労働の奴隷的本性 -- シモーヌ・ヴェイユの『奴隷的でない労働の第一の条件』を読みながら(2) [探求]
シモーヌ・ヴェイユの「奴隷的でない労働の第一の条件」という論文の紹介の第二回目。
労働(者)についての普通の理論でないことは、一読するだけですぐ判ると思う。二回に分けて紹介したヴェイユの文章は、紹介した部分よりもずっと長いものだが、もっとも重要なのは紹介した冒頭の5ページである。
かいつまんで概要を述べよう。
1.労働は、それが生きるための必要性(必然性)に支配されている限り、奴隷的と言うしかない。いや、もっと悪いのかもしれない。「人が働くのは、ただ食べたいという欲求をもつからだ。だが、人が食べるのは、働きつづけることが出来るためだ。そして新たに、食べるために人は働くことになる」。これは人間の活動と言うよりも、「かごの中のリス」の活動と言うべきなのかもしれない。
こうしたリスの活動は、今日でも、ここかしこに、あるいは至る所にある。恐らくは、今後ますます増えて行くに違いない。
(蛇足ながら、ハンナ・アレントが後に『人間の条件』の「労働」の章で大々的に展開した思想の端緒はヴェイユにあるように思えるのだが、どうだろうか。)
2. 労働者がこうした奴隷的境遇から抜け出せる(あるいは一時的に忘れる)方法はいろいろある。社会の上層に登りつめることが最も望ましいが、しかし、それはほとんどの人には無理な話。一時的な快楽や浪費に走るしかないが、それは一時の麻薬のようなもの。しかし、そうした麻薬のうちで最大のものは、社会体制を変えることを目指す革命に対する欲求だ。革命思想は民衆のアヘンだ。しかも最大のアヘンなのだ。
社会改良の運動に身を投じて、そうした運動の不毛さに深く失望したヴェイユは、政治の体制を変えたところで労働者の不幸を何一つ変えることはないと深く確信していたようだ。恐らくそうなのだろう。
ここまでは、とくに独自なものはあまりないと言えるかもしれない。しかし、次の論点は、絶対にユニークであり、しかもそれを受け継ぐ思想家はいなかったと思う。
3. 労働者をその奴隷的状態から救うのは、詩であり宗教である。
なぜヴェイユがこう考えたのかの理由を単純化すると、次のようになるだろう。
α) 労働は奴隷的なものであり、人間の精神を荒廃させる。しかし、労働が奴隷的だったのははるか昔から変わらぬことであった。しかし、今日のような人心荒廃の状況は、かつての時代には見られないものだった。では、そうした荒廃を防ぐものが以前にはあったはずだ。それは、宗教以外にないのではないか?
おそらく、こういう思想を書きつけたときにヴェイユの脳裏に浮かんでいたのは中世ヨーロッパの民衆のあり方だったのだろうか? 恐らくそれだけであれば、単にヨーロッパの保守的な思想がここにあるにすぎないということになる。だが、そこに至るための部分に、何か反動的で保守的にすぎないわけではないものが感じられるのである。それに最後まで洗礼を拒絶したヴェイユを、単に伝統的な信仰へと逆戻りさせて理解しようとするのは、やはりどこか違うように思うのである。
β) 労働者が関心を寄せるのは、いま現に存在しているものだけである。いま現に存在しているもので、彼らの空虚な状況を耐えられるようにしてくれるのは、「美」以外にありえない。美だけが、この世界を正当化してくれる。その美の光が労働者の日常に差し込むことによってのみ、そしてそれによって労働者の日常の実体が「詩(poesie)」になることによってのみ、労働者は奴隷的な境遇から抜け出せるのだというわけである。
以上を受けて、この「美」、この「詩」は、神からしか発しないはずだ、と続いていくのだが、ここで止めにしよう。
「民衆は、自分の人生の日常的な実体そのものが詩となることを必要としている」という言葉を、古い時代にさかのぼる意味においてではなく、何か未知の思想がここに眠っているような意味において聞き取ることはできないだろうか? 私としてはそう思いたいのである。
Simone Weil : Condition première d'un travail non servile, in Oeuvres Complètes Ⅳ, Ecrits de Marseille,p.420~422.
「
奴隷的でない労働の第一の条件
民衆の人心荒廃の原因をあれこれ探しもとめる必要はない。原因は労働にあるのだ。その原因は昔からずっとあったし、労働の条件に本質的なものだ。探しもとめなければならないのは、かつての時代に人心荒廃が生ずるのを防いでいた原因の方である。
気力に変動がなかったり体力がみなぎっていれば、骨折りの仕事も苦痛には感じられないし、上で述べた空虚さに耐えることもできよう。そうでなければ、それに代わるものが必要だ。自分自身や自分の子供の社会的地位が上昇することを望むことなどはその代償の一つである。安易で粗野な快楽も代償であり、同種のものだ。それは、(地位の上昇といった大それたことを望む)大望というよりは(もっとささやかな)夢と言うべきものだ。日曜日は、労働の必要(必然)が存在するということをみんなが忘れたいと願う日である。そのためには浪費しなければならない。まるで働いていないような服装をしなければならない。うわべを満足させてくれるものや、ライセンスを取得すれば容易に手に入る「自分は有能だ」という錯覚がなければならない。遊び歩くことはまさに麻薬の働きをするわけで、苦しむ人にとって麻薬の使用はつねに一つの誘惑だ。最後に、革命もまた同種の代償の一つである。それは集団のなかに移し替えられた大望であって、すべての労働者が労働者の境遇を突き破って社会の上層に登りつめることに対する狂おしい大望なのだ。
革命感情は、最初ほとんどの人々においては、不正義に対する反抗だったが、多くの人においてはすぐに、国家レベルでの帝国主義とまったく良く似た労働者の帝国主義に変貌してしまうものだし、歴史的にもそのような変貌はあった。それは、一つの集団が人類全体、人間の生のあらゆる局面をまったく無制限に支配することを目的とするからである。この夢の馬鹿馬鹿しい点は、支配権が、命ぜられるがままに仕事を行っている人々、したがって支配することができない人々の手に渡るとしている点にある。
革命思想は、社会的不正義に対する反抗であるかぎり、好ましく健全なものである。だが、労働者の境遇そのものに本質的な不幸に対する反抗であるかぎり、それは虚偽となるのだ。なぜなら、いかなる革命もこの不幸を廃棄することはないからである。けれど、この虚偽こそ最大の影響力をもったものなのだが、それは、こうした本質的な不幸が、不正義そのものよりも切実なものとして、深く、そして苦痛をもって感じられるものだからである。それに普通、この両者は混同されている。マルクスが宗教に与えた民衆の阿片という肩書きは、宗教がみずからを裏切っている間は、宗教にふさわしいものだったかもしれないが、それは本質的に革命にこそふさわしい肩書きなのである。革命に対する希望はつねに麻薬である。
革命は、それと同時に、必要性(必然性)にもっとも対立するものとして、これまた同じ不幸に対する反発である冒険欲をも満たすものでもある。青少年の間でよく見られる探偵小説や探偵映画に対する嗜好、犯罪にひかれる傾向もまた、この冒険欲に呼応するするものである。
ブルジョワたちはまことに素朴に、民衆には、彼らの人生を支配している目的、すなわち金銭の獲得という目的を広めるのがうまいやり口だと信じてきた。彼らは、出来高払いや都市と農村との交易の拡大によって、可能なかぎりそれに成功してきた。しかし彼らは、それによって不満を危険なまでに激しいほど高めただけだった。その原因は単純である。欲望と骨折り仕事の目標であるかぎりの金銭は、その内部にいる限り金持ちになるのは不可能であるような境遇を、みずからの領地に招き入れることはできないからだ。中小企業家や街の商人は金持ちになったり、大企業家や大商人になることはできる。大学教授や作家や大臣は、金持ちもいれば貧乏もいる。ところが、大金持になる労働者は労働者であることを止めるのであり、このことは農民に関してもほとんどつねに同様である。労働者が金銭欲にさいなまれるときは必ず、一人あるいはすべての仲間たちと一緒に、労働者としての境遇から脱出しようと望むのである。
労働者たちが生きている宇宙は目的性を拒絶する。例外的な状況に見合うごく短期間を除けば、目的がそこに入りこむのは不可能だ。アメリカやロシアのような新興国の急速な国土整備は、非常に活発なリズムで変化につぐ変化を生みだしているので、ほとんど毎日のように、ワクワクさせ、欲求や希望を与える新たなモノを提供している。こうした建設熱はロシア共産主義の魅力の大きな武器となったが、それは偶然の一致によるものにすぎなかった。なぜならその建設熱はロシアという国の経済状態に由来するものであって、ロシア革命にもマルクス主義の理論にも由来するものではなかったからである。アメリカ人やロシア人がしたように、この例外的で一時的で束の間の状況にもとづいて形而上学的な理論を作り上げるならば、その形而上学は虚偽にしかならないのである。
家庭は養育すべき子供という形で目的を得る。だが、子供たちのために今よりも高い身分を望むのでないかぎり――そうした社会的上昇は、事柄の本性上、必然的に例外的なものだが――、自分と同じような人生を運命づけられている子供を見ると、その人生が空しく重苦しくなるであろうことを痛いまでに感じないわけにはいかないのである。
重くのしかかる空しさこそ、多くの人を苦しめるものである。この空しさは教養がなく知性もわずかな人の多くにさえも感じられる。その身分のため、その空しさがどのようなものであるかを知らない人々は、一生涯それに耐えつづけている人々の行動を公正に判断することはできない。そのために死ぬ人はいないだろうが、それはおそらく飢えと同じくらいつらいものだ。あるいはそれ以上かもしれぬ。パンよりもこの苦しみの救済手段の方が必要だと言うことは、おそらく文字どおり真実であるだろう。
その救済手段には選択の余地はない。ただ一つしかないのだ。ただ一つのものだけがあの単調さを耐えられるものにするのだが、それは永遠に光を与えてくれるもの、美である。
魂の欲求が、存在しうるものあるいは存在するだろうものに向かうのではなく、現に存在しているものに向かうことを、人間の本性が耐えられる場合はただ一つしかない。その唯一の場合とは美である。美しいものはすべて欲求の対象となるが、人はそれが別のものになるのを望まないし、何かがそれを変えることを望まず、現にあるそれそのものを望むのである。晴れわたった夜の星空を人が欲求をもって眺めるとき、人が欲求するのは、現に所有している光景だけなのである。
民衆はみずからの欲求のすべてを自分たちがすでに所有しているものに向けるしかないので、美は民衆に相応(ふさわ)しく、民衆は美に相応しい。詩は、他の社会的境遇にいる者にとっては賛沢の一種である。民衆はパンと同じくらい詩を必要としている。言葉のなかに閉じこめられた詩のことではない。そのような詩は、それだけでは、民衆にとって何らかの役に立つことはできない。民衆は、自分の人生の日常的な実体そのものが詩となることを必要としているのである。
このような詩にはただ一つの源泉しかありえない。その源泉は神である。そのような詩は宗教以外にはありえない。どんなに知恵を絞って、どんな方法、どんな改革、どんな騒動を企てようとも、労働者がその境遇によって置かれている宇宙に目的性が入りこむことはない。けれど、この宇宙は、その全体のまま、唯一真である目的に結びつけられることができる。それは神につなぎ止められることができるのだ。労働者の境遇は、あらゆる人間の存在そのものを構成している目的性に対する渇望が、神による以外には、満たされることのない境遇なのである。・・・
」(以下略)
労働(者)についての普通の理論でないことは、一読するだけですぐ判ると思う。二回に分けて紹介したヴェイユの文章は、紹介した部分よりもずっと長いものだが、もっとも重要なのは紹介した冒頭の5ページである。
かいつまんで概要を述べよう。
1.労働は、それが生きるための必要性(必然性)に支配されている限り、奴隷的と言うしかない。いや、もっと悪いのかもしれない。「人が働くのは、ただ食べたいという欲求をもつからだ。だが、人が食べるのは、働きつづけることが出来るためだ。そして新たに、食べるために人は働くことになる」。これは人間の活動と言うよりも、「かごの中のリス」の活動と言うべきなのかもしれない。
こうしたリスの活動は、今日でも、ここかしこに、あるいは至る所にある。恐らくは、今後ますます増えて行くに違いない。
(蛇足ながら、ハンナ・アレントが後に『人間の条件』の「労働」の章で大々的に展開した思想の端緒はヴェイユにあるように思えるのだが、どうだろうか。)
2. 労働者がこうした奴隷的境遇から抜け出せる(あるいは一時的に忘れる)方法はいろいろある。社会の上層に登りつめることが最も望ましいが、しかし、それはほとんどの人には無理な話。一時的な快楽や浪費に走るしかないが、それは一時の麻薬のようなもの。しかし、そうした麻薬のうちで最大のものは、社会体制を変えることを目指す革命に対する欲求だ。革命思想は民衆のアヘンだ。しかも最大のアヘンなのだ。
社会改良の運動に身を投じて、そうした運動の不毛さに深く失望したヴェイユは、政治の体制を変えたところで労働者の不幸を何一つ変えることはないと深く確信していたようだ。恐らくそうなのだろう。
ここまでは、とくに独自なものはあまりないと言えるかもしれない。しかし、次の論点は、絶対にユニークであり、しかもそれを受け継ぐ思想家はいなかったと思う。
3. 労働者をその奴隷的状態から救うのは、詩であり宗教である。
なぜヴェイユがこう考えたのかの理由を単純化すると、次のようになるだろう。
α) 労働は奴隷的なものであり、人間の精神を荒廃させる。しかし、労働が奴隷的だったのははるか昔から変わらぬことであった。しかし、今日のような人心荒廃の状況は、かつての時代には見られないものだった。では、そうした荒廃を防ぐものが以前にはあったはずだ。それは、宗教以外にないのではないか?
おそらく、こういう思想を書きつけたときにヴェイユの脳裏に浮かんでいたのは中世ヨーロッパの民衆のあり方だったのだろうか? 恐らくそれだけであれば、単にヨーロッパの保守的な思想がここにあるにすぎないということになる。だが、そこに至るための部分に、何か反動的で保守的にすぎないわけではないものが感じられるのである。それに最後まで洗礼を拒絶したヴェイユを、単に伝統的な信仰へと逆戻りさせて理解しようとするのは、やはりどこか違うように思うのである。
β) 労働者が関心を寄せるのは、いま現に存在しているものだけである。いま現に存在しているもので、彼らの空虚な状況を耐えられるようにしてくれるのは、「美」以外にありえない。美だけが、この世界を正当化してくれる。その美の光が労働者の日常に差し込むことによってのみ、そしてそれによって労働者の日常の実体が「詩(poesie)」になることによってのみ、労働者は奴隷的な境遇から抜け出せるのだというわけである。
以上を受けて、この「美」、この「詩」は、神からしか発しないはずだ、と続いていくのだが、ここで止めにしよう。
「民衆は、自分の人生の日常的な実体そのものが詩となることを必要としている」という言葉を、古い時代にさかのぼる意味においてではなく、何か未知の思想がここに眠っているような意味において聞き取ることはできないだろうか? 私としてはそう思いたいのである。
Simone Weil : Condition première d'un travail non servile, in Oeuvres Complètes Ⅳ, Ecrits de Marseille,p.420~422.
