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悪魔祓いについて(1) [探求]

 ある必要から、「悪魔祓い(exorcism)」について調べることにした。

 
 すでに二~三年前から、暇を見つけては間歇的に、「悪魔祓い」や「憑依」を扱った人類学の書物や論文を十数点ほど読んできたのだが、何しろ専門の領域ではないので思い通りの進捗は得られていない。いまのところ一番よく理解できたのは、スリランカの悪魔祓いに詳しいブルース・カフェラーという学者の見解であった。それは、彼の見解の卓越さというよりは、文章の読みやすさに由来しているのかもしれない。まったくの門外漢にも取っつきやすく書くことができるということはよほどの才能がなければできないことである。ともかく,有難いことである。

 さて、彼の著作『悪魔を讃えて』(Bruce kafferer: A Celebration of Demons,1991, Smithsonian Institute Press)に基づいて、悪魔祓いとはいかなるものか、悪魔祓いは何を目指すのか、悪魔祓いという前時代的行為から何を引きだせるのかを考えてみることにしたい。

  
 第4章の「悪魔による病:診断と社会的文脈(Demonic Illness: Diagnosis and Social Context)」から始めたい。


 ・「悪魔祓いの理論と診断の実践(Exorcist Theory and Diagnostic Practice)」の節の概要  



・ 悪魔による病は、「不安、怒り、亡くなった親族への愛着、激しい性的渇望、妬みと嫉妬」などの激しい感情の状態が突発的に生ずることによって始まる(p.69)。

・ 悪魔祓い師は、この心的な失調状態を、患者が徐々に悪魔の世界によって浸食されるものとして解釈する。

・ 悪魔の攻撃は、人が物理的にも心的にも一人でいるときに発生しやすい。つまり、この世界内の孤独(Aloneness)が悪魔の活動の条件である(p.70)。


・ スリランカ社会では、通常、仏陀(やその他の神々)によって定められた宇宙的秩序のもとで、人々はその生の営みを送っている。しかし、何らかのきっかけによって孤立しその秩序から締め出されたように感じる孤独な人に悪魔が忍び寄り、その人の心の空隙を満たそうとする。それが、様々な激しい感情の噴出として現れる、というのである。



・ 病の原因は、「三つの体液(wind, blood/bile, phlegm)」の理論によって、いわば生理的なレベルで説明される(p.71)。

 注記 … 西欧のいわゆる「四体液説」でも、blood,bile,phlegmは出てくる。そこに、windは見られないが、「(霊)気」あるいは「霊魂(プネウマ)」の重要性は、たとえば、ガレノスやアーユルヴェーダにおいて、認識されていたのだから、スリランカの病気観は、それほど特殊なものではなさそうである。



・ 他方で、患者の社会的な背景が詳しく調べられる。職場や近所でのもめごと、土地をめぐる争い、カースト間の葛藤などが、悪魔の攻撃をもたらす要因である。他人に由来する呪いや魔術の力に対する信念が広く共有されているので、病の原因を悪魔のみならず他者に求める悪魔祓いの傾向もあるという(p.73)。本人の責任が問われることは少ないという。



・ おそらく、こうした点を掘り下げると、悪魔祓いは、精神科の治療と重なり合って見えてくる。しかし、精神科の治療には投薬があり、現代科学の結晶である治療薬が脳内の化学物質に作用し、それにより治癒がもたらされる、とわれわれの多くは信じている。それに対して、悪魔祓いは、まったく違うルートをたどり、まったく違った手段に訴える。そこにはいわゆる科学性はないのだが、それにもかかわらず効果を発揮し患者の治癒に至るのはなぜだろう? そこが悪魔祓いというテーマを探ることの面白さの一つである。    


                                       (つづく) 








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ケルン大聖堂でのイースターの模様 [探求]

  最近になって、世界的に有名な教会のミサの模様がYoutubeにアップされていて、その模様を余すことなく鑑賞できることを知った。権威ある教会といえども、その式典を内密のままにしておくよりも、積極的にPRした方が得策だと判断したのだろうか。

  キリスト教の儀式の中で、もっとも根源的(かつ根本的)な儀式はイースターの式典である。そう考えて、イースターが世界各地の教会でどのように挙行されているかを少し調べてみた。もっとも、少し時間をかけて見たのは、ボストンの大聖堂、ヴァチカン、ケルン大聖堂だけだったが。一目見た感じだと、やはりお国柄というか、ケルン大聖堂のイースターが音楽にあふれ一番味わい深かった。


  私はこういう儀式に参加したことがないので、画面越しとはいえ、初体験で興味深かったが、どういう手順で進行するのかを辿るだけで手一杯で、細かい点を把握するまでには至っていない。以下に概要だけを書き出してみた。興味ある人はちょっとたどってみてほしい。



 Easter Vigil from Cologne Cathedral 2015
 https://www.youtube.com/watch?v=Vowp4eJPYiY












0.40 Feier der Osternacht (イースターの夜の式典)

10:40 Exsultet ( 神を讃える頌歌)

20:10 Gotteslob- Nr.334.(讃美歌334)

23:50 Lesung. Genesis 1,1-2,2.  (朗読:創世記1,1-2,2)

26:35 Gotteslob- Nr.312.2.   (讃美歌312.2)
30:45 Lesung Exodus 14,15-15,1 (朗読 出エジプト記14,15-15,1)
35:30 Gotteslob- Nr.312.4.     (讃美歌312.4)
39:20 Lesung Ezechiel 36,16-17a,18-28. (朗読 エゼキエル書36,16-17a,18-28)
42:30 Cantate Domino. Christian Mattias Heiss(geb.1967).
                       (カンタータ クリスチャン・マティアス・ハイス作) 


( パイプオルガンが鳴り響く)


45:25 Gotteslob- Nr.169.   (讃美歌 169)


( 教会内点灯 )



50:50 Lesung Roemerbrief, 6,3-11.   (朗読 ロマ書6,3-11)


52:40 Gotteslob- Nr.312.9 und 337.   (讃美歌 312.9 および 337)

56:40 Evangelium Markus 16,1-7.    (マルコ福音書16,1-7)

58:10 Gotteslob- Nr.175.2.        (讃美歌175.2) 


( 説教 )


1:13:50 Tauffeier.             (洗礼の式典)

1:14:35 Gotteslob- Nr.556.         (讃美歌556)

1:29:20 Giovanni Pierluigi da Palestrina(1525-1594)Sicut cervus (パレストリーナ作の声楽曲“Sicut cervus(鹿が泉の水を求めるように)”


 ( 一般信徒への聖水授与 )


1:42:50   Gotteslob- Nr.326.        (讃美歌326)

1:49:35   Sanctus aus Missa " Vidi speciosam" Tomas Luis de Victoria.

                        (トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア作のミサ曲「我はハトのごとき美しき人を見たり」のサンクトゥス)


( 1:53:00 司祭パンを高く掲げ、ついで、杯を高く掲げる。祈りと朗読。聖職者は抱擁し合い一般信徒は握手を交わす。)


2:01:00 司祭パンを裂き杯に入れる。 Agnus Dei aus der Messa" Vidi speciosam",               (ヴィクトリアの前ミサ曲よりアグネス・デイ)



2:02:40 パンを裂き高く掲げ祈りハレルヤと言いながら口に入れる。

2:04:00 Singet dem Herrn ein neues Lied. Felix Mendelssohn Barhtoldy.

      (メンデルスゾーン作「主に向かって新たな歌を歌え」)


( 一般信徒の聖餐  )


2:10:00  Orgel. Gotteslob- Nr.328.(オルガン演奏 讃美歌328)

2:21:30 Gotteslob- Nr.767. Das Grab ist leer.   (讃美歌767。「墓は空なり」)。






」(終わり)













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闘いとしての愛  ――  マーティン・ルーサー・キングJrの言葉 [探求]

   
  キング牧師が述べたという“Do to us what you will and we will still love you”の出処(でどころ)を探す必要が生じたので、探してみた。それは簡単に見つかったのだが、このクリスマス講話の内容が素晴らしいので、しばらく繰り返しなぞって読んでいた。
  
  憎しみが世界中に蔓延(まんえん)していることに、多くの人が、心底からうんざりしているはずなのだが、ただうんざりしているだけでは何も動かない。せめて、この一連の言葉を心の中で反芻することにしてくれればなあ、と思う。かつてこの言葉を実行しようとした人々がいたことに希望を感じながら。

  キリスト教の「愛」は、憎しみにあふれる世界とは無縁の人々から発せられることがほとんどであるため、上層の人間の奢侈品のようなもの、たとえば、高級な香水のような印象しか与えない言葉だが、元来イエス(やその近くにいた人間)が用いたときの意味合いはそんなものからかけ離れていたことを、このキング牧師の言葉は感じさせてくれる。これを読むと、愛というものが、憎悪の対極にあるものであると同時に、抵抗や闘いの原理になりうるということが判る。敵を愛せという言葉は、本体、このような闘争の文脈で理解されべきもの、不屈の抵抗の意志を表現するものなのである。

 

 https://loveyourenemies.wordpress.com/2010/01/18/mlk-a-double-victory/




 私は、あまりに多くの憎しみを見てきたので、私自身はもう憎しみの感情をもちたいとは思わないし、憎しみの光景を見るたびに、憎しみは担うにあまりにも大きな負担であると私は自分に言い聞かせている。どんなにひどい相手に立ち向かうときでも、何とかして、私たちは次のように言えるのでなければならない。

 「苦しみを与えるあなた方の能力に、われわれは、苦しみを耐え忍ぶ能力によって立ち向かうことにしよう。あなた方の物理的な力に、われわれは、魂の力で応じることにしよう。われわれを好きなようにするがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。悪への非-協力は、善への協力と同じくらい道徳的な義務なのだから、われわれは、十分に良心的でいながら、あなた方の不当な法律に従うことも不当な体制に従うこともできない。だから、われわれを投獄するがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。われわれの家を爆破しわれわれの子供たちを脅迫するがよい、それでも、これは難しいことではあるが、われわれはあなた方を愛するだろう。真夜中にフードをかぶった暴力的な犯罪者をわれわれのコミュニティに送り込み、われわれを殴りながら脇道に引きずりこんで半殺しのまま放置するがよい、それでも、われわれはあなた方を愛するだろう。国中に宣伝工作員を送り込んで、われわれが、文化的およびその他の理由で、(白人との)統合教育に適していないように見せかけるがよい、それでも、われわれは、あなた方を愛するだろう。しかし、きっと、われわれの耐え忍ぶ能力によって、あなた方は疲れ切ってしまうだろうし、いつの日にか、われわれは自由を勝ち取るだろう。われわれは、自分自身のための自由を勝ち取るだけではない。われわれが訴えかけているのは、われわれのおかげであなた方が得るにいたった心と良心なのであるから、われわれの勝利は二重の勝利となるのである。

                                                  
        マーティン・ルーサー・キングJr.:1967年12月24日の平和のためのクリスマス講話





 I’ve seen too much hate to want to hate, myself, and every time I see it, I say to myself, hate is too great a burden to bear. Somehow we must be able to stand up against our most bitter opponents and say:”We shall match your capacity to inflict suffering by our capacity to endure suffering. We will meet your physical force with soul force. Do to us what you will and we will still love you. We cannot in all good conscience obey your unjust laws and abide by the unjust system, because non-cooperation with evil is as much a moral obligation as is cooperation with good, so throw us in jail and we will still love you. Bomb our homes and threaten our children, and, as difficult as it is, we will still love you. Send your hooded perpetrators of violence into our communities at the midnight hour and drag us out on some wayside road and leave us half-dead as you beat us, and we will still love you. Send your propaganda agents around the country and make it appear that we are not fit, culturally and otherwise, for integration, but we’ll still love you. But be assured that we’ll wear you down by our capacity to suffer, and one day we will win our freedom. We will not only win freedom for ourselves; we will appeal to your heart and conscience that we will win you in the process, and our victory will be a double victory.           

