2010年の就職説明会で履歴書を手にもってフォックスコン・テクノロジー社（Foxconn　Technology)のブースに殺到する中国の人々。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
  　昨年二月、バラク・オバマがカリフォルニアでシリコン・バレーのリーダーたちと会食したとき、招待された人は皆、大統領に対する質問を一つ考えてきてくれるように求められていた。<br />
<br />
<br />
　しかし、アップル社のスティーブン・P.ジョブズが話しだすと、オバマ大統領は話をさえぎって、自分の方から質問したのだ。アメリカでiPhoneを作るとしたら何が必要なのだろうか、と。<br />
<br />
<br />
　少し前まで、アップル社は自分たちの製品がアメリカで作られていることを自慢していたものだ。今日、アメリカで作られているアップル社の製品はほとんどない。昨年販売された7000万台のiPhone、3000万台のiPad、5900万台のその他のアップル社の製品のほとんどは海外で製造されたものだ。<br />
<br />
　<br />
　そうした仕事がアメリカに戻ってくることはどうしてできないのか?　とオバマ氏は尋ねたわけだ。<br />
<br />
<br />
　ジョブズ氏の返事に曖昧さの余地はなかった。「それらの仕事がアメリカに戻ってくることはありません」。別の夕食会のゲストによると、ジョブズ氏はそう言ったそうだ。<br />
<br />
<br />
　大統領の質問は、アップル社の核心をなす信念に触れているのだ。海外の労働者の方が安い、というだけではない。むしろ、アップル社の幹部の信念によると、海外工場の規模や、外国人労働者の柔軟性や勤勉さや工場での技術はアメリカの工場や労働者のそれを上回っているので、「アメリカ製（Made in U.S.A）」はほとんどのアップルの製品にとってもう実現性のある選択肢ではなくなっているのである。<br />
<br />
　アップル社が地球上でもっともよく知られ、もっとも多くの称賛を勝ちとりもっとも模倣される企業の一つになった理由の一つは、地球規模で進行するオペレーションを絶えずコントロールしているからだ。昨年、アップル社の従業員一人当たりの利益は40万ドルを超えたが、これはゴールドマン・サックスやエクソン・モービルやグーグルをしのぐ数字だ。<br />
<br />
　しかし、オバマ氏のみならず経済学者や政治家を苛立たせているのは、アップル社が――そして、ハイテクの同業他社の多くが――、他の有名な企業が最盛期にそうであったほどには、アメリカ人の雇用創出に熱心ではないということなのである。<br />
<br />
　アップル社のアメリカの従業員は4万3000人で海外の従業員は2万人だが、1950年代のゼネラル・モーターズ社にアメリカ人従業員は40万以上いたし、1980年代のゼネラル・エレクトリック社にも数十万の従業員がいたことに比べれば、アップル社のアメリカ人従業員の数は微々たるものだ。アップル社の下請けで働く人の数はもっとずっと多い。上の数字に加えてさらに70万人がiPadやiPhonやそれ以外のApple製品を設計したり、組み立てたり取りつけ作業を行っている。しかし、そのほとんどはアメリカで働いているわけではない。彼らはアジアやヨーロッパやその他の地域の外国企業の従業員であり、エレクトロニクスの設計者のほとんどすべてが、自分の商品を作り上げるためにそうした工場に頼っているのである。<br />
<br />
<br />
　「アップル社は、現在のアメリカで中産階級の雇用を創出するのがとても難しくなっている理由を示してくれる一例なのです」。そう語るのは、昨年までホワイト・ハウスの経済顧問をしていたジャレッド・バーンスタイン。<br />
<br />
　「資本主義の頂点にある企業がこうであるとすれば、われわれとしては憂慮せざるをえません」。<br />
<br />
<br />
　アップル社の幹部は、現時点では、海外に向かうことは唯一のオプションである、と言っている。ある元幹部は、iPhoneが販売されるわずか数週間前に、iPhoneの製造方法を改善するために同社がどれほど中国の工場に頼っていたかを語ってくれた。アップル社は、最後のギリギリになって、iPhoneのスクリーンのデザインを変更することになり、組立ラインの見直しをせざるをえない羽目になった。新しいスクリーンが到着し出したのは真夜中近くだった。<br />
<br />
　<br />
　幹部によると、工場長がただちに会社の寮にいた8000人をたたき起こしたそうだ。従業員一人一人にビスケット一枚と一杯のお茶が手渡され、彼らは作業場に案内されると、30分以内には、ガラスのスクリーンを面取りをしたフレームに組み込む12時間シフトの仕事に取りかかっていた。96時間以内に、その工場は一日につき1万台以上のiPhoneを生産していたそうだ。<br />
<br />
<br />
　「あのスピードと柔軟性には息を呑むような思いがします」とその幹部は言った。「それに匹敵できるようなアメリカの工場はありません」。<br />
<br />
　<br />
　それに似たような話はほとんどすべてのエレクトロニクスの会社で聞くことができる――だから海外移転は、会計や法律業務や銀行や自動車製造や医薬品業界を含む何百という業界でも普通のことになってしまったのだ。<br />
<br />
<br />
　だからアップル社が特殊というわけでは全くないのだが、それでも同社は、素晴らしい業績を上げていてもある種の企業の成功がなぜ国内の大規模な雇用に結びつかないのかを垣間見せるヒントを与えてくれるのだ。さらに、同社の決定は、グローバルな経済と国内の経済がますます絡み合ったものとなるにつれて、アメリカの実業界がアメリカ人にどれほどの借りを作っているかについてより幅広い問いを提起しているのである。<br />
<br />
　<br />
　「かつての企業はアメリカ人労働者を支援する義務を感じていました、それが財務上最良の選択ではない時であってもね」。昨年9月まで労働省のチーフ・エコノミストだったベッツィー・スティーブンソンはそう述べた。「そんな義務感は消えてしまいましたね。利潤と効率が寛大さに打ち勝ってしまったのです」。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（つづく）<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-21">
<title>ホームレス：リー・ジェフリーズの写真</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-21</link>
<description>　リー・ジェフリーズ（Lee Jefferies）が撮ったホームレスの写真が『ガーディアン』紙でひときわ目を引いたので、ハンナ・ブースのコメントとともに紹介しよう。　　リー・ジェフリーズはアマチュア写真家だそうだ。あるとき興味本位で女性のホームレスを遠くから撮影していたところ、本人に気づかれてしまった。とっさに立ち去ろうとしたが、なぜかその女性ホームレスに話しかけたい気持ちが芽生えた。それがきっかけとなって、ホームレスを撮り始めるようになったらしい。　アマチュア写真家といっても、彼の名前をグーグルで検索してみると、多くのブログで彼の作品が取り上げられていて、すでにかなり有名になっているようだ。確かに、どれもが目を奪い取るような写真ばかりだ。Photographs: Lee Jefferies. Commentary: Hannah Boothguardian.co.uk, Friday 20 January 2012 17.00 GMThttp://www.guardian.co.uk/artanddesign/gallery/2012/jan/20/big-picture-homeless-lee-jefferies「  ホームレス：リー・ジェフリーズの写真1.　　画家の絵筆のストロークのように、これらのホームレスの顔にあってはどの毛穴でも、どの皺やどの傷跡や髪の毛の一本一本も際立って見える。親切そうで波打つような目をした人もいれば、警戒しているように見える人もいるが、ほとんどの顔が、風雨にさらされた肌と鋭い目つきのため、路上生活の厳しさを語っている、おそらくは本人が語るよりもより良く語っているのだ。2．リー・ジェフリーズの肖像画は毅然としていると言えるかもしれないが、美しくもある。品のある頬骨の女性、中世の英雄物語に出てくる英雄にも似た初老の男性。これらの写真は、余分な空間を切り詰め、被写界深度を浅くして、被写体となる人間に肉薄している。どんな細部も省かれてはいない。背景が溶け去って焦点が合うのは、鼻水の垂れた鼻や、肌のしみや骨ばったひげ面だ。　3．　画像は高度に様式化され、事後的に芸術的な処理を施されている。ジェフリーズは顔に光を当て皺によって生み出される陰影を深いものにしている。だからまるでスタジオで撮影されたように見えるが、実は、ジェフリーはほんのちょっとの手間をかけて、被写体のホームレスが飽きたり気が..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-21T20:52:36+09:00</dc:date>
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　リー・ジェフリーズ（Lee Jefferies）が撮ったホームレスの写真が『ガーディアン』紙でひときわ目を引いたので、ハンナ・ブースのコメントとともに紹介しよう。<br />
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　<br />
　リー・ジェフリーズはアマチュア写真家だそうだ。あるとき興味本位で女性のホームレスを遠くから撮影していたところ、本人に気づかれてしまった。とっさに立ち去ろうとしたが、なぜかその女性ホームレスに話しかけたい気持ちが芽生えた。それがきっかけとなって、ホームレスを撮り始めるようになったらしい。<br />
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　アマチュア写真家といっても、彼の名前をグーグルで検索してみると、多くのブログで彼の作品が取り上げられていて、すでにかなり有名になっているようだ。確かに、どれもが目を奪い取るような写真ばかりだ。<br />
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Photographs: Lee Jefferies. Commentary: Hannah Booth<br />
guardian.co.uk, Friday 20 January 2012 17.00 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/artanddesign/gallery/2012/jan/20/big-picture-homeless-lee-jefferies" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/artanddesign/gallery/2012/jan/20/big-picture-homeless-lee-jefferies</a><br />
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  <strong><span style="font-size:large;">ホームレス：リー・ジェフリーズの写真</span></strong><br />
