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<title>MikSの浅横日記</title>
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<description>世界や歴史の動向を忘れないための備忘録・・・・・・&amp; 読書日記 &amp; 身辺雑記</description>
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<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-20T16:12:03+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-20">
<title>なぜ指は5本あるのか?</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-20</link>
<description>　久しぶりにドイツ『シュピーゲル』誌の科学欄から紹介する。　進化の過程で、指が7本や8本ある動物も登場したというのに、いつのまにか指は5本に落ち着いてしまった。なぜか?　その理由は科学者にも判っていないようだ。 19.05.2012 Evolution der HandDas Rätsel der FünfVon Carl Zimmerhttp://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/warum-der-mensch-fuenf-finger-hat-a-829724.html「 　手の進化　指が5本ある謎　人間の手は自然が生み出した傑作であり、生物学者はこの比類のない多目的ツールを徹底的に探求してきた。しかし、今日まで科学者がまだ答えを出していない問いが一つある。つまり、進化の過程で、よりによって何故5本の指が残ったのか?　という問いがそれである。  　私たちが自分の手で火を起こし槍を作ったときに、それは始まった。私たちは手で文字を書いたり穴を掘ったり、車や飛行機を運転したり、手術で腫瘍を摘出したり、手品で帽子からウサギを取り出したりする。無限の創造性をもつ私たちの脳が私たち人間をユニークな存在にしたのかもしれない。しかし、手がなければ、どんなアイディアを抱いても無駄になってしまう。　　手というこの多目的ツールは、神経と筋肉と骨と靭帯が複雑に相互作用を及ぼし合った結果である。親指を動かすだけでも9種類の筋肉が必要だ。その筋肉のあるものは手の内側の骨で終わるが、腕にまで及ぶ筋肉もある。手首の関節の可動性は、人型ロボットを制作しようと望むすべてのエンジニアの夢であり悪夢でもある。時計職人の手が極小のバネをその正しい位置に置くとき、手にこめる力はほんのわずかに抑えられている。しかし、手にありったけの力を込めて、手首を利かせば、時速約160キロでボールを投げることもできるのだ。　スコットランドの外科医のサー・チャールズ・ベル（Sir Charles Bell）は、1833年に『人間の手とその属性』という書物を著し、身体のこの部分に丸々一冊の本を捧げた。 当時、進化という観念が関心を集め始めていたが、ベルは、手を綿密に検討すれば下らない無駄話は終わるだろうと考えた。「人間の手は、神の創造の究極で最良の証拠である」と彼は書いたのだ。　ただし、なぜ人間以外の種も手をもっているのかを、彼の議論が..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-20T16:12:03+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　久しぶりにドイツ『シュピーゲル』誌の科学欄から紹介する。<br />
<br />
　進化の過程で、指が7本や8本ある動物も登場したというのに、いつのまにか指は5本に落ち着いてしまった。なぜか?　その理由は科学者にも判っていないようだ。<br />
<br />
<br />
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19.05.2012<br />
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Evolution der Hand<br />
Das Rätsel der Fünf<br />
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Von Carl Zimmer<br />
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<a href="http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/warum-der-mensch-fuenf-finger-hat-a-829724.html" target="_blank">http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/warum-der-mensch-fuenf-finger-hat-a-829724.html</a><br />
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「<br />
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　<span style="font-size:large;"><strong>手の進化</strong></span><br />
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<span style="font-size:large;"><strong>　指が5本ある謎</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/0.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_0.jpg" width="520" height="250" border="0" align="" alt="0.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_0.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
　<strong>人間の手は自然が生み出した傑作であり、生物学者はこの比類のない多目的ツールを徹底的に探求してきた。しかし、今日まで科学者がまだ答えを出していない問いが一つある。つまり、進化の過程で、よりによって何故5本の指が残ったのか?　という問いがそれである。</strong><br />
<br />
<br />
  <br />
　私たちが自分の手で火を起こし槍を作ったときに、それは始まった。私たちは手で文字を書いたり穴を掘ったり、車や飛行機を運転したり、手術で腫瘍を摘出したり、手品で帽子からウサギを取り出したりする。無限の創造性をもつ私たちの脳が私たち人間をユニークな存在にしたのかもしれない。しかし、手がなければ、どんなアイディアを抱いても無駄になってしまう。<br />
<br />
　<br />
　手というこの多目的ツールは、神経と筋肉と骨と靭帯が複雑に相互作用を及ぼし合った結果である。親指を動かすだけでも9種類の筋肉が必要だ。その筋肉のあるものは手の内側の骨で終わるが、腕にまで及ぶ筋肉もある。手首の関節の可動性は、人型ロボットを制作しようと望むすべてのエンジニアの夢であり悪夢でもある。時計職人の手が極小のバネをその正しい位置に置くとき、手にこめる力はほんのわずかに抑えられている。しかし、手にありったけの力を込めて、手首を利かせば、時速約160キロでボールを投げることもできるのだ。<br />
<br />
<br />
　スコットランドの外科医のサー・チャールズ・ベル（Sir Charles Bell）は、1833年に『人間の手とその属性』という書物を著し、身体のこの部分に丸々一冊の本を捧げた。 当時、進化という観念が関心を集め始めていたが、ベルは、手を綿密に検討すれば下らない無駄話は終わるだろうと考えた。「人間の手は、神の創造の究極で最良の証拠である」と彼は書いたのだ。<br />
<br />
<br />
　ただし、なぜ人間以外の種も手をもっているのかを、彼の議論が説明できなかったことはあまりに間が抜けていた。オランウータンの指が5本あることに異議を唱える者はいないだろう。コウモリの手もまったく同じような作りだ。5本の指は動きやすい手首と結びついている。人間がもっているのと同じ指の骨で、コウモリは飛膜をピンと引っ張っているのだ。<br />
<br />
<br />
　チャールズ・ダーウィンが有名な『種の起源』を書いたとき、彼はこの目を引く一致を特に強調した。「人間のものを掴む手や、モグラの土を掘るシャベルのような手や、競走馬の足や、イルカのひれやコウモリの翼が同じパターンの作りになっていることほど不思議に思えることがあるだろうか?　」とダーウィンは問いかけた。<br />
<br />
　<br />
　ダーウィンにとって、その説明は容易だった。私たちは、コウモリや手を持っているすべての動物の親類であるのだ。私たちは皆、共通の祖先から手を受け継いだのだ。<br />
<br />
<br />
　この発展を理解するために、研究者たちは化石を掘り出し、今日生きている動物の手の解剖学的構造を比較してきた。彼らは、手の構造を制御する遺伝子を調べた。研究者が発見したことはどれもダーウィンの理論を支持するものだった。<br />
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<span style="font-size:large;"><strong>　進化はさまざまな形態をテストした
</strong></span><br />
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　私たちの手は、およそ3億8000万年前にひれから分化し始めた。ひれといっても、金魚の平らで透明なひれではなくて、今なお生きている肺魚の絶滅した祖先の筋肉質で力強いひれであった。その肺魚の子孫は、時と共に、私たちの手首や指の骨に相当する小さな骨を発達させた。もっと後になってから指が発生した。指は一本一本動かすことができ、水中で獲物をつかみ取ろうとするもできた。<br />
<br />
<br />
　さらに発展は続き、進化はさまざまな形態をテストした。7本の指をもつ種も誕生した。8本の指の種も登場した。しかし、脊椎動物が3億4000万年前に上陸した頃になると、指の数は減少して5本になっていた。なぜ、まさに5本だったのか?　その問いに対して、生物学者は今日まで答えることができないでいる。<br />
<br />
<br />
　動物界における手の形態の多様性は依然として大きい。その多様性は、イルカのひれや鷲の翼からナマケモノの鎌状の爪にまで及ぶ。手が今ある形にどうしてなったのかを明らかにするために、解剖学的な比較だけをしていればいい時代はとっくに過ぎてしまった。研究者が胚発生を最初の細​​胞分裂から観察することができるようになったとき、手のすべての形態が同じ起源から形成されたものであることを彼らは知った。<br />
<br />
<br />
　手のバリエーションのすべては、究極的には、遺伝子に由来するわずかな分子の変化の結果なのである。特定の遺伝子の組み合わせが手の発達を調節しているのであって、たとえば関節を形成する遺伝子もあれば、指の長さを決定する遺伝子もある。これらの遺伝子にわずかな変化が生ずるだけで、何本かの指が長くなったり、指が消えたり、かぎ爪の爪が変形したりするのである。<br />
<br />
　鷲の翼とライオンの足がどれほど違って見えようとも、その違いは同じ遺伝子のわずかな変異によるものなのである。あらゆる生物種の手や前足や後足や翼は、さまざまな要求を突きつける環境に対する、何百万年もの歳月をかけて続けられてきた適応プロセスの結果なのである。そして、そうした手や足や翼がその目的を果たしていることは、たとえば（以下に掲げた）スライドショーを読者の皆さんがご覧になるときに、納得できることなのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>1．　クジラやゾウからコウモリやヒトにいたるまでの多くの脊椎動物の手足は同じ設計図をもっている。つまり、5本の指は、手首にある関節の集まりに結びついている。前腕部は2本の骨から、上腕部は1本の骨から成り立っている。
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-eb857.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-eb857.jpg" width="450" height="600" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-eb857.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>2．　大きなネズミイルカ　：　イルカは、陸上で生活していた有蹄類から発展し、5000万年前に海中の生活に移行した。前肢はひれに変化し、ひれは種ごとの行動パターンに適応していった。長く細いひれは速く泳ぐことに適している。幅広く短いひれは、限られたスペースの中を敏捷に動き回る種において発達した。</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2-5e791.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2-5e791.jpg" width="600" height="345" border="0" align="" alt="2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2-5e791.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>3.　　飼い猫　：　猫の足には湾曲した爪がある。猫が休んでいるとき、足の上部の靭帯の働きで、爪は引っ込んでしまう。獲物を捕らえるために、猫は後足で地面をけり前足を伸ばす。そのとき、前足の筋肉は収縮し、爪をむき出して獲物を捕らえる。そして後ろ足に体重を移し獲物を前足で口に運ぶ。</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3-676b7.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3-676b7.jpg" width="600" height="348" border="0" align="" alt="3.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3-676b7.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>4．　カエル　：カエルの種は数千に及ぶが、その前足は多種多様な活動に適応している。水で暮らすカエルは指の間に水かきをもっている。アマガエルでは、よじ登るのに適した長い指やつま先が普通にある。指先には、葉のようなツルツルした表面でもしっかりした支えになる小さい吸盤がある。</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/4-bc97f.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_4-bc97f.jpg" width="516" height="600" border="0" align="" alt="4.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_4-bc97f.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>5．　コウモリ　：　5本ある指の骨は、翼の繊細な組織をピンと引っ張るテントの支柱のような働きをしている。これは、空中で体のバランスを保つのに十分な抵抗を生み出しているのだ。一本一本の指を動かすことで、コウモリは森の中を急旋回の飛行をしたり花の前でハチドリのようにホバリングをしたりできるのである。</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-67ec4.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-67ec4.jpg" width="472" height="600" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-67ec4.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-15">
<title>サイコパスとしての資本家</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-15</link>
<description>　　金持ち、資本家、ウォール街で働く人々を「サイコパス（変質者）」と同列に扱った評論文を『ニューヨーク・タイムズ』より紹介する。冒頭で示されているように、そうした扱いが正当であることを示した研究結果があるらしい。　　　かなり素朴な資本主義批判である。恐らく10年前なら、いや5年前でも、こうした批判が『ニューヨーク・タイムズ』の紙面を飾ることはなかっただろう。しかし、昨年の「われわれは99％だ」の運動以降、こうしたストレートな資本主義批判がすっかり時代の一つのトレンドになってしまったことを感じさせる文章である。　　　Op-ed欄に掲載されたこの一文は、私が訳し始めたときも訳し終えてアップしたときも、全記事の人気ランキング（MOST E-MAILED）の第二位だった。筆者は文筆家・批評家で、『ジェーン・オースティンの教育』という書物を著したことのある文学畑の人のようだ。  Capitalists and Other PsychopathsBy WILLIAM DERESIEWICZPublished: May 12, 2012http://www.nytimes.com/2012/05/13/opinion/sunday/fables-of-wealth.html「 　資本家とそれ以外のサイコパス（性格異常者）たち　　この国では、金持ちについての議論が進行中だ。つまり、金持ちとは誰か?　金持ちの社会的役割とは何か?　金持ちは善か悪か?　といった議論である。最近のある研究（http://theweek.com/article/index/225046/why-is-wall-street-full-of-psychopaths）によると、ウォール街で働く人々の10パーセントが、他者に対する関心や共感を欠落し、「虚言、作話（さくわ）、人心操作の能力が並はずれている」ことから、「臨床的な意味でのサイコパス（性格異常者）」であるそうだ。（国全体に占めるサイコパスの割合は1パーセントである）。別の研究（http://www.pnas.org/content/early/2012/02/21/1118373109.abstract）は、金持ちの方が、嘘をついたりごまかしたり法律を破る傾向が高いと結論づけた。　こうした主張で私が驚いた唯一のことは、そもそもそんなことを驚くべきことだと思う人がいるということだ。ウォール街とは、その純..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-15T02:09:42+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　　金持ち、資本家、ウォール街で働く人々を「サイコパス（変質者）」と同列に扱った評論文を『ニューヨーク・タイムズ』より紹介する。冒頭で示されているように、そうした扱いが正当であることを示した研究結果があるらしい。　<br />
<br />
　　かなり素朴な資本主義批判である。恐らく10年前なら、いや5年前でも、こうした批判が『ニューヨーク・タイムズ』の紙面を飾ることはなかっただろう。しかし、昨年の「われわれは99％だ」の運動以降、こうしたストレートな資本主義批判がすっかり時代の一つのトレンドになってしまったことを感じさせる文章である。<br />
　<br />
　　Op-ed欄に掲載されたこの一文は、私が訳し始めたときも訳し終えてアップしたときも、全記事の人気ランキング（MOST E-MAILED）の第二位だった。筆者は文筆家・批評家で、『ジェーン・オースティンの教育』という書物を著したことのある文学畑の人のようだ。<br />
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Capitalists and Other Psychopaths<br />
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By WILLIAM DERESIEWICZ<br />
Published: May 12, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/05/13/opinion/sunday/fables-of-wealth.html" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/05/13/opinion/sunday/fables-of-wealth.html</a><br />
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　<span style="font-size:large;"><strong>資本家とそれ以外のサイコパス（性格異常者）たち</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/13DERSHY-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_13DERSHY-articleLarge.jpg" width="600" height="365" border="0" align="" alt="13DERSHY-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_13DERSHY-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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　　この国では、金持ちについての議論が進行中だ。つまり、金持ちとは誰か?　金持ちの社会的役割とは何か?　金持ちは善か悪か?　といった議論である。最近のある研究（<a href="http://theweek.com/article/index/225046/why-is-wall-street-full-of-psychopaths" target="_blank">http://theweek.com/article/index/225046/why-is-wall-street-full-of-psychopaths</a>）によると、ウォール街で働く人々の10パーセントが、他者に対する関心や共感を欠落し、「虚言、作話（さくわ）、人心操作の能力が並はずれている」ことから、「臨床的な意味でのサイコパス（性格異常者）」であるそうだ。（国全体に占めるサイコパスの割合は1パーセントである）。別の研究（<a href="http://www.pnas.org/content/early/2012/02/21/1118373109.abstract" target="_blank">http://www.pnas.org/content/early/2012/02/21/1118373109.abstract</a>）は、金持ちの方が、嘘をついたりごまかしたり法律を破る傾向が高いと結論づけた。<br />
<br />
　こうした主張で私が驚いた唯一のことは、そもそもそんなことを驚くべきことだと思う人がいるということだ。ウォール街とは、その純粋な形態における資本主義であり、資本主義とは悪しき行動に基づくものだからだ。だから、ウォール街にサイコパスがあふれていることなどは、ほとんどニュースになるべきことではないのだ。ほぼ同じことは、イギリスの作家バーナード・マンデヴィル（Bernard Mandeville）が3世紀前に、風刺的な詩と哲学的な論考を配した『蜂の寓話（The Fable of the Bees）』で主張していたことだ。<br />
<br />
<br />
　この書物の副題は『私悪すなわち公益（Private Vices, Publick Benefits）』である。経済の領域でのマキャベリ――われわれがそうでありたいと願う姿ではなく、われわれのありのままの姿を示した人――だったマンデヴィルは、商業社会が繁栄を生み出すのは、われわれが生まれつきもつ欲求――詐欺、贅沢、プライド――を活かすことによってなのだと主張した。「プライド」とはマンデヴィルによれば虚栄心だ。贅沢とは感覚的なものに浸ろうとする欲求だ。広告業界の人間ならば誰もが知るように、こうしたものが需要を生み出すのだ。詐欺があるのはサプライサイドだ、と今日のわれわれならば言うだろう。「どんな仕事や地位にも詐欺はつきもの。偽りのない職業など存在しない（All Trades and Places knew some Cheat, / No Calling was without Deceit）」。<br />
<br />
<br />
　言い換えれば、エンロンやBPやゴールドマン・サックスやフィリップ・モリスやGEやメルク等々のことだ。不正会計、脱税、不法投棄、製品の安全性違反、談合、過剰請求、偽証などなど。ウォルマートの贈収賄スキャンダル、ニューズ社の盗聴事件――どんな日の新聞のビジネス欄をめくって見ても、そんなニュースが目に入ってくる。従業員を酷使したり、顧客を傷つけたり、土地を破壊したり。その挙句に一般の市民にそのつけを払わせる。こんなことは珍しくもないことだ。これが資本主義というシステムのあり方なのだ。やりたい放題やって、捕まったらシラを切ろうとすればいいのである。<br />
<br />
　<br />
　私はいつもビジネス・スクールという概念を愉しいものだと思ってきた。それはどんなコースを提供しているのだろう?　寡婦や孤児から金を巻き上げるコースか?　貧しい人々を虐げるコースか?　二股をかけるコースか?　一般市民を食い物にするコースか?　数年前に『企業（The Corporation）』という題名のドキュメンタリーがあったが、それは企業も人格であるという前提を受けいれたうえで、それはどんな人格なのかという疑問を投げかけるものだった。その答えは、まさに、サイコパス、つまり、他人に無関心で、罪悪感を抱くことができず、ひたすら自分自身の利益に専念するサイコパスだったのだ。<br />
<br />
<br />
　たしかに、倫理的な企業もあるし倫理的なビジネスマンもいるが、資本主義における倫理とは、各人の選択にまかされたものであり、資本主義の本質にとってはまったく外的なものだ。市場にモラルを期待するのは、カテゴリーを取り違えるミスを犯すことだ。資本主義の価値観はキリスト教的価値観の対極だ。 （わが国の市民生活の中で最も声高な主張をするキリスト教徒がどうして自由市場の最も好戦的な支持者であるかは、彼らの良心の問題である）。資本主義的価値観はまた民主主義の価値観の対極である。キリスト教の倫理と同じく、共和国政府の原則は、他者の利益を考慮するようにわれわれに求める。それに対して、資本主義は、利益だけをひたすら追求するものなので、結局頼れるのは自分だけ、と信じこませようとするからだ。<br />
<br />
<br />
　 「雇用創出者（job creator）」ということが最近よく話題になるが、このフレーズは、右翼プロパガンダの第一人者であるフランク・ランツ（Frank Luntz）が、アイン・ランド（Ayn Rand）にならって作りだしたものだ。これを言い換えれば、金持ちが所有しているすべてのものに対してと同様に、金持ちに対しても、私たちは感謝すべきだということであり、感謝以外のすべては嫉妬にすぎないということである。<br />
<br />
<br />
　（それに対して指摘しておきたい）第一のことは、起業家が雇用創出者ならば、労働者は富の創出者である、ということだ。企業家は富をつかって労働者のために雇用を創出する。労働者は労働力をつかって起業家のために富を創出する――つまり、賃金や他の補償金に加えて、余剰生産を創出するのだが、それが企業収益となる。どちら側にとっても、他方に利益をもたらすことがゴールではないのだが、しかしそういうことが実際に起こっているのだ。<br />
<br />
　<br />
　また、起業家と金持ちは異なったものであり、カテゴリーとして部分的にしか重なっていない。大半の金持ちは起業家ではない。金持ちとは、名門企業の役員や、別種の組織の管理者や、裕福な医師や弁護士や、最高の成功をおさめた芸能人やスポーツ選手や、単に遺産を受けついだ人や、それに、そう、ウォール街で働く人々のことだ。<br />
<br />
<br />
　重要なことは、起業家も金持ちも、頭脳や汗やリスクを独占しているわけではない、ということだ。どの起業家にも劣らぬほど賢明な科学者――や芸術家や学者――はいるのだが、ただ彼らは起業家とは違う報酬に興味をもっているだけなのだ。定職につきながらコミュニティ・カレッジに通うシングル・マザーは、どのヘッジファンド・マネージャーにも負けないほど懸命に努力している。いつ失うかもしれない職（たぶん、あの「雇用創出者」の一人のおかげで）を頼りに、住宅ローンを組む――あるいは、学生ローンに入ったり、子供を身ごもる――人は、会社を起こす人と同じくらいのリスクを負っているのである。<br />
<br />
<br />
　<br />
　政策に関わる大問題は、私たちが何に対してどれくらい税金を支払うか、どれ位を誰に対して支出するか、という問いをどう考えるかに懸かっている。「雇用創出者」は新しい語かもしれないが、その語によって言い表される媚びへつらい――とそれが伝える軽蔑の念――は新しいものではない。「貧しいアメリカ人は自分自身を憎むように駆り立てられる」とカート・ヴォネガット（Kurt Vonnegut）は 『スローターハウス5』で書いた。「彼らは自分自身を嘲（あざけ）り、自分より優れた者を讃える」。われわれの最も破壊的な嘘は「アメリカ人である以上、金を稼ぐのはとても簡単なことだ」というものだ。その嘘はさらに続く。貧しい者は怠け者で愚かで邪悪だ。金持ちは素晴らしく勇気があり善良だ。金持ちは私たちに施しを雨あられのように恵んでくれる。<br />
<br />
<br />
<br />
　マンデヴィルは、私利の個人的追求が公共の利益をもたらすことがあると信じていたが、彼は、アダム・スミスと違って、それが自然にそうなるとは考えなかった。スミスの「神の手」は「見えざる」ものだった――現代風に言えば、市場の自動調節機構である。マンデヴィルの手は「熟練の政治家の巧妙な手腕」を――現代の言葉でいえば、立法、規制、課税を――含んでいたのだ。あるいは、彼が詩句で言い表したように、「悪徳も有益となる/それが正義によって刈り込まれ縛られるときには（Vice is beneficial found, / When it’s by Justice lopt, and bound）」。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
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　<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-12">
<title>ホルスト・ファースが撮影したベトナム戦争</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-12</link>
<description>　ベトナムやバングラデシュの報道写真で二度ピュリツァー賞を受賞したドイツ人フォト・ジャーナリスト、ホルスト・ファース（ Horst Faas ）が亡くなった。　その代表的な写真を、フランス『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌のスライドショーより紹介する。 EN IMAGES. Horst Faas, dans l'enfer des conflitsPublié le 11-05-2012 à 11h44http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/photo/20120511.OBS5356/en-images-horst-faas-dans-l-enfer-des-conflits.html「　　戦闘の地獄にいたホルスト・ファース　1．　1965年11月27日、サイゴンの北東でべトコンに殺された米兵や南ベトナム兵の死体の中を歩くベトナム人の衛生兵2．　1965年3月カンボジア国境付近のティニンにあったべトコンの陣営を攻撃する米軍のヘリコプターと南ベトナムの部隊3．　1965年6月18日、ベトナムの米軍兵。ヘルメットに「戦争は地獄だ（WAR IS HELL）」とある4．　1965年6月10日ドン・ソアイでの政府軍の襲撃の後に撮影された南ベトナムの民間人	　5．　1966年1月1日バオ・トライ地域の運河でべトコンの狙撃兵の陰に隠れながら、手榴弾発射筒を手に持つ米軍パラシュート兵を見つめる南ベトナムの子供たち6．　1966年1月1日サイゴン西部での銃撃戦の最中に泥水の中にかがみ込む女性と子供たち7．　1965年12月、小学生が通学に使うベン・カットとシャン・ディエンをむすぶ道路を警備する米軍兵8．　1965年1月、ビン・ギア付近のジャングルにいる米軍兵と南ベトナム兵9.　　1964年1月9日、べトコンについての間違った情報を政府に提供した嫌疑をかけられた農民を切りつけようとする南ベトナム兵10．　1967年、ベトナムで撮影されたホルスト・ファース」（おわり）　</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-12T15:15:07+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ベトナムやバングラデシュの報道写真で二度ピュリツァー賞を受賞したドイツ人フォト・ジャーナリスト、ホルスト・ファース（ Horst Faas ）が亡くなった。<br />
<br />
　その代表的な写真を、フランス『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌のスライドショーより紹介する。<br />
<br />
<br />
 <br />
EN IMAGES. Horst Faas, dans l'enfer des conflits<br />
<br />
Publié le 11-05-2012 à 11h44<br />
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<a href="http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/photo/20120511.OBS5356/en-images-horst-faas-dans-l-enfer-des-conflits.html" target="_blank">http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/photo/20120511.OBS5356/en-images-horst-faas-dans-l-enfer-des-conflits.html</a><br />
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「<br />
　　<span style="font-size:large;"><strong>戦闘の地獄にいたホルスト・ファース</strong></span><br />
　<br />
<br />
<strong>1．　1965年11月27日、サイゴンの北東でべトコンに殺された米兵や南ベトナム兵の死体の中を歩くベトナム人の衛生兵</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-87db1.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-87db1.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-87db1.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<strong>2．　1965年3月カンボジア国境付近のティニンにあったべトコンの陣営を攻撃する米軍のヘリコプターと南ベトナムの部隊