         Martin Luther King Jr. A Christmas Sermon for Peace on Dec 24,1967           


                                               」(おわり)







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ニーチェとトルストイのイエス像 [探求]

 しばらく論文の執筆に没頭していて更新ができなかった。

 ニーチェのイエス像について書いていたのである。ニーチェが読んだルナンやトルストイやドストエフスキーなどを読み比べることをしていた。その一部を紹介しよう。ルナンの『イエスの生涯』はニーチェにとっては「安っぽい物語り」にしか映らなかった。その点を論じた後で、トルストイとニーチェの関連性に触れる箇所である。

 ここら辺は、クリスマスも終わった後の昨年の暮れ、一人で伊東の宿に泊まって、書き進めていた。ホテル暮らしの孤独なニーチェになったかのような気分になって。ついこの間のことだが、なぜか懐かしい気持ちになる。
 


 


 「 …  「「悪人に逆らうな」は福音書のもっとも深い言葉であり、ある意味でそれを解く鍵である)」 。

  ニーチェの『アンチクリスト』の一節である。

 『アンチクリスト』の注釈書を書いたゾマーによると、1888年の初頭にニーチェは、トルストイが自身のキリスト教理解の経緯を記した書物の仏訳を手に入れ、それを詳しく検討したらしい 。『アンチクリスト』にトルストイの名前が出てくることはないが、その読書の成果が同書に反映されたことは疑いえない。トルストイの書(それは、仏訳では『わが宗教(Ma religion)』、邦訳の全集では『わが信仰はいずれにありや』と題されている)から、ニーチェの記憶に痕跡を残したと思われる部分を取り出してみよう。同書は、福音書を何度読んでも理解できなかった経緯の叙述から始まるのだが、多くの無駄な努力の挙句に、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:15)という言葉に逢着するにいたって、突然すべてを悟ったとトルストイは述懐する。


 「私が悟りえたのは、自分がなんとかして巧妙に、深い思慮を思いめぐらせて言葉を置き換えたり、比較対照したり、解釈をし直したりしたためではなく、むしろ反対に、私が一切の解釈を忘れ去ったことによって、すべてが私のために開かれたためであった。私にとって一切の鍵だったのは、マタイ伝第5章39節の「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない」という箇所だった。私はいきなり、しかも一度でこの一節をじかに、すなおに理解できた。キリストは言葉通りのことを言っているのだということが分かった。するとたちまちにして、何か新たなものが現れた、というよりむしろ、真理を曇らせていたものがことごとく脱落して、真理が文字どおりそっくり私の前に立ち現れたのであった」 。


 これは、ただここだけを取りあげるならば、子供のようなまなざしで福音書を読み直した結果、ついにイエスの真意を理解することができたということを語っているだけに見える。しかし、トルストイの批判のまなざしが、実は、「目には目を、歯には歯を」を制度化した警察・司法・軍事に向けられることが判明し、キリスト教の信仰をもちながらそうした制度を受け入れることはできないということがトルストイの主張なのだということを理解すると、ほとんどの人はここに受け入れがたい形態の信仰があることを知るのである。この世界の秩序はこうした警察・司法・軍事の制度によって守られていると考える人々にとっての善は、トルストイのイエスにとって、途端に、一種の悪に変貌する。彼らにとって、トルストイのイエスは、ルナンの「アナーキスト」をはるかに凌駕する危険思想の扇動家と映ることだろう。だが、トルストイによれば、悪をもって悪に対処したところで、これまでの歴史が教えてくれるように、悪は一向に減ることはないのだから、それは悪に対する適切な態度ではないということを証明している。トルストイのイエスにとって、警察・司法・軍事は世の中の悪に手向かう存在の代表であり、その限りで、それ自体悪の存在である。それらは、悪そのものと同じくらい、関わってはならない存在である。しかし、そうした存在によって世界その存立が可能となり、世界の善悪が規定されているとするならば、トルストイのイエスは世界全体に関わらない生き方(「善悪の彼岸」にあるよう生き方)を選ぶように求めていることになる。「悪人に逆らうな」とは、悪に対して悪をもって報い、それによって秩序を保とうとするこの世界の道徳性のあり方に対する拒絶の意思の表明なのである。


 「「悪人に逆らうな」は福音書のもっとも深い言葉であり、ある意味でそれを解く鍵である」とニーチェが述べるとき、彼はトルストイのイエス解釈に対する賛意を記している。もちろん、それは無条件の賛意ではなかっただろう。なぜなら、方向性の違いは明白であるからだ。トルストイは理想主義を極限まで追い求めた末に、一切の悪に加担することを拒絶するイエスの姿を見た。しかし、ニーチェはそこに別のものを見出したのではないだろうか? トルストイの解釈は、理想主義を極端に推し進める結果、世界内のほとんど一切の価値の剥奪を招来せざるをえない。ニーチェは、トルストイの解釈のうちに、ある種のニヒリズムを見たのではないかと私は推測する。「無抵抗のモラル」は、善悪の基準を否定し、それに基づく世界内の制度全体を否定するからである*。



 (*註: 『アンチクリスト』のための草稿段階で、ニーチェはルナンが言う「聖なるアナーキスト」を「ニヒリスト」と言い換えていた(Friedrich Nietzsche : Sämtliche Werke. Kritische Studienausgabe in 15 Einzelbänden(=KSA)13, hg. von Giorgio Colli und Mazzino Montinari,Berlin 1999,11))。
 
                         … (以下省略)            」
 


 
 (後記) : 1888年初頭、ニーチェの脳裏の中で、アナーキスト、無抵抗のモラル、ニヒリズムが混然一体となって、混沌としたイエス像が徐々に形成されつつあった。それらは、結局のところ、『アンチクリスト』に反映されるのだから、それを読めばいいわけであるが、むしろ、私にとっては、そうした混沌状態を想像するほうが楽しいのである。       









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ハンナ・アーレント(その2) [探求]

 スタンフォード大学・哲学百科事典の「ハンナ・アーレント」(執筆者はMaurizio Passerin d'Entreves)の第二回目。「2.序論(Introduction)」では、全体の構成が簡潔に語られている。


Hannah Arendt: By Maurizio Passerin d'Entreves.
   
http://plato.stanford.edu/entries/arendt/






「   ハンナ・アーレント(その2)  2. 序論



 ハンナ・アーレントは、20世紀で影響力のあった政治思想家の一人である。彼女の思考の力強さや独創性は、『全体主義の起源』、『人間の条件』、『革命について』、『精神の生活』などの著作で明瞭である。これらの著作や多くのエッセイで、彼女は、同時代のもっとも決定的な政治的出来事に取り組み、その意義や歴史的な意味合いを把握しようと努め、そうした出来事が道徳的・政治的判断のカテゴリーにどのような影響を及ぼしたかを示した。彼女の見解では、求められていることは、20世紀が生み出した恐怖の双子、ナチズムとスターリニズムと折り合いをつけることを可能にする新しい枠組みだった。アーレントは、全体主義の本の中で、このような枠組みを提供し、それに続いて、人間の条件を解明し政治的生の本性に対する新たな観点を提供する一連の新たな哲学的カテゴリーを展開していった。


 アーレントの作品のなかには、今となっては、政治思想の西洋の伝統の古典に属していると見なされるものもあるが、アーレントはつねに分類することが困難な哲学者であり続ける。アーレントの政治哲学は、保守主義、自由主義、社会主義といった伝統的カテゴリーによって特徴づけることはできない。また、アーレントの思考は、たとえば、A.マッキンタイア、M.サンデル、C.テイラー、M.ウォルツァーなどの著作に見られるような、最近甦った共同体を重視する政治思想に同化して理解することもできない。自由主義のキーとなる原則のいくつかに対立する政治観を提示したという理由で、アーレントの名前が、自由主義の伝統に批判的な多くの論者によって援用されてきた。アーレントの思想には、そのような主張を正当化してくれるような要素が多くあることは確かであり、とくに、間接民主主義の批判、市民参加や政治的討議の強調、道徳と政治の分離、革命的伝統に対する賞賛などがそうした要素である。しかし、アーレントを反-自由主義の思想家として見なすのは間違いだろう。アーレントは、実際、立憲主義と法の支配を厳格に擁護したし、基本的人権を支持したし(アーレントは、その基本的人権に、生命、自由及び表現の自由の権利だけでなく、行動や意見形成の権利も含めていた)、伝統的な絆や慣習に基づくあらゆる政治的共同体を批判したし、宗教的、民族的、人種的アイデンティティーに基づくあらゆる政治的共同体を批判した。


  アーレントの政治思想は、この意味で、自由主義の伝統とは同一視できないし、自由主義の多くの批判者が提唱する主張にも同一視できない。アーレントは、政治を、個人の選好を充足する手段とは考えなかったし、また、善について共有された考え方のもとに諸個人を統合する方法としても考えていなかった。そのかわりに、アーレントの政治の考え方は、活動的な市民という観念に基づいていた、つまり、市民の政治参加と、政治的共同体に関わる全ての事柄について市民がそろって討議することの価値と重要性に基づいていた。アーレントの思想を同一視できる思考の伝統があるとするならば、それはアリストテレスに由来し、マキャベリ、モンテスキュー、ジェファーソン、トクヴィルの著作で具現化された市民的共和主義の古典的な伝統である。この伝統によると、政治とは、市民が、市民全員に関わる事柄について討議・決定するために公共の空間に一堂に会するときはいつでも、本来的に表現されるものである。政治活動が高く評価されるのは、それが同意あるいは善についての共有された考え方にに導いてくれるからなのではなく、それにより市民一人一人が自分の主体としての権力を行使し、判断の能力を展開し、協調的な行動によって、ある程度の政治的実効性を達成できるから、なのである。


 私は、アーレントの政治哲学を、次に掲げる四つの大きなテーマ、つまり、(1)アーレントの現代性の考え方、(2)アーレントの行為の理論、(3)アーレントの判断の理論、(4)アーレントの市民性の考え方、という四つの大きなテーマに沿って再構築することにしよう。





」(つづく)。


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ハンナ・アーレント(その1) [探求]

 今回から、スタンフォード大学・哲学百科事典の「ハンナ・アーレント」(執筆者はMaurizio Passerin d'Entreves)を見ていくことにする。語られる項目は、1.略伝、2.序論、3.近代性についてのアーレントの考え方、4.アーレントの行為理論、5.アーレントの判断理論、6.市民であることについてのアーレントの考えかた、となっている。まずは、1.から見ていこう。


Hannah Arendt: By Maurizio Passerin d'Entreves.
   
http://plato.stanford.edu/entries/arendt/






「  1. 略伝 ―― ハンナ・アーレント(その1)

 
  20世紀を代表する政治思想家の一人であるハンナ・アレントは、1906年にハノーバーで生まれ、1975年にニューヨークで亡くなった。1924年に、高校の学業を終えた後、彼女はマールブルク大学に進学し、マルティン・ハイデガーのもとで学んだ。ハイデガーとの遭遇――短いが強烈な恋愛関係に発展した――は、彼女の思考に永続的な影響を与えた。マールブルクで一年間学んだ後、フライブルク大学に移り、そこで一学期間エトムント・フッサールの講義を聴講した。1926年の春、彼女はカール・ヤスパースのもとで学ぶためにハイデルベルク大学に移ったが、ヤスパースとは長期にわたり知的・個人的な友情を育むことになる。1929年、ヤスパースの指導のもとで「アウグスティヌスにおける愛の概念(Der Liebesbegriff bei Augustin)」(これ以後LAと略記する)と題された博士論文を完成する。

  1933年、ヒトラーが権力を掌握した結果、彼女はドイツを去ることを余儀なくされ、プラハとジュネーブに短期間滞在した後パリに移り、そこで6年間(1933年から1939年)にわたってユダヤ人難民の多くの組織のために活動した。 1936年、彼女は最初の夫であるギュンター・スターンと離婚し、ハインリヒ・ブリュヒャーと暮らし始め、1940年に結婚する。パリでの滞在中に、ラーヘル・ファルンハーゲン(Rahel Varnhagen)についての伝記を執筆し続けたが、それは1957年まで出版されなかった(RVと略記)。1941年、フランスを離れることを余儀なくされ、夫と母親とともにニューヨークに移住する。ニューヨークで彼女はすぐに「パルチザン・レビュー(Partisan Review)」誌の周辺に集まる作家や知識人からなる影響力のあるサークルに加わる。戦後、彼女は、プリンストン大学、カリフォルニア大学バークレー校、シカゴ大学を含む、多くのアメリカの大学で講義したが、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ( New School for Social Research)との関係がとても緊密で、彼女はそこで1975年の死にいたるまで政治哲学の教授を務めることになる。

 1951年、彼女は「全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism 」(OTと略記)を出版したが、ナチスとスターリンの政治体制を扱ったこの大著はすぐに古典となった。それに続き、1958年、「人間の条件(The Human Condition)」(HCと略記)を出版、これは彼女の最も重要な哲学の著作となる。1961年、彼女は「ニューヨーカー」誌のリポーターとして、エルサレムで行われたアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、2年後、「エルサレムのアイヒマン(Eichmann in Jerusalem)」(EJと略記)を発表、これはユダヤ人のサークルのうちに深い論争を引き起こした。同年には、「革命について(On Revolution)」(ORと略記)も発表されたが、これはアメリカとフランスの革命を比較分析したものだった。60年代と70年代初頭には、多くの重要なエッセイが発表された。最初のエッセイ集は「過去と未来との間(Between Past and Future)」(BPFと略記), 二番目は「暗い時代の人びと(Men in Dark Times)」(MDTと略記),三番目は「共和国の危機(Crises of the Republic)」 (CRと略記)だった。1975年に亡くなったとき、彼女の最後の哲学的大著である「精神の生活(The Life of the Mind)」の最初の二巻(「思考」と「意志」)は書き終えていたが、それらは1978年に遺稿として出版された(LMと略記)。「判断」を扱う第三巻は出版されずじまいだったが、その背景をなす資料や講義ノートが、1982年に「カントの政治哲学についての講義(Lectures on Kant's Political Philosophy)」という題名で出版された(LKPPと略記)。



」(つづく)。










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ニーチェとイエス [探求]

  ニーチェが激しいキリスト教批判をしたということは今さら言うまでもないが、その一方で、ニーチェがイエスだけを特別扱いしたということはあまり話題にされることはない。たとえば、『アンチクリスト』の第39節は次のように記している。「つき詰めていえば、キリスト者はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架にかけられて死んだのだ」。しかし、こうした発言は散発的であり、その他の圧倒的な反キリスト教的批判の数々を前にしては、そうした散発的な発言はかすんでしまうのである。



 しかし、それはともかく、ニーチェのイエスに関する肯定的な発言はなかなか興味深いものがある。ここでは、三つの発言を取り上げよう。



 ⅰ) 「イエスは同胞のユダヤ人たちに語った。「律法は奴隷たちのためのものだった  [律法に従うのではなく]神を愛するのだ、私が神の子として父を愛するように! 神の子であるわれわれにとって道徳などどんな関係があるというのだ」( 『善悪の彼岸』164) 。


 残念ながら短い断片にとどまってしまったが、これはニーチェの天才的な洞察力を示す断片であると私には思える。イエスは(律法に規定された)善悪の彼岸に立つ人だという解釈は、イエスの活動のうちに、律法(や社会の価値全般)に対してアウトサイダーの立場をあえてとる戦略を見ようとする最近の解釈との接点が感じられる 。あるいはイエス運動を「あらゆる価値の転換」の試みとして捉えるゲルト・タイセンの解釈との近さも感じられる 。ニーチェは、ブルトマンもタイセンも知らなかったがゆえに、キリスト教を特定の型にはめて理解するしかなく、善悪の彼岸にいるイエスというモチーフを発展させることができず、それを断片という形で表現するしかなかったわけだが、イエス運動についての最近の研究を視野に入れてみるならば、ニーチェとイエスが意外に近い存在であることが判明するだろう。ニーチェ自身もイエスとの近さを感じていたらしいことは、次の断片が示している。