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<strong>1.</strong><br />
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　<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-ca7e6.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-ca7e6.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-ca7e6.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>　画家の絵筆のストロークのように、これらのホームレスの顔にあってはどの毛穴でも、どの皺やどの傷跡や髪の毛の一本一本も際立って見える。親切そうで波打つような目をした人もいれば、警戒しているように見える人もいるが、ほとんどの顔が、風雨にさらされた肌と鋭い目つきのため、路上生活の厳しさを語っている、おそらくは本人が語るよりもより良く語っているのだ。
</strong><br />
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<strong>2．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2-97ef0.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2-97ef0.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2-97ef0.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>リー・ジェフリーズの肖像画は毅然としていると言えるかもしれないが、美しくもある。品のある頬骨の女性、中世の英雄物語に出てくる英雄にも似た初老の男性。これらの写真は、余分な空間を切り詰め、被写界深度を浅くして、被写体となる人間に肉薄している。どんな細部も省かれてはいない。背景が溶け去って焦点が合うのは、鼻水の垂れた鼻や、肌のしみや骨ばったひげ面だ。
　</strong><br />
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<strong>3．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3-9e0cf.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3-9e0cf.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="3.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3-9e0cf.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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　画像は高度に様式化され、事後的に芸術的な処理を施されている。ジェフリーズは顔に光を当て
皺によって生み出される陰影を深いものにしている。だからまるでスタジオで撮影されたように見えるが、実は、ジェフリーはほんのちょっとの手間をかけて、被写体のホームレスが飽きたり気が変わったりしないうちに、路上で、自然光のもとで撮影している。彼が使う唯一の小道具といえば、被写体となる人にあごの下に持ってもらう小さなリフレクターだけである。</strong><br />
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<strong>4．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/4-ecf90.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_4-ecf90.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="4.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_4-ecf90.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>ジェフリーズはアマチュアの写真家で本業は経理の仕事をしているのだが、ホームレスの人々を撮り始めたのは2008年だ。ボルトンの自宅からロンドンを訪れたとき、ライチェスター・スクェアで苦しい生活をしている若い女性に目を奪われた。遠くから盗み撮りをしようとしたが、その女性に見つかってしまった。そこで彼は歩み寄って話しかけた。その時以来、彼は、ロサンゼルス、ニューヨーク、ローマ、マンチェスターのダウンタウンのホームレスを撮影し続けている。</strong><br />
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<strong>5．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-79588.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-79588.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-79588.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<br />
<strong>彼は被写体となる人を慎重に選んでいるが、普通は、視線の背後にあって、その人の人柄を伝えたり感情を示すようなものを探しているという。何か注文をつけるようなことは全くしないと彼は主張する。そして、いつも、お礼としてお金をあげることにしているのだとも。</strong><br />
<br />
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<strong>６．</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/6-51551.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_6-51551.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="6.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_6-51551.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>７．</strong><br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/7-0bc2b.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_7-0bc2b.jpg" width="480" height="480" border="0" align="" alt="7.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_7-0bc2b.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19">
<title>１%を愛する神</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19</link>
<description>　『ニューヨーク・タイムズ』紙の｢オピニオン｣欄に載った一文を紹介する。　この文章は、大統領候補のミット・ロムニー氏が使った「神のもとにある（under God）」という表現の歴史を簡潔に述べたものだが、それはアメリカの宗教右派の歴史に重なり合うもののようだ。　アメリカの政治にも歴史にも疎い私は、アメリカの保守勢力はずっと昔から宗教的信条を前面に出していたのだろうな、と漠然と思っていたが、どうもそうではないようだ。政治という場面に宗教勢力が入りこみ始めたのは大恐慌後であり本格化したのはあの赤狩りの頃だったとは、ずいぶん新しい現象という気がする。これは完全に現代史に属する現象であり、また、政教分離の原則というタガがいかにしてゆるんで行ったかのプロセスでもあるだろう。　　ちなみに、補足説明を少ししておこう。　・｢忠誠の誓い｣についてはwikiの説明を見てほしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%AA%A0%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)  ここに神に対する言及があることが政教分離に対する違反になるとはしばしば指摘されることで、それどころか、国教禁止条項を侵すものだという判決が下されたこともあるのだが、その点についてもやはりwikiの｢政教分離｣の項目を見られたし。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.95.99.E5.88.86.E9.9B.A2　・この一文の著者であるケビン・M.クルーズについては、この文章の下の掲げられている説明をそのまま紹介する。「ケビン・M.クルーズはプリンストン大学の歴史学の準教授で、間もなく出版される『神のもとにある国家：企業、キリスト教、そして宗教右派の台頭（One Nation Under God: Corporations, Christianity, and the Rise of the Religious Right）』の著者である」。..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-19T15:31:07+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　『ニューヨーク・タイムズ』紙の｢オピニオン｣欄に載った一文を紹介する。<br />
<br />
　この文章は、大統領候補のミット・ロムニー氏が使った「神のもとにある（under God）」という表現の歴史を簡潔に述べたものだが、それはアメリカの宗教右派の歴史に重なり合うもののようだ。<br />
<br />
　アメリカの政治にも歴史にも疎い私は、アメリカの保守勢力はずっと昔から宗教的信条を前面に出していたのだろうな、と漠然と思っていたが、どうもそうではないようだ。政治という場面に宗教勢力が入りこみ始めたのは大恐慌後であり本格化したのはあの赤狩りの頃だったとは、ずいぶん新しい現象という気がする。これは完全に現代史に属する現象であり、また、政教分離の原則というタガがいかにしてゆるんで行ったかのプロセスでもあるだろう。<br />
　<br />
<br />
<br />
　ちなみに、補足説明を少ししておこう。<br />
<br />