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2-7286c.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2-7286c.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2-7286c.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>3．　1965年6月18日、ベトナムの米軍兵。ヘルメットに「戦争は地獄だ（WAR IS HELL）」とある</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/33.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_33.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="33.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_33.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>4．　1965年6月10日ドン・ソアイでの政府軍の襲撃の後に撮影された南ベトナムの民間人	</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3-e2ff3.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3-e2ff3.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="3.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3-e2ff3.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
<strong>5．　1966年1月1日バオ・トライ地域の運河でべトコンの狙撃兵の陰に隠れながら、手榴弾発射筒を手に持つ米軍パラシュート兵を見つめる南ベトナムの子供たち</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-6b20a.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-6b20a.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-6b20a.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>6．　1966年1月1日サイゴン西部での銃撃戦の最中に泥水の中にかがみ込む女性と子供たち</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/6-a71c3.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_6-a71c3.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="6.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_6-a71c3.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>7．　1965年12月、小学生が通学に使うベン・カットとシャン・ディエンをむすぶ道路を警備する米軍兵</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/71.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_71.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="71.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_71.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>8．　1965年1月、ビン・ギア付近のジャングルにいる米軍兵と南ベトナム兵</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/8-dcbf0.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_8-dcbf0.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="8.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_8-dcbf0.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>9.　　1964年1月9日、べトコンについての間違った情報を政府に提供した嫌疑をかけられた農民を切りつけようとする南ベトナム兵</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/81.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_81.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="81.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_81.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>10．　1967年、ベトナムで撮影されたホルスト・ファース
</strong><br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/9-3e880.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_9-3e880.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="9.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_9-3e880.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-08">
<title>暗い将来像を描くローマ・クラブのレポート</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-08</link>
<description>　「ローマ・クラブ」といえば、何といっても1972年のリポート『成長の限界』が有名であるが、あれから40年たった本年に発表されたレポートについて報じるドイツ『シュピーゲル』誌の記事を紹介する。　恐らく『成長の限界』の警告は何一つ解決されないまま、ついに40年たってしまったというのが真実だろう。　　もちろん、新たな側面もある。温暖化や金融資本主義の怪物的な肥大化という要因が付け加わったことが、この40年間の「進展」だろうか?　このレポートに寄稿している一人が、若い世代による「革命」を予言しているのが興味をそそる。　見渡せば、負の遺産ばかりだ。環境の問題だけではない。ヨーロッパでは、国家の巨大な借金がほとんどの国の若者の将来を暗いものにしている。以下でも触れられているように、「西側は没落していく」だろう。その予言は日本に無関係ではない。それどころか、没落の先陣を切っているのは、おそらく日本なのかもしれないのである。08.05.2012 Club-of-Rome-BerichtForscher zeichnen düsteres Bild der Zukunfthttp://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/klimawandel-club-of-rome-gibt-prognose-fuers-jahr-2052-ab-a-831905.html「　ローマ・クラブのレポート　研究者は暗い将来像を描く　『2052年』刊行の発表の席におけるヨルゲン・ランダース。一致団結すれば、より良い世界を創造できる　　今後40年で世界はどのようになるか?　ローマ・クラブのために、研究者が見通しをまとめた。彼らが真っ先に警告するのは気候変動の影響――金融資本主義の破壊的な影響である。  ベルリン/ロッテルダム――干ばつや洪水や極端な天候が増加するだろう。今世紀の後半には気候変動が劇的に強まり多くの被害を引き起こすだろう。こうした結果に科学者たちが至ったのは、ローマ・クラブが委託したレポート『2052年：今後40年間のグローバル予測』においてである。「負の影響が明白になるだろう」と警告を発したのは、この報告書の著者で、ノルウェーの経済の専門家で未来学者でもあるヨルゲン・ランダース（Jørgen Randers）。　「人類は地球の資源を使い果たしてしまい、場合によっては2052年のずっと前に局所的な崩壊を体..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-08T23:07:47+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　「ローマ・クラブ」といえば、何といっても1972年のリポート『成長の限界』が有名であるが、あれから40年たった本年に発表されたレポートについて報じるドイツ『シュピーゲル』誌の記事を紹介する。<br />
<br />
<br />
　恐らく『成長の限界』の警告は何一つ解決されないまま、ついに40年たってしまったというのが真実だろう。　<br />
<br />
　もちろん、新たな側面もある。温暖化や金融資本主義の怪物的な肥大化という要因が付け加わったことが、この40年間の「進展」だろうか?<br />
<br />
　このレポートに寄稿している一人が、若い世代による「革命」を予言しているのが興味をそそる。<br />
<br />
　見渡せば、負の遺産ばかりだ。環境の問題だけではない。ヨーロッパでは、国家の巨大な借金がほとんどの国の若者の将来を暗いものにしている。以下でも触れられているように、「西側は没落していく」だろう。その予言は日本に無関係ではない。それどころか、没落の先陣を切っているのは、おそらく日本なのかもしれないのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
08.05.2012<br />
 <br />
Club-of-Rome-Bericht<br />
Forscher zeichnen düsteres Bild der Zukunft<br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/klimawandel-club-of-rome-gibt-prognose-fuers-jahr-2052-ab-a-831905.html" target="_blank">http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/klimawandel-club-of-rome-gibt-prognose-fuers-jahr-2052-ab-a-831905.html</a><br />
<br />
<br />
<br />
「<br />
<strong>　ローマ・クラブのレポート</strong><br />
<br />
　<span style="font-size:large;"><strong>研究者は暗い将来像を描く</strong></span><br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image-348782-panoV9free-cpdx.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_image-348782-panoV9free-cpdx.jpg" width="520" height="250" border="0" align="" alt="image-348782-panoV9free-cpdx.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_image-348782-panoV9free-cpdx.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<strong>『2052年』刊行の発表の席におけるヨルゲン・ランダース。一致団結すれば、より良い世界を創造できる</strong><br />
<br />
　<br />
　今後40年で世界はどのようになるか?　ローマ・クラブのために、研究者が見通しをまとめた。彼らが真っ先に警告するのは気候変動の影響――金融資本主義の破壊的な影響である。<br />
<br />
  <br />
ベルリン/ロッテルダム――干ばつや洪水や極端な天候が増加するだろう。今世紀の後半には気候変動が劇的に強まり多くの被害を引き起こすだろう。こうした結果に科学者たちが至ったのは、ローマ・クラブが委託したレポート『2052年：今後40年間のグローバル予測』においてである。「負の影響が明白になるだろう」と警告を発したのは、この報告書の著者で、ノルウェーの経済の専門家で未来学者でもあるヨルゲン・ランダース（Jørgen Randers）。<br />
<br />
<br />
<br />
　「人類は地球の資源を使い果たしてしまい、場合によっては2052年のずっと前に局所的な崩壊を体験することになるかもしれない」と、ランダースはロッテルダムで結果を公表した際にそう語った。「私たちは、森林や海が吸収することができる量の二倍もの温室効果ガスを毎年排出しているのです」。<br />
<br />
　<br />
　このレポートは、ローマ・クラブが委託したあの最初の大きな報告書の40年後に刊行されたものだが、一流の科学者や経済学者や様々な専門領域の未来学者の論文を含んでいる。すでに1972年に、研究グループは成長の限界と環境汚染を警告していたのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　<span style="font-size:large;"><strong>西側の没落</strong></span><br />
<br />
<br />
<br />
　「海面は0.5メートル高くなり、極地の氷は夏には消え去り、新たな気象が農民や観光客に影響を及ぼすだろう」とランダースは述べた。温室効果ガスの排出は2030年にようやくそのピークに達することになるという。しかしその時を待っていては、地球全体での気温上昇を2度に抑える――この2度という値は、現時点でぎりぎり受け入れられる数値なのだが――には手遅れだという。2080年までに気温は2.8度上昇するだろう――そうなると、ますます深刻化する気候変動を誘発することになるだろうというのである。<br />
<br />
<br />
　ランダースによれば、絶えず成長を追い求める経済が、気候や天然資源を害しているのだという。それに研究者によれば、成長を遂げても――環境破壊という代償を考慮に入れれば――何の利益にならないこともあるという。ローマ・クラブの事務局長のイアン·ジョンソン（Ian Johnson）は次のように述べた。「自分の孫たちが未来の公正な地球で暮らすことを私たちが望むならば、「従来通りのビジネス」は選択肢にはならない」。迅速な行動が必要だという。<br />
<br />
<br />
　2052年までには、発展途上国の貧困は減っているだろうが、先進国の貧困と不平等は増えているだろうし、いたる所で環境破壊は増えているだろう、とアルゼンチンの投資マネージャーのカルロス・ジョリー（Carlos Joly）は『2052年』のレポートに寄せた見通しの中で記している。西側の没落の原因を一言で言えば、それは「金融資本主義の勝利」なのだという。<br />
<br />
<br />
　経済の専門家であるランダースは、世界の国内総生産（GDP）は予想以上にゆっくりと上昇するだろうという結論に達した。彼によれば、2050年ごろ、世界のGDPは今日よりもわずか2.2倍に増えるにとどまるだろう。それは、人口や生産性の増加率も低下するから、というのがランダースの説明である。<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong><span style="font-size:large;">2020年代における若い世代の革命
</span></strong><br />
<br />
<br />
　多くの国の経済がその発展のポテンシャルを使い果たしてしまうだろうし、ますます多くの人間が都会に暮らしそのことが子供の数を規定することになるので、子供の出生数も低下するだろう。ランダースの計算によると、世界の人口は2040年の直後に81億人と天井に達しその後は減少に転ずるという。<br />
<br />
<br />
　尋常でない見通しを与えたのは、オーストリア人のローマ・クラブのメンバーであるカール・ワーグナー（Karl Wagner）。彼は、2020年代に革命がおこると予測するのだ。古い世代が残した環境の負荷にもはや耐えきれず、若い世代の堪忍袋の緒が切れる――封建的なシステムに対して立ち上がった1848年の革命にも匹敵するような革命がおこるというのだ。したがって、消費中心の文化は、もっと持続可能な経済に方向転換することになるだろう、とワーグナーは言う。<br />
<br />
<br />
　それに対して、ランダースはもはやタイムリーな改善がおこるとは考えてはいない。人類が十分素早く変わることはないだろう、と彼は考える。民主主義の複雑で時間のかかる意思決定のプロセスもその妨げになるだろう。しかし、絶望しても何の足しにもならない。ランダース自身も希望を捨てていないことは、彼の結論が示していることだ。「私の予測が間違いになるように、協力して下さい。一致団結すれば、私たちは、ずっと良い世界を創造することができるのです」。<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-05">
<title>アルジェントASO・・・料理を堪能する場所にあらず、かな</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-05</link>
<description>　GW期間中に、義理の両親を招待する形でアルジェントASOで会食。子供も一緒だったので、三世代での会食である。　ここは、そんな目的で利用する場所ではないと思う人もいるだろうが、義理の母親を去年三越本店にあるASOに招待したら大いに気に入ってくれたので、柳の下の二匹目のドジョウを期待したということもあるし、それに（当然ながら）個室を利用したので、周囲がカップルだらけであっても関係ないし、ASOは子供を歓迎してくれるので、まったく気兼ねする必要はない。そういう意味で、この店はけっこう使い出があると言える。　　さて、結果はと言うと・・・・けっこう微妙だったかな。料理は、フレッシュバターにせよフォアグラにせよ鴨にせよ美味いことは美味いが、そもそも選択肢があまりに限られていた。コース以外にアラカルトはあるにはあるが、ほとんどないに等しい。メニューを目にして初めて、ああ、ここはイタリアンのあれこれを堪能する場所ではないのだ、ということが判るのである。　では、この店は何を楽しむ場所なのか?　義理の母は、ケレン味ある演出に感嘆していたが、たしかに、このケレン味がこの店の身上なのだろう。　最初に出される丸みのある5種類のパンを見て、私はセザンヌの静物画のリンゴを連想した。見ているだけで快い気持ちになる。　　フレッシュ・バター三兄弟。　　デザートのアイスも類似のフォルムで供されたが、アイスは主役ではない。主役は、一見無駄に見える氷の台座と、削ってアイスにまぶす三種類の岩塩の方だ。無駄に見える脇役の方に目を奪われるので、アイスの味など二の次に思えてくる。　　三種類の岩塩。わさびの「鮫皮おろし」に似た器具で削ってアイスに振りかけるのだ。　　座布団のようなティラミス。　　義母が一番驚いていたのは、ブーケとして出てきた茶菓子。それが何なのか理解するのに少し時間を要したようだった。　　　こうした趣向は確かに楽しいのだが、危険がないわけでもない。後から振り返ってみると、メインの料理が霞んでしまう恐れがあるので、「ここは料理を堪能する場所ではない」という印象を改めて強めてしまうように作用するからだ。　それに、こうした趣向を楽しめるのは最初だけで、時を経てあらためて同じ演出を目にしたとき「まだ同じことやっているの?」と思う人もいるかもしれない。　とまぁ、いろいろなことを感じたが、楽しいひと時だったのは確かなので、ここを選んだのは、その限りで正解だっ..</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-05T23:47:39+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　GW期間中に、義理の両親を招待する形でアルジェントASOで会食。子供も一緒だったので、三世代での会食である。<br />
<br />
　ここは、そんな目的で利用する場所ではないと思う人もいるだろうが、義理の母親を去年三越本店にあるASOに招待したら大いに気に入ってくれたので、柳の下の二匹目のドジョウを期待したということもあるし、それに（当然ながら）個室を利用したので、周囲がカップルだらけであっても関係ないし、ASOは子供を歓迎してくれるので、まったく気兼ねする必要はない。そういう意味で、この店はけっこう使い出があると言える。<br />
<br />
<br />
　　さて、結果はと言うと・・・・けっこう微妙だったかな。料理は、フレッシュバターにせよフォアグラにせよ鴨にせよ美味いことは美味いが、そもそも選択肢があまりに限られていた。コース以外にアラカルトはあるにはあるが、ほとんどないに等しい。メニューを目にして初めて、ああ、ここはイタリアンのあれこれを堪能する場所ではないのだ、ということが判るのである。<br />
<br />
　では、この店は何を楽しむ場所なのか?<br />
<br />
　義理の母は、ケレン味ある演出に感嘆していたが、たしかに、このケレン味がこの店の身上なのだろう。<br />
<br />
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　最初に出される丸みのある5種類のパンを見て、私はセザンヌの静物画のリンゴを連想した。見ているだけで快い気持ちになる。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/6-1b9e4.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_6-1b9e4.jpg" width="600" height="408" border="0" align="" alt="6.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_6-1b9e4.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　<br />
　フレッシュ・バター三兄弟。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2012050319020000.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2012050319020000.jpg" width="600" height="472" border="0" align="" alt="2012050319020000.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2012050319020000.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<br />
<br />
　デザートのアイスも類似のフォルムで供されたが、アイスは主役ではない。主役は、一見無駄に見える氷の台座と、削ってアイスにまぶす三種類の岩塩の方だ。無駄に見える脇役の方に目を奪われるので、アイスの味など二の次に思えてくる。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2012050320540000.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2012050320540000.jpg" width="600" height="408" border="0" align="" alt="2012050320540000.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2012050320540000.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<br />
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　三種類の岩塩。わさびの「鮫皮おろし」に似た器具で削ってアイスに振りかけるのだ。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/5-8f778.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_5-8f778.jpg" width="600" height="408" border="0" align="" alt="5.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_5-8f778.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
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　座布団のようなティラミス。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3-7e6ca.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3-7e6ca.jpg" width="600" height="381" border="0" align="" alt="3.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3-7e6ca.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
　　義母が一番驚いていたのは、ブーケとして出てきた茶菓子。それが何なのか理解するのに少し時間を要したようだった。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2012050321140002.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2012050321140002.jpg" width="600" height="408" border="0" align="" alt="2012050321140002.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2012050321140002.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　　こうした趣向は確かに楽しいのだが、危険がないわけでもない。後から振り返ってみると、メインの料理が霞んでしまう恐れがあるので、「ここは料理を堪能する場所ではない」という印象を改めて強めてしまうように作用するからだ。<br />
<br />
　それに、こうした趣向を楽しめるのは最初だけで、時を経てあらためて同じ演出を目にしたとき「まだ同じことやっているの?」と思う人もいるかもしれない。<br />
<br />
<br />
　とまぁ、いろいろなことを感じたが、楽しいひと時だったのは確かなので、ここを選んだのは、その限りで正解だったかもしれない。<br />
<br />
　　再訪はあるだろうか?　新たな趣向が始まったようだと聞きつけたら、再訪する気持ちが湧いてくるかもしれない。<br />
<br />
<br />
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<div><strong><a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13016560/" rel="tabelog b521b5f2d7b650bcaa3ac55e684dca914fc9f05b" target="_blank">アルジェントASO</a></strong><br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-03">
<title>ムンクの最後の叫び</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-03</link>
<description> 　 絵画の本質からすればどうでもいいことだが、オークション史上最高の落札額を更新するかどうかが注目されているムンクの『叫び』を話題にした記事を、ドイツの『シュピーゲル』誌から。　落札者の候補に日本人が挙がっているのが少し意外に感じられる（まあ、どうでもいいことだが）。　Munchs letzter SchreiVon Marc Pitzke, New Yorkhttp://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,830850,00.html「　ニューヨークで行われる注目のオークションムンクの最後の叫び　エドヴァルド・ムンクの『叫び』は、絵画泥棒やホラー映画の監督や古物商たちの心を誘惑してきた作品だ。今、サザビーズが4つのバージョンの内の一つを競売にかけ、オークション史上最高額の落札を望んでいるが、2億ドルまでは可能だろうと見られている。購入を考えている大富豪ならば、試しに自分の居間に絵を飾っておきたいと思うにちがいない。  　エドヴァルド・ムンクは幸福な人間ではなかった。病弱で抑うつ気味、アルコール依存で相次ぐ不幸に見舞われたこのノルウェーの画家は、自分の芸術の中に身を閉ざしてしまった。しかし、自分の内面の苦しみからは、逃れることができなかったのだ。　1892年頃、オスロ市街を散歩していた時のこと。「突然、空が血のように赤くなり、少し重苦しい気分になった」とムンクは日記に書いている。「まるで、いつまでも終わることのない鋭い叫びがあらゆるものを貫いていくかのように聞こえ、不安のために震えながら私は一人で立っていた」。　彼はすぐに、その瞬間を画に描いた。『叫び』はムンクの最も有名な作品になっただけではない。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んで、世界で最も有名な絵画になったのだ。ムンクは何年もかけてほぼ同一のバージョンを４点描いたが、その内の2点は油絵で、もう2点はパステル画だった。その中の３点はノルウェーの博物館で展示されている。1点だけが個人の所有だった。　こうした状況が水曜日に変わるかもしれない。1895年のパステル画がニューヨークのサザビーズで競売にかけられるからだ。伝説を作るのが好きなこの競売会社はこの絵の値段を少なくとも8000万ドルはあると見込んでいるが、1億5000万ドルから2億ドルは行くだろうと見るブックメーカーもいる。もしその値段で落札されれ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-03T04:16:50+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
 　 絵画の本質からすればどうでもいいことだが、オークション史上最高の落札額を更新するかどうかが注目されているムンクの『叫び』を話題にした記事を、ドイツの『シュピーゲル』誌から。<br />
<br />
　落札者の候補に日本人が挙がっているのが少し意外に感じられる（まあ、どうでもいいことだが）。<br />
<br />
　<br />
<br />
Munchs letzter Schrei<br />
<br />
Von Marc Pitzke, New York<br />
<br />
<a href="http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,830850,00.html" target="_blank">http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,830850,00.html</a><br />
<br />
<br />
「<br />
<strong>　ニューヨークで行われる注目のオークション</strong><br />
<br />
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<span style="font-size:large;"><strong>ムンクの最後の叫び</strong></span><br />
<br />
　<strong>エドヴァルド・ムンクの『叫び』は、絵画泥棒やホラー映画の監督や古物商たちの心を誘惑してきた作品だ。今、サザビーズが4つのバージョンの内の一つを競売にかけ、オークション史上最高額の落札を望んでいるが、2億ドルまでは可能だろうと見られている。購入を考えている大富豪ならば、試しに自分の居間に絵を飾っておきたいと思うにちがいない。</strong><br />
<br />
  <br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image-346333-galleryV9-dryt.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_image-346333-galleryV9-dryt.jpg" width="471" height="600" border="0" align="" alt="image-346333-galleryV9-dryt.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_image-346333-galleryV9-dryt.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
　エドヴァルド・ムンクは幸福な人間ではなかった。病弱で抑うつ気味、アルコール依存で相次ぐ不幸に見舞われたこのノルウェーの画家は、自分の芸術の中に身を閉ざしてしまった。しかし、自分の内面の苦しみからは、逃れることができなかったのだ。<br />
<br />
<br />
　1892年頃、オスロ市街を散歩していた時のこと。「突然、空が血のように赤くなり、少し重苦しい気分になった」とムンクは日記に書いている。「まるで、いつまでも終わることのない鋭い叫びがあらゆるものを貫いていくかのように聞こえ、不安のために震えながら私は一人で立っていた」。<br />
<br />
<br />
　彼はすぐに、その瞬間を画に描いた。『叫び』はムンクの最も有名な作品になっただけではない。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』と並んで、世界で最も有名な絵画になったのだ。ムンクは何年もかけてほぼ同一のバージョンを４点描いたが、その内の2点は油絵で、もう2点はパステル画だった。その中の３点はノルウェーの博物館で展示されている。1点だけが個人の所有だった。<br />
<br />
<br />
<br />
　こうした状況が水曜日に変わるかもしれない。1895年のパステル画がニューヨークのサザビーズで競売にかけられるからだ。伝説を作るのが好きなこの競売会社はこの絵の値段を少なくとも8000万ドルはあると見込んでいるが、1億5000万ドルから2億ドルは行くだろうと見るブックメーカーもいる。もしその値段で落札されれば、『叫び』は、2年前に（やはりサザビーズで）1億650万ドルで落札されたパブロ・ピカソの『ヌード、観葉植物と胸像』が今保持している史上最高額の絵画としてのオークション世界記録を破ることになるだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
　<strong><span style="font-size:large;">ザ・シンプソンズと『叫び』</span></strong><br />
<br />
<br />
<br />
　『叫び』がオークションにかけられることが象徴的に示しているように、美術市場は不況から回復しつつある。ニューヨークのすべての競売会社――サザビーズ、クリスティーズ、フィリップス――は、ここ数週間のうちに歴史的なオークション――ピカソ、アンディー・ウォーホール、ポール・セザンヌ、サルバドール・ダリ、ロイ・リキテンスタインなどの作品――を予定している。それらを合計して、数億ドルと引き換えに、芸術作品がその所有者を換えることになるのである。<br />
<br />
<br />
　『叫び』は確かに独特のカテゴリ―の作品だ。『フィナンシャル・タイムズ』紙によって「全宇宙に広がる悲観論」のシンボルと呼ばれる一方で、ポスターとしてであれ、Ｔシャツとしてであれ、マグカップや漫画や本の表紙や宣伝のロゴとしてであれ、この絵ほど商業的に利用されたものはない。ウォーホールは自分の作品にとりこんだし、ホラー監督のウェス・クレイヴンは 『スクリーム』のために利用したし、テレビアニメの「ザ・シンプソンズ」はそのそっくりさんを登場させた。ムンク自身が複製を作ったことから商業化は始まっていたのだが、それが今サザビーズでとりあえずピークを迎えるわけである。<br />
<br />
<br />
　この暗い絵は犯罪者たちをも絶えず魅了し続けてきた。1994年、リレハンメル冬季オリンピックの開会式の日に、4人組の男たちがオスロの国立美術館から1893年のバージョンを盗んだ。彼らは、いい加減な警備に感謝する旨のメモを残して行ったが、3ヶ月後に逮捕された――『叫び』とともに。10年後、1910年のバージョンがオスロのムンク美術館から消え去った。それは長い間行方不明だったが、2006年に発見されはしたものの、湿気のおかげで部分的に損傷していた。<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