 ⅱ)  「いささか大まかな言い方をすれば、イエスを「自由な精神」と呼ぶことができるかもしれない。――イエスは固定したものを尊重しない。言葉は殺す。すべて固定したものは殺す。  イエス一人が知っている「生」という概念、「生」という経験は、あらゆるたぐいの言葉、定式、律法、信仰、教義に反するものである」 (『アンチクリスト』32)。


 これはルナンがイエスを「狂信家」として描くことに反対する文脈での発言であるが、いずれにせよここでニーチェはイエスの自分との近さを認めている。『善悪の彼岸』は「自由な精神」の一例として「キュニコス派の哲学者」を挙げているが(第26節)、これもニーチェの洞察力の一端を示すものである。ゲルト・タイセン以降のイエス解釈で、イエス運動とキュニコス派の哲学者との関連性を主張する解釈が少なからず現れたが、適切な情報が与えられればニーチェははるか以前にそうした解釈の先鞭をつけることができたかもしれないと、私は想定してみたくなる。そう想定してみたくなる理由の一つをしめしてみよう。

 あの有名な「おれは神を探している」と言いながら狂人が昼間からランプをかざして歩き回る様子を描いた断章、ニーチェが「神の死」を初めて語った『悦ばしき知識』の断章125は、キュニコス派のディオゲネスが昼間からランプをかざして「人間はどこにいるのか」と言いながらアテナイの街中を歩いたというエピソードのパロディであるように思われる。ディオゲネスの意図は、人間らしい人間はどこにもいないと出会う人間ごとに宣告することだった。「神の死」を告げるあの狂人も、実は、神らしい神はもうどこにもいないことを嘆いているにすぎず、他の誰よりも神を探し求めているのである。同様に、律法によってがんじがらめに支配された社会にあって、神の支配を書物ではなく、人間の行為に求めようとしたイエスのうちに、ディオゲネスと同質の挑発性、断章125の狂人と同質の敬虔さを認めることはそれほど見当違いなこととは言えないのではないだろうか? イエスに敬虔さが欠如しているわけではない。ただし、それは精神の自由と両立する敬虔でなければならない。そしてそれは当該社会の多数派から敬虔とは見なされないような敬虔であったろう。イエスの行為は、ディオゲネスの行為と同様に、社会から承認を引きだすというよりも反感と憎悪を買うものであっただろう。イエスが社会的な運動を志向したという点を度外視して言えば、キュニコス派の哲学者、イエス、ニーチェに共通するのは、社会からは認められそうもない権威に基づき、当該社会の価値観を顛倒しようとした点にあるといえよう 。狂気に突入する直前のニーチェがディオニューソスと並んで「十字架に架けられた者」と自称したことはよく知られているが、それは必ずしも精神の失調ゆえの妄想ではなかったのではないかと思えるのである。




 ⅲ) 「イエスは「罪」という概念そのものを廃棄した  イエスは神と人間との間のいかなる断絶をも否認した  人間としての神という一体性を自らの福音として体験したのである…」(『アンチクリスト』41) 。


  イエスは善悪の彼岸にいる人間なのだから、罪(と見なされるもの)に拘泥したりはしない。罪人と飲み食いし、罪人の病を治し、罪人から悪霊を追い払った。イエスはつねに罪人とともにいた。おそらく、まず自らが罪人であろうとした。そして罪人として処罰される。それは善悪の彼岸にいる人間に相応しい報いであるが、そうした活動が彼の「生」の実質をなす。そして、そのすべてにおいて、神が近くにいた。もっとも明瞭なのは悪魔祓いである。悪魔祓いの活動について、イエスは「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(ルカ11:20)と言い放った。おそらくニーチェは、イエスの言う「福音」もそのような地上での活動に対してのみ当てはまる概念だと考えているようだ。この地上での神と一体化した活動こそが「福音」なのだと 。それに対して、パウロ以降のキリスト教は「贖罪の死」や「復活」という形で「福音」の内容を変えてしまった。ほぼ同じことをニーチェは「神」概念に関連して次のように述べている。

 「キリスト教の神概念…神は生の光明化(Verklärung)、生の永遠の肯定である代わりに、生と矛盾するものにまでなり下がった!」(『アンチクリスト』18) 。

  イエスはあくまで生の側にとどまり生を肯定するものという形で神を考えていたのに対して、彼に続く者たちはイエスの復活における超自然的介入という観点で神の行為を考えることで、神をまたしても生の向こう側の存在へと遠ざけてしまったとニーチェは見たのである。 

 もっとも、ここでのニーチェの発言は図式的すぎるということは指摘しておかなければならない。イエスが生に密着した活動をしたのに対して、後のパウロはイエスの生の側面にほとんど関心をもたずイエスの死と復活にばかり力点を置いたということは確かである。しかし、パウロはイエスの後継の一人にすぎないし、後続のすべてが皆パウロと同じだったはずはないのだが、ニーチェの目には、イエス以外の信徒はすべて同じに見えたことだろう。パウロが嘘を前面に押し出し、その他の有象無象がそれに従ったということになるだろう。


 「パウロはイエスの存在の全体の重点をこの世界の存在の背後に移し変えた  つまり、「復活した」イエスという嘘の中へと移し変えた。パウロは、実は、救世主イエスの生をまったく利用できなかったのである」 (『アンチクリスト』42)。


 ここには、言葉の安直な使用へと流れていってしまうニーチェがいるように思われる。パウロは権力のためにこういう「嘘」をつく必要があったというわけだが、しかしこの文脈で、「生きるためには嘘が必要である」というニーチェが終生手放さなかった自分自身の見解を、思い起こす必要があったのではないだろうか? 「復活」に対して直ちに「嘘」という言葉を投げつけるまえに、あのニーチェ自身の思想と復活の信仰を突き合わせる必要があったのではないだろうか? 

 しかし、もはや、ニーチェには腰をおろしてそういう作業に没頭する時間がなかった。



 おそらく、「ニーチェとイエス」というテーマを仕上げるとしたら、上で挙げたような論点をきちんと押さえる必要があると思われる。私は、いま、そういう作業に取り掛かろうとしている。










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ニーチェの道徳・政治哲学(その7)  [探求]

スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第7回目。この箇所で興味深いのは、ニーチェの反-リアリズム(反-実在論)がニーチェ自身の価値判断にも適用されなければならないという当然の理由から、ニーチェの道徳自体も何らかの事実を反映したものではないということである。つまり、これまでも頻繁に使われた「高次」と「低次」などの概念も客観的事実を言い表しているというよりも、ニーチェの趣味判断のようなものである。それに同意することは、ニーチェと趣味を同じくするということを認めることである。ちょっとだけ引用しよう。

「つまり、「Xは低次である」と言うことは客観的事実を記述することではなく、むしろ、一定の価値評価的な感性あるいは趣味を共有するものとして自分自身を識別することなのである」。

 道徳についての議論が、最終的に、こういう結論に行き着くのを目にすると、何か肩透かしを食らったような気持ちになるが、まあ、所詮、道徳について論じるというのはその程度のことさ、と思っておけばいいのかもしれない。

なお、本文はニーチェに政治哲学はあるかどうかについての論述が続くのだが、その点については興味が涌かないので、この3.2で紹介を打ち切ることにする。




Nietzsche's Moral and Political Philosophy . By Brian Leiter.
http://plato.stanford.edu/entries/nietzsche-moral-political/




3.2ニーチェの反実在論



 ニーチェは、価値についてリアリスト(実在論者)でないならば、反-リアリスト(反-実在論者)でなければならない。彼は、自分の価値評価の観点に対してその批判対象を優越する特権を与えるような何らかの客観的な事実があることを否定しなければならない。(実はこれこそ、ニーチェに関する二次的な研究文献の外側で最もなじみ深い読み方である。ニーチェのメタ倫理についてのこうした見解は、たとえば、社会学者のマックス・ウェーバーと道徳哲学者のアラスデア・マッキンタイアーに見出すことができる)。この反-リアリズムが適用されるような判断については慎重でなければならない。道徳批判において、ニーチェは、たとえば、 「畜群」道徳は畜群にとっては善いものだが、高次の人間にとっては悪しきものであると考えているらしいことを思い起こそう。 彼は、たとえば、「畜群の考えは畜群の中で支配すべきだが、それを超えてはならない」と言っている(WP 287)。別の個所では、奴隷の道徳を単に「もっとも低い次元の打算」と記している(GM I:13)。幸福や打算的善――特定の個人にとって善かったり悪かったりするもの――に関する価値判断については、ニーチェは、客観的な事実――人間のタイプ-事実に相対的な善ではあるが――があると考えているように見える。しかし、これは正しくない。ニーチェの信念によれば、様々な道徳は様々な種類の人間にある種の影響を及ぼすことは客観的に正しいが、こうした影響が「善」であったり「悪」であるということそのものは、反‐リアリズム的に解釈できる( Leiter 2015: 119 )。しかし、それよりはるかに重要なことは、ニーチェの反‐リアリズムは、様々な道徳が及ぼす影響についてのこうした判断に対してなされる「価値転換的」判断にも適用されるのである。つまり、畜群道徳は畜群には善いが高次の人間には悪いのであるから、畜群道徳(あるいは、畜群道徳の普遍的支配)は悪い(あるいは価値がない)という判断にも、ニーチェの反‐リアリズムは適用されるのである。


 ニーチェは、確かに、価値の客観性を否定しているように聞こえることを多く述べている。ツァラトゥストラは「本当に、人間は自分自身にすべての善と悪[Gut und Bose]を与えた」と語っているし(ZⅠ:15I)および(Z II:12)、「一時的ではない善悪は存在しない」とも語る (Z II:12)。『悦ばしき知識』でニーチェは「われわれの世界で価値をもっているものは何であれ、それ自体として、自然に従って、価値をもつことはなく――なぜなら、自然はつねに価値を欠いているからである――、ある時点で価値を与えられたのである」(301; cf. D 3)。実は、ある種のラディカルな反-リアリストのように、彼は価値評価の問題を趣味の問題に同一視しがちである。「今日キリスト教に対して決定的に反対の態度をとるのはわれわれの趣味[Geschmack]であって、もはやわれわれ理性ではない」(GS 132)。同じ著作の後の方で、彼は「正義とは…どう考えても、趣味の問題であって、それ以上のものではない」と述べている(GS 184)」。


  価値についての反-リアリズムを展開するニーチェの論証の核心部分は説明的である。経験の「最良の説明」の中には道徳的な事実は現れないし、だからそれは、客観的世界の本当の構成要素ではない。道徳的価値は、要するに、「説明されることによって消去」できるのである。このような結論はニーチェの自然主義から帰結する(この後者の点については、Janaway 2007とLeiter2013年の競合する見解を参照されたい)。ニーチェの道徳批判の文脈で見たように、ニーチェは、ある人間の道徳的信念は自然主義的な観点で、つまり、その人間についてのタイプ-事実の観点から説明できると考えている。だから、ある人間の道徳的判断を説明するためには、客観的道徳的事実の存在に訴える必要はない。その人間に関する精神-物理的な事実だけで十分である。だから、価値評価に関係しないタイプ-事実が説明のための第一次的事実であり、説明の力をもつということが客観的事実の指標であるのだから、価値の事実というものは存在しようがないように思われる。道徳的判断や価値評価は「イメージ」や「空想」であり、主体についてのタイプ-事実の結果にすぎないとニーチェは言う(D 119)。


  これまでは、ニーチェを道徳的な反-リアリストとして記述することは、彼に形而上学的見解、つまり、道徳的に善いとか悪いことに関する客観的事実は存在しないという形而上学的見解を帰しただけだった。さらに、ニーチェに道徳的判断の意味論についての特定の見解を帰して良いかどうかは、解釈上少し厄介な問題である。このトピックスに関しては、20世紀以前で、きちんと熟考した見解をもつ哲学者は一人もいなかった(Hussain 2013)。たとえば、(上で引用した個所から)明らかなように、ニーチェは価値についての形而上学の中心問題については独自の見解をもっていたが、意味論の問題に対して満足のいく答えをニーチェに帰すに足るだけのテキスト上の資料が不十分にしかないということも同様に明らかであるように思われる。彼の見解のいくつかの要素を見ると、非-認知説、とりわけ表明説(expressivism)と呼べそうなものに彼の見解を同化させたくなる。たとえば、主人の道徳とキリスト教の道徳を「価値[Werthe]の光学においては対極にある形態」として記述するとき、ニーチェは続けて、対極にある「光学的」形態として、「それらは…理性的推論をも反駁をも受けつけない。キリスト教は反駁できない。眼の疾患は反駁できない...。「真」と「非真」という概念は、光学では意味をもたないように私には思われる」(CWエピローグ)。この一節――ニーチェにおける表明説と思われる個所の中でも典型的なものだが――は、しかしながら、曖昧である。なぜなら、この箇所は、「真」と「偽」が無意味なのは、価値評価の判断が本質的に非認知的なものであるためではなく、むしろ、競合する価値評価の見解が、理性的推論の影響を受けつけないからである、ということを意味するとも考えられるからである。一方の見解を他方の見解よりも良いと考えたり、一方を真、他方を偽と考える合理的な根拠はあるかもしれないが、理性的推論はこの文脈ではほとんどインパクトをもたないので、真偽の問題をたてても(要点を外しているという意味で)「無意味」なのである。


  最近になって、フセイン(2007)は、ニーチェを道徳的価値についてのフィクショナリスト(fictionalist)として読むべきだと主張した。ニーチェは価値については反-リアリストであることは認めるとして(価値をもつものについての客観的な事実は存在しない)、フセインは、「価値を創造する」人々は自分がいったい何をしたと理解できるか、と問う。このニーチェ的世界で、価値を与えるということは、一種の「ふりをすること(make-believe)」、実際は、何ものも価値をもっていないことを知りながら、物事そのものに価値があるかのようなふりをしている(pretend)のだと、フセインは主張する。ここには急を要する哲学上の問題がある――価値について「ふりをする」ことが本当に「価値評価」にとって十分なのか――だけでなく、解釈上の問題もある。ニーチェは、道徳的判断が本当に信念(belief)――つまり、真偽が問える命題的態度であり、(価値についての言明が成り立つには)信念に加えてフィクション説的な処理が必要となる――を表明していると実際に考えていたのだろうか? 19世紀の哲学者がこのような問いに対して明確な答えもっていたとしたら、それこそ驚くべきことだろう(Hussain 2013はこの見解に同意するようになったようだ)。


  ニーチェは、言語的・文法的慣行がどれほど形而上学的思い込みや問題を生み出すかを認識した最初の哲学者だったが、彼は、形而上学的な問題を、特定の表現領域の意味論についての問題(たとえば、ある語は、純粋に首尾よく指示的なのか、それとも「単に」感情を「表明」しているにすぎないのか?)として定式し直すのが最良だとは見なさなかった。だから、倫理の言語は第一次的には認知的か非-認知的といった微妙な問題についての見解をニーチェに帰する充分な理由があるとするのは疑わしい。それは、明らかに、記述的な表現と規範的な表現のいずれの側面も表明しているのである。



 しかしながら、ニーチェの著作の二つの側面が、価値の反-リアリズムと衝突しているように見えるし、それを形而上学的理論として理解しても、そう見えることには変わりない。第一の側面は、「高次の」タイプの人間と「低次の」タイプの人間の区別に依拠していることである。そして第二の側面は、彼が自分の価値評価的判断を提示する際の力強さと生真面目さである。


  上で見たように、ニーチェの道徳批判は、高次のタイプの人間と低次のタイプの人間の区別を前提している。しかし、誰が「高次」で誰が「低次」であるかについての客観的事実はあるのだろうか? もしあるとすれば、そのような見解は反-リアリズムと両立するのだろうか?