　・｢忠誠の誓い｣についてはwikiの説明を見てほしい。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%AA%A0%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%AA%A0%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)</a><br />
  ここに神に対する言及があることが政教分離に対する違反になるとはしばしば指摘されることで、それどころか、国教禁止条項を侵すものだという判決が下されたこともあるのだが、その点についてもやはりwikiの｢政教分離｣の項目を見られたし。<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.95.99.E5.88.86.E9.9B.A2" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.95.99.E5.88.86.E9.9B.A2</a><br />
<br />
<br />
　・この一文の著者であるケビン・M.クルーズについては、この文章の下の掲げられている説明をそのまま紹介する。「ケビン・M.クルーズはプリンストン大学の歴史学の準教授で、間もなく出版される『神のもとにある国家：企業、キリスト教、そして宗教右派の台頭（One Nation Under God: Corporations, Christianity, and the Rise of the Religious Right）』の著者である」。<br />
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January 17, 2012, 9:00 PM<br />
For God So Loved the 1 Percent …<br />
By KEVIN M. KRUSE<br />
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<a href="http://campaignstops.blogs.nytimes.com/2012/01/17/for-god-so-loved-the-1-percent/" target="_blank">http://campaignstops.blogs.nytimes.com/2012/01/17/for-god-so-loved-the-1-percent/</a><br />
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　<span style="font-size:large;"><strong>なぜなら神は1％をかくも愛したがゆえに…
</strong></span><br />
ケヴィン・M.クルーズ<br />
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　ここ数週間でミット・ロムニーは、制限されることのない資本主義のイメージ・キャラクターになったわけだが、彼はこの役割が気に入っているようだ。経済的平等についての懸念は、実は、階級間の争いについての懸念なのだ、と彼はNBCのマット・ロウアーに語った。<br />
<br />
<br />
　「アメリカを99％対1％に分断するという考え方を大統領が奨励したら、神のもとにある一つの国家（one nation under God）という概念とまったく相容れない新たな思潮がこの国に押し寄せてくることになります」と彼は語ったのだ。<br />
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　ロムニー氏が言及していることは、おそらく彼が意図するようなものではなかったのだ。<br />
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　<br />
　「神のもとにある一つの国家」という概念には格調高い由緒があって、「この国は、神のもとにあるがゆえに、地上から滅ぶことはない」というゲティスバーグでリンカーンが述べた希望に由来しているのだ。ところが、リンカーンの後、このフレーズは何十年も政治的な言語表現から姿を消していた。その表現が再び使われるようになったのは20世紀の中頃だったが、まったく異なった様相のもとで現われたのだった。大企業のリーダーや保守的な聖職者が、フランクリン・D.ルーズベルトのニューディール政策をこきおろすためにその表現を武器として用いたのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　あの大恐慌時に、大企業の威信は株価とともに地に堕ちてしまった。大企業のリーダーは企業のパブリック・イメージを回復すると同時に、福祉国家という「忍び寄る社会主義」を押し退けるのに躍起となった。特に、デュポンやゼネラル・モーターズのような企業によって出資・設立された「アメリカ自由連盟（American Liberty League）」は、攻撃的な資本主義擁護論をおしすすめた。もっとも、ほとんどの人はその努力を利己的なプロパガンダとして退けたのだが。（民主党の幹部は冗談まじりに、この組織は「アメリカ・セロファン同盟」と名付けられるべきだ、なぜなら「第一に、セロファンはデュポン社の製品だからだし、第二に、（設立の意図が）透けて見えるのだからだ」と言ったものだ。）<br />
<br />
<br />
<br />
　自分たちだけではやって行けないことを認識していたので、こうした企業家は新たな取り組みを始めた。豊富な資金力を使って、自分たちに共感してくれる聖職者を協力者として参加させたのだ。ある大物実業家によると、「他の誰よりも世論形成に対して影響を持っているのは聖職者だ」という世論調査の結果があったからのようだ。<br />
<br />
<br />
　ロサンゼルスのファースト・コングリゲーショナル教会（First Congregational Church）のジェームズ・W.ファイフィールド牧師が名乗りをあげて、信仰と自由な企業活動の新たな連携に対する支持を表明した。「資本主義の恩恵は神に由来する」と彼は記した。「共通の利益と幸福のためにかくも多くのものを提供するシステムは、全能の神のご加護のもとで繁栄しなければならない」。<br />
<br />
<br />
　ファイフィールド氏の解釈では、キリスト教も資本主義も、ともに個人が自力で昇降するシステムなので、両者はきわめてよく似ているのだという。それに対して、福祉国家は、十戒のほとんどに違反している。それは、連邦政府を「誤った偶像」に仕立て上げ、アメリカ人に隣人の所有物を欲しがる気持ちを起こさせ、富裕層から金を盗み取り、終いには、決して実現できないような約束をすることで偽証をした、というのであった。<br />
<br />
<br />
<br />
　1930年代から1940年代にかけて、ファイフィールド氏とその支持者たちは、保守的な宗教・経済・政治を混ぜ合わせた新しい考え方を提唱したが、あるオブザーバーがそれを聖別して「キリスト教的リバタリアニズム（Christian libertarianism）」と命名したのは適切だった。ファイフィールド氏は自分のイデオロギーを洗練させ、単純だが強力なフレーズにまとめたのだった――それは「神のもとでの自由（freedom under God）」というフレーズだった。企業のパトロンや、アメリカ商工会議所のようなロビー団体から豊富な資金援助を得て、ファイフィールドの神のもとにある資本主義という福音は、個人的な説教や毎週のラジオ放送や月刊誌を通じて、アメリカ全土に直ぐに広まったのであった。<br />
<br />
<br />
<br />
　1951年、このキャンペーンは、盛大に行われた合衆国独立記念の祝賀式で頂点に達した。保守系のオールスターからなる設立委員会のトップにはハーバート・フーバー前大統領とダグラス・マッカーサー将軍の名前が並び、ウォルト・ディズニーやロナルド・レーガンのような有名人も含まれていたが、ほとんどは、コンラッド・ヒルトン（Conrad Hilton：ヒルトン・ホテルの創業者）、J.C.ペニー（J. C. Penney：大手デパートの創業者）、ハーヴェイ・ファイアストンJr.（Harvey Firestone Jr：ファイアストン・タイヤの創業者）、ハワード・ピュー（Howard Pew：サン・オイルの創業者の一人）のような実業界の大物たちだった。<br />
<br />
<br />
<br />
　大規模な広報キャンペーンで、彼らは、信仰と自由な企業活動の連携をうたった全面広告を利用して、「神のもとでの自由」のセレモニーで独立記念日を祝うように各自治体に働きかけた。彼らはまた、信仰と自由な企業活動との連携というテーマで全国的な説教コンテストを開催し、賞金をかけて聖職者たちを競わせた。数知れないローカル・イベントが、ラジオで全国に放送される番組「神のもとでの自由」によって推進された。この番組は映画制作者セシル・B.デミルの助力を得て制作され、ジェームズ・スチュワートが進行役となってCBSで放送されていた。<br />
<br />
<br />
<br />
　ついにこれらの黒幕たちは、永久に消えることのない印象を与えたと信じた。「「神のもとでの自由」という言葉は自由というの語彙に新しい項目を追加するにいたったのだ｣と彼らは豪語した。すぐに全国民が自分たち自身を「神のもとにある」と考えるようになるだろうと。実際、1953年、ドワイト・D.アイゼンハワー大統領が最初に大統領朝食会（presidential prayer breakfast）を主催した時のテーマが「神のもとにある政府（government under God）」であったし、アイゼンハワーは国民の信仰心を様々な仕方で高めようとした。1954年には、この「神のもとでのという意識」が全国を席巻するに及び、議会はこのフレーズを正式に忠誠の誓い（Pledge of Allegiance）に加えることになったのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　最後になるが、経済的不平等について不平を言うことは「神のもとにある一つの国家」という概念と相容れないとロムニー氏が主張したのは正しい。しかしそれは、ちょっと前の時代の「1％の人間」がそうであることを望んだからにすぎないのである。<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-17">
<title>｢ぼくの色、わたしの形」展に行く</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-17</link>