<span style="font-size:large;"><strong>　ソファに似合うか?</strong></span><br />
<br />
<br />
<br />
　現在、サザビーズに出張している『叫び』にはそれほど刺激的な物語りはない。ムンクは、縦79センチ横59センチのこの大きなパステル画を、おそらくブラウンシュバイクのコーヒー商アーサー・フォン・フランケットの依頼で描いたのだろう。それは後に、エドヴァルド・ムンクの同時代人であり、隣人であり、友人にしてパトロンでもあったノルウェーの船主トーマス・オルセンの所有物となった。<br />
<br />
<br />
　オルセンは第二次世界大戦中その絵を納屋にしまってナチスから隠していたが、戦後は居間に飾っていた。彼の息子のペーター・オルセンが激しい財産争いの末にそれを手に入れたが、彼は今回のオークションの収益によって、ムンクの故郷であるヘードマルク県に美術館を建設する予定だという。<br />
<br />
　価格を押し上げるために、サザビーズは『叫び』を事前に世界各地で展示させた。これだけでもセンセーショナルな出来事だった。90年代の始めにワシントンで短期間展示されたことを除けば、今回オークションにかけられる画はアメリカでもイギリスでも展示されたことはなかったからである。<br />
<br />
　<br />
　『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の情報によれば、アジアやヨーロッパやアメリカのトップクラスの顧客たちは、かなり手ごわいモチーフをもつこの画が他の収集品と調和するかどうかを確かめるために、『叫び』を自室でじっくり眺めてみたいと思っているはずだという。サザビーズはたった48時間の展示のためにこの画を空路香港まで運んだのであった。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<strong><span style="font-size:large;">イブニング・オークションの大トリ</span></strong><br />
<br />
　<br />
　<br />
　サザビーズはロンドンで『叫び』を4月に一般公開した。7500人以上の愛好家がやって来た。応募者が殺到したために、ニューヨークでのプレビューは安全上の理由からキャンセルされてしまった。代わりにサザビーズは、常連客をアッパー・イースト・サイドの本社ビル10階のうす暗いホールに招待したのだった。<br />
<br />
<br />
　何年にもわたってサザビーズは、ムンクをオークションに出品することに対する関心を用意周到に煽ってきた。最もコピーされてきた画の一つであるムンクの『吸血鬼』は、2008年に、70年ぶりに陽の目を浴び、ムンクの作品としてはそれまでで最高額の3800万ドルで落札された。<br />
<br />
<br />
　このオークションに参加する者と見なされているのは、ヨーロッパやアジア（特に日本）の大富豪、中東の王族、ロシアの新興財閥などである。真の芸術愛好家にとっては高すぎるものなどないのだ。大富豪の未亡人であるリリー・サフラ（Lily Safra）は、2年前、アルベルト・ジャコメッティの細長い銅像『歩く男Ⅰ』に1億43万ドルの値段を提示した。<br />
<br />
<br />
　サザビーズは、ピカソ、ダリ、ポール・ゴーギャン、ホアン・ミロ、アンリ・マティス、ルネ・マグリット、クロード・モネ、オーギュスト・ロダンなどの巨匠を対象にしたイブニング・オークションの大トリに『叫び』をもってくる演出をするようだ。ピカソの「肘かけ椅子に座る女性」1点だけで少なくとも3000万ドルで落札されるだろうという。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/image-346330-galleryV9-rliv.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_image-346330-galleryV9-rliv.jpg" width="470" height="600" border="0" align="" alt="image-346330-galleryV9-rliv.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_image-346330-galleryV9-rliv.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
(<strong>ピカソの「肘かけ椅子に座る女性」</strong>)<br />
<br />
<br />
<br />
　<span style="font-size:large;"><strong>前座だけでも</strong></span><br />
<br />
<br />
<br />
　来週、サザビーズやクリスティーズやフィリップスには、現代芸術の作品がオークションにかけられることになっている。リキテンスタイン、ウォーホール、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、ヴィレム・デ・クーニング、フランシス・ベーコン、ゲルハルト・リヒター、シンディ・シャーマンなどである。やはり、（期待される）収益は、すでに数千万ドルにのぼるだろうと見込まれている。<br />
<br />
<br />
　しかし、なぜこれほど突然に多くの作品がオークションに集中するのであろうか?　作品の多くは、最近亡くなったコレクターの遺産に由来する。あるいは、売りたくなったか現金化しなければならなくなった匿名の売り手が売却した作品もある。さらには金融危機で売れ残って、再度売れる機会をうかがう作品もある。芸術市場はさらに弾みがつくことを望んでいるのだ。2011年は良い年だった。サザビーズとクリスティーズは、大きなオークションを開催して、芸術作品を1年間で17億ドルで売却した――が、これは2010年に比べて5億ドル以上も大きい額である。<br />
<br />
<br />
　火曜日にクリスティーズ主催の今年初の春の大オークションが前座の興行を行った。最高値をつけたのは、ムンクの気分が重くなる画よりも軽い題材の2つの作品だった。つまり、セザンヌの長い間行方不明だった水彩画の習作『トランプをする人々』とマチスの油絵『シャクヤク』がそれぞれ1910万ドルで落札されたのだ。オークションの総売り上げは1億7100万ドルにものぼったのだ。ムンクの『叫び』は、この世の不幸を凝縮したような作品であるにもかかわらず、今やそれ以上の喜びを提供することになるかもしれないのである。<br />
<br />
<br />
　」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-01">
<title>松島の遊覧船でウミネコと遊ぶ</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-05-01</link>
<description>　東北の復興の一助になりたいという思いは人一倍あるものの、ボランティアをするほどの根性はなく、被災地ツアーに参加するほどの余裕もないわが家は、この連休を利用して普通の旅行として松島にまで足を運ぶことにした。　散財が復興の一助になるだろうという思いから、ささやかながらも奮発してよく食べ、よく飲み、よく買い物をした。普段の旅行では民芸店に入ることなどないのに、松島の民芸店でお土産の買い物をしたりした。　タクシーの運転手にせよ、宿の従業員の方にせよ、もう何百回同じ説明をしたか判らないだろうが、あの震災の模様を詳しく説明してくれた。とても感情のこもった説明だった。気のせいか、誰もが親切に見えた。　そんな中で一番印象に残ったのが松島の遊覧船だった。　松島は、10年以上前に夫婦で一度来たことがある。結婚してまだ日が浅い頃だった。瑞巌寺を参拝し松島湾の周遊を楽しんだが、「一度来れば十分だな」というのが正直な感想だった。まぁ、名所なんて大抵そんなものである。しかし、夫婦二人きりと、そこに子供が一人加わるのでは、やはり印象ががらりと違ってくるのだ。　遊覧船には松島に着いた日に一度乗り、翌日塩釜に移動するときにまた利用した。二度乗る必然性などなかったのだが、子供が遊覧船をいたく気に入ってしまったのだ。いや、正確に言うと、遊覧船と言うよりも、ウミネコに餌をあげることに、すっかりハマってしまったのだ。　はじめは、餌の「えびせん」をつまんだ指を高く掲げて食べさせていたのだが、たまに指を噛まれるらしい。ウミネコのくちばしは鋭く、噛まれるとけっこう痛い。　↓　ウミネコはわりと獰猛そうな顔をしている。　　一日目に痛い思いをしたのを受けて、二日目の周遊でタイミングを計ってウミネコにえびせんを投げつけるコツを覚えてから、彼はまるで取りつかれたように、ウミネコに餌をあげ続けることに没頭したのだった。そして、そんな熱意と元気に応えるかのように、ウミネコたちも塩釜に到着する直前までついてきたのだった。　↓えびせんをナイスキャッチしたウミネコ。いつまでもどこまでも追いかけてきた。　　　塩釜の街が見えるようになった頃、鯉のぼりが沢山たなびいているのが目に入った。そうか、すっかり忘れていたが、端午の節句か。わが家においても、この地においても、どこでも、子供たちが元気に育つことが皆の希望だ。そんなありふれた光景をこの地で見ることができて安堵するとともに、何か励ま..</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-05-01T12:46:20+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　東北の復興の一助になりたいという思いは人一倍あるものの、ボランティアをするほどの根性はなく、被災地ツアーに参加するほどの余裕もないわが家は、この連休を利用して普通の旅行として松島にまで足を運ぶことにした。<br />
<br />
　散財が復興の一助になるだろうという思いから、ささやかながらも奮発してよく食べ、よく飲み、よく買い物をした。普段の旅行では民芸店に入ることなどないのに、松島の民芸店でお土産の買い物をしたりした。<br />
<br />
　タクシーの運転手にせよ、宿の従業員の方にせよ、もう何百回同じ説明をしたか判らないだろうが、あの震災の模様を詳しく説明してくれた。とても感情のこもった説明だった。気のせいか、誰もが親切に見えた。<br />
<br />
<br />
<br />
　そんな中で一番印象に残ったのが松島の遊覧船だった。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/037.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_037.JPG" width="600" height="375" border="0" align="" alt="037.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_037.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
　松島は、10年以上前に夫婦で一度来たことがある。結婚してまだ日が浅い頃だった。瑞巌寺を参拝し松島湾の周遊を楽しんだが、「一度来れば十分だな」というのが正直な感想だった。まぁ、名所なんて大抵そんなものである。しかし、夫婦二人きりと、そこに子供が一人加わるのでは、やはり印象ががらりと違ってくるのだ。<br />
<br />
<br />
　遊覧船には松島に着いた日に一度乗り、翌日塩釜に移動するときにまた利用した。二度乗る必然性などなかったのだが、子供が遊覧船をいたく気に入ってしまったのだ。いや、正確に言うと、遊覧船と言うよりも、ウミネコに餌をあげることに、すっかりハマってしまったのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/048.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_048.jpg" width="600" height="398" border="0" align="" alt="048.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_048.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/069.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_069.JPG" width="600" height="363" border="0" align="" alt="069.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_069.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/064.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_064.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="064.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_064.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　はじめは、餌の「えびせん」をつまんだ指を高く掲げて食べさせていたのだが、たまに指を噛まれるらしい。ウミネコのくちばしは鋭く、噛まれるとけっこう痛い。　<br />
<br />
<br />
<strong>↓　ウミネコはわりと獰猛そうな顔をしている。
</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/053.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_053.JPG" width="600" height="411" border="0" align="" alt="053.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_053.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　<br />
　一日目に痛い思いをしたのを受けて、二日目の周遊でタイミングを計ってウミネコにえびせんを投げつけるコツを覚えてから、彼はまるで取りつかれたように、ウミネコに餌をあげ続けることに没頭したのだった。そして、そんな熱意と元気に応えるかのように、ウミネコたちも塩釜に到着する直前までついてきたのだった。<br />
<br />
<br />
<br />
<strong>　↓えびせんをナイスキャッチしたウミネコ。いつまでもどこまでも追いかけてきた。</strong><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/282.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_282.JPG" width="600" height="420" border="0" align="" alt="282.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_282.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/256.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_256.JPG" width="600" height="366" border="0" align="" alt="256.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_256.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/257.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_257.JPG" width="600" height="315" border="0" align="" alt="257.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_257.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/276.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_276.jpg" width="600" height="380" border="0" align="" alt="276.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_276.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　塩釜の街が見えるようになった頃、鯉のぼりが沢山たなびいているのが目に入った。そうか、すっかり忘れていたが、端午の節句か。わが家においても、この地においても、どこでも、子供たちが元気に育つことが皆の希望だ。そんなありふれた光景をこの地で見ることができて安堵するとともに、何か励まされるような思いを抱いたのであった。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/284.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_284.jpg" width="600" height="419" border="0" align="" alt="284.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_284.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<br />
<br />
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<br />
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]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25">
<title>精神異常の疑いをつっぱねるブレイビク被告</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-25</link>
<description>　ウトヤ島で乱射事件をおこしたアンネシュ・ブレイビクの裁判がしばらく前から始まっていて、ヨーロッパではとりわけ注目度が高い。イギリス『ガーディアン』紙の記事を紹介する。　裁判では、当然ながら、被告の精神状態の判断が焦点の一つとなるが、ブレイビク自身は、自分を異常者にしようとする気持ちはさらさらないようだ。正常・異常は問題ではなく、右翼的・国家主義的イデオロギーを前面に押し出そうとする構えのようだ。　別に、この犯罪人を称賛するわけではないが、かつてこの国で大量殺人を主導しておきながら、（意識的かどうかはともかく）自分を精神の異常へと追いやって責任を逃れようとしたオウム真理教の教祖と比較すると、何という違いかと思わないわけでもない。まあ、こういう点は、あまり強調したくはないのだが。　Anders Behring Breivik says questions over sanity part of plot to discredit himLuke Harding and agencies in Osloguardian.co.uk, Monday 23 April 2012 19.12 BSThttp://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/23/anders-behring-breivik-sanity　「　　アンネシュ・ベーリング・ブレイビク、正常かどうかに関する疑念は自分を貶める陰謀の一部だと述べる　殺人者は精神病院送りになるのを避けるためには何でもすると法廷で述べ、銃撃のくわしい模様をあらためて語った　　ウトヤ島での銃乱射事件は残忍な行為だったが必要でもあったと語るアンネシュ・ベーリング・ブレイビク　アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは 月曜日に、自分は触法精神障害者（criminally insane）ではないので、安全な精神病院に移送されるのを避けるためには何でもするつもりだと語った。　ブレイビクは、ノルウェーのウトヤ島での作戦と彼が呼ぶものの中で77人もの人間を殺したことを認め、十代の犠牲者に忍び寄って冷静に処刑した様子を描写しながら、銃乱射の時の模様をあらためて詳しく語った。　「5メートルから10メートル以内ならば、グロック社の銃を使うだろう。それより離れていれば、ライフルを使うだろう」と彼は述べた。「あれほど残忍な経験をしたことはかつて一度もなかった。私が狩猟していた..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-25T00:32:08+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ウトヤ島で乱射事件をおこしたアンネシュ・ブレイビクの裁判がしばらく前から始まっていて、ヨーロッパではとりわけ注目度が高い。イギリス『ガーディアン』紙の記事を紹介する。<br />
<br />
<br />
　裁判では、当然ながら、被告の精神状態の判断が焦点の一つとなるが、ブレイビク自身は、自分を異常者にしようとする気持ちはさらさらないようだ。正常・異常は問題ではなく、右翼的・国家主義的イデオロギーを前面に押し出そうとする構えのようだ。<br />
<br />
　別に、この犯罪人を称賛するわけではないが、かつてこの国で大量殺人を主導しておきながら、（意識的かどうかはともかく）自分を精神の異常へと追いやって責任を逃れようとしたオウム真理教の教祖と比較すると、何という違いかと思わないわけでもない。まあ、こういう点は、あまり強調したくはないのだが。<br />
<br />
<br />
　<br />
<br />
Anders Behring Breivik says questions over sanity part of plot to discredit him<br />
<br />
Luke Harding and agencies in Oslo<br />
guardian.co.uk, Monday 23 April 2012 19.12 BST<br />
<br />
<br />
<a href="http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/23/anders-behring-breivik-sanity" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/world/2012/apr/23/anders-behring-breivik-sanity</a><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　「　<span style="font-size:large;"><strong>　アンネシュ・ベーリング・ブレイビク、正常かどうかに関する疑念は自分を貶める陰謀の一部だと述べる</strong></span><br />
<br />
<br />
<strong>　殺人者は精神病院送りになるのを避けるためには何でもすると法廷で述べ、銃撃のくわしい模様をあらためて語った</strong><br />
<br />
<br />
　<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Anders-Behring-Breivik-008.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Anders-Behring-Breivik-008.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Anders-Behring-Breivik-008.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Anders-Behring-Breivik-008.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　<strong>ウトヤ島での銃乱射事件は残忍な行為だったが必要でもあったと語るアンネシュ・ベーリング・ブレイビク</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　アンネシュ・ベーリング・ブレイビクは 月曜日に、自分は触法精神障害者（criminally insane）ではないので、安全な精神病院に移送されるのを避けるためには何でもするつもりだと語った。<br />
<br />
<br />
<br />
　ブレイビクは、ノルウェーのウトヤ島での作戦と彼が呼ぶものの中で77人もの人間を殺したことを認め、十代の犠牲者に忍び寄って冷静に処刑した様子を描写しながら、銃乱射の時の模様をあらためて詳しく語った。<br />
<br />
<br />
<br />
　「5メートルから10メートル以内ならば、グロック社の銃を使うだろう。それより離れていれば、ライフルを使うだろう」と彼は述べた。「あれほど残忍な経験をしたことはかつて一度もなかった。私が狩猟していた人間にとっては、さらにずっと恐ろしいことだっただろう」。しかし、それは必要なことだったのだ、と彼は述べた。<br />
<br />
<br />
　ブレイビクは、乱射の途中で自首するために警察に電話したと述べたが、警察から折り返しの電話はなかった。それから彼は「自分が死ぬまで」撃ち続けようと決心した、と彼は法廷で語った。<br />
<br />
<br />
　この33歳の青年は、彼の精神状態についての疑念は、彼の「好戦的な国家主義」的イデオロギーを貶める策略の一部である、と主張した。ブレイビクによれば、自分はダブル・スタンダードの犠牲者であり、もし自分が「聖戦を主張するひげ面のイスラム教徒」ならば精神鑑定にかけられることはなかっただろう、と述べた。「私が支持するものは何でも不当なものにされてしまう」と彼は不平をもらした。<br />
<br />
<br />
　ついで彼は事件の核心に言及する。つまり、ブレイビクは触法精神障害者なのか?それとも自分の行動に対して責任があるのか?　ということが問題になった。彼は、ウトヤ島で彼が殺した人々は「罪のない、政治に関心のない子供」だったわけではなく、「多文化社会の価値観を積極的に擁護するために努力していた若者」だったので、そうである以上、「正当な射殺対象」だったと述べて、襲撃に対する反省の言葉は一言も述べなかった。<br />
<br />
　<br />
<br />
　彼の精神状態の問題については、二種類の精神鑑定が正反対の結論を下した。法廷の陳述で、ノルウェーの法医学の委員は、ブレイビクを正常とした二人の精神科医の報告書が不完全だと述べて、その精神科医に追加の情報を提出するように求めた。<br />
<br />
<br />
<br />
　ブレイビク自身は、自分は正常だと言い、検察当局者が自分を異常者に仕立てようとしているといって非難した。「結局、精神病院送りになる恐れがあることは知っているが、それを避けるためにできることは何でもするつもりだ」と彼は述べた。<br />
<br />
<br />
　法廷であの乱射事件の生存者や亡くなった人の親族に注視されるなかで、ブレイビクは、自分を憐れむという驚くべき態度をとった。彼によれば、ノルウェーの与党労働党の毎年恒例のサマー・キャンプで行われたあの殺人の後で、彼は「自分の家族全員、友人を失った」というのだ。自分も「すべてを失った」のだから、犠牲者の家族の死別の悲しみは「ある程度理解」できると彼は述べた。「私の場合は選択の結果だったことが唯一の違いだが」と彼は言った。<br />
<br />
<br />
　それに先立ち、検察は、彼が事件をおこす前にネットに公開した1500ページに及ぶとりとめのないマニフェストの各章についてブレイビクに質問をした。そのマニフェストには、彼がその一員であると主張している「テンプル騎士団」という武装集団の制服、勲章、挨拶、行動規範が記されている。検察によれば、そのような団体は存在していないという。<br />
<br />
<br />
　スヴェン・ホールデン検察官によって読み上げられたある章で、ブレイビクは、将来、騎士になりうる者の忠誠心は、その者たちに外科手術による四肢の切断や去勢を受けるように求めることで、試されるだろうという考えを述べていた。弁明に立ったブレイビクは、それはロー・ブロー（ボクシングの反則の一つ・・・訳者註）だといって検察官を非難し、その文言が文脈から切り離されていると述べた。<br />
<br />
　<br />
　彼は「民間人」を殺すことは自分の意図ではなかったと言って、オスロの政府庁舎での爆発で亡くなった8人のうちの１人であるパブの所有者の家族には申し訳なかったと謝罪した。ウトヤ島で殺され69人の家族に謝罪するつもりがあるかどうかを尋ねられて、彼はこう言った。「いや、謝罪しない・・・それは、私には、多文化社会を擁護する政治活動をしている人間が皆モンスターに見えるから、私たち国民や、私たちの民族や、私たちの文化や国家を根絶しようと望んでいる邪悪なモンスターに見えるからだ」。<br />
<br />
<br />
<br />
　被害者家族と生存者を支援しているグループのリーダをつとめるジョン・ヘストネス（Jon Hestnes）は、AP通信に対して、ブレイビクの弁明を聞くことは「身の毛もよだつ」ような体験だと語った。「あんな弁明は、あの男のおかげで亡くなった76人に対する侮辱です」とヘストネスは言った。<br />
<br />
<br />
　銃の乱射から生き延びた一人の男性をなぜ撃ち殺さなかったのかと尋ねられたとき、ブレイビクは、その男性の外見からその男が「右翼的に」見えたから、と述べた。「その男性を見たとき、自分自身のように見えた」とブレイビクは言った。「それがその男性に向けて発射しなかった理由だったと思う」。<br />
<br />
<br />
　もし精神異常ではないと判断された場合、ブレイビクは21年の刑に服することになるが、もし社会に対して危険であると判断された場合は、服役期間が延長されることもありうる。もし精神科医による治療を宣告された場合、もはや精神病者とも危険であるとも判断されることがなくなれば、理論上、彼は釈放されることになるだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-21">
<title>運動がより良い脳をもたらすのはどうしてか</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-21</link>
<description>　運動がより良い知力（brainpower）をもたらす、という研究が相次いで発表されているという。そのことを伝えた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を紹介する。　ここで言う「知力」とは海馬の大きさで計られ、認知テストの結果に反映する能力のこと。運動が、海馬の収縮を遅らせたり、場合によっては増大させることもあるという意味で、運動は知力を高めるのだという。そういう限定的な意味なので、こういう研究結果を直ちにIQの向上などに結びつけて考えてはいけない（が、こういうことを商売のネタにする人がきっと出てくるだろうと思うが）。　こういう研究結果は、まあ、実感としても判る。運動によって脳の隅々にまで血流が行きわたるあの感覚からして、運動が脳の機能にとって悪いはずがないことは誰もが薄々知っていることだろう。もっとも、そうは承知していても、いざ体を動かそうとすると体が言うことを聞かなかったりする人が多いのだろうが・・・脳トレのゲームなどをするよりは、少し散歩をする方がずっと脳のためになることは肝に銘じておきたいものだ。　　How Exercise Could Lead to a Better BrainBy GRETCHEN REYNOLDSPublished: April 18, 2012http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/how-exercise-could-lead-to-a-better-brain.html　「　　運動がより良い脳をもたらすのはどうしてか　頭をよくする探求についての記事(http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/can-you-make-yourself-smarter.html)でダン・ハーリーが書いているように、メンタル・トレーニングのゲームにどれほどの価値があるかは、まだ憶測の域にとどまっているが、簡単に実行できて科学的に実証された頭をよくする方法が別にあるのだ。それは、散歩や水泳をしに出かけることだ。10年以上にわたり、神経科学者や生理学者は、運動と知力との有益な関係の証拠を収集してきた。しかし、最新の知見は、それが数多くある関係の内の一つにとどまらないことを明らかにした。知力に恩恵をもたらすものがあるとすれば、それは運動をおいて他にはない、というのである。最新のテクノロジーを使って個々のニューロンの働き..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-21T23:06:07+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　運動がより良い知力（brainpower）をもたらす、という研究が相次いで発表されているという。そのことを伝えた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を紹介する。<br />
<br />
<br />
　ここで言う「知力」とは海馬の大きさで計られ、認知テストの結果に反映する能力のこと。運動が、海馬の収縮を遅らせたり、場合によっては増大させることもあるという意味で、運動は知力を高めるのだという。そういう限定的な意味なので、こういう研究結果を直ちにIQの向上などに結びつけて考えてはいけない（が、こういうことを商売のネタにする人がきっと出てくるだろうと思うが）。<br />
<br />
　こういう研究結果は、まあ、実感としても判る。運動によって脳の隅々にまで血流が行きわたるあの感覚からして、運動が脳の機能にとって悪いはずがないことは誰もが薄々知っていることだろう。もっとも、そうは承知していても、いざ体を動かそうとすると体が言うことを聞かなかったりする人が多いのだろうが・・・脳トレのゲームなどをするよりは、少し散歩をする方がずっと脳のためになることは肝に銘じておきたいものだ。<br />
<br />
　<br />
　<br />
<br />
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How Exercise Could Lead to a Better Brain<br />
<br />
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By GRETCHEN REYNOLDS<br />
Published: April 18, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/how-exercise-could-lead-to-a-better-brain.html" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/how-exercise-could-lead-to-a-better-brain.html</a><br />
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　「　　<span style="font-size:large;"><strong>運動がより良い脳をもたらすのはどうしてか
</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1-db632.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1-db632.jpg" width="600" height="600" border="0" align="" alt="1.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1-db632.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
<br />
　頭をよくする探求についての記事(<a href="http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/can-you-make-yourself-smarter.html)" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/04/22/magazine/can-you-make-yourself-smarter.html)</a>でダン・ハーリーが書いているように、メンタル・トレーニングのゲームにどれほどの価値があるかは、まだ憶測の域にとどまっているが、簡単に実行できて科学的に実証された頭をよくする方法が別にあるのだ。それは、散歩や水泳をしに出かけることだ。10年以上にわたり、神経科学者や生理学者は、運動と知力との有益な関係の証拠を収集してきた。しかし、最新の知見は、それが数多くある関係の内の一つにとどまらないことを明らかにした。知力に恩恵をもたらすものがあるとすれば、それは運動をおいて他にはない、というのである。最新のテクノロジーを使って個々のニューロンの働き――と脳の物質の構成――を調べたところ、科学者は、ここ数ヶ月の間だけでも、運動が、物理的な収縮に抵抗し認知的な柔軟性を高める脳を構築しているらしいことを発見した。最新の神経科学が示唆するところによると、運動は、思考すること以上に、思考能力を高める働きをするというのである。<br />
