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Arendt on the Two-in-One [探求]

cahier litteraire (&papers &reports)

2009年6月26日
一者の中の二者(The-two-in-one)
① ・・・二つの積極的なソクラテスの主張とは以下のようなものである。第一には、「悪事をするよりは、される方がましだ」という主張であるが、それに対して、対話の相手であるカリクレスは、いかにもギリシア人的な返答をする。「不正を受けるなどという、そういう憂き目は、人間たるものの受けることではなくて、むしろ、生きているよりは死んだほうがましな、奴隷のような者の受けるべきことである。つまり、不正を受け、辱めをこうむっても、自分で自分自身を、また自分が面倒を見てやっている他の人を、助けることのできないような者があるとすれば、誰であろうと、そのような人間の受けるにふさわしいことだからである」。第二には、[私のリュラ琴や私の指揮する合唱隊が、調子が合わないで不協和な音を出すとか、また、世の大多数の人たちが私に同意しないで反対するとしても、そのほうが、一人でいる時、私が私自身と不調和であったり、自分に矛盾したことを言うよりもまだましなのだ」というのである。これに対してカリクレスが言うには、ソクラテスは「議論で気がおかしくなっている」のであり、ソクラテスが哲学をやめてしまうなら、その方が彼自身にとっても他のみなにとってもよいことだというのである。
 そしてこの点て彼は正しい。たしかに、哲学をしているからこそ、いやむしろ思考経験をしているからこそ、ソクラテスはこういうことを口にしたのである・・・・

②   ソクラテスの第一の発言が行なわれたときにそれにどれほど逆説的な響きがあったのか、リアルにつかみとるのは難しい。数千年間にわたって使用され誤用された後では、この言葉は安っぽい道徳に見える。さらに、第二の言葉がどう迫ってくるかを現代の読者が理解するのは難しいことだが、それをもっともあざやかに示しているのはキーワードである「一人でいる」(「私にとっては、世間の多数の人と一致できないでいるよりは、自分自身と不和である方がもっと悪いだろう」の前にくる)が近代語訳ではたいてい無視されているということである。第一の発言は主観的な発言である。悪事をするよりはされるほうが、私にとってはましだ、ということである。そして対話篇のその場で対置される発言のほうも同様に主観的な発言であり、もちろん後者のほうがまっとうに聞こえる。ここで明らかになるのは、カリクレスの語っている「私」とソクラテスが語っている「私」が別物だということである。そして一方にとって良いことが、もう一方にとっては悪いことなのである。



③・・・・第二の発言もまたすさまじく逆説的である。一人でいるときに、それゆえ自分自身と不調和であるわけにはいかないのだとソクラテスは言う。しかし、AはAであるというように、本当の意味で絶対的に一つであって自己同一的なものは、そもそも自分と調和しているとか調和していないとかいうことがありえないのである。和音を作るには少なくとも二つの音がなければならない。たしかに、私が姿を現わして他人にその姿を見られるときには私は一人の人物である。そうでなかったら、私が私だとわからないから。そして、他人と一緒にいて多少とも自分を意識している場合には、私という人間は他人に見えるとおりの人間である。ここで意識(consciousness)といっているのは(語源的には、「自分自身とともに知る」ということなのだが)、自分には自分があまり姿を現わさないのに、ある意味で自分にとっての私という奇妙な事実のことなのである。これでわかるように、ソクラテス的な意味で「一人である」ということは見かけ以上に問題を孕んでいる。私という人間は他人に対しているだけでなく私自身にも対しており、この後者の場合には明らかに私はたんに一人であるわけではない。私の一人であることの中に差異が持ち込まれているのである・・・・

 註  プラトンの対話篇『ソピステス』からの引用と解説


④・・・・自分自身であると同時に自分自身に対していることができるものがあるとすれば、〈一者のなかの二者〉以外にはない(Nothing can be itself and at the same time for itself but the-two-in-one)。この〈一者のなかの二者〉をソクラテスは思考の本質としてえぐり出し、プラトンは概念的言語に翻訳して「自分の自分自身との無言の対話」と言ったのである。しかし、ここでもまた、思考活動自体は、統一性をなしているわけではないし、〈一者のなかの二者〉を統一しているのでもない。それとは逆に、〈一者のなかの二者〉が一者になるのは、外部の世界が思考する者の中に侵入して思考過程を中断させたときである。自分の名前を呼ばれて現象界に呼び戻されたときにはつねに一者であり、思考過程がその人を二つに分断していたのにまるでピシャリと両者が再び合わさったかのようになる。実存的に見れば、思考することは孤独な仕事ではあるが、孤立した仕事ではない(Thinking is a solitary but not lonely business )。孤独(solitude)とは、自分が自分を仲間にしている状況のことである。一方、孤立(loneliness)とは、自分が〈一者のなかの二者〉に分けられることもできず、自分を仲間にすることもできない状況であって、ヤスパースがよく使った表現で言えば「自分自身を失っている」(lch  bleibe mir aus)のであり、表現を変えれば、私が一者であって仲間がいない状態なのである。


⑤ 人間が本質的に複数性において存在しているということを、おそらく何よりも雄弁に物語っているのは、孤独であることが、多分、われわれが高等動物と共有している単なる「自己についての意識」を、思考活動の間、二者性(duality)へと具体化するということにある。この自分自身との二者性があるからこそ、思考が真の活動たりうるのであって、私が問うものであると同時に答えるものにもなる。・・・・・


 註  「弁証法」の元来の意味。それは「(思考における)対話術」という意味であった。アリストテレスにとってこの「対話術」の犯すこと出来ない原則は「矛盾しないこと」であった。後にカントが、「自己自身と一致して、常に首尾一貫して思考すること」を「思考する者にとっての変更できない格率」としてあげたのも同じ趣旨である。


⑥・・・・思考する自我は二者性においてのみ存在しているからである。そしてこの自我――〈私は私である〉―-が同一性の内に差異性を経験するのは、まさに、自分自身にのみ係わっている-ときなのである。ちなみに、この根源的な二者性があるのだから、アイデンティティーを求める今流行の研究が不毛であるのもわかるというものである。現代におけるアイデンティテ-の危機が解決できるとすれば、手段としてはぜったいに一人にならずに絶対に考えないようにするしかあるまい。そのような元々の分裂がなければ、どう見ても一者であるような存在における調和なるものを扱ったソクラテスの発言は無意味になってしまうだろう。




⑦  ソクララテスにとって〈一者のなかの二者〉の二者性が持っている意味は、もし思考したいのであれば対話を行なう二人がいい関係にあって、パートナー同士が友人であるように配慮せよ、ということに他ならなかった。あなたが目覚めていて一人でいる時にやって来るパートナーは、(考えないでいる場合を除けば)あなたが絶対に別れることのできない唯一のパートナーである。悪事をするよりされるほうがましであるのは、被害者の友でいられるからである。殺人者の友であること、殺人者とともに生きることを望む人がいるだろうか? 結局、カントの定言命法がねらっているのも、自分と自分自身との間の同意が重要であることを比較的単純に捉えることにある。「あなたの格率がとりもなおさず普遍的な法になることを意志できるような格率に基づいて行動せよ」という命法の根底にあるのは、「自分自身と矛盾してはならない」という命令である。殺人者や泥棒でも、当然のことながら自分の命や財産は惜しいのだから、「汝殺すなかれ」とか「汝盗むなかれ」ということが普遍的な法であることを意志しないはずがない。自分をその例外だと考えるのなら、自分自身と矛盾したことになるのだから。


⑧  真作であるかどうか論争のある『大ヒッピアス』がもしプラトンによるものでない偽作であるとしても、それがソクラテスについての真正の証言であると考えて差し支えないだろう。その中で、ソクラテスは事態を簡潔にかつ正確に述べている。対話の最後、家に帰る箇所である。頭がとりわけ鈍いヒッピアスに向かってソクラテスは言う。あわれなソクラテスに比べたらきみのほうがどれほど「無上にも幸福」であるか、と。なぜならソクラテスには家に帰ると、鼻持ちならない連れが待っていて彼を徹底的に詮索してばかりいるからである。「その人は私と血のつながりが深くて、一つ屋根の下に住んでいるのだよ」。ソクラテスがヒッピアスの意見にコメントしているのを聞きつけて、その人が今度は尋ねるだろう。「人に問いかける以上、「美」という言葉の意味を知らないのは明白であるのに、美しい人生のあり方について語るなんてはずかしくないのか」と。ヒッピアスは、帰宅したときには一人である。一人暮らしではあるにしても、自分自身とつきあおうとしないからである。たしかに、意識を失っているわけではないが、意識を現実化させる習慣がないのである。ソクラテスは、帰宅すると一人ではなく、一人でいながら彼自身とともにいる。一つ屋根の下で生活しているのだから、彼を待ち受けているこの連れとなんらかの形で同意して折り合いをつけなければならないのは明らかである。仲間と別れた後でも一緒に生きていかなければならない唯一の連れとうまくいかないくらいだったら、世界全体とうまくいかないほうがよい。



⑨  ソクラテスが発見したのは、他人とつきあうのと同じように自分とつきあうこともできるということであり、この二種類のつきあいには相互関係があるということである。アリストテレスは友情について「友は第二の自己である」と述べているが、これは、自分自身を相手にするのとまったく同じように友を相手にして思考の対話をすることができるという意味である。これは依然としてソクラテス的伝統のなかにあるが、ソクラテスだったら「自己もまた一種の友である」と言ったことだろう。この問題で道しるべとなる経験は友情であって、自分との関係ではない。私はまず他者と語り合うのであって、その後、私は自分と語り合い、話題となっていたことを吟味し、そして、他者とだけでなく自分自身とも対話をすることができるということを発見する。しかしながら、共通のポイントとしてあるのは、思考の対話が友人の間でだけ行なわれるということであり、その基本となる基準、いわば至上の法は、「自分自身と矛盾するな」ということである。
            
     

⑩  「自分自身とかみあわない」のは「いやしい人」の特徴であり、連れを避けようとするのは邪悪な人の特徴である。彼らの魂は自分に反抗している。自分の魂がそれ自身と調和せずに争っているときには、自分自身とどのような対話が可能なのであろうか。シェイクスピアにおけるリチャード三世が一人でいるときに我々が耳にする対話がまさしくそれである。
  