  「高次」と「低次」についての客観的な事実があると仮定しよう。ゲーテは本当に高次のタイプの人間で、畜群動物は本当に低次のタイプの人間である。しかし、MPSは客観的に見て高次のタイプの人間の繁栄を妨げる効果があるからという理由だけで、MPSは非-打算的な意味で無価値であるかどうかについては、やはり客観的事実があるわけではない。「高次」と「低次」についてのリアリズムは、非打算的価値についてのリアリズムを含意するわけではない、という論証も可能であるかもしれない。

 
  このような答えは、二つの理由からうまくいかない。まず、「Xは高次の人間である」という判断には、重要な評価的要素が含まれている。「ゲーテは高次のタイプの人間である」は、「ゲーテは平均よりも背が高い」という仕方で価値中立的ではない。ある人は高次のタイプの人間であるというとき、われわれはその人間に対する積極的な価値評価の態度をとっているように思われる(たとえば、あんな人がそばにいたら良いのにと思う態度)。「Xは高次のタイプの人間である」という客観的事実があり、MPSが高次のタイプの人間の繁栄を阻んでいることが事実であるすれば、MPSは、それが及ぼす効果のために無価値であるというニーチェの立場には少なくともある程度の客観的な重さが帰されなければならないように思われる。


  第二に、ゲーテが高次のタイプの人間であり、たとえば、ヒトラーは畜群の動物であるということが客観的事実であるならば、次の反事実的言明は真であるように思われる。


(C) ヒトラーがゲーテのようであったならば、彼はもっとマシな人間になっただろう(If Hitler had been like Goethe, he would have been better off)。


彼は、低次のタイプではなく、高次のタイプの人間であっただろうから、彼はもっとマシな人間になっただろう――高次のものは本当に高次で、低次のものは本当に低次であるということは客観的事実である。しかし、この一見客観的な判断 ――ヒトラーはゲーテのようであったならば彼はもっとマシな人間になっただろうという判断 ―― は、非打算的な意味での価値判断である。それは、その時々のヒトラーにとって何が善いものかについての判断ではなく、その時々の状況がなくても、ヒトラーをもっとマシな人間にするものは何かについての判断なのである。一般的に言えば、「高次」と「低次」の客観性を認めることは、「高次のタイプの人間の善は低次のタイプの人間の善よりも優れている」といった客観的で非打算的価値判断を下すことを可能にするのである。


  これらの理由から、ニーチェが非-打算的な意味での道徳的価値について反-リアリストであるならば、彼はまた、「高次」と「低次」の判断についても反-リアリストでなければならないことになる。MPSが、ニーチェが高次のタイプの人間と見なす人々の繁栄を妨げていることは客観的事実であるかもしれない。しかし、そのような人々が本当に高次の人間であるということは客観的事実ではないのである。


  実は、これこそまさにニーチェの見解であることを示すテクスト上の証拠がある。たとえば、『ツァラトゥストラかく語りき』でニーチェは次のように書いている。「善と悪、富と貧困、高次と低次[Hoch und Gering]、および価値を表すすべての名称 ――それらは武器となり、生が再三自らを克服しなければならないことを示すしるしとなるのである」(Z II:7)。ここでニーチェは、「高次と低次」は、「善と悪」と同じように「価値を表す名称」すぎないことを明記している。しかし、すでに見たように、ニーチェは、後者の価値評価の概念について反-リアリストであるのだから、彼は前者の「高次と低次」についても反-リアリストであることは、ほとんど驚くべきことではないはずである。

 
  ニーチェが「高次」や「低次」といった言葉で特徴を記す実際の文脈も同じ読み方を引き出すのである。たとえば、奴隷道徳は「最低次の打算」である(GM、I:13)とはどう意味かを述べた『道徳の系譜』の個所(I:14)を考察してみよう。ニーチェによると、奴隷道徳は「最低次」特有のある種の特徴を取り上げ、それを道徳的に賞賛すべき観点で記述しなおす。だから、たとえば、彼らの無力は「心の善良さ」になり、彼らの不安に満ちた下劣さは「謙虚」になり、「攻撃的でなく」「ドアのところでぐずぐずしていること」は「忍耐」になり、報復に対する欲求は、正義に対する欲求になる。ニーチェが本当に「下劣さ」の概念についてリアリストであるならば、われわれは、あるものがそのおかげで本当に下劣となるような客観的事実を見極めることができるはずである。しかし、ニーチェは、あらゆる忍耐を「ドアのところでぐずぐずしていること」にすぎないものと記述し、あらゆる謙虚さを単に「不安に満ちた下劣さ」にすぎないものとして記述しようとするとき、そこにあるのは、「下劣さ」についての「客観的事実」ではなく、ただ単に、論争的で、価値評価を満載した特徴の記述だけである。と考えるのが自然である。あらゆる謙虚さは本当は「不安に満ちた下劣さ」である考えることは、自分自身をニーチェの価値評価の感性を共有する者であるとして、「その耳がわれわれの耳につながっている」(GS 381)者であるとして、「生まれついて」ニーチェの洞察に「向いており運命づけられている」(GS 381)者として識別することにすぎない。要するに、ニーチェが実際に「高次」や「低次」について語っている仕方から見て、ニーチェのメタ倫理の立場は、これらの言葉(「高次」と「低次」)を次のように特徴づけるものとして理解されるべきである。つまり、「Xは低次である」と言うことは客観的事実を記述することではなく、むしろ、一定の価値評価的な感性あるいは趣味を共有するものとして自分自身を識別することなのである。


 
  解釈上の最後の困難がまだ残っている。ニーチェは、自分の価値評価の判断が単に自分独特な好みにすぎないと考える人のようには書いていないからである! ここで考察されているメタ倫理の立場に立てば、「人間というタイプにとって実際可能な最高度の力と輝きが、事実上一度も到達されなかったのは、道徳のせいである」(GM Pref:6)というニーチェの論点に応じて、誰かが「だからこそ道徳は有り難いのだ!」と言ったとするならば、その人には何も言うべきことはなくなるだろう。せいぜい、ニーチェは背を向けて、「そうか、僕の価値評価の趣味を共有してくれないのか」と言うだけだろう。しかし、こうしたメタ倫理的見解と両立できず、ある種のリアリズム的な解釈を要求しているかなりの量のニーチェのレトリカルな発言があるように思われる(BGE 259; TI V:6 & IX:35; EH IV:4, 7, 8) 。しかし、ニーチェのレトリックから、彼は価値のリアリズム的形而上学を構想していたという結論を推論的に引きださないためには、以下のような三種類の考察をすればよい。


  第一に、レトリックは強力だが、真偽の言語は目立って欠落している。上で引用した個所のいくつかが示唆しているように、ニーチェは、多大な力と情熱をもって、MPSに反対することを書いた。しかし、顕著なことに、そうした文脈で、ニーチェは認識上の価値を表す言葉――真と偽や、現実と非現実という言葉――を使ってはいないのである。もちろん、このことは注目すべきことではないかもしれないが、たとえば、キリスト教の宇宙論や自然の事象についての宗教的解釈に対してやはり同様に強力な攻撃をするとき、彼は、つねに、真理と虚偽、真理と嘘、現実と仮象といった概念装置を援用するという事実には注目すべきだろう ( Leiter 1994, pp. 336–338)。だから、たとえば、彼はキリスト教の宇宙論を「たった一点でも現実との接触」 (A, 15)を欠くものとして、「現実を…偽る(die Wirklichtkeit fälscht)」「純粋なフィクション」と風刺する。こうした認識の価値を表す言葉が、価値についてのニーチェの発言には、目立って不在なのである。このレトリック上の違いに対する一つの自然な説明――彼の反リアリズムを証拠立てるかなりな量の発言を考え合わせると自然な説明――は、道徳の場合、何らかの事実があるとはニーチェは考えていないということである。


  第二に、「あらゆる価値の価値転換」を試みるとき、すでに見たように、ニーチェは、「高次のタイプの人間」に対して、MPSが、実は、彼らの繁栄に資するものではないという事実に警戒させる。彼は 彼の読者に相応しい人間――その「耳が自分の耳につながっている」人びと――に、MPSの危険に「目覚め」させる必要を感じる。これは、「道徳そのもの」であると称するMPSの主張によってそれだけ困難な仕事となる。ニーチェのターゲットが高次の人間のある種の誤解であるとして、この誤解の中に登場する規範(MPSの規範)を何か別のものに取り代えることの困難を考えると、ニーチェが情熱と力をもって書くことは驚くべきことではなくなるはずである。彼は、高次の人間を、2千年の道徳的伝統に対する直感的な義務感から振り払って、切り離さなければならない! おまけに、ニーチェの自然主義や、それが非意識的な欲動やタイプ-事実に割り振る優越な役割のために、彼は理性や論証の有効性には懐疑的になってしまうのである。しかし、理性的な説得の有効性について懐疑的な人間は、それ以外の修辞的な手段による説得を選ぼうとするだろう。


  第三に、そしておそらく最も重要なことだが、ニーチェのような修辞的なトーン――それが、 彼の人生の文脈の中で見られたとき ――が示唆しているのは、実は、その内容に関するリアリズムではなく、ますます遠くなり無関心になる聞き手に到達しようとする筆者の必死の素振りなのである。病気が知性を消し去り正気を奪う前の数年間ほとんどまったく黙殺されたニーチェが、ますます声高で暴力的になる修辞に訴えかけたのは、聞き手のいない状況に対する失望のあまりだったのであって――彼がリアリストであったためではなかっただろう。実際、価値リアリズムを証拠立てる明確なテキストがないので、この点が、このセクションで重要なほとんどの個所をもっとも説得的に説明するように思われる。


  これらの様々な理由から、ニーチェのレトリックの性格は、価値についての彼の反-リアリズムと両立可能なものとして理解することができるのである。





」 (おわり)












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ニーチェの道徳・政治哲学(その6)  [探求]

  スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第6回目。

  ここでは、ニーチェの哲学についてのリアリズム的(実在論的)理解に基づいた解釈が取り上げられ、その批判が展開される。ニーチェとリアリズム(実在論)と聞くと何か水と油のような印象をもつ人もいるだろうが(私もそうである)、晩年の「私はあらゆるものに力への意志を見出した」というニーチェの言葉をそのまま彼の道徳解釈に適用した解釈者がいるようであるし(英米系では一応名高いシャハトがその代表者)、確かにそういう解釈はある種のもっともらしさを要求できるだろうとは思う。しかし、そのためには、ニーチェのうちにある圧倒的な反リアリズム的要素とどう折り合いをつけるかという非常に難しい問題と取り組まざるをえない。執筆者のライターの見解ははっきりしていて、「力への意志」を原理に据えるようなことをニーチェは考えていなかった。そのような発言は遺稿の中に散発的に見られるが、発表した著作ではついにそういう見解をニーチェは述べたことがなかったことが、そのことを示唆しているという。





Nietzsche's Moral and Political Philosophy . By Brian Leiter.
http://plato.stanford.edu/entries/nietzsche-moral-political/



3. ニーチェのメタ倫理



  ニーチェは、倫理的(つまり、MPSの)価値は人間の卓越性の繁栄に寄与しないと主張し、この事実に言及することで、彼はMPSの価値を評価しようとした。別種の価値を再評価するという試み(それを「価値転換された価値」と呼ぼう)は、当然ながら、次のようなメタ倫理的な問いを将来する。この再評価を試みるために用いられる価値(「再評価する際の価値」)は、どんな――形而上学的、認識論的――身分を有しているのか?(ニーチェが価値判断についての明確な意味論的見解をもっていたということは疑わしい(Hussain 2013, esp. 412.)。ライター(Leiter (2000))に従い、われわれはニーチェのメタ倫理についての「特権ありの読み方」――それは、ニーチェが自分の価値評価の観点こそ真正なものである(あるいは、ターゲットとなるMPSよりはより良く正当化できる)と考えていると主張する――を、そうした特権の主張を否定する読み方から区別する。(後者の「懐疑的」見解の支持者はニーチェを全面的な反-リアリストとして読む必要はない――つまり、どんなものにも真理や事実は存在しないし、ましてや価値についての真理など存在しないと主張するものとして読む必要はないことに注意せよ。こうした主張は、今では、ほとんど信用されていない。ここで問題となっている懐疑的見解に立てば、価値の客観性について特別な問題が存在することになるのである)。