<br />
<br />
　最も説得力のある証拠は、多忙で刺激的なケージの中で暮らす実験動物に関するいくつかの新しい研究に由来する。いわゆる「豊かな」環境――おもちゃや、面白くて新奇な作業がいっぱいある住み家――が実験動物の知力の向上につながることは以前から知られていた。マウスやラットは一般的に走ることを好むので、大抵の場合、環境を豊かにするものの中には回転かご（running wheel）が含まれる。新しいおもちゃで遊んだり、心拍数を増加させない他の方法でマウスやラットの関心をひくことに比べて、走ることがどれほどの効果をもつかを明らかにする研究は、最近までほとんど行われてこなかった。<br />
<br />
　そこで、昨年、イリノイ大学の先端科学技術ベックマン研究所の心理学教授であるジャスティン・S.ローズ（Justin S. Rhodes）をリーダーとする研究者のチームが、4つのグループのマウスを集め、それらを別々の生活環境に分けた。あるグループは感覚を刺激するものや美味しい食べ物がたくさんある世界に暮らすようにした。ナッツやフルーツやチーズを餌として出し、食べ物は、時としてシナモンの風味をつけたり、さまざまな味のついた水で洗った上で提供した。彼らの「ベッド」は、ケージの一角を占めているカラフルなプラスチック製のイグルー（igloo:かまくらのような形の家）だった。蛍光色のボール、プラスチック製のトンネル、かじることのできるブロック、鏡、シーソーなどがケージの他のスペースに置かれた。第二グループは、これらの楽しいものに加えて、彼らのケージの中には、小さな円盤形の回転かごがあった。第三グループのケージには楽しいものは何もなく、ありきたりで冴えない食事が与えられた。第四グループの家には回転かごはあったが、他におもちゃや豪華な食事は与えられなかった。<br />
<br />
<br />
　すべてのマウスには、研究の開始時に一連の認知テストを受けさせておき、科学者が脳の構造の変化を跡づけることができる物質を注射した。その後、マウスたちは、数ヶ月間、走ったり遊んだり、あるいは環境が豊かでない場合には、ケージの中でだらだらしたのだった。<br />
<br />
<br />
　その後、ローズのチームは、マウスに同じ認知テストを受けさせ、その脳組織を調べた。その結果、おもちゃやおいしい食べ物は、それがいかに刺激的であっても、動物の脳を改善しないことが判明した。<br />
<br />
<br />
　「重要だったのはたった一つのことでした」とローズは言った。「それは、回転かごがあったかどうかだったのです」。ケージの中を「豊かにするもの」があろうとなかろうと、運動したマウスの方が、運動しなかったマウスよりも健康な脳を持ち、認知テストでの成績も良かったのである。走り回らなかったマウスは、その世界がその他の点でどれほど豊かであっても、知力を向上させることはなかった。ローズが言うように「マウスはおもちゃが大好き」で、ケージの何もない静かな一角にはめったに近づこうとしなかった。しかし、おもちゃと遊んでも、運動をしなければ、マウスの頭は良くならなかったのだ。<br />
<br />
<br />
　なぜ運動は、思考することには及びもつかないような仕方で、知力を向上させるのか?　脳は、すべての筋肉や臓器と同様の組織であり、その機能は、活用されなければ年とともに低下する。私たちのほとんどは、記憶やある種の学習に関連する脳のキーとなる部分である海馬の容量の約1％を毎年失っていくのだが、このプロセスは20代の終わりにもう始まっているのである。<br />
<br />
<br />
　しかし、運動は、筋肉に関してとまったく同様に、脳の物理的な衰退を遅くしたり逆転したり出来るようなのだ。最近まで科学者は、人間の脳細胞は生まれつき一定数であって、それ以上に増えることはないと考えてきたのだが、今では違う考え方をするようになった。1990年代に、新生児に対する細胞マーカー技術を用いて、成人の脳にはかなりの数の新しいニューロンがあることを、研究者たちは解剖によって突き止めた。新鮮な細胞が特に支配的だったのは海馬だったが、このことは、ニューロン新生（neurongenesis）――つまり、新たな脳細胞の創造――が主に海馬で行われていることを示していた。それよりもずっと刺激的だったのは、運動がニューロン新生を活性化することを研究者が発見したことだった。数週間走り回ったマウスやラットは、じっとしていたマウスやラットに比べて、通常の約2倍も多くの新しいニューロンを海馬に持っていたのだった。その脳は、他の筋肉と同じく、増大していたのである。<br />
<br />
<br />
　しかし、最も驚くべきことだったのは、運動が新たに形成されたニューロンの機能に対して及ぼすいわく言いがたい効果だった。脳細胞が知性を高めることができるのは、既存の脳神経のネットワークに加わるときだけで、多くの脳細胞はそれに加わることはなく、短期間に脳の中をあてどなくさ迷って死滅するのであった。<br />
<br />
　だが、ネットワークにニューロンを引き入れる一つの方法は、学習することである。2007年のある研究で、マウスの新たな脳細胞がマウスの脳神経のネットワークに組み込まれるようになったのは、マウスが迷路のような水路を上手く進めるようになった時だったが、その課題は認知的に厄介ではあったが物理的には厄介ではなかった。しかしその脳細胞には、できることがわずかしかなかった。研究者が後で脳の活動を調べたところ、新たに脳神経の回路に組み込まれた細胞が活動電位に達したのは、マウスが再び水路の中を進んだときであって、別の認知的な課題に当たった時ではなかったことが判明した。これらの細胞の内にコード化された学習は、他の種類の思考活動に転化されることはなかったのだ。<br />
<br />
　他方、運動はニューロンを活発にするらしい。別の研究で研究者たちがマウスを走らせたとき、マウスの脳はすぐに脳神経のネットワークに多くの新たなニューロンを組み込むようになった。しかし、これらのニューロンが後になって活動電位に達したのは、走っているときだけではなかった。それらのニューロンは、マウスが、なじみのない環境を探索するというような認知的な課題に当たっているときも、活動電位に達したのである。マウスにおいて、運動は、学習とは異なり、多様な課題に当たることのできる脳細胞を生み出したのであった。<br />
<br />
<br />
　分子レベルで運動がいかにして精神を再創造しているかは、まだ十分には理解されていないが、研究が示唆するところによると、運動は脳由来神経栄養因子（Brain-derived neurotropic factor、BDNF）と呼ばれるものの増加を促すのだという。これは、細胞と軸索を強化し、ニューロン間の結合を強めニューロン新生を誘発する物質である。科学者は、人間の脳に似たような効果を及ぼすものを直接研究するには至ってないが、トレーニングの後、ほとんどの人の血流には、運動前よりもBDNFレベルが高くなっていることを発見した。<br />
<br />
　BDNFが増えることが、運動に結びつく脳の変化のすべてを説明してくれると考える研究者はほとんどいない。完全なプロセスが複数の複雑な生化学的・遺伝的段階を伴うことはほとんど確かなことである。たとえば、年長のマウスの脳に関する最近の研究は、じっとしているマウスに比べて、走り回るプログラムを始めたマウスの脳では違った発現をする遺伝子が117もあることを発見したが、その発見は、運動によって脳内で違った発現をする多くの遺伝子のごくわずかな部分にすぎないかもしれないのである。<br />
<br />
<br />
　<br />
　どんなタイプの運動でもこうした望ましい効果を生み出すかどうかは、まだ解決されていない興味をそそる問題である。「活動が持久的な運動でなければならないかどうかは明らかではありません」。そう語るのは、イリノイ大学ベックマン研究所の所長であり運動と脳の卓越した専門家でもある、心理学者で神経科学者でもあるアーサー・F.クレイマー（Arthur F. Kramer）。過去数年間の限られた数の研究が発見したところによると、一年間ウエイト・トレーニングをしたがそれ以外の運動はしなかった高齢者の間に認知的な改善があったという。しかし、現在のところ、ほとんどの研究や、動物実験のすべては、走り回ることや他のエアロビクスの運動を対象にしているのである。<br />
<br />
<br />
　しかし、どのような運動であっても、最新の科学からの新たなメッセージは、脳に効果的であるためには、へとへとになるまで運動をする必要はない、というものだ。2011年になされたある大きな研究のために、120人以上の高齢者からなるグループに散歩かストレッチのプログラムを割り当てたところ、一年後、散歩を割り当てられた高齢者の海馬が大きくなっていたことが判明した。それに対して、ストレッチを割り当てられた高齢者の海馬はボリュームを失い通常程度の萎縮を示した。散歩の高齢者は、ストレッチの高齢者よりも血流におけるBDNFのレベルがより高く、認知テストの成績も良かった。<br />
<br />
<br />
　実は、散歩を割り当てられた高齢者の海馬は2歳以上若返った、と研究者は結論づけたのだ。65歳の高齢者が、ただ歩くだけで、63歳の脳を手に入れたことになるのだが、この知らせは、老年に向かうにつれて私たちが直面するものが、緩慢に（あるいは、それほど緩慢でもなく）精神が衰えていく人生なのではないかと心配するすべての人にとって、励みとなるものである。<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-17">
<title>製造業の衰退のなかで立て直しを模索する日本</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-17</link>
<description>　ソニーやシャープが記録的な赤字を出したり事業を縮小統合したりして、製造業には何かと暗い話しかない昨今。そのことをテーマにした『ニューヨーク・タイムズ』の記事から。　製造業の未来に関して、二つの考え方が示されている。　　一つは、野口悠紀雄のように「製造業が日本の経済を破壊している」と考えて、もう見切りをつけるべきだという考え方。　もう一つは、製造業こそ一切の産業の土台なので、それを見捨てるのは愚かなことだという考え方。　どちらに未来があるのか?　それとも第三の道があるのか?Declining as a Manufacturer, Japan Weighs ReinventionBy MARTIN FACKLERPublished: April 15, 2012http://www.nytimes.com/2012/04/16/world/asia/amid-manufacturing-decline-japan-weighs-a-reinvention.html?partner=rssnyt&amp;emc=rss　「　　製造業の衰退のなかで立て直しを模索する日本 　アジアの他の国ではもっと安価に商品が作られている中で、経済的な苦境にあると感じている東大阪市の金型工場 尼崎、日本 -- 数年前、工場がひしめき合うこの湾岸地帯は、日本の技術力の高さのシンボルだった高性能フラット・パネルの製造工場が密集していることから、「パネル・ベイ」と呼ばれていた。しかし、今やこの地域は、日本の製造業の衰退を示す不気味なシンボルになってしまった。　かつては無敵とも思えたエレクトロニクス産業が中国や韓国の追い上げる企業に敗北するなかで、ここ数カ月間で「パネル・ベイ」の工場の多くが閉鎖や部分的売却の対象となってしまったからである。３月にはパナソニックだけでここにあった３つの工場の内の２つを閉鎖する一方で、シャープも、隣の堺市に100億ドルかけて作ったフラット・パネル工場の損失の穴埋めのために、台湾の電子機器メーカーからの救済を受けいれた――かつてアジアの経済的リーダーであることを自負した国にあって、これは唖然（あぜん）とするような暗転である。　「パネル・ベイ」の終焉は、製造業中心の経済の空洞化――多くの日本人が恐れていることだ――を示す最新の徴候である。日本経済は1990年代初頭に不動産と株の双子のバブルが崩壊して以降、徐々にではあるが容赦の..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-17T17:14:46+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　ソニーやシャープが記録的な赤字を出したり事業を縮小統合したりして、製造業には何かと暗い話しかない昨今。そのことをテーマにした『ニューヨーク・タイムズ』の記事から。<br />
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　製造業の未来に関して、二つの考え方が示されている。<br />
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　一つは、野口悠紀雄のように「製造業が日本の経済を破壊している」と考えて、もう見切りをつけるべきだという考え方。<br />
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　もう一つは、製造業こそ一切の産業の土台なので、それを見捨てるのは愚かなことだという考え方。<br />
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　どちらに未来があるのか?　それとも第三の道があるのか?<br />
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Declining as a Manufacturer, Japan Weighs Reinvention<br />
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By MARTIN FACKLER<br />
Published: April 15, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/04/16/world/asia/amid-manufacturing-decline-japan-weighs-a-reinvention.html?partner=rssnyt&emc=rss" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/04/16/world/asia/amid-manufacturing-decline-japan-weighs-a-reinvention.html?partner=rssnyt&emc=rss</a><br />
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　製造業の衰退のなかで立て直しを模索する日本
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/JAPAN-RUST-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_JAPAN-RUST-articleLarge.jpg" width="600" height="330" border="0" align="" alt="JAPAN-RUST-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_JAPAN-RUST-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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 　<strong>アジアの他の国ではもっと安価に商品が作られている中で、経済的な苦境にあると感じている東大阪市の金型工場</strong><br />
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尼崎、日本 -- 数年前、工場がひしめき合うこの湾岸地帯は、日本の技術力の高さのシンボルだった高性能フラット・パネルの製造工場が密集していることから、「パネル・ベイ」と呼ばれていた。しかし、今やこの地域は、日本の製造業の衰退を示す不気味なシンボルになってしまった。<br />
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　かつては無敵とも思えたエレクトロニクス産業が中国や韓国の追い上げる企業に敗北するなかで、ここ数カ月間で「パネル・ベイ」の工場の多くが閉鎖や部分的売却の対象となってしまったからである。３月にはパナソニックだけでここにあった３つの工場の内の２つを閉鎖する一方で、シャープも、隣の堺市に100億ドルかけて作ったフラット・パネル工場の損失の穴埋めのために、台湾の電子機器メーカーからの救済を受けいれた――かつてアジアの経済的リーダーであることを自負した国にあって、これは唖然（あぜん）とするような暗転である。<br />
<br />
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　「パネル・ベイ」の終焉は、製造業中心の経済の空洞化――多くの日本人が恐れていることだ――を示す最新の徴候である。日本経済は1990年代初頭に不動産と株の双子のバブルが崩壊して以降、徐々にではあるが容赦のない衰退の道をたどってきた。この衰退は、主として、アジアのライバルが成長したこと、労働力が高齢化したこと、円高になったことなどの結果である。しかし、官僚や経済界のリーダーの多くは、昨年福島で起きた原発事故以降、このトレンドが加速してしたのではないかと恐れている。あの事故のおかげで電気料金が上がり電力が不足するという見通しが高まったからである。<br />
<br />
　「製造業や製造業の職が失われてしまうのではないかという危機感は前からありました」と言うのは、経済産業省の「ものづくり政策審議室長」の田中哲也。「今、私たちが恐れているのは、電気についての懸念が、海外に移転するための口実をメーカーに与えてしまうことです」。<br />
<br />
<br />
　価格競争の圧力がますます大きくなったおかげで、日本の巨大企業の多くが傷を負った。先週、ソニー――1980年代に、今のアップルのように技術革新で先陣を切っていたソニー――は64億ドルの赤字という業績予想を発表したが、それと同時に、同社が一万人の人員削減をするかもしれないという報道が出た―――これは、レイオフがまだ社会的に受け入れられないものと見なされている国においては思い切った措置だ。あの津波のために部品供給がストップしてしまったために、世界最大の自動車メーカーというタイトルをゼネラル・モーターズに返上したトヨタのような自動車メーカーでさえも、電気自動車での天下分け目の競争や、韓国などの低コストのメーカーに負けつつあるのではないかという恐れを抱いている。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　こうした状況の暗転のせいで、日本国民の間には将来に対する不安感が蔓延しているのだが、実際日本は製造業からどれほど脱却してやっていけるのか――そして、工場離れをすることがそれほど悪いことなのかどうかについて経済学者の意見は分かれている。日本は、コンパクトなセダンやカラーテレビを製造することで1980年代に経済大国にのし上がったが、成熟しすぎたために昨今の「アジアの奇跡」に歩調を合わせることはもうできないので、新たな経済戦略が必要だ、という点で大半の経済学者は同意している。しかし、そのアプローチがどのようなものであるべきかということが、激しい論争点となっているのだ。<br />
<br />
<br />
　<br />
　<br />
　「日本はそろそろ経済の新しいモデルを見つけなければならない時期に来ています」と言うのは関西大学の大西正曹教授。「わが国は、アメリカの後を追って脱工業化経済の方向に進むこともできるし、ドイツの後を追って高品質の製品の製造に進むこともできますが、大量生産で中国と競争しようとすべきではありません」。<br />
<br />
<br />
　これらは、「ものづくり」として知られる職人の伝統を長らく誇りにしてきた国家のアイデンティティの核心に関わる問題であるのだ。この議論を、他のアジア諸国も注目して見守っているのだが、それは、これらの国々も、日本が先陣を切ったのと同じ追いつけ・追い越せという戦略につき従っているからだ。<br />
<br />
<br />
　経済学者によれば、最大の問題の一つは、日本やアジアの輸出重視の新興国が、イノベーションを育成する方法を学べるかどうか、アメリカの経済成長を支えるアップルやグーグルやフェイスブックやその他の新規のテクノロジーを促進する方法を学べるかどうかにあるのだという。<br />
<br />
　早稲田大学の経済学者である野口悠紀雄は、昨年の大震災を、日本が、それまで以上に柔軟でサービス業本位のアメリカのような経済に移行する好機だと呼んだ。彼によれば、時代遅れの製造業にしがみついていることが日本をダメにしたのだという。それにしがみついているから、低コストのアジアの競合他社と競争するために賃金も価格もカットせざるをえなくなって、ほぼ二十年間日本の国内経済の重荷となってきたデフレを一層ひどいものにしているのだと。「製造業が日本の経済を破壊しているのです」と野口氏は言った。<br />
<br />
<br />
　このデフレは大企業のみならず、中小の工場が結びついて「系列」化された企業グループ――これこそ日本のトップ企業に高品質の部品を安定的に供給してきたのだし、戦後日本の職業の大きな供給源でもあった――をも傷つけてきたのだ。<br />
<br />
　<br />
　その一つの東光精機は、東大阪市のブルーカラーの町にあって、かつては任天堂のために金型を作っていたプラスチック部品メーカーである。任天堂が約10年前にもっと安い中国の製品を買い始めたとき、東光精機は、27人の従業員の給料をカットし、1990年代の中頃には月額約7000ドルという優に中流階級並みだった賃金をその半分以下に減給することによって、製品価格を引き下げた。2009年にはついに一時的に解雇し工場を閉鎖した。<br />
<br />
<br />
　今日、同社の二代目のオーナーのオオガキ・ヒロシ（40）は日本と中国の他のメーカーのためにコンピュータ上でプラスチック部品を設計しているが、その作業は静かなワン・ルームのアパートの中で一人で行われている。「倒産ならいっぱい目撃しましたが、新規事業なんて見たことありませんね」と彼は言った。「日本の製造業はひたすら縮小し続けているだけです」。<br />
<br />
<br />
　戦後日本の輸出マシーンの忠実な歩兵だった小規模工場の多くにとっても、似たり寄ったりの暗い話ばかりだ。経済産業省によると、日本の製造業の企業数は2006年までの10年間で、三分の一も減少し、54万社にまで落ち込んだ。日本の経済全体における製造業のシェアも、内閣府によると、1970年代には約35％もあったのに、2009年には18％にまで縮小してしまった。<br />
<br />
<br />
　比較のために言えば、アメリカは依然として世界最大の製造業大国ではあるが、製造業は経済全体のわずか9％を占めるにすぎないのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　しかし、空洞化の懸念は誇張されたものだという経済学者もいる。福井県立大学の経済学の教授である中沢孝夫は、工場労働の減少は、実は、新たな省力化技術の導入によるものであると言い、日本で作られた工業製品全体の価値は1990年代初頭からほとんど変わっていないと指摘した。<br />
<br />
<br />
　「空洞化なんて神話ですよ」と中沢は言った。<br />
<br />
<br />
<br />
　そうではなく、実際に起こっているのは、他のアジア諸国の組立ラインでより安く量産できるテレビや他の家電製品から別のものへとシフトする動きなのです、と中沢は言う。彼によれば、生き残っている日本企業は、日本がまだ圧倒的にリードしている産業用ロボットやハイエンドの自転車用ギアのような品質に敏感な製品に向かっているというのである。<br />
<br />
<br />
　これはパナソニックの新たな戦略でもある。パナソニックは、尼崎（大都市大阪に隣接する港湾都市）にある3つのプラズマ・ディスプレイ工場の2つを閉鎖することによって、昨年計上した過去最大の赤字からの脱却を計ろうとしている。パナソニックによれば、工作機械や電気自動車用のバッテリーのような収益性の高い製品に自社の生産ラインを集中させて、フラット・パネル生産の大部分はアジアの低コストの企業に外注することになるだろうという。<br />
<br />
<br />
　「わが社が学んだ教訓の一つは、あらゆる種類の製品を自社で製造しようとすべきではない、ということです」と、パナソニックのスポークスマンのヒノキ・アツシは述べた。「でも、わが社が作っているものはまだたくさんありますけどね」。<br />
<br />
<br />
　実は、多くのエコノミストや官僚たちは、日本の産業基盤の継続的な縮小は避けられないが、日本がアメリカと同じ程度に製造業を見捨てるとしたら、それは愚かなことだろうと言っている。輸出に集中してきたからこそ、こんなに資源の乏しい国であっても、エネルギーや食糧の輸入をまかなえるだけの巨大な貿易黒字を享受できたのだ（少なくとも昨年までは）。エコノミストや官僚は、日本の貿易黒字があったからこそ、巨大な財政赤字に資金を調達するという贅沢ができたのだ、と言うのである。<br />
<br />
<br />
　「製造業は、金融や他のサービス産業が立脚する土台ですよ」。そう言うのは、1980年代半ばに通産省のトップ官僚として日本の産業政策を策定した小長啓一。「アメリカでさえ今このことに気づき始めていますよ。だからゼネラル・モーターズを救済したのです」。<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-10">
<title>愛と死---『恋はデジャ・ヴ』から愛についての教訓を引きだす</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-10</link>
<description>　以前、何となく、『ニューヨーク・タイムズ』に載った哲学者のエッセイを紹介したことがあった（『意味のある人生とは?』（http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-09-28））。　そのときは、その著者についてはほとんど記憶にとどまらなかったのだが、最近、同じ新聞の同じ欄でとあるエッセイを読んだとき、「ああ、あの時のあの人か」とようやく気がついた次第。書き手はトッド・メイ（Todd May）。クレムスン大学（Clemson University）の先生のようだ。　以下のエッセイは、『恋はデジャ・ヴ』という映画にそくして、愛という感情と時間（あるいは生と死）の関係に立ち入ったもの。少し難しいが、『恋はデジャ・ヴ』を観たことのある人ならば、楽しめるのではないか。　ちなみに、観たけど忘れた人や観たことのない人は、『恋はデジャ・ヴ』のWikiも参考になるかもしれない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96。　私はちょっと違った解釈をしてみたい気持ちに駆られるのだが、それは別の機会に譲ることにしよう。　Love and DeathBy TODD MAYFebruary 26, 2012, 4:00 PMhttp://opinionator.blogs.nytimes.com/2012/02/26/love-and-death/　「　 　愛と死  1993年の映画『恋はデジャ・ヴ（Groundhog Day）』でビル・マーレイが演じるレポーターのフィル・コナーズは、同じ日を何度も何度も生きることに直面して、出世を目指すことしか頭にない傲慢で利己的な人間から、他人と自分の世界を愛しそれらに感謝することができる人間に成熟する。マーレイは、耐えがたいほど自惚れが強い人間から、優しさに満ちあふれた人間への変貌を、説得力をもって演じた。永劫回帰というニーチェ的な試練は、ペンシルベニア州パンクスタウニーで演じられる限り、超人ではなく良識ある人間をもたらすかのようだ。　しかしこの映画には別の筋が存在していて、それは、映画の最初の傲慢な段階や、再びカレンダーが動き出す神がかり以降の段階ではなく、彼がわざわざ日々の反復にはまり込んでいく映画の中盤のマーレイが扮する..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-10T23:03:49+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　以前、何となく、『ニューヨーク・タイムズ』に載った哲学者のエッセイを紹介したことがあった（『意味のある人生とは?』（<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-09-28" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-09-28</a>））。<br />
<br />
　そのときは、その著者についてはほとんど記憶にとどまらなかったのだが、最近、同じ新聞の同じ欄でとあるエッセイを読んだとき、「ああ、あの時のあの人か」とようやく気がついた次第。書き手はトッド・メイ（Todd May）。クレムスン大学（Clemson University）の先生のようだ。<br />
<br />
　以下のエッセイは、『恋はデジャ・ヴ』という映画にそくして、愛という感情と時間（あるいは生と死）の関係に立ち入ったもの。少し難しいが、『恋はデジャ・ヴ』を観たことのある人ならば、楽しめるのではないか。<br />
<br />
　ちなみに、観たけど忘れた人や観たことのない人は、『恋はデジャ・ヴ』のWikiも参考になるかもしれない。<br />
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%83%96</a>。<br />
<br />
<br />
　私はちょっと違った解釈をしてみたい気持ちに駆られるのだが、それは別の機会に譲ることにしよう。<br />
<br />
<br />
<br />
　Love and Death<br />
By TODD MAY<br />
<br />
February 26, 2012, 4:00 PM<br />
<br />
<a href="http://opinionator.blogs.nytimes.com/2012/02/26/love-and-death/" target="_blank">http://opinionator.blogs.nytimes.com/2012/02/26/love-and-death/</a><br />
<br />
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　「　<br />
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 　<span style="font-size:large;"><strong>愛と死</strong></span><br />
<br />
<br />
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  1993年の映画『恋はデジャ・ヴ（Groundhog Day）』でビル・マーレイが演じるレポーターのフィル・コナーズは、同じ日を何度も何度も生きることに直面して、出世を目指すことしか頭にない傲慢で利己的な人間から、他人と自分の世界を愛しそれらに感謝することができる人間に成熟する。マーレイは、耐えがたいほど自惚れが強い人間から、優しさに満ちあふれた人間への変貌を、説得力をもって演じた。永劫回帰というニーチェ的な試練は、ペンシルベニア州パンクスタウニーで演じられる限り、超人ではなく良識ある人間をもたらすかのようだ。<br />
<br />
<br />
　しかしこの映画には別の筋が存在していて、それは、映画の最初の傲慢な段階や、再びカレンダーが動き出す神がかり以降の段階ではなく、彼がわざわざ日々の反復にはまり込んでいく映画の中盤のマーレイが扮する人物をよく見ると見えてくる筋なのである。映画の中頃になると、彼は自分のおかれた状況を受け入れてしまう。彼だけが、次に何が起こるかを知っているのだが、そんなことが何度も何度もくり返される。彼はそれ以外のことに対する期待を何も持たなくなる。この頃、つまり、彼が和解した頃になると、彼はパンクスタウニ―の模範的な市民になっている。彼は温かさと優しさを周囲に放射するようになるが、ある種の距離感をも放射するようになるのである。<br />
<br />
<br />
　『恋はデジャ・ヴ』の最初と最後の時期には、この心穏やかな中盤の時期にはないものがあった。それは情熱（passion）である。確かに、最初の頃のフィル・コナーズの出世に対する野心的な情熱は、（アンディ・マクダウェルが演じる）リタに対する愛という後になって現われる情熱に比べると、ずっと魅力のないものだ。しかし、どちらの場合でも情熱があるのだ。同一物の永劫回帰は心の平和と和解をもたらすことはあっても、少なくともこのケースでは情熱をもたらすことはないらしいのだ。<br />
<br />
　<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/26stone-parsons-blog427-v2.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_26stone-parsons-blog427-v2.jpg" width="427" height="400" border="0" align="" alt="26stone-parsons-blog427-v2.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_26stone-parsons-blog427-v2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<br />
<br />
　そしてここには、愛についての教訓が潜んでいるかもしれない。グラウンドホッグ・デイ（Groundhog Day）がいつまでも続いている間に、コナーズがリタを愛するようになったということは否定できないだろう。しかし、その愛には情熱がない。彼が彼女とともに現実の未来に解き放たれるときに彼が感じる愛の献身が、そこにはない。映画の最後の瞬間にはそれとは別のものがある。二人の関係に対して未来が開かれ、彼女に対する彼の強い感情が流れる新たな道が開かれたのだ。成長や発展のための未来がなければ、情熱的な愛はそれほどの広がりを持つことはできない。愛は、たとえば打算的な友情などとは違うといっても、その違いは（未来がなければ）早くも消滅し始めていくものなのだ。<br />
<br />
<br />
　もちろん、どんな情熱的な愛にも、最初は無我夢中の時期というものがあるものだが、それはめったに長続きしない。愛が情熱を保つためには、そうした無我夢中の時期はもっと長期的な愛に進化しなければならない。その愛は、たとえ静かな愛であっても、時間をかけて行われる共通の約束や契約を育み、それらによって育まれるような愛なのである。<br />
<br />
<br />
　このことは、もし限りない未来があるとすれば、それは限られた未来よりも、さらに強い愛を可能にすることを意味するのかもしれない。不死の神々の間にも情熱的な愛があるならば、それは、私たち人間という種族には見られない強度をもつ愛になるかもしれない。何といっても、不死は無限の未来を開くからである。これが愛という情熱の利点であると思われるかもしれない。しかし、私は、事実はそれとは正反対であると思うし、何故そうなのかの手がかりを『恋はデジャ・ヴ』は与えてくれるように思うのだ。もしこうした解釈の方針に沿ってこの映画のプロットをたどっていくならば、この映画が示しているのは、愛が高まっていくには時間が必要だということだけではなく、特定の時間が必要であること、発展（development）のための時間が必要であるということを、この映画は示しているのである。『恋はデジャ・ヴ』の永劫回帰は多くの時間を提供している。それは時間が永遠に続いていくことを請け合っている。しかしそれは間違った種類の時間だったのだ。そこには、二人で暮らす生活を発展させる（develop）時間が何もなかった。その代わりに、同じような時間がたくさんあっただけなのだ。<br />
<br />
<br />
　私たちが情熱的な愛に結びつける強度は、それが具体的に展開していくために未来を求めるものだ。感情の強度は、確かに、瞬間的なものだが、その感情が自分自身の運命であると見定めるある軌道の展開に結びついてもいるのだ。もし私たちが、来る日も来る日も、同じ瞬間、同じ時間に捉われているならば、それでも愛は残るかもしれないが、それに活気を与える情熱は衰え始めるだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
　だから、情熱的な愛は死を求めるのである。<br />
<br />
<br />
　<br />
　もし時間が無限であるならば、遅かれ早かれ未来は無限に続くグラウンドホッグ・デイに似てくるだろう。情熱的な愛の強度を裏打ちするのは、たんに未来があるという事実ではなく、二人で暮らす意味ある未来なのである。それは、二人が共有する計画の未来であり、それとともに広がる情熱の未来なのである。確かに、いつまでも変わらずに愛し続けるカップルもいるだろう。でも、そういう愛は、いつまでも同じように歳月が過ぎ去るならば、それほど煌々（こうこう）と燃え上がることはないだろう。<br />