<description>　1月17日、｢ぼくの色、わたしの形」展を見に東京芸大の美術館に行った。　　｢ぼくの色、わたしの形」展といっても、知る人は少ないだろう。台東区内の小学校・中学校の合同作品展というごくローカルな催しだからだ。　上野公園の工事の中を突っ切って芸大に向かう途中で、炊き出しをやっているのが見えた。傍らでは、3人組の男性グループがギターの演奏とともに大声で歌っていたのだが（もちろん支援の一環としてだが）、配給される側には重苦しい沈黙が支配していた。こちらも黙って通り過ぎた。　　芸大の美術館。来たのは初めてだ。区内の小学校からの見学の集団がいくつか来ていて、結構騒々しかった。　　　　目にとまった作品をいくつか紹介しよう。すべて小学生の作品から。 　何となくマチスを思わせる室内画。マチスよりずっと上手だ。　　キング・クリムゾンのアルバムを思わせる歯磨きの図。口を大きく描くのは、そういう歯磨きの指導がなされているからだろう。昔、歯磨き体操なんてものをさせられたことを思い出す。　これはちょっと上手すぎて、可愛げがないな、と思う人もいるだろう。　　似た様なモチーフの絵が散見されたのだが　たぶん、こういう展示会に出品することを最初から想定して、図工の先生がある程度のオリエンテーションを与えていたのだろう。何でも好きなように描いていいよと言われて、こうした作品を仕上げられるとはちょっと思えないからね。下の切り絵は三年生の作品で「やみと光――進歩と調和｣と題されていた。う～ん、この題名、自分で理解してつけたのか?　　　「とげなしばら」と題されたこの作品、本当に小学生の作品なの?　と疑う人もいるのではないだろうか。　自画像だと思うが、凛々しいように見えて、押しつけがましい主張が表情に現われているわけでもなく、視線が定まっていないようように見えて、やはり前方を向いている、幼さを後にして自意識の一歩手前にいる小学5年生の表情がいい。　　さて、この展示会に行ったのは、わたしの子供の作品が展示されていたからで、何のことはない親バカ全開モードであったのだ。子供の作品は上に掲げたどれかである。へ～、結構やるじゃん、と思いながら帰路についたのだった。</description>
<dc:subject>子供とともに（更新ほぼ停止中）</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-17T18:50:53+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　1月17日、｢ぼくの色、わたしの形」展を見に東京芸大の美術館に行った。<br />
　<br />
　｢ぼくの色、わたしの形」展といっても、知る人は少ないだろう。台東区内の小学校・中学校の合同作品展というごくローカルな催しだからだ。<br />
<br />
　上野公園の工事の中を突っ切って芸大に向かう途中で、炊き出しをやっているのが見えた。傍らでは、3人組の男性グループがギターの演奏とともに大声で歌っていたのだが（もちろん支援の一環としてだが）、配給される側には重苦しい沈黙が支配していた。こちらも黙って通り過ぎた。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/001.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_001.JPG" width="512" height="383" border="0" align="" alt="001.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_001.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<br />
<br />
<br />
　芸大の美術館。来たのは初めてだ。区内の小学校からの見学の集団がいくつか来ていて、結構騒々しかった。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-52faf.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-52faf.jpg" width="383" height="512" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-52faf.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2-111e0.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2-111e0.jpg" width="383" height="512" border="0" align="" alt="2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2-111e0.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-07059.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-07059.jpg" width="512" height="383" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-07059.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<br />
<br />
<br />
　　目にとまった作品をいくつか紹介しよう。すべて小学生の作品から。<br />
<br />
<br />
<br />
 　<strong>何となくマチスを思わせる室内画。マチスよりずっと上手だ。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/010.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_010.JPG" width="512" height="383" border="0" align="" alt="010.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_010.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
　　<strong>キング・クリムゾンのアルバムを思わせる歯磨きの図。口を大きく描くのは、そういう歯磨きの指導がなされているからだろう。昔、歯磨き体操なんてものをさせられたことを思い出す。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/6-11a9d.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_6-11a9d.jpg" width="512" height="383" border="0" align="" alt="6.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_6-11a9d.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>これはちょっと上手すぎて、可愛げがないな、と思う人もいるだろう。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/005-bf170.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_005-bf170.JPG" width="380" height="512" border="0" align="" alt="005.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_005-bf170.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　<br />
<br />
　<strong>似た様なモチーフの絵が散見されたのだが　たぶん、こういう展示会に出品することを最初から想定して、図工の先生がある程度のオリエンテーションを与えていたのだろう。何でも好きなように描いていいよと言われて、こうした作品を仕上げられるとはちょっと思えないからね。下の切り絵は三年生の作品で「やみと光――進歩と調和｣と題されていた。う～ん、この題名、自分で理解してつけたのか?　</strong><br />
<br />
　<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/008-d81fb.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_008-d81fb.JPG" width="512" height="383" border="0" align="" alt="008.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_008-d81fb.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>　「とげなしばら」と題されたこの作品、本当に小学生の作品なの?　と疑う人もいるのではないだろうか。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/9-77f13.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_9-77f13.jpg" width="383" height="512" border="0" align="" alt="9.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_9-77f13.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
　<strong>自画像だと思うが、凛々しいように見えて、押しつけがましい主張が表情に現われているわけでもなく、視線が定まっていないようように見えて、やはり前方を向いている、幼さを後にして自意識の一歩手前にいる小学5年生の表情がいい。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/99-b0d65.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_99-b0d65.jpg" width="380" height="512" border="0" align="" alt="99.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_99-b0d65.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　さて、この展示会に行ったのは、わたしの子供の作品が展示されていたからで、何のことはない親バカ全開モードであったのだ。子供の作品は上に掲げたどれかである。へ～、結構やるじゃん、と思いながら帰路についたのだった。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<a name="more"></a>
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-15">
<title>憂鬱だった二日間　PART2</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-15</link>
<description>　今年も、憂鬱すぎる二日間、試練の二日間を何とかやり過ごすことができた。ちなみに、去年も同じことを記事にしている。　　憂鬱だった二日間　・・・　http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17　一日中ひたすら辛抱するだけなのでおよそ記憶にとどめるべきことは何もないのだが、一年で最悪な時間をどのように始めたのか、朝の風景だけでも記録として残してみようかなと思った。二日とも、５時少し前に起きて駅に向かった。　まだ暗い吾妻橋の風景。今年は寒いこともあって人影がほとんどない。　まだ暗い雷門通り。人間と同じように街そのものが眠っている。　　誰もいない都営線浅草駅構内。やはり駅も一人ぼっち。まるで心象風景のよう。</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-15T21:14:36+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　今年も、憂鬱すぎる二日間、試練の二日間を何とかやり過ごすことができた。ちなみに、去年も同じことを記事にしている。<br />