3.1  特権ありの読み方


 ニーチェについて特権を認める読み方は、以下の三通りの形をとりうる。直観主義的リアリズム的読み方 (Intuitionist Realist (I-Realist))。自然主義的リアリズム的読み方(Naturalist Realist (N-Realist))。特権ありの非―リアリズム的読み方( Privilege Non-Realist (P-Non-Realist))。これらの見解の支持者は次のように考える。

(ⅰ) I-Realistによれば、非自然的で規範的事実が存在し、その事実は独特の事実で、何らかの適当な規範的「知覚」行為によって把握される。

(ⅱ) N-Realistによれば、規範的事実が存在するのは、規範的事実がある種の自然の事実(それは何らかの意味で具体化されなければならない)によって構成されるからである。

(ⅲ)  P-Non-Realistによると、規範的事実は存在しないが、何らかの規範的判断は、対人的なアピールや承諾によって特権を享受する。


  「規範的事実」が存在するということは、ここでの目的にとっては、規範が(何らかの意味で)世界の客観的特徴であるということを意味する。現在までのところ、ニーチェを直観主義的リアリストとして解釈した人はいないが、シャハト(Schacht (1983) )やウィルコックス(Wilcox (1974))は自然主義的でリアリズム的な読み方を擁護する一方で、フット(Foot (1973) )は、特権を認める非―リアリズム的読み方を擁護した。こうした特権を認める読み方を悩ます困難を順に考察することにしよう。

  自然主義的リアリズム的読み方によると、ニーチェの主張は、第一に、実際に価値をもつのは力(power)だけであり、第二に、力は客観的で自然の中にある属性である。ニーチェの価値評価の観点には特権があるのだが、それは、そこに、(ⅰ)力の度合いという観点から打算的価値(主体にとっての価値)を評価することが含まれるからであり、(ⅱ)打算的価値の最大化(つまり、力の最大化)という観点から非打算的価値を評価するということが含まれるからである。(用語についての注意書きをここに挟もう。通常の約束に従い、厳密な意味でのN-Realistは、価値をもつものは自然の属性であるということのみならず、価値そのものが自然の属性であると考える。この微妙な問題についてのニーチェの見解を明瞭に示すテキストはないが、それでも、二つの理由から、N-Realistというレッテルを使うことには意味がある。第一に、この読み方の擁護者は、ニーチェの見解を「自然主義的」なものとして扱っているからである。第二に、それは、実際、19世紀のお馴染みな意味で「自然主義的」である。つまりそれは、何らかの超自然的属性が存在することを否定しているからである。価値の理論において、ニーチェを一種の自然主義者として、つまり、善性を非自然的(たとえば、イデアのような)で超自然的属性に付随するものとして見なす宗教的、半-宗教的理論に抵抗するという意味で、ニーチェを自然主義者として考えるのはもっともなことだろう。こうした理論とは対照的に、ニーチェは、善性が自然にある(と考えられる)属性、すなわち、力に付随するものであると主張するのである)。

  シャハトによると、「生および世界の根本的性格」を力への意志と見なすニーチェの見解が、ニーチェ自身の価値評価の観点を根拠づけていると考えられる (1983: 348–349)。ニーチェが(シャハトが引用している個所で)書いているように、「生そのものとは力への意志であると仮定するならば」、「生には、力の度合いを除くと、価値をもつものはなにも存在しない」 (WP 55)。ニーチェによる価値の価値転換の試みとは、倫理的価値を、その「力の度合い」に基づいて評価することになるが、その「力の度合い」が「価値の客観的基準」を構成する(WP 674)。シャハトの見解の特権はそこに由来する。それは、生の中にあって(事実上)唯一価値をもつもの(つまり、力)を価値評価の基準としてもつのであり、価値評価にあたって(つまり、「力」を最大化しないからという理由でキリスト教の道徳を批判することによって)この「客観的価値基準」を使用するのである。

  N-Realistの読み方に立てば、ニーチェの論証はどうなるのか? 説明せよと迫られても、論者たちの歯切れはよくない。たとえば、シャハトは次のように書いている。

  「ニーチェにとって、人間の生は、最終的には、一種の広大なゲームの一部なのだ…それは、いわば、街中で行われる唯一のゲームである。…このゲームの本質は、その範囲の中に入るあらゆるものの価値評価のための基準を設定することにある。この基準の有効性は、生と世界の了解がそこに立脚するのと同じくらい堅固な土台の上に、価値評価を位置づけることにある」(1983, p. 398)。

  「街中で行われる唯一のゲーム」という言い方はあまりに比喩的すぎて、求められる哲学的重圧に耐えられそうもない。「生そのものが力への意志である」という事実から、どうして、力こそが唯一の価値基準であるということが帰結するのだろう?たとえば、あらゆる生物は物理学の基本法則に従っているという事実からは、適当な価値基準について何も帰結しない。シャハト等が念頭に置いていると思われることは、ジョン・ステュワート・ミルが功利主義のために展開した論証に似ている。その論証は、幸福こそ人々が欲し目指す唯一のものなので、幸福こそ内在的価値を有する唯一のものであるという前提から出発する。しかし、この論証は、よく知られているように、成功していない。幸福だけが望まれるものだという事実から、望まれるべきであるものについては何も帰結しない。ニーチェの論証をこれに似た仕方で解釈する試みも似たような問題に逢着するのである(ライター(Leiter 2000 )がこの類似性を詳しく論じている)。

  1861年の『功利主義』での効用の原則についてのミルの周知のよく批判される「証明」に基づくと、あるものが可視的であることを示すために、われわれは、それが見られていることを証明しなければならない。何かが聴取可能であることを示すために、われわれはそれが聴かれていることを示さなければならない。それ類比的に
(P) 何かが望ましい(すなわち、価値がある)ことを示すためには、それが望まれていることを示せ。

  ミルの快楽主義は、幸福と快楽のみが内在的に望ましい(あるいは価値がある)(「規範的快楽主義(Prescriptive Hedonism)」)と考える。価値をもつ(あるいは、望ましい)ものは何もないという見解を「価値ニヒリズム(Value Nihilism)」と呼ぶことにしよう。(P)から規範的快楽主義を得るために、「記述的快楽主義(Descriptive Hedonism)」――人々は、実際、快楽だけを目的として望んでいるというテーゼ――を作動させよう。 (P)が妥当し、記述的快楽主義が正しく、価値ニヒリズムが間違っているならば、規範快楽主義が正しいことが帰結する。(もちろん、(P)は妥当しないのだが、この点はは後で立ち返ることにする)。

  同じタイプの論証が、ニーチェについてのN-リアリズム的解釈が念頭に置いていることを捉えているように思われることに注目しよう。つまり、価値あるものは力であるというN-リアリズム的結論を得るために、(P)を取りあげて、力への意志のニーチェの記述的見解の強い形式――大雑把に言って、すべての人は内在的に力のみを望むという見解――を作動させよう。もし(P)が妥当して、価値ニヒリズムが間違っていて、力への意志についての記述的見解がただしいならば、そこから、シャハトが求めている力についての記述的結論が帰結するように思われる。(もちろん、ここで定式化されたミルのモデルに基づく論証が示しているのは、力は主体にとって非道徳的な意味で価値がある(あるいは、善である)ものであるということにすぎないことに注意せよ。もちろん、打算的な価値や非-道徳的善に対するミルのモデルに基づいた論証が有効でないならば、それは、打算的価値は力の最大化にあるとする関連する見解を支持するさらなる論証がないと想定することに(無効にできるかもしれないが)強力な理由を提供するのである)。

  この「ミル的論証」にはどんな問題があるのか? 最初の問題は、もちろん、(P)が妥当しないということである。xが聞こえる(x is heard)ことから、xが聴取可能である(x is audible)ことは帰結するが、xが望まれている(x is desired)ということから、(論証に必要な意味で)xが望ましい(x is desirable)ということは帰結しない。なぜなら、 「聴取可能(audible)」は「聞くことができる(can be heard)」と言い換えられるが、規範的快楽主義の文脈での「望ましい(desirable)」は、「望まれるべきである(ought to be desired)」を意味する(望まれ「うる」(can be desired )とか望まれて「いる」(is desired)を意味しない)。だから、
xが聴かれるならば、xは聴かれうる(「可聴的である)(If x is heard, then x can be heard (‘is audible’))は成り立つが、

  xが望まれるならば、xは望まれるべきである(「望ましい」)(If x is desired, then x ought to be desired (‘is desirable’))は成り立たない。

  しかし、快楽や力が価値があると主張するとき、ミルやN-リアリズムのニーチェは規範的なテーゼを述べているのである。しかし、この規範的なテーゼが正しいことは、それに対応する記述的テーゼから帰結することはないのである。


  もちろん、多くの論者は、このような論証をあまりに表面的な反応と考えてきた。価値の理論で多くの哲学者が信頼できると考えた「内在的制約(Internalist Constraint : IC)」を加えることによって、これまでの論証を補うことにしよう。

  (IC) ある人があるものに関心をもつ(望む)ことができるのでないならば、そのあるものがその人にとって価値をもつことはありえない。( Something cannot be valuable for a person unless the person is capable of caring about (desiring) it.)

  この(IC)を導入するのは、ある人が関心をもつ(または、関心をもちうる)ことにxが縁遠いならば、その人にとって「xは価値がある」ということが正しくなることはないと考えられるからである。信頼のおける価値の概念は、ある人の現在の(あるいは、潜在的な)関心の幅と何らかの強い関連をもたなければならない、と(IC)は想定するのである。

  (IC)はどれほど役に立つだろうか? (P)を思い出してみよう。
(P) 何かが望ましい(すなわち、価値がある)ことを示すためには、それが望まれていることを示せ。

  さて、(IC)はどのようなものが望ましい(または、価値をもつ)について制約を課す。つまり、主体が、実際、関心をもつ(または、のぞむ)ことができるものだけが望ましい(または、価値をもつ)、ということになる。すると、(P)は次のように定式し直すほうが良いであろう。

  (P ')何かが望ましい(すなわち、価値がある)ことを示すためには、それが望まれているかあるいは望まれうるということを示せ。

  (P ')は、今や、たんに(IC)の異なる定式にすぎなくなる。もしわれわれが(IC)を受け入れるならば、われわれは(P')を受け入れるべきである。しかし、われわれが「記述快楽主義」が正しいことを、つまり、快楽のみが、実際に、望まれているということを認めるならば、どうなるだろうか?その場合、快楽のみが望ましい(望まれるべきである)ということが帰結するだろう。(価値ニヒリズムが偽であることを前提したうえで)。つまり、あるものが望まれるべきであるのはそれが望まれうる場合に限るのであるから(内在主義)、xのみが望まれうるならば、xのみが望まれるべきであることになる(価値ニヒリズムが偽であることを前提したうえで)。

  この論証は、N-リアリズム的ニーチェを救うだろうか? 二つの障害が残されるのである。第一の、たぶん深刻ではない障害は、われわれは(IC)を受け入れる何らかの理由をもたなければならないということ――あるいは、もっと控えめに言って、ニーチェはそれを受け入れると考える何らかの理由をもたなければならない、ということである。しかし、ニーチェがこの問いに対してどのような立場にあるかを言うための適切なテキスト上の根拠があるということは明確ではない。しかし、(IC)は、N-リアリズムを支持する『遺稿』におけるニーチェの発言によって前提とされている――そうした発言が(IC)抜きだと良好な論証とならないという意味で――ように見えるので、ニーチェは(IC)を受け入れていると認めることにしよう。そして、(IC)を一般的な哲学的問題として受け入れるべきであるかどうかという厄介な問題は脇に置くことにしよう。

  それでも第二の困難は残る。すなわち、N-リアリズムのための論証は、それに関連する記述的テーゼの正しさ、ニーチェの場合だと、力への意志のテーゼの正しさに依存している。これは二つの問題を提起する。第一に、ニーチェが刊行に踏みきった作品で、彼は、N-リアリズムの論証に必要な強い形でのテーゼ(つまり、人間が目指したり望むのは力のみであるというテーゼ)を、実は、受け入れなかったように見えるということである。第二に、それは、その強い形のままではどうしても信頼できるテーゼではないということである。

  その新たな形で動作するN-リアリズムのためのミルのモデルに基づいた論証が新たな形で(つまり、(IC)を補った形で)うまくいくためには、望まれるべき(「価値がある」)ものが、実際に望まれる唯一のものであるのでなければならない。N-リアリズム的なニーチェの結論は、力のみが価値があるということなのだから、力こそが実際に望まれている唯一のものなければならない(あるものが価値をもつこと、つまり、価値ニヒリズムが偽であることが前提されている)。もちろん、多くの人々が、ニーチェはまさにこの見解を採用したと考えてきたし、ニーチェはそれを示唆することをたくさん述べているのは明らかである。ツァラトゥストラは「私は、生きるものを見出したところに、力への意志を見出した」と述べている(Z II:12)。ニーチェは「生の意志である力への意志」に言及する(GS 349)。「生の真に根本的な本能は...力の拡大を目指す」とニーチェは言う(GS 349)。「生とは、端的に言って、力への意志である」ということは、「成長し、広がり、つかみ取り、支配的になろうとする努力」であるということである(BGE 259)。彼は「あらゆる出来事に力への意志が働いているという理論」に言及する(GM II:12)。彼は「生き物は何よりもその力を放出しようと努める――生そのものが力への意志なのである」と主張する(BGE 13)。等々。

  難点は、ニーチェがこうした強力な発言が誤解を招くものであることを示唆するような事も言っているということである。たとえば、生そのものは、私には、成長のための本能であり、持続のための本能であり、力の蓄積のための本能であり、力のための本能である。力への意志が欠けているところには、衰退がある。人類の至高の価値はすべてこの意志を欠いているということが私の主張である...。 」(A6)

  しかし、すべての行動がこの意志を明示しているとすれば、この意志が欠けているということは決してありえないだろう。だが、ニーチェは、それが欠けることがありうると考えていて、それはつまり、ニーチェは、誰もが力を目指して(「望んで」)いるとは限らないという可能性を黙認しているはずだということを意味している。