「
奴隷的でない労働の第一の条件
民衆の人心荒廃の原因をあれこれ探しもとめる必要はない。原因は労働にあるのだ。その原因は昔からずっとあったし、労働の条件に本質的なものだ。探しもとめなければならないのは、かつての時代に人心荒廃が生ずるのを防いでいた原因の方である。
気力に変動がなかったり体力がみなぎっていれば、骨折りの仕事も苦痛には感じられないし、上で述べた空虚さに耐えることもできよう。そうでなければ、それに代わるものが必要だ。自分自身や自分の子供の社会的地位が上昇することを望むことなどはその代償の一つである。安易で粗野な快楽も代償であり、同種のものだ。それは、(地位の上昇といった大それたことを望む)大望というよりは(もっとささやかな)夢と言うべきものだ。日曜日は、労働の必要(必然)が存在するということをみんなが忘れたいと願う日である。そのためには浪費しなければならない。まるで働いていないような服装をしなければならない。うわべを満足させてくれるものや、ライセンスを取得すれば容易に手に入る「自分は有能だ」という錯覚がなければならない。遊び歩くことはまさに麻薬の働きをするわけで、苦しむ人にとって麻薬の使用はつねに一つの誘惑だ。最後に、革命もまた同種の代償の一つである。それは集団のなかに移し替えられた大望であって、すべての労働者が労働者の境遇を突き破って社会の上層に登りつめることに対する狂おしい大望なのだ。
革命感情は、最初ほとんどの人々においては、不正義に対する反抗だったが、多くの人においてはすぐに、国家レベルでの帝国主義とまったく良く似た労働者の帝国主義に変貌してしまうものだし、歴史的にもそのような変貌はあった。それは、一つの集団が人類全体、人間の生のあらゆる局面をまったく無制限に支配することを目的とするからである。この夢の馬鹿馬鹿しい点は、支配権が、命ぜられるがままに仕事を行っている人々、したがって支配することができない人々の手に渡るとしている点にある。
革命思想は、社会的不正義に対する反抗であるかぎり、好ましく健全なものである。だが、労働者の境遇そのものに本質的な不幸に対する反抗であるかぎり、それは虚偽となるのだ。なぜなら、いかなる革命もこの不幸を廃棄することはないからである。けれど、この虚偽こそ最大の影響力をもったものなのだが、それは、こうした本質的な不幸が、不正義そのものよりも切実なものとして、深く、そして苦痛をもって感じられるものだからである。それに普通、この両者は混同されている。マルクスが宗教に与えた民衆の阿片という肩書きは、宗教がみずからを裏切っている間は、宗教にふさわしいものだったかもしれないが、それは本質的に革命にこそふさわしい肩書きなのである。革命に対する希望はつねに麻薬である。
革命は、それと同時に、必要性(必然性)にもっとも対立するものとして、これまた同じ不幸に対する反発である冒険欲をも満たすものでもある。青少年の間でよく見られる探偵小説や探偵映画に対する嗜好、犯罪にひかれる傾向もまた、この冒険欲に呼応するするものである。
ブルジョワたちはまことに素朴に、民衆には、彼らの人生を支配している目的、すなわち金銭の獲得という目的を広めるのがうまいやり口だと信じてきた。彼らは、出来高払いや都市と農村との交易の拡大によって、可能なかぎりそれに成功してきた。しかし彼らは、それによって不満を危険なまでに激しいほど高めただけだった。その原因は単純である。欲望と骨折り仕事の目標であるかぎりの金銭は、その内部にいる限り金持ちになるのは不可能であるような境遇を、みずからの領地に招き入れることはできないからだ。中小企業家や街の商人は金持ちになったり、大企業家や大商人になることはできる。大学教授や作家や大臣は、金持ちもいれば貧乏もいる。ところが、大金持になる労働者は労働者であることを止めるのであり、このことは農民に関してもほとんどつねに同様である。労働者が金銭欲にさいなまれるときは必ず、一人あるいはすべての仲間たちと一緒に、労働者としての境遇から脱出しようと望むのである。
労働者たちが生きている宇宙は目的性を拒絶する。例外的な状況に見合うごく短期間を除けば、目的がそこに入りこむのは不可能だ。アメリカやロシアのような新興国の急速な国土整備は、非常に活発なリズムで変化につぐ変化を生みだしているので、ほとんど毎日のように、ワクワクさせ、欲求や希望を与える新たなモノを提供している。こうした建設熱はロシア共産主義の魅力の大きな武器となったが、それは偶然の一致によるものにすぎなかった。なぜならその建設熱はロシアという国の経済状態に由来するものであって、ロシア革命にもマルクス主義の理論にも由来するものではなかったからである。アメリカ人やロシア人がしたように、この例外的で一時的で束の間の状況にもとづいて形而上学的な理論を作り上げるならば、その形而上学は虚偽にしかならないのである。
家庭は養育すべき子供という形で目的を得る。だが、子供たちのために今よりも高い身分を望むのでないかぎり――そうした社会的上昇は、事柄の本性上、必然的に例外的なものだが――、自分と同じような人生を運命づけられている子供を見ると、その人生が空しく重苦しくなるであろうことを痛いまでに感じないわけにはいかないのである。
重くのしかかる空しさこそ、多くの人を苦しめるものである。この空しさは教養がなく知性もわずかな人の多くにさえも感じられる。その身分のため、その空しさがどのようなものであるかを知らない人々は、一生涯それに耐えつづけている人々の行動を公正に判断することはできない。そのために死ぬ人はいないだろうが、それはおそらく飢えと同じくらいつらいものだ。あるいはそれ以上かもしれぬ。パンよりもこの苦しみの救済手段の方が必要だと言うことは、おそらく文字どおり真実であるだろう。
その救済手段には選択の余地はない。ただ一つしかないのだ。ただ一つのものだけがあの単調さを耐えられるものにするのだが、それは永遠に光を与えてくれるもの、美である。
魂の欲求が、存在しうるものあるいは存在するだろうものに向かうのではなく、現に存在しているものに向かうことを、人間の本性が耐えられる場合はただ一つしかない。その唯一の場合とは美である。美しいものはすべて欲求の対象となるが、人はそれが別のものになるのを望まないし、何かがそれを変えることを望まず、現にあるそれそのものを望むのである。晴れわたった夜の星空を人が欲求をもって眺めるとき、人が欲求するのは、現に所有している光景だけなのである。
民衆はみずからの欲求のすべてを自分たちがすでに所有しているものに向けるしかないので、美は民衆に相応(ふさわ)しく、民衆は美に相応しい。詩は、他の社会的境遇にいる者にとっては賛沢の一種である。民衆はパンと同じくらい詩を必要としている。言葉のなかに閉じこめられた詩のことではない。そのような詩は、それだけでは、民衆にとって何らかの役に立つことはできない。民衆は、自分の人生の日常的な実体そのものが詩となることを必要としているのである。
このような詩にはただ一つの源泉しかありえない。その源泉は神である。そのような詩は宗教以外にはありえない。どんなに知恵を絞って、どんな方法、どんな改革、どんな騒動を企てようとも、労働者がその境遇によって置かれている宇宙に目的性が入りこむことはない。けれど、この宇宙は、その全体のまま、唯一真である目的に結びつけられることができる。それは神につなぎ止められることができるのだ。労働者の境遇は、あらゆる人間の存在そのものを構成している目的性に対する渇望が、神による以外には、満たされることのない境遇なのである。・・・
」(以下略)
労働の奴隷的本性 -- シモーヌ・ヴェイユの『奴隷的でない労働の第一の条件』を読みながら(1) [探求]
最近、貧困や労働についての記事を目にすることが増えてきた。
ここで何度も取り上げた「占拠せよ」の運動もそうだし、数年前社会問題化した派遣労働や深刻化しつつある貧困の現状などもそうだ。
貧困や労働は必ずしも自分の専門の分野ではないが、自分なりに考えを深めたいこともあって、そのための(古典的、あるいは哲学的な)材料をこの場で提供してみようかなと思い至った。
まずは、シモーヌ・ヴェイユの「奴隷的でない労働の第一の条件」という論文の前半部分を紹介してみたい。とても歯切れがよく、かつ斬新な思想が盛り込まれているからだ。翻訳はかつての著作集に収録されているが、あまり出来が良いとは言いかねるものなので、自分なりの翻訳を試みてみた。二回に分けて紹介する。
Simone Weil : Condition première d'un travail non servile, in Oeuvres Complètes Ⅳ, Ecrits de Marseille,p.418~420.
「
奴隷的でない労働の第一の条件
本来の意味での労働である肉体労働、そして一般的に言えば、あることを実行するという労働の内には、隷属(servitude : 奴隷的な服従)という要素が還元不能な形で含まれているのであり、それは、もし完全な社会的平等が実現したとしても消滅することはないだろう。それは、労働が目的性ではなく、肉体的必要性(必然性)に支配されているという事実である。人が労働を行うのは肉体的必要からであって、善なるものを目ざしているからではない。生涯、労働の試練にさらされ続ける人々が言うように、「生活費を稼ぐ必要があるから」なのだ。こうして人は骨折り仕事を提供するわけだが、その挙句に手に入るのは、どう見ても、今もっているもの以上のものではない。その骨折りをしなければ、今もっているものすら失われてしまうのである。
しかし、人間の本性のうちにあって、骨折りの仕事に向かうエネルギー源があるとすれば、欲求以外にはない。ところが、今もっているものを欲し求めるということは人間に起こるはずはないことである。欲求とはある方向を目指すことであり、何ものかに向かって運動を開始することである。運動とは、自分がいまいない地点を目ざすものである。もし運動が開始されるや否や出発点に逆戻りするならば、鳥かごの中のリスや独房の中の囚人のようにぐるぐる廻っているだけである。いつまでもぐるぐる廻りつづけていれば、すぐに吐き気が込み上げてくるものだ。
吐き気、倦怠、ムカつくような不快感、これこそ労働する人々を襲う大きな試練だ。とりわけ、非人間的な条件のもとに置かれている人はこの試練にさらされるし、それほどでもない人であっても同様だ。ときには、この試練が最良の人々のほうをより一層蝕むことがある。
ただ生存していることは人聞にとって目的とはならない。それはただ単に、すべての善(それが本物であれ偽りのものであれ)を支えるものであるにすぎない。善は生存に付け加わるものだ。善が消滅し、生存がもはやいかなる善によって飾りたてられることがなくなって、むき出しの裸形になってしまうとき、生存は善とはいかなる関連ももたないものになってしまう。それは悪ですらあるだろう。まさにこの瞬間に、生存は存在しないあらゆる善に取って代わり、それそのものが唯一の目的、欲求の唯一の対象となる。魂の欲求は、むき出しでヴェールをはぎ取られた悪にくくり付けられる。その時、魂は恐怖のなかにいるのだ。
この恐怖は、即座の暴力が死をもたらしかねない瞬間に対する恐怖である。この恐怖の瞬間は、かつて、勝者の剣のもとで武器を捨て、殺されることだけは免れた者にとって、生涯にわたって続くものだった。助かった命とひきかえに、彼は来る日も米る日も一日中、殺されたり鞭で打たれたりしないようにと願う以外には何一つ望むこともできぬまま、奴隷状態のなかで、自分のエネルギーを骨折り仕事のなかで使い果たさなければならなかった。彼は生存していくこと以外のいかなる善も求めることはできなかった。奴隷になったその日から、魂の半分は奪い去られると古代人は言っていたものだ。
しかし、骨折り仕事を重ねて一か月、一年、二十年たったあげく、自分のおかれた状況が必然的に最初の日とまったく同じであることに気づくという境遇はどのようなものであれ、奴隷状態と類似している。類似点は、いま自分がもっているもの以外のものを求めることが出来ないという不可能性、善なるものに向けて骨折りの仕事を方向づけることが出来ないという不可能性にある。人が骨折りの仕事をするのは、ただ生きるためだけなのである。
そのとき、時間の単位は一日となる。その一日の中で人は円を描いて回るのだ。つまりそこで、壁と壁との間を行ったり来たりするボールのように、労働と休息の間を人は行ったり来たりする。人が働くのは、ただ食べたいという欲求をもつからだ。だが、人が食べるのは、働きつづけることが出来るためだ。そして新たに、食べるために人は働くことになる。
こうして、このような生活ではすべてが媒介的となり、すべては手段と化す。目的性というものがどこかに結びつくことはない。製造される物も手段である。それはいずれ売買されるだろう。そんなものにだれが自分の善を置くことが出来ようか? 原料も工具も労働者の肉体も、労働者の魂さえもが、製造のための手段にすぎないものとなる。必要性(必然性)は至る所にあるが、善はどこにもないのである。
」(つづく)
ここで何度も取り上げた「占拠せよ」の運動もそうだし、数年前社会問題化した派遣労働や深刻化しつつある貧困の現状などもそうだ。
貧困や労働は必ずしも自分の専門の分野ではないが、自分なりに考えを深めたいこともあって、そのための(古典的、あるいは哲学的な)材料をこの場で提供してみようかなと思い至った。
まずは、シモーヌ・ヴェイユの「奴隷的でない労働の第一の条件」という論文の前半部分を紹介してみたい。とても歯切れがよく、かつ斬新な思想が盛り込まれているからだ。翻訳はかつての著作集に収録されているが、あまり出来が良いとは言いかねるものなので、自分なりの翻訳を試みてみた。二回に分けて紹介する。
Simone Weil : Condition première d'un travail non servile, in Oeuvres Complètes Ⅳ, Ecrits de Marseille,p.418~420.
「
奴隷的でない労働の第一の条件
本来の意味での労働である肉体労働、そして一般的に言えば、あることを実行するという労働の内には、隷属(servitude : 奴隷的な服従)という要素が還元不能な形で含まれているのであり、それは、もし完全な社会的平等が実現したとしても消滅することはないだろう。それは、労働が目的性ではなく、肉体的必要性(必然性)に支配されているという事実である。人が労働を行うのは肉体的必要からであって、善なるものを目ざしているからではない。生涯、労働の試練にさらされ続ける人々が言うように、「生活費を稼ぐ必要があるから」なのだ。こうして人は骨折り仕事を提供するわけだが、その挙句に手に入るのは、どう見ても、今もっているもの以上のものではない。その骨折りをしなければ、今もっているものすら失われてしまうのである。
しかし、人間の本性のうちにあって、骨折りの仕事に向かうエネルギー源があるとすれば、欲求以外にはない。ところが、今もっているものを欲し求めるということは人間に起こるはずはないことである。欲求とはある方向を目指すことであり、何ものかに向かって運動を開始することである。運動とは、自分がいまいない地点を目ざすものである。もし運動が開始されるや否や出発点に逆戻りするならば、鳥かごの中のリスや独房の中の囚人のようにぐるぐる廻っているだけである。いつまでもぐるぐる廻りつづけていれば、すぐに吐き気が込み上げてくるものだ。
吐き気、倦怠、ムカつくような不快感、これこそ労働する人々を襲う大きな試練だ。とりわけ、非人間的な条件のもとに置かれている人はこの試練にさらされるし、それほどでもない人であっても同様だ。ときには、この試練が最良の人々のほうをより一層蝕むことがある。
ただ生存していることは人聞にとって目的とはならない。それはただ単に、すべての善(それが本物であれ偽りのものであれ)を支えるものであるにすぎない。善は生存に付け加わるものだ。善が消滅し、生存がもはやいかなる善によって飾りたてられることがなくなって、むき出しの裸形になってしまうとき、生存は善とはいかなる関連ももたないものになってしまう。それは悪ですらあるだろう。まさにこの瞬間に、生存は存在しないあらゆる善に取って代わり、それそのものが唯一の目的、欲求の唯一の対象となる。魂の欲求は、むき出しでヴェールをはぎ取られた悪にくくり付けられる。その時、魂は恐怖のなかにいるのだ。
この恐怖は、即座の暴力が死をもたらしかねない瞬間に対する恐怖である。この恐怖の瞬間は、かつて、勝者の剣のもとで武器を捨て、殺されることだけは免れた者にとって、生涯にわたって続くものだった。助かった命とひきかえに、彼は来る日も米る日も一日中、殺されたり鞭で打たれたりしないようにと願う以外には何一つ望むこともできぬまま、奴隷状態のなかで、自分のエネルギーを骨折り仕事のなかで使い果たさなければならなかった。彼は生存していくこと以外のいかなる善も求めることはできなかった。奴隷になったその日から、魂の半分は奪い去られると古代人は言っていたものだ。
しかし、骨折り仕事を重ねて一か月、一年、二十年たったあげく、自分のおかれた状況が必然的に最初の日とまったく同じであることに気づくという境遇はどのようなものであれ、奴隷状態と類似している。類似点は、いま自分がもっているもの以外のものを求めることが出来ないという不可能性、善なるものに向けて骨折りの仕事を方向づけることが出来ないという不可能性にある。人が骨折りの仕事をするのは、ただ生きるためだけなのである。
そのとき、時間の単位は一日となる。その一日の中で人は円を描いて回るのだ。つまりそこで、壁と壁との間を行ったり来たりするボールのように、労働と休息の間を人は行ったり来たりする。人が働くのは、ただ食べたいという欲求をもつからだ。だが、人が食べるのは、働きつづけることが出来るためだ。そして新たに、食べるために人は働くことになる。
こうして、このような生活ではすべてが媒介的となり、すべては手段と化す。目的性というものがどこかに結びつくことはない。製造される物も手段である。それはいずれ売買されるだろう。そんなものにだれが自分の善を置くことが出来ようか? 原料も工具も労働者の肉体も、労働者の魂さえもが、製造のための手段にすぎないものとなる。必要性(必然性)は至る所にあるが、善はどこにもないのである。
」(つづく)
2011-12-09 18:14
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妄想-生き延びる戦略(序論) [探求]
以前、Edward M. Hundertの論文の4/5にあたる部分の翻訳を、「妄想-生き延びる戦略」(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29-1)と題して、アップしたことがある。しかし、当然ながら残りの1/5の部分もいつかアップしようと思いながら、先延ばしをし続けてきた。遅ればせながら、その部分をアップしたいと思う。
問題の論文は、Manfred Spitzer,Friedrich Uehlein, Micheal A. Schwartz, Cristoph Mundt (ed)“Phenomenology,Language & Schizophrenia”(1992) 所収の以下の論文で、今アップするのはその冒頭の部分である。
Edward M. Hundert : The brain's capacity to form delusions as an evolutionary strategy for survival.