<br />
<br />
　でもそれはそれで良いのではないか?　と言う人もいるだろう。（そういう人の言い分によれば）未来は未決定のままに開かれている。『恋はデジャ・ヴ』の未来とは違って、未来はすでに決定されているわけではない。すぎ去ったばかりの一日によって次の日の大枠が決まってしまうことはない。私たちは、私たちの関係を別のものにすることができる。愛する人に対して、自発的に行ったり作り出したりできることはつねにもっとあるのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　しかしながら、これは正しくはない。情熱的な愛そのものが、なぜそうなのかを私たちに教えてくれるのである。愛は、その特殊なあり方における二人の特殊な人間の間に成り立つものだ。（愛する人がもっているのと）同じ特質をもっているからといって、別の人を愛することはできない。もしそうするならば、愛する人に似ていて、自分が引きつけられるある特質をちょっと余分に持っている人に出会ったとき、私たちは、愛を論ずる哲学者が使う言い方を借りるならば、「（もっと良い方に）のり換える（trade up）」ことになるだろう。しかし、私たちはのり換えたりはしない、少なくとも私たちのほとんどはのり換えたりしない。それは、私たちが愛するのは、その特殊なあり方をしているその特定の人であるからなのだ。そして、私たちが共同で作り上げるもの、私たちの共通の計画や共有された感情は、こうした特殊なあり方の内に根拠をもっている。情熱的な愛といえどもどんなことでも出来るというわけではない。ある未来が二人の特定の人間の間で展開していき、それが意味ある形で許容するものだけを、愛はなしうるのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　特異な点が色々ある関係が拓（ひら）く道は、遅かれ早かれ、終わりに達する。すべてのカップルが、二人にとって意味があると感じながら、スキーやカラオケ、政治的議論やガーデニングをしているとは限らない。しかし結局私たちは、自分なりの一日一日をすごしながら、再び同じ道を歩まざるをえなくなる。そうなったからといって、愛が消え去る必要はない（そうなるかもしれないが）。だが、そうしたことが際限もなくくり返される内に、情熱的な愛を情熱的なものにしていたあの強度を、愛は維持できなくなるのである。<br />
<br />
<br />
<br />
 　ここで、愛の強度は現在を充たすものであって、未来へ投影されるものではない、という反論が出てくるかもしれない。私が情熱的な愛の活力を感じるのは、今であり、他の瞬間を必要としないこの瞬間においてなのだ。この感情が、瞬間・瞬間をとおして、さらに続いていくことだってあるのではないか?　<br />
<br />
　<br />
　この問いに対して、私が指摘できるのは、人間の経験はそのように進むことはない、ということだけである。だから、かくも多くの賢人は、世界を正しく愛することができるためには、そこから距離を置くように求めたのだ。フィル・コナーズは、和解の時を迎えたとき、仏教徒のようだった。しかし、もう情熱に燃える人ではなかった。<br />
<br />
<br />
　多くの読者はもうお気づきになったと思うが、愛についてのこの教訓は愛と死の関係だけではなく、愛と生との関係にも関わっているのだ。私たちの情熱的な愛の残り火の多くが消えかかってしまうのに永遠という時間は必要ではない。二人によって共有された計画や情熱の新鮮さは失われ、それとともに私たちの関係もいくぶんかは失われてしまう。私たちはまだパートナーを愛してはいるが、私たちの思いは、愛が新しく、未来の地平が私たちを手招きしていたかつての日々に向かう。この場合、私たちはグラウンドホッグ・デイを探す必要はない。なぜなら、それは既に見つかっているのだから。<br />
<br />
<br />
<br />
　こうした事態とどのように折り合いをつけて生きていけばいいのか?　突然起こるロマンスや、愛の強度が色褪せていくことを、どのように吸収して自分のものにしたらいいのか?　私たちは、あるがままの愛に順応することもできるし、愛する人がいようといまいと、不確かな未来のために穏やかな安楽を犠牲にすることもできる。愛の強度が続く保証はまったくないのと同様に、愛は衰えていかざるをえないという保証もない。私の恩師の一人はかつて「人は、自分の魂のためにある程度の危険を冒さなければならない」と言った。おそらく、これは情熱的な愛にも当てはまる。死は、愛が消滅するのは避けがたいという宿命から、私たちを救ってくれる。だが、私たちが生きていることは、消滅そのものから私たちを救っているのである。<br />
<br />
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<br />
」（おわり）<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07">
<title>自閉症のリスクに関連する遺伝子の突然変異がつきとめられる</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07</link>
<description>　自閉症の子供が劇的に増加しているというニュースがつい最近出たばかりだが、自閉症の生物学的な解明の決定的な一歩が踏み出されたようである。そのニュースを『ニューヨーク・タイムズ』より。　高齢（35歳以上）の男性の精子は、それ以下の年齢の男性に比べて、自閉症に関連する変異（glitch）を生じやすいのだという。この研究結果は、晩婚化の傾向と自閉症の高まりという誰もが知っている事実と符合していて、直感的にも判りやすい。しかし、こうしたことが判ったからといって、自閉症の治療のために何か手を打てるということでもなさそうで、歯がゆさが残るが・・・　なお、キーワードとして使われている「de novo突然変異」については、以下の所の記述をそのままここに再現しておこう。http://www.weblio.jp/content/de+novo%E7%AA%81%E7%84%B6%E5%A4%89%E7%95%B0　「　　de novo突然変異　・・・・　片方の親の生殖細胞（卵子または精子）における突然変異の結果として、ある家系員から初めてみられるようになった遺伝子変異、または胚形成の早期に受精卵それ自体に生じた突然変異。「new mutation（新規突然変異）」とも呼ばれる。　」Scientists Link Gene Mutation to Autism RiskBy BENEDICT CAREYPublished: April 4, 2012http://www.nytimes.com/2012/04/05/health/research/scientists-link-rare-gene-mutations-to-heightened-risk-of-autism.html「遺伝子の突然変異と自閉症のリスクを科学者が結びつけた 　　ワシントン大学の自閉症研究チームのメンバー：左から、アイヴァン・E・アイクラー、ジェイ・A・シェンデュアー博士とブライアン・オローク　独立して研究を進めてきた科学者のチームが、子供が自閉症を発症する確率をいちじるしく高める遺伝子の突然変異のいくつかを初めて特定した。彼らは、自閉症のリスクが、両親の年齢とともに、特に35歳以上の父親において増大することを示すさらなる証拠を発見した。　遺伝子の突然変異はきわめて稀な出来事であり、突然変異をすべて足し合わせても自閉症のほんの一部を説明できるにすぎない――..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-07T02:33:54+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　自閉症の子供が劇的に増加しているというニュースがつい最近出たばかりだが、自閉症の生物学的な解明の決定的な一歩が踏み出されたようである。そのニュースを『ニューヨーク・タイムズ』より。<br />
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　高齢（35歳以上）の男性の精子は、それ以下の年齢の男性に比べて、自閉症に関連する変異（glitch）を生じやすいのだという。この研究結果は、晩婚化の傾向と自閉症の高まりという誰もが知っている事実と符合していて、直感的にも判りやすい。しかし、こうしたことが判ったからといって、自閉症の治療のために何か手を打てるということでもなさそうで、歯がゆさが残るが・・・<br />
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　なお、キーワードとして使われている「de novo突然変異」については、以下の所の記述をそのままここに再現しておこう。<a href="http://www.weblio.jp/content/de+novo%E7%AA%81%E7%84%B6%E5%A4%89%E7%95%B0" target="_blank">http://www.weblio.jp/content/de+novo%E7%AA%81%E7%84%B6%E5%A4%89%E7%95%B0</a><br />
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　「　　de novo突然変異　・・・・　片方の親の生殖細胞（卵子または精子）における突然変異の結果として、ある家系員から初めてみられるようになった遺伝子変異、または胚形成の早期に受精卵それ自体に生じた突然変異。「new mutation（新規突然変異）」とも呼ばれる。　」<br />
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Scientists Link Gene Mutation to Autism Risk<br />
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By BENEDICT CAREY<br />
Published: April 4, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/04/05/health/research/scientists-link-rare-gene-mutations-to-heightened-risk-of-autism.html" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/04/05/health/research/scientists-link-rare-gene-mutations-to-heightened-risk-of-autism.html</a><br />
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「<br />
<span style="font-size:large;"><strong>遺伝子の突然変異と自閉症のリスクを科学者が結びつけた</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/AUTISM-1-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_AUTISM-1-articleLarge.jpg" width="600" height="388" border="0" align="" alt="AUTISM-1-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_AUTISM-1-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<strong>　ワシントン大学の自閉症研究チームのメンバー：左から、アイヴァン・E・アイクラー、ジェイ・A・シェンデュアー博士とブライアン・オローク</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　独立して研究を進めてきた科学者のチームが、子供が自閉症を発症する確率をいちじるしく高める遺伝子の突然変異のいくつかを初めて特定した。彼らは、自閉症のリスクが、両親の年齢とともに、特に35歳以上の父親において増大することを示すさらなる証拠を発見した。<br />
<br />
<br />
<br />
　遺伝子の突然変異はきわめて稀な出来事であり、突然変異をすべて足し合わせても自閉症のほんの一部を説明できるにすぎない――この研究でも、わずかな子供たちの事例を説明できるだけだ。だが、専門家によると、この新たな研究は科学者たちがこれまで手にしてなかったものを与えたのだ。つまり、この病気の生物学的基礎の理解を打ち立てるための明確な戦略を与えたというのである。<br />
<br />
<br />
　科学者たちは、遺伝的なリスクと環境要因が自閉症においてどれほど相対的な影響を及ぼしているかを数十年にわたって議論してきたし、強力な遺伝的要素が関係していることを今日疑う人はほとんどいない。<br />
<br />
<br />
　しかし、生物学者は、こうしたいわゆる自閉症スペクトラムの根底にある遺伝のメカニズムを明確にする信頼できる方法を求めては失敗してきた。…<br />
<br />
<br />
　これまでの研究は遺伝子の散発的な発見を生み出しはしたが、いかにして研究を進めるかについてのコンセンサスも信頼のおける方法もほとんど生み出すことはなかった。<br />
<br />
<br />
<br />
　しかし、ある程度はその両方を、新しい研究――専門誌『ネイチャー』オンライン版に水曜日に掲載された3つの論文において報告された――は提供するものだと、一部の専門家は述べている。おそらく何百、たぶん千を超える遺伝子の変異が、社会的な発育遅延に至るに足るほど脳の発達を妨げているようなのだ。<br />
<br />
<br />
　専門家によると、稀な突然変異を集中的に調べたところ、すべての自閉症の事例の15％から20％を説明できるほどの突然変異が明らかになったので、それに基づいて研究者が、どこに異常があるのかを説明するパターンやメカニズムを見つけることができるようになるかもしれないのである。<br />
<br />
<br />
　「これらの研究は大発見というわけではないでしょう、こうした研究がいずれ出てくることは予見されていたことですから」。そう言うのは、カリフォルニア大学サンディエゴ校の精神医学と細胞分子医学の教授であるジョナサン・セバト（Jonathan Sebat）。彼はこの研究チームの一員ではない。「しかし、これはターニングポイントになるでしょう。いまや、前に進むための信頼できる方法が手に入ったので、これからの1年か2年で20や30も、ひょっとしたらそれ以上のこうした突然変異を発見することになるかもしれないと思っても過大な期待ではないでしょう」。<br />
<br />
<br />
　もっと慎重な研究者もいる。彼らによれば、稀な突然変異の遺伝学がまだ十分に理解されていないので、それらが特定の遺伝子の挙動にどれほどの影響を及ぼすかについては決定的なことは言えない、というのである。<br />
<br />
<br />
　「これは偉大な始まりであり、私はこの研究に感銘を受けたが、われわれはこれらの稀な突然変異の原因や、一般的集団におけるその変異のレベルについてすらも判っていませんからね」。そう語るのは、ジョンズ・ホプキンス大学医学部の遺伝学研究所のアラヴィンダ・チャクラバルティ（Aravinda Chakravarti ）。彼は今回の研究に参加していなかった。「私が言いたいのは、これらの発見は追跡調査する価値がないということではなく、追跡調査が困難をきわめるだろうということです」。<br />
<br />
<br />
　三つの研究チームは、自閉症の徴候をまったく持たない両親から自閉症の子供が生まれた家族の血液サンプルから採取した遺伝物質を分析するという類似のアプローチを取った。このアプローチは、母方からもたらされる遺伝部分や父方からもたらされる遺伝部分を探求するのではなく、この病気に伴う最初の突然変異をつき止める機会を科学者に与える。三つの研究のすべてで、研究者は、de novo突然変異（de novo mutations）と呼ばれる稀な遺伝子の変異に焦点を当てた。<br />
<br />
<br />
　de novo突然変異とは、遺伝的に受けつがれたものではなく、妊娠に近い時期、または妊娠の最中に自然発生する突然変異のことである。ほとんどの人が少なくとも1つのde novo突然変異を持っていて、そのほとんどは無害である。<br />
<br />
<br />
　新たな研究の一つにおいて、イェール大学の遺伝学・児童精神医学の教授であるマシュー・W・ステート（Matthew W. State）は、自閉症と診断された200人と、自閉症の徴候がまったくないその親や兄弟の内に、de novo突然変異を探す研究チームのリーダーをつとめた。そのチームは、関係のない二人の自閉症児が同じ遺伝子の中にde novo突然変異を持っていること――そして、自閉症ではない人々にはそのようなことがなかったことを発見したのである。<br />
<br />
<br />
<br />
　「それは、2万1千個のスポットをもつダーツ板めがけてダーツを投げて、同じスポットに二回ヒットするようなものです」とステート博士は言った。「この遺伝子が自閉症のリスクに関連している確率は99.9999パーセントみたいなものです」。<br />
<br />
<br />
　チームは、また別の子供が自閉症のリスクとのつながりが疑われる別の遺伝子の中にde novo突然変異を持っていることを発見した――しかし、その突然変異一つだけでは、つながりがあるという主張をするのには十分ではないのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
　しかしそれとは独立に、シアトルのワシントン大学のゲノム科学の教授であるアイヴァン・E・アイクラー（Evan E. Eichler）をリーダーとするチームは、209家族を対象にした研究で全く同じことを発見した。ある自閉症児のまさに同じ遺伝子の中に変異が生じていたのである。<br />
<br />
<br />
　研究者たちは、サンプルの中に、同じ場所にde novo突然変異を持っている二人の無関係の自閉症児を発見することで、さらに別の遺伝子を付け加えた。こうした偶然は、自閉症と診断されなかった研究対象の人々の間には起こらなかったことである。<br />
<br />
<br />
　最後に――第三の論文で――ハーバード大学のマーク・J・デイリー（Mark J. Daly）が率いるチームは、とりわけこれらの3つの遺伝子を独自に分析し、さらなるケースがあることを発見したのである。<br />
<br />
<br />
　デイリー博士によると、誰もが、通常、少なくとも1つのde novo突然変異を持っているが、彼の研究が示すところによると「自閉症児の保有率は、平均してわずかに高く、その影響はより深刻である」。<br />
<br />
<br />
　これら三つの研究は、de novo突然変異のリスクが親の年齢とともに高まることを示す証拠を見出したのである。51のde novo突然変異を分析することで、アイクラーのグループは、女性からのDNAよりも、男性からのDNAにおいて変異が生ずる確率が4倍も高いことを発見した。変異のリスクは、25歳の父親よりも35歳の父親の方が高いので、年齢とともに高まるものと思われる。このことは、高齢の父親と自閉症の上昇とを結びつけた以前の研究が正しかったことの一つの裏づけを提供するものである。高齢の男性の精子は、わずかな、おそらくはランダムな変異を生じやすく、それが稀な場合に脳の発達に影響を及ぼすのである。<br />
<br />
　<br />
　こうした研究から明らかになりつつあるイメージが示唆するのは、治療法の探求にはまだとても長い時間がかかるだろうということであり、自閉症として一般的に知られているものは、関連性はあるが生物学的には別個の病気からなる広い範囲のカテゴリーを代表するものだろう、ということである。アイクラー博士のグループもデイリー博士のグループも、高リスク遺伝子が共通する生物学的プロセスの中で相互に作用を及ぼし合っていることを示すいくつかの証拠を見出したのである。<br />
<br />
　<br />
　「これは本当に氷山の一角の一角です」とアイクラー博士は言った。「でも私が思うに、重要なことは、われわれのすべてがどこから始めればいいかについて同意することなのです」。<br />
<br />
<br />
　ステート博士はこう付け加えた。「私の立場からすると、それだけでも大したことだよ。私は長年この研究をしてきたけど、自閉症のリスクをいちじるしく高める遺伝子を一つでも見つけたと誰かに信じてもらえるなんて、長い間、誰も出来なかったんだから」。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-03">
<title>死ぬ権利を推進するオランダの最近の動向</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-04-03</link>
<description>　いち早く安楽死の法制化に踏み切ったオランダで、死ぬ権利をさらに推進しようとする動きがあるようだ。安楽死には、耐えがたい苦痛が何よりもまず不可欠な条件としてなければならないはずだが、その条件なしでも安楽死を認めようという方向に向かいつつあるというのだ。『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。Push for the Right to Die Grows in the NetherlandsBy DAVID JOLLYPublished: April 2, 2012http://www.nytimes.com/2012/04/03/health/push-for-the-right-to-die-grows-in-the-netherlands.html?pagewanted=1&amp;ref=science「死ぬ権利を推進する動きがオランダで活発化している 安楽死推進団体「死ぬ権利-オランダ（Right to Die-NL）」を主宰するペトラ・デ・ヨング医師。 アムステルダム――1989年のことだった。オランダ人で呼吸器科医のペトラ・デ・ヨング（Petra de Jong）は、気管に大きな癌性腫瘍をもつ末期の患者――彼はたいそう苦しんでいた――から助けを求められた。生きるのを終わらせたいというのだ。　彼女はその人にペントバルビタールを与えた。強力なバルビツール酸系催眠薬だ――しかし、量が十分ではなかった。彼が死ぬまで9時間もかかってしまったのだ。　「何度も間違ったことは今では判りますよ」とデ・ヨング医師（58）は、オフィスでのインタビューでそう言った。「今ではグーグルで検索できますが、あの頃の私たちは知らなかったのです」。　彼女の語り口は暖かく誠実なので、彼女の天職とは相容れないように感じられる、あるいは温かく誠実だからこそ彼女はこれを天職にしたのだと言うべきかもしれない。あの男性は、安楽死推進団体「死ぬ権利-オランダ（Right to Die-NL）」のリーダーであるデ・ヨング医師が、「尊厳ある死（a dignified death）」と彼女が呼ぶものをなし遂げる手伝いをした16人の患者の最初の人だった。　1973年に設立された「死ぬ権利-オランダ」は、安楽死が他の国ではまだきわめて異論の余地のあるものとされる中で、安楽死をオランダで広く実行可能なものにしようとする運動の先頭に立つ団体だった。世論調査では、オランダ人の..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-04-03T23:00:41+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　いち早く安楽死の法制化に踏み切ったオランダで、死ぬ権利をさらに推進しようとする動きがあるようだ。安楽死には、耐えがたい苦痛が何よりもまず不可欠な条件としてなければならないはずだが、その条件なしでも安楽死を認めようという方向に向かいつつあるというのだ。『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。<br />
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Push for the Right to Die Grows in the Netherlands<br />
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By DAVID JOLLY<br />
Published: April 2, 2012<br />
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<a href="http://www.nytimes.com/2012/04/03/health/push-for-the-right-to-die-grows-in-the-netherlands.html?pagewanted=1&ref=science" target="_blank">http://www.nytimes.com/2012/04/03/health/push-for-the-right-to-die-grows-in-the-netherlands.html?pagewanted=1&ref=science</a><br />
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<br />
「<span style="font-size:large;"><strong>死ぬ権利を推進する動きがオランダで活発化している</strong></span><br />
 <br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/03JPEUTH_SPAN-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_03JPEUTH_SPAN-articleLarge.jpg" width="600" height="350" border="0" align="" alt="03JPEUTH_SPAN-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_03JPEUTH_SPAN-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>安楽死推進団体「死ぬ権利-オランダ（Right to Die-NL）」を主宰するペトラ・デ・ヨング医師。</strong><br />
<br />
<br />
<br />
 <br />
アムステルダム――1989年のことだった。オランダ人で呼吸器科医のペトラ・デ・ヨング（Petra de Jong）は、気管に大きな癌性腫瘍をもつ末期の患者――彼はたいそう苦しんでいた――から助けを求められた。生きるのを終わらせたいというのだ。<br />
<br />
<br />
　彼女はその人にペントバルビタールを与えた。強力なバルビツール酸系催眠薬だ――しかし、量が十分ではなかった。彼が死ぬまで9時間もかかってしまったのだ。<br />
<br />
<br />
　「何度も間違ったことは今では判りますよ」とデ・ヨング医師（58）は、オフィスでのインタビューでそう言った。「今ではグーグルで検索できますが、あの頃の私たちは知らなかったのです」。<br />
<br />
<br />
　彼女の語り口は暖かく誠実なので、彼女の天職とは相容れないように感じられる、あるいは温かく誠実だからこそ彼女はこれを天職にしたのだと言うべきかもしれない。あの男性は、安楽死推進団体「死ぬ権利-オランダ（Right to Die-NL）」のリーダーであるデ・ヨング医師が、「尊厳ある死（a dignified death）」と彼女が呼ぶものをなし遂げる手伝いをした16人の患者の最初の人だった。<br />
<br />
<br />
　1973年に設立された「死ぬ権利-オランダ」は、安楽死が他の国ではまだきわめて異論の余地のあるものとされる中で、安楽死をオランダで広く実行可能なものにしようとする運動の先頭に立つ団体だった。世論調査では、オランダ人の圧倒的多数が、安楽死は苦しんでいてそれを希望する患者には利用可能であるべきだという意見であり、毎年数千人が正式に安楽死の申請をしている。<br />
<br />
<br />
　12万4千人の会員を擁する「死ぬ権利-オランダ」は、患者が自宅で死ぬ手助けをする移動式の安楽死チームを発足する予定であるというニュースとともに、3月初めに世界各国のメディアの見出しを飾った。この団体はまた、病気であろうとなかろうと、70歳以上の誰もが安楽死を利用できるようにする法案を呼び掛けることで物議をかもした。<br />
<br />
　デ・ヨング医師によると、移動式の安楽死サービスにはもう100件以上の問い合わせが来ているという。その内の何件かは審議中で、一つのケースでは安楽死が実行された。<br />
<br />
<br />
　自殺幇助の推進派もその批判者もこの団体の取り組みに注目している。ペンシルベニア州選出の共和党大統領候補リック・サントラムは、二月に、安楽死がオランダ人の死亡原因の5％を占めていて、オランダ人の高齢者の多くが「私に安楽死の処置をしないで」と書かれたリストバンドを着用していると――間違って――主張して、波紋を引き起こした。オランダの当局者はすぐにその主張に反論した。<br />
<br />
<br />
　「国際的に見て、オランダ人のおかげで議論が深まったのです。人が大きな苦しみにあるとき、いかに死ぬか、いつ死ぬかを選択することを認めようとする見識についての議論と、死の間近かにいる人々に対する共感はどうあるべきかについての議論の二つです」。そう語るのは、アトランタのエモリー大学の倫理センターのポール・ルート・ウォルプ（Paul Root Wolpe）所長。<br />
<br />
<br />
　<br />
　オランダで2002年に施行された「要請による生命の終結および自殺幇助法」のもとで、医師はある種のガイドラインを守っている限り、患者の死の要求を聞き入れても、訴追されることがないことになった。死の要求は、永続的で耐えがたい苦痛のもとにある患者によって――インフォームド・コンセントの後で――自発的になされたものでなければならない。医師は、このケースが必要な条件を満たしているという別の医師の確認書を得なければならず、そうした死亡については検査のために当局に報告しなければならないことになっている。<br />
<br />
<br />
　デ・ヨング医師によれば、オランダの医師は一般的に、睡眠を誘導するためにバルビツールを注入し、心臓を停止するためにクラーレのような強力な筋弛緩剤を注入することで安楽死を行うのだという。自殺幇助については、医師は、嘔吐を防ぐための薬を処方し、その後で致死量のバルビツール酸系催眠薬を処方するという。<br />
<br />
<br />
　王立オランダ医学協会によると、そのような死の約80％が患者の自宅で行われるという。入手できる最新のデータでは、2010年には「要請による生命の終結」を医師が通知した事例が3136件あった。その大多数の背後には深刻な病気――後期の癌が典型だが――が存在していた。<br />
<br />
<br />
　医学協会の政策顧問であるエリック・ファン・ヴェイリック（Eric van Wijlick）によると、安楽死は、毎年オランダの死亡原因の約2％を占めるという。<br />
<br />
<br />
　通常、安楽死を行うのは、オランダの国民が全員が加入している健康保険の屋台骨となっている一般の開業医や、患者とのつき合いが長く患者の気持ちをよく知る医師たちである。ファン・ヴェイリック氏は、安楽死法がオランダで可能だったのは、「自分とは違う考え方に対しても、オランダ人が穏やかでオープンな態度で接するという風土」があるからだと語り、オランダでは誰もが健康保険も収入も住宅も手に入れられるので、オランダ以外で安楽死法を実行するのは難しいだろうということは彼も認めた。<br />
<br />
　<br />
　「経済的な理由から安楽死を求めるということはありませんね」と彼は言ったが、利益優先の健康保険制度をもつアメリカではそうはいかないだろう。<br />
<br />
<br />
　デ・ヨング医師によると、移動チームが必要となったのは、多くの一般開業医が、道徳上の理由からか法律について自信がないために、苦しんでいる患者が死ぬ手助けをすることを拒否し、しかも別の医師を見つけようにも手遅れであるようなケースがあったためだという。移動チームが手助けすることになるでしょう、と彼女は言った。<br />
<br />
　たとえば、かりに転移性の前立腺癌があり見通しの良くない82歳の男性が、かかりつけの医師に、それだけでは安楽死の条件に当てはまらないと言われたとしよう。その男性は、「死ぬ権利-オランダ」が定めた新たな「生を終わらせる医療（life-ending-clinic）」に連絡をとることができる。もし彼が基準を満たすと思われるならば、医師と看護師が彼の家に行き診断を行う。もしあらゆる条件が満たされるならば、彼に安楽死の処置が行われることになる。家族が彼の傍らにいるのが理想的である。<br />
<br />
<br />
　デ・ヨング医師は、法的には別の医師の意見を求めなければならないので、最初の訪問で患者に安楽死の処置がなされることは決してありえない、と強調した。<br />
<br />
<br />
<br />
　オランダでも、「死ぬ権利-オランダ」が行きすぎていると思う人はいる。移動チームに加えて、「死ぬ権利-オランダ」は、末期の病気に苦しんでいない場合でも、70歳以上のすべての人に「幇助された死」の権利を与えようと働きかけている運動に加わっている。（マーク・ルッテ（Mark Rutte）を首相とする保守政権は、その政権下では安楽死法に変更を加える予定はないと言明した）。<br />
<br />
<br />
　「私たちは、老齢で生きていること自体に苦痛を覚える人もいると考えています」とデ・ヨング医師は言った。「医療技術は非常に進歩を遂げたので、人々はますます長生きになっていますが、時には「もう十分だ（enough is enough）」と言う人もいるのです。<br />
<br />
<br />
　ファン・ヴェイリック氏は、王立オランダ医学協会が移動チームに「不安」を感じていると述べた。それは、「安楽死の問題は患者のケアから切り離すことはできない」からであり、患者のケアは主介護者である一般の開業医に委ねられるべきだからである。<br />
<br />
<br />
　大抵の場合、医師が安楽死を拒否するのには十分な理由がある、と彼は言う。患者のケースが法律によって定められた基準を満たしていないと医師が考えることもしばしばである。<br />
<br />
　同協会はまた、「生きていることに苦痛を覚える」人々に対する安楽死にも反対している。「つねに、医学的な条件がなければいけませんからね」とファン・ヴェイリック氏は言った。しかしそのような場合でも、医師は患者に飲食を取らずにすむ方法を説明することができるし、その結果生じるどんな苦しみに対しても援助することができます、と彼は述べた。<br />
<br />
<br />
　オランダの患者組織NPVは、6万6千人のメンバーを擁するキリスト教の団体でもあるのだが、安楽死の慣行が、痴呆症の患者や死ぬ際に援助を求めることができない他の病気を患っている患者までも含めるように拡張されてきたと述べて、現在の安楽死法の適用のあり方を強く批判している。<br />
<br />
　<br />
　NPVの広報担当のエリーゼ・ファン・ホーク-ブルガーハルト（Elise van Hoek-Burgerhart）は、電子メールで、移動安楽死チームという考え方自体が「馬鹿げており」、移動チームの医師がわずか数日で患者のことを判るようになることは決してないだろうと述べた。それに、緩和ケアのほうがより良いものだと判った場合、高齢者の安楽死に対する要請の10パーセントは取り下げられることを示した研究もある、と彼女は付け加えた。<br />
<br />
<br />
　また、報告された安楽死のすべてのケースに対して検討委員会が承認することを法律は求めているにもかかわらず、2010年の469例がまだ検討されておらず、つまりそのことは、医師が公式のガイドラインをどれほど遵守しているか明らかでないことを意味している、と彼女は指摘した。<br />
<br />
<br />
　エモリー大学の生命倫理学者のウォルプ博士は、人々が自分の死を選ぶ権利をもっていることについては「概して賛成」だが、肉体的に苦しんでいるわけではない人々にも安楽死が拡大して適用されたことを含めて、オランダのいくつかの傾向には憂慮していると述べた。<br />
<br />
<br />
　「純粋に生理的な基準から一連の心理的な基準へと切り替えてしまうと、虐待や過誤に通じる扉を開けてしまうことになりますからね」と彼は言った。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
」（おわり）<br />
<br />
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</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29">
<title>マリナーズ石巻を訪ねる</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29</link>