  なにを恐れる? おれ自身をか? 他に誰もおらぬ。
  リチャードはリチャードを愛している。つまり、おれはおれだ。
  ここに人殺しがいるか? いない。いやたしかにいる、このおれだ。
  では逃げろ。何だと。このおれから? なぜ逃げねばならぬ?
  おれが復讐しないように。何だと。おれがおれに復讐する?
  だが、ああ、おれはおれを愛している。なぜ?      
  おれがおれになにかいいことをしたからか?
  とんでもない! おれはおれを憎んでいる。
  おれがおれに憎むべきかずかずの罪を犯したから!
  おれは悪党だ。いや、おれは嘘つきだからな、おれは悪党ではない。
  馬鹿め、自分のことを褒めろ、馬鹿め、見えすいたことを言うな。


 しかし、真夜中を過ぎると様相は一変する。そしてリチャードは自分との付き合いをやめて、もとの悪党に戻るのである。

  良心(Conscience)などというものは臆病者が使うことばにすぎぬ。
  もともとは強者を恐れしめるために作られたものだ


 町のにぎわう所が大好きだったソクラテスでさえ、家に帰らなければならない。そこで彼は、一人になり孤独になって、もう一人の連れと出あわなければならないのである。



⑪   私が『大ヒッピアス』におけるきわめて簡潔な箇所に注意を喚起したのは、そこで与えられている比喩が、困難であるがゆえにつねに過度の複雑化の危険をともなっている問題を、――過度に単純化し過ぎる危険はあるもののー―単純化するのに役立つからである。ソクラテスを家で待ち受けている連れに対して、その後の歴史は「良心」という名前を与えている。カント的な言葉を使えば、良心の法廷を前に我々は出頭し、自分自身を説明しなければならない。そして私が『リチャード三世』の文章を選んだのは、シェイクスピアの語彙には「良心」という語がありながら、彼がここでその語をいつものように使っていないからである。言語において「意識(conscious-ness)」と「良心(conscience)」が分離するのには長い時間がかかった。いまでも言語によっては、たとえばフランス語のように、両者が分離されていないこともある。道徳的あるいは法的な事象において理解されるような良心は、意識とちょうど同じように、つねに我々とともにあることになっている。そしてこの良心は我々に何をなすべきか、何を後悔すべきか、教えてくれると考えられている。それは、自然の光 (lumen naturale)、カントの実践理性になる以前には、神の声だったのである。

 このようにつきまとう良心とは違って、ソクラテスが話題にしている連れは家に残されている。『リチャード三世』の殺人者が良心をー―その場にいないものとして――恐れるように、ソクラテスは連れを恐れている。この場合の良心は「再考」として登場しており、リチャード自身の場合で言えば犯罪によって引き起こされたのであり、ソクラテスの場合で言えば吟味されていない意見によって引き起こされている。リチャードによって雇われた殺人者のように、「再考」を予期して恐れることであるかもしれない。このような良心は、我々の内なる神の声や自然の光と違って、積極的な処方瀋を出したりしない。(ソクラテスのダイモンや、その神的な声は、何をしてはいけないのかを教えるだけである。)シェイクスピアの言葉でいえば、「それは人間を障害だらけにしてしまう」。人がそれを恐がるのは、帰宅するときにだけ待ち受けている証人の出現を予期できるからである。シェイクスピアにおける殺人者は言う。「うまく生きようとする人は……それなしで生きようと……努める」。そしてそれはたやすいことである。なぜなら、我々が「思考」と呼んでいる無言の孤独な対話をけっして始めず、家に帰らず、物事を吟味しなければよいからである。これは頭がよいとか悪いとかいう問題でないように、凶悪さや善良さの問題ではない。(我々が自分の発言や行動を吟味する)無言の会話を知らない人は、自分自身と矛盾しても平気なのであり、自分の発言や行動を説明することができないし、そうするつもりもない。犯罪を犯しても平気な人は、そんなことはすぐに忘れられるだろうと決め込むだろう。悪人は「後悔の念」で一杯になるとアリストテレスは言っていたが、そんなことはないのである。



⑫   認識を目的とせず、専門化されたものでない意味での、人間生活における自然な欲求としての思考は、少数者の専売特許ではなく、能力としては万人につねに開かれている。それと同じく、考えることができないという状態は、知力の足りない人々のおかす失敗なのではなく可能性としては万人にとってつねに存在しており、科学者や学者のような精神的営為の専門家たちも例外ではない。自分自身との会話の可能性と重要性に最初に気づいたのはソクラテスであったが、誰だってそういう会話を避けたくなることもある。思考は生に伴うものであり、思考自体が生きることから物質的な面を取り除いた精髄なのである。人生は過程なのであるから、人生の精髄は実際の思考過程にこそあるのであって、出来上がった思考の結果とか特定の思想にあるわけではない。考えることのない人生も十分可能である。その場合には人生の本質を広げていくことはない。無意味であるだけではなく、十分に生きているともいえないのである。考えない人は夢遊病者と変わらないのである。・・・

妄想---生き延びる戦略 [探求]

妄想-生き延びる戦略

The brain's capacity to form delusions as an evolutionary strategy for survival.

Edward M. Hundert


in Phenomenology,Language & Schizophrenia


 上記の論文のほぼ4/5にあたる部分の翻訳を以下に掲げる。
 

「 あるケース・スタディ:ティモシーG.
  
 私がティモシーG.と呼ぶことにする患者は、32歳、独身、白人、失業中の男性で、その精神病的症状は、ほぼ20歳のときに始まった。その頃まで、彼は成績もよく、彼の高校の通知表は、彼のことを、皆から好かれ、遊び好きな人間と記述している。しかし大学二年のとき、彼の社会生活は悪化し始め、次第に孤立しうつ状態になった。彼には顕著な不眠傾向とパラノイアがあり、地元の幾人かの女性にセクハラ行為を行ったために、最初の入院ということになった。
 
  20歳から22歳の間に、この患者は、ほとんど死んでもおかしくなかったような自殺の試みに続いて、重い鬱の治療のために何度も短期間の入院をした。この自殺の試みには、ナイフで自分の腹を突き刺す(肝臓に障害をもたらした)、ガソリンで焼身自殺を図る、橋から凍った川に飛び込む、手首を切る、睡眠薬の過剰摂取などがあったが、最後の過剰摂取では二日間意識が戻らなかった。最後の自殺の試みの頃に、彼は、自分が「聖霊を冒涜したことがあった」と感じ始めた。23歳の頃、ティムは、その後10年間にわたり強弱の違いはあれど常に存在し続けてきた妄想の体系を抱くようになった。その体系には、自分は、戦争犯罪の償いをするために生まれ変わったアドルフ・ヒトラーであるという信念も含まれていた。彼の言うところによると、自分はヒトラーの墓に5年間埋められていたが、それから多くの自殺の試みや入院の苦しみを味わうために地上に戻ってきたという。比較的病状が安定してるときでも、具体的ではない形ではあるにせよ、自分は今償いをしているのだということを主張し続けた。しかし、何らかのストレスがかかると、ヒトラーの生まれ変わりであるという彼の信念が、多くの詳細を伴って戻ってくるのであった。

 事態を複雑にしていたのは、この患者が12歳のときに多発性硬化症と診断されたことであった。 MRIは、彼の脳のあちこちに多様な白質病斑があることを示していた。彼は、ここ10年間、発病時に見せた神経学的症状が進行していないために、多発性硬化症の典型的な特徴のすべてを持っているとはいえなかった。彼が10歳のときひどい自転車事故を起こし意識を失ったことが、脳のスキャン画像で見られる損傷の原因であり、これが多発性硬化症のような症状を引き起こしているのではないか、という仮説を立てる者もいた。
 ティムの家族の病歴としては、母方の大おばとおじが鬱病を何度も発症したということが目につく位であった。彼は、今更正施設にいて、パラノイアの症状や鬱が深刻になったときだけ、再入院するという暮らしをしている。彼は、約10年間、自傷の試みをしていない。


 臨床的パースペクティヴと進化的パースペクティヴ

 ティムは、それと判る脳の病理と非常に古典的な妄想体系を持っているがゆえに、われわれの議論にとって興味深いケースを提示している。妄想は、患者が自分のことを悪である、罪深い、あるいは何らかの点で世界や周囲の人々を汚していると考える場合には、こういう形式をとるのである。MRIの画像でくっきりと現れる脳の病理的現象が、自分はヒトラーの生まれ変わりであるというティムの固定的な信念の直接の原因であると想定することは魅力的なことである。
 しかし、彼の病気の経過は別の物語を語っている。その物語とは、たぶん彼の脳神経の状態のために、たぶん遺伝的抑うつ的混乱のために、またはたぶん何か別の未知の理由のために、患者が20代の初期に自殺をするほどの欝状態に陥り、そして、彼が知っているような「現実」が彼にたった一つの選択肢、つまり自殺という選択肢しか残さなかった、という物語である。無意味な苦痛による孤立化が、ティムをあれほど印象に残るほど執拗に自分の命を奪おうとする試みに駆り立てたのであり、ティムが今日生き延びていることはほとんど奇跡に近いものがある。

 しかし,彼の生に意味が与え返されたのである。この意味は彼の妄想から生じたのだが、それは、多くの精神病の患者と同様、彼の症状の全体が、彼の継続的生存を組織的に支えたからである。彼の生を終わらせることは、ナチスのホロコーストの犯人に裁きを下すという世界の希望を終わらせることであるだろう。彼の脳がこのことを理解してからというもの、彼の継続的な生存が危機に瀕するようなことはなくなったのである。
 ティムを精神病の患者と呼ぶことで、私は、妄想を精神病という一般的なレッテルのもとに含めているわけだが、これは若干の説明を要する。メルジェスは通常の定義を要約して次のように述べている。「精神病という術語は、欠陥のある現実検討能力を指し示す。簡単に言って、欠陥のある現実検討能力とは、現実的なものを非現実的なものから区別することが困難である、ということを意味する」。ティムの妄想が精神病的なのは、彼が現実的にはヒトラーの生まれ変わりではなく、従って彼が現実的なものを非現実的なものから区別することができないとわれわれが考えるからである。
 しかし、われわれがここで考察していることは、「現実的なもの」との継続的接触は、ティムの生命の終わりをもたらしただろうという可能性である。われわれは次のことを考えてみるべきなのかもしれない。妄想を生み出したのは、MRIの画像に映った損傷を受けた部分なのか、それとも、脳のもっと健康な部分が彼を助けにやってきて、彼に生命を終わらせない理由を与えることによって、彼を生き続けさせているのではないか。