  今引用した一節はニーチェの思考を逸脱したものではない。同じ著作の後の方で、彼は「いかなる形をとるにせよ、力への意志が衰える場合」(A 17)に関して同じ主題に戻っている。『アンチ・クリスト』の直前に書かれた著作で、彼はリベラルな諸制度の「効果」は「十分に知られている。それらは、力への意志を弱体化させている」と主張している(TI IX:38)。そして、直後の著作(ニーチェ最後の著作)で、ニーチェは「現実の恐るべき側面(感情における、欲望における、力への意志における)...」に言及する(EH IV:4)。それは、確かに力への意志が単に現実の様々な特徴の一つであるかのように響く――それは、感情や欲望と並ぶものであって、それらすべての本質的な核心ではないかのように響くのである。

  力への意志の強いテーゼをニーチェに帰属させることに反対するために、さらにテキストに基づく一般的な考察を三つ加えることにしよう。第一に、強いテーゼの擁護者たちが信じているように、「ニーチェの根本的な原理は「力への意志」である」ならば、ニーチェの著作において自己反省が前面に出ている二つの個所で、なぜニーチェ力への意志についてほとんど何も言わないのか――そしてそれが自分の「根本的な原理」であると示唆することを全く何も言わないのか――理解しがたいことになる。自己反省が前面に出ている二つの個所の一つはニーチェの最後の大作である『この人を見よ』で、そこで彼は自分の生涯と自分の著作物、特にそれまでに書いたすべての書物について再考している (EH III)。もう一つは、1886年に彼が、『悲劇の誕生』、『人間的な、あまりに人間的な』、『曙光』、『悦ばしき知識』のために書いた一連の新たな序文であり、そこでニーチェは自分の主要なテーマを再考している。いずれの機会にも、この「根本的原則」と想定されているものに何の言及もなされていないということは、それがニーチェの思考において果たした役割が誇張されすぎたことを示唆しているのである。

  第二に、いま問題にしている見解は、力への意志について異常なまでに強い理論を前提にしている。つまり、すべての生(行動、出来事)は力への意志を反映しているという趣旨の理論を前提にしている。しかし、最近の研究は、ニーチェが最終的にそのような理論を受け入れたかどうかについて疑問を投げかけた。 ニーチェの全著作において力への意志についてのべた最も有名な個所は、たとえば、『力への意志』の最後のセクション(1067)であるが、そこで彼は次のように断言する。「世界は力への意志である――そしてそれ以外の何物でもない。そして君たち自身もまた力への意志である――そしてそれ以外の何物でもない」。これは、長年にわたり注釈者のお気に入りだったが、この箇所には、『遺稿(Nachlass)』研究の第一人者、故マッチーノ・モンティナーリ(Mazzino Montinari)の不信の目が向けられた。モンティナーリは、ニーチェが、実は、この箇所を1887年の春ごろに破棄したことを示したのだ(1982, pp. 103–104)!  モンティナーリが記したように、「ニーチェの文学的意図」(1982, p. 104)にもかかわらず、この箇所はケーゼリッツ-フォースター版の『力への意志』の一部にさせられたのである(これが、カウフマンとホリングデールの英語版の土台となった)。

  最後に、モードマリー・クラークは、ニーチェが力への意志に対して与えたと想定される論証を考えるならば、ニーチェが力への意志の理論のもっとも強力な形式――つまり、有機的なものであれ無機的なものであれ,あらゆる力は力への意志であるという理論――を受け入れたことはありえないと主張した。クラークは、ニーチェが公表した著作の中で力への意志の理論に対して与えた唯一の論証――『善悪の彼岸』のセクション36――は条件的形式で述べられている。つまり、ある種の原初的仮定を受け入れるならば、力への意志の強い理論が帰結するとニーチェは考える。しかし、その条件文の前件の一つは「意志の因果性」であり、ニーチェは別の諸作でそうした因果性を明らかに拒絶しているとクラークは主張する(GS 127, TI II:5, TI VI:3)。

  ゆえに、このセクションは、ニーチェ自身が実際に受け入れているとされる力への意志についての最強の理論のための論証を構成することはできないことになる! 最強の形式の理論を受け入れているというよりも、クラークは、ニーチェが、いくぶん皮肉っぽく、その周辺の個所で彼がそうならないようにと警告している哲学者の欠陥を具体的に示している、と主張するのである。それは、すなわち、現実の本質を示すと称しながら、自分自身の価値評価を投影しているにすぎない哲学者の傾向のことである(Clark 1990, pp. 212–227)。たとえば、ニーチェは「自然に従って生きる」というストア派の教えについて、「君たちは君たちの掟の規範を自然のうちに読み込もうと強弁するが、その反対のことを望んでいるのだ。… 君たちのプライドは、君たちの道徳、君たちの理想を自然に押しつけようと望んでいるのだ…」(BGE9)。力への意志のニーチェ自身の理論はこうした非難を免れていることなどどうしてありえようか、とクラークは怪しんでいる。(刊行された著作のうちで『力への意志』の1067の生き残った名残は『善悪の彼岸』の皮肉っぽいセクション36であるとモンティナーリが主張していることにも注意せよ(1982, p. 104))。

  では、ニーチェは力への意志についてどのように考えていたのか? 他の人も指摘しているが(例えば、Clark1990:209-212)、最初に述べられたときでも、その後に述べられたほとんどの個所でも、力への意志のニーチェの理論は、心理的的性格のものである。力への意志は、広範囲にわたる人間の行動に対する最良の心理学的説明として提起されているのである。しかし、これまでの個所と考察が明確にしているように、ニーチェは、力への意志がすべての人間の行動のための独占的な説明であると信じていたとは思われない。ニーチェはしばしばこうした強い形式の主張を展開しているように見えるが(上記の例を参照)、われわれとしては、ニーチェは自説を誇張して述べた――誇張的なレトリックや論争を好む性向のために、ニーチェはしばしばそうしたのだ――か、上で述べたように、クラークが記述した皮肉っぽい戦術を打って出た、と見なさなければならない。もちろん、そう考える方都合がよいのであって、なぜなら、力への意志があらゆる人間の行動を独占的に説明するものだということはほとんどありそうもないからである。

  力への意志が価値の客観的基準を提供するという論証にとってもう一つ別の、テキスト上の懸念がここに潜んでいる。力が価値の客観的基準であると示唆しているように見える発言をニーチェがしているのは『遺稿』においてのみだが、それがニーチェが生前に決して出版しなかったものである。ニーチェが実は出版された著作においても力への意志についての強い記述的理論――生命のあらゆる力(おそらくあらゆる力)は力への意志であるという理論――を述べていると考えたとしても、やはり、ニーチェがこの理論を使うのは、『遺稿』の草稿に出てくる規範的結論を主張するためである、ということは依然としてかわらない。研究者たちは、この『遺稿』の草稿の規範的身分について重大な疑義を呈しているので (Montinari 1982, pp. 92–104; Hollingdale 1985, pp. 166–172, 182–186)、このことが示唆するのは、ある見解が、こうしたノートで述べらえたことに基づいてのみ、ニーチェに帰されるべきではないということであるが、しかしまさにそれこそ、N-リアリズム的読み方が要求していることなのである。

  ニーチェに何らかの価値リアリズムを帰しているわけではないが、フィリッパ・フットは、シャハトと同様に、ニーチェは単に彼独自の見解、対人的正当化の余地のない見解を表明する以上のことをしている、ということを示そうと考えた。ニーチェの意図は、部分的には、「利害の衝突を――強者の善と弱者の善の対立をわれわれに提示すること」であることに同意するが、フットは、「これがニーチェの示唆したいことのすべてではない」と付け加える(1973: 162)。ニーチェは「強く、独立した等々の者は誰でも――高次のタイプの人間についてのニーチェの記述に当てはまる者は誰でも――自分自身の中に価値を有する者である」と指摘しながら(163)、フットは続いてこの価値の概念を次のように説明する。

  「われわれは強く例外的な個人を高く評価すると言うことには意味がある…。例外的な人間に対する反応にもパターンというものがあり、ここに美学的な根拠に基づく価値評価と似た価値評価をここに見ることができる。…私がここで考えているのは、例外的な心の独立と意志の強さをもつ際立った人間に対する共通する態度である関心と称賛である。 …[ニーチェ]は…われわれが強力で素晴らしいと見るある種の個人を賞賛する傾向に訴えているのである…。ニーチェが芸術作品に価値(美的価値)を帰する仕方と、ニーチェがある種の人間に帰する価値との間には類似性があり、そのどちらもが一連の共通の反応に基づいている…。」(1973:163)
だから、ニーチェは、この説明に基づくかぎり、自分の価値評価の視点が真理に関わるものであると主張しているわけではない。彼の主張は、単に、それが、「際立った人間に対するわれわれに共通の態度」のために、「ある種の個人を称賛し、それが美的に魅力的だと思うわれわれの傾向」のために、ある種の対人的アピールをもつということにすぎない。高次の人間本当に価値のあるものなのかどうかについての事実はないかもしれないが、ニーチェの価値評価の観点は、われわれすべてに対するアピールのおかげで特別なものとなる。われわれは皆、高次の人間の繁栄に関心をもっているように思われるのである。

  しかし、ニーチェは、彼の道徳批判のロジックを前提にする限り、「高次の人間」の繁栄が、そうした人間を賞賛する「われわれの傾向」にアピールする、あるいは何らかの「共通」の態度にアピールするという見解を受け入れることはありえないだろう。これは、『ゴルギアス』におけるプラトンのカリクレスに倣って、ニーチェのカリクレス主義と呼べそうなものから帰結することである。いまや、注釈者にとっては平凡なことになったことだが、ニーチェはカリクレス主義者のある種の見解を受け入れなかった。その見解とは、「良く生きようとする者は誰でも、もっとも偉大になろうとする欲求に耐えるべきであり、それを抑止してはならない」という見解である(ゴルギアス、419e)(Nehamas 1985:202-203; BGE 188)。しかし、より重要な点でニーチェの見解はカリクレス主義的である。すなわち、弱者が道徳を利用するのは、「生まれついてより良い者たちを奴隷にするためである」(ゴルギアス、491e-492A)、あるいは、「弱い人間たち、多数派が自分たちの利益になるように法律(そして、道徳を、と付け加えてもいいだろう)を作るのは、他人を追い越すことは恥ずべきことであり悪しきことだと言うことによって、「強者を」をおどすためだ」(ゴルギアス、483b-D)といったカリクレスの理論を容認している点で、ニーチェはカリクレス主義者である。要するに、カリクレスの見解は、道徳は単に、強者ができることができず、その代わりに、強者の行動を道徳の呪縛のもとに置こうとする弱者の打算にすぎない。もちろん、これは本質的にニーチェの見解でもある。だから、たとえば、ニーチェは奴隷の道徳を単に「もっとも低い次元の狡知[Klugheit]」として記述し (GM I:13)、ある個人を畜群の上に高め隣人を脅かすすべては...悪と呼ばれる」と述べたり(BGE 201)、そしてまた「道徳的判断や非難は精神の狭い人間が精神が狭くない人間に対して行うお気に入りの復讐である」(BGE 219)と述べたりするのであるし、「弱者や凡庸な人間が…強者を弱体化させ打倒する主たる手段が道徳的判断だ」と主張したりするのである(WP 345)。

  思い出してほしいが、フットは、ニーチェが単に「われわれに、利害の衝突――強者の善と弱者の善の対立を提示している」だけだという見解に抵抗しようと思っている(1973:162)。その代わりに、フットは、ニーチェが高次の人間(普段は、道徳的価値の支配に妨げられている人間なのだが)を称賛しようとする「共通」の傾向にアピールしていると述べている。しかし、ニーチェのようなカリクレス主義者にとって、高次の人間の繁栄を実際妨げているということが、道徳がアピールするものの一部なのである。それが正しいならば、彼は「高次の人間」の繁栄がすべての人にアピールするとはニーチェは考えることができないだろう。まさにそうではないからこそ、低級で卑俗な者たちが高級な者たちの繁栄を阻止するために、真っ先に道徳が登場するのである。このことは、高次の人間が、低級で卑俗な者たちの目から見て賞賛すべき者になりうることを否定しない(だから、彼らは妬むのである)。しかしそれは、ニーチェの価値評価の観点――高次のものを妨げるということが道徳に対する異議となるという観点――が、こうした勝算が共有されているおかげである種の特権をもちうる、ということは否認する。カリクレスの世界像に立てば、高次の者と低次の者、強者と弱者の間には根本的な敵意が存在するのであり、その敵意は、低次の者に高次の者を称賛するよう働きかけ、弱者に強者を称賛するように働きかけることによって、架橋されることはないのである。「多数者の幸福と、少数者の幸福は価値に関する正反対の観点である」と、ニーチェは『道徳の系譜』の第一論文の終わりの注記でそう述べている。ニーチェのあらゆる価値の価値転換を経ても、こうした対立する道徳の規範的主張を首尾よく仲介したり調停できるようになる価値評価の観点はないのである。



」(つづく)


















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ニーチェの道徳・政治哲学(その5) [探求]

  スタンフォード大学・哲学百科事典の「ニーチェの道徳・政治哲学」(ブライアン・ライター執筆)の紹介の第5回目。ここでは、ニーチェの理論の積極的な側面を、別の伝統的な倫理学理論と類比的に理解できないだろうか、という試みがいろいろ紹介されている。実際、別の「徳倫理」をあつかった書物でもニーチェに言及するものがあったように思われる。そういうことが、流行っているのだろうか?

