So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

浅草仲見世はもう正月の飾り付け [雑感]

 さっき仲見世の前を通りがかったら、発見。仲見世ではもう正月の飾り付けが始まっていた。まだ始まったばかりで飾りの数はまだ多くない。


001.JPG

 
 巨大な絵馬には、「祝 近代仲見世百三十周年」と書かれている。仲見世の公式HPには、明治維新の政変に続き、浅草寺の所領が政府に没収されたあおりを受け、「明治18年5月(1885)東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣き泣き退店した後、煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が同年12月に完成、近代仲見世が誕生しました」と書かれている(http://asakusa-nakamise.jp/about/index.html)。1885年から130年後の2015年元旦というわけである。「近代仲見世」は、廃仏毀釈の気運の高まりで苦難のスタートだったことが窺えるが、今日は平日にもかかわらずごった返しの盛況であった。目出度い130年目になりそうである。


002.JPG






  

コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

『未知との遭遇』再見 [雑感]

 ある必要があって、久しぶりに『未知との遭遇』を観た。

 私は、実は、封切り当時に観ているのだが、多くの人と同じようにあの巨大なマザーシップの映像に圧倒されたという以外に特別な感慨をもたなかった。今回あらためて観て得た感想は、この映画は意外に理解するのが難しいなあというものだった。というよりまるでストーリーとしてのまとまりがないように思えた。そこで少し調べてみて何となく判ったことがあったので、少しまとめてみた。



1. 映画の発端

 この映画の発端は、若い頃、スピルバーグが父親と一緒にニュージャージー州で流星群を見た体験に遡るという(『未知との遭遇』のアメリカ版Wikiによる。http://en.wikipedia.org/wiki/Close_Encounters_of_the_Third_Kind#cite_ref-Dreyfuss_4-11)。

 この映画でもっとも印象深いシーンは、最後に姿を現すマザーシップの威容であるとしても、地味ながらそれに劣らないくらい印象深いのは、バリー少年の家が満天の星くずの空に包まれるあの静かな夜の情景ではないだろうか。久しぶりにこの映画を観て、最初のいかにもSF的な砂漠のシーンなどはまったく記憶に残っていなかったが、バリー少年の家に場面が移った瞬間に、「こんなシーン確かにあったな」と瞬時に既視感がよみがえった。


1.jpg
(満天の星空のもと、ひっそりとした家)



 満天の星。スピルバーグが流星群を見たときは父親と一緒だったが、バリー少年にはなぜか父親がいない。まだ単語を断片的にしか話せないので、少年は星に向かって祈ることはできないが、いずれ言葉を自由に操れるようになれば、彼には、祈ることが沢山あるのではないだろうか? 映画では、バリー少年の母とロイがよい関係になるかに見えて、最後には別の道へと別れてしまう。バリー少年は、やはり母と二人っきりになってしまう。ここには、スピルバーグ自身の両親が離婚したことが反映しているようだ。そうした個人的な事情は、また後で戻ることにする。

 



2. 比喩としてのシナイ山?


 そもそも、この映画を改めて観ようと思ったのは、栗林輝夫著『シネマで読む旧約聖書』(日本キリスト教団出版局)を読んだのがきっかけだった。

 UFOとの遭遇後に、主人公のロイ・ニアリーやバリー少年が何か山のようなイメージにとりつかれて、山を描いたり土で作ったりするのだが、その山とはシナイ山のことだという説があるようだ。映画の最初にテレビの画面でセシル・B・デミルの『十戒』が少しだけ映るのは、映画全編の内容を先取りしたものであるのだろうか? 栗林氏は同書で、とあるアメリカの映画批評家の言葉を引用しているが、それによると、「この映画がただのSF作品ではなく「暗い旧約聖書の雲の中から現われた光輝く神」と人類の出会いを、異星人の宇宙船に託してつづった聖書物語りである」のだという(同書91ページ)。


 そうか、そういえばスピルバ-グはユダヤ系だったな。スピルバ-グは聖書の主なエピソードを幼少の頃から嫌と言うほど聞かされていたにちがいない。だから、スピルバーグの映画に聖書のエピソードが紛れ込んでいても何の不思議もない。『未知との遭遇』は『出エジプト記』の現代版だったのだろうか・・・・・? 


8.jpg
(シナイ山への神の降臨??)