 妄想とは、人間の経験の別の部分が崩壊したことに直面した脳がそれを代替したりそれを修復する努力なのだという考え方は、50年以上前に、ミンコフスキーによって周知のものとなった考え方である。彼の有名な患者は、自分は次の日に処刑される予定であるという固定した妄想を持っていた。この患者の経験と折り合いをつける努力の後で、ミンコフスキーは次のように結論づけた。
 「…妄想は想像力の産物ではまったくない。それは、人の生命の一部である現象に接木されるものであり、生命を総合している部分が弱体化し始めるときに、活動し始める。処刑という観念は、精神の正常な部分が、いま崩れかけようとしている建物の色々な箇所の間に論理的なつながりを打ちたてようとする試みなのである」。

 …進化的パースペクティヴから見ると、なぜ脳が死より妄想を優先するかは明らかであるはずだ。個人の心的な経験は、それが適応性のない行動を生み出したり、生殖に必要な肉体的特長の変化を生み出さない限り、結局、自然淘汰のかかわる事柄ではない。マーハーが言うように、「自然淘汰は肉体の構造と行動に作用するのであって、思考そのものに作用するわけではない」。脳が進化したのは、他でもない生存(サバイバル)のためであった。「現実の」世界が個人に、自殺(または殺人)以外の選択肢を残さないとき、われわれは、当然ながら、健康的な脳がその現実の世界を手放すことを期待するだろう。セムラードがかつて言ったように、「精神病とは…生命を維持するために現実を犠牲にすることである」。「妄想」は脳のより健全な部分(ティムの脳のMRIの画像に映らなかった部分)の代償的努力なのであるという点を見逃して、善意の治療者が患者に、自分の過去のためにいま処罰されているなどということは正しくありませんと言って、患者から、彼らの脳が創造した意味を奪ってしまうとき、われわれは多くの自殺を促しているのではないだろうか。


 ところで一体、誰の現実のことか?

 上でメルジェスがしたように、「現実的なもの」と「非現実的なもの」を区別する能力の欠如という観点から、単純に、精神病を定義することにまつわる周知の問題は、何を「現実的」と見なすかという点についての意見の一致(consensus)がまったくないことである。確かに、生まれ変わりに対するティムの信念を額面どおり受け取る文化は数多くあるだろうし、唯一の問題は、ティムが本当にヒトラーなのかどうか、であるかもしれない。われわれが、妄想を形成する脳の能力を、生存のための進化的戦略としてみなしたとき、われわれが留意しなければならないのは、進化を通して生存し続けるのは、個体のみならず、種であるということである。「適応」性をもつものとは、集団としての全体にとって適応性をもつものなのである。このことは、何を「現実的」とみなすかという問題についてのいかなる見解にとっても大きな意味合いをもっているのである。
 
 われわれが妄想を形成する脳の能力を進化論的戦略として理解できるのは、個体というよりも種という文脈内でのことなので、単一の「真理」が存在するかどうかという哲学的な難問に立ち入る必要はないのである。ミラーが「哲学者は狂気をどう扱えばいいか知らなかった」と書いたとき、まったく正しかったわけではないが、「ここに新しい方向性のための絶好の機会がある」という彼の結論はたしかに正しい。ストローソンは、『意味の限界』で、「客観的の別名は公共的である」と述べている。別の哲学者、カントは、次のように書いたとき、妄想をまさにこのような仕方で理解している。つまり「狂気の唯一の一般的特徴は、万人に共通する観念に対する感覚(sensus communis)の欠如であり、その共通感覚が、自分ひとりに特有の観念に対する感覚(sensus privatus =私的感覚)によって置き換えられてしまったことなのである」。

 個人的なレベルではなく集団的レベルを問題にすることを難しくしているのは、人間の経験が、現実的であるか非現実的であるかの注目すべき可能性を示していることである。いずれも、人間の経験の「現実的な」部分であり、ティムが自分の経験について間違っていると示唆することはきわめて不適切であろう。現実との接触は、われわれ一人ひとりにとって、流動的なものであって、だからこそ、クラインは、多くの発達心理学の理論がそうしているように、現実検討の段階について語るのではなく、現実検討の「位置」について語るように促しているのである。ボクサーが前進して新たな位置を占めるが、攻撃されて元のもっと守備的な位置に戻るように、われわれは皆、自分の体系へのストレスに応じて、現実との接触の段階も、その時々で変わるのである。この能力が進化論的意味でいかに適応的であるかは容易に見て取れる。なぜなら、それがなければ、必要なときに元のもっと守備的な位置に戻ることができないボクサーと同じ運命を蒙ることになるだろうからである。
 
 別のパースペクティブから見れば、われわれのほとんどは、ほとんどの時間、「妄想」しているのではないかどうかと思案してみることは魅力的である。通常の気分が良いときのわれわれは、現実と最大限に接触している状態にはないのであって、それは、上司によい仕事をしていると思われいるとか、家族は自分のことを愛しているとか等々の思い込みで気持ちよくやって行けているからである。ティムが思い起こさせてくれるように、重い欝状態は、いっそう粗雑な現実の歪曲を生み出しうる。しかし、穏やかな欝状態が、自分が置かれた状態のポジティブな要素とネガティブな要素のいずれをも現実的に評価しているので、現実との接触を最大化するのかもしれない…

 個人個人で経験された現実に劇的なまでの違いがあることを経験的に研究してみればわかることだが、「現実的」ということに関して意見の一致は驚くべきほど欠如しているのである。ウィリアム・ジェームズは「現実的なもの(the real)」と「非現実的なもの(the unreal)」のいかなる区別をも放棄して、その代わりに、「さまざまな現実(the realities)」、つまり、「科学的現実」の世界や、彼が「部族の偶像」(共有された神話、幻想、想像)の世界からなる多様な世界について語らざるを得なかったのである。人類学者のカスタニェーダも、同様に、さまざまな文化の研究によって、現代の科学的精神の思考にとってまったく異質な異なった諸現実(separate realities)が存在しているということを認めざるを得なかった…。しかし、多様な現実の存在という観点から、精神病理学についてわれわれが知っていることのすべてを放棄する必要はない。われわれは、ただストローソンとともに、「客観的なもの」とは、何か単一の統一的な真理ではなく、公共的なものを指し示しているということを認識するだけでいい。「公共的なもの」とは、集団的な全体のことであり、つまり今の場合、その生存が、妄想を形成する脳の能力を含む進化的戦略によって維持される集団なのである。


 現実とサバイバルの政治

   私は、この議論を拡大して、現実とサバイバルの問題の政治的側面を考察することで、結論に導きたい。私は、これまで、個人にとっての妄想の適応的価値を強調してきたが、社会史を勉強してみれば、「皆の意見が一致している現実世界」とは違った現実なるものを知覚した者がいかにひどい代償を払わなければならなかったか、そうした例がどんな時代にも見られることはすぐ判ることである。部族や、共同体や、国家や文化が違えば世界観もひどく違ってくるわけだが、その中の大きな集団が、いつも、自分達とは違った仕方で現実を知覚する人々を非難、迫害、はては殺してきたのである。ガリレオからセーレムの魔女、今世紀ではソ連の反体制派の人々もそうだが、多数が一致してもっている見解を疑問視した人々によって提起された脅威は、文化を強固にしているのが共有された信念であるということを想起させてくれるものだ。火あぶりの刑にされたりシベリア送りにされる危険は、政治的世界にあって妄想を形成する脳の能力が、最終的には、サバイバルに結びつく価値をもつものだというわれわれの見解に対して、重大な問題を提起するものである。
 
  つまり、サバイバルが脳にとって至上命題であるならば、みすみす生命の危機をもたらすような考え方をあえて脳が生み出すということは、つじつまが合わないのではないか、と疑問にもつ人が出てくるかもしれないし、それは、たしかに、もっともな疑問である。

  
 『われわれは現実を必要としているか』という挑発的な論文で、カール・ロジャースは、いかに多くの現実をわれわれは同時に経験しているかを、想起させた。空を見上げれば、天空が私の周りを回っているのが目に入るし、私は、宇宙の運行の中心点であると同時に、そのちっぽけで無意味な一部にすぎない。私は、足元の大地の上にしっかりと立っていて、同時に、息もつかせぬほどのスピードで宇宙を進んでいる。私が握っているペンは、固体であると同時に、原子によって構成されているというよりも空間によって構成されている。こうしたことを考えてみるだけでも、「われわれはみな現実の世界が何であるかを知っている」という安心できる信念が嘘であることが判るのである。
 妄想を形成する脳の能力は、集団が生き延びるための戦略の一部として進化してきた。しかし、その集団としてのサバイバルは、もっと大きい適応的能力、つまり、共有された現実感にあまり依存しない世界で生きていくという能力に依存しているかもしれない。大量の人間が、社会的・文化的現実の本性について完全に意見の一致を見るという贅沢を味わうふりができたのは20世紀で一度しかなかった。これこそ、西欧文明をほとんど破壊したアドルフ・ヒトラーのナチス・ドイツによってもたらされた意見の一致であった。さまざまな現実を受け入れる度合いを増しながら一つの種として生き延びていくわれわれの集団的能力は、そのような諸現実との接触を生命を守るために喪失する妄想というものを生み出すために元来進化してきた脳に依存しているとしたら、それは、運命の皮肉といえるかもしれない。

  集団が共有された信念のもとで生きるということが、生物の集団としては理想なのかもしれないが、その理想が現実になった稀な例、つまりナチスドイツの例は、理想とはかけ離れたものであった。そもそも、誰もが一致している現実なるものは疑わしい代物でしかない。進化の法則は集団単位で割り出される現象であるが、それ以前に、個体が、自分の所属している集団がどうであれ、生き延びる能力ということが、一番根本にある能力であるはずだ。つまり、集団全体が、ある特定の現実に突っ走っていても、その中の個人が、その現実を無視して、個人的な妄想を形成するという多様性がないと、逆に、集団も成り立たなくなってしまうのである。ここら辺で、脳の柔軟性というか、自分を取り巻いている環境がどれほど変化しようと、時にはそれに適合し、時には、それを真っ向から否定し自分の妄想世界を形成する(それが場合によっては、サバイバルにつながることだってある)、という脳の柔軟性、可塑性が充分感じられるのではないかと思われる。