　<br />
　憂鬱だった二日間　・・・　<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17</a><br />
<br />
<br />
　一日中ひたすら辛抱するだけなのでおよそ記憶にとどめるべきことは何もないのだが、一年で最悪な時間をどのように始めたのか、朝の風景だけでも記録として残してみようかなと思った。二日とも、５時少し前に起きて駅に向かった。<br />
<br />
　まだ暗い吾妻橋の風景。今年は寒いこともあって人影がほとんどない。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/002-c9bef.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_002-c9bef.JPG" width="384" height="512" border="0" align="" alt="002.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_002-c9bef.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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　まだ暗い雷門通り。人間と同じように街そのものが眠っている。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/003-0e5e8.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_003-0e5e8.JPG" width="384" height="512" border="0" align="" alt="003.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_003-0e5e8.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　<br />
　誰もいない都営線浅草駅構内。やはり駅も一人ぼっち。まるで心象風景のよう。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/006.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_006.JPG" width="384" height="512" border="0" align="" alt="006.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_006.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<a name="more"></a>
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11">
<title>日本の失敗という神話(3)</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11</link>
<description>　「日本の失敗という神話｣の最終回。　日本が大きくつまずいたのは事実だが、その苦境から立ち直るのに苦労しているかのような素振りを戦略的に取りつづけながら、一方で厳しい対外的な要求を回避しつつ、他方、その背後で着々と新たな産業構造へと脱皮を図ることによって、いつの間にか日本はアメリカをはじめとする欧米諸国を出し抜いてしまったのだ、だから、いわゆる｢失われた数十年｣の日本に何が本当に起こったのかは、ほとんどだれの目にも見えていなかった。むしろきちんとした検討はこれからなされなければならない、それができた暁には、「最も見込みがない状況でさえもアドバンテージに変え」た見習うべき国として評価されるにちがいない、それがこの記事を書いたフィングルトンの見立てである。　　　　なお、記事の終わりに、著者についての次のような紹介文が添えられている。「イーモン・フィングルトン（Eamonn Fingleton）は1990年代の日本のバブル崩壊を予言した書物の著者で、現在、アメリカン・ドリームの終焉についての本を執筆中」。The Myth of Japan’s FailureBy EAMONN FINGLETONPublished: January 6, 2012http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=3&amp;_r=2「日本の失敗という神話(3)　心理的な要因はさておき、欧米諸国が日本を理解する妨げになった大きな要因の一つは、東京にいるほとんどすべての人が、日本についての悲観的な話題から恩恵を得ていたという点にある。外人の営業マンにとって、ノルマを達成できない時、日本が不景気だということにすれば無罪放免になれる。日本の財団組織にしてみれば、アメリカの大学や寄付金を五月蠅く募ってくるその他の非営利団体からの勧誘を丁寧に断る完璧な言い訳になる。外務省にしてみても、対外援助の受益者の期待を値切るときに同様の口実が使える。アメリカの投資銀行にとっても悪い知らせを強調する理由となる。投資銀行がいわゆる円キャリートレードから利益を上げているのは周知のとおりだが、これは、事情通にしてみれば日本円が周期的に弱くなる時を狙って利益を上げる難解だが強力な投資戦略なのだ。　経済的なイデオロギ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-11T00:52:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　「日本の失敗という神話｣の最終回。<br />
<br />
　日本が大きくつまずいたのは事実だが、その苦境から立ち直るのに苦労しているかのような素振りを戦略的に取りつづけながら、一方で厳しい対外的な要求を回避しつつ、他方、その背後で着々と新たな産業構造へと脱皮を図ることによって、いつの間にか日本はアメリカをはじめとする欧米諸国を出し抜いてしまったのだ、だから、いわゆる｢失われた数十年｣の日本に何が本当に起こったのかは、ほとんどだれの目にも見えていなかった。むしろきちんとした検討はこれからなされなければならない、それができた暁には、「最も見込みがない状況でさえもアドバンテージに変え」た見習うべき国として評価されるにちがいない、それがこの記事を書いたフィングルトンの見立てである。<br />
　<br />
　<br />
　　なお、記事の終わりに、著者についての次のような紹介文が添えられている。「イーモン・フィングルトン（Eamonn Fingleton）は1990年代の日本のバブル崩壊を予言した書物の著者で、現在、アメリカン・ドリームの終焉についての本を執筆中」。<br />
<br />
<br />
The Myth of Japan’s Failure<br />
By EAMONN FINGLETON<br />
Published: January 6, 2012<br />
<br />
<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=3&_r=2" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=3&_r=2</a><br />
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「<br />
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<span style="font-size:large;"><strong>日本の失敗という神話(3)</strong></span><br />
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　心理的な要因はさておき、欧米諸国が日本を理解する妨げになった大きな要因の一つは、東京にいるほとんどすべての人が、日本についての悲観的な話題から恩恵を得ていたという点にある。外人の営業マンにとって、ノルマを達成できない時、日本が不景気だということにすれば無罪放免になれる。日本の財団組織にしてみれば、アメリカの大学や寄付金を五月蠅く募ってくるその他の非営利団体からの勧誘を丁寧に断る完璧な言い訳になる。外務省にしてみても、対外援助の受益者の期待を値切るときに同様の口実が使える。アメリカの投資銀行にとっても悪い知らせを強調する理由となる。投資銀行がいわゆる円キャリートレードから利益を上げているのは周知のとおりだが、これは、事情通にしてみれば日本円が周期的に弱くなる時を狙って利益を上げる難解だが強力な投資戦略なのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　経済的なイデオロギーも不幸な役割を果たしてきた。多くのエコノミスト、特に右派系シンクタンクは自由放任主義の忠実な支持者なので、彼らは、社会主義的な医療制度や政府の規制がいたる所に張り巡らされている日本の非常に異質な経済制度には反射的に軽蔑の念を示してしまうのだ。1980年代後半の株式市場のバブル期にこうした見方は影を潜めていたが、バブル崩壊後また復活したのである。<br />
<br />
　<br />
　1990年に株式市場が崩壊した後、日本の貿易交渉担当者は、外国資本の気分がまるで嘘のように軟化したことを見逃さなかった。以前は海外勢が日本に嫉妬の念を抱いていたものだが（それに、保護主義的な政策が真面目な話題になったものだが）、状況が変わると、アメリカやヨーロッパの貿易交渉担当者は「堕ちた巨人」に対して憐憫の情を示す態度に変わっていた。日本の貿易交渉担当者は、とりわけ呑み込みが早かったので、それ以来同情を乞うような態度を取りつづけたのである。<br />
<br />
<br />
　この戦略はワシントンで特に効果的だったようだ。騎士道精神にあふれるアメリカの当局者は、ダウンした相手を蹴ってはならないという思いから、日本の市場の開放を求めることをほとんど止めてしまった。けれど、1980年代後半にアメリカが訴えた貿易上の大きな苦情――米（こめ）や金融サービスや自動車および自動車部品に関する苦情――は、改善されることは決してなかったのである。<br />
<br />
<br />
　「堕ちた巨人」のお話は、他の東アジア諸国にも、アメリカとの貿易交渉を進める上で有益であった。<br />
<br />
<br />
　このお話がアメリカ人の考え方にどのように影響を与えたかの印象的な一例は、アナリストのジョージ・フリードマン（George Friedman）の『100年予測（The Next 100 Years）』にはっきり表われている。「2020年の中国：張り子の虎」と題された章の中で、フリードマン氏は、1990年代に日本が「失敗した」のとまったく同様に、中国にもいずれ天罰が下るだろうと主張している。ワシントンは、すでに世界史上最も破壊的であるかもしれないし最もアンバランスであるのは間違いない米中の貿易関係に直面しているのに、フリードマンのお話は、そんなワシントンに慢心と混乱の種を力強くばらまいているのだ。<br />