  この長い一節でとりわけ私が面白いと思ったのは、「高貴」についてのニーチェの考え方を著者がまとめている個所である。高貴な人間には「意志の疎通は成り立たない」というのが面白い。高貴な人間は、人とコミュニケ―トする必要性を感じない。彼は、自分の仕事だけで手一杯なのだ。また、高貴な人間は、他人を道具としてしか見なさない。他人の存在は自分にとって何だというのだ? それは、せいぜい、自分の作品が実現するために意義をもつにすぎないのだ。

  こうしたカント的な道徳に対して唾を吐くような考え方は、時代錯誤的な貴族趣味と映るかもしれないが、まったく世間から隔絶した孤独のうちにあったニーチェの生活信条だったのだろうと考えた方が事実に近いだろう。「高貴な人間は自己に対して畏敬の念をもつ」という考え方も面白い。彼の世界には彼自身しかいないのだから、その唯一の人間に畏敬の念をもたないでどうする? それは、エゴイズムでもナルシシズムでもない。完全な孤独の状態にいる者にとって、自己に対する畏敬の念とは、生存を支える唯一の信念であり信仰ですらあるのである。 


 
Nietzsche's Moral and Political Philosophy . By Brian Leiter.
http://plato.stanford.edu/entries/nietzsche-moral-political/






  ニーチェの道徳・政治哲学(その5)


 2.ニーチェの積極的倫理観



  積極的で内在的な価値が帰される事態(つまり、高次の人間の繁栄)についてニーチェが彼なりの見解を抱いているのは明白であるが、彼の道徳批判の中心を占めるそうした価値評価からどんな種類の倫理が出てくるかについては、解釈者の間にいっそう多くの意見の相違がある。とりわけ有力な候補が二つあって、一つはニーチェが一種の徳倫理のようなものを採用しているという解釈であり(Hunt 1991; Solomon 2001)、もう一つは、ニーチェが完全論者であるという解釈である(Hurka 1993、Hurka 2007)。これらの解釈は重なり合っていることが判明している ―― 後者の完全性は、しばしば、前者の徳であるのだから ―― のだが、以下で論じられるように、完全論の解釈の方が有利な点をいくつかもっていることが判明することになる。

  ニーチェの「積極的な倫理」をどう解釈するにしても、それは出発点で厄介な問題に直面する。つまり、それは、ニーチェが人間や主体性について自然主義的な考え方をとっているために ―― 特に、人間は非-意識的なタイプ事実によって構成されていて、それが人間の行動を決定しているという考え方をニーチェがとっているために ――、ニーチェに伝統的な意味での哲学的倫理がどのようにしてありうるかは不明となるからである。ニーチェが言うように、われわれは「真鍮製の運命の壁に直面していて、われわれは牢獄にいて、自分は自由だと夢見ることしかできず、自分を自由にすることなどできないのあれば(HAH II:33)、そして個々の人間は、前から見ても後ろから見ても、一片の運命であり、これから生じ存在することになる一切にとってみればさらにもう一つの法則であり、さらにもう一つの必然であるならば (TI V:6)、(『遺構』の草稿でもっと誇張して言っているように)「自発的なものは絶対的に欠落している…すべては最初からある種の軌道にそって方向づけられている」 (WP 458)ならば、そして(やはり誇張して)「人は今ある通りのものにしかならない(一切がどうであれ、つまり、教育や指導や環境や偶然や偶発事がどうであれ)」(WP 458)のであるならば、ニーチェが次のように言ったとしても驚くべきことではない。つまり、「われわれにとって、あるべき人間などという言い方は、あるべき樹木と同じくらい下らない言い方に響く」(WP 332)。


 しかし、「あるべき人間」について語りたがらない哲学者が、規範倫理学を展開するという仕事に相応しいものでないことは明白である。規範倫理学とは、いかに生きるべきかについての体系的で理論的手引きであるからである(その際、その手引きが行動の規則という形をとるか、育成すべき人格的傾向性という形をとるかは問題ではない)。 (ニーチェは徳倫理の理論家であると考える人々にとって、それ以外にも特別の難問が存在する。その場合、ニーチェは真の徳は個々の人間に特有のものであると考えているのだから、それはつまり、理論家が真の徳について言うべき一般的なことは何一つ存在しないということを意味することになるからである[ZI:5])。これはつまり、ニーチェの「積極的」倫理学の問題に対しては、(1)ニーチェが価値評価をするものは何か、(2)彼の価値評価の基準は何か、そして(3)、(1)と(2)に対する回答によって示されるのはどのような価値評価の構造なのか、という三つの点を解明することによって接近しなけらばならないだろう。しかし、もしわれわれがニーチェから何らかのお馴染みの規範的理論(徳倫理であれそれ以外のものであれ)を引きだせると期待するならば、われわれは始めから間違っていることになるのである。

 
  重要なことは、これまでの論点は、価値や価値評価的判断が行動や生き方に対して因果的な影響を与えることができるとニーチェが考えていることを否定するものとして読まれるべきではない、ということである。結局のところ、「あらゆる価値の価値転換」を試みても、そうした価値転換が、例えば、より高次の人間の繁栄にとって帰結をもたないとしたら、または、MPSの価値が高次の人々にとって有害な帰結をもたないならば、「価値転換」を試みても何もならないだろう。価値は因果的な違いを生み出すが、(1.1で議論されたように)意識とは随伴現象にすぎないというニーチェの見解を前提するならば、ある種の道徳的規則を採用したりある種の人格的傾向を育成するために個々人がなす自由で意識的な選択[の欠如]のゆえに、価値はそれほどの違いを生み出さないのである。

 
  この点についてのニーチェの普通とは言えない見解については、「自分自身を創造せよ」とニーチェが人々に要求している良く知られてはいるが誤解されている事実(全般については、Leiter 1998を参照せよ)を詳しく検討することによって、より良く評価できるだろう。たとえば、アレクサンダー・ネハーマス(Alexander Nehamas)は、ニーチェのこの要求を「自己創造の倫理を支持するもの」と読む。ネハーマスによれば、ニーチェにとって「いまある人間になろうと欲する人々こそが」、まさに「新しく独自で比類のない人間、自分自身に法則を与え自分自身を創造する人間」(GS、335)なのだという(1985, p. 174)。残念ながら、ネハーマスは『悦ばしき知識』の引用を誤解を招くところで切り取っている。なぜなら、ニーチェは、省略せずに引用するならば、次のように続けているからである。


  「[自分自身を創造するという]そのために、われわれは、世界における一切の法則的なもの、必然的なものの、最高の学び手と発見者にならなければならない。この意味での創造者になるために、われわれは物理学者にならなければならない[wir müssen Physiker sein, um, in jenem Sinne, Schöpfer sein zu können] -――それに対して、これまですべての価値評価や理想は、物理学の無知に基づいていたのだ...。だから、物理学万歳!」 (GS 335)。


  「この意味での」創造とは、確かに非常に特別な意味である。それは、物理学によって明らかにされた「合法則的で必然的」なものの発見を前提としているからだ。この箇所は、文脈の中に置きなおしてみると、もっと意味をなすようになる。なぜなら、同じセクションで、ニーチェは「すべての行動は測り知れない」と主張する一方で、次のように付け加えているからである。


  「...善についてのわれわれの見解、価値評価、一覧表は、われわれの行動のメカニズムの中の最も強力なレバーの一つなのだが...どの特定の場合においても、行動のメカニズムの法則は証明不可能なものである[unnachweisbar]」。


  このことを確認して、ニーチェは即座に、われわれは善についての新しい一覧表を創造するようにと提案するのだが、おそらくは、われわれの行動を新たな仕方で因果的に決定することをニーチェは目指しているのだろう。しかし、われわれは、価値や行動が属する合法則的なパターンを識別するために、科学の手助けを必要とする。たとえそのメカニズムが証明不可能であるとしても、科学は、少なくとも、インプットとしての価値とアウトプットとしての行動のパターンを明らかにすることはできる。だから、「この意味で」自分の自己を創造することは、「行動についてニーチェが抱く基本的に決定論的な考え方――つまり、識別しがたい潜在意識の原因(タイプ事実)によって行動は決定されるという考え方――を受け入れることであるが 、しかしそれは、行動の因果的決定に現れる「価値」を、新しい予測可能な仕方で識別するために、科学を利用することである。


  そうであるならば、価値は、人々がどう行動するかに因果的影響をもつことになるし、また人々の生の軌跡にも因果的影響をもつことになる。しかし、われわれは、これらの影響が人間の自由で意識的な選択に由来すると期待することはできない。ニーチェの価値判断を補強するような論証や議論をニーチェのうちに見つけられないのは、こうした事情があるからだろう。そうした知的手段は、われわれの意識的な能力に訴えるものであり、われわれの欲望が生み出すものには役に立たない。それと対照的に、ニーチェのしばしば暴力的になる修辞的なスタイルは、ニーチェが望むような読者――「その耳がわれわれの耳とつながっているような」人びと(GS 381)――に対して必要な非-合理的効果を持つと期待されている(または、ニーチェはおそらくそう考えている)のだろう。 (この点についてはさらにセクション4で論じる)。


  ニーチェは、典型的な規範倫理学をもっていないとしても、価値評価についての見解に事欠くことはないのは確かである。たとえば、彼が高次の人間の繁栄に大きな内在的価値を帰しているのは、ニーチェの道徳批判の比較的若い頃の議論から明らかである。しかし、この「高次の人間」とは誰であり、なぜニーチェはこの人間に価値を帰するのか? (『ツァラトゥストラ』においてニーチェはこの理想的な高次の人間として「超人」について語っているが、この概念は、(『ツァラトゥストラ』について論ずる『この人を見よ』の文脈で簡単に言及されることを除けば)成熟期の作品では全く言及されていないことに注意せよ)。「高次の人間」はニーチェにとって重要な概念であるが、「超人」は、高度に様式化された『ツァラトゥストラ』における修辞上のあや以上のものではないのである)。


  ニーチェには「高次の」人間の好みの例が三人いる。ゲーテ、ベートーヴェンとニーチェ自身である! それらの人間の偉大な創造性(ニーチェが言うように、「偉大な創造性をもつ人間」こそが「私の理解する真に偉大な人間」なのである(WP 957)」)を超えて、ニーチェにとってこうした人間を「高次の」タイプの典型とするのは何か? ライターに従い(2002:116-122)、ニーチェが「高次の人間」ならではのものとして挙げている五つの特徴を挙げることができる。つまり、高次のタイプの人間は孤独であり、「統一化する試み」を追求していて、健康であり、人生に対して肯定的であり、自敬的行動を行う。ニーチェの見解では、これらを兼ね備えた人は高次の人間に十分なれることは明らかだが、そのどれもが必要であるかは明らかではないし、それらが様々に組み合わさることで、しばしば、ニーチェの高次の人間についての語り方が十分説明される場合もあるように思われる。


  まず、高次のタイプの人間は孤独であり、他者に対しては道具的にしか対処しない。「選び抜かれた人間はすべて、本能的に自分の城と隠れ家を求めるものだ。そこで彼は、大衆から、多数者から、大多数の人々から解放されるのだ...」とニーチェは言う(BGE 26)。 彼は同じ著作で、「偉大さの概念は、高貴であること、一人でいようと欲すること、人と違うことができること、独り立ちをし独立して生きていかなければならないことである [auf-eigne-Faust-leben-müssen]」 (BGE 212)。実際、高次のタイプの人間は、復讐心のようなものを抱いて孤独を追及する。なぜなら、彼は「どこにいっても敵を作る方法を知っているからであり...たえず言葉を通してではなく行為を通して、大多数の人間と対立するからである」(WP 944)。驚くべきことに、偉大な人間、あるいは高次の人間は、現代の大衆文化でしばしば称賛される「人当たりの良さ」や「生まれつきの善良さ」を欠いている。 「偉大な人間は...意志の疎通が成り立たない。彼は、親しくすることを無趣味だと思う...」(WP 962)。しかし、それ以上に、高次のタイプの人間は、他者とかかわる必要がある場合、非常に独特な仕方で関わる。「偉大なものを目指している人間は、その途上で出会うすべての人間を手段として見なすか、または自分の歩みを遅らせたり阻むものとして――あるいは、一時的な休息の場として見なす」(BGE 273)。だから、「偉大な人間が望むのは...「共感してくれる」心の持ち主ではなく、使用人や道具となる人間である。人々と関わる中で、彼はその人々から何が得られるかをつねに熱心に探す」(WP 962)。偉大な人間が他者に対して道具的に接近するのは、孤独に対する根本的な傾向のためだけでなく、別の際立った特徴のためである。彼は自分の仕事、自分の責任、自分の計画で手一杯なのである。


  第二に、高次のタイプの人間は、何らかの統一化の計画を追求する中で、重荷と責任を求める。 「高貴とは何か?」とニーチェは1888年の遺稿で再び尋ねる。彼の答えは「重い責任を本能的に求めること」である(WP 944)。ゲーテがそうだった。「彼は臆病者ではなかったし、できるだけ多くのことを自分自身に対して、自分自身を超えて、自分自身の中に背負い込んだ」(TI IX:49)。しかし、高次のタイプの人間は、責任と任務を無駄に求めているわけではない。 「偉大な人間は、自分の活動のすべてにおいて遠大なロジックを示す...彼は人生の長大な期間に及ぶように自分の意志を拡げ、自分の周囲にある些末なものをすべて拒絶する能力をもつ」とニーチェは言う(WP 962)。これは、ニーチェが時々「性格」における「スタイル」(GS 290)として言及する特徴である。(この有名な個所(GS 290)は、単に自分の性格に「スタイル」を与えることができる人々――「生まれつき強力な支配欲をもつ人々」――のことを記述しているにすぎないことに注意せよ。この箇所は、誰もがそうすることができるということを前提にしているわけではないし、誰もがそうすべきだという推奨でもない)。実際、ニーチェは、自分自身の生をこうした言葉によって理解したのである。



  「[人の生と作品において]意識を支配するように定められている「理念」が、意識を組織化し、意識の奥深くへと成長し続け――支配し始める。徐々に、「理念」はわれわれを横道やわき道から連れ戻す。それは単独の性質や才能を準備するが、それは、ある全体に向かうための手段として無くてはならないものであることがいずれ判ることだろう――それは従属的な能力を一つ一つ鍛え上げ、やがて「目的」、「目標」、「意味」といった主要な課題を暗示するようになるのである。 このように考えるならば、私の人生はただただ驚くべきものである。「あらゆる価値の価値転換」という課題のためには、たった一人の人間のうちにかつて住み着いた以上の能力が必要だったはずだからである。… 私は自分の内部に何が成長しつつあるのかといったことを、ただの一度も予感さえしなかった ―― 私の能力のすべてが、ある日突然成熟し、すっかり完成した姿を現したのである」(EH II:9)。