 
 「ヒトラーの生まれ変わりだというティムの妄想にははっきりとした皮肉があって、それは、彼が、われわれは二つの危険な極端の間の細い道を歩いているのだ、ということを思い出させてくれるからである。第一の危険は、集団全体と違った仕方で現実を知覚する個人の迫害である。(もしティムの信念は変わらなくても、彼が女性にセクハラ行為をしたり自殺を試みたりしなかったならば、彼は入院させられて「精神病的」というレッテルを貼られずに済んだのでは、とわれわれは思うのである)。もう一つの危険は、われわれの脳の適応的能力が、同胞に対する配慮をしなくなる、それも、同胞がわれわれと同じであることに安心できるからという理由ではなしに、彼らがわれわれとは違うがゆえにわれわれは彼らを評価しするという理由から、同胞に対する配慮をしなくなるならば、それは、われわれが知っているような文明に対する脅威になる、ということである」。

 違うから迫害するという危険と、みんな違って当然だから、他人に対しては無関心でいるのが一番と思う危険。


 「たぶん、ティムの言う「償い」は、われわれ人間の脳―様々な現実を、必要に迫られる範囲で、縦横無尽に移動する能力によって、生き延びるべく適応してきた脳―は、われわれに、共有された現実についての単純すぎる考え方をもはや必要としない新たな時代においてともに生きていくという能力を提供してくれるだろうという一筋の希望である。進化は驚くべき仕方で進む。だからこれからどうなるかは誰も判らない。妄想を形成する脳の進化した能力は、現代の世界においてもわれわれが集団としてもサバイバルすることを請け負ってくれる新たな戦略の基礎を提供することになるかもしれないのである」。








シルヴィア・プラス:ダディー [探求]

 昨日の記事でシルヴィア・プラスの名前に言及があった。日本ではあまり知名度があるわけではないが、欧米では教養層では知らないものはいないほど有名な詩人である(しかも熱狂的なファンが非常に多い)。基本的な情報についてはWikiを参照されたし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9)。彼女はラジオ局で何編か自作の朗読を吹き込んでおり、その音声に映像を付け足したものがYouTubeで出回っている。

 自分が贔屓にしている詩に、独自の映像と音声を組み合わせたものがかなりYouTubeにあるようだ。詩が好きな欧米人のひそかな流行なのだろう。パヴェーゼの詩にタルコフスキーの映像をカップリングした作品を見たときは、思わず飛び上がるほどびっくりした。一瞬、タルコフスキーがパヴェーゼのために映像を作ったのかと思ったからなのだが、これは単に『ストーカー』の映像を取ってつけただけのものだったが、しかし洒落ているな~、と感心したし、そうか、こんな詩の楽しみ方があるのか~、自分でもできるかなとも思いもしたが、今はまだ無理。 とりあえず、シルヴィア・プラスの代表作の一つ「ダディー」を、作者の朗読の音声、映像、原詩、訳文をまとめた形で、紹介してみようと思った次第。朗読と映像については次のサイトを参照されたし。シルヴィア本人の息遣いまでもが堪能できます。

 http://www.youtube.com/watch?v=6hHjctqSBwM


 彼女は父親とは10才の時に死別。父親を思慕する気持ちは高じるばかりで、20歳のときに父のところに行こうと自殺未遂を計る(「みんなで あなたを埋葬した時 私は十歳だった。二十歳の時 私は死んで あなたのところに帰ろうとした 帰ろう 帰ろうと。骨でも構わないと私は思った」)。24歳のとき、詩人テッド・ヒューズと結婚。そこに彼女は父親の面影を認めたのだろう(「僕が父親の代わりになろう」)。しかし、無慈悲にもシルヴィアを捨てて他界した父親の裏切り行為(と彼女には感じられたはず)と同様に、夫にも裏切られることになる(「私の血を・・・七年飲んだあの吸血鬼」)。占いは、初めから不吉な運勢を示していたようだ(「私の薄気味悪い運勢 私のタロット・カード タロット・カード」)。父親はドイツ系だった(そこからドイツ的なものに対する憎悪が生ずる。「私」が、死の運命に追い立てられるユダヤ人のような立場に追い込まれるのは、比喩の論理ともいうべきもの)。しかし、父親は黒い服を着た吸血鬼でもあった。黒い服を着ているという点で、ヒューズは父親と重なり合ったのだろう。ヒューズはもう一人の父親だった。 一生涯報われることのなかった愛情を向け続けた相手を、ナチスに、吸血鬼に変えながら、そして彼らのとの関係を清算するつもりで、いま、電話線を切って、すべてを終わらせようとする自分の最後の行為を述べる最後の箇所は、やがて、ガス・オーブンに首を突っ込む形で自殺する自分の最期を予告しているかのようである。
 
Sylvia Plath.jpg





1. あなたには無理 もう無理だわ
  あなたは黒い靴 その中で
  私は足のように
  三十年生きてきた 哀れで青白く
  息をしたり くしゃみをしたりするのにも勇気がいった。


2. ダディー 私はあなたを殺さなければならなかった。
  あなたは 私に殺されるまでもなく、死んでしまったけど─
  大理石のように重く 神様であふれた鞄
  もう幽霊のようにしか現われることのないあなたの体 その灰色の足は
  サン・フランシスコのアザラシみたいに大きく


3.  首は気紛れな大西洋に漬け
   美しいノーセット沖の海で
   首は青の上に鮮やかな緑を注ぐ。
   私はあなたを取り戻そうと祈ったの。
   そうよ、お父さん。


4.  ドイツ語でね
   戦争 戦争 戦争というローラーで
  ぺちゃんこにされたポーランドの町で。
   でも その町の名はどこにでもあるもの。
   私のポーランド系の友達に言わせると

5. 一ダースか二ダースはあると言う。
   だから あなたが自分の足を
   自分の根っ子をどこに置いたか どうしても判らなかった。
   どうしても あなたに話しかけることもできなかった。
   舌が顎の中でもつれて

6.  舌が有刺鉄線の罠の中でもつれて
   ワタシ(イッヒ) ワタシ ワタシ ワタシ。
   私は ろくに喋れなかった。
   私は どのドイツ人もあなただと思った。
   そして ドイツ語は猥褻だった


7.  ドイツ語は機関車 機関車
   私をユダヤ人みたいにシュッシュッと駆り立てる。
   ダッハウへ アウシュヴィッツへ ベルゼンへと駆り立てられるユダヤ人。
   私はユダヤ人みたいに喋り始めた。
   自分はユダヤ人なのかしらと思う。


8.  チロルの雪、ウィーンの澄んだビール、
   それはあまり純粋ではない 本物でもない。
   私のジプシーの女祖先 私の薄気味悪い運勢
   私のタロット・カード タロット・カード
   私はちょっぴりユダヤ人なのかもしれない。


9.   私はいつもあなたを恐れていた。
   ドイツ空軍にいて チンプンカンプンのドイツ語を喋り
   それに こぎれいな口髭をはやし
   それに  鮮やかな青の アーリア系の目をしたあなたを。
   戦車兵 戦車兵 そう あなたは─


10.  神様ではなく かぎ十字章 それは
   どんな空でも通り抜けられないほどの暗黒。
   女はみんなファシストを崇拝する
   顔を踏みつける長靴 獣の
   あなたのような獣の野蛮な心を。


11.  ダディー あなたは黒板の前に立っているわ
   私の持っている写真の中では。
   裂け目はあなたの足にではなく顎にある
   でも 悪魔であることに変わりはない
   ええそう 私の可憐な赤い心臓を

12.  二つに噛み切った あの黒い男であることに変わりはない。
   あなたが埋葬された時 私は十歳だった。
   二十歳の時 私は死んで あなたのところに
   帰ろうとした 帰ろう 帰ろうと。
   骨でも構わないと私は思った。


13.  でも 私は引っ張り出されて
    動けないように糊付けされた。
    それから私はどうしたらいいか分った。
  私はあなたのモデルを作ったの
    黒い服を着た わが闘争風の顔をした男を。


14.  強要や 他の拷問道具が好きな男を。
   それから私は やってやる やってやると言った。
   だから ダディー 私はとうとうやり終えたわ。
   黒い電話機は根もとから外したし
   声はウジムシのように受話器から這い上ってくることもできない。


15.  もし私が一人の男を殺したのなら 二人殺したも同様―
    僕が父親の代わりになろう と言ったあの吸血鬼を
    私の血を一年―いいえ もし知りたければ教えてあげる―七年も飲んだあの吸血鬼を殺したのだから。
    ダディー やっと あなたは休めるわね。


16.  あなたの肥った黒い心臓には杭が刺さっていて
    村びとたちは 一度だってあなたのことなんか好きになったことはなかった。
    彼らは今踊りながら あなたを踏みつけている。
    それがあなたなのだと、みんな初めから知っていた。
    ダディー ダディー ろくでなしのお父さん 私 やり終えたのよ。





1. You do not do, you do not do
Any more, black shoe
In which I have lived like a foot
For thirty years, poor and white,
Barely daring to breathe or Achoo.


2. Daddy, I have had to kill you.
You died before I had time─
Marble-heavy, a bag full of God,
Ghastly statue with one gray toe
Big as a Frisco seal


3. And a head in the freakish Atlantic
Where it pours bean green over blue
In the waters off the beautiful Nauset.
I used to pray to recover you.
Ach, du.


4. In the German tongue, in the Polish town
Scraped flat by the roller
Of wars, wars, wars.
But the name of the town is common.
My Polack friend


5. Says there are a dozen or two.
So I never could tell where you
Put your foot, your root,
I never could talk to you.
The tongue stuck in my jaw.


6. It stuck in a barb wire snare.
Ich, ich, ich, ich,
I could hardly speak.
I thought every German was you.
And the language obscene


7. An engine, an engine,
Chuffing me off like a Jew.
A Jew to Dachau, Auschwitz, Belsen.
I began to talk like a Jew.
I think I may well be a Jew.


8. The snows of the Tyrol, the clear beer of Vienna
Are not very pure or true.
With my gypsy ancestress and my weird luck
And my Taroc pack and my Taroc pack
I may be a bit of a Jew.


9. I have always been scared of you,
With your Luftwaffe, your gobbledygoo.
And your neat mustache
And your Aryan eye, bright blue.
Panzer-man, panzer-man, O You─


10. Not God but a swastika
So black no sky could squeak through.
Every woman adores a Fascist,
The boot in the face, the brute
Brute heart of a brute like you.


11. You stand at the blackboard, daddy,
In the picture I have of you,
A cleft in your chin instead of your foot
But no less a devil for that, no not
Any less the black man who



12. Bit my pretty red heart in two.
I was ten when they buried you.
At twenty I tried to die
And get back, back, back to you.
I thought even the bones would do.