<description>　オープニング・ゲームの前日、マリナーズとアスレチックスの選手たちが石巻を訪れた時の模様を『シアトル・タイムズ』の記事より紹介する。　試合の前日なのにわざわざ出向いたのは、MLBとその選手会からの義捐金を手渡すという公的な任務があったからなのだろう。時間的余裕がない中、ウェッジ監督以下だれもが真剣にその任務にあたったようだ。その雰囲気は、以下の記事からのみならず、同行したレポーターの撮影した動画からもうかがえると思う（http://seattletimes.nwsource.com/flatpages/video/mediacenterbc3.html?bctid=1531537395001）。　Baseball brings smiles to children devastated by Japan quake, tsunamiBy Geoff BakerSeattle Times staff reporterhttp://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2017852180_tsunami28.html「　　野球が地震と津波の被害にあった子供たちに笑顔をもたらす　一年後の日本が再建に努力している中、マリナーズの監督のエリック・ウェッジと選手たちは被害の現場を直接見にいった。　シアトル・マリナーズ投手ヘクター・ノエシ（左）が、火曜日、同僚の投手岩隈久志が見つめる中、石巻の住人に豚汁をふるまう。  　石巻、日本 ――画像を見ただけでは、この街が2011年3月11日に何を失ったかは判るはずがない。　　それが判るには、この地に立ってここの空気を吸い込んでみる必要がある。マグニチュード9.0の地震で発生した津波がこの164000人の漁業の街を襲ってから一年以上たった今でも、よどんだ空気が腐敗の臭いを運んできて息苦しくなるのだ。　そして死の臭いもだ。　あの東日本大震災と津波で亡くなった石巻市の住民は3800人以上にのぼるが、それは被害にあった街の中では最大の数字だ。ぺしゃんこになった近隣住宅から出る腐敗、役に立たなくなった下水管、捨てられたゴミの山などが、内陸深くまでおしよせた海水と混じって、何かひどいことがここで起こったことを告げる悪臭を産み出しているのだ。　廃墟と化した工場や、三段・四段と積み上げられたつぶれた車の鉄骨の残骸からそう遠くない所に、この街の子供たちがかつ..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-29T03:17:57+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　オープニング・ゲームの前日、マリナーズとアスレチックスの選手たちが石巻を訪れた時の模様を『シアトル・タイムズ』の記事より紹介する。<br />
<br />
　試合の前日なのにわざわざ出向いたのは、MLBとその選手会からの義捐金を手渡すという公的な任務があったからなのだろう。時間的余裕がない中、ウェッジ監督以下だれもが真剣にその任務にあたったようだ。その雰囲気は、以下の記事からのみならず、同行したレポーターの撮影した動画からもうかがえると思う（<a href="http://seattletimes.nwsource.com/flatpages/video/mediacenterbc3.html?bctid=1531537395001" target="_blank">http://seattletimes.nwsource.com/flatpages/video/mediacenterbc3.html?bctid=1531537395001</a>）。<br />
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Baseball brings smiles to children devastated by Japan quake, tsunami<br />
<br />
By Geoff Baker<br />
Seattle Times staff reporter<br />
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<a href="http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2017852180_tsunami28.html" target="_blank">http://seattletimes.nwsource.com/html/mariners/2017852180_tsunami28.html</a><br />
<br />
<br />
<br />
「<br />
　　<span style="font-size:large;"><strong>野球が地震と津波の被害にあった子供たちに笑顔をもたらす</strong></span><br />
<br />
　<strong>一年後の日本が再建に努力している中、マリナーズの監督のエリック・ウェッジと選手たちは被害の現場を直接見にいった。</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2017851465.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2017851465.jpg" width="296" height="419" border="0" align="" alt="2017851465.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2017851465.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<strong>シアトル・マリナーズ投手ヘクター・ノエシ（左）が、火曜日、同僚の投手岩隈久志が見つめる中、石巻の住人に豚汁をふるまう。</strong><br />
<br />
 <br />
<br />
 <br />
　石巻、日本 ――画像を見ただけでは、この街が2011年3月11日に何を失ったかは判るはずがない。<br />
　<br />
<br />
　それが判るには、この地に立ってここの空気を吸い込んでみる必要がある。マグニチュード9.0の地震で発生した津波がこの164000人の漁業の街を襲ってから一年以上たった今でも、よどんだ空気が腐敗の臭いを運んできて息苦しくなるのだ。<br />
<br />
<br />
　そして死の臭いもだ。<br />
<br />
<br />
　あの東日本大震災と津波で亡くなった石巻市の住民は3800人以上にのぼるが、それは被害にあった街の中では最大の数字だ。ぺしゃんこになった近隣住宅から出る腐敗、役に立たなくなった下水管、捨てられたゴミの山などが、内陸深くまでおしよせた海水と混じって、何かひどいことがここで起こったことを告げる悪臭を産み出しているのだ。<br />
<br />
<br />
　廃墟と化した工場や、三段・四段と積み上げられたつぶれた車の鉄骨の残骸からそう遠くない所に、この街の子供たちがかつてプレーをしていた市営の野球場がある。晴れた火曜日の午後の一時間ほど、石巻の子供たちは、マリナーズとオークランド・アスレチックスの選手たちと一緒にその球場に足を運び、楽しむということがどういうことだったのかを思い出して微笑むという稀な幸運を得たのだった。<br />
<br />
<br />
　 「子供たちにとってもこの地域にとっても大事なイベントです」と地元の少年団の委員をしている米谷正信は、土のグランドに立って、はしゃぐ少年たちが大リーガーに近づこうとして駆け寄る姿を見ながら、通訳を通して語った。「子供たちの顔を見れば判るように、あの子たちは笑顔で楽しそうです・・・それが本当に大事なんです」。<br />
<br />
<br />
　　水曜の朝午前3時10分に、堂々たる東京ドームでのマリナーズとオークランド・アスレチックスの一戦をもって、数十億ドルの規模を誇るスポーツがレギュラー・シーズンを迎えることになるが、そのときでも東に210マイル離れたところに立ち込める悪臭を忘れてしまう訳にはいかないだろう。<br />
<br />
<br />
　米谷が見つめる中、マリナーズの投手の岩隈久志――彼は、昨シーズン日本プロ​​野球の楽天の一員として近くの仙台でプレーしていた――が、簡単な野球教室を開いて少年たちの一団を指導した。そこに監督のエリック・ウェッジと彼の妻のケイト、投手のヘクター・ノエシ、内野手のアレックス・リッジとアスレチックスの投手タイソン・ロス、トム・ミローンとイヴァン・スクリブナーも加わった。<br />
<br />
<br />
　彼らは、数百人に上る両親や友人や地元の仮設住宅の住民がスタンドやファウル・グランドから見守る中、100人もの地元のリトル・リーグの選手たちに思い思いのプレーをさせた。<br />
<br />
<br />
　「彼らと会って挨拶をするだけでもきっと何かの役に立つだろうと思うんです」。岩隈は、球場に入る直前、通訳を介して、子供たちについてそう語った。「一年たったとはいっても、彼らはまだ助けを必要としていますからね」。<br />
<br />
<br />
　様々なチームや個々の選手がこの震災に対して何百万ドルもの寄付をした。マリナーズのスター選手のイチローは、この日はチームの残りの選手とともに東京で練習をしていたが、日本赤十字社に125万ドルの寄付をした。<br />
<br />
<br />
　しかし、なされなければならないことは山ほどある。石巻市は、エベレット市の姉妹都市だが、200マイル以上にも及ぶ海岸沿いにあって地震や津波の被害を受けた数十の街の一つにすぎない。日本政府はこの地域に十分な食糧を行き渡らせようとして数カ月も要したほどだった。死亡者数は19000人を超えた。<br />
<br />
<br />
　これは、メジャーリーグが7桁の小切手を何枚か渡して解決できるようなことではない。その代わりに、MLBと選手会は、昔からのやり方にこだわった。50万ドルの小切手を切って野球場を立ち上げ、そこにスポーツの有名人に来てもらい被災者を活気づけて生活を少しでも気楽なものにしてあげようというやり方である。<br />
<br />
　<br />
　「仮設住宅に移らなければならない子供もいたのです」。米谷は、野球教室に参加している子供の選手についてそう語った。「石巻を去って別の県に移らなければならない子供もいました。この地域はとても悲しい経験をいくつも味わいました」。<br />
<br />
　<br />
　この捕鯨の街の8割の家庭や工場が倒壊してしまった後で、市の失業率は2倍になった。<br />
<br />
<br />
　35フィートもある魚油のタンクが幹線道路の右車線を塞いでしまっているので、車は急ハンドルを切って迂回しなければならない。鯨工場に観光客を引きつけるために巨大なスープ缶のように赤く塗られたそのタンクは、津波によって1,000フィートも流されてきたのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2017852019.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2017852019.jpg" width="296" height="193" border="0" align="" alt="2017852019.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2017852019.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>　<br />
<strong>津波によって1,000フィートも流されたタンク</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　またその道路からは焼けこげた門脇小学校が見える。津波で流された車が校舎に入りそのガソリンが引火したとき、火事になったのだ。近くの大川小学校では70人の子供と9人の教師が津波にさらわれた。<br />
<br />
<br />
<br />
　「ニュースで知ってはいたが、実際に見ると全然ちがうものだ」。ウェッジは、バスの窓からの眺めについてそう語った。「しかも、われわれが目にしたあの光景が、あと150マイルにもわたって延々と続いていることを思うとねぇ」。<br />
<br />
<br />
　最初の16フィートの津波によって5万人以上の住民が瞬時にホームレスになったのだが、それは、海岸を襲った他の津波に比べると比較的小さかった。市内の土地は平坦で高台に逃れるのが難しかったので、比較的小さな津波でも致命的なパンチとなったのだ。津波は石巻市の46％をのみ込んだが、市は最初の地震で4フィート地盤沈下していたのだ。<br />
<br />
<br />
　ウェッジは、同行した選手たちが頑張ることで、この地域が今でも抱えている問題について世界の人々がもっと関心をもってくれるようになってほしいと語った。<br />
<br />
<br />
　いや、石巻の人々はそれ以上のことを必要としている、とも彼は言った。午後の間だけでも、彼らは苦労を忘れる必要がある、短い間だけども、自分とマリナーズの選手がその手伝いをしようじゃないか、と。地元の人々は、選手が到着する一時間前には野球場の外の駐車場に集まり始めていた。<br />
<br />
<br />
　ウェッジと選手たちは、現地の時間で午後1時直前にバスを降りた。彼らは、球場までの間に、ファン――そのほとんどは子供たちだったが――がハイタッチを求めたり歓声を上げながら列を作っている間を歩いた。<br />
<br />
<br />
　「こんにちは、こんにちは！」と子供たちは叫んだ。<br />
<br />
<br />
　球場に入って地元の当局者がスピーチをしメジャーリーグと選手会からの小切手を受けとっていたとき、マリナーズとアスレチックスのユニフォームを着た、野球教室の若き参加者たちは、感情を抑えられないようだった。<br />
<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/2017852168.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_2017852168.jpg" width="296" height="186" border="0" align="" alt="2017852168.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_2017852168.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>左から岩隈久志、ヘクター・ノエシ、アレックス・リッジ、監督のエリック・ウェッジ</strong><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　野球場は津波の被害を受けなかったものの、地震の被害は多少受けていた。野球場は、救助隊を援助する自衛隊の中継施設として使われていたので、そのために内野のほとんどとダッグアウトは無残なものになっていた。<br />
<br />
　<br />
　寄付金は、子どもたちが一年中使用できるように、新しい排水システムと人工芝に使われる予定になっている。<br />
<br />
<br />
　ウェッジが今回の旅行の準備のために一月に日本を訪れたとき、お金は仮設住宅の人々を支援するのに使われるのが良いだろうと彼は考えた。その後、家族の集まる場所として野球場が地域にどれほど多くの意味をもっているかを教えられたのだ。<br />
<br />
<br />
　「私の理解から言っても、地域に光を与えてくれるものの一つが野球場だったんだよ」とマリナーズの監督は言った。「しょっちゅうだった。いつも野球場では何かが行われていたものだ。しょっちゅうね。試合に負けても、それは他の何ものにも代えがたいものだったんだ」。<br />
<br />
<br />
　ウェッジは外野の奥まったところに子供たちを集め、マリナーズの内野手リッジとともに、正しい打撃技術の手本を示した。<br />
<br />
<br />
　「バットの芯だぞ、バットの芯だぞ」。ウェッジは、子供たちがティーバッティングでライナーを飛ばすたびに、そう言い続けた。<br />
<br />
<br />
　近くには、親たちが立って見ていた。震災でどちらかの親を亡くした子供もいたが、観戦していた親たちは、子どもたちと同じくらいの大きな満面の笑顔をたたえていた。<br />
<br />
<br />
　「いつもあんな表情でいなくちゃいけないんだ」とウェッジは言った。「でも、そんなに笑えることはないんだろうな」。<br />
<br />
<br />
　一時間足らずで、選手たちは、東京行きの高速列車に乗るためにいなくなってしまった。でも、しばらくの間、地元の人々は、巨大な缶や滅茶苦茶になった車の山や消えることのない悪臭などとは違うものについて思いをめぐらす時間がもてたのであった。<br />
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<br />
」（おわり）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-26">
<title>今が日本に行く季節</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-26</link>
<description>  『ニューヨーク・タイムズ』紙の“Travel”欄に載った日本紹介の記事である。　この時期に日本への「旅の誘い」の文章を欧米の新聞に書ける人はそう多くはいないだろう。この文章を書いたピコ・アイヤー（PICO IYER）という人は、日本で暮らして25年になる人のようだ。私は知らなかったが、wikiにも載るくらいの有名な小説家・著述家らしい（http://en.wikipedia.org/wiki/Pico_Iyer）。　この文章の半分は、現在の京都を伝えるという意図で書かれている。たぶんそれが、この文章の本来の意図（編集者の意向）だったのだろう。しかし、アイヤー氏はそれだけでは収まりがつかなかったのだろう。後半で東北のことを書き、最後に、不幸と幸福のことを考える場を提供するという類まれな恩恵を与えてくれる日本という捉え方を披露している。旅行を勧める文章としては奇妙な構成だし、奇妙なまとめ方でもあるのだが、そうせざるを得なかったことは、多くの日本人が理解できることだと思う。　私は、最後の数行がとても好きである。 Now Is the Season for JapanBy PICO IYERPublished: March 22, 2012http://travel.nytimes.com/2012/03/25/travel/a-new-kyoto-opens-its-arms-to-visitors.html?src=me&amp;ref=general「　　今が日本に行く季節 京都にある1600の寺院の一つである清水寺からの眺め　今月のある晴れた早春の朝、私は龍安寺に向かった。龍安寺は世界でもっとも有名な石庭のある京都の寺である。その場に私以外の外国人は一人もいなかった。120エーカーの境内には日本人も多くはいなかった（私は、騒々しい修学旅行の一団があまりいない春休みの期間に合わせてこの旅行スケジュールを立てておいたのだ）。龍安寺にて有名な石庭に向き合う観光客　だから、熊手で模様をつけた広い石庭の上に一見無秩序に配置されたように見える15の石の謎めいた光景を見おろしながら座っていたとき、私が耳にすることができたのは周囲の桜の木からやって来る鳥のさえずりだけだった。庭の一隅では、細い竹の樋から水が石の鉢に滴り落ち、あたりの静寂をいっそう深いものにしていた。手水鉢を囲むように文字が刻まれているが（「吾唯知足」）、それは「いま..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-26T02:15:29+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
  『ニューヨーク・タイムズ』紙の“Travel”欄に載った日本紹介の記事である。<br />
<br />
　この時期に日本への「旅の誘い」の文章を欧米の新聞に書ける人はそう多くはいないだろう。この文章を書いたピコ・アイヤー（PICO IYER）という人は、日本で暮らして25年になる人のようだ。私は知らなかったが、wikiにも載るくらいの有名な小説家・著述家らしい（<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Pico_Iyer" target="_blank">http://en.wikipedia.org/wiki/Pico_Iyer</a>）。<br />
<br />
　この文章の半分は、現在の京都を伝えるという意図で書かれている。たぶんそれが、この文章の本来の意図（編集者の意向）だったのだろう。しかし、アイヤー氏はそれだけでは収まりがつかなかったのだろう。後半で東北のことを書き、最後に、不幸と幸福のことを考える場を提供するという類まれな恩恵を与えてくれる日本という捉え方を披露している。旅行を勧める文章としては奇妙な構成だし、奇妙なまとめ方でもあるのだが、そうせざるを得なかったことは、多くの日本人が理解できることだと思う。<br />
<br />
　私は、最後の数行がとても好きである。<br />
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<br />
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Now Is the Season for Japan<br />
<br />
By PICO IYER<br />
Published: March 22, 2012<br />
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<a href="http://travel.nytimes.com/2012/03/25/travel/a-new-kyoto-opens-its-arms-to-visitors.html?src=me&ref=general" target="_blank">http://travel.nytimes.com/2012/03/25/travel/a-new-kyoto-opens-its-arms-to-visitors.html?src=me&ref=general</a><br />
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　　<span style="font-size:large;"><strong>今が日本に行く季節</strong></span><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/25KYOTO1_SPAN-articleLarge.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_25KYOTO1_SPAN-articleLarge.jpg" width="600" height="360" border="0" align="" alt="25KYOTO1_SPAN-articleLarge.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_25KYOTO1_SPAN-articleLarge.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>京都にある1600の寺院の一つである清水寺からの眺め</strong><br />
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　今月のある晴れた早春の朝、私は龍安寺に向かった。龍安寺は世界でもっとも有名な石庭のある京都の寺である。その場に私以外の外国人は一人もいなかった。120エーカーの境内には日本人も多くはいなかった（私は、騒々しい修学旅行の一団があまりいない春休みの期間に合わせてこの旅行スケジュールを立てておいたのだ）。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/25KYOTO3-articleInline.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_25KYOTO3-articleInline.jpg" width="190" height="127" border="0" align="" alt="25KYOTO3-articleInline.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_25KYOTO3-articleInline.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>龍安寺にて有名な石庭に向き合う観光客</strong><br />
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　だから、熊手で模様をつけた広い石庭の上に一見無秩序に配置されたように見える15の石の謎めいた光景を見おろしながら座っていたとき、私が耳にすることができたのは周囲の桜の木からやって来る鳥のさえずりだけだった。庭の一隅では、細い竹の樋から水が石の鉢に滴り落ち、あたりの静寂をいっそう深いものにしていた。手水鉢を囲むように文字が刻まれているが（「吾唯知足」）、それは「いま持っているものが必要なもののすべてだ」と述べているのだ。<br />
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<br />
　そのとき私が持っていたのは、静けさと、ゆったりとしたくつろぎと心の落ち着きだった。日本政府観光局によると、日本を訪れた外国人観光客の総数は昨年３月の地震につづく３ヶ月間は50％も急落したが、2012年1月の時点では、わずか4％の下落にとどまっている。<br />
<br />
　それでも、日本が与えてくれる特別な恵みの一つである静寂の奥深さに、今年、新たな味わいが加わったのだ。表面的には、明日サンフランシスコやニューヨークからやって来る人を迎えるこの国は、昨年の大惨事にもかかわらず、2年前の日本と驚くほど似ているように見えるだろう。しかし、奥深いところで、日本はこれまで以上に傷つきやすくなっているので、そのために海外からの人を温かくもてなすようになったのである。<br />
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　2011年3月11日にこの国を襲ったマグニチュード9の地震、津波、原発のメルトダウンのために、ほぼ2万もの人が亡くなり、20年間の不況のせいですでに沈みかけていた経済状況をひっくり返し、17分ごとに1人が自殺したり、進むべき方向感が見えなかったり、たった6年間で7人もの首相になったりする問題に取り組もうとしていた国民の意欲を挫（くじ）いてしまった。<br />
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　しかし、これらのことはまた、日本ならではの回復力や沈着冷静さやコミュニティとしての結束力を際立たせもしたのであった。それまでは世界の他の国々との違いを力説するような所があった日本が、急に、もっと人間的で思いやりがあり素晴らしい側面を見せ始めるようになったのだ。全世界に精通する『モノクル』誌の最新号の言い方を借りれば、日本は長らく「世界で最もチャーミングな国」だった。しかし今では、観光客に最も感謝の念を表わす国の一つになったのである。<br />
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　別の言い方をしてみよう。今月のありふれた或る一日をとってみると――その日は、たまたま、あの津波の一周年の日だった――京都の中心部にある円山公園では、巨大な生け花が照明に照らされ、近くの小川を火のともった灯篭が流れて行くのを見ることができた。着物姿の女性に交じって、東山の路地に沿って並んだ2500基の行灯を見て歩き、八坂神社で舞子が儀式的な舞いを披露しているのを、無料で見ることもできた。電車やバスを乗りついで、イオ・ミン・ペイが設計した素晴らしいMIHO MUSEUMに行くこともできた。MIHO MUSEUMは、京都駅から70分のところにある巨大で人里離れた自然公園の中にポツンと立っていて、入り口が独特な宇宙時代のトンネルになっている美術館だ。あるいは、他の15,000人とともに京都で初のマラソンを走ることもできた。<br />
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　その一方で、あらゆる点で、長いこと日本を独特な国にしてきた（そしてしばしば腰の低い国にしてきた）特質は、どこにいっても目についた。空港では、タクシーの運転手は車から飛び降りて、前のタクシーのトランクに荷物を入れる手伝いをしていた。コンビニエンス・ストアでは、幽霊のようなアイシャドーをした茶髪の女性が、学校を卒業したばかりの店員と同じくらいに、拍子抜けするくらい親切で丁寧だった。今年の3月3日には、毎年のように、家族は赤と白と緑の層でできた菱形の餅を食べ、わらの人形を小川に浮かべてひな祭りを祝った。<br />
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　25年以上にわたって私は京都の近くで暮らしてきたが、1600もの寺があるこの都市がかつてなく祝祭的で国際的でカラフルになっていく様を見てきた。たしかに、恥知らずなディベロッパーは醜いコンクリートの塊をつくるために木造の建物を取り壊し続けているし、狭い車線の混雑はますます深刻になっている。<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/25KYOTO2-articleInline.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_25KYOTO2-articleInline.jpg" width="190" height="127" border="0" align="" alt="25KYOTO2-articleInline.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_25KYOTO2-articleInline.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<strong>通りはますます混雑し、スタイリッシュなこの都市はかつて以上に祝祭的で、国際的でカラフルになっている。</strong><br />
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　しかし別の点で、日本の文化の核心部分はますます若々しく洗練されたものになってきている。学生たちの文化（京都周辺には高等教育の施設が38もある）も、今月、市の中心部で行われた即興のダンス・パフォーマンスやアート・ショーを見れば明らかだった。季節が変わるたびごとに新しいデザイン・ホテルが出現している。今では日没後でも門を開けている寺があるので、あなたは暗闇の中で照明に照らされた不思議な世界を散歩することができるようになった。<br />
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　京都は今でも、先祖代々受け継がれてきた茶道と着物と座禅の本拠地であるが、そこはまた、日本初のマンガ・ミュージアムや、15階建ての斬新な立方体の駅ビルや、任天堂の本社のあるスタイリッシュな場所でもあるのだ。<br />
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　今では、英語で書かれた看板があるし、電車やバスでは英語のアナンスが流れる（私が来日した頃は、そんなものはなかった）。円高のために、ドルをもっている人にとって、ものの値段は5年前に比べて50％高くなっているが、 もしあなたがジャパンレールパス(Japan Rail Pass)を使用して、今どこにいるかについての注意を怠らなければ、日本はイギリスや北ヨーロッパの多くの国ほどお金のかかる国ではない（私の地元の喫茶店ではピザは5ドルもかからない――税金やチップを心配する必要もない――し、自動販売機で買えるハイエンドのカプチーノは1.5ドルだ）。それにとりわけ、日本は、私が知っている他のどの国にもまして、他のどこにも似ていない国のままなのだ。<br />
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　以上述べたことのすべては、昨年の大災害の恐ろしさを否認することではない。4か月前、私が、地震の震源地に最も近い北部の都市である仙台を訪れたとき、その繁華街はそれまでと同様に活気に満ち照明に照らされていた。しかし、わずか車を40分走らせたところには悲惨な光景の数々があった。すっかり廃墟になった家の外に洗濯物が吊り下がっていたり、墓石が倒れていた。<br />
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　その同じ月、私はダライ・ラマとともに、仙台に近い漁業の街である石巻を訪れたが、概して容易なことでは動じないこのチベット人のリーダーでさえも涙をこらえることはできなかった。福島原子力発電所の周辺では、私が10月にそこに行ったときは、店にはシャッターが下りていたし、ゲームセンターや、ビーチ·ボーイズが何度も「アイ・ゲット・アラウンド（I Get Around）」を歌っていたスリー・テーブルズ風の喫茶店などで暇をつぶしていた原発の作業員をのぞいて、通りには誰もいなかった。<br />
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　だがそこでも、原発から一時間あるかないかの所にあるリゾートホテルの朝食会場は、どしゃ降りの雨のなか、早朝からハーフプレーをしようと待ち構えている東京から来た熱心なゴルファーたちで満杯だった。<br />
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　火事や地震や戦争が千年以上にわたって続いた後で、日本が逆境に対してどほれどの心構えができているのかを部外者があれこれ言うのは難しいことだ。日本の国民が慎重かつ賢明であるのは周知のことだが、彼らは無駄な感情に溺れたりはしない。私の妻のヒロコは、その父母は広島出身だが、昨年、初孫が横浜で生まれたのを見たと思ったのもつかの間、その孫が生まれて二週間しかたっていないときに、わずか150マイルしか離れていないところでメルトダウンが発生することに直面したのだった。ヒロコは息子に言った、きちんとした予防はしなさい、でも、どこに行っても完全に安全な場所はないということは忘れないで、と。<br />
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　私達夫婦の隣で育ったその少年は、自分の幼い娘――と妻――を避難させ、彼の東京のマンションから250マイル離れた大阪に住まわせたが、彼は、原発から130マイルの距離にある東京で働き続けている。<br />
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　<br />
　だから今日日本を訪れる観光客は、変わることのない日本の美のすべてを楽しむことは出来るのだが、それと同時に、心情的な、さらには実践的なサポートを提供することもできるのである。「東北発見ツアー（Discover Tohoku Tour）（<a href="http://www.japanican.com/special/discover_tohoku/" target="_blank">http://www.japanican.com/special/discover_tohoku/</a>）」は、昨年の悲劇がおきた中心部に近い名所――その中には、島が点在する古くから有名な松島や、世界遺産に指定された平泉の寺院が含まれている――への4日から6日におよぶツアーを提供している。<br />
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　今月は、日本に押しよせる多くの格安航空会社の一つであるピーチ・アビエーションが就航を開始し、大阪から遠く離れた札幌までを列車の料金の6分の1の60ドルたらずで結ぶことになる。<br />
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　昨年の大震災を追悼する意味で出版された短編小説の作品集である『それでも三月は、また』の中では、たぶんもっとも繊細でもっとも美しい角田光代の作品「ピース」の中で、ある中年女性は、自分の夫が東京の大停電の最中に若い愛人と一緒にいたことを知った後で、自分の人生について振り返る。<br />
<br />
　<br />
　「獲得することは幸せになる事ではなかった」ことを彼女は日本のバブルの頃に学んでいたのだが、いまは「失うことが不幸の源でない」ことが彼女には判るのだ。自分の住む街に明かりが戻ってきたとき彼女は考えた、人生に幸せな瞬間があったからといって、自分が味わった喪失を消し去ることはできない。しかしまた、喪失を味わったからといって、自分が幸福を味わう妨げになることもできないのだと。<br />
<br />
<br />
　日本の多くの人々がそうしているように、これら二つの考えを心に抱くこと――つまり、人生は悲しみの世界に喜びをもって関わることを意味するのだということを理解し、そして、苦しむことは不幸とは同じではないのだということを理解すること――は、歴史を重ねたこの国が提供できる類まれな恩恵の一つなのである。<br />
<br />
<br />
　いま、東京の浅草では大きな観音堂に至る仲見世の上で、紙でできた桜の花がひらめいており、8世紀に首都だった奈良では、女性たちが、素顔に明るい春の日差しを浴びぬようにと、日傘をさして梅の花の下を歩いている。<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21">