 ただし、具合の悪いことがあって、それは『未知との遭遇』と『出エジプト記』はそれほど対応してはいないし、もっとはっきり言ってしまうと、ぜんぜん似ていないということである。ロイはシナイ山を目指すモーセなのだろうか? しかし、そもそもモーセ一行はシナイ山を目指したのではない。シナイ山は、あくまでモーセが神の言葉を取り次ぐために単身登って行った中継地点であって、モーセ一行の真の目的地は「約束の土地」カナーンである。そうした共通の目的があるからこそ、イスラエルの民は40年の長きにわたって荒れ野をさまようという過酷な試練を耐えることができた。しかし、何かそれに類する共通の目標がロイとその一行にあっただろうか? ロイとあのバリー少年やその母親ジリアンとの間に何か共通するものがあっただろうか? たぶん何もないのである。ロイが目指していることは、何か他人には理解できない個人的な妄想に近いものとしてしか描かれていないので、それは共有されるものではなかった。だから、最後にロイは宇宙船に乗り込み、バリーとジリアンは地上に残る、という具合に別々の道を歩む。シナイ山で神との契約を交わした後で、イスラエルの民は改めて心を一つにしてカナーンへの道を歩み始めるのだが、『未知との遭遇』には、そうしたことが何もない。遭遇して終わりである。こうした点が『未知との遭遇』のすっきりとした理解をはばむ要因になっているように思われるし、『出エジプト記』との類比を不可能にする要因にもなっている。シナイ山という比喩をスピルバーグが実際考えていたとしても、それはこの映画ではうまく生かされているようには思えないのである。 


 

3. ピノキオあるいはヨナ



 もう一つ、隠し味的に『ピノキオ』のモチーフが使われていることも見逃せない。冒頭で、ロイが「子供ならピノキオを観るべきだ」となぜか子供に向かって怒鳴り散らす。映画の中盤で、山のイメージに取り憑かれたロイが、UFOの新聞記事を片付けるときに、ピノキオのオモチャが現われ「星に願いを」のメロディーを奏でる。


6.jpg
(山への執着をあきらめようとした途端、「星に願いを」のメロディーが流れロイの心は揺れる)




 「星に願いを」は1940年のディズニー映画『ピノキオ』の主題歌としてジミニー・クリケット(コオロギ)が歌った。ロイは、奥さんから皮肉を込めて「ジミニー・クリケット」と呼ばれる。


 『未知との遭遇』の脚本を書いているとき、スピルバーグは「星に願いを」のムードを映画の基調としたようだ。「僕はこの映画のストーリーをこの歌が生み出されたムードに結びつけた、その歌が僕に個人的な影響を及ぼした仕方にね」(『未知との遭遇』のアメリカ版Wikiによる)。



 ここで「星に願いを」の歌詞を掲げておこう。


When You Wish Upon a Star
 

When you wish upon a star
Makes no difference who you are
Anything your heart desires
Will come to you

If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do

Fate is kind
She brings to those who love
The sweet fulfillment of
Their secret longing

Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you through
When you wish upon a star
Your dream comes true
    
   

星に願いを  

星に願いをかけるとき
あなたがどんな人間かは問題ではない
あなたの心が望むどんなことも
あなたのもとにやって来る

あなたの心が夢を見るとき、
どんな願いも遠すぎることはない
夢を見る人がそうするように
あなたが星に願いをかけるとき

運命の女神は優しくなる
女神は愛する人々が
心ひそかに思うことを
優しく実現してくれる

晴れわたる空に稲妻がとどろくように思いがけなく
運命の女神はやって来てあなたを支えてくれる
あなたが星に願いをかけるとき
あなたの夢は叶うのだ




 
 一途に願いを込めれば、それは実現するというのか? ロイもバリーも山のイメージに憑かれたようになる。彼らの願いは実現したのだろうか? ロイは最終的に宇宙船に乗り込むのだから、彼の夢は実現したように見える。しかし、それがロイの夢だったのか? でも、なぜロイはそのような夢を抱くようになったのか? そして、バリーの夢は? バリーも宇宙船に乗り込むことを夢見ていたのだろうか? 確かにそうかもしれないが、なぜ母親の制止を振り切ってまで宇宙船に乗り込もうという夢をもつようになったのか? 実は、そのような動機の部分について、映画は何も語っていないのである。


 ここで、『ピノキオ』からそのオリジナルに目を移してみよう。『ピノキオ』のモチーフは旧約聖書の『ヨナ書』から取られている。『未知との遭遇』に『出エジプオ』の比喩を見い出す人がいるくらいだから、『ヨナ書』のモチーフを見い出す人がいてもおかしくはないと思うのだが、どうも誰もそうしようとはしないようだ。もちろん『ヨナ書』をもち出してきても、あまり違いはないと言えるかもしれないが、「星に願いを」の楽天性に比べると、ヨナの置かれた状況がひどく絶望的であることを知るだけでも、『ヨナ書』を考慮に入れる価値はあると思う。次に引用する箇所は、ヨナが荒れ狂う海を鎮めるための生け贄として、海に放り投げられた直後の場面である。