「 生き延びる進化的戦略として妄想を形成する脳の能力
エドワード M.ハンダート
1 . 序論
妄想は、長い間、精神病の顕著な特徴の一つと考えられてきた。自分は世界を救うためにやって来たイエス・キリストなのだとか世界を破壊するためにやってきた悪魔だとか信じ始めるとき、そういう人々はすぐに「精神病的」というレッテルを貼られ、何らかの精神科の治療が必要だと考えられるのだ。歴史を通して、そうした人々は、魂が悪霊にとりつかれてしまったとか、精神構造が劣化したとか、脳の機能が上手くいかなくなったとか、妄想が表わしていると想定される「病的現象」を説明するために他にいかなるパラダイムが用いられようと、そのような理由をつけて汚名を着せられ共同体から追放される憂き目に会ってきた。
現代の生物学的なパラダイムは、妄想の座を説明するのに「壊れた脳」に目をやるのだ。そうした精神病理学的な徴候を神経生物学的な失調によって概念的に説明するのは簡単なことだ。現代の研究者たちは、脳をスキャンするための入手可能なあらゆる装置を使って、妄想を抱く患者のことを積極的に研究している最中だ。これまでの所、決定的な結果は何ら得られていないのだが、このことは、「損傷」部位がいつかは発見されるかどうかについて悲観的になる理由としてではなく、人間の脳がいかに複雑であるかということを思い知らせてくれるものとして受け取られている。結局のところ、「壊れた脳」は、解剖的なレベルであれ、生理的なレベルであれ、分子遺伝学的なレベルであれ、どこかが壊れているに違いない、と考えられている。妄想を引き起こす失調箇所が発見されるのは時間の問題だ、と研究者たちは言うのである。
しかし、われわれの生物学的なパラダイムの中心を形成する人間の脳は、それ自体が、原因であるとともに結果でもあるのだ。脳は何百万年もかけて自然選択のプロセスを通して進化したのであり、そのような進化のプロセスにおいて特別な地位を得るにいたったのだ。実際、生殖器官と並んで、脳はわれわれの絶えず続く進化に対してもっとも責任をもつ器官である、と言っていいだろう。というのも、再生産可能な年齢においてわれわれのサバイバルを阻む多くの予測できない問題を解決するのは脳だからである。この(アメリカ国立衛生研究所(U.S.National Institutes of Health)の命名によれば)「脳の10年間」において、われわれは、脳の奇跡にも等しい可塑性や、運命の打撃にもめげずに生き延びていくための無数のメカニズムについての新たな発見があるたびごとに、ますます驚嘆の度合いを深めてきた。人間という種が次世代も生き延びることができるように、しばしば敵対的な世界に適合していくのは脳の責任なのである。
もし脳が、適応のための巧妙なメカニズムの多くを通してサバイバルの確率を最大化するように進化してきたならば、妄想を形成する脳の能力もそうしたメカニズムの一つなのではないかと問いかけてみたくなるのも当然だろう。精神病理学についての生物学的な見解を取るからといって、妄想はMRI(磁気共鳴画像装置)やPET(ポジトロン断層撮影法)やEEG(脳波計)によって発見されうる脳の病理学の一形態なのだという仮説を受け入れなければならない、というわけではない。身体を生かしておく(これは脳の使命である)複雑な方法を発展させてきた脳に焦点を合わせる別の生物学的仮説もあるのであって、そうした複雑な方法の一つが、個人が現実と接触する仕方を変更する(その個人にこの病気に対する「治療」を必要とする「精神病の患者」というレッテルを貼らせるような仕方で変更する)というメカニズムであるかもしれないのだ。
この別の仮説は、臨床的、哲学的または進化論的観点から見ることができるが、そのような観点を採用する前に、手短かなケース・スタディーを紹介することで、以下の議論にとっての問題点を明瞭なものにしておきたいのである。
」
問題の論文は、Manfred Spitzer,Friedrich Uehlein, Micheal A. Schwartz, Cristoph Mundt (ed)“Phenomenology,Language & Schizophrenia”(1992) 所収の以下の論文で、今アップするのはその冒頭の部分である。
Edward M. Hundert : The brain's capacity to form delusions as an evolutionary strategy for survival.
「 生き延びる進化的戦略として妄想を形成する脳の能力
エドワード M.ハンダート
1 . 序論
妄想は、長い間、精神病の顕著な特徴の一つと考えられてきた。自分は世界を救うためにやって来たイエス・キリストなのだとか世界を破壊するためにやってきた悪魔だとか信じ始めるとき、そういう人々はすぐに「精神病的」というレッテルを貼られ、何らかの精神科の治療が必要だと考えられるのだ。歴史を通して、そうした人々は、魂が悪霊にとりつかれてしまったとか、精神構造が劣化したとか、脳の機能が上手くいかなくなったとか、妄想が表わしていると想定される「病的現象」を説明するために他にいかなるパラダイムが用いられようと、そのような理由をつけて汚名を着せられ共同体から追放される憂き目に会ってきた。
現代の生物学的なパラダイムは、妄想の座を説明するのに「壊れた脳」に目をやるのだ。そうした精神病理学的な徴候を神経生物学的な失調によって概念的に説明するのは簡単なことだ。現代の研究者たちは、脳をスキャンするための入手可能なあらゆる装置を使って、妄想を抱く患者のことを積極的に研究している最中だ。これまでの所、決定的な結果は何ら得られていないのだが、このことは、「損傷」部位がいつかは発見されるかどうかについて悲観的になる理由としてではなく、人間の脳がいかに複雑であるかということを思い知らせてくれるものとして受け取られている。結局のところ、「壊れた脳」は、解剖的なレベルであれ、生理的なレベルであれ、分子遺伝学的なレベルであれ、どこかが壊れているに違いない、と考えられている。妄想を引き起こす失調箇所が発見されるのは時間の問題だ、と研究者たちは言うのである。
しかし、われわれの生物学的なパラダイムの中心を形成する人間の脳は、それ自体が、原因であるとともに結果でもあるのだ。脳は何百万年もかけて自然選択のプロセスを通して進化したのであり、そのような進化のプロセスにおいて特別な地位を得るにいたったのだ。実際、生殖器官と並んで、脳はわれわれの絶えず続く進化に対してもっとも責任をもつ器官である、と言っていいだろう。というのも、再生産可能な年齢においてわれわれのサバイバルを阻む多くの予測できない問題を解決するのは脳だからである。この(アメリカ国立衛生研究所(U.S.National Institutes of Health)の命名によれば)「脳の10年間」において、われわれは、脳の奇跡にも等しい可塑性や、運命の打撃にもめげずに生き延びていくための無数のメカニズムについての新たな発見があるたびごとに、ますます驚嘆の度合いを深めてきた。人間という種が次世代も生き延びることができるように、しばしば敵対的な世界に適合していくのは脳の責任なのである。
もし脳が、適応のための巧妙なメカニズムの多くを通してサバイバルの確率を最大化するように進化してきたならば、妄想を形成する脳の能力もそうしたメカニズムの一つなのではないかと問いかけてみたくなるのも当然だろう。精神病理学についての生物学的な見解を取るからといって、妄想はMRI(磁気共鳴画像装置)やPET(ポジトロン断層撮影法)やEEG(脳波計)によって発見されうる脳の病理学の一形態なのだという仮説を受け入れなければならない、というわけではない。身体を生かしておく(これは脳の使命である)複雑な方法を発展させてきた脳に焦点を合わせる別の生物学的仮説もあるのであって、そうした複雑な方法の一つが、個人が現実と接触する仕方を変更する(その個人にこの病気に対する「治療」を必要とする「精神病の患者」というレッテルを貼らせるような仕方で変更する)というメカニズムであるかもしれないのだ。
この別の仮説は、臨床的、哲学的または進化論的観点から見ることができるが、そのような観点を採用する前に、手短かなケース・スタディーを紹介することで、以下の議論にとっての問題点を明瞭なものにしておきたいのである。
」
蛇は何のシンボルだったのか? [探求]
古代の宗教のあちこちで姿を見せる「蛇」。何となく気にはなっていて関連する書物を読んだこともあるが、いま一つ断片的で散漫な知識の集積以上のものにはならないという印象しかもたなかった。その印象は変わってないのだが、とりあえずここで、思いつくことを列挙してみようと思う。
古代の宗教における「蛇」というと、『創世記』冒頭でイヴをそそのかす蛇がもっとも有名だ。キリスト教的な解釈では、直ちにそれは原罪の誘引となった「悪」のシンボルと捉えられる訳だが、それは「蛇」に対して非常に偏った捉え方にすぎない(ちなみに言うと、ユダヤ教は、原罪という意味合いを読み込むことはしない。それは、人間が当然犯す過ちの一つ、という以上の意味はないのである)。
「蛇」がネガティヴでない意味をもって登場する箇所を若干挙げてみよう。
「主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る」。モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(『民数記』21:8-9)。
ここで「蛇」は生命を付与するものとして捉えられているが、これはギリシア神話の「アスクレーピオス」の蛇とも共通して、広く地中海一帯やインドにまで広がっていた蛇観であるそうだ。脱皮を繰り返しながら生を更新していく蛇のうちに、個体の生死を超えて続けられる生そのものの連続性を古代人は見たのだという解釈がよくなされるようだ。ちなみに言えば、現在のWHOのシンボル・マークは蛇だが、これはアスクレーピオスに由来する。
さて、このモーセと蛇の結びつきは、新約聖書の一人の作者によって利用された。
「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(『ヨハネによる福音書』3:14-15)。
蛇=悪という教義が障害となって、この箇所と『民数記』の上の箇所との関連が追及されることはこれまでなかった。この関連を追求した例外的な書物が私の手もとにあるが(James H.Charlesworth : The Good & Evil Serpent,Yale University Press 2010)、その出版年を見ても判るように、聖書学者がこういうテーマをテーマにすること自体、これまで非常に稀なことだったようである。
しかし、宗教的カリスマを蛇のイメージにおいて捉えることは決して珍しいことではなかった。たとえば、福音書が書かれた時期にはまだ地中海一帯で命脈を保っていたディオニューソスには蛇のイメージがついて回る。ヨハネ福音書の作者がイエスを造形するに際して、「解放者」ディオニューソスをモデルにしたという解釈はすでに相当あるようだ(たとえば、イエスが甕に入っていた水をたちまちワインに変えてしまう箇所などが典型的だと見なされている)。
翻訳もあるケレーニーの『ディオニューソス』で、ケレーニーはディオニューソスの由来をクレタ島のミノワ文明に求めたが、過去に遡るにつれて、ディオニューソスとゼウスの区別は薄れ、それらは時には牛に時には蛇に近接していき、「牛は蛇を生み、蛇は牛を生む」という謎めいた呪文(おそらく何らかの儀式で唱えられた呪文)に行き着くのだが、ケレーニーによればこの蛇や牛は「破壊されることのない生命」のシンボルだった。(残念ながら、ここら辺は、大変粗略にしか紹介できない)。
(クノッソス宮殿で発見された蛇を掲げる女性像ととぐろを巻く蛇をいただく女性像。おそらく蛇巫(へびふ)と呼んでいいのだろう)


さて、こうした蛇観は日本の神話にも見い出せるだろう。吉野裕子の定評ある『蛇』を最近読んだのだが、そこでケレーニーの書物を想起させる箇所に再三出くわして驚いたのだが(特に、蔓科の植物と蛇の親近性については興味深いと思ったが)、一番おもしろいと思った箇所を紹介しよう。
『古事記』上巻の「少彦名神」の箇所の解釈が問題なのである(「大国主神が出雲の美保崎にいたとき、白く高く立つ波頭の間から羅摩(かがみ)船に乗って、蛾の羽を丸ごと剥いだ着物を着て帰ってくる神がいた。そこでその神に名前を聞いたが答えてくれず、また連れていた神に聞いても皆「知りません」と答えた。しかしここでヒキガエルが、「久延毘古(くえびこ)なら必ず知っているでしょう。」と申し上げると、すぐ久延毘古を呼び聞くと、「彼は神産巣日神の子供で、少彦名の神です。」と答えた。それを神産巣日御祖(みおやの)命に申し上げると「これは確かに私の子です。子の中で私の手の指の間から漏れ落ちてしまった子です・・・・・」)。
吉野裕子は「少彦名神」がやって来る「羅摩(かがみ)船」とは「蛇」のことであるという仮説を立てて、その仮説を補強する材料として「少彦名神の神格」に言及する。
「(古代日本人の考えでは生命の種は東方から)渡って来て男性の中に蓄えられる。きわめて「小さい男」の名称を負う少彦名神は、種神・生命の源・精虫の象徴であって、その神格化ではなかったろうか。
種神・少彦名神は常世からカガミという蛇の船に乗ってこの現世に顕現し、国津神・大国主神に宿る。その結果、大国主は男としての活気に溢れて国土経営に当たるが、この少彦が常世に帰ると同時に生気を失って見る影もなく衰えた、というのが神話の狙いであろう。
古代日本人によって、すでに生命の源は、精液中の微小な虫として捉えられていたに相違なく、少彦名神は大国主の掌中に弄ばれているうちに、いきなりとび出して大国主の頬に喰らいついたとか、高皇産霊神の指の間から漏れ落ちたとか、その去るに当たっては男根状の栗の穂先から味かれて常世に渡ったというが、それらの表現は暗然のうちに種神・精虫の神格化としての少彦名神の本質を物語っているとしか思われない」。
「少彦名神」=「精子(生命の源)」、それを運ぶものとしての「カガミ」=「蛇」という着想は、少なくとも私にはとても興味深い。羅摩(かがみ)は元来ガガイモのことだが、吉野説によれば、いずれも、かが(蛇の古名)+身に遡るという。そういえば、ディオニューソスをシンボライズするものの一つとして蔓草状のものが挙げられるが(葡萄はその一つにすぎない)、ガガイモも蔓草状のものらしい。そして、蛇巫が日本にもいたらしいという吉野氏の指摘も、とても興味深い。途方もないことだが、古代のギリシアやエルサレムを包括する地中海世界からユーラシア大陸の東端まで連綿と続く人間のベーシックな世界観の一端を垣間見えるような思いがするのだ。今日のところは「興味深い」としか言えないのだが、次回書くとき(があるとして)には、それ以上のことが言えるようになっていたいものである。
古代の宗教における「蛇」というと、『創世記』冒頭でイヴをそそのかす蛇がもっとも有名だ。キリスト教的な解釈では、直ちにそれは原罪の誘引となった「悪」のシンボルと捉えられる訳だが、それは「蛇」に対して非常に偏った捉え方にすぎない(ちなみに言うと、ユダヤ教は、原罪という意味合いを読み込むことはしない。それは、人間が当然犯す過ちの一つ、という以上の意味はないのである)。
「蛇」がネガティヴでない意味をもって登場する箇所を若干挙げてみよう。
「主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る」。モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」(『民数記』21:8-9)。
ここで「蛇」は生命を付与するものとして捉えられているが、これはギリシア神話の「アスクレーピオス」の蛇とも共通して、広く地中海一帯やインドにまで広がっていた蛇観であるそうだ。脱皮を繰り返しながら生を更新していく蛇のうちに、個体の生死を超えて続けられる生そのものの連続性を古代人は見たのだという解釈がよくなされるようだ。ちなみに言えば、現在のWHOのシンボル・マークは蛇だが、これはアスクレーピオスに由来する。
さて、このモーセと蛇の結びつきは、新約聖書の一人の作者によって利用された。
「そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(『ヨハネによる福音書』3:14-15)。
蛇=悪という教義が障害となって、この箇所と『民数記』の上の箇所との関連が追及されることはこれまでなかった。この関連を追求した例外的な書物が私の手もとにあるが(James H.Charlesworth : The Good & Evil Serpent,Yale University Press 2010)、その出版年を見ても判るように、聖書学者がこういうテーマをテーマにすること自体、これまで非常に稀なことだったようである。
しかし、宗教的カリスマを蛇のイメージにおいて捉えることは決して珍しいことではなかった。たとえば、福音書が書かれた時期にはまだ地中海一帯で命脈を保っていたディオニューソスには蛇のイメージがついて回る。ヨハネ福音書の作者がイエスを造形するに際して、「解放者」ディオニューソスをモデルにしたという解釈はすでに相当あるようだ(たとえば、イエスが甕に入っていた水をたちまちワインに変えてしまう箇所などが典型的だと見なされている)。
翻訳もあるケレーニーの『ディオニューソス』で、ケレーニーはディオニューソスの由来をクレタ島のミノワ文明に求めたが、過去に遡るにつれて、ディオニューソスとゼウスの区別は薄れ、それらは時には牛に時には蛇に近接していき、「牛は蛇を生み、蛇は牛を生む」という謎めいた呪文(おそらく何らかの儀式で唱えられた呪文)に行き着くのだが、ケレーニーによればこの蛇や牛は「破壊されることのない生命」のシンボルだった。(残念ながら、ここら辺は、大変粗略にしか紹介できない)。
(クノッソス宮殿で発見された蛇を掲げる女性像ととぐろを巻く蛇をいただく女性像。おそらく蛇巫(へびふ)と呼んでいいのだろう)
さて、こうした蛇観は日本の神話にも見い出せるだろう。吉野裕子の定評ある『蛇』を最近読んだのだが、そこでケレーニーの書物を想起させる箇所に再三出くわして驚いたのだが(特に、蔓科の植物と蛇の親近性については興味深いと思ったが)、一番おもしろいと思った箇所を紹介しよう。
『古事記』上巻の「少彦名神」の箇所の解釈が問題なのである(「大国主神が出雲の美保崎にいたとき、白く高く立つ波頭の間から羅摩(かがみ)船に乗って、蛾の羽を丸ごと剥いだ着物を着て帰ってくる神がいた。そこでその神に名前を聞いたが答えてくれず、また連れていた神に聞いても皆「知りません」と答えた。しかしここでヒキガエルが、「久延毘古(くえびこ)なら必ず知っているでしょう。」と申し上げると、すぐ久延毘古を呼び聞くと、「彼は神産巣日神の子供で、少彦名の神です。」と答えた。それを神産巣日御祖(みおやの)命に申し上げると「これは確かに私の子です。子の中で私の手の指の間から漏れ落ちてしまった子です・・・・・」)。
吉野裕子は「少彦名神」がやって来る「羅摩(かがみ)船」とは「蛇」のことであるという仮説を立てて、その仮説を補強する材料として「少彦名神の神格」に言及する。