<title>フランス・トゥールーズの乱射事件周辺の写真</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-21</link>
<description>　　フランス・トゥールーズのユダヤ人の学校で乱射事件が起こった。去年7月ノルウェーで起こった無差別射殺事件を思い出した人も多いだろう。　　しかし、今のところの報道では、犯人はアルカイダを名乗っているらしいので、アラブ対イスラエルの対立がフランスに飛び火した事件なのかもしれないが、まだあれこれ断定しない方がいいのかもしれない。　いずれにせよ、犠牲者がユダヤ人であったことが、この事件を重苦しいものにしている。この事件の周辺を撮った写真を見ていて、印象に残ったものを紹介しよう。　１．　犠牲者を悼む無言のデモ行進がパリで行われ、千人以上が参加したという。その中の一団が掲げる横断幕に書かれているのは「フランスで殺害されるのは黒人とユダヤ人とアラブ人」。　　この時点では、殺害者の身元は判っていなかったので、この一団が告発しているのは、フランス社会に漂っている排外的な空気のことだろう。最近は反イスラムの空気が良く話題になるが、反ユダヤの空気も底流につねに存在しているのだろう。（　『ル・パリジャン』のスライドショーの中の一枚。http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=2#infoBulles1）２．　 殺害の現場となったユダヤ人学校「オザール・ハトラ―（Ozar Hatorah）」に隣接するユダヤ人の幼稚園「ガン・ラシ（Gan Rachi）」で黙祷をささげる園児たち。外見でユダヤ人であることが判る。（同じく『ル・パリジャン』のスライドショーの中の一枚。http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=5#infoBulles1）３．　パリのユダヤ人学校も厳戒態勢。子供を帰宅させる親たちの不安げな面持ちが彼らの危機感を伝えている。（『ヌーヴェル・オプセルバトゥール』誌のスライドショーの一枚。http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/societe/..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-21T23:40:33+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　　フランス・トゥールーズのユダヤ人の学校で乱射事件が起こった。去年7月ノルウェーで起こった無差別射殺事件を思い出した人も多いだろう。<br />
<br />
　　しかし、今のところの報道では、犯人はアルカイダを名乗っているらしいので、アラブ対イスラエルの対立がフランスに飛び火した事件なのかもしれないが、まだあれこれ断定しない方がいいのかもしれない。<br />
<br />
　いずれにせよ、犠牲者がユダヤ人であったことが、この事件を重苦しいものにしている。この事件の周辺を撮った写真を見ていて、印象に残ったものを紹介しよう。<br />
<br />
　<br />
<br />
１．　犠牲者を悼む無言のデモ行進がパリで行われ、千人以上が参加したという。その中の一団が掲げる横断幕に書かれているのは<strong>「フランスで殺害されるのは黒人とユダヤ人とアラブ人」</strong>。<br />
　<br />
　この時点では、殺害者の身元は判っていなかったので、この一団が告発しているのは、フランス社会に漂っている排外的な空気のことだろう。最近は反イスラムの空気が良く話題になるが、反ユダヤの空気も底流につねに存在しているのだろう。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1913779_10655606.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1913779_10655606.jpg" width="600" height="400" border="0" align="" alt="1913779_10655606.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1913779_10655606.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
（　『ル・パリジャン』のスライドショーの中の一枚。<br />
<a href="http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=2#infoBulles1" target="_blank">http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=2#infoBulles1</a>）<br />
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<br />
<br />
２．　 殺害の現場となったユダヤ人学校「オザール・ハトラ―（Ozar Hatorah）」に隣接するユダヤ人の幼稚園「ガン・ラシ（Gan Rachi）」で黙祷をささげる園児たち。外見でユダヤ人であることが判る。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/1915017_silence11.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_1915017_silence11.jpg" width="600" height="399" border="0" align="" alt="1915017_silence11.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_1915017_silence11.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
（同じく『ル・パリジャン』のスライドショーの中の一枚。<br />
<a href="http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=5#infoBulles1" target="_blank">http://www.leparisien.fr/faits-divers/en-images-11-heures-les-ecoles-se-figent-pour-une-minute-de-silence-20-03-2012-1915017.php?pic=5#infoBulles1</a>）<br />
<br />
<br />
<br />
３．　パリのユダヤ人学校も厳戒態勢。子供を帰宅させる親たちの不安げな面持ちが彼らの危機感を伝えている。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/3292680.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_3292680.jpg" width="600" height="448" border="0" align="" alt="3292680.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_3292680.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
（『ヌーヴェル・オプセルバトゥール』誌のスライドショーの一枚。<br />
<a href="http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/societe/20120320.OBS4163/en-images-les-forces-de-l-ordre-en-etat-d-alerte-a-toulouse.html" target="_blank">http://tempsreel.nouvelobs.com/galeries-photos/societe/20120320.OBS4163/en-images-les-forces-de-l-ordre-en-etat-d-alerte-a-toulouse.html</a>）<br />
<br />
<br />
<br />
４．　　殺害された4人の遺体は空路でパリへ、そしてイスラエルに向かい、そこで土葬にされるのだという。遺族が、伝統に従い、遺体をイスラエルで埋葬することを望んだのだという。「約束の地」への望郷を2000年以上に亘って忘れなかった民族の伝統が息づいていることを如実に示している。<br />
<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/20120319PHOWWW00540.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_20120319PHOWWW00540.jpg" width="600" height="399" border="0" align="" alt="20120319PHOWWW00540.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_20120319PHOWWW00540.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
（『フィガロ』のスライド・ショーの一枚。<br />
<a href="http://www.lefigaro.fr/photos/2012/03/19/01013-20120319DIMWWW00601-24-heures-photo.php" target="_blank">http://www.lefigaro.fr/photos/2012/03/19/01013-20120319DIMWWW00601-24-heures-photo.php</a><br />
<br />
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５．イエルサレムに遺体が到着し埋葬される場面。少なくとも二千人がつめかけたという。<br />
<br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/20120321PHOWWW00065.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_20120321PHOWWW00065.jpg" width="600" height="399" border="0" align="" alt="20120321PHOWWW00065.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_20120321PHOWWW00065.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
（同じく『フィガロ』のスライド・ショーの一枚。<br />
<a href="http://www.lefigaro.fr/international/2012/03/21/01003-20120321DIMWWW00401-funerailles-a-jerusalem-des-victimes-de-la-tuerie-de-toulouse.php" target="_blank">http://www.lefigaro.fr/international/2012/03/21/01003-20120321DIMWWW00401-funerailles-a-jerusalem-des-victimes-de-la-tuerie-de-toulouse.php</a>）<br />
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]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-19">
<title>内向的な人が必要とされる訳</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-19</link>
<description>　　これは記事というよりも、内向型人間を研究し内向性を称賛したスーザン・ケインという心理学者の新刊書の紹介なのだが、面白そうなので訳してみた。　「ポジティヴ・シンキング」の言葉に代表されるように、外向的なことが何かと称賛される世の中にあって、内向型の人間などは二流の人間という烙印を押されかねない風潮があるが、ケインの著書はそんな風潮に矢を放ったものであるようだ。　著者の定義によると、内向と内気は違う。　内向とは「過剰な刺激を避けようとする」傾向であるのに対して、内気は「社会的非難や屈辱に対する恐れ」を抱きやすい心のあり方なのだという。だから、内向的ではあるが内気ではない人もいるし（たとえばビル・ゲイツ）、外向的だが内気な人もいるのだという（たとえばバーバラ・ストライサンド）。こういう指摘は面白いと思う。　内向型の人間の典型としてローザ・パークスがあがっている。パークスが人種隔離バスで白人に席を譲ることを拒んだことが1960年代の黒人の公民権運動の発火点となったのだが、パークスの詳細についてはWikiを参照されたい。　（http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9）Why the world needs introvertsSusan Cainguardian.co.uk, Tuesday 13 March 2012 20.00 GMThttp://www.guardian.co.uk/science/2012/mar/13/why-the-world-needs-introverts「 　世界が内向型人間を必要とする理由　内気で、自信がなく、孤独を愛する：内向性について一般的に好んで考えられる特徴は数多くある――その多くがネガティヴなものだが――、しかし現実はそれよりずっと複雑である。ローザ・パークス ： 世界を変えた内向型人間　　私たちの人生は性別や人種などによってと同様、性格によっても深く形成されている。性格の最も重要な側面――科学者のJD・ヒグリー（JD Higley）の言葉を使えば「気質の北極と南極」――は、私たちが内向・外向のスペクトルのどの地点に位置しているかということだ。この連続的スペクトルのどこに位置しているかが、友人や仲間の選択や、どう会話..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-19T16:53:01+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　　これは記事というよりも、内向型人間を研究し内向性を称賛したスーザン・ケインという心理学者の新刊書の紹介なのだが、面白そうなので訳してみた。<br />
<br />
　「ポジティヴ・シンキング」の言葉に代表されるように、外向的なことが何かと称賛される世の中にあって、内向型の人間などは二流の人間という烙印を押されかねない風潮があるが、ケインの著書はそんな風潮に矢を放ったものであるようだ。<br />
<br />
　著者の定義によると、内向と内気は違う。　内向とは「過剰な刺激を避けようとする」傾向であるのに対して、内気は「社会的非難や屈辱に対する恐れ」を抱きやすい心のあり方なのだという。だから、内向的ではあるが内気ではない人もいるし（たとえばビル・ゲイツ）、外向的だが内気な人もいるのだという（たとえばバーバラ・ストライサンド）。こういう指摘は面白いと思う。<br />
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　内向型の人間の典型としてローザ・パークスがあがっている。パークスが人種隔離バスで白人に席を譲ることを拒んだことが1960年代の黒人の公民権運動の発火点となったのだが、パークスの詳細についてはWikiを参照されたい。　（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9</a>）<br />
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Why the world needs introverts<br />
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Susan Cain<br />
guardian.co.uk, Tuesday 13 March 2012 20.00 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/science/2012/mar/13/why-the-world-needs-introverts" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/science/2012/mar/13/why-the-world-needs-introverts</a><br />
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「<br />
 　<span style="font-size:large;"><strong>世界が内向型人間を必要とする理由</strong></span><br />
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　<strong>内気で、自信がなく、孤独を愛する：内向性について一般的に好んで考えられる特徴は数多くある――その多くがネガティヴなものだが――、しかし現実はそれよりずっと複雑である。</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Rosa-Parks-an-introvert-w-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Rosa-Parks-an-introvert-w-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Rosa-Parks-an-introvert-w-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Rosa-Parks-an-introvert-w-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<strong>ローザ・パークス ： 世界を変えた内向型人間</strong><br />
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　<br />
　私たちの人生は性別や人種などによってと同様、性格によっても深く形成されている。性格の最も重要な側面――科学者のJD・ヒグリー（JD Higley）の言葉を使えば「気質の北極と南極」――は、私たちが内向・外向のスペクトルのどの地点に位置しているかということだ。この連続的スペクトルのどこに位置しているかが、友人や仲間の選択や、どう会話をしたり、意見の相違点をどう解消したり、どう愛情を示すのかといった仕方に影響を与えている。それは、私たちが選ぶキャリアに影響を及ぼし、そのキャリアで成功するかどうかにも影響を及ぼす。その影響は、私たちがどれほど運動をするか（外向型の人に見出される習慣）、浮気をしそうか（外向型人間）、不眠不休で仕事をするか（内向型人間）、間違いから学べるか（内向型人間）、株式市場に大金を投じられるか（外向型人間）、すぐに満足しようとしないか（内向型人間）、良いリーダーになれるか（求められるリーダーのタイプによる）、起きるかもしれないことを考えてくよくよするか（内向型人間）、などに及ぶのである。<br />
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　こうした違いは、私たちの脳神経の経路や神経伝達物質や我々の神経系の隅々にまで反映している。今日、内向性と外向性は、性格心理学において最も徹底的に調べられているテーマの一つであり、数百といる科学者たちの好奇心を駆り立てやまないものである。<br />
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<br />
　こうした研究者は最新の技術の支援をえて刺激的な発見を次々としたが、それらはいくつもの段階を経て形成されてきた長い伝統の一部である。詩人や哲学者は有史以来、内向型人間と外向型人間について考えてきた。どちらの性格タイプも聖書やギリシャ・ローマの医師の文章に出てくるし、進化心理学者のなかには、こうした性格タイプの歴史はそれよりずっと太古の昔に遡るという者もいる。つまり、ミバエからアカゲザルやパンプキンシード・フィッシュにいたるまでの動物界にも、「内向型」の個体と「外向型」の個体がいるのだという。他の補完的な対――男性性と女性性、東側と西側、リベラル派と保守派――と同様に、この二つの性格のスタイルがなければ、人類は他の種と変わりばえがなく、その数を大幅に減らしていただろうと言うのである。<br />
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<br />
　ローザ・パークス（Rosa Parks）とマーティン・ルーサー・キングJr(Martin Luther King Jr)の関係を考えてみよう。恐るべき弁論家であったキング牧師が人種隔離バスで自分の席を白人に譲ることを拒否したとしても、緊急事態でも起こらない限りは黙っていることを好んだ控えめな女性のパークスと同じ効果をあげることはなかっただろう。パークスは、立ち上がって「私には夢がある」と語ろうと努めたとしても、一般大衆を感動させるだけのものは持っていなかった。しかし、キングの助けがあったので、彼女はそうする必要はなかったのだ。<br />
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<br />
　ところで、今日の私たちには、とても狭い性格スタイルの余地しか残されていない。ビッグになることは大胆になることだ、幸福になることは社交的になることだと、私たちは教えられる。引きこもりがちな内向型は、校庭でも企業の廊下でも注目されることはない。何か人生の大事件が起こって――会社を首になるとか、失恋するとか、遺産がころがり込んで時間を好きなように使えるようになるとか――急に、自分の真の性格に気がつくようになるまで、｛外向的にならないといけないと思いこんで｝自分をだまし続ける者すらいるのだ。<br />
<br />
<br />
　私たちは、「外向型人間の理想（Extrovert Ideal）」と私が呼ぶ価値観とともに生きている。その理想を言いかえれば、理想的な自我とは社交的で、先頭に立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられるという、いたる所にある信念のことだ。典型的な外向型は、熟慮するよりも行動することを好み、注意深くするよりもリスクを冒すことを好み、疑うことよりも確信することを好む。外向型の人間は、間違っているとしても、素早い意思決定を優先するし、チーム中でうまく作業し、グループの中で社交的にふるまう。私たちは、個性は大事だと好んで考えるが、あまりにしばしば一つのタイプの個人を称賛しがちだ――「自分の存在を誇示」したがるタイプを、である。確かに私たちは、ガレージで起業する理系的な才能がある一匹オオカミならばどんな性格を持っていてもかまわないと思うが、でもそういう人間は例外であって規則ではないし、私たちの許容範囲は、大金持ちになったりきっとそうなりそうな人々に限られるのだ。<br />
<br />
<br />
　内向性――その同類である敏感さ、生真面目さ、内気といった性格とともに――は、今や、二流の性格なのであって、人をガッカリさせる性格と病理的な性格の中間にあると思われている。外向型人間の理想の下で暮らしている内向型人間は、男性の世界で暮らす女性のようなもので、その人格の核心にまで達する特性のために安く見られてしまうのだ。外向性は非常に魅力的な性格スタイルだが、それは抑圧的な基準に変わってしまったのであり、私たちのほとんどはそれに従わなければならないと感じているのだ。<br />
<br />
　<br />
　「外向型人間の理想」は、多くの研究で実証されてきた。たとえば、おしゃべりな人は、より賢く、知的で容姿も素敵に見え、興味をそそり、友人としてより望ましいという評価を受ける。話すスピードは、話しの量と同じくらい重要だ。私たちは、速く話す人を、遅い人よりも有能で好感がもてると評価する。同じ力学は集団にも適用され、おしゃべりの多い集団は寡黙な集団よりも賢そうだと見なされる――おしゃべりと良いアイディアとの関連性はゼロなのだが――ということを示した研究もあるのだ。内向的という言葉でさえ一種の烙印となるのだ――心理学者のローリー・ヘルゴー（Laurie　Helgoe）による非公式の研究によると、内向的な人間は自分自身の外見を生き生きとした言葉で描写したが（「緑-青色の眼」、「エキゾティックな顔立ち」、「頬骨が高い」）、内向的な人間を一般的に描写してくださいと求められると、彼らは平板で不快な描写をした（「見苦しい」、「中間色」、「肌に問題がある」）。<br />
<br />
<br />
　だが、私たちが「外向型人間の理想」を深く考えもせずを受け入れるとしたら、それは大きな間違いだ。私たちのもっとも偉大な――進化論からファン・ゴッホのひまわりやパソコンにいたるまでの――思想、芸術、発明の中には、自分の内的世界とそこにある宝に耳を傾ける方法を知っていたもの静かで知的な人々からやって来たものもあるのだ。内向型の人々がいなければ、この世界には、ニュートンの重力理論も、アインシュタインの相対性理論も、WBイェイツの「再生（The Second Coming）」も、ショパンのノクターンも、プルーストの『失われた時を求めて』も、ピーターパンも、オーウェルの『1984年』も、『キャット イン ザ ハット（The Cat in The Hat）』も、チャーリー・ブラウンも、スティーブン・スピルバーグの映画も、グーグル（内向的なラリー・ペイジは共同設立者の一人）も、『ハリー・ポッター』もなかっただろう。<br />
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<br />
　科学ジャーナリストのウィニフレッド・ギャラガー（Winifred Gallagher）が書いているように、「刺激を受けたときに、急いでそれに関わろうとするよりも、その刺激を考察しようと立ち止まってみる気質が輝かしいのは、それが知的・芸術的偉業と長く結びついてきたことにある。アインシュタインのE=mc2もミルトン『失楽園』も、パーティー好きな人間によって生み出されることはなかった」。金融や政治や社会的運動のようにあまり内向的とは見えない職業でも、最も大きな飛躍が内向的人間によって成し遂げられた場合もある。アル・ゴア、ウォーレン・バフェット、エレノア・ルーズベルト、ガンジーなどの業績は、（内向性にもかかわらず、ではなく）内向性のゆえに彼らがなし遂げたものであった。<br />
<br />
<br />
　しかし、現代の生活の中で最も重要な施設の多くは、集団的なプロジェクトや高レベルの刺激を楽しむ人のために設計されている。学校の教室の机は、グループ学習を促すために、小集団に分かれるように並べられるようになってきているが、研究が示す所によると、教師の大半は理想的な生徒は外向的であると信じているのだという。大人になっても、私たちの多くは、壁のないオフィスの中で、とりわけ「人間力（people　skill）」を評価する上司のためにチームとなって働くべしと主張する組織のために働いている。自分のキャリアを高めるために、自分を臆面もなく売り込むことは当然だと思われている。外部から資金を得る研究をしている科学者たちは自信たっぷりの、おそらくは自信過剰の性格をもっている。現代の美術館に作品が飾られるようなアーティストは、ギャラリーのオープニングで印象的なポーズをとったりする。自著が出版される運びとなる著者は――以前は孤独であったにせよ――今や、いつでもトークショーに出演できるかどうか出版社によってチェックされているのである。<br />
<br />
<br />
　もしあなたが内向的な人間であるならば、口数が少ないことに対する偏見が深い精神的な苦痛を引き起こすことがあることは御存じであろう。子供のころ、親が「この子は内気な子で」と弁解するのを耳にしたことがあったかもしれない。または学校で「殻に閉じこもってないで外に出なさい」――この有害な表現は、動物の中にはどこに行くにも殻をもっていく動物がいるし、人間だって同じことだということを正当に評価していない――とせっつかれたことがあったかもしれない。「お前は怠け者だ、間抜けだ、動作がのろい、退屈な奴だといった子供の頃から言われてきた言葉がまだ耳の中で鳴り響いている」と、「イントロヴァート・リトリート（Introvert Retreat:内向型人間の避難所の意）」という名前のメーリング・リストのメンバーは書いている。「自分は単に内向的なのだと理解できるようになる年齢になる頃には、私のどこかが本質的に間違っているのだという思い込みが、自分の存在の一部になっていた。そんな疑いがまだちょっとでも残っていたら、それを見つけて取り除きたいと思っているのだが」。<br />
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…<br />
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<strong><span style="font-size:large;">　内気で外向的というタイプもありうる</span></strong><br />
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<br />
　内向と外向の定義は、性格心理学者の数だけあるといってもいいかもしれない。それでも、それらの定義は、いくつかの重要な点で一致する傾向がある。たとえば、内向型と外向型は、うまく活動するために必要な外部の刺激のレベルで異なっている、という点がそうだ。内向型は、親しい友人とワインを飲んだり、クロスワード・パズルを解いたり本を読んだりする時のように、刺激が少ないほど「自分にふさわしい」と感じるのだ。外向型は、初めての人に会ったり、滑りやすいゲレンデでスキーをしたりステレオの音量を上げたりするような活動に由来する過剰な刺激を楽しむのである。<br />
<br />
<br />
　多くの心理学者はまた、内向型と外向型の仕事ぶりが異なっていることにも同意するだろう。外向型は割り当てられた仕事に急いで取り組む傾向がある。彼らは速く（時には性急に）決定を行い、同時に複数の仕事をこなしたりリスクを取ることも平気だ。彼らはお金やステータスのような報酬を「得ようとするスリル」が楽しいのだ。内向型は、しばしば、ゆっくり慎重に作業をする。彼らは一度に一つの課題に集中することを好み、並み外れた集中力を発揮することがある。彼らは、富や名声といった誘惑にひっかかることは比較的少ない。<br />
<br />
　<br />
　内向型人間ではない特徴をいくつかあげよう。内向的という言葉は、隠者とか人間嫌いの同義語ではない。そういう内向型もいるだろうが、大半はまったく人づきあいの良い人間である。英語にある最も人間味のあるフレーズの一つ――「ただ結びつけることだけを考えて（Only connect!）」――を書き記したのは、「至高の人間愛」はどのようにして得られるかという問いを探求した小説である『ハワーズ・エンド』のEM・フォースターだったが、彼が内向型だったことは明白だ。<br />
<br />
　それに内向型人間は必ずしも内気であるとは限らない。内気（shyness）とは社会的非難や屈辱に対する恐れだが、内向とは過度に刺激的ではない環境を優先する態度なのである。内気には本質的に苦痛が伴う。内向はそうではない。人々が二つの概念を混同する理由の一つは、両者が時々重なり合っているからである（どの程度なのかは心理学者の議論の的だが）。<br />
<br />
　並はずれた性格をもちながら人前に立つと竦（すく）んでしまうほどあがり症だったバーバラ・ストライサンドのように、内気で外向型という場合もあるだろうし、どう見ても人と打ち解けることはなく人の意見に動じることもないビル・ゲイツのように、内気ではないが内向型の人間もいる。もちろん、内気で内向型である人もいる。有名なようにTSエリオットは自分の世界に閉じこもった人で、「一握りの塵の中にでも恐怖を見せる（show you fear in a handful of dust）」ことができると『荒地』に書いた。内気な人の多くは、多大な不安を引き起こす社交的なつき合いからの避難所として、自己の内面に向かう。そして内向型の多くは内気だが、それは、内省の方を好むのは間違っているという世間からのメッセージを受け取った結果としてそうなった場合もあるだろうし、また、刺激にあふれた環境からは生理的に離れていたいと思わざるをえない場合もあるだろう。<br />
<br />
　しかし、どれほど違っていようとも、内気と内向には深い共通点がある。ビジネス上の会合で静かに座っている内気で外向型の人の精神状態は、静かな内向型の人とは非常に異なったものであるだろう――内気な人は大声で話すことに恐れを抱くのだが、内向型の人は単に過剰な刺激の渦中にいて困惑しているのだ――外部の目から見れば、両者は同じように見えるだろうが。私たちは何でも一番がいい思いこんでいるために、善良で知的で賢明なものが見えなくなっているが、なぜそうなのかの洞察をこれまでの叙述は与えてくれるだろう。理由は色々あるだろうが、内気で内向型の人間は、発明や研究に没頭したりまたは重病人の手を握りしめたりといった舞台裏の仕事をして日々を過ごそうとするかもしれないし――あるいは指導的な立場についても、もの静かに能力を発揮しながら事に当たるかもしれない。これらは社会の先頭に立つような役割ではないが、それでも、その役割を演ずる人々は模範的な人といえるのである。<br />
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　スーザン・ケイン著：『静かな人：おしゃべりを止められない世界における内向型人間の力（Quiet: The Power of Introverts in a World that Can't Stop　Talking by Susan Cain）』からの抜粋<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15">
<title>つけ麺って粋な食べ物じゃないね</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15</link>
<description>（　　　　・・・・その日食したつけ麺は、たぶん普通のつけ麺だったと思う。その店は川崎近辺でとても人気化している店から暖簾分けした店で、出されたつけ麺も今流行りのタイプのつけ麺だった。麺は太麺で、つけ汁は豚骨・鶏・魚介を駆使したドロッとしたタイプ。どんなスープでも、あれこれ手を加えると、ドロッとして重くなるものだが、つけ麺の場合だとそれが「粘度」が高く｢濃厚｣だと尊ばれる傾向があるようだ。作り手も、やたら色々な要素を加えた方が良心的だと思っている節がある。　｢何をいまさら」と言われそうな感想になってしまうが、味はともかく、昨今のつけ麺はとても食べづらい。作り手は、汁の濃厚さは考えても、食べる側の事情は考えていないかのようだ。　第一、粘着性の高いドロドロのつけ汁に太い麺を投入して絡めるのが、視覚的にあまり（または、ぜんぜん）快いものではない。絡めること数回にして、すでに汁はなくなりかけて冷めてしまう。冷たい麺に冷めたゲル状の汁が絡まったものは、どちらかと言えば気色悪いものになりかけている。たまに、誰かが地面に吐いたゲロに麺がそのままの形で残っているのを目撃してしまうことがあるが、ああいう不快な光景がフラッシュバックしかねないんだよな、つけ麺を食べていると。　　つけ麺って、本当に粋じゃない。こんな不粋な食べ物がなぜ人気化するのか実に不思議だ。　食べながら『吾輩は猫である』の一節を思い出した。美学者の迷亭が苦沙弥先生の奥方に向かって蕎麦の食い方について講釈をするところである。　「噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると蕎麦を滑り込むところがねうちだよ」。　迷亭はその通り実践する。しかし目分量でつまんだ蕎麦の分量が多すぎてむせてしまって面目をつぶすのだが、その点は今は脇に置こう。私の手元にある、ある蕎麦の本で、とある落語家が「蕎麦ってのはなぁ、食うもんじゃないんだ、手繰（たぐ）るんだ」と先輩から説教された経験を有難そうに語っているが、そうした作法はもう明治期には確立していたのだろう。蕎麦はツユにどっぷりつけるべからず、ざる蕎麦は3，4口で食べ切るべし等の流儀もそうだ。　もっとも、漱石はそんな作法を冷笑的に見ている。そんな「江戸っ子」の作法は明治期になって、江戸時代を美化したがる落語家が仕立てたフィクションだという説がある。たぶん、そうなのだろうと私も思う。やたら江戸っ子の粋というものを持ち出して、こうじゃな..</description>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-16T00:45:16+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
（　　<br />