 「さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。
 苦難の中で、わたしが叫ぶと
 主は答えてくださった。
 
 陰府(よみ)の底から、助けを求めると
 わたしの声を聞いてくださった」(『ヨナ書』2:1-3)。


 
  巨大な魚の腹とは「深淵」の比喩であり、「陰府(よみ)」や「地の底」や「滅びの穴」とも言い換えられている。このように、ディズニーの作品としてならばあっさり見逃してしまうが、ピノキオの元になった作品の基調は非常に暗く絶望の色合いが濃い。それを背景にするからこそ、願いや祈りが意味をなすのである。しかし、前提となるこうした絶望的な状況が、『未知との遭遇』ではきちんと描かれていないために、ロイやバリーの「願い」が何であるのか、彼らの願いは叶ったのかという点も曖昧になってしまった。観る側からすれば、結局、そうしたヒューマン・ドラマの側面は意識から消え去り、SF的な要素のまばゆい煌きだけが記憶に残る映画になってしまったのである。


 
 
4. 両親の再会を願うスピルバーグの夢



  ただし、今回、アメリカのWikiを読んで、「ああ、そうだったんだ」と思ったことが一つあった。ジェームズ・リプトンがスピルバーグとのインタビューで、『未知との遭遇』にはスピルバーグにとって個人的なテーマがあったと指摘して、次のように述べた。


 「あなたの父はコンピュータ・エンジニア、あなたの母はコンサート・ピアニストで、宇宙船が着陸するとき、コンピュータ上で音楽が奏でられますよね」。



9.jpg
(メロディーのキャッチボール。スピルバーグにおける母的なものと父的なものが結び合う)



 コンピュータを介して、人間と異星人が同じメロディーを奏でる。そこに、父(コンピュータ)と母(音楽)が一体となることが含意されているのだという。そして、ロイ・ニアリーが最後に宇宙船に乗り込むことには、スピルバーグが再び両親と一緒になりたいという願望が込められていたのだという。この解釈にスピルバーグがどう反応したかは書かれていないが、書かれていないのだからおそらく同意したのだろうと推測される。




 父が去った後のスピルバーグの少年時代は、巨大な魚の腹にいるヨナのようなものだったのではないかと推測される。そうした救いのない状況は、『未知との遭遇』では直接描かれてはいないが、断片的に、バリーの母と子の二人きりの孤独な生活だったり、家庭生活から逸脱していくロイの妄想という形で示唆されている。そして、彼らを通して、彼らがシナイ山へと集結する模様を描くことで、スピルバーグは両親との再会を思い描いていたのだろう。映画は何となくハッピー・エンドのような終わり方をしているが、実は、誰かが癒されたわけでもないし、救われたわけでもない。幸せな再会は実現されなかった。スピルバーグの父がついに戻ってこなかったように、バリー少年にも父親は現われなかった。ロイは、バリー母子から去って行った。バリー少年はまた元の孤独に戻るだろう。だが、夜空には数限りない星が瞬(またた)いているのだから、その星に願いをかけ続けていれば、実現しない夢もいつかは願いは叶うかもしれない。一時(いっとき)の結果が重要なのではない。


 だから、余分な要素を取り去って、この映画をヒューマン・ドラマとして見るならば、この映画の焦点は、個々の内容にあるのではないことが判る。それは「星に願いを」込める行為そのものにある。バリー少年が母親と一緒に星空を見上げるシーン、未知なる物体の再来を待ちわびて空を眺めるシーン、そして、最後に旅立つ宇宙船に向かって微笑みながら、また空を見上げるシーン、何よりもこれらのシーンをスピルバーグは撮りたかったのだろうと私には思われる。バリー少年が夜空を見上げるその視線には、スピルバーグが父と母の実現不可能な再会によせる願いが込められていたのである。



4.jpg
(母と一緒に夜空を見上げる)

5.jpg
(再来を待ちこがれる)

10.jpg
(去っていく宇宙船を一心に眺める)








コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

2014年 浅草燈籠会を見てまわる  [雑感]

  今年も、地味に、浅草燈籠会が始まった(9月27日(土)まで)。今年で八回目だそうだ。

  
1.jpg


2.jpg


3.jpg


 一昨年までは毎年フォローしていたのだが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-09-21)、去年はあまり見所がないように思われてパス。今年も、特定の団体の作品がやけに目立ち、バラエティーがなくってしまったのが残念(久しぶりに記事をアップしようという個人的な動機がなければ、取り上げなかっただろう)。ただ単に季節の移り変わりを告げる行事として捉えればいいという考え方もあるだろうが、内容的に面白いものが少しくらいないとね。主催者には奮起してほしい。