「(古代日本人の考えでは生命の種は東方から)渡って来て男性の中に蓄えられる。きわめて「小さい男」の名称を負う少彦名神は、種神・生命の源・精虫の象徴であって、その神格化ではなかったろうか。
種神・少彦名神は常世からカガミという蛇の船に乗ってこの現世に顕現し、国津神・大国主神に宿る。その結果、大国主は男としての活気に溢れて国土経営に当たるが、この少彦が常世に帰ると同時に生気を失って見る影もなく衰えた、というのが神話の狙いであろう。
古代日本人によって、すでに生命の源は、精液中の微小な虫として捉えられていたに相違なく、少彦名神は大国主の掌中に弄ばれているうちに、いきなりとび出して大国主の頬に喰らいついたとか、高皇産霊神の指の間から漏れ落ちたとか、その去るに当たっては男根状の栗の穂先から味かれて常世に渡ったというが、それらの表現は暗然のうちに種神・精虫の神格化としての少彦名神の本質を物語っているとしか思われない」。
「少彦名神」=「精子(生命の源)」、それを運ぶものとしての「カガミ」=「蛇」という着想は、少なくとも私にはとても興味深い。羅摩(かがみ)は元来ガガイモのことだが、吉野説によれば、いずれも、かが(蛇の古名)+身に遡るという。そういえば、ディオニューソスをシンボライズするものの一つとして蔓草状のものが挙げられるが(葡萄はその一つにすぎない)、ガガイモも蔓草状のものらしい。そして、蛇巫が日本にもいたらしいという吉野氏の指摘も、とても興味深い。途方もないことだが、古代のギリシアやエルサレムを包括する地中海世界からユーラシア大陸の東端まで連綿と続く人間のベーシックな世界観の一端を垣間見えるような思いがするのだ。今日のところは「興味深い」としか言えないのだが、次回書くとき(があるとして)には、それ以上のことが言えるようになっていたいものである。
虚構を考え直す(5) [探求]
物語りの課題
終わる前に、自伝的なエピソードにもう一度手短かに立ち寄る方が、今述べたことをもう少し明確にしてくれるかもしれない。私は、講演での発表に先立つ数日間に娘のことや父親との車での帰宅のことについてもっと考えるようになるにつれて、なにか洞察のようなもの、つまり,私自身の過去のある側面についての理解とも言えるかもしれないものを得た。何らかのつながりがあるということは十分ありうる、ヴァンで家から遠ざかっていった時私が娘にどう反応したかということと私の大学二年生が終わった夏に何が起きたかということの間には何らかの-心的な性格の-つながりがあるということは十分ありうる、ということに私は気づいた。つまり、その時が最後になりうるし、いつだって最後かもしれないということである。多分、より以前に受けた傷のほうが、私がしばしば想定する以上に生々しく記憶に残っていて強力で、意識の周辺部分に、私が大切にしている人々についての私の考え方や感じ方にある種の脆さや不確かさを生み出していたのである。
私はこのことを、「何が何を生み出した」という観点から、ほとんど因果的なセッティングのもとで述べてきた。しかし、鍵を握っているのは物語的な次元である。後に起こった出来事のおかげで初めて、それ以前の出来事について、そして両者の間の可能的な関係について新たに考えることが可能となったのであるから。
あの数日間の間に起こったことは、私が洞察と呼びたいだけではなく、一つのありうべき真理,自伝的な自己理解へのありうべき一つの入り口--それは一時的でまたいつかは変更されるかもしれないが--とも呼びたいようなものであった。この種の解釈は、自伝的な物語においてはごく普通のことだが、正確さとか忠実な再現とはなんの関係もない。対応説的見解はこの文脈では全く意味をなさない。しかし、整合性という観念も大して役に立たない。自己欺瞞的な人々が、しばしば声高にそしてはっきりと、示しているように、自伝的物語は完全に整合的でありながら、至る所で妄想的でありうるのである。それにもかかわらず、時として洞察と自己理解は可能であるように見える。そしてもしこういう事が可能であるならば、真理が加える重み、真理が宿る領域というものが、やはりあるのだ。自己理解と、それがしばしば生み出す種類の真理はいったい何にかかわるのかという問いに関して言えば、私としては、やはりここでも、詩的なもの、詩やフィクションといったものの方に向かってしまうのだが、それらは、しばしば世界を意味付けようと試みているのであり、それに形式を与え、ただ単に興味深いとか整合的であるのみならず、聞くに値するようなものを言おうと試みるものだからである。どうも、良い詩や小説は-そして自伝も-真理を語ることができるように思われる。ローレンス・ランガー(Lawrence Langer)は、この書物の彼のうけもちの章で、フィクションとノンフィクション両方の力(偉大な作家の手になる場合にとりわけ感じられる力)に言及している。より多くの想像力と芸術家としての手腕が発揮されればされるほど、真理を語る可能性は高まる、と彼は示唆しているように見える。こうしたことがどうして生ずるのかを言うのは難しい。
講演会の最中に、ボブ・ニーマイヤーの発表に対してある人がした質問を、ボブは次のように問いかけることで言い換えた。つまり、物語りについてどれほど真面目に考えているのかと言いたいのですね、と。彼はこの問いかけに対して、「面白半分の」アプローチで答えようとした。つまり、どれだけのことが出来るのか見たいだけなのだ、と。私はこの観点に共感している。しかし、私自身の答えは少し違っている。次のように言ったとしても強引な言い方にならないだろう、つまり、物語られた人生は吟味された人生なのだ、そこで人は、流れゆく物事から一歩退いて、自分の存在についてもっと自覚的になろうとしているのだ、と。こうした考え方に沿うならば、自伝的物語りは、何がいつ起きたのか等々に関わるだけでなく、いかに生きるか、今の人生が良い人生であるかどうかに関わるのである。
したがって、真理の重みと私が呼んだものは、部分的には認識的であり部分的に倫理的である。想起、またはアナムネーシスの古典的な概念はそれ自体、この二重の責務に関わるものである。一方では、語り直し理解することに関連がある。しかし他方では、時として忘却的な人生においてとても意義深く価値があるものを集めて、思い出すということに関連する。これは、リムジン型のヴァンに乗って家から遠ざかったり、日常の仕事や関心事に没頭するあまり、あまりにしばしば見ずにすごしていた人々を見るときに経験するような真理なのである。後で判明したことだが、ブレンナの病気はそれほど重いものではなかった。ありがたい事に、結局ストーリーと言えるようなものはなかったのである。
自伝的物語りにおいて、真理というカテゴリーはとても複雑なものとなる。虚構/現実という対概念が伝えがちなものよりもはるかに複雑なのである。この論文でこれまでに論じてきたことが、何故そうなのか、そして何故その対概念を超えて考えることが重要なのかを示してくれていることを私は望む。
」
終わる前に、自伝的なエピソードにもう一度手短かに立ち寄る方が、今述べたことをもう少し明確にしてくれるかもしれない。私は、講演での発表に先立つ数日間に娘のことや父親との車での帰宅のことについてもっと考えるようになるにつれて、なにか洞察のようなもの、つまり,私自身の過去のある側面についての理解とも言えるかもしれないものを得た。何らかのつながりがあるということは十分ありうる、ヴァンで家から遠ざかっていった時私が娘にどう反応したかということと私の大学二年生が終わった夏に何が起きたかということの間には何らかの-心的な性格の-つながりがあるということは十分ありうる、ということに私は気づいた。つまり、その時が最後になりうるし、いつだって最後かもしれないということである。多分、より以前に受けた傷のほうが、私がしばしば想定する以上に生々しく記憶に残っていて強力で、意識の周辺部分に、私が大切にしている人々についての私の考え方や感じ方にある種の脆さや不確かさを生み出していたのである。
私はこのことを、「何が何を生み出した」という観点から、ほとんど因果的なセッティングのもとで述べてきた。しかし、鍵を握っているのは物語的な次元である。後に起こった出来事のおかげで初めて、それ以前の出来事について、そして両者の間の可能的な関係について新たに考えることが可能となったのであるから。
あの数日間の間に起こったことは、私が洞察と呼びたいだけではなく、一つのありうべき真理,自伝的な自己理解へのありうべき一つの入り口--それは一時的でまたいつかは変更されるかもしれないが--とも呼びたいようなものであった。この種の解釈は、自伝的な物語においてはごく普通のことだが、正確さとか忠実な再現とはなんの関係もない。対応説的見解はこの文脈では全く意味をなさない。しかし、整合性という観念も大して役に立たない。自己欺瞞的な人々が、しばしば声高にそしてはっきりと、示しているように、自伝的物語は完全に整合的でありながら、至る所で妄想的でありうるのである。それにもかかわらず、時として洞察と自己理解は可能であるように見える。そしてもしこういう事が可能であるならば、真理が加える重み、真理が宿る領域というものが、やはりあるのだ。自己理解と、それがしばしば生み出す種類の真理はいったい何にかかわるのかという問いに関して言えば、私としては、やはりここでも、詩的なもの、詩やフィクションといったものの方に向かってしまうのだが、それらは、しばしば世界を意味付けようと試みているのであり、それに形式を与え、ただ単に興味深いとか整合的であるのみならず、聞くに値するようなものを言おうと試みるものだからである。どうも、良い詩や小説は-そして自伝も-真理を語ることができるように思われる。ローレンス・ランガー(Lawrence Langer)は、この書物の彼のうけもちの章で、フィクションとノンフィクション両方の力(偉大な作家の手になる場合にとりわけ感じられる力)に言及している。より多くの想像力と芸術家としての手腕が発揮されればされるほど、真理を語る可能性は高まる、と彼は示唆しているように見える。こうしたことがどうして生ずるのかを言うのは難しい。
講演会の最中に、ボブ・ニーマイヤーの発表に対してある人がした質問を、ボブは次のように問いかけることで言い換えた。つまり、物語りについてどれほど真面目に考えているのかと言いたいのですね、と。彼はこの問いかけに対して、「面白半分の」アプローチで答えようとした。つまり、どれだけのことが出来るのか見たいだけなのだ、と。私はこの観点に共感している。しかし、私自身の答えは少し違っている。次のように言ったとしても強引な言い方にならないだろう、つまり、物語られた人生は吟味された人生なのだ、そこで人は、流れゆく物事から一歩退いて、自分の存在についてもっと自覚的になろうとしているのだ、と。こうした考え方に沿うならば、自伝的物語りは、何がいつ起きたのか等々に関わるだけでなく、いかに生きるか、今の人生が良い人生であるかどうかに関わるのである。
したがって、真理の重みと私が呼んだものは、部分的には認識的であり部分的に倫理的である。想起、またはアナムネーシスの古典的な概念はそれ自体、この二重の責務に関わるものである。一方では、語り直し理解することに関連がある。しかし他方では、時として忘却的な人生においてとても意義深く価値があるものを集めて、思い出すということに関連する。これは、リムジン型のヴァンに乗って家から遠ざかったり、日常の仕事や関心事に没頭するあまり、あまりにしばしば見ずにすごしていた人々を見るときに経験するような真理なのである。後で判明したことだが、ブレンナの病気はそれほど重いものではなかった。ありがたい事に、結局ストーリーと言えるようなものはなかったのである。
自伝的物語りにおいて、真理というカテゴリーはとても複雑なものとなる。虚構/現実という対概念が伝えがちなものよりもはるかに複雑なのである。この論文でこれまでに論じてきたことが、何故そうなのか、そして何故その対概念を超えて考えることが重要なのかを示してくれていることを私は望む。
」
虚構を考え直す(4) [探求]
記憶とポイエーシス
今述べたことをすべて具体的にするためにマルセルの旅の概念にもう一度立ち返ろう。今度は、しばらく前に私がした、そして最近それについて書く機会に恵まれた現実にあった旅のことに言及したい。手短かながら、またしても自伝的な逸話に触れることをご容赦いただきたい。(私は、これが危険な領域であることは十分自覚している)。
思春期の数年間、私の父と私は、良好ではあるがどこかぎこちない関係にあった。父は、時には厳格で少し我慢しきれないような素振りを見せることもあり、私は、基本的には、髪の毛を伸ばし放題で、権威なんて糞食らえという気ままなヒッピーだったので、時としてそれほど好ましい取り合わせにはならなかった。私の兄たちは年が離れていてしかも非常に成功を収めていたので、それとの比較で言えば私が理想からかけ離れているように見えたことは確かである。ともかく、大学の2年の終りに(その頃までに、私は自分の学業と世界について前よりいく分かは真剣になり始めていた)、父は夏休みのために私が荷づくりするのを手伝ってくれて、私を車で家まで送ってくれた。実に、実に久しぶりに-ひょっとしたら、生涯で初めて-私たちは語り合った。多くの、様々なことについて。楽しい時間だった。私は、その時のことを触れ合いと償いの時であるように考えるようになった。それは、信じがたい出来事だったわけではない。抱擁するとか、過去の罪を詫びるとかそんなことをしたわけではないが、父は、父なりの熟慮した仕方で私の存在を基本的に認めたのであり、私に対してO.K.だよと言ったのだ。私も同じことをした。家についたら、私は外出して、友人たちに会いに行ったと思う。
一ヶ月後、家から数時間離れたキャンプ場で仕事をするために家を離れたときが、私が父を見た最後の時だった。彼は55歳だった。
私の父があの運命的な夏以降も生き続けていたならば、あの二人で帰宅したドライブは、一つの出来事として脳裏に刻み込まれることがあったかもしれないが、そうでないこともありえたかもしれない。ドライブで帰宅する機会は別に何度もあっただろうし、別に接触する機会もあっただろうし、すれ違った機会もあっただろうし、おそらくもっとずっとあっただろう。それゆえ、そうなれば、あのドライブは単なる「一つの素敵なドライブ」にすぎなかっただろう。しかし、実際は、それは極めて意義深い出来事だったし--私が遭遇したいかなる出来事よりはるかに意義深い出来事だった。実は、あのドライブは、私の過去における記念碑的な出来事(monument)のようなものになったのだ。
これには何ら幻想的なものはない。記憶は、以前の直接的な経験に立ち戻ることではない。また、出来事に意味を与えるようにして物語りを構成することが問題なのでもない。意味ある出来事を引き出して、それ以降にやってきたもの(当然、やって来なかったものも含まれるが)の結果として初めて現れる意義を仔細に明らかにしようとすることなのだ。いずれにせよ、肝心な点は、わたしたちが時計の時間にのみ生きているわけではないということである。わたしたちはまた物語りの時間にも生きているのであり、この時間を通して、以前には見たり感じられなかった物事を見たり感じたりすることが時として可能になるのである。
ここで、但し書きを加えておこう。私がこのエピソードやその意義を組み立てることには構成的な側面、想像する(imagining)という側面があることは疑いえない。ヴァレリー・グレイ・ハードキャッスル(Valerie Gray Hardcastle)やキャスリーヌ・ネルソン(Katherine Nelson)に倣って、ポイエーシスという意味での意味制作(meaning making)のプロセスと呼んでもいいかもしれない。フィクションの概念が、単に、構成あるいは意味制作を指し示すものと受け取られるならば、反論すべきことはあまりないのだ。問題なのは、やはりまた、虚構的なものという観念が、非虚構的なテクストに適用されるとき、幻想なり現実的なものの変形という観点から見られるようになるときなのである。
ハッキングの研究がここでは有益だろう。マルセルと似てないこともないのだが、彼が反省をめぐらしているのは過去の非決定性についてであるが、記憶の非決定性ではなく、「実際に人々がしたことの非決定性」であると、彼は念を押している。問題は、過去についての発見がますます増えるということではなく(明らかに、そういうことも時にあるけれど)、「わたしたちが諸々の行為を新たな記述のもとで提示する」ことなのである。ハッキングは続けて次のようにいう。「わたしたちにとって重要なことは、いまそう思えるほどはっきり定まったことではなかったのかもしれない。わたしたちが自分のしたこと、他人がしたことを思い出すとき、わたしたちは過去を考え直し、記述し直し、感じ直しているのかもしれない。そのような再記述は、過去について完全に当てはまっているだろう。つまり、それらは、いまわたしたちが過去について主張している真理なのだ」。
この文脈で注意して欲しいのは、これらの真理が現れるのは物語りの時間(過去の風景をふりかえって見やる時間)において、そして物語りの時間を通してであるにもかかわらず、ハッキングが語っているのは、スペンス及びルドウィックその他のような「物語的な真理」ではないということである。彼は端的な真理について語っているのであり、真理とは何であるかについてのわたしたちの感覚を、過去の不連続な出来事を表わしているものの彼方に連れ出すことによって、その感覚を拡大せよと促しているのである。ここで考慮されているのは、過去を語ることに含まれる物語りと詩的なプロセスによって使用可能となる真理なのである。
」
今述べたことをすべて具体的にするためにマルセルの旅の概念にもう一度立ち返ろう。今度は、しばらく前に私がした、そして最近それについて書く機会に恵まれた現実にあった旅のことに言及したい。手短かながら、またしても自伝的な逸話に触れることをご容赦いただきたい。(私は、これが危険な領域であることは十分自覚している)。
思春期の数年間、私の父と私は、良好ではあるがどこかぎこちない関係にあった。父は、時には厳格で少し我慢しきれないような素振りを見せることもあり、私は、基本的には、髪の毛を伸ばし放題で、権威なんて糞食らえという気ままなヒッピーだったので、時としてそれほど好ましい取り合わせにはならなかった。私の兄たちは年が離れていてしかも非常に成功を収めていたので、それとの比較で言えば私が理想からかけ離れているように見えたことは確かである。ともかく、大学の2年の終りに(その頃までに、私は自分の学業と世界について前よりいく分かは真剣になり始めていた)、父は夏休みのために私が荷づくりするのを手伝ってくれて、私を車で家まで送ってくれた。実に、実に久しぶりに-ひょっとしたら、生涯で初めて-私たちは語り合った。多くの、様々なことについて。楽しい時間だった。私は、その時のことを触れ合いと償いの時であるように考えるようになった。それは、信じがたい出来事だったわけではない。抱擁するとか、過去の罪を詫びるとかそんなことをしたわけではないが、父は、父なりの熟慮した仕方で私の存在を基本的に認めたのであり、私に対してO.K.だよと言ったのだ。私も同じことをした。家についたら、私は外出して、友人たちに会いに行ったと思う。
一ヶ月後、家から数時間離れたキャンプ場で仕事をするために家を離れたときが、私が父を見た最後の時だった。彼は55歳だった。