  『この人を見よ』の先立つ個所で、ニーチェは自分自身を高次のタイプの人間として、「出来の良い人間」として記述していて(EH I:2)、そこで記述されたような仕方で計画を追及するように駆り立てられることが、高次の人間にのみ当てはまる特徴であると、われわれは結論づけていいだろう。実際、ニーチェが「健康」を賞賛するとき部分的に念頭に置いているのは、まさにこのように本能的に駆り立てられている状態のことなのである。


  第三に、高次のタイプの人間は、本質的に健康で回復力がある。「出来の良い人間」の一つの本質的属性は、彼が「自分の養分になるものだけを美味と感じる。養分になる限度を超えると、快楽も、嗜好も止んでしまう。彼は、害のあるものを摂っても、それを癒してくれるものをすぐに言い当てる。彼は悪しき偶発事を自分の利点になるように利用し尽くす」(EH I:2)。しかし、これは、高次のタイプの人間は健康であると言うことに他ならない。なぜなら、健康の意味することとは、ニーチェによれば、「惨めな状態に対する適切な手段を本能的に選び取る」ことに他ならないからである(EH I:2)。ニーチェは『この人を見よ』で、自分は「根が健康である」と述べていたが(EH I:2)、これは数多くの肉体の病を背負った哲学者にしては一見逆説的な主張に見えるが、上述の健康についての発言を考えるならば、この主張はもっともなこととして理解できる。「健康」とは、ニーチェにとって、病気の不在を意味するわけではなく、回復力に近いもの、通常の(肉体的な)病気や不調に対する対処法に近いものを意味するテクニカル・タームなのである。ニーチェは次のように言う。「典型的に健康な人間にとって、病気であることは、生きることに対する、より多く生きることに対する強力な刺激にさえなりうるのである。実際、私自身の長かった病苦の時期は、今になってみれば、そのように私に思われるのである。…私の生命力が最低となったあの数年間に、私はペシミストであることを止めたのだ。自己回復の本能が貧困と落胆の哲学を私に禁じたのであった」 (EH I:2)。ペシミストを止めることは、MPSを拒絶することである。なぜなら、MPSの影響下においてのみ生は価値を失うように思われるからである。だから、健康であることは、生に対してきっぱりと非ペシミズム的態度をとることである――これは、高次のタイプの人間の第四番目の特徴となる。


  第四に、高次のタイプの人間は生を肯定する、つまり、自らの生の永遠回帰を喜んで意志するのである。『善悪の彼岸』でニーチェは、ショーペンハウアーのようなモラリストやペシミストの理想の対極にある理想を次のように描く。それは「もっとも不遜で、もっとも生命力にあふれ、世界を肯定する人間の理想である。その人間は、かつて存在し、今も存在するものと和解し、耐えていくことを学んだだけでなく、なおそれを、かつてそうであり、今もそうであるように、繰り返し所有したいと欲する」(BGE 56)。もっと簡単に言えば、高次のタイプの人間は、永遠回帰の説を支持し、ニーチェがしばしば「ディオニューソス的」または「生命肯定的」態度と呼ぶものを身をもって示す。ニーチェにとって、人が生に対してディオニューソス的態度をとるのは、人が自分の生を無条件的に肯定する限りでのことである。とくに、人が、生の中にある「苦しみ」や他の苦難を含めたうえで、生を肯定する限りでのことである。だから、「私は喜んで自分の生をもう一度生きてみたいが、ただし最初の結婚はご免だ」と言う人は、今必要とされている意味で生を肯定していることにはならない。したがって、人がニーチェの意味で生を肯定していると言えるのは、その生が永遠に繰り返されることを喜んで意志する限りのことである。実際、ニーチェは「永遠回帰の理念」を「そもそも手に入りうる中でもっとも高度な肯定の定式」と呼んでいる(EH III . Z-1.BGE 56)。 高次の人間は、生に対するディオニューソス的態度によって特徴づけられる。彼らは、自分の生が永遠にわたって繰り返されることを喜んで意志するのである。


  驚くべきことに、ニーチェは、まさにこの態度が自分自身とゲーテをともに特徴づけていると主張する。たとえば、自分の作品が同時代人に無視されていることを話題にして、ニーチェは次のように書いている。「私自身はこのことを苦にしたことはない。必然的なことが私を傷つけることはない。運命愛(amor fati)が私の内奥の性質なのだ」(EH III. CW-4)。ゲーテについて、ニーチェはこう述べている。「このような精神は...快活で信頼に満ちた運命論を抱いて、すべてが全体の中では救われ肯定されるという信仰を抱いて、世界のただ中に立っている... しかし、このような信仰は、あらゆる信仰のうちで最高のものである。私はこうした信仰にディオニューソスという洗礼名を与えたのである」(TI IX:49)。


  最後に、高次のタイプの人間は、他者にたいして、そしてとりわけ自分自身に対して、独特な関わり方をする。彼は自敬の念をもつ。「偉人の「高次の性質」は、他人と異なること、意志の疎通が成り立たないこと、地位が隔たっていることにあるのであって、どんなものであれ何らかの結果にあるのではない――たとえ彼が全世界を震撼させるとしても、それは偉人の性質などではない」とニーチェは1888年の注目すべき『遺稿』のノートで述べている(WP 876;GS55)。これこそ、高次のタイプについてのニーチェの議論のうちでもっとも普通でない特徴である。なぜなら、それが示唆しているのは、高次のタイプであるということは、結局、「態度」または「かかわり方」の問題である、ということだからである。『善悪の彼岸』のあるセクションで、ニーチェは「高貴とは何か」という問いに再度答えているが、今度は次のような答えなのである。「ここで決定的なのは、業績ではなく、信仰である。信仰が位階の秩序を定めるのである。…それは、高貴な魂が身につけている根本的な確信であって、それは、探し求められることもなく、見いだされることもなく、おそらく失われることもないものである。高貴な魂は自己に対して畏敬の念[Ehrfurcht]をもつのである」(BGE 287)。自敬の念 ―― 神に対してそうするように、自己に対して畏敬と尊敬の念をもつこと ―― は、「私はOK、あなたもOK」といった「自助」プログラムや大衆向け心理学のスローガンの増殖が示唆するほど、ささいなものでは決してない。自己嫌悪や自己懐疑や自傷感情の方が、人間にとっては普通の態度である。自分自身について「根本的な確信」を所有することはユニークなことだとニーチェは考えるのだが、それは非常にもっともなことだ。


  自敬のこの姿勢に、高次の人間の関わり方を特徴づける別の弁別的態度が関連する。「高貴な人間は、力あるものとして自分自身を敬う。自分自身に対して力を及ぼし、語る仕方と沈黙の仕方を知り、自分自身に対して厳格で厳しいことに喜び、あらゆる厳格さと厳しさを尊重するものとして、自分自身を敬う」(BGE 260)。 (高次の人間は、当然ながら、快楽主義者ではない。「高貴とは何か?」とニーチェは問う。「(それは)幸福は大衆にまかせるということである。魂の平安、美徳、快適さ、アングロ・サクソン的なスペンサー流の商人根性としての幸福などというものは、大衆向きのものだ」(WP944))。それに先立つ著作でニーチェは次のように説明している。


  「高貴な人々を襲う情熱は独特のものである。... そこには次のようなものが含まれる。他の誰にも冷淡な素振りをする稀で独特な基準の使用。それに対して何の尺度も発明されていない価値の発見。未知の神に捧げられる犠牲を祭壇に供すること。名誉心を何ら伴わない勇気。あふれ出ては人々や物事に恵みを与える自足の状態」(GS 55)。


  実際、孤独の議論ですでに見たように、価値評価の自身なりの基準を設定する能力が、高次のタイプの人間の特徴をもっともよく示す偉業の一つなのである。そして「最高の人間とは、価値を決定し、最高の本性の持ち主に方向性を与えることによって、数千年間の意志に方向を与える者のことである」(WP 999)。


  以上のことをまとめて考えるならば、ゲーテやベートーヴェンやとニーチェ自身のような創造性の天才が高次の人間の好ましい例であるのは何故かということが明らかとなる。なぜなら、高次のタイプの人間の特徴は、芸術的で創造的な活動に向いている特徴であるからである。孤独を好み、自分の任務への絶対的な献身、外部の意見に対する無関心、自分自身と自分の価値についての根本的確信(しばしば他人には傲慢と映る)――これらはすべて芸術の天才のうちに、再三、見いだされる特徴である。(たとえば、ベートーベンは、彼に関する優れた伝記によると、印象的なまでに、これらの特性のほとんどすべてを持っていたことが判る。 Leiter 2002: 122–123を参照されたい)。


  「偉大な創造性をもつ人間、私の理解する本当に偉大な人」(WP 957)、ゲーテやベートーヴェンのような人間が、ニーチェのいう高次の人間の典型であり、その生涯が繁栄する卓越性のモデルであるならば、こうした判断を支える価値理論について、さらには、芸術的な人間の発展を妨げるという理由によるニーチェの道徳批判(MPS)を鼓舞する価値理論について、何か体系的なことが言えるだろうか?


 良く知られた一つの考え方(Schacht 1983, Richardson 1996)によると、高次の人間は、ニーチェの根本的な価値基準であると主張される「力(power)」を体現するものである。このような読み方は、上述の高次の人間の諸特徴を集めても通常の意味での「力」の実例にも「力」の顕現にもならないように思えるので、、残念ながら、力の概念を非常に伸縮自在なものとして使わなければならない。 (ニーチェの根本的な価値基準を「力」として扱うことは、さらにずっと深刻なテキスト上および哲学的な障害に直面する。セクション3.1を参照されたい)。


  それよりもっと示唆に富むのは、ニーチェの価値評価に関する姿勢は完全主義と帰結主義の最大化を結び合わせたものだとするフルカの見解である(1993 and Hurka 2007)。価値をもつものは、ある種の人間的な卓越性(または完全性)であり、諸々の事態は、こうした卓越性の最大化の観点から評価される。フルカの有益な発言が示しているように(1993:75)、ニーチェは、ロールズのマクシミン(maximin)原理とは反対の原理、フルカが適切にも「マクシマクス(maximax)」原理と呼ぶものによって論を進めているように思われる。フルカはこのことを行動の規則として述べているが(「各主体の最優先目標は、生涯価値の平均値の総和ではなく、単独のもっとも完全な個人の最大の生涯価値であるべきであり、または、もし完全性が余すところなく比較可能ではない場合は、少数の最も完全な個人の最大の生涯価値である[1993:75])、しかし、ニーチェを伝統的な規範的理論家として読んではならないという以前挙げた警告を認めるならば、マクシマックスの原則をニーチェのあらゆる価値の価値転換の試みに潜んでいる構造を反映するものとして扱う方が良いだろう。つまり、ニーチェがMPSを拒絶するのは、それが最高の人間の完全性を最大化しないからであり、しかもその際に、ニーチェはそうした拒絶が畜群にもたらすコストを考慮してはいないように思われる(セクション4を参照されたい)。


  以上からは、ニーチェにとって「完全性」の(形式的あるいは実質的な)基準があるかどうかという問いは答えられていない。多くの論者(Hurka 2007; Nehamas 1985; Richardson 1996)は、「スタイル」または「統一性」が、ニーチェにとっての卓越性や完全性の基準であり、そして、実際、上で述べたように、統一化された(または首尾一貫した)生の計画の追求が、ニーチェが高次の人間と見なした人々ならではの特徴であるという考え方に固執している。スタイルや統一性の形式的基準がゲーテやベートーヴェンにしか当てはまらないということは明白とは言えないので、このようなスタイルや首尾一貫性で充分であるかどうかは、解釈上の厄介な問題である。ニーチェがお世辞抜きで「呪われた蜘蛛」 (A 11)と呼んだカントは、長年にわたって創造的生産性の尋常ではないほど首尾一貫したスタイルを示さなかっただろうか?


  その他の論者(Magnus 1978)は、永遠回帰のニーチェの観念(上記のように、生の肯定のシンボルなのだが)を良く生きられた生の基準として見なす。完全性とは、自己の生が、その個別的特徴をすべて具えたまま、永遠に至るまで繰り返されることを喜んで意志することができるように生きるという問題なのである。これもまた、単独の完全性の基準としてはあまりに内容に乏しくもあり、あまりに厳格すぎるように思われる。内容が乏しすぎるというのは、十分軽薄だったり自己満足に浸っている人であっても永遠回帰を意志するかもしれないからである。厳格すぎるというのは、それが、ホロコーストを生き延びたゲーテが喜んでホロコーストの繰り返しを意志するように求めると思えるからである。


  ネハーマス(1985)は、マグナスの見解をある程度共有しているが、そこに独自の要素を付け加える。彼の主張によると、ニーチェは彼が理想とする人間――彼の「高次の人間」――を記述しているわけではなく、むしろ、彼の著作のうちに構成され具体化される「登場人物」という形で、そうした人物を具体化しているのだという。しかし、ニーチェは、彼が敬愛するタイプの人物を、長々と多くの個所で記述している(D 201; GS 55; BGE 287; NCWエピローグ:2; WP 943)。それに、彼は自分自身をそのような人物として記述している(EH I:2)。いずれにせよ、ネハーマスの見解は次のような奇妙な帰結をもたらす。つまり、ニーチェがその生涯の早い時点で積極的な倫理的ヴィジョンをもつためには、ニーチェは、彼が実際に書いた一連の本を書くことを先取りしなければならなかっただろうし、そしてその先取りの中で彼の倫理的理想が適切に具体化されていたことになるだろう! 言うまでもないが、これがニーチェの見解であったと考える理由は何もないのである。







」(つづく)






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