13. But they pulled me out of the sack,
And they stuck me together with glue.
And then I knew what to do.
I made a model of you,
A man in black with a Meinkampf look


14. And a love of the rack and the screw.
And I said I do, I do.
So daddy, I'm finally through.
The black telephone's off at the root,
The voices just can't worm through.


15. If I've killed one man, I've killed two---
The vampire who said he was you
And drank my blood for a year,
Seven years, if you want to know.
Daddy, you can lie back now.


16. There's a stake in your fat black heart
And the villagers never liked you.
They are dancing and stamping on you.
They always knew it was you.
Daddy, daddy, you bastard, I'm through.  



















恋する少女 [探求]

そう、私はあなたのことを思っている。
私は、われを忘れるあまり、自分の手から滑り落ちてしまう、
あなたの傍らから私のところに来るかのような
真剣で、迷いのない、一途なものにあらがうすべもないままに。

・・・あの頃、ああ、私はなんと一つであったことか、
私を呼ぶものは何もなかった、私を裏切るものもなかった、
私の静けさは、石の静けさのようだった、
その上を小川がささやきながら流れていく石の静けさのようだった。

しかし今、この春の幾週がすぎる間に、
何かがゆっくりと私を引き離してしまった
暗がりの中にいるような何も思うことのない一年から。
何かが、私の貧しくも暖かい生を
誰かの手に委ねてしまったのだ、
昨日まで私が何であったか、何も知らない人の手に。 


(原詩)

Die Liebende

Ja ich sehne mich nach dir. Ich gleite
mich verlierend selbst mir aus der Hand,
ohne Hoffnung, Dass ich Das bestreite,
was zu mir kommt wie aus deiner Seite
ernst und unbeirrt und unverwandelt.


・・・jene Zeiten: O wie war ich Eines,
nichts was rief und nichts was mich verriet;
meine Stille war wie eines Steines,
 über den der Bach sein Murmeln zieht.


Aber jetzt in diesen Frühlingswochen
hat mich etwas langsam abgebrochen
von dem unbewussten dunklen Jahr.
Etwas hat mein armes warmes Leben
irgendeinem in die Hand gegeben,
der nicht weiss was ich noch gestern war.




  何がきっかけかもう覚えていないが、高校の頃リルケの詩集を手に取った。生野幸吉の訳の本だったと思う。後期の結構哲学的で、深刻ぶった詩は受け付けなかったが、初期の、特に『形象詩集』の詩はいくつか暗唱できるほど親しんだ。
 
 その後、生野訳の本もどこかに消え、文学などまったく無縁なまま月日を重ねても、何となく、噴水を見ると「ガラスでできた透明な木々」といった表現(『噴水について』)が断片的に浮かんで来たりして、完全に絆が断ち切られたわけではなかった。やはり、若いとき脳裏に刻みつけたものは、容易に忘れ去ることはないようだ。

  ここに紹介した詩も、時折、断片的に脳裏に浮かびあがった詩の一つである。特に「私はなんと一つであったことか」における「一つ」という言葉の使い方などは、初めてそれを目にしたときの私にとっては、新鮮この上ない経験だったはずだ。「一つ」という平凡極まりない言葉であっても、こんな使用があるのか。魔法でも見る思いがした。言葉に対する繊細さや斬新な比喩の冒険という点で、リルケに勝るものがいるだろうか? と今でも思っている。










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僧院生活の書の冒頭 [探求]

 『時祷集』

 僧院生活の書

時間が近づき私に触れる。
澄んだ、金属的な鐘の音とともに。
私の五感は震えだす。私は感じる。私にはできるということを―
私は世界を造形するための一日をこの手に抱きしめる。

私が観て取るまで、何物も完成されたものはなかった。
すべての生成が、私のまなざしを受け取るために、静止していた。
いま、私のまなざしは成熟した、
私のまなざしが望む事物は、まるで花嫁が花婿のもとにやって来るように、私のまなざしのもとにやって来る。 

私には小さすぎるものは何もなく、小さすぎても私は愛し
それを黄金の地に大きく描き
それを高く掲げる、そして誰かは判らぬ
誰かの魂をそれは解き放つ・・・


私は私の生を生きる、
事物の上で次第に大きくなる輪を描きながら。
最後の輪を終えることはないだろう
だが試みるつもりだ。

私はめぐる、神の周りを、太古の塔の周りを
もう何千年の長きにわたり、めぐりつづけている。
まだ私には判らない、自分が鷹なのか
嵐なのか、大いなる歌なのかを。



(原文)

Erstes Buch

Das Buch von mönchischen Leben(1899)


Da neigt sich die Stunde und rührt mich an
mit klarem,metallenem Schlag:
mir zittern die Sinne. Ich fühle: ich kann --
und ich fasse den plastischen Tag.

Nichts war noch vollendet, eh ich es erschaut,
ein jedes Werden stand still.
Meine Blicke sind reif, und wie eine Braut
kommt jedem das Ding, das er will・・・

Nichts ist mir zu klein und ich lieb es trotzdem
und mal es auf Goldgrund und gross,
und halte es hoch,und ich weiss nicht wem
löst es die Seele los…

Ich lebe mein Leben in wachsenden Ringen,
die sich über die Dinge ziehn.
Ich werde den letzten vielleicht nicht vollbringen,
aber versuchen will ich ihn.

Ich kreise um Gott,um den uralten Turm,
und ich kreise jahrtausendelang;
und ich weiss noch nicht: bin ich ein Falke,ein Sturm
oder ein grosser Gesang.






  中学か高校の時分、格別文学好きというわけでもないのに、なぜか、リルケの詩集を時折読んだことがあった。だいぶ多くの時間が経過した後になって、もう一度、折に触れて、リルケの詩に向き合いたくなった。しばらく、気の向くまま彼の詩を取り上げて、下手な感想なぞを付け加えようと思う。私訳も掲げるが、これは、言うまでもないが、あくまで、自分の個人的な雑記の延長のようなものである。





 『時祷集』(Stunden-buch、the book of hours)とは、個人が一日の決まった時間に礼拝する時に使われた書のことで、中世には豪華な装丁の時祷書が数多く作られたようである。リルケは、『第一部 僧院生活の書』では、僧院でイコン(聖像画)の創作に没頭するロシアの修道士に語らせる形で、自分の詩作を進めていった。造形への腐心と、神への謙虚な祈りが一体となっているような表現の形式が、リルケの「文学空間」の始まりだった。

   
 'neigt sich die Stunde'・・・・これは、普通に訳せば「時間は傾き」だが、日の傾き、時計の針の傾き、鐘の傾きなどが複合しての「傾き」なのだろうか? しかし「近づく」とも訳すことはできる。「近づき、私に触れる」も捨てがたい。いずれにせよ、修道士のすぐ上で時を告げる鐘が響いているのであろう。

 
 'den plastischen Tag'・・・「造形的な一日」と訳すしかない所だが、そう訳すのは芸がないとも考えられる?  
 
 'Nichts war noch vollendet' ・・・・ 私が見ないうちは、何物もまだ未完成であるという予感。私が完成をもたらすという予感。こうした芸術家ならではの高揚した自負と、修道僧としての(神の前での)謙虚さという両極端の感情の間の振幅によって、これ以下の詩が展開していく。
 
 この詩の英訳者によれば、ここには「相互性」の意識があるのだという。「宇宙におけるわれわれの存在は相互的プロセスの一部である。事物は、現実的になるために見られる必要がある。われわれもそうであるし、神もそうである」。

’Goldgrund’・・・イコンならではの黄金の地。代表的な絵柄の作品を一つ掲げておく。

 イコン.jpg
 










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カフカのアフォリズム(1) [探求]

 カフカのアフォリズムを、手近なところに見通しやすい形で置いておきたいと思った。カフカ晩年の成熟した洞察を表わす言葉の数々である。これらの言葉は、いつも身近にあってほしいと願う言葉ではないし、むしろこちらからの働きかけを拒むような言葉ばかりなのだが、それでも折に触れて立ち戻ったり、自分の考えをそこに加えたりしていければと思っている。だから、これはずっと続いていくプロセスである。少しずつ書き足していって、いずれまとまった形に手直ししたいと思っている。



1
 「真の道は、空中の高いところではなく、地面すれすれのところに張り巡らされているロープの上を通っている。それはきっと、歩いて渡るためのものというより、つまづかせるためのものであるようだ」。

 Der wahre Weg geht über ein Seil, das nicht in der Höhe gespannt ist, sondern knapp über dem Boden. Es scheint mehr bestimmt stolpern zu machen, als begangen zu werden.


2
 「人間の誤りはすべて性急さである。方法的な事柄を早めに打ち切ったり、見かけ上のものを見かけだけ囲ったりすることなどである」。

 Alle menschlichen Fehler sind Ungeduld, ein vorzeitiges Abbrechen des Methodischen, ein scheinbares Einpfahlen der scheinbaren Sache.

 **カフカの文章で「方法」という言葉に出くわすのは少し意外な感じ。残念ながら、Einpfahlenという語がどういう状況を念頭に置かれて選ばれたのかは不明。

3

「人間の大罪には二つあって、他の大罪はそこから導き出される。つまり性急さと投げやりという大罪である。性急さのために、人間は楽園から追放された、投げやりのために彼らは戻らない。おそらく一つの大罪があるだけなのだろう。性急さという大罪だけがあるだけなのだろう。性急さのために追放され、投げやりのために戻らないのである」。

Es gibt zwei menschliche Hauptsünden, aus welchen sich alle andern ableiten: Ungeduld und Lässigkeit. Wegen der Ungeduld sind sie aus dem Paradiese vertrieben worden, wegen der Lässigkeit kehren sie nicht zurück. Vielleicht aber gibt es nur eine Hauptsünde: die Ungeduld. Wegen der Ungeduld sind sie vertrieben worden, wegen der Ungeduld kehren sie nicht zurück.*

  *原文における*の印は、その断章が鉛筆で抹消されたことを示す。以下同様。
 
  **モ-リス・ブランショの記念すべき『カフカ論』でキー概念として利用された箇所である。だが実はここは、カフカ自身は鉛筆で消した箇所である。ということは、何か意に染まぬものがあったのは確か。それは何か?


4

「死んだ者たちの多くの影は、死の河の滔々と流れる水をなめることだけにしか関心をもたない。なぜなら、その河はわれわれ生者のところより発し、われわれ生者の海の塩辛さをまだもっているからだ。すると不快になった河は逆らい、逆流し死者たちを生へと押し戻す。死者たちは喜び、感謝の唄を歌い、逆流した河を撫でてやる」。

Viele Schatten der Abgeschiedenen beschaftigen sich nur damit die Fluten des Totenflüsses zu belecken, weil er von uns herkommt und noch den salzigen Geschmack unserer Meere hat. Vor Ekel straubt sich dann der Flus, nimmt eine rückläufige Strömung und schwemmt die Toten ins Leben zurück. Sie aber sind glücklich, singen Danklieder und streicheln den Emporten.