私の父があの運命的な夏以降も生き続けていたならば、あの二人で帰宅したドライブは、一つの出来事として脳裏に刻み込まれることがあったかもしれないが、そうでないこともありえたかもしれない。ドライブで帰宅する機会は別に何度もあっただろうし、別に接触する機会もあっただろうし、すれ違った機会もあっただろうし、おそらくもっとずっとあっただろう。それゆえ、そうなれば、あのドライブは単なる「一つの素敵なドライブ」にすぎなかっただろう。しかし、実際は、それは極めて意義深い出来事だったし--私が遭遇したいかなる出来事よりはるかに意義深い出来事だった。実は、あのドライブは、私の過去における記念碑的な出来事(monument)のようなものになったのだ。
これには何ら幻想的なものはない。記憶は、以前の直接的な経験に立ち戻ることではない。また、出来事に意味を与えるようにして物語りを構成することが問題なのでもない。意味ある出来事を引き出して、それ以降にやってきたもの(当然、やって来なかったものも含まれるが)の結果として初めて現れる意義を仔細に明らかにしようとすることなのだ。いずれにせよ、肝心な点は、わたしたちが時計の時間にのみ生きているわけではないということである。わたしたちはまた物語りの時間にも生きているのであり、この時間を通して、以前には見たり感じられなかった物事を見たり感じたりすることが時として可能になるのである。
ここで、但し書きを加えておこう。私がこのエピソードやその意義を組み立てることには構成的な側面、想像する(imagining)という側面があることは疑いえない。ヴァレリー・グレイ・ハードキャッスル(Valerie Gray Hardcastle)やキャスリーヌ・ネルソン(Katherine Nelson)に倣って、ポイエーシスという意味での意味制作(meaning making)のプロセスと呼んでもいいかもしれない。フィクションの概念が、単に、構成あるいは意味制作を指し示すものと受け取られるならば、反論すべきことはあまりないのだ。問題なのは、やはりまた、虚構的なものという観念が、非虚構的なテクストに適用されるとき、幻想なり現実的なものの変形という観点から見られるようになるときなのである。
ハッキングの研究がここでは有益だろう。マルセルと似てないこともないのだが、彼が反省をめぐらしているのは過去の非決定性についてであるが、記憶の非決定性ではなく、「実際に人々がしたことの非決定性」であると、彼は念を押している。問題は、過去についての発見がますます増えるということではなく(明らかに、そういうことも時にあるけれど)、「わたしたちが諸々の行為を新たな記述のもとで提示する」ことなのである。ハッキングは続けて次のようにいう。「わたしたちにとって重要なことは、いまそう思えるほどはっきり定まったことではなかったのかもしれない。わたしたちが自分のしたこと、他人がしたことを思い出すとき、わたしたちは過去を考え直し、記述し直し、感じ直しているのかもしれない。そのような再記述は、過去について完全に当てはまっているだろう。つまり、それらは、いまわたしたちが過去について主張している真理なのだ」。
この文脈で注意して欲しいのは、これらの真理が現れるのは物語りの時間(過去の風景をふりかえって見やる時間)において、そして物語りの時間を通してであるにもかかわらず、ハッキングが語っているのは、スペンス及びルドウィックその他のような「物語的な真理」ではないということである。彼は端的な真理について語っているのであり、真理とは何であるかについてのわたしたちの感覚を、過去の不連続な出来事を表わしているものの彼方に連れ出すことによって、その感覚を拡大せよと促しているのである。ここで考慮されているのは、過去を語ることに含まれる物語りと詩的なプロセスによって使用可能となる真理なのである。
」
虚構を考え直す(3) [探求]
ナラティヴ・タイム(物語りの時間)
私はここで小休止をとり、またもやかなり著しくギアを変えようと思う。このエッセイのこの地点までの部分は、この書物{“Narrative and Consciousness”}のもととなった講演会に行くためにヴァンに乗り込んで空港に向かう時にはもう出来上がっていた部分であった。別の部分も書いたが、今皆さんが読んだ部分がその時までに私が印刷に回していたもので、基本的に同じ方向に進んで行こうと私は想定していた。計画としてはそうだった。
しかし、事態はもっと複雑になった--実際、とても複雑なので、空港に向かう道すがら、私は残りの部分はかなり違うものを書こうと心に決めた。講演会に向けて出発するニ三日前に、12歳になる娘でとても素敵な子どもであるブレンナが朝起きると、ほとんど話すことができない状態になっていた。目が充血していて、肺が悪そうで、少し顔が紅潮していた等々。おそらくウィルス性の肺炎であることが判った。
私はここで過度に感傷的になろうとは思わないが、自分の子どもがひどい病気にかかっているのを見るのはとても辛いものがある。ブレンナはまず弱々しく青ざめていた。彼女が縮こまって毛布にくるまり、顔だけを出してTVの方を見ているが、目がどんよりしてか細く「おはよう」とつぶやく様を見ると…そんな姿を見て胸が潰れるような気持ちにならないではいられなかった。
肺炎という診断が出てからの二日間、私は四六時中騒ぎ立てていたわけではなかった。医者はとくに心配していたように見えなかったし、概していつもと変わらない生活だった--過度の心配(重要だとはいえ、「物語り」のために苦しんでいる家族を置き去りにすることに対する罪悪感は言うまでもなく)がいつも心に居座っていたが、いつもの日々と大層変わったことはなかった。しかし、翌日の夜、妻と私は、夜10時のニュースを見ていて、ボストン(我が家から車で1時間もかからない)の10歳の女の子が突然死んだということを知った。その子はインフルエンザのような症状があり、前日に病院に運ばれていたのだが--そこでは通常の症状から外れたものは検知されなかった--彼女の若い体が蝕まれ破壊されるスピードを考えると不可思議としか言いようがないのだが、死んでしまった。ニュースキャスターが彼女を運命のおさらいをしている中、彼女の美しい笑顔がTVスクリーン上の小さなボックスに映し出された。それは、多分、学校の集合写真の一つで、みんな日曜日用の洋服にクリップ留めネクタイをしていた・・・
彼女がかかったのはとても強力なバクテリア性の肺炎であることは明らかだった。他の生徒の体からはほとんど問題は検出されないでしょうと、TVに出演した医師は説明した。また、こうしたことが起こるのは極めてまれです、とも。時にあるこういう悲劇は、ただただ運が悪かったとしか言えないことなのです、とその医師は続けて述べた。受容力のある身体が恐ろしいバクテリアと出会い、ほんの一日前は元気だったのに、約数時間で、少女が死んだ。しかしこれは極めて、極めてまれなのです、とその医師は繰り返した。そして、それはウィルス性ではなく、バクテリア性であることも繰り返した。
テキサスのラボックの乾燥した平原に向けて旅立つ前日に見るニュースとしては好ましいものではなかった。ブレンナがかかったのはウィルス性であってバクテリア性ではないという医師の見立てはどれほど正確なものだったのか? ブレンナは、言葉では言えないほどの敵意を持った細菌に対してあまりに易々と宿主となってしまうような非常にまれな身体の持ち主でないと、どうして私たちは知ったのか--そもそも、そんなことを私たちは知っていたのか? 等々の疑問が頭をかけめぐった。
翌日、彼女は少し良くなったように見えた(あるいはそう私は自分に言い聞かせた)。少なくとも悪化したようには見えなかった。実際、前日ほど神経をすり減らような朝ではなかったし、実際以上に劇的にしようなどとはさらさら思わない。しかし、妻とブレンナが玄関のところに立ち、多分私の方を見ている姿を見たわずかな時間の間に、事態は変わった。多分と書いたのは、妻とブレンナが、リムジン型のヴァンのツヤ消しガラスの背後にいる私を見ることができたかどうか私には判らなかったからである。私が手を振っても、手を振り返してくれなかった。妻とブレンナは、ひとりは背が高く血色が良い顔をして、もう一人は背が低く青白い顔をしながら、そこに立っていたが、直に視野から消え去った。
私の心の目に刻み込まれた、あの朝の、あの画像の意味は何なのだろう? 実は、私はそれを知らなかった。知ることはできなかった--つまり、さらなる経験がやってきて、それに一定の意味を与えるまでは、知ることはできなかった。これは、フィリップ・レヴィンが言ったように、一種の原ナラティヴ(protonarrative)、いまだストーリーという形をとっていないストーリー(a not-yet story)、語られることを待っているストーリーなのであった。私が出発したとき、万事は未決の状態で、私としては、私が最終的に語るストーリーがハッピー・エンドになってくれることを願うばかりであった--それでは刺激的ではなくなってしまうだろうけど。そのストーリーがどうなるかは、未来にかかっていたし、それからの数日間に起こるかもしれないことにかかっていた。
ガブリエル・マルセルは次のように書いた。
「私たちが実に簡単な物語り、例えば、自分のちょっとした旅行についての物語りを友人に語るとき、何が起こるか考えてみよう。旅行の物語りとは、その旅行をはじめから終りまで体験した人によって語られるわけだが、その人は、その旅行の最中に得られたかつての経験を、それ以降の経験によって色づけられたものとして見ざるをえない。なぜなら、その旅行が結局どのようなものだったかの最終的印象が、その旅がこれからどうなっていくのかの最初の印象の記憶に影響を及ぼさざるをえないからである。しかし、私たちが実際に旅行をしている最中や旅行し始めたばかりの時、こうした最初の印象は、まだ起こってはいないあらゆることに対する不安に満ちた期待によって、コンパスの針のように小刻みに震えるものとして捉えられているからである。
マルセルは、現在なるもの-現在の経験-は完全に不確定であるとか無意味であるとか言っているわけではないし、私もそう言いたいわけではない。そんなことはないからである。彼がここで言っていることは、現在は、その意味や意義が見きわめられるには、未来を待たなければならないということである。あるいは別の言い方をすれば、経験の意味や意義は、回顧的に、つまりその経験が進行する物語りにおける一つのエピソードとしての位置を占めるときに、現れたり形を変えて現れることがしばしばあるのである。
時として、われわれの記憶が、われわれを過去のようなものに、過去と感じられるものに、つまり、かつて現在としてあった過去に連れ戻すことがあるが、これこそ追体験(reliving)というものである。しかしながら、それよりも、ある出来事のみならず、自分自身の過去の意味ある期間-いわば、ある章を-を理解しようと試みるときは、かつてあったものを、まだ未決で意味も定まっていない状態のまま「捉え直す」ことを試みているわけではない。むしろ、わたしたちは現在の観点から過去を解釈しているのであり、過去が現在のこの瞬間にどう貢献しているのかを定めようとしているのである。このような規定は、現在のこの瞬間がこない内は、なされることがないであろう。
このことは、わたしたちが過去を正確に取り戻すことがないという事実のために、過去を歪めたり偽造している、あるいは過去に対してそこに属していないような意味を押しつけているということを意味するのだろうか? いや、必ずしもそうとは言えない。わたしたちがしていることは、思い出し物語ることであるが、それが意味するのは、過去の経験を、それ以降に生じたことに合わせて、そしてそれとの関係において、物語る行為がなされる今という時点から再三理解されたものとして位置づける-書き換える-ことなのである。デイヴィッド・カーが簡潔に述べたように、「物語りは物語るという行為を要求する・・・物語りの語り手の立場にとって本質的なのは、事後的に判断できるという利点であり、・・・物語られる出来事以降の立場だったり、それを超えた上の立場だったり、その外側の立場だったりを占めることによって確保される現在という制約からの自由なのである」。
さて、「現実」なるものが直接的に与えられる経験に等値される限り、自伝的回想は現実の「歪曲」として、偽造として見なされるしかない。しかも、真理がこの現実を模倣するものであると理解されるならば、今度は、自伝的回想が虚構と見なされるしかなくなる。最後に、現実も真理も直線的時間によって、あるいは時計の時間--これが起こり、これが起こり、これが起こり、われわれの経験はカチカチ音をたてながら順次進んでいくだけである--によって述語づけられるならば、やはりまたしても、自伝的な試みはすべて、ガザニーガが述べたように「絶望的なまでに創作的」であるという身分に運命づけられている。あの一瞬一瞬カチカチ音を立てながら進む時間に戻って、それがかつて現実にあったように語る可能性はないのだから、自伝-拡大して言えば、自己を反省するプロセスそのもの-は幻想にしか行き着かないだろう。進化論的な言い方をすれば、わたしたちは生まれついての嘘つきであるようだ。またしても、自己意識の存在そのものに責任があることになる。この状況は奇妙としか言いようのないものだ。
しかし、ある種の混同が働いているのである。物語性(narrativity)は、構成されたものであるがゆえに、虚構性(fictionality)にリンクされるのであり、構成されたもの、詩的なものは真ではないものになるのである。おまけに、解釈というプロセスそのものが、この観点から見れば、理解の手段としては疑わしいものになってしまうのである。
私がしようと思っているのは、この観点を超えて思考することである。そしてそうするための鍵は、時計の時間(clock time)を超えて、物語りの時間(narrative time)のうちに真理の問題を再考するための突破口を見ることにある。
」
私はここで小休止をとり、またもやかなり著しくギアを変えようと思う。このエッセイのこの地点までの部分は、この書物{“Narrative and Consciousness”}のもととなった講演会に行くためにヴァンに乗り込んで空港に向かう時にはもう出来上がっていた部分であった。別の部分も書いたが、今皆さんが読んだ部分がその時までに私が印刷に回していたもので、基本的に同じ方向に進んで行こうと私は想定していた。計画としてはそうだった。
しかし、事態はもっと複雑になった--実際、とても複雑なので、空港に向かう道すがら、私は残りの部分はかなり違うものを書こうと心に決めた。講演会に向けて出発するニ三日前に、12歳になる娘でとても素敵な子どもであるブレンナが朝起きると、ほとんど話すことができない状態になっていた。目が充血していて、肺が悪そうで、少し顔が紅潮していた等々。おそらくウィルス性の肺炎であることが判った。
私はここで過度に感傷的になろうとは思わないが、自分の子どもがひどい病気にかかっているのを見るのはとても辛いものがある。ブレンナはまず弱々しく青ざめていた。彼女が縮こまって毛布にくるまり、顔だけを出してTVの方を見ているが、目がどんよりしてか細く「おはよう」とつぶやく様を見ると…そんな姿を見て胸が潰れるような気持ちにならないではいられなかった。
肺炎という診断が出てからの二日間、私は四六時中騒ぎ立てていたわけではなかった。医者はとくに心配していたように見えなかったし、概していつもと変わらない生活だった--過度の心配(重要だとはいえ、「物語り」のために苦しんでいる家族を置き去りにすることに対する罪悪感は言うまでもなく)がいつも心に居座っていたが、いつもの日々と大層変わったことはなかった。しかし、翌日の夜、妻と私は、夜10時のニュースを見ていて、ボストン(我が家から車で1時間もかからない)の10歳の女の子が突然死んだということを知った。その子はインフルエンザのような症状があり、前日に病院に運ばれていたのだが--そこでは通常の症状から外れたものは検知されなかった--彼女の若い体が蝕まれ破壊されるスピードを考えると不可思議としか言いようがないのだが、死んでしまった。ニュースキャスターが彼女を運命のおさらいをしている中、彼女の美しい笑顔がTVスクリーン上の小さなボックスに映し出された。それは、多分、学校の集合写真の一つで、みんな日曜日用の洋服にクリップ留めネクタイをしていた・・・
彼女がかかったのはとても強力なバクテリア性の肺炎であることは明らかだった。他の生徒の体からはほとんど問題は検出されないでしょうと、TVに出演した医師は説明した。また、こうしたことが起こるのは極めてまれです、とも。時にあるこういう悲劇は、ただただ運が悪かったとしか言えないことなのです、とその医師は続けて述べた。受容力のある身体が恐ろしいバクテリアと出会い、ほんの一日前は元気だったのに、約数時間で、少女が死んだ。しかしこれは極めて、極めてまれなのです、とその医師は繰り返した。そして、それはウィルス性ではなく、バクテリア性であることも繰り返した。
テキサスのラボックの乾燥した平原に向けて旅立つ前日に見るニュースとしては好ましいものではなかった。ブレンナがかかったのはウィルス性であってバクテリア性ではないという医師の見立てはどれほど正確なものだったのか? ブレンナは、言葉では言えないほどの敵意を持った細菌に対してあまりに易々と宿主となってしまうような非常にまれな身体の持ち主でないと、どうして私たちは知ったのか--そもそも、そんなことを私たちは知っていたのか? 等々の疑問が頭をかけめぐった。
翌日、彼女は少し良くなったように見えた(あるいはそう私は自分に言い聞かせた)。少なくとも悪化したようには見えなかった。実際、前日ほど神経をすり減らような朝ではなかったし、実際以上に劇的にしようなどとはさらさら思わない。しかし、妻とブレンナが玄関のところに立ち、多分私の方を見ている姿を見たわずかな時間の間に、事態は変わった。多分と書いたのは、妻とブレンナが、リムジン型のヴァンのツヤ消しガラスの背後にいる私を見ることができたかどうか私には判らなかったからである。私が手を振っても、手を振り返してくれなかった。妻とブレンナは、ひとりは背が高く血色が良い顔をして、もう一人は背が低く青白い顔をしながら、そこに立っていたが、直に視野から消え去った。
私の心の目に刻み込まれた、あの朝の、あの画像の意味は何なのだろう? 実は、私はそれを知らなかった。知ることはできなかった--つまり、さらなる経験がやってきて、それに一定の意味を与えるまでは、知ることはできなかった。これは、フィリップ・レヴィンが言ったように、一種の原ナラティヴ(protonarrative)、いまだストーリーという形をとっていないストーリー(a not-yet story)、語られることを待っているストーリーなのであった。私が出発したとき、万事は未決の状態で、私としては、私が最終的に語るストーリーがハッピー・エンドになってくれることを願うばかりであった--それでは刺激的ではなくなってしまうだろうけど。そのストーリーがどうなるかは、未来にかかっていたし、それからの数日間に起こるかもしれないことにかかっていた。
ガブリエル・マルセルは次のように書いた。