　　・・・・その日食したつけ麺は、たぶん普通のつけ麺だったと思う。その店は川崎近辺でとても人気化している店から暖簾分けした店で、出されたつけ麺も今流行りのタイプのつけ麺だった。麺は太麺で、つけ汁は豚骨・鶏・魚介を駆使したドロッとしたタイプ。どんなスープでも、あれこれ手を加えると、ドロッとして重くなるものだが、つけ麺の場合だとそれが「粘度」が高く｢濃厚｣だと尊ばれる傾向があるようだ。作り手も、やたら色々な要素を加えた方が良心的だと思っている節がある。<br />
<br />
　｢何をいまさら」と言われそうな感想になってしまうが、味はともかく、昨今のつけ麺はとても食べづらい。作り手は、汁の濃厚さは考えても、食べる側の事情は考えていないかのようだ。<br />
<br />
　第一、粘着性の高いドロドロのつけ汁に太い麺を投入して絡めるのが、視覚的にあまり（または、ぜんぜん）快いものではない。絡めること数回にして、すでに汁はなくなりかけて冷めてしまう。冷たい麺に冷めたゲル状の汁が絡まったものは、どちらかと言えば気色悪いものになりかけている。たまに、誰かが地面に吐いたゲロに麺がそのままの形で残っているのを目撃してしまうことがあるが、ああいう不快な光景がフラッシュバックしかねないんだよな、つけ麺を食べていると。<br />
　<br />
　つけ麺って、本当に粋じゃない。こんな不粋な食べ物がなぜ人気化するのか実に不思議だ。<br />
<br />
　食べながら『吾輩は猫である』の一節を思い出した。美学者の迷亭が苦沙弥先生の奥方に向かって蕎麦の食い方について講釈をするところである。<br />
<br />
<br />
　「噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると蕎麦を滑り込むところがねうちだよ」。<br />
<br />
<br />
　迷亭はその通り実践する。しかし目分量でつまんだ蕎麦の分量が多すぎてむせてしまって面目をつぶすのだが、その点は今は脇に置こう。私の手元にある、ある蕎麦の本で、とある落語家が「蕎麦ってのはなぁ、食うもんじゃないんだ、手繰（たぐ）るんだ」と先輩から説教された経験を有難そうに語っているが、そうした作法はもう明治期には確立していたのだろう。蕎麦はツユにどっぷりつけるべからず、ざる蕎麦は3，4口で食べ切るべし等の流儀もそうだ。<br />
<br />
　もっとも、漱石はそんな作法を冷笑的に見ている。そんな「江戸っ子」の作法は明治期になって、江戸時代を美化したがる落語家が仕立てたフィクションだという説がある。たぶん、そうなのだろうと私も思う。やたら江戸っ子の粋というものを持ち出して、こうじゃなきゃならねぇなどと御高説を聞かされるだけでも片腹痛くなる。漱石は落語好きだったが、通ぶる人間に辟易していたことは、上の迷亭のくだりで明らかだ。「蕎麦ってのはなぁ、手繰るもんなんだ」などと落語家に得意げに言われたら、さぞ興醒めしただろう。<br />
<br />
　しかし、そういう諸々のことを踏まえた上であえて言わせていたただければ、やはり迷亭の言っていることは間違っていないと思う。やはり、麺というものは噛むものではない、咽喉に流し込むものだ、咽喉ごしが大切なんだという感覚は、大方の麺好きが同意するだろうと私は思う。麺好きは、そういう流動感というかスピード感が好きだからこそ、麺が好きなのだ。<br />
<br />
　いや、うどん好きや二郎以降すっかり太麺が主流になったラーメンの愛好者はおくとしても、最近のつけ麺の愛好者は、絶対その点に同意しないだろう。あのドロッとした汁に太麺を二～三本入れて、そのドロドロした代物をノロノロと口に運んで、ワシワシと噛みしめながら食べる。それがつけ麺のだいご味だと言うのだろう。それはあごの良い運動にはなるだろうが、従来からの麺好きから見ると、そのすべてが堪（たま）らないまでにドンくさく不粋なものに感じられてしまうのである。迷亭が見たら、きっと「あんなの馬子（まご）の食いものだよ」と言いそうだ。うどん好きの関西人やカッペの食いものだとね・・・・　　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　）。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
　・・・・さて、以上は、川崎駅からほど近い所にある『赤備』でつけ麺を食した時にふと脳裏に浮かんだことであるが、この店の評価とは直接は関係ない、たんなる前振りである。<br />
<br />
<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/002-6a97e.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_002-6a97e.JPG" width="600" height="450" border="0" align="" alt="002.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_002-6a97e.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/001-3ca58.JPG" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_001-3ca58.JPG" width="600" height="450" border="0" align="" alt="001.JPG" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_001-3ca58.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
<br />
　　ここは、『つけ麺　玉』の同じ系列店の『三三七』に比べると、立地が良くとても好感を持てる清潔感あふれる店内の雰囲気ではあったが、つけ麺は、味的には、『三三七』よりかなり劣るありふれたものだった。とりわけ、つけ汁がすぐなくなったのが悲しい。この悲しみが、上の文章全体の基調となっている。今度来るときがあるとしても、間違いなくつけ麺はたのまないと思う。<br />
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（後になって、『食べログ』の投稿を一部手直しした）<br />
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<div><strong><a href="http://r.tabelog.com/kanagawa/A1405/A140501/14039229/" rel="tabelog 00e3914babb7e3a11a97938ca717c03cc4f1def8" target="_blank">玉 赤備</a></strong><br />
<script src="http://r.tabelog.com/badge/google_badge?rcd=14039229&user_id=467589" type="text/javascript" charset="utf-8"></script>
</div><br />
<p style="color:#444444; font-size:12px;"><br />
<strong>関連ランキング：</strong><a href="http://r.tabelog.com/ramen/">ラーメン</a> | <a href="http://r.tabelog.com/kanagawa/A1405/A140501/R2854/">川崎駅</a>、<a href="http://r.tabelog.com/kanagawa/A1405/A140501/R3651/">京急川崎駅</a>、<a href="http://r.tabelog.com/kanagawa/A1405/A140502/R7953/">八丁畷駅</a></p><br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-13">
<title>「死ぬ権利」をめぐる訴訟にゴーサイン</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-13</link>
<description>　ずいぶん前からイギリスでは自殺幇助や安楽死のことがニュース記事で取り上げられているような気がするが、ほとんど前進していないような印象がある。ひょっとしたら、このニックリンソンの一件が前身の一歩となるのだろうか?　このブログで取り上げたイギリスでの安楽死関連のニュースを紹介しておくと、イギリスで安楽死問題再燃…http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02自殺幇助の修正法案は否決…http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-29安楽死がイギリス上院で審議される…http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-06-29夫婦そろって安楽死…http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06　ちなみに、判りづらい言葉の意味を掲げておく。閉じ込め症候群（locked-in syndrome）…　脳血栓などのため, 意識ははっきりしているものの手足はまったく動かせず, 口もきけない状態で, 眼球運動によってのみ自分の意思を伝えることのできる状態。ファルコナー委員会…ファルコナー卿（Lord Falconer）が委員長を務める自殺幇助に関する独立した委員会。Right-to-die hearing of man with locked-in syndrome gets go-aheadAlexandra Toppingguardian.co.uk, Monday 12 March 2012 11.13 GMThttp://www.guardian.co.uk/society/2012/mar/12/locked-in-tony-nicklinson-right-to-diesrc=me&amp;ref=general「　　閉じ込め症候群の患者の「死ぬ権利」をめぐる公聴会はゴーサインを取りつけたトニー・ニックリンソンの「耐えがたい」生を医師が終わせることができるようにする権利を求める訴訟が進められるべきであることを裁判所が認めた　医師が自分の生を合法的に終わらせることを望むトニー・ニックリンソン　最高裁の裁判官は、まばたきでしかコミュニケートできず、自分の「苦しみが終わること｣を望んでいる男性の｢死ぬ権利｣を求める訴えが審理されることを認める判断を下した。　閉じ込め症候..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-13T17:00:54+09:00</dc:date>
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　ずいぶん前からイギリスでは自殺幇助や安楽死のことがニュース記事で取り上げられているような気がするが、ほとんど前進していないような印象がある。ひょっとしたら、このニックリンソンの一件が前身の一歩となるのだろうか?<br />
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　このブログで取り上げたイギリスでの安楽死関連のニュースを紹介しておくと、<br />
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イギリスで安楽死問題再燃…<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02</a><br />
自殺幇助の修正法案は否決…<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-29" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-29</a><br />
安楽死がイギリス上院で審議される…<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-06-29" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-06-29</a><br />
夫婦そろって安楽死…<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06" target="_blank">http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06</a>　<br />
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ちなみに、判りづらい言葉の意味を掲げておく。<br />
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閉じ込め症候群（locked-in syndrome）…　脳血栓などのため, 意識ははっきりしているものの手足はまったく動かせず, 口もきけない状態で, 眼球運動によってのみ自分の意思を伝えることのできる状態。<br />
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ファルコナー委員会…ファルコナー卿（Lord Falconer）が委員長を務める自殺幇助に関する独立した委員会。<br />
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Right-to-die hearing of man with locked-in syndrome gets go-ahead<br />
Alexandra Topping<br />
guardian.co.uk, Monday 12 March 2012 11.13 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/society/2012/mar/12/locked-in-tony-nicklinson-right-to-diesrc=me&ref=general" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/society/2012/mar/12/locked-in-tony-nicklinson-right-to-diesrc=me&ref=general</a><br />
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　　<span style="font-size:large;"><strong>閉じ込め症候群の患者の「死ぬ権利」をめぐる公聴会はゴーサインを取りつけた
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<strong>トニー・ニックリンソンの「耐えがたい」生を医師が終わせることができるようにする権利を求める訴訟が進められるべきであることを裁判所が認めた</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Tony-Nicklinson-007.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Tony-Nicklinson-007.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Tony-Nicklinson-007.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Tony-Nicklinson-007.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
　<strong>医師が自分の生を合法的に終わらせることを望むトニー・ニックリンソン
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　最高裁の裁判官は、まばたきでしかコミュニケートできず、自分の「苦しみが終わること｣を望んでいる男性の｢死ぬ権利｣を求める訴えが審理されることを認める判断を下した。<br />
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　閉じ込め症候群を患っているトニー・ニックリンソン（57）は、2005年に脳卒中を発症して、まばたきを記録して音声に変換するシンセサイザーを通してしかコミュニケートできなくなってから以降、自分の｢耐えがたい」生を医師が合法的に終わらせることができるように望んできた。彼は、自分の｢尊厳を奪われた生｣を終わらせるように医師が介入する権利をもつこと、そしていかなる殺人罪の訴え対してもコモン・ローにより必然的に守られる権利をもつことを求める訴訟をおこしていた。<br />
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<br />
　 彼の妻のジェーン・ニックリンソンは、死が夫にとっての唯一の解決策であると、BBCラジオ4の番組｢今日のプログラム」で語った。「私たちは、彼の生を誰かが終わらせることが合法的になることを求めています。トニーの苦しみを和らげる唯一の方法は彼を殺すことです。彼のためにしてあげられることは他にありません」と元看護師の妻は言った。<br />
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　「彼は何もできません。全身が麻痺しているので話すこともできません。体がかゆいときは、私が彼のためにかいてやらないといけないのです」と彼女は言った。<br />
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　彼はすぐに死にたいとは思ってませんが、選択できることを望んでいます、と彼女は付け加えた。<br />
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　「彼は、いつになればこの状態から抜け出る方法が得られるのかをただひたすら知りたがっています。彼の望みはそれだけですし、私たちは彼を応援しています」と彼女は言った。｢以前の彼のことを知っている人ならば、このような生活が彼にとっては耐えがたいものであることが判るはずです。彼は、時間が経つにつれて事態が悪化していることを理解しているのです」。<br />
<br />
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　彼女は、進歩する医療に追いつくために法律も変わらなければならないと付け加えた。「20年前ならばトニーは死んでいましたよ。でも今では、こんなひどい状態でも生き続けられるのです。医療はずいぶん良くなりましたが、法律はそれとともに進歩したわけではありませんでした。助かってもこんな状態で生きていなければならないことを知っていたならば、倒れた時に死ねばよかった、助けを求めなければよかったと、彼は今言っているのです」。<br />
<br />
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　最近の聴聞会でニックリンソンを支援したポール・ボーエンは、法務省が何か｢一撃必殺｣となるような論拠をもち出して、この訴訟の差し止めさせるようなことはしなかったと述べた。<br />
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　ニックリンソンの訴訟は、「安楽死あるいは自殺幇助の行為」であり、「彼の苦しみに終止符を打たれ、コモン・ローが保証する自立と尊厳の基本的権利が守られる唯一の手段」なのです、とボーエンは主張した。<br />
<br />
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　以前の公聴会で、法務省の代表者であるデビッド・ペリー王室顧問弁護士は、ニックリンソンが法廷に求めているのは「彼の生命の意図的な剥奪」を承認し許可することだ、と述べた。<br />
<br />
<br />
　ペリーは次のように付け加えた。「これがイングランドとウェールズの法律になることはないし、そうなることはありえない。ただし、議会がそうでないと言うならばその限りではないが」。<br />
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　ウィルトシャー州メルクスハム在住のニックリンソンは、2005年ギリシャへの出張の最中に重度の脳卒中で倒れ、首から下が麻痺状態になり、意志を交わすのに頭と目を使うことしかできなくなった。彼の妻は、2010年12月に自殺幇助を調査するファルコナー委員会に、夫は会話を愛する人だったが、今は話すことができない「純然たる苦しみ」を気落ちしながら訴えていると語っていた。<br />
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」（おわり）<br />
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<item rdf:about="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-10">
<title>フクシマ以降新たな原発建設が劇的に減少</title>
<link>http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-03-10</link>
<description>　フクシマの大災害以降、世界各地で計画されていた新たな原発建設が凍結や中止になっている現状を伝えるイギリス『ガーディアン』紙の記事を紹介する。　中止や凍結といっても、しばらくの間なのか、動かしがたいトレンドになるのか、国ごとに意見のばらつきがあり、ドイツやイタリアのようにハッキリした態度を打ち出していない国がほとんどであるのが現状のようだ。　Dramatic fall in new nuclear power stations after FukushimaFiona Harvey in Brussels, John Vidal and Damian Carringtonguardian.co.uk, Thursday 8 March 2012 12.34 GMThttp://www.guardian.co.uk/environment/2012/mar/08/fall-nuclear-power-stations-fukushima「 フクシマ以降新たな原発建設が劇的に減少　新炉の建設工事の減少は、一年前に日本の原子炉が停止して以降、原発に対する関心の低下を反映しているのかもしれない（2008年から2010年に、世界で38基の原子炉で建設工事が開始されたが、2011年から12年にかけて建設が開始されたのはわずか2基だけだった）　　建設段階に入った新しい原発建設の数は、昨年3月のフクシマの原発事故の余波で、前年と比べて、昨年劇的に減少した。　　2008年から2010年にかけて、世界で38基の原子炉で建設工事が開始されたが、2011年から12年にかけて建設が開始されたのはわずか2基だけであることが、グリニッジ大学のエネルギー研究の教授であるスティーブ・トーマス（Steve Thomas）の調査で判った。　この減少は、一年前に福島の原子炉が停止に追い込まれた後に（この事故では死者は出なかったが数千もの人々が自宅から避難することを余儀なくされた）、原子力発電に対する関心が急速に低下したことの証拠だと見る人もいる。しかし、これは単に一時的な小休止にすぎず、「原子力ルネッサンス」は続くだろうと予測する人もいる。　欧州議会の緑の党/EFA（欧州緑グループ・欧州自由連盟）の代表レベッカ・ハームズ（Rebecca Harms）は、原子炉の安全性は保証できないことをフクシマは示したと述べて、原子力に対する期待を捨てるように各国に呼..</description>
<dc:subject>海外のニュース記事</dc:subject>
<dc:creator>MikS</dc:creator>
<dc:date>2012-03-10T00:23:32+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　フクシマの大災害以降、世界各地で計画されていた新たな原発建設が凍結や中止になっている現状を伝えるイギリス『ガーディアン』紙の記事を紹介する。<br />
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　中止や凍結といっても、しばらくの間なのか、動かしがたいトレンドになるのか、国ごとに意見のばらつきがあり、ドイツやイタリアのようにハッキリした態度を打ち出していない国がほとんどであるのが現状のようだ。　<br />
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Dramatic fall in new nuclear power stations after Fukushima<br />
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Fiona Harvey in Brussels, John Vidal and Damian Carrington<br />
guardian.co.uk, Thursday 8 March 2012 12.34 GMT<br />
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<a href="http://www.guardian.co.uk/environment/2012/mar/08/fall-nuclear-power-stations-fukushima" target="_blank">http://www.guardian.co.uk/environment/2012/mar/08/fall-nuclear-power-stations-fukushima</a><br />
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「 <span style="font-size:large;"><strong>フクシマ以降新たな原発建設が劇的に減少
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　<strong>新炉の建設工事の減少は、一年前に日本の原子炉が停止して以降、原発に対する関心の低下を反映しているのかもしれない</strong><br />
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<a href="http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_e5b/shin-nikki/Finland-nuclear-power-pla-006.jpg" target="_blank"><img src="/_images/blog/_e5b/shin-nikki/m_Finland-nuclear-power-pla-006.jpg" width="460" height="276" border="0" align="" alt="Finland-nuclear-power-pla-006.jpg" onclick="location.href = 'http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_Finland-nuclear-power-pla-006.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />
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<strong>（2008年から2010年に、世界で38基の原子炉で建設工事が開始されたが、2011年から12年にかけて建設が開始されたのはわずか2基だけだった）</strong><br />
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　建設段階に入った新しい原発建設の数は、昨年3月のフクシマの原発事故の余波で、前年と比べて、昨年劇的に減少した。<br />
　<br />
　2008年から2010年にかけて、世界で38基の原子炉で建設工事が開始されたが、2011年から12年にかけて建設が開始されたのはわずか2基だけであることが、グリニッジ大学のエネルギー研究の教授であるスティーブ・トーマス（Steve Thomas）の調査で判った。<br />
<br />
<br />
　この減少は、一年前に福島の原子炉が停止に追い込まれた後に（この事故では死者は出なかったが数千もの人々が自宅から避難することを余儀なくされた）、原子力発電に対する関心が急速に低下したことの証拠だと見る人もいる。しかし、これは単に一時的な小休止にすぎず、「原子力ルネッサンス」は続くだろうと予測する人もいる。<br />
<br />
<br />
　欧州議会の緑の党/EFA（欧州緑グループ・欧州自由連盟）の代表レベッカ・ハームズ（Rebecca Harms）は、原子炉の安全性は保証できないことをフクシマは示したと述べて、原子力に対する期待を捨てるように各国に呼び掛けた。「我々は、チェルノブイリの教訓を学ばなかった――学んでいたならばフクシマは起こらなかっただろう」と、彼女はブリュッセルの欧州議事堂の外で行われた小さなデモの参加者に語った。福島県の前知事佐藤栄佐久が彼女の呼びかけを繰り返した。「我々は避難指示のもとに暮らしている。我々のような人間をもう出してはならないと私は思う」。<br />
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　ヨーロッパでは、ドイツが原発を段階的に廃止することを決定し、イタリアとスイスも国民投票で原子力エネルギーに反対の意志を表明したが、世論が定まっていない国もある。欧州議会のジョー・ライネン（Jo Leinen)は、ブリュッセルで「地球の友ヨーロッパ（Friends of the Earth Europe）」の聴衆にこう語った：「ヨーロッパにおける原子力ルネッサンスだって?　そんなものはどこにもないよ」。<br />
<br />
　しかし、気候変動担当欧州委員のコニー・ヘデゴー（Connie Hedegaard）は、原子力発電は、しばらくはヨーロッパと世界の混合エネルギー政策の一部であり続けるだろうと述べた。「実際は、原子力発電の役割は続くでしょうね」と彼女は言った。「フクシマ以前に考えられていたほどの伸び方はしないでしょうけどね。多くの国は[原発とともに]進んでいくでしょう、ただし、安全にはこれまで以上に配慮しながらですけど」。<br />
<br />
<br />
　世界エネルギー会議(World Energy Council)の事務局長であるクリストフ・フライ（Christoph Frei）は、同会議の調査によれば、原子力に対する欲求と関心は依然として世界中にあるし、イギリスを含む多くの国が新たな原発計画を推進しようとしているとガーディアン紙に語った。「原子力ルネッサンスは続いていますよ」と彼は言った。<br />
<br />
　「原子力支持の環境保護主義者カナダ支部（Environmentalists for Nuclear Energy Canada）」の名誉会長であるパトリック・ムーア（Patrick Moore）によると、フクシマの真の教訓は、死者は出なかったし長期的なダメージもないように見えるので、原子力のリスクではなく、原子力の安全性に関する教訓だった。「原子力発電を恐れる十分な理由はありません。それは誰にも害を与えていませんし、フクシマの人にも害を与えませんでした」と彼は言った。<br />
<br />
<br />
　フクシマの事故が起こる前、原子力発電所は、世界各地でリバイバル傾向にあった。1987年に起きたチェルノブイリの事故は世界中で10年以上にもわたって原発への投資を冷え込ませてしまったが、近年、風向きが変わっていたのだ―――気候変動の問題に取り組み始める国が増え、急速に経済発展をとげる新興国がエネルギーに対する渇望を満たす方法を模索するようになったので、原発の技術が再び真剣に検討されるようになったのである。数十もの新たな原子炉の計画がもちあがったし、原子炉は二酸化炭素を排出しないので、それは気候変動への解決策の一つと見なすべきであり、風力や太陽光発電などの間歇的な再生可能エネルギーに対するバックアップを提供できると主張することによって、原子力産業は環境にやさしい技術としてブランドの再生をはかったのである。<br />
<br />
　<br />
　フクシマ以降、ヨーロッパ各国の政府が段階的に原発を停止すると決定した後でも、衝撃波が止むことはなかった。クウェートは先月、原子炉を4基建設する契約を中止し、ベネズエラは原発推進プロジェクをすべて凍結し、メキシコは原子炉を10基建設する計画を廃案にした。<br />
<br />
　<br />
　「フクシマは論争に火をつける火花のようだった」。そう語るのは、グリーンピース・ドイツのトビアス・ミュンヒマイアー（Tobias Munchmeyer)は語った。「ショックを受けたドイツの国民は、メルケル首相に、原発を段階的に廃止するか、自分が首相の座から段階的に降りるかのどちらかを選べと迫ったのです。政府が8基の原発を停止したとき、大停電や電気料金の高騰が起こらなかったのは驚くべきことだと思った人々もいました。ちょっとコスト高にはなりましたが、再生可能エネルギー産業の成長の刺激にもなったのです。今では、原発で3万の職があったのに対して、再生可能エネルギー産業には30万もの職がありますからね」。<br />
<br />
　<br />
　しかしムーアによると、ドイツは、原子力エネルギーの不足を補うために、13GW相当の化石燃料発電所を建設している最中であり、さらに10GW相当の発電所――合算すると、原子炉23基分の電力が生み出されることになる――を計画しているのだという。<br />
<br />
<br />
　インドでは、すでに建設中の原発に対する抗議活動が激しさを増しているが、インドは2020年までに原発の能力を4倍にし、2030年までにさらにそれを3倍にして電力の25％を原発でまかなおうとしているのだ。マハラシュトラ、タミル・ナードゥ、ジャイタプールなどでは、大規模な抗議活動や活動家によるハンガー・ストライキの結果、死傷者や出たり暴動が発生している。タミル・ナードゥでは2基の原子炉の建設が遅れ、西ベンガル州では、抗議の後で、ロシア製の6基の原子炉の計画を撤廃した。先月、インドの首相のマンモハン・シンは、抗議活動を煽ったとしてアメリカとドイツの団体を非難した。<br />
<br />
　「私たちは、ハンガー・ストライキ、集会、パブリック・ミーティング、セミナー、会議などを開催してきたし、頭を剃ったり、路上で調理したり、原発の模型を燃やしたりといったデモを行ったりしてきました。この闘いは過去197日間にわたって続けられてきたが、人々の士気は依然として非常に非常に高いままです」と、｢反原子力エネルギー国民運動（People's Movement Against Nuclear Energy.）」の共同主催者であるSPウダヤクマールは述べた。<br />
<br />
<br />
　「これは、インドの「普通の市民」と、多国籍企業や世界の大国や原子力産業のマフィアの支援を受けたインド政府の間で行われる「ダビデとゴリアテの戦い」のようなものです。彼らは、原子力、発展、原子爆弾、安全、超大国としてのステータスを約束する。私たちはリスクのない電気、病気のない生活、汚染されていない天然資源、持続可能な発展と害のない未来を求めているのです」と彼は言った。<br />
<br />
<br />
　中国の原子力に対する姿勢は注目の的になっている。フクシマ以前は、中国政府は2020年までに原発で電力を40GW増やす計画を持っていた。しかし、いくつかの地方で進められていた原発建設計画は、安全性と話し合いの欠如についての抗議を受けて行きづまっている。<br />
<br />
　北京のエネルギー調査研究所の所長のジャン・ケジュン（Jiang Kejun）は次のように言った：「大局的に見れば、フクシマの事故は原子力発電にとって良いことだったのかもしれないと私は思っています。そこから多くを学ぶことができますからね。独善的になったり何でも判っているような顔をしてはいけない、ということです」。<br />
<br />
<br />
<br />
　国際原子力機関（IAEA）によると、現在、45カ国が原子力発電の計画に着手することを検討しているという。ベトナム、バングラデシュ、アラブ首長国連邦、トルコ、ベラルーシが今年原発の建設を開始する可能性が高く、ヨルダンとサウジアラビアが2013年に続くようだ。<br />
<br />
　<br />
　最近のガーディアン紙とICMの世論調査によると、イギリスでは、フクシマの災害以降、原子力発電への強い反対が急に高まった。自宅近くに新しい原子力発電所が建設されることに強く反対すると述べたのは、2010年の初頭では、国民の39％だったのに対し、2012年の2月には、その数が61％に上昇した。しかし――原発に対してどれほど賛成か、という――別の質問をした英調査会社イプソス・モリ(Ipsos Mori）の世論調査によれば、2011年12月の時点で原発賛成がフクシマの事故以前の40%のレベルに回復していたことが判明した。<br />
<br />
　国際的に見ると、24カ国の62％の国民が、原発に反対であることが、フクシマの災害の3ヶ月後の2011年6月に実施されたイプソス・モリの調査で判明した。ただインド、ポーランド、米国では原発支持が多数派を占め、イギリスは国論が二つに割れ、中国とロシアとフランスは反対がハッキリ多数派を占め、ドイツはとても強く反対という結果だった。<br />
<br />
」（おわり）<br />
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