<br />
　<br />
　本当に日本に起きたのは何だったのかという問いは、地政学的に第一級の重要性をもつ問いであるのは明らかだ。アメリカ人の通念を見事に出し抜きながら、日本はそれまで以上に洗練された産業基盤を着々と構築してきたのだ。このことが最も明瞭になるのは、日本の製造業が一皮むけていわゆる生産財を作るようになったという事実である。生産財は通常、高度な部品や材料、または高精度の製造装置から成り立っている。それらは消費者には見えないが、それらがなければ現代の世界は文字通り存在することはないだろう。こうした製造業は高度に資本集約的で高度なノウハウをつぎ込むことで可能になるものだが、1950年代と1960年代にアメリカがほとんど独占していた業種であり、アメリカの経済的リーダーシップの本質を構成していたのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　日本の大きな競争相手――ドイツ、韓国、台湾、そしてもちろん中国――がほとんど停滞することなく生産を続けているだけに、日本のこうした実績はなおさら印象的である。東アジア諸国の多くが製造業に「標的を定めた」おかげでこの二十年間に世界は産業の急速な大転換を経験する羽目になった。それでも日本の貿易黒字は上昇したのである。<br />
<br />
　日本は、そうなってはならない警告の対象としてではなく、モデルとして持ち出されるべきなのだ。国が奮起して一丸となって事に当たろうとするならば、最も見込みがない状況でさえもアドバンテージに変えることができる。そうしたモデルとして持ち出されるべきなのだ。日本が絶えずインフラを改善していることがきっとインスピレーションを与えてくれるとすれば、それはこの点においてなのだ。それは、しばしば幅広い政治的勢力の協力を必要とする戦略なのだが、そうした協力は、過去においてアメリカの政治システムの手の届かないものではなかった。あの大恐慌時代の象徴的なプロジェクトとしてのフーバー・ダムは七つの州にまたがる交渉を必要としたが、それでもどうにか建設された――そしてその過程で16000人もの国民に雇用を提供した。それに似た事業を推し進めることを妨げるものは何もない――妨げるものがあるとすれば、下らない政治論争だけなのである。<br />
<br />
　<br />
」（おわり）<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-09">
<title>日本の失敗という神話 (2)</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-09</link>
<description>　「日本の失敗という神話」の第二回目。　日本が過小評価された要因として、欧米人の心理的なものが挙げられているのは、まあ、いかにもそうだろうと思う。もちろん、人種差別的な偏見が関係しているということではない。たとえば、バブル期にアメリカの大学教授が『ジャパン・アズ・No.1』のような本を出したが、まるで幇間がヨイショするようなそんな過大評価があった反動で、不当なまでの過小評価へと振り子が逆に振れた、ということなのかもしれない。そして、一方の極から他方の極へと振れた後で、今また振り子は真ん中に戻ろうとしているにすぎないのかもしれないのだ。The Myth of Japan’s FailureBy EAMONN FINGLETONPublished: January 6, 2012http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=2&amp;_r=1「　　日本の失敗という神話(2) 　では、日本はなぜ敗者と見られているのか?　それは、公式に発表されるGDPの数字で、アメリカが長年にわたって日本をはっきりと上回ってきたからである。だが、アメリカが公式に発表する数字を額面通り受け取ったとしても、両国の差は人々が考えるよりはるかに小さいものである。国民一人当たりの計算方式（これがGDPを算出する適切な方法なのだ）に手直しして1989年から算出してみるならば、アメリカのGDPの成長率は年平均でわずか1.4％にすぎなくなる。その期間の日本の数字はさらに小さく――わずか1％に――なってしまうが、この数字が意味するのは、日本の成長率はアメリカよりも年平均で0.4％下回っているにすぎない、ということだ。　　ところが、根底にある算出方法に目を向けると、下回るどころか、日本が上回っていたかもしれないことが判るのだ。まず、1980年代にアメリカの統計学者は、少し注目を集めた変更の中で、インフレ率を調整するいわゆるヘドニック法を次々と採用し始めたのだが、これは、多くの専門家によれば、国の見かけの成長速度を人工的に高めるアプローチだったのだ。　アメリカの経済的なデータの不備を追跡調査するウェブサイトであるシャドースタッツ・ドットコム（Shadowstats.com）のジョン・ウィリアムズ（J..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-09T01:23:24+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　「日本の失敗という神話」の第二回目。<br />
<br />
　日本が過小評価された要因として、欧米人の心理的なものが挙げられているのは、まあ、いかにもそうだろうと思う。もちろん、人種差別的な偏見が関係しているということではない。たとえば、バブル期にアメリカの大学教授が『ジャパン・アズ・No.1』のような本を出したが、まるで幇間がヨイショするようなそんな過大評価があった反動で、不当なまでの過小評価へと振り子が逆に振れた、ということなのかもしれない。そして、一方の極から他方の極へと振れた後で、今また振り子は真ん中に戻ろうとしているにすぎないのかもしれないのだ。<br />
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The Myth of Japan’s Failure<br />
By EAMONN FINGLETON<br />
Published: January 6, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=2&_r=1" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=2&_r=1</a><br />
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　　<span style="font-size:large;"><strong>日本の失敗という神話(2)
</strong></span><br />
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 　では、日本はなぜ敗者と見られているのか?　それは、公式に発表されるGDPの数字で、アメリカが長年にわたって日本をはっきりと上回ってきたからである。だが、アメリカが公式に発表する数字を額面通り受け取ったとしても、両国の差は人々が考えるよりはるかに小さいものである。国民一人当たりの計算方式（これがGDPを算出する適切な方法なのだ）に手直しして1989年から算出してみるならば、アメリカのGDPの成長率は年平均でわずか1.4％にすぎなくなる。その期間の日本の数字はさらに小さく――わずか1％に――なってしまうが、この数字が意味するのは、日本の成長率はアメリカよりも年平均で0.4％下回っているにすぎない、ということだ。<br />
<br />
　<br />
　ところが、根底にある算出方法に目を向けると、下回るどころか、日本が上回っていたかもしれないことが判るのだ。まず、1980年代にアメリカの統計学者は、少し注目を集めた変更の中で、インフレ率を調整するいわゆるヘドニック法を次々と採用し始めたのだが、これは、多くの専門家によれば、国の見かけの成長速度を人工的に高めるアプローチだったのだ。<br />
<br />
　アメリカの経済的なデータの不備を追跡調査するウェブサイトであるシャドースタッツ・ドットコム（Shadowstats.com）のジョン・ウィリアムズ（John Williams）の計算では、ここ数十年のアメリカの成長率は年間2％ほど誇張されてきたようだ。彼の計算が真実に近いとすれば、この要因だけでも、一人当たりのGDPでアメリカは日本に負けることになるのだ。<br />
<br />
<br />
　日本人の弱点があるとすれば、その最も明白な場所は高価なハイテクの新製品の採用が遅いことにある、と思われるかもしれない。しかし、日本はハイテク製品の採用に関して言えば、一貫して世界でもっとも早かった国の一つだった。遅れていたのは、どちらかといえば、アメリカ人の方だった。たとえば携帯電話では、日本は1990年代後半の数年間でアメリカを大きく引き離し、それ以降ずっとアメリカの先を行っている。日本の消費者は、進んだ機種が出るたびに、他に例を見ないほどの速さでそちらに殺到するのである。<br />
<br />
　ここに関係する話題の多くは、量的であるよりは質的なものだ。一例は日本の外食文化である。ミシュラン・ガイドによると、東京には世界のトップランクのレストランが16店もあるが、第2位のパリはわずか10店である。日本全体でも、ミシュランの格付けでフランスを凌駕している。しかし、このことをGDPの観点からどのように言い表わせというのだろうか?<br />
<br />
<br />
　同様の問題は、日本の医療システムにおける改善を評価する際にも生じる。それに、過去20年間における日本の環境全般でなされた広範囲な改善をどのようにしたら正確に伝えられるだろうか?<br />
<br />
<br />
　幸いなことに、これらの問題の多くをうまく解決してくれる尺度があって、それは発電量である。発電量は、多くの場合、消費者の豊かさと産業活動の尺度となるからである。日本が全く「無能な国（basket case）」として各方面から描かれていた1990年代には、日本人一人当たりの発電量の増加率はアメリカの2倍であったし、21世紀に入ってからもアメリカを上回り続けていたのである。<br />
<br />
<br />
　ここで起こっていることは、ある意味で、欧米人の心理に関係しているのだ。長期にわたって日本に関する話題を追い続けてきた人ならば誰でも、多くの欧米人が積極的に日本を過小評価しようとしてきたことに気づかざるを得ないのだ。だから、日本の政策が上手くいっても、それはことごとく自動的に割り引かれてしまうのだ。それは、東京を拠点に置く欧米の外交官や学者の間にもはっきり表われる習慣化した見方なのである。<br />
<br />
　たとえば、欧米のオブザーバーが日本の人口動態をどのように見てきたかを取り上げてみよう。日本人は低い出生率のおかげで高齢化しているが、この特徴は、日本が世界の豊かな国々の多くと共有しているものだ。しかしこれは重大な問題としてだけではなく政策の失敗として語られるのである。日本人が個人的にも集団的にもこうした少子化の成り行きを選びとったということ――そして、そうするだけの理由を十分にもっているということ――は、欧米人には思いもよらないことらしいのだ。<br />