「私たちが実に簡単な物語り、例えば、自分のちょっとした旅行についての物語りを友人に語るとき、何が起こるか考えてみよう。旅行の物語りとは、その旅行をはじめから終りまで体験した人によって語られるわけだが、その人は、その旅行の最中に得られたかつての経験を、それ以降の経験によって色づけられたものとして見ざるをえない。なぜなら、その旅行が結局どのようなものだったかの最終的印象が、その旅がこれからどうなっていくのかの最初の印象の記憶に影響を及ぼさざるをえないからである。しかし、私たちが実際に旅行をしている最中や旅行し始めたばかりの時、こうした最初の印象は、まだ起こってはいないあらゆることに対する不安に満ちた期待によって、コンパスの針のように小刻みに震えるものとして捉えられているからである。
マルセルは、現在なるもの-現在の経験-は完全に不確定であるとか無意味であるとか言っているわけではないし、私もそう言いたいわけではない。そんなことはないからである。彼がここで言っていることは、現在は、その意味や意義が見きわめられるには、未来を待たなければならないということである。あるいは別の言い方をすれば、経験の意味や意義は、回顧的に、つまりその経験が進行する物語りにおける一つのエピソードとしての位置を占めるときに、現れたり形を変えて現れることがしばしばあるのである。
時として、われわれの記憶が、われわれを過去のようなものに、過去と感じられるものに、つまり、かつて現在としてあった過去に連れ戻すことがあるが、これこそ追体験(reliving)というものである。しかしながら、それよりも、ある出来事のみならず、自分自身の過去の意味ある期間-いわば、ある章を-を理解しようと試みるときは、かつてあったものを、まだ未決で意味も定まっていない状態のまま「捉え直す」ことを試みているわけではない。むしろ、わたしたちは現在の観点から過去を解釈しているのであり、過去が現在のこの瞬間にどう貢献しているのかを定めようとしているのである。このような規定は、現在のこの瞬間がこない内は、なされることがないであろう。
このことは、わたしたちが過去を正確に取り戻すことがないという事実のために、過去を歪めたり偽造している、あるいは過去に対してそこに属していないような意味を押しつけているということを意味するのだろうか? いや、必ずしもそうとは言えない。わたしたちがしていることは、思い出し物語ることであるが、それが意味するのは、過去の経験を、それ以降に生じたことに合わせて、そしてそれとの関係において、物語る行為がなされる今という時点から再三理解されたものとして位置づける-書き換える-ことなのである。デイヴィッド・カーが簡潔に述べたように、「物語りは物語るという行為を要求する・・・物語りの語り手の立場にとって本質的なのは、事後的に判断できるという利点であり、・・・物語られる出来事以降の立場だったり、それを超えた上の立場だったり、その外側の立場だったりを占めることによって確保される現在という制約からの自由なのである」。
さて、「現実」なるものが直接的に与えられる経験に等値される限り、自伝的回想は現実の「歪曲」として、偽造として見なされるしかない。しかも、真理がこの現実を模倣するものであると理解されるならば、今度は、自伝的回想が虚構と見なされるしかなくなる。最後に、現実も真理も直線的時間によって、あるいは時計の時間--これが起こり、これが起こり、これが起こり、われわれの経験はカチカチ音をたてながら順次進んでいくだけである--によって述語づけられるならば、やはりまたしても、自伝的な試みはすべて、ガザニーガが述べたように「絶望的なまでに創作的」であるという身分に運命づけられている。あの一瞬一瞬カチカチ音を立てながら進む時間に戻って、それがかつて現実にあったように語る可能性はないのだから、自伝-拡大して言えば、自己を反省するプロセスそのもの-は幻想にしか行き着かないだろう。進化論的な言い方をすれば、わたしたちは生まれついての嘘つきであるようだ。またしても、自己意識の存在そのものに責任があることになる。この状況は奇妙としか言いようのないものだ。
しかし、ある種の混同が働いているのである。物語性(narrativity)は、構成されたものであるがゆえに、虚構性(fictionality)にリンクされるのであり、構成されたもの、詩的なものは真ではないものになるのである。おまけに、解釈というプロセスそのものが、この観点から見れば、理解の手段としては疑わしいものになってしまうのである。
私がしようと思っているのは、この観点を超えて思考することである。そしてそうするための鍵は、時計の時間(clock time)を超えて、物語りの時間(narrative time)のうちに真理の問題を再考するための突破口を見ることにある。
」
虚構を考え直す(2) [探求]
真理の問題
しばらくギア・チェンジして、いま挙げた論点をナラティヴと意識の問題にもう少し近づけてみよう。「私たちは、私たちの人生という虚構については実際知っているし、知りたいと思うべきなのだ」と、マイケル・J・ガザニーガ(Michael S. Gazzaniga)は『精神の過去(The Mind's Past)』で書いている。「だから私は、この本で、私たちの精神と脳が自分の過去を構成するという驚くべき偉業をどのようにして達成するのか、またそうするとき、いかに自我の幻想を創造するのかについて書いたのである」。「出来事の再構成は」と彼は続ける。
「知覚に始まり、方々を経由して人間の推理に達する。精神は物事を知る一番最後のものなのだ。脳が出来事を算出したあとに、「わたしたち」という幻想(つまり、精神)がそれに気づくのである。脳、とくに左脳は、脳がすでに加工したデータを解釈するために作られている。左脳には特別なデバイスがあり、それを私はインタープリター(interpreter)と呼ぶのだが、それは莫大な数の自動的に起きる脳のプロセスが完了するやさらにもう一つの活動を実行する。脳の情報連鎖の最後をなすデバイスとしてのインタープリターは、脳内の出来事を再構成して、そうしながら、知覚や記憶や判断からはっきり誤りと判るものを作る。我々がいかに作られているかという問いに対する手がかりは、こうした諸機能を成し遂げる驚くべきほど堅固な能力にあるのみならず、再構成の際にしばしばなされるエラーにもあるのである。伝記は虚構である。自伝は絶望的なまでに創作的である」。
インタープリターは「わたしたちの個人的ストーリーがバラバラにならないよう」にしている、とガザニーガは続けて説明する。「それをするために」と彼は主張するのだが「わたしたちは自分自身に対して嘘をつかなければならない」。
ここで提示されている心理的機能の離人症的ヴァージョンと虚構化というテーゼ、それどころか嘘をついているというテーゼとの関連に注意しよう。それにまたパラドクスめいたものが働いていることにも注意しよう。つまりわたしたちを惑わして、「わたしたち」が、自我が現実のものであると想定するように仕向けているのは、わたしたちの意識そのものであり、自分の存在をわたしたちが自覚しそれを理解しようとわたしたちが試みていることそのものなのである。
しかしながら、このことが問題なのではない。「確かに、人生は虚構である」とガザニーガは言う。「しかしそれはわたしたちの虚構なのであり、それは心地よく感じられ、わたしたちはそれに責任ををもつ。それは、自動的に脳が紡ぎ出すお話に聞き入るときにわたしたちが皆感じる感情である。わたしたちはゾンビのようには感じない。わたしたちは、責任ある意識的な存在のように感じる」。しかし実はそうではないのだ。「インタープリターが、絶えず、わたしたちの行動、感情、思考、夢などの途切れることのないナラティヴを設定しているのである。それは、わたしたちのストーリーを統一化し、全体的で理性的なエージェントであるという感覚を創り出す接着剤のようなものである。それは、個体の本能が詰まったバックに、自分は実際とは違う存在なのだという幻想を持ち込むのである」。
この観点から見ると、換言すれば、意識をもつ自我としての「わたしたち」なるものは、自分の運命の少なくとも一部分に責任をもっているのは見かけだけで、虚構的であるばかりではない。わたしたちは、自分がそうであると思われるものとはまったく別のものなのだ。自己意識とは、かなり厄介なトリックとなり、人生に意味を求めることは、インタープリターの命により生ずるわけだが、ゲーム以上のものではなくなり、楽しめるが、現実とは何らの関係ももたないものとなるのである。
ガザニーガの描く筋は、誰もが認めるように極端なものだ。しかし実のところ、彼が語る際の基本的・哲学的な立場は広く共有されている立場である。ここには、記憶の研究による「魂の世俗化」とイアン・ハッキングが呼んだ以上のことが起こっている。わたしたちがいま考察していることは、魂の内奥の言い分の全面的な暴露であり、究極的には、魂の解体なのである。
ここで注意すべきことは、こうした問題のいくつかは、記憶の失敗や歪曲の意義等に関する現在の研究と多くの共通点を持っている、ということである。D.L.シャクター(D. L. Schachter)が述べた言葉を使うならば、「人間の記憶のアウトプットはインプットとはしばしば-時にはかなり著しく-異なっている。記憶の失敗がありうるのは、情報が時間の経過とともに忘れさられるからというだけではなく、情報が変えられ歪められるからなのである」。彼は急いで付け加えるのだが、このことは、記憶の中にはさほどの正確さが存在しないということを意味するわけではない。なぜなら、それはしばしば存在するからである。それにもかかわらず、シャクターにとって手近な大問題は「記憶が概して正確なのはどのような条件下で、歪曲が起こりやすいのはどのような条件下なのか」なのである。それゆえ、ここで導きの糸となる術語は、「正確さ」と「歪曲」、現実に対応する「真の」記憶と、現実を歪めてしまう「間違った」記憶なのである。ここで含意されていることは明らかだ。自伝的な回想は、それが無益に回復しようとする「過ぎ去った現在」のうちで、「現実にあった」ことから乖離してしまう限り、必然的に経験を偽造しなければならない、ということである。
シャクターに公平を期して言えば、彼は『記憶を探して(Searching for Memory)』(1996)でこのスタンスを疑問視しているように見える。とりわけデイヴィド・ルービンの研究に依拠しながら、彼は、例えば次のように述べている。「自伝的記憶としてわたしたちが経験するものは、一生を構成する諸々のピリオド、一般的な出来事、具体的なエピソードなどの知識から構成されている。わたしたちがこれらの情報をすべてまとめるとき、わたしたちは自分の一生の物語を語りはじめるのである」。ここで働いているのは嘘や偽造というよりも、総合、歴史的意識に特有の俯瞰的な物の見方である。彼はまた次のようにも述べている。「記憶は真か偽かという二つの状態のうちの一つに存在しているわけではない」。しかし、それにもかかわらず、彼は急いで付け加えるのだ。「重要な仕事は、記憶が現実といかに、どのような仕方で対応しているのかを吟味することである」。では、シャクターによれば現実とは何か。それは、記憶が想いのままに進む前に、そのドッシリした直接性のすべてにおいて存在するもの、でしかありえない。私のここでの目的は、シャクターや、それをいうならガザニーガでもいいのだが、それらの人々を非難することではない。実は、現実と虚構、正確さと歪曲といった手頃な術語を使う限り、彼らの問題の立て方は、彼らなりに最善を尽くしていたのだ。しかし、これらの術語は、少なくともこれまで使われてきた限りのものとしては、再考される必要がある。すぐあとで私はそれを試みるつもりいる。
いまは、この一連の問題を、関連する方向に進むことによって追求し続けてみたい。アーノルド・ルドウィック(Arnold Ludwig)は自著『自分がだれであるかをわたしたちはどのようにして知るのか(How Do We Know Who We Are? (1997)』の中で次のように述べていた。
「重要な、幼年期の経験を暴露することで成り立つ洞察重視のサイコセラピーの重大な問題の一つは、調査がどれほど徹底していようと、また治療がどれほど長期にわたっていようと、あなたの記憶や想像や夢についての通常の解明を通して歴史的真理を達成するのは不可能とは言わないまでも、困難であるということである。そうである理由は多数ある。一つには、あなたの記憶や知覚はあなたの偏向を支持するように仕向けられているからである。あなたは取捨選択してある種の情報を思い出したり抑止したりするだろうし、あなたの経験の多くは記述不可能であるか、言葉に翻訳するのは困難である。あなたの記憶は、あなたを受け持っているセラピストの理論的立場によって形作られがちだ。それを打ち消すような経験を、あなたは説明に含めないようになりがちだ・・・これらの理由から、あなたが歴史的真理として見なすようになるものが実際に表わしているのは、もっともらしさなのである。このもっともらしさに含まれているのは、あなたの説明がどれほどうまく自分の経験に関係する要素をすべて包括しているか、そしてそれがどれほど首尾一貫しているかということである。
気づいていただきたいのだが、ここでルドウィックが述べている基本的な状況は、ガザニーガやシャクターを通してわたしたちが考察した状況と異なっているわけではないのである。ルドウィックにとって、歴史的真理とは、わたしたちの偏向、わたしたちの取捨選択と防衛の諸行為に先立って存在するものである。さらにそれは、「前解釈的な」レベルにあり、言語と理論化に先立ち、したがって十全な仕方で捉えたり包含するのが困難であり、不可能ですらあるのだ。ドナルド・P・スペンス(Donald P. Spence)が数年前精神分析と歴史的真理を求めようとする精神分析の誤った(とされる)主張に関して述べたことに似て、もうそんなものは捨てて、「もっともらしさ」とルドウィックが呼ぶもの(それは、基本的には、スペンスの物語的真理の考え方のルドウィックなりの捉え方なのである)でやっていくしか選択肢はないと、ルドウィックはわたしたちに語る。実際、はっきりとスペンスに依拠しながら、ルドウィックは続けて次のように述べるのだ。
「サイコセラピーを通して、患者は、真実だが記述し難いもの-つまり、純粋な記憶-と、記述はできるが部分的に真実ではないもの-つまり、隠蔽記憶-との間の葛藤を処理する。選ばれた言葉はイメージを損なって伝えるかもしれないし、翻訳は、それがどれほど優秀であれ、オリジナルにとって代わってしまうのだから、元来の記憶を翻訳しようとする試みは、それを破壊してしまうのである」。
しかし、このことは嘆き悲しむべきことではない。
「過去の再構成がまったく想像的なものであるときでも、もし患者が、それによって、自分の個人的な諸々の物語のうちに関連性と意義を見出し自分の混沌とした経験を了解するのであれば、それは真理という資格を得たのである。そしてそれは、分析家のような権威ある人物がその物語に承認の印を与えるとき、晴れて真なるものとなり、時には実際の歴史的真理よりも現実的なものとなるのである」。
ここでの問題は、スペンスの研究を特徴づけている問題とまさに同じである。歴史的真理と物語的真理との間に分岐、分裂があり、以前私が言及したあの依存関係がある。つまり、物語的真理は虚構的なものの領域であり、歴史的真理は現実的なものの領域で、分析家が何をどれだけ言おうが指一本も触れられない領域である。スペンスが実際言っているように、後者の領域に到達できれば素晴らしいだろうが、そんなことはできないのだから、われわれとしては、それが劣ったものであるとしても、前者の方で我慢しなければならない。それゆえ、望みうるせいぜいのことは、結果として出てくる物語が、歴史的には虚偽であるのは避けがたいものであるにしても、問題となる人物が頑張って続けていける手助けとなることだけなのである。
」
しばらくギア・チェンジして、いま挙げた論点をナラティヴと意識の問題にもう少し近づけてみよう。「私たちは、私たちの人生という虚構については実際知っているし、知りたいと思うべきなのだ」と、マイケル・J・ガザニーガ(Michael S. Gazzaniga)は『精神の過去(The Mind's Past)』で書いている。「だから私は、この本で、私たちの精神と脳が自分の過去を構成するという驚くべき偉業をどのようにして達成するのか、またそうするとき、いかに自我の幻想を創造するのかについて書いたのである」。「出来事の再構成は」と彼は続ける。
「知覚に始まり、方々を経由して人間の推理に達する。精神は物事を知る一番最後のものなのだ。脳が出来事を算出したあとに、「わたしたち」という幻想(つまり、精神)がそれに気づくのである。脳、とくに左脳は、脳がすでに加工したデータを解釈するために作られている。左脳には特別なデバイスがあり、それを私はインタープリター(interpreter)と呼ぶのだが、それは莫大な数の自動的に起きる脳のプロセスが完了するやさらにもう一つの活動を実行する。脳の情報連鎖の最後をなすデバイスとしてのインタープリターは、脳内の出来事を再構成して、そうしながら、知覚や記憶や判断からはっきり誤りと判るものを作る。我々がいかに作られているかという問いに対する手がかりは、こうした諸機能を成し遂げる驚くべきほど堅固な能力にあるのみならず、再構成の際にしばしばなされるエラーにもあるのである。伝記は虚構である。自伝は絶望的なまでに創作的である」。
インタープリターは「わたしたちの個人的ストーリーがバラバラにならないよう」にしている、とガザニーガは続けて説明する。「それをするために」と彼は主張するのだが「わたしたちは自分自身に対して嘘をつかなければならない」。
ここで提示されている心理的機能の離人症的ヴァージョンと虚構化というテーゼ、それどころか嘘をついているというテーゼとの関連に注意しよう。それにまたパラドクスめいたものが働いていることにも注意しよう。つまりわたしたちを惑わして、「わたしたち」が、自我が現実のものであると想定するように仕向けているのは、わたしたちの意識そのものであり、自分の存在をわたしたちが自覚しそれを理解しようとわたしたちが試みていることそのものなのである。
しかしながら、このことが問題なのではない。「確かに、人生は虚構である」とガザニーガは言う。「しかしそれはわたしたちの虚構なのであり、それは心地よく感じられ、わたしたちはそれに責任ををもつ。それは、自動的に脳が紡ぎ出すお話に聞き入るときにわたしたちが皆感じる感情である。わたしたちはゾンビのようには感じない。わたしたちは、責任ある意識的な存在のように感じる」。しかし実はそうではないのだ。「インタープリターが、絶えず、わたしたちの行動、感情、思考、夢などの途切れることのないナラティヴを設定しているのである。それは、わたしたちのストーリーを統一化し、全体的で理性的なエージェントであるという感覚を創り出す接着剤のようなものである。それは、個体の本能が詰まったバックに、自分は実際とは違う存在なのだという幻想を持ち込むのである」。
この観点から見ると、換言すれば、意識をもつ自我としての「わたしたち」なるものは、自分の運命の少なくとも一部分に責任をもっているのは見かけだけで、虚構的であるばかりではない。わたしたちは、自分がそうであると思われるものとはまったく別のものなのだ。自己意識とは、かなり厄介なトリックとなり、人生に意味を求めることは、インタープリターの命により生ずるわけだが、ゲーム以上のものではなくなり、楽しめるが、現実とは何らの関係ももたないものとなるのである。