1.jpg

 もう九時近くだったが、相変わらず、浅草寺にお参りする人は途切れない。半分以上は外国からか? ちょっと異常な感じ。円高になって、もう少し閑散となってほしい、というのが正直な気持ち。日中はそれくらいの混みようだ。


 

コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

女房と畳は・・・ [雑感]


 
 今日は研究室の引っ越しだった。出来たばかりの建物は気持ちがいい。「女房と畳は・・・」という言葉をつい漏らしてしまう(こういう場合、女性はどう言えばいいのだろう?)。 見晴らしがいいので、まだ立ち入りできないのだが、非常階段に出て記念撮影。誰もいない春休みのグラウンド。



2014-03-12 13.53.28.jpg



 ここは5階なのである。(残念なのは、ここには8ヶ月くらいしかいられないことだが、短い間を満喫しようと)。


2014-03-12 13.54.24.jpg




  ちなみに、若い人でどれくらい「女房と畳は・・・」を知っている人がいるだろうか。 まあ、「女房と畳は新しい方が良い」なんて知っている必要はないのだが。畳とともにこういうことわざも滅びていくだろう。
 









コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

現在の日本に広がる偏見と憎悪 [雑感]

 公立図書館所蔵のアンネ・フランク関連の書物が大量に毀損されているという事件が起こった。この事件の報道に接して、私は、あの神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇事件を思い出した。知らない人はWikiの解説を読んでください(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。


 あの事件は、最初の段階は動物虐待行為だった。そこから殺傷事件へ、そしてあのセンセーショナルな殺人にエスカレートしていったのだ。


 書物を毀損するという行為は、動物虐待に比べるなら軽い行為であると思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。書物を毀損することは、焚書という行為がつねにそうであるように、特定の人間の集団に対する憎悪の産物だからだ。


 この事件を報じたイギリス『ガーディアン』紙は、その記事の最後で、米国ロサンゼルスのユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のアブラハム・クーパー副センター長の言葉を伝えている(http://www.theguardian.com/books/2014/feb/21/anne-frank-books-vandal-attacks-tokyo-libraries)。



"I know from my many visits to Japan how much Anne Frank is studied and revered by millions of Japanese. Only people imbued with bigotry and hatred would seek to destroy Anne's historic words of courage, hope and love in the face of impending doom," said Cooper. "

 「何度も日本を訪問した経験から、アンネ・フランクが何百万という日本人によって愛読され敬愛されているということを私は知っています。迫りくる運命に直面しながら勇気と希望と愛をつづったアンネの歴史的な言葉を破壊しようとする人がいるとすれば、それは偏見と憎悪に染まった人だけです」とクーパー氏は語った」。



 しかし、残念ながら、この「偏見と憎悪」が現在の日本の広い範囲に漂っていることを、今回の事件は暗示している。たぶん、いたるところに、こうした「偏見と憎悪」は存在しているし、それを助長する空気もいたる所に満ちている。そしてそれは、いずれもっと別の方向にエスカレートしていくことになるのではないか。そういう危惧の念を私は抱いているが、それと同じ思いの人は少なからずいることだろう。あるいは、いるのではないだろうか?そう願わずにはいられないのである。







コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

靖国にはヒーローしかいない [雑感]

 今朝の朝日新聞の記事によると、安倍首相がダボス会議の場で次のように語ったという。

 「いわゆるA級戦犯を称揚するためではない。そこには(戦争の)ヒーローがいるのではなく、戦争に倒れた人々の魂があるだけ。憎しみもないし敵意もないし、人を辱めようというつもりはない」(http://www.asahi.com/articles/ASG1Q7WBDG1QUTFK017.html?iref=comtop_list_pol_n03)。



 「ヒーロ―」という言葉を聞くと、私は、かつてサッカー日本代表の監督をつとめたイビチャ・オシムを思い出す。監督就任後、初の国際試合で勝利した後のインタビューで、オシムは次のように語った。



 「
 ―― 今日2ゴールした三都主はMFに適正があると思うか?