5

「ある一点をこえるともう戻る道はない。そのような点に到達すべきなのだ」。

Von einem gewissen Punkt an gibt es keine Rückkehr mehr. Dieser Punkt ist zu erreichen.

6

 「人間の発展にとっての決定的瞬間はたえず存在する。それゆえ、それまでのすべてを無に等しいとする精神の革命的運動は正しい、なぜなら、まだ何も起こってはいないからである」。

 Der entscheidende Augenblick der menschlichen Entwicklung ist immerwährend. Darum sind die
revolutionären geistigen Bewegungen, welche alles frühere für nichtig erklären, im Recht, denn es ist noch nichts geschehn.


7
 「悪のもっとも有効な誘惑の手段の一つは闘いに呼び出すことである。その闘いは、ベッドで終わる女性との戦いのようだ」。

 Eines der wirksamsten Verführungsmittel des Bösen ist die Aufforderung zum Kämpf. Er ist wie der Kämpf mit Frauen, der im Bett endet.*




8/9
 「悪臭のするメス犬、子供を何匹も産んだメス犬、もうところどころが腐っているのだが、子供の頃の私にはかけがえのないものだったし、今でも忠実な気持ちからたえず私の後をついてきて、私は我慢できずについ殴ってしまうこともあるのだが、しかし私はその息づかいにびくついて、一歩一歩後ずさりし、私が手をこまねいていると、犬は私をもう見えている隅の壁のところまで追いやろうとするだろう。そこで、私の上で、私と一緒にすっかり腐敗してしまい、遂には―これこそ私の栄光というものではないだろうか?―膿や蛆だらけの舌を私の手に載せるために」。

 Eine stinkende Hundin, reichliche Kindergebarerin, stellenweise schon faulend, die aber in meiner Kindheit mir alles war, die in Treue unaufhörlich mir folgt, die ich zu schlagen mich nicht überwinden kann, vor der ich aber, selbst ihren Atem scheuend, schrittweise nach rückwarts weiche und die mich doch, wenn ich mich nicht anders entscheide, in den schon sichtbaren Mauerwinkel drängen wird, um dort auf mir und mit mir ganzlich zu verwesen, bis zum Ende - ehrt es mich? - das Eiter- und Wurm-Fleisch ihrer Zunge an meiner Hand.

**最期の箇所は文法的に不完全で、時制も入り乱れている。文字通り読めば、すっかり腐敗した後に舌を手に載せるという順番になってしまって、理屈に合わないわけだが・・・


10
 「A.はとてもうぬぼれており、善においてはるかに進んでしまったと信じているが、それというのも、彼は、ますます誘惑的になっていく対象として、これまでの彼にはまったく知られていなかった方面からのますます多くの誘惑にさらされていると感じるからである。しかし、大いなる悪魔が彼の内に住みついてしまい、もっと弱小の悪魔が、大いなる悪魔に仕えるために、無数にやって来たというのが正しい説明である」。
 A. ist sehr aufgeblasen, er glaubt im Guten weit vorgeschritten zu sein, da er, offenbar als ein immer verlockenderer Gegenstand immer mehr Versuchungen aus ihm bisher ganz unbekannten Richtungen sich ausgesetzt fühlt. Die richtige Erklärung ist aber die, das ein groser Teufel in ihm Platz genommen hat und die Unzahl der Kleineren herbeikommt, um dem Grosen zu dienen.

** A.は従来「アブラハム」と読まれてきた。まあ、多分そうなのだろう。しかし、アブラハムと悪魔という取り合わせは、正直に言って、とても難しい。








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うまし国ぞ(2) [探求]

さて、問題は次の歌である。これに関して、海原とかもめのようなものが大和で詠まれるのは変という疑問、大和に対して、同じ歌の中に二つの表記があるのは変という疑問、「可怜」がなぜ「うまし」と読めるのかという疑問があげられた。疑問はもっとあるだろうが、とりあえずこれだけにしておく。

 「天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌
 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」(『万葉集』巻一・二)。

 「天皇登香具山望国之時御製歌 
  山常庭 村山有等 取与呂布 天乃香具山 騰立 国見乎為者 国原波 煙立竜 海原波 加万目   立多都 怜○国曾 蜻嶋 八間跡能国者」(ただし、○は立心偏に「可」。可怜と同じ)。


 
 上に挙げた疑問のうち最初の三つは、元来、この歌は海に臨む場所で作られたのだが、それが、後に大和で詠われたかのように作り直されたと考えれば、自ずと氷解する。だが、一体誰が、何のために? という疑問は後回しにして、元来の形に近づけるようにしよう。まず、歌に添えられている前書きは、後世の付け足しの可能性があるから、削除。「大和」に対する二つの表記も怪しいので、「大和」もとりあえず削除。削除部分を「XX」、「YY」にしてみよう。すると、次のようになる。   
 
 
 「 XXには 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
   海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 YYの国は」

 おそらく背後には「群山」がそびえ、その中の香具山に登ってみると、眼前には広大な「海原」が広がっている、という雄大な光景であろう。ここはどこか? 手がかりになるのは「あきづ島」である。小学館の全集の解説では「大和の枕詞。語義・かかり方未詳」とある。正直言ってひどい解説だと思うが、これが国文学の現状なのだろう。意味はわからないが、とにかく「あきづ島」は「大和」の枕詞。理由は、万葉集巻第一の二がそうなっているから、というのだろう。だから、万葉集巻第一の二そのものの解説はできないのである。要するに、昔からそういう決まりなんだ、というふうに思考停止しなければ、こういう本の解説は書けないのだろう。だから学会の人間でいる限りは斬新なことは言えないのである。

 
 この「あきづ島」は大分県の「安岐」川の河口一帯のことだ、と指摘したのは国文学の学会にも歴史の学会にも縁がなかった古田武彦だった。あるいは、もっと以前にいたのかもしれない。何しろ、「秋津島」は、『古事記』の国生み神話のところで登場する島なので、多少の知識があれば、「あれ?」と気がつくはずだからである。しかし気がついた人がいたとしても、元来大分の別府湾のことを詠んだ歌を大和に移し変えて詠むことの必然性が判らない。そんなことをする合理的な理由があるとは思えない。だから、深く追求しようとした人はいなかったはずである。

 古田武彦の詳細についてはWikiを参照されたし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6)。私自身は古田氏の業績を大して知っている訳ではないし、大して読んでいるわけでもないのだが、要するに、近畿天皇家が独占的権力を掌握した7世紀以前、日本各地にはそれと匹敵する、あるいはそれを凌駕する王権が存在したと主張することで、古代日本の多元的な権力構造にいち早く目を向けていた先駆的な在野の研究者である(在野といっても、大学にはいたのだが)。私は、この人の著作は毒気がありすぎて、ある程度読み進めると読む気が起こらなくなるし、カリスマ扱いされて結構くだらない集団を作ったりする辺りは辟易するのだが、それでも尊重するのは、古田氏に刺激を受ける形で、やはり在野のすぐれた研究が登場したからである(たぶん、今後もっと出てくると思う)。一例を挙げると、芝喬一氏の『日本古代史の探求』などは、ど素人にもわかる名著ではないかと私は思うのである(というか、私などは、この本を読んで、日本の古代の輪郭が初めておぼろげに判りかけたのであるが)。 


 それはともかく、元来は九州地方で詠われた、素朴に風光を愛でた歌(たとえば、「煙」とは、民が炊くかまどの煙ではなく、別府温泉を思い起こしてみればわかるように、温泉地特有の蒸気ではないか、なんていう指摘はとても面白い)だったのが、権力が九州から大和に委譲されることによって、無理やり(けっこう杜撰に)大和に当てはまるように改変されたと考えれば、海原やかもめの不自然さも、何となく納得がいくように思われる。ちなみに、『古代史の十字路』で古田氏が読み込んだ訳を掲げておこう。訳の細部については、同書を読んでほしい、としか言いようがない。結構、当てずっぽうなところがあると思うが、全体としてはいい線を行っているのではないか?
 
 「山並みには多くの山々が群がっているけれど、中でも一番目立ち、ととのっているのは、天の香具山だ。登り立って、国見をすると、国原には煙が一面に立ち上り、海原には一面に鴎が飛び立っている。すばらしい国だ。安岐津の島の、この浜跡の国は」(同書72頁)。 
 

 しかしまだ話は終わらない。一昨日、畑井弘氏の『物部氏の伝承』を読んでいた時のことである。歴史の門外漢の私は、当然ながら、この著者についてもまったく知らなかったのだが、元来は日本の中世史の専門家で、甲南大学で長らく教えていた人のようだ。その本の中に、また舒明天皇のあの歌が出てきたのである。そこで問題とされているのは「可怜」の解釈である。畑井氏によると、これは朝鮮語で銅をあらわす「カレ(カリ)」の表音表記なのだという。少し引用してみよう。
 「「可怜国曾」は「カレ(カリ)ノクニゾ」、すなわち、「カル(軽・銅)の国ぞ」の意である。…軽(カル)・刈(カリ)…香具(カグ・カゴ)など、記・紀・万葉に頻出するこれらの語は、すべて銅の古語であり、朝鮮語の「구리」(kuri)(銅)を語源とするのである。「可怜」もまたその表音表記法の一つであって、息長足日広額天皇(舒明天皇のこと-引用者注)が香具山に登って望国をして歌ったというこの歌は、ヤマトは鍛冶神を奉ずる鍛冶王の国「軽(可怜)」の国」「銅の国」なのだぞ、という鍛冶神讃歌にほかならない、と私は解釈している」(同書講談社学術文庫版46頁)。

 つまり、大陸からやってきた征服民の一派が、香具山から産出する銅や鉄を背景に、自らの武力と自ら支配地域を眺めて悦に入っているという歌だったのか、万葉集の二番目の歌は。畑井氏によると、この歌に出てくる「とりよろふ」、意味不明で解説者泣かせのこの表現は「とり鎧ふ」であり、甲冑に身を鎧い固めた軍神でもある香具山ということになる(この指摘は、あー、なるほどと思った)。さらにこの歌に出てくる「龍」や「加万目」も鍛冶神信仰に関係しているという。


 私はもうここら辺でお腹いっぱいというか、消化不良で「とりあえず、もう結構」と言いたいところなのだが、あえて付け加えれば、おそらく「香具山」とは固有名ではなく、銅や鉄の取れる山という一般性をもった表現なのかもしれない。それは、確かに大和にもあっただろうが、九州にもあったし、大陸にもいっぱいあったのかもしれない。その山を押さえ、そこから産出される銅や鉄によって作られる新型の道具や武器を背景にして権力をもった者をたたえる歌が古くから伝承されていたのではないだろうか。その起源は、結構古いのかもしれないし、古田氏が言うように、九州に限定されてはいなかったのかもしれない。元来は、次のような原型があっただけで、それが支配者の変転に伴って場所や固有名を交換されながら伝承されたのではないだろうか?