ガザニーガの描く筋は、誰もが認めるように極端なものだ。しかし実のところ、彼が語る際の基本的・哲学的な立場は広く共有されている立場である。ここには、記憶の研究による「魂の世俗化」とイアン・ハッキングが呼んだ以上のことが起こっている。わたしたちがいま考察していることは、魂の内奥の言い分の全面的な暴露であり、究極的には、魂の解体なのである。
ここで注意すべきことは、こうした問題のいくつかは、記憶の失敗や歪曲の意義等に関する現在の研究と多くの共通点を持っている、ということである。D.L.シャクター(D. L. Schachter)が述べた言葉を使うならば、「人間の記憶のアウトプットはインプットとはしばしば-時にはかなり著しく-異なっている。記憶の失敗がありうるのは、情報が時間の経過とともに忘れさられるからというだけではなく、情報が変えられ歪められるからなのである」。彼は急いで付け加えるのだが、このことは、記憶の中にはさほどの正確さが存在しないということを意味するわけではない。なぜなら、それはしばしば存在するからである。それにもかかわらず、シャクターにとって手近な大問題は「記憶が概して正確なのはどのような条件下で、歪曲が起こりやすいのはどのような条件下なのか」なのである。それゆえ、ここで導きの糸となる術語は、「正確さ」と「歪曲」、現実に対応する「真の」記憶と、現実を歪めてしまう「間違った」記憶なのである。ここで含意されていることは明らかだ。自伝的な回想は、それが無益に回復しようとする「過ぎ去った現在」のうちで、「現実にあった」ことから乖離してしまう限り、必然的に経験を偽造しなければならない、ということである。
シャクターに公平を期して言えば、彼は『記憶を探して(Searching for Memory)』(1996)でこのスタンスを疑問視しているように見える。とりわけデイヴィド・ルービンの研究に依拠しながら、彼は、例えば次のように述べている。「自伝的記憶としてわたしたちが経験するものは、一生を構成する諸々のピリオド、一般的な出来事、具体的なエピソードなどの知識から構成されている。わたしたちがこれらの情報をすべてまとめるとき、わたしたちは自分の一生の物語を語りはじめるのである」。ここで働いているのは嘘や偽造というよりも、総合、歴史的意識に特有の俯瞰的な物の見方である。彼はまた次のようにも述べている。「記憶は真か偽かという二つの状態のうちの一つに存在しているわけではない」。しかし、それにもかかわらず、彼は急いで付け加えるのだ。「重要な仕事は、記憶が現実といかに、どのような仕方で対応しているのかを吟味することである」。では、シャクターによれば現実とは何か。それは、記憶が想いのままに進む前に、そのドッシリした直接性のすべてにおいて存在するもの、でしかありえない。私のここでの目的は、シャクターや、それをいうならガザニーガでもいいのだが、それらの人々を非難することではない。実は、現実と虚構、正確さと歪曲といった手頃な術語を使う限り、彼らの問題の立て方は、彼らなりに最善を尽くしていたのだ。しかし、これらの術語は、少なくともこれまで使われてきた限りのものとしては、再考される必要がある。すぐあとで私はそれを試みるつもりいる。
いまは、この一連の問題を、関連する方向に進むことによって追求し続けてみたい。アーノルド・ルドウィック(Arnold Ludwig)は自著『自分がだれであるかをわたしたちはどのようにして知るのか(How Do We Know Who We Are? (1997)』の中で次のように述べていた。
「重要な、幼年期の経験を暴露することで成り立つ洞察重視のサイコセラピーの重大な問題の一つは、調査がどれほど徹底していようと、また治療がどれほど長期にわたっていようと、あなたの記憶や想像や夢についての通常の解明を通して歴史的真理を達成するのは不可能とは言わないまでも、困難であるということである。そうである理由は多数ある。一つには、あなたの記憶や知覚はあなたの偏向を支持するように仕向けられているからである。あなたは取捨選択してある種の情報を思い出したり抑止したりするだろうし、あなたの経験の多くは記述不可能であるか、言葉に翻訳するのは困難である。あなたの記憶は、あなたを受け持っているセラピストの理論的立場によって形作られがちだ。それを打ち消すような経験を、あなたは説明に含めないようになりがちだ・・・これらの理由から、あなたが歴史的真理として見なすようになるものが実際に表わしているのは、もっともらしさなのである。このもっともらしさに含まれているのは、あなたの説明がどれほどうまく自分の経験に関係する要素をすべて包括しているか、そしてそれがどれほど首尾一貫しているかということである。
気づいていただきたいのだが、ここでルドウィックが述べている基本的な状況は、ガザニーガやシャクターを通してわたしたちが考察した状況と異なっているわけではないのである。ルドウィックにとって、歴史的真理とは、わたしたちの偏向、わたしたちの取捨選択と防衛の諸行為に先立って存在するものである。さらにそれは、「前解釈的な」レベルにあり、言語と理論化に先立ち、したがって十全な仕方で捉えたり包含するのが困難であり、不可能ですらあるのだ。ドナルド・P・スペンス(Donald P. Spence)が数年前精神分析と歴史的真理を求めようとする精神分析の誤った(とされる)主張に関して述べたことに似て、もうそんなものは捨てて、「もっともらしさ」とルドウィックが呼ぶもの(それは、基本的には、スペンスの物語的真理の考え方のルドウィックなりの捉え方なのである)でやっていくしか選択肢はないと、ルドウィックはわたしたちに語る。実際、はっきりとスペンスに依拠しながら、ルドウィックは続けて次のように述べるのだ。
「サイコセラピーを通して、患者は、真実だが記述し難いもの-つまり、純粋な記憶-と、記述はできるが部分的に真実ではないもの-つまり、隠蔽記憶-との間の葛藤を処理する。選ばれた言葉はイメージを損なって伝えるかもしれないし、翻訳は、それがどれほど優秀であれ、オリジナルにとって代わってしまうのだから、元来の記憶を翻訳しようとする試みは、それを破壊してしまうのである」。
しかし、このことは嘆き悲しむべきことではない。
「過去の再構成がまったく想像的なものであるときでも、もし患者が、それによって、自分の個人的な諸々の物語のうちに関連性と意義を見出し自分の混沌とした経験を了解するのであれば、それは真理という資格を得たのである。そしてそれは、分析家のような権威ある人物がその物語に承認の印を与えるとき、晴れて真なるものとなり、時には実際の歴史的真理よりも現実的なものとなるのである」。
ここでの問題は、スペンスの研究を特徴づけている問題とまさに同じである。歴史的真理と物語的真理との間に分岐、分裂があり、以前私が言及したあの依存関係がある。つまり、物語的真理は虚構的なものの領域であり、歴史的真理は現実的なものの領域で、分析家が何をどれだけ言おうが指一本も触れられない領域である。スペンスが実際言っているように、後者の領域に到達できれば素晴らしいだろうが、そんなことはできないのだから、われわれとしては、それが劣ったものであるとしても、前者の方で我慢しなければならない。それゆえ、望みうるせいぜいのことは、結果として出てくる物語が、歴史的には虚偽であるのは避けがたいものであるにしても、問題となる人物が頑張って続けていける手助けとなることだけなのである。
」
虚構を考え直す(1) [探求]
何回かに分けて、マーク・フリーマン(Mark Freeman)の論文『虚構を考え直し、現実を取り戻す:自伝、物語の時間、真理の重さ(Rethinking the fictive,Reclaiming the Real:Autobiography, Narrative Time,and the Burden of Truth)』の翻訳をアップしていく。
「 虚構を考え直し、現実を取り戻す:自伝、物語の時間、真理の重さ
マーク・フリーマン
虚構と現実
私はこの試論を、自伝的な物語に適用されるものとしての虚構と現実の関係についてのかなり強い主張で始めることにしたい。最初の主張は、虚構の概念が、人生の物語の形成に入り込むプロセスを指し示すために使われるとき、 あまりにも狭い-そして疑わしい-現実についての考え方に依拠していることが極めて多く、その結果として、虚構が一段低いものと扱われてしまう(下の身分なるものがあるとしての話だが)ということである。
第二の主張は、この虚構の概念が依拠している現実の捉え方は少なくとも二つの根本的な理由によって疑わしい、ということである。一つ目の理由は、そうした捉え方が、加工されていない自然そのものと見なされているもの、解釈も構成も欠いているもの、いわゆる「本物(real stiff)」と同等視されているということにある。二つ目の、もっと複雑な理由は、その捉え方が、人間の世界というよりも、ものの世界に相応しい時間の考え方-根本的に言って、時計の時間、線と瞬間と系列からなる時間-に結びついているということである。もう少し単純に言えば、自伝が虚構という身分に追いやられる-単なる虚構、としばしば言われるように-時に通常浮上する現実の捉え方は、私たちの意向から自由だと想像されている現実、時間のなかでただ生起する一系列の事柄り、私たちが後になって振り返って、そこにある秩序を与えようとするとき偽造してしまうのは避けがたいようなもの、なのである。私は、こうした現実の捉え方を疑問視するつもりである。
三つ目に考えられているのは次のようなものである。 虚構の概念を考えなおすことによって、 現実を取り戻す可能性が開けるばかりでなく-そのことで私が言いたいのは、現実というものにより十全でより包括的な広がりをもつ意味を回復させることなのだが-、人間の領域において真理が何を意味するかについてのより適切な解釈を設定する可能性がひらけてくるのである。
自伝の危険
「伝記を敵視している人々によれば、あらゆる伝記の致命的な欠陥は」とステファン・ミルハウザー(Stephen Millhauser)が小説『エドウィン・マルハウス』 ( Edwin Mulhouse (1983))で書いているが、「虚構の法則に無力なまま従っていることなのだ。一つ一つの日付、出来事、何気ない発言が、入り組んだ筋立てに貢献し、それらがゆっくりと巧妙に積み重なって予知されたクライマックス、主人公の祝福された行為に至るのだ。実はある者にとっては、自伝というジャンルはすべて「絶望的なまでに虚構的」と見なさざるをえない。「なぜなら、私たちにクエスチョン・マークや抹殺されたパッセージや空白の箇所やアスタリスクの列や省略されたパラグラフやドットが三つ続いてやがて真っ白になる無数のシーケンスを提供する現実とは違って、伝記は完全性の幻想を、全知全能の伝記作家によってディテールを組織して広大なパターンへと作り上げられたものを、提供するからである」。自叙伝の場合は、当然ながら、事情はもっとずっと疑わしい。なぜなら、ミルハウザーが語る全知全能で、全体を俯瞰する事後的な首尾一貫性があるだけでなく、それに加えて、ここでの精査の対象が自分自身であるという単純な事実に結びついた心的な負担があるからなのである。それゆえ、誤った首尾一貫性という問題に加えて、自分に都合の良い思考、防衛、幻想、妄想といった問題があり、そうしたものすべてが自分の物語に忍び込んでくるだろう。
自叙伝の試みには、その他に考えられる多くの問題が含まれている。「徐々に」と、たとえばジョアンナ・フィールズ(Joanna Field)は『自分自身の人生( A Life of One's Own (1981))の中で書いている。「私は、もろもろの事実が」-つまり、彼女の自己説明がそこに基づいているところの事実のことだが-「誰もが拾い上げられるようにそこにある別々のものなのではなく、未知なるものの際限のない背景から浮かび上がる変化してやまないパターンであり、それに対する見方に応じて絶えず変化する広大な万華鏡のようなものであることを理解するようになった」。
また、ある意味では相応しくないような意味を過去にあてがうという問題もある。「私はここで再構成しているのである」と、ミシェル・レリスは『成熟の年齢』で書いている。
「私自身の回想によって、その後私がどうなったかの観察を加え、こうした後々の要素を、私の記憶が提供するもっと以前の要素と比べながら、私はここで再構成しているのである。こうした方法にはそれなりの危険が伴う。なぜなら、私が、これらの回想が決して持っていなかった意味をその回想に帰して、それらが指し示す現実の出来事が全く欠いていた情緒的な価値をそれらの回想に事後的に負わせていないかどうか--要するに、この過去を誤解を与えるような仕方で蘇生させていないかどうか、誰にも判らないからだ」。
いつもは虚構を書く自伝作家に関しては、この手の問題はずっと大きなものとして現れる。例えば、フィリップ・ロスは、「十分劇的でないものを不実にも劇的なものとしたり、本当は単純なものを複雑化したり、さほど意味のないものに意味を負わせたりする衝動--事実が私が想像するものよりも感動的でないときは、事実を捨て去る誘惑に抵抗する」必要性について書いている。同様に、メアリー・マッカーサーは、『あるカトリックの少女時代の回想』(1963)のなかで、実際になかったことを書こうとする誘惑がとても強かった、記憶がぼんやりしていて、ある出来事の実質は思い出せるのに、ディテイル-ドレスの色、カーペットの模様、絵の置き場所など-が思い出せないときは、特に強かった」。事実、彼女は正直に述べている。「ここには半ば虚構的なタッチがある…私は、実際の出来事を、そこから面白い物語を作れるように、アレンジしたのだ。フィクションを書く習慣がある人ならば、この誘惑をのり越えるのは難しい。ほとんど自動的にやってしまうのである」。
自叙伝を書く際にはまた別の問題が働いている。自分の物語の部分部分が他者に由来する聞き伝えでできているという事実。自伝を書く者がその時々に支配的な文学的なしきたりを使用せざるを得ないという事実。こうしたしきたりが、ジェローム・ブルーナーが述べたように、その時々に支配的な文化的なシナリオや、民衆心理学的な規範(自分の人生を理解しようとするときにそれらを私たちは利用するのだが)から切り離しがたいという事実。それから、当然ながら、各人の人生にかかわる意味深い問題があって、それが加えられる必要がある。たぶん、自伝的物語とは、結局のところ、私たちが分裂していて不均質であることに対する防御反応であり、自分の無目的性に対する、自分の人生には意味など全くないという事実に対する気休めなのである。等々、等々。
ヘイゼル・バーンズ(Hazel Barnes)は今挙げた問題の多くを自著『私が自分に語る物語』(The Story I Tell Myself (1997))で見事に要約している。
「自分の人生について書くという私の努力は、自伝とはどの程度まで必然的に小説なのかについての理論的意識を痛いほど確証してくれた。言葉は明らかにするときでも歪曲する、ということだけではないし、経験されたものは語られたものと同じであることは決してないということだけでもない。誠実さの問題、記憶の信頼性、他者の感情に対する配慮は、私が想像していたよりもはるかに複雑なものであった。文脈が別だったら全く文学的なことで済んだ取捨選択の問題がより一層切実な問題となった。自我を形成するときにとても重要なものとしてこれらの要因を選別することは、自我をそうして提示されたものとして形どることである。私が主張できるせいぜいのことは、ここで描かれた虚構の登場人物は、少なくとも私の目には、私が反省的な目に見えたものの真の反映であるということであり、このことを私は断言する」。
バーンズにとって、このプロセス全体は「痛み」を伴うものであったが、それでも相変わらず「真の反映」ということが語られている。自分自身について書くというプロセスの本質である避けがたい虚構化の只中でも、なぜか、ある種の真理に到達できる可能性は依然として存在していると彼女は言いたいようである。しかし、この可能性こそ、現代の理論家の多くが拒否したものなのである。 」
「 虚構を考え直し、現実を取り戻す:自伝、物語の時間、真理の重さ
マーク・フリーマン
虚構と現実
私はこの試論を、自伝的な物語に適用されるものとしての虚構と現実の関係についてのかなり強い主張で始めることにしたい。最初の主張は、虚構の概念が、人生の物語の形成に入り込むプロセスを指し示すために使われるとき、 あまりにも狭い-そして疑わしい-現実についての考え方に依拠していることが極めて多く、その結果として、虚構が一段低いものと扱われてしまう(下の身分なるものがあるとしての話だが)ということである。
第二の主張は、この虚構の概念が依拠している現実の捉え方は少なくとも二つの根本的な理由によって疑わしい、ということである。一つ目の理由は、そうした捉え方が、加工されていない自然そのものと見なされているもの、解釈も構成も欠いているもの、いわゆる「本物(real stiff)」と同等視されているということにある。二つ目の、もっと複雑な理由は、その捉え方が、人間の世界というよりも、ものの世界に相応しい時間の考え方-根本的に言って、時計の時間、線と瞬間と系列からなる時間-に結びついているということである。もう少し単純に言えば、自伝が虚構という身分に追いやられる-単なる虚構、としばしば言われるように-時に通常浮上する現実の捉え方は、私たちの意向から自由だと想像されている現実、時間のなかでただ生起する一系列の事柄り、私たちが後になって振り返って、そこにある秩序を与えようとするとき偽造してしまうのは避けがたいようなもの、なのである。私は、こうした現実の捉え方を疑問視するつもりである。
三つ目に考えられているのは次のようなものである。 虚構の概念を考えなおすことによって、 現実を取り戻す可能性が開けるばかりでなく-そのことで私が言いたいのは、現実というものにより十全でより包括的な広がりをもつ意味を回復させることなのだが-、人間の領域において真理が何を意味するかについてのより適切な解釈を設定する可能性がひらけてくるのである。
自伝の危険
「伝記を敵視している人々によれば、あらゆる伝記の致命的な欠陥は」とステファン・ミルハウザー(Stephen Millhauser)が小説『エドウィン・マルハウス』 ( Edwin Mulhouse (1983))で書いているが、「虚構の法則に無力なまま従っていることなのだ。一つ一つの日付、出来事、何気ない発言が、入り組んだ筋立てに貢献し、それらがゆっくりと巧妙に積み重なって予知されたクライマックス、主人公の祝福された行為に至るのだ。実はある者にとっては、自伝というジャンルはすべて「絶望的なまでに虚構的」と見なさざるをえない。「なぜなら、私たちにクエスチョン・マークや抹殺されたパッセージや空白の箇所やアスタリスクの列や省略されたパラグラフやドットが三つ続いてやがて真っ白になる無数のシーケンスを提供する現実とは違って、伝記は完全性の幻想を、全知全能の伝記作家によってディテールを組織して広大なパターンへと作り上げられたものを、提供するからである」。自叙伝の場合は、当然ながら、事情はもっとずっと疑わしい。なぜなら、ミルハウザーが語る全知全能で、全体を俯瞰する事後的な首尾一貫性があるだけでなく、それに加えて、ここでの精査の対象が自分自身であるという単純な事実に結びついた心的な負担があるからなのである。それゆえ、誤った首尾一貫性という問題に加えて、自分に都合の良い思考、防衛、幻想、妄想といった問題があり、そうしたものすべてが自分の物語に忍び込んでくるだろう。