<br />
　<br />
　人口動態に関する物語りは、帝国を奪われたばかりの日本人が飢え死にしかけていた1945～6年のひどい冬に始まった。対外的な拡張政策はもはやオプションとはなりえなくなったので、日本の指導者たちは出生率を下げることを最優先の政策にしようと決めたのだ。その後、核家族の文化が始まり、それが今日まで続いているのである。<br />
<br />
<br />
　日本の動機ははっきりしている。食料の安全保障である。国民一人当たりの耕作可能な土地が中国の約3分の1しかないので、日本は長い間世界最大の食料純輸入国であった。産児制限政策が日本の少子高齢化の主たる原因であるが、この少子高齢化という現象は、医療制度の改善と1950年以降20歳以上も平均寿命が延びたことを反映してもいるのである。<br />
<br />
」（つづく）<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-07">
<title>日本の失敗という神話（1）</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-07</link>
<description>　久しぶりに日本経済のネタを。『ニューヨーク・タイムズ』で面白そうな記事（というか、オピニオン欄に載った寄稿文）があったので紹介しよう。　内容は単純明快で、バブル以降の日本の「失われた数十年」は、愚かしい例として繰り返し取り上げられ物笑いの種にされてきたが、それは根拠のない神話にすぎない、ということを示すことが眼目である。　たしかに、あの大震災と原発の災害が過度に誇張して報道されたことから推測できることだが、日本の経済についても幾重もの誇張や歪曲があったことは想像に難くない。そうした外部の誇張された評価を真に受けて、ますます日本人のセルフ・イメージが収縮してしまった、ということもあっただろう。外部の目に過度に敏感ですからね、日本人は。そんな相乗効果もあって、日本の内外で「失われた数十年」というイメージがすっかり定着してしまった感がある。しかし、特に最近のヨーロッパの経済状況やアメリカの貧富のとてつもない格差などと対比してみても、日本はまだそれほど酷いわけではないのでは?　などと最近思うことが度々あったので、この記事の着眼点は私なりに理解できるものがある。　ちなみに、「失われた数十年」と訳した原語は“the lost decades”。もちろん、そう訳すしかない。バブル破裂後の十年のみならず、欧米では、それに続く十年、さらにその後の十年と、「失われた十年」を日本が引きずり続けてきたという評価が一般的なわけで、“the lost decades”という複数形にはそういう含意がある。これについては、かつて　『ウォールストリート・ジャーナル』の記事を紹介したことがある。　「㈱無為無策　三度目の失われた十年を迎えるかもしれない日本」・・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04　いつまでも改革を断行できずに、過去のしがらみをだらしなく引きずっているだけの日本というイメージが一般的であったのだが、日本経済を肯定的に扱う記事がないでもなかった。イギリス『ガーディアン』紙の次の記事などはその数少ない例。　「「ゾンビ」日本の経済的誤り」・・・・　http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-10-26　　今回の記事は、こうした例外的な見解が今後さらに増えて行くだろうことを予想させるものかもしれない。原記事は3ページにわたっているので、3回に分..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-07T19:19:15+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　久しぶりに日本経済のネタを。『ニューヨーク・タイムズ』で面白そうな記事（というか、オピニオン欄に載った寄稿文）があったので紹介しよう。<br />
<br />
　内容は単純明快で、バブル以降の日本の「失われた数十年」は、愚かしい例として繰り返し取り上げられ物笑いの種にされてきたが、それは根拠のない神話にすぎない、ということを示すことが眼目である。<br />
<br />
　たしかに、あの大震災と原発の災害が過度に誇張して報道されたことから推測できることだが、日本の経済についても幾重もの誇張や歪曲があったことは想像に難くない。そうした外部の誇張された評価を真に受けて、ますます日本人のセルフ・イメージが収縮してしまった、ということもあっただろう。外部の目に過度に敏感ですからね、日本人は。そんな相乗効果もあって、日本の内外で「失われた数十年」というイメージがすっかり定着してしまった感がある。しかし、特に最近のヨーロッパの経済状況やアメリカの貧富のとてつもない格差などと対比してみても、日本はまだそれほど酷いわけではないのでは?　などと最近思うことが度々あったので、この記事の着眼点は私なりに理解できるものがある。<br />
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　ちなみに、「失われた数十年」と訳した原語は“the lost decades”。もちろん、そう訳すしかない。バブル破裂後の十年のみならず、欧米では、それに続く十年、さらにその後の十年と、「失われた十年」を日本が引きずり続けてきたという評価が一般的なわけで、“the lost decades”という複数形にはそういう含意がある。これについては、かつて　『ウォールストリート・ジャーナル』の記事を紹介したことがある。<br />
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　「㈱無為無策　三度目の失われた十年を迎えるかもしれない日本」・・・・<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04</a><br />
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　いつまでも改革を断行できずに、過去のしがらみをだらしなく引きずっているだけの日本というイメージが一般的であったのだが、日本経済を肯定的に扱う記事がないでもなかった。イギリス『ガーディアン』紙の次の記事などはその数少ない例。<br />
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　「「ゾンビ」日本の経済的誤り」・・・・　<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-10-26" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-10-26</a><br />
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　　今回の記事は、こうした例外的な見解が今後さらに増えて行くだろうことを予想させるものかもしれない。原記事は3ページにわたっているので、3回に分けて紹介する。<br />
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The Myth of Japan’s Failure<br />
By EAMONN FINGLETON<br />
Published: January 6, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html</a><br />
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<span style="font-size:large;"><strong>日本の失敗という神話（1）</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/07japan-img-articleInline.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_07japan-img-articleInline.jpg" width="190" height="285" border="0" align="" alt="07japan-img-articleInline.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_07japan-img-articleInline.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>ファッショナブルな渋谷の街並み</strong><br />
<br />
<br />
　アメリカ経済について楽観的になれるわずかな兆しはいくつかあるにはあるが、失業率は依然として高いし、国内は停滞気味だ。<br />
<br />
　アメリカ人は、もし正しい道を歩まなければ（その正しい道がどういうものであるかについて激しい論争があったが）国がどうなるかの警告例として日本を見てみろと何度も言われてきた。例えば、CNNのアナリストであるデビッド・ガーゲン(David Gergen)はそんな風に日本を描いてきた。「日本は今やとても意気消沈した国になってしまい、本当に後退してしまった」。<br />
<br />
　しかし、日本をそのように描き出すのは神話というものだ。多くの施策によって、日本経済は、いわゆる失われた数十年（それは、1990年1月の株式市場の暴落で始まった）の間でも上々の成績を上げてきた。最重要の施策の中には、アメリカよりはるかに上首尾の成績を残したものもあった。<br />
<br />
　日本は、その金融システムが破たんしたにもかかわらず、国民にますます豊かなライフスタイルを提供することに成功した。いずれ時が経てば、この時代が傑出したサクセス・ストーリーとして見なされるようになることも考えられるのである。<br />
<br />
　現実とイメージがこれほど大きく異なることがどうしてありうるのだろう?　そしてアメリカは日本の経験から何かを学ぶことができるのだろうか?<br />
<br />
　たしかに、日本の住宅価格は、バブル期の猛烈な最終段階の短期間につけた馬鹿馬鹿しい高値に戻ったことはなかった。東証の株価も同様である。<br />
<br />
　しかし、日本経済と日本国民の力強さは多くの点で明らかだ。新聞の経済欄で物笑いの種になる日本というイメージとは必ずしも相容れない事実や数字は多数あるのだ。<br />
<br />
<br />
　・日本人の平均寿命は、1989年から2009年にかけて4.2歳も――78.8歳から83歳にまで――伸びた。これは、現在標準の日本人はアメリカ人より4.8歳も長生きであることを意味する。この平均寿命の伸びは、食事の違いがあるからというよりも、摂取する食事に大差がないにもかかわらず、達成されたのである。日本人はかつてないほど洋食を食べているからだ。平均寿命の伸びを説明するキーとなる要因は、より良い医療なのである。<br />
<br />
　・日本は、インターネットのインフラ構築で著しい進歩を遂げた。1990年代の中ごろまでは遅いいと嘲られていたが、今では状況は一変した。アカマイ・テクノロジーズ（Akamai Technologies）の最近の調査では、最速のインターネット・サービスが享受できる世界の50都市中、日本の都市は38もあったのに対して、アメリカの都市はたった3つだけだった。<br />