 「 XXには 群山あれど とりよろふ 天の香具山 カレノ国ぞ YYY島 ZZの国は」。


 まあ、いずれにせよ、日本の古代史は難しい。それは、日本の文化にせよ言語にせよ民族にせよ、日本のすべてはおよそ単一性とは無縁の重層構造で、何処をとっても単一な起源に遡りうるものが何一つないからなのではないか? 何処まで行っても雑種性がついて回るのではないか?(「雑種性」とは、加藤周一が日本文化を特徴づけた言葉だが、文化のみならず、言語・民族にも当てはめるべきだと私は思う) そして、言うまでもなく、「万世一系」の純粋性などというものは夢物語でしかないのではないか? 



  



古代史の十字路―万葉批判

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  • 作者: 古田 武彦
  • 出版社/メーカー: 東洋書林
  • 発売日: 2001/04
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日本古代史の探究―関東の古代史から見た「九州倭国」中心論

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物部氏の伝承 (講談社学術文庫 1865) (講談社学術文庫)

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うまし国ぞ(1) [探求]

 特に歴史が好きなわけではないし、特に日本というものに人並み以上の関心があったわけでもなく、だから専門的知識はゼロに近いにもかかわらず、いつか暇になったときに、日本の古典、とくに『古事記』や『日本書紀』は読んでみようとは思っていた(父親が大の古代史ファンだったことが関係しているのかもしれない)。そのため、関連する本を少しづつ集めてはいたのである。たまたまこの10日間あまり(4~5日は熱を出して寝ていたのだが)寸暇を見つけることができたので、関連本で手っ取り早く読めそうな本を5~6冊ぺらぺらめくって見たのだが…  

 やはり日本の古代は難しいなあ、とつくづく思う。もちろん私自身が日本の古代の専門家ではない(そもそも、古代であれ現代であれ、日本のことを専門にしていない)からそう思うだけかもしれないが、何と言ったって、自分の「母語」であり、自分の「母国」のことである。ヘブライ語やギリシア語で書かれたものが理解できないのとは訳が違うじゃないかとは思うものの、やはり、日本の古代は難しい。難しすぎる
。漢文が読めない。しかし『古事記』は漢文ではない。しかし漢文のように見える漢文じゃないものを、読
み続ける気力が沸かない。漢字の連なりに拒否反応しか起きない。
 しかし、仮にこういう壁をクリアー出来たとしても(同じ文章も100回くらい読んでれば判るようになるといいますからね、要は忍耐力の問題かもしれない。しか~し、忍耐力が続くかどうか…)、まだまだ二重三重の壁が立ちはだかっているという感じなのである(あるいは、つい難しい方向に引き寄せられてしまう自分の性癖が問題なのかもしれないが、まあそれは、いまさら言っても始まらない)。

 こういうことを抽象的に論じても仕方ないので、具体的な例に即して考えてみよう。舒明天皇の御製とされている、有名な歌である。

 「天皇、香具山に登りて望国したまふ時の御製歌

 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ  海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 
 あきづ島 大和の国は」(『万葉集』巻一・二)。

 この元来の形は、次の通り。

 「天皇登香具山望国之時御製歌
 
  山常庭 村山有等 取与呂布 天乃香具山 騰立 国見乎為者 国原波 煙立竜 海原波 加万目立多都 怜○国曾 蜻嶋         
  八間跡能国者」(ただし、○は立心偏に「可」。可怜(可憐の意)と同じと解説にはある)。

 この標準的な訳は、次の通り(小学館:日本古典文学全集『萬葉集①』より)。

 「天皇が香具山に登って国見をされた時のお歌
  
  大和には 群山があるが 特に頼もしい 天の香具山に 登り立って 国見をすると 広い平野には かまどの煙があちこちから立ち上っ ている 広い水面には かもめが盛んにとびたっている ほんとうに良い国だね (あきづ島)この大和の国は」。 


 まず、ぱっと見ておかしいと誰もが思うことは、「大和盆地で海が見えるのか」という疑問。上にあげた訳では「海原」を「広い水面」(池のようなもの)と解しているが、「海原」を「池」とする例が他に見当たらないので、これは非常に苦しい(さりとて他に妙案もないので、この苦しい訳が標準となっている)。

 次におかしく思えるのは、「かもめ」が盆地にやって来るかという疑問。小学館本の解説では、かもめは「内陸深い湖沼にも飛来生息する」と、あくまで突っぱねているのだが、やはり不自然というものではないだろうか。そりゃ、かもめだって、時には山頂にまで上ったりするだろうが、それはあくまで例外であって、例外ならばそれをあえて詠う意図がなくてはならないはず。しかしその特別な意図がこの歌にあるとは思えない。やはり、これは海を見晴らす場所に立って詠んだ歌、と考えるのが自然だろう。

 次に、同じ「大和」に対して、同じ歌の中で、「山常」と「八間跡」の表記が用いられるのもおかしくはないか(同じことは、「竜」と「多都」にも言えるが)。
 
 次に、けっこう素朴ではない疑問になるが、「可怜」を「うまし」と読むのは何故?? 小学館の全集は何の説明もしていない。要するに、そういう決まりなんだ、ということなのか? こういう漢字とその訓みの古代ならではの異様な結びつきはけっこう多い。というか、多すぎる。そのために、日本の古代に興味を持っていても、深入りできない、何か躊躇してしまうことになるのではないか。誰か専門家が、漢字とその訓みの結びつきの一覧(もちろんきちんとした理由をつけて)みたいなものを作ってくれればいいのに、と思うのだが。
 
 さて、一見して変だと思えることを変だと思うことは常識の発露というものだが、その変な姿から正しい形を推測したり、その変な姿がどうして出来たのか、ということを説得力を持って示すことは、常識の出来ることではない。私は常識は持っているが(少なくともそう思っている)、しかしそれだけではどうしようもないわけである。                         
                                                              (次に続く)





アブラハムとイサク(おまけ) [探求]

  アブラハムとイサクの物語には、一体、何の意味があるのか?
 推測を交えない限り(あるいは、推測を交えたとしても)、その意味について語ることは難しい。
 前回と前々回でアブラハムに触れた以上、ある程度必要な情報で、まだ言及していなかったものがあるので、補足的に、関係のありそうな『旧約聖書』の箇所を二~三指摘しておきたいと思います。
 
 アブラハムとイサクの物語が、供犠(生贄、人身御供)に関係していることは言うまでもないでしょう。実は、長子、初子、要するに、初めに生まれた男の子は神に捧げなければならない、という一見恐ろしげな規定が『出エジプト記』に何回か出てきます。

 「あなたの豊かな収穫とぶどう酒の奉献を遅らせてはならない。あなたの初子をわたしにささげねばならない。あなたの牛と羊についても同じようにせよ。七日の間、その母と共に置き、八日目にわたしにささげねばならない」 (『出エジプト記』22:28-29)。

 これは、非常に論理的に見える。すべての生育するもの、成長するものは、植物であれ動物であれ人間であれ、神のものである。実際、収穫祭で初物を捧げるでしょう? それと同じように、初子を捧げろというわけです。
 この規定に愚直に従って初子を捧げていると、国や民族の力は相当落ちるでしょう。これは、社会にとっても国にとっても自滅的な結果しかもたらしません。だから、実現不可能な理念です。もっとも、フェニキアあたりではかなり子供を儀式的に捧げることが行われたことが、遺跡調査で確かめれていますし、古代のイスラエルでもかなり似たようなことがあったはずです。しかし、これを文字通り厳格に行っていたはずはない。では、この規定は何を求めたものか?
 子供を、戦士として徴用することではないか、という解釈がありました。しかしこれは主流の考え方ではありません(私は、面白いと思いますが)。
 理念的には子供を捧げるべきだが、それは羊によって代用できるのだ、それがアブラハムの物語が語っていることだ、という解釈が主流のようです。これは穏当な解釈ですが、私は、腑に落ちませんね。神は、あくまでイサクを捧げろと命じたわけで、その通りにしようとしたアブラハムを讃えたのであって、羊を捧じろと神は命じていませんし、それを讃えてもいませんから。
 私は、ここには厳格な理念が述べられているのだ、つまり、人間には私物はないのだ、子供ですらそうだ、という宗教的意識が述べられている、と解釈するしかないように思われるのです。

 さて、アブラハムの物語に結構近い話が『列王記下』にあります。

 「モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れてきて、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の国に帰った」(『列王記下』3:26-27)。
 
 この話から推測できることは、神との意思疎通には犠牲が必要なこと、そしておそらく人間(なかでも長子)の犠牲がもっとも尊ばれたこと、でしょうか? ここで「激しい怒り」とは、神の怒りであり、モアブ王の必死の機転が神を動かし、敵を退却させたということがこの話の眼目です。これならば話としてはわかりやすい。いずれにせよ、後の世の道徳的な見方では野蛮にしか聞こえないかもしれないが、率直に言うと、神は血を見るのが何よりも好きであり、血がほとばしる様な場面で現れるものなのです。「聖なる(sacred)」という語の起源を調べていくと「犠牲」という語に行き当たるのはそのためです。一見不可解にしか見えないかもしれませんが、宗教の起源に興味を持つ人は、こういうことを説明できなければならないと思います。


 アブラハムとイサクの話は、後世になるにつれ、ますますイサクに焦点が当てられるようになります。これは歴史の動きと無関係ではなく、ユダヤ人の幾度にもわたる独立運動が多くの殉死者、殉教者を生み出したことに起因しています。その過程で、イサクは、実は一度死んだが、やがて復活したのだ、という形に変えられた上で、殉教者の原型として祭り上げられるようになります。