自叙伝の試みには、その他に考えられる多くの問題が含まれている。「徐々に」と、たとえばジョアンナ・フィールズ(Joanna Field)は『自分自身の人生( A Life of One's Own (1981))の中で書いている。「私は、もろもろの事実が」-つまり、彼女の自己説明がそこに基づいているところの事実のことだが-「誰もが拾い上げられるようにそこにある別々のものなのではなく、未知なるものの際限のない背景から浮かび上がる変化してやまないパターンであり、それに対する見方に応じて絶えず変化する広大な万華鏡のようなものであることを理解するようになった」。
また、ある意味では相応しくないような意味を過去にあてがうという問題もある。「私はここで再構成しているのである」と、ミシェル・レリスは『成熟の年齢』で書いている。
「私自身の回想によって、その後私がどうなったかの観察を加え、こうした後々の要素を、私の記憶が提供するもっと以前の要素と比べながら、私はここで再構成しているのである。こうした方法にはそれなりの危険が伴う。なぜなら、私が、これらの回想が決して持っていなかった意味をその回想に帰して、それらが指し示す現実の出来事が全く欠いていた情緒的な価値をそれらの回想に事後的に負わせていないかどうか--要するに、この過去を誤解を与えるような仕方で蘇生させていないかどうか、誰にも判らないからだ」。
いつもは虚構を書く自伝作家に関しては、この手の問題はずっと大きなものとして現れる。例えば、フィリップ・ロスは、「十分劇的でないものを不実にも劇的なものとしたり、本当は単純なものを複雑化したり、さほど意味のないものに意味を負わせたりする衝動--事実が私が想像するものよりも感動的でないときは、事実を捨て去る誘惑に抵抗する」必要性について書いている。同様に、メアリー・マッカーサーは、『あるカトリックの少女時代の回想』(1963)のなかで、実際になかったことを書こうとする誘惑がとても強かった、記憶がぼんやりしていて、ある出来事の実質は思い出せるのに、ディテイル-ドレスの色、カーペットの模様、絵の置き場所など-が思い出せないときは、特に強かった」。事実、彼女は正直に述べている。「ここには半ば虚構的なタッチがある…私は、実際の出来事を、そこから面白い物語を作れるように、アレンジしたのだ。フィクションを書く習慣がある人ならば、この誘惑をのり越えるのは難しい。ほとんど自動的にやってしまうのである」。
自叙伝を書く際にはまた別の問題が働いている。自分の物語の部分部分が他者に由来する聞き伝えでできているという事実。自伝を書く者がその時々に支配的な文学的なしきたりを使用せざるを得ないという事実。こうしたしきたりが、ジェローム・ブルーナーが述べたように、その時々に支配的な文化的なシナリオや、民衆心理学的な規範(自分の人生を理解しようとするときにそれらを私たちは利用するのだが)から切り離しがたいという事実。それから、当然ながら、各人の人生にかかわる意味深い問題があって、それが加えられる必要がある。たぶん、自伝的物語とは、結局のところ、私たちが分裂していて不均質であることに対する防御反応であり、自分の無目的性に対する、自分の人生には意味など全くないという事実に対する気休めなのである。等々、等々。
ヘイゼル・バーンズ(Hazel Barnes)は今挙げた問題の多くを自著『私が自分に語る物語』(The Story I Tell Myself (1997))で見事に要約している。
「自分の人生について書くという私の努力は、自伝とはどの程度まで必然的に小説なのかについての理論的意識を痛いほど確証してくれた。言葉は明らかにするときでも歪曲する、ということだけではないし、経験されたものは語られたものと同じであることは決してないということだけでもない。誠実さの問題、記憶の信頼性、他者の感情に対する配慮は、私が想像していたよりもはるかに複雑なものであった。文脈が別だったら全く文学的なことで済んだ取捨選択の問題がより一層切実な問題となった。自我を形成するときにとても重要なものとしてこれらの要因を選別することは、自我をそうして提示されたものとして形どることである。私が主張できるせいぜいのことは、ここで描かれた虚構の登場人物は、少なくとも私の目には、私が反省的な目に見えたものの真の反映であるということであり、このことを私は断言する」。
バーンズにとって、このプロセス全体は「痛み」を伴うものであったが、それでも相変わらず「真の反映」ということが語られている。自分自身について書くというプロセスの本質である避けがたい虚構化の只中でも、なぜか、ある種の真理に到達できる可能性は依然として存在していると彼女は言いたいようである。しかし、この可能性こそ、現代の理論家の多くが拒否したものなのである。 」
Arendt on Descartes [探求]
2009年6月26日
アレント on デカルト
ハンナ・アレント:『精神の生活 第一部 思考』P.56-60
…デカルトは、人間の認識および知覚の器官に対するきわめて近代的な懐疑によって、レス・コギタンス(res cogitans、思考するもの)の性質として、古代人にまったく未知のものではなかったが、デカルトの時代になって初めて卓越した重要性を持つようになったいくつかの特徴を、彼以前の誰よりも明確に定義した。なかでもきわたっているのは自己充足、すなわち、この自我は「場所も必要としないし、なんらかの物体的なものにも依存しない」ということであった。第二に挙げられるのは、世界欠如、すなわち、自己洞察において、「私の状態を注意して吟味しながら」(examinant avec attention ce que j’etais)、容易に「自分は肉体を持っておらず、自分がかつていた世界も場所もなかったかのように仮想する (feindre que je n’avais aucun corps et qu'il n'y avait aucun monde ni aucun lieu ou je fusse)ことができるということであった。
たしかにこういう発見の、いや、再発見のどれも、それ自体は、デカルトにとって大きな重要性を持ったものではなかった。彼が主に関心を寄せていたのは、疑いの余地なく、感覚知覚の錯覚を受け付けないような現実性をもったもの―ー思考する自我、彼の用語でいえば、la chose pensante{思考するもの〕――を見いだすことであった。全能の“欺く神”(Dieu trompeur)の力をもってしても、すべての感覚経験から退きこもってしまった意識の持つ確実性を打ち砕くことはできないだろう、ということである。与えられたものはどれも幻想や夢であるかもしれないが、夢を見る人そのものは、夢の現実性を求めないことに同意するだけでも、現実に存在してなければならない。したがって、「私は考える、だから私は存在する」(Je pense.donc ie suis)°。一方では、思考する活動そのもの経験は大変に強烈なものであるし、他方で、新しい科学が「動く土」(la terre mouvante' 我々が立っているその場の流砂)を発見した後にも、確実性と持続する永続性を見いだそうという欲求は激しいものである。だから、デカルトにとっては、″思考作用″(cogitatio)や活動する自我の意識が、意識対象の現実性についての信念をすべて停止してしまい、もし実際に砂漠で生まれて身体もなければ「物質」もなく仲間もいなくて、自分が見たものは仲間も見ているとはっきり仲間が言ってくれるということがなかったならば、自分自身の現実性を自分に対して説得することも出来なかっただろう、などとは思いもよらないことであった。デカルトのレス・コギタンス〔思考するもの〕というこの仮構物は、身体も感覚もなくて孤独なものであるから、現実性というものがあるということ、また、現実のものと非現実のものとの区別や、覚醒した生活の共通な世界と夢の私的な非世界との区別がありうることを、知ることさえできないだろう。
・・・世界および自分自身が現実に存在していることに疑念を抱くようになるのはまさしく思考の活動――思考する自我の経験――なのである。思考の働きは、どのような現実的なものであっても、すなわち、事件であれ対象であれ、自分の思想であれ、それらをつかまえて捉えることはできる。しかし、それらが現実的であるということ{realness}だけは、どうしても思考の手が届かない唯一の一つの性質である。″ 私は考える、だから私は存在する″(cogito、ergo sum)が間違いであるのは、ニーチェが言ったように、″私は考える″(cogito)ということからはただ″思考作用″(cogitations)が実際に存在することが推論されるだけだ、という意味だけではない。″私は考える″ (cogito)は、″私は存在する″(sum)と同じ懐疑にさらされるのである。〈私は存在する〉は〈私は考える〉に前提されているからである。思考はこの前提を把握することはできるが、それを証明することも反証することもできない。(カントのデカルトヘの以下の反論もまったく正当なものである。「私は存在しない」という思考は「存在し得ない。というのは、もし私が存在しなかったら、私が存在しないということに気付くことができないということになってしまうからだ」。現実性は導出できるものではない。思考や反省は、それを受け入れるか拒絶するかしかできない。“欺く神”(Dieu trompeur)の観念から出発しているデカルトの懐疑は、洗練されヴェールを被った形での拒絶にすぎない。・・・・
現象するものはどれも〈私にはこう見える〉という仕方で知覚されるのだから、誤謬や錯覚の可能性があるのだが、現象そのものには、現実的であること{realness}をアプリオリに示すようなものがある。すべての感覚経験には、通常、はっきりとしたものではないにせよ、付随的な、現実性という感覚が伴っている。しかしながら、これは孤立化された感覚やものの脈絡からはずれた感覚対象によっては生みだされるものでない。
私が知覚するものが現実的であるということは、一方では、私と同じように知覚する他人がいるこの世界と、この知覚されたものがつながっているということによって保証されるのである。もう一方では、私の五官の協働によっても保証される。トマス・アクィナス以来、共通感覚、センスス・コムニス(sensus communis)と呼ばれているものは、一種の第六官であって五官をとりまとめ、私が見たり、触れたり、味わったり、匂いを嗅ぎ、聞いたりするのが同じ対象にたいしてだということを保証するために必要なのである。それは「五官の対象すべてに拡がっていく一能力である」。同じ感官でありながら、身体器官としては場所を特定できないから神秘的なこの「第六官」が、厳密な意味では私の私的な五官-非常に私的なものなので、その感覚作用の質や程度を他人に伝えることができないーを他人と共有できるような共通世界に合わせていくのである。〈私にはこう見える〉という主観的な性格が矯正されていくのは、現れる仕方が異なっているにしても同じ対象が他人にも現象するという事実があるからである。(人間たちが同じ種族に属するものだと確信するのは、身体的な見かけが類似しているからというよりも世界が間主観的であることによる。個々の対象は各個人に異なった様相で現れるが、現れる脈絡は種族すべてに同一である。この意味で、どの動物種も自分固有の世界に生きており、個としての動物は自分の身体的特徴を仲間のものと比較しなくても、仲間を仲間として認識するのである。)誤謬と仮象に満ちた現象の世界では、たしかに現実であると保証されるのは以下の三重の共通点があるときである。すなわち、相互にまったく異なっている五官が同じ対象を共有していること、同じ種のメンバーが、どの個物にもそれ特有の意味を与える脈絡を共有していること、そして、感覚を持った別のあらゆる存在者が、この対象をまったく異なった視点から見ても、この対象が同じであるという点について同意すること、である。この三重の共通性から現実性の感覚が生じてくる。・・・
アレント on デカルト
ハンナ・アレント:『精神の生活 第一部 思考』P.56-60
…デカルトは、人間の認識および知覚の器官に対するきわめて近代的な懐疑によって、レス・コギタンス(res cogitans、思考するもの)の性質として、古代人にまったく未知のものではなかったが、デカルトの時代になって初めて卓越した重要性を持つようになったいくつかの特徴を、彼以前の誰よりも明確に定義した。なかでもきわたっているのは自己充足、すなわち、この自我は「場所も必要としないし、なんらかの物体的なものにも依存しない」ということであった。第二に挙げられるのは、世界欠如、すなわち、自己洞察において、「私の状態を注意して吟味しながら」(examinant avec attention ce que j’etais)、容易に「自分は肉体を持っておらず、自分がかつていた世界も場所もなかったかのように仮想する (feindre que je n’avais aucun corps et qu'il n'y avait aucun monde ni aucun lieu ou je fusse)ことができるということであった。
たしかにこういう発見の、いや、再発見のどれも、それ自体は、デカルトにとって大きな重要性を持ったものではなかった。彼が主に関心を寄せていたのは、疑いの余地なく、感覚知覚の錯覚を受け付けないような現実性をもったもの―ー思考する自我、彼の用語でいえば、la chose pensante{思考するもの〕――を見いだすことであった。全能の“欺く神”(Dieu trompeur)の力をもってしても、すべての感覚経験から退きこもってしまった意識の持つ確実性を打ち砕くことはできないだろう、ということである。与えられたものはどれも幻想や夢であるかもしれないが、夢を見る人そのものは、夢の現実性を求めないことに同意するだけでも、現実に存在してなければならない。したがって、「私は考える、だから私は存在する」(Je pense.donc ie suis)°。一方では、思考する活動そのもの経験は大変に強烈なものであるし、他方で、新しい科学が「動く土」(la terre mouvante' 我々が立っているその場の流砂)を発見した後にも、確実性と持続する永続性を見いだそうという欲求は激しいものである。だから、デカルトにとっては、″思考作用″(cogitatio)や活動する自我の意識が、意識対象の現実性についての信念をすべて停止してしまい、もし実際に砂漠で生まれて身体もなければ「物質」もなく仲間もいなくて、自分が見たものは仲間も見ているとはっきり仲間が言ってくれるということがなかったならば、自分自身の現実性を自分に対して説得することも出来なかっただろう、などとは思いもよらないことであった。デカルトのレス・コギタンス〔思考するもの〕というこの仮構物は、身体も感覚もなくて孤独なものであるから、現実性というものがあるということ、また、現実のものと非現実のものとの区別や、覚醒した生活の共通な世界と夢の私的な非世界との区別がありうることを、知ることさえできないだろう。
・・・世界および自分自身が現実に存在していることに疑念を抱くようになるのはまさしく思考の活動――思考する自我の経験――なのである。思考の働きは、どのような現実的なものであっても、すなわち、事件であれ対象であれ、自分の思想であれ、それらをつかまえて捉えることはできる。しかし、それらが現実的であるということ{realness}だけは、どうしても思考の手が届かない唯一の一つの性質である。″ 私は考える、だから私は存在する″(cogito、ergo sum)が間違いであるのは、ニーチェが言ったように、″私は考える″(cogito)ということからはただ″思考作用″(cogitations)が実際に存在することが推論されるだけだ、という意味だけではない。″私は考える″ (cogito)は、″私は存在する″(sum)と同じ懐疑にさらされるのである。〈私は存在する〉は〈私は考える〉に前提されているからである。思考はこの前提を把握することはできるが、それを証明することも反証することもできない。(カントのデカルトヘの以下の反論もまったく正当なものである。「私は存在しない」という思考は「存在し得ない。というのは、もし私が存在しなかったら、私が存在しないということに気付くことができないということになってしまうからだ」。現実性は導出できるものではない。思考や反省は、それを受け入れるか拒絶するかしかできない。“欺く神”(Dieu trompeur)の観念から出発しているデカルトの懐疑は、洗練されヴェールを被った形での拒絶にすぎない。・・・・
現象するものはどれも〈私にはこう見える〉という仕方で知覚されるのだから、誤謬や錯覚の可能性があるのだが、現象そのものには、現実的であること{realness}をアプリオリに示すようなものがある。すべての感覚経験には、通常、はっきりとしたものではないにせよ、付随的な、現実性という感覚が伴っている。しかしながら、これは孤立化された感覚やものの脈絡からはずれた感覚対象によっては生みだされるものでない。
私が知覚するものが現実的であるということは、一方では、私と同じように知覚する他人がいるこの世界と、この知覚されたものがつながっているということによって保証されるのである。もう一方では、私の五官の協働によっても保証される。トマス・アクィナス以来、共通感覚、センスス・コムニス(sensus communis)と呼ばれているものは、一種の第六官であって五官をとりまとめ、私が見たり、触れたり、味わったり、匂いを嗅ぎ、聞いたりするのが同じ対象にたいしてだということを保証するために必要なのである。それは「五官の対象すべてに拡がっていく一能力である」。同じ感官でありながら、身体器官としては場所を特定できないから神秘的なこの「第六官」が、厳密な意味では私の私的な五官-非常に私的なものなので、その感覚作用の質や程度を他人に伝えることができないーを他人と共有できるような共通世界に合わせていくのである。〈私にはこう見える〉という主観的な性格が矯正されていくのは、現れる仕方が異なっているにしても同じ対象が他人にも現象するという事実があるからである。(人間たちが同じ種族に属するものだと確信するのは、身体的な見かけが類似しているからというよりも世界が間主観的であることによる。個々の対象は各個人に異なった様相で現れるが、現れる脈絡は種族すべてに同一である。この意味で、どの動物種も自分固有の世界に生きており、個としての動物は自分の身体的特徴を仲間のものと比較しなくても、仲間を仲間として認識するのである。)誤謬と仮象に満ちた現象の世界では、たしかに現実であると保証されるのは以下の三重の共通点があるときである。すなわち、相互にまったく異なっている五官が同じ対象を共有していること、同じ種のメンバーが、どの個物にもそれ特有の意味を与える脈絡を共有していること、そして、感覚を持った別のあらゆる存在者が、この対象をまったく異なった視点から見ても、この対象が同じであるという点について同意すること、である。この三重の共通性から現実性の感覚が生じてくる。・・・