<br />
　・1989年末を基準にすると、円は米ドルに対して87％、英ポンドに対して94％も上昇した。貨幣の尺度として伝統的に引き合いに出されるスイス・フランに対しても円は上昇した。<br />
<br />
　・失業率は4.2％で、アメリカの約半分である。<br />
<br />
　・世界中の巨大ビルを追跡調査しているウェブ・サイトであるスカイスクレイパー・ページ・ドットコム（skyscraperpage.com）によれば、500フィート以上の高層ビルは、「失われた数十年」開始以降、81棟が東京で建設された。それに対して、ニューヨークでは64棟、シカゴでは48棟、ロサンゼルスでは7棟である。<br />
<br />
<br />
　・日本の現在の経常収支の黒字額――もっとも広い意味での貿易額だが――は、2010年で合計1960億ドルで、これは1989年の3倍以上の数字である。それと対照的に、その期間のアメリカの経常赤字は、990億ドルから4710億ドルに膨れ上がった。1990年代、中国の台頭の結果、日本は敗者になりアメリカは勝者になるということが一般的な通念となったが、そうはならなかったことが判明したのだ。日本は1989年以降、中国への輸出額を14倍以上に増やしたし、日本と中国の二国間貿易は広範囲にわたって均衡を保っているのである。<br />
<br />
　長年日本ウオッチを続けてきたアイヴァン・P.ホール(Ivan P. Hall)やクライド・V.プレストウィッツJr.(Clyde V. Prestowitz Jr.)が指摘しているように、「失われた数十年」というお話が誤っていることは、アメリカ人が日本に足を踏み入れる瞬間に明らかになる。日本に旅行する人は、通常、ケネディ空港やダレス空港などのアメリカのインフラの老朽化を見事に示すシンボルのような空港で旅行を開始し、近年大規模に拡張されモダンな装いに変貌した日本の空港に到着するからだ。<br />
<br />
<br />
　1980年代初頭から日本ウォッチを続けてきた著名なウィリアム・J.ホルスタインは、最近何年かぶりに日本を訪れた。「アメリカで記事で読むことと、実際に日本で目にすることとの間には劇的なギャップがありますね」と彼は述べた。「日本人はアメリカ人よりも良い服を着ています。ポルシェ、アウディ、メルセデス・ベンツやその他の最高級のモデルを含む最新の車を日本人はもっているし、これほど多くのペットが甘やかされているのを私は見たことがありません。この国の物理的なインフラは改善と進化を続けていますしね」。<br />
<br />
」（つづく）<br />
<br />
<br />
<br />
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<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-01">
<title>2012元旦　浅草寺周辺のたたずまい</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-01-01</link>
<description>　毎年のことながら、一夜明けて、浅草寺周辺は激変する。　混雑を恐れて、わが家は浅草神社の方に参拝することにしている。例年は、昼前ならばほとんど並ぶこともないのだが、今年は割りに長い列ができていた。　浅草寺の方はこんな状態。写真は浅草寺東側の脇の出口。　子供のためにバナナ・チョコを買う。なぜか正月の恒例になっている。　他に二～三の祠にお参りしてから花やしきで30分ほど遊ぶ。これも正月恒例。　煮込み通りの店は、午前中からもう酒を飲んでいる客で混んでいる。　喫茶店に入って体を休めた後、オレンジ通りにさしかかると、これも例年のごとく、キリスト教の団体の人々がプラカードを掲げている。今年は、気合が入っているようで、かなり大勢いたような気がする。毎年気になるのだが、プラカードを持っている人は、なぜ一様に暗い顔をしているのだろう?　まあ、大きなお世話だが。　雷門近くの混雑。機動隊が手際よくさばいていた。仲見世は、バリケードが設置されていて横切るのは不可能になっていた。去年までは、さすがにバリケードの設置はなかったような気がする。　「悔い改めなさい」。　そうだな、今年はもうちょっと享楽的な部分は控えて、慎ましくしていようかな。晴耕雨読のような生活。もっとも、耕す畑などないので、どうしたらいいだろう?　</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-01-01T17:56:52+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　毎年のことながら、一夜明けて、浅草寺周辺は激変する。<br><br />
　混雑を恐れて、わが家は浅草神社の方に参拝することにしている。例年は、昼前ならばほとんど並ぶこともないのだが、今年は割りに長い列ができていた。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:56:51-3371c.JPG" width="448" height="294" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:56:51-3371c.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　浅草寺の方はこんな状態。写真は浅草寺東側の脇の出口。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:56:54-c3e68.JPG" width="448" height="298" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:56:54-c3e68.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　子供のためにバナナ・チョコを買う。なぜか正月の恒例になっている。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:56:55-1aa7c.JPG" width="448" height="299" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:56:55-1aa7c.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　他に二～三の祠にお参りしてから花やしきで30分ほど遊ぶ。これも正月恒例。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:56:58-3252f.JPG" width="448" height="260" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:56:58-3252f.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　煮込み通りの店は、午前中からもう酒を飲んでいる客で混んでいる。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:56:59-608c9.JPG" width="448" height="286" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:56:59-608c9.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　喫茶店に入って体を休めた後、オレンジ通りにさしかかると、これも例年のごとく、キリスト教の団体の人々がプラカードを掲げている。今年は、気合が入っているようで、かなり大勢いたような気がする。毎年気になるのだが、プラカードを持っている人は、なぜ一様に暗い顔をしているのだろう?　まあ、大きなお世話だが。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:57:00-e3e19.JPG" width="448" height="289" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:57:00-e3e19.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　雷門近くの混雑。機動隊が手際よくさばいていた。仲見世は、バリケードが設置されていて横切るのは不可能になっていた。去年までは、さすがにバリケードの設置はなかったような気がする。<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:57:01-4840f.JPG" width="448" height="295" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:57:01-4840f.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br><br />
　「悔い改めなさい」。<br><br />
　そうだな、今年はもうちょっと享楽的な部分は控えて、慎ましくしていようかな。晴耕雨読のような生活。もっとも、耕す畑などないので、どうしたらいいだろう?　<br><br />
<img src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image/2012-01-01T17:57:01-6d9fb.JPG" width="448" height="299" border="0" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/image/2012-01-01T17:57:01-6d9fb.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<!-- Rakuten Widget FROM HERE --><script type="text/javascript">rakuten_design="slide";rakuten_affiliateId="03d3436c.0d1087cd.09059d03.6e3c5314";rakuten_items="ctsmatch";rakuten_genreId="0";rakuten_size="600x200";rakuten_target="_blank";rakuten_theme="gray";rakuten_border="off";rakuten_auto_mode="off";rakuten_genre_title="off";rakuten_recommend="on";rakuten_ver="20100708";</script><script type="text/javascript" src="http://xml.affiliate.rakuten.co.jp/widget/js/rakuten_widget.js"></script><!-- Rakuten Widget TO HERE --><br />
<a name="more"></a>
]]></content:encoded>
</item>
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