 たとえば『マカバイ記二』の7章に書かれている殉教の場面の冒頭を見てみましょう。ほとんど正視に耐えない場面ですが(「マカバイ戦争」の背景についてはWikiを参照されたし(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E6%88%A6%E4%BA%89))。
 
 「七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。彼らの一人が皆に代わって言った。「いったいあなたは、我々から何を聞き出し、何を知ろうというのか。我々は祖父伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ。」王は激怒した。そして大鍋や大釜を火にかけるように命じた。直ちに、火がつけられた。王は命じて、他の兄弟や母の面前で、代表として口を開いた者の舌を切り、スキタイ人がするように、頭の皮をはぎ、その上、体のあちらこちらをそぎ落とした。こうして見るも無残になった彼を、息のあるうちにかまどの所に連れて行き、焼き殺すように命じた。鍋から湯気が辺り一面に広がると、兄弟たちは母ともども、毅然として、くじけることなく死ねるよう互いに励まし合い、そして言った。「主なる神が私たちを見守り、真実をもって憐れんでくださる。モーセが不信仰を告発する言葉の中で「主はその僕を力づけられる」と明らかに宣言しているように」。

 以下、目をそむけたくなるような場面が延々と続くのですが、カットします。勇気があると自認できる方は、続きを『旧約聖書』で普通に読むことができます。アブラハムとイサクの物語との関連で言えば、日本語に訳されていない『マカバイ記四』で、こういう殉教の話がイサクに関係づけられるに至ることが重要です。

  「「勇気を出せ、兄弟よ」と一人が言うと、もう一人が「立派に耐え忍ぼう」と言った。そしてもう一人が、過去を思い出して言った。「お前の祖先がどこから来たのか、父なるイサクが、信仰のために自分を犠牲にしたとき何を心の支えとしたのかを、忘れるんじゃないぞ」(『マカバイ記四』13:10-12))。

 
  敵であるセレウコス朝のユダヤ人弾圧は事実だったとしても、これほどまでに過酷な弾圧はなかったのではないか、と大半の歴史家は見ています。つまり、これは細部に関してはフィクションだと思われます。しかし肝心なことは、宗教というものがもつ無慈悲で残忍な力です。イサクは、殉教という行為を美化・神聖化するために使われたわけですが、宗教とは常にそういうものだったのかもしれません。つまり神や神のような英雄を祭壇に祭り上げることは、常に、その名の下で惨たらしい死に方をすることも厭わない人間を大量に生み出します。他方で、人間の世界は、戦火が絶えることはなかったわけです。したがって、宗教は、いつも、その戦火をさらにたきつける薪を大量に生産するという役割しかはたしてこなかったのではないか。そしてこれからも……、悲観論者の私はそんな風にしか考えられないのです。


 



戦争・対話・アブラハム(2) [探求]

アブラハムとイサクの物語については、歴史家ならば、先史時代にまでさかのぼる供犠の意義と歴史と関連づけて解釈したりするが、そういう専門家でもない限りそこまで話を広げることはしないし、とりあえず、聖書に書かれていることを額面どおり受け取って、「アブラハムの苦難」ということを中心に据えて考えるのが普通である。
 イサクは、アブラハムにとって、正妻との間にできた独り息子である。それを犠牲にしろという要求は理不尽ではないか? 何の理由があって子供を犠牲にしなければならないのか? 
 しかし神のこの要求の理不尽さ以上に奇妙に感じられるのは、アブラハムが、その要求になんら異議を唱えず、それを、最後の最後まで、忠実に履行しようとしたことである。イサクは愛する独り息子ではなかったのか? 親が子供に手をかけようとするのは何たることか? そこに何の良心の咎も覚えなかったのか? 
 アブラハムは、他の文脈では、神の理不尽な命令に異を唱えていたし、真っ当な判断力がない人間ではない。そういう人間が、愛する子供を殺せという命令に違和感や反発を感じたとしても不思議ではないし、むしろ当然である。だからたいていの人は、「アブラハムの苦難」を推し量るのである。しかし、アブラハムの内面は一切語られていないのだから、アブラハムは苦悩などしていなかったという解釈だってあっていいはずであって、実際アブラハムは神の命令を実行しようと意欲満々だった、というユダヤ教のラビの解釈があったそうであるが(Levensonの書物から知った)、まあ、それは少数派の解釈であって、アブラハムは悩み苦しんだと読むのが普通の感覚であろう。

 こういう読み方をもっとも極端化したのがキルケゴールの『おそれとおののき』だった。彼には、アブラハムが理解できなかった。しかし、そもそも「理解する」ということはまだまだ「悟性」的な(または「倫理的な」)態度にすぎず、「信仰」ではないのだ、とも思ったのである。アブラハムがしようとしていることは、この世の倫理的基準からすれば、殺人である。それは世の掟からすると許されることではない。しかしこの世の掟は最上の掟ではない。「信仰」に比べれば、悟性的な(倫理的な)思考の産物など取るに足らないのである…

 なぜ、キルケゴールはこういう解釈をしたのか? それには個人的な理由があった。彼が、この作品を書く前に、レギーネという娘と婚約をしてそれを破棄するという特異な経験をしたのだが、そこには、自分の父親の忌まわしい過去を知ってしまい、自分の呪わしい運命を悟った等、色々な経緯が絡んでいるのだが、いずれにせよ彼はレギーネを断念したわけだが、その断念した理由を彼女に判って欲しいという個人的な気持ちが働いていたらしい。
 つまり、日常的で「倫理的な」基準に照らし合わせれば、愛し合う男女は結ばれなければならない、ちょうど親たるものがその子供を愛さなければならないのと同じである。しかし、アブラハムがその倫理的な要請を振り切って神の命令を実行しなければならないと感じたのと同じように、自分は、レギーネを断念して、別の道を進まねばならないということを、どうか判ってくれ・・・

 
 そういう個人的な事情もあるし、また、キルケゴールは、アブラハムを解釈するときに、パウロという偉大な先達がいて、それを手本にしたこともあっただろう。

 パウロの解釈は次の通りで、要するに、アブラハムとイサクの関係のうちに、神とイエスの関係を見ているのである(パウロは、イサクが捧げられたこととして書いているが、これはこれで話が通っている読み方であると思う)。

 「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です」(『ヘブライ人への手紙』第11章第17節)。

 
 キルケゴールが「信仰」というとき、多分このパウロの解釈を念頭に入れた上で、神がイサクを「返してくれる」ことに対する「信仰」のことを言っているのだと思う。『おそれとおののき』から引用してみよう。

 「彼は驢馬にまたがった。彼はしずしずと道を騎行した。その途すがらたえず彼は信仰をもちつづけた。もし神がイサクを要求されるならば、かれはいつでもイサクをよろこんでささげるつもりではあったが、神はイサクを彼に要求したまわらぬであろうことを彼は信じていた。彼は背理的なものの力によって信じていた。そこでは人間的な打算などのかかわる余地はありえなかったのだ。だって、彼にその要求をなした神が、次の瞬間に、その要求を撤回するとしたら、それは背理なことではないか。彼は山を登った。刀がひらめいた瞬間にもなお、彼は信じた―神はイサクを要求したまわぬだろう、と。…イサクがほんとうにささげられたとしてみよう。アブラハムは信じた。彼はいつかあの世において祝福されるだろうと信じたのではなく、ここ、この世において、幸福になれるであろうと信じたのであった。神は新しいイサクを彼に与えることができた。ささげられたイサクをよみがえらせることができた。アブラハムは背理なものの力によって信じたのであった」。


 こうつなぎ合わせてみるならば、パウロ=キルケゴールの「信仰」とは「死者の復活」に対する信仰という正統派キリスト教の信仰となるだろう。しかし、私には、キルケゴールはもっと物騒なことを言っているような気がするのである。

 彼にとって、「信仰」とは「悟性」や「倫理」の段階を飛び越えた、さらにいっそう高いところにあるものとして考えられている。
 そしてアブラハムは殺人者ではなく、「信仰の父」として賞賛の対象となっている。
 そして、キルケゴールは、アブラハムと同様に、「倫理」や「悟性」」から一歩前に歩を進めて「信仰」に移行しなければならない、と主観的に思っている。
 
 しかし主観的に思っただけでは、彼は哲学の歴史にその名を残せなかっただろう。彼は、アブラハム的な「信仰」への移行を哲学的に正当化しようとした。その正当化の試みが『おそれとおののき』のテーマなのだが、その要点を簡潔に述べれば、信仰とは「倫理的なものの目的論的停止」だ、ということになるだろう。

 つまり、アブラハムは、「信仰」という「目的」のために、子供を殺してはならぬという「倫理」的な要求を「停止」した、とキルケゴールは解釈した、少なくとも、そう表現したのである。
 
 この解釈は、ヘーゲル哲学の否定という側面を持っているために哲学史の恰好の対象とされもっぱら高級な次元でしか読まれていないが、しかし、ここには非常に低俗な意味合いも含まれているような気がするのである。つまり、このように言ってしまえば、目的のためには手段についての考慮はすべて「停止」できるのだ、ということになるのではないだろうか? 宗教的狂信行為や政治的テロリズムに走る者を支える論理とどこが違うのだろう? 学者のうるさい議論はともかく、過激な政治的行動に走る若者を鼓舞する、そして彼らを祭壇へと新たに捧げてしまうに足りるものがここにないだろうか? 

 
 ここで、キルケゴールについての哲学的解釈に入るつもりはない。キルケゴールが考えたアブラハムの内に、そして、端的にアブラハムの内に、何か限りなく物騒なものがあることは間違いない。そして、それは、いかなる巧妙な解釈をしてそういう物騒な要素を取り除こうとしても、常にどこかから漂ってくる血生臭さを振り払うことはできないように思われるのである。

  もちろん、こういう側面だけで、ユダヤ教は…とか、キリスト教は…と言うつもりはまったくないのだが、アブラハムを諸宗教の統合のシンボルとして素朴に語られると、ちょっと待ってくれと言いたくなるのである。あるいは、「アブラハムを一神教的宗教の統合のシンボル」として語ることはもちろん可能であるが(なぜなら系譜的にそうなのであるから)、しかし、その場合でも、「一神教」の歴史的起源には、各宗教がまったく望んでいないイメージが常に付きまとうことになりはしまいかと思うのである。まあ、これは余計なお世話というべきものだが。