 今日は彼だけがヒーローではない。英雄とは、すでに墓の中にいる偉大な人物のことを指す。三都主はまだ生きているではないか。この英雄の定義というのは私なりのものだが、ある試合で得点を挙げてヒーローになり、ある試合で失敗をしてけなされるのは、選手にとって気持ちのいいものではないだろう。私にとって重要なのは、代表に選ばれていることを(選手に)自覚してほしいということ。その一員であることに誇りを持つことが大事だ。

」  (http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200608/at00010195.html



 私は特にサッカーが好きだという訳でもオシムに興味があったというわけでもないのだが、なぜかこの時のインタビューは記憶に残っている。その理由を言う前に、このインタビューがかなり混乱しているということを言っておかなければならない。記事には述べられていないが、たぶん、「今日のヒーローは三都主ですよね・・・」という形で、インタビューアーが「ヒーロー」という言葉を使ったのだろう。そして、たぶん、オシムは何を聞かれているのか理解できなかったのだろう。でなければ、オシムが「ヒーロー」という言葉に関して、「ヒーローとは、すでに墓の中にいる偉大な人物のことを指す」と断ったりしなかったはずだからである。しかし、そのインタビューアーも、この記事を書いた記者も、この記事を読んだほとんどの人もオシムが何を言っているのか判らなかっただろう。

 
 私は、オシムのその言葉に接したとき、「ヒーロー」という言葉の古い意味がまだ(少なくともヨーロッパでは)人々の脳裏に残っているのを知って、少なからず驚いた。サッカー好きともいえない私が、オシムの言葉を覚えていたのは、そういう事情があったためである。

 
 「ヒーロー」という言葉は、たいへん古い由来をもつ言葉なのだが、ネットで調べても出てこなかったので、手近かにある書物(ハンナ・アレント『人間の条件』第25節)から引用してみよう。



 …the word "hero" originally, that is, in Homer, was no more than a name given each free man who participated in the Trojan enterprise and about whom a story could be told. … In Homer, the word heros has certainly a connotation of distinction, but of no other than every free man was capable. Nowhere does it appear in the later meaning of ''half-god,'' which perhaps arose out of a deification of the ancient epic heroes.

 (「ヒーロー」という言葉は、元来は、つまりホメロスにおいては、トロイア戦争に参加し、物語りの対象となりうる自由人一人一人に与えられた名称にすぎなかった。・・・ホメロスでは、ヒーローという言葉はたしかに卓越という含意をもっているが、しかしその卓越はあらゆる自由人がなしうるものにすぎなかった。「半神」という後の意味で使われることはない。それは、たぶん、古代の叙事詩における英雄たちを神格化したことから生じたものであろう)
 


 

 
 「ヒーロー」という語が、元来の「戦争に参加した者」から、「戦死者」に転じ、それが後に神格化されて「半神(half-god)」という意味で使われるようになったことが、この説明で判るだろう。


 オシムの脳裏にホメロスの一節があったわけではないだろうが、ヒーローとは「墓の中にいる偉大な人物」のことだという発言から、少なくとも「戦死者」や「半神」という意味でオシムが理解していたことは確かであると言っていい。こういう古くからある言葉の意味が、まだヨーロッパでは共有されているのだ。 少なくとも、ヨーロッパの教養層では共有されている、と言うべきなのかもしれないが。
 

 オシムにインタビューした人にとっては、ヒーローとは、アメリカのアクション映画のヒーローのような人物のことだったのだろう。だから彼には、オシムの言葉が理解できなかったのは確かだろう。それと同様に、安倍首相の「靖国には戦争のヒーローがいるのではない」という言葉も、少なくともヨーロッパの教養ある人々には、違和感を引き起こすに違いない。なぜなら、靖国には戦争のヒーローしかいないからだ。





  ヒーローには哀悼の意が捧げられなければならない。「憎しみも敵意もなく」哀悼の意が捧げられなければならない。ただし、それは、どんな国のどんな人にも当てはまるのでなければならない。誰もが戦争の犠牲になった人に哀悼の気持ちを捧げられる場でなくてはならない。そこで初めて死者に平安が訪れるのだ。アーリントンの国立墓地はそのような場所である。何人もの歴代の日本の首相がアメリカ大統領とともにそこを訪れ、哀悼の意を表した。哀悼の意を両国の指導者が共有することで、戦争は追想の対象となり正式に過去のものになるのだ。しかし靖国神社はそのような場所ではない。アメリカ大統領が現状のままの靖国神社を訪れることは決してないだろう。そこは、日本人の鎖国的メンタリティーが凝縮された場所にすぎないからだ。そこに、靖国をめぐる問題の核心がある。





コメント(1) 
共通テーマ:ニュース

弁天山で除夜の鐘を聞く [雑感]

 子どもと一緒に、浅草寺脇にある弁天山に行って、鐘つきをすぐ間近かで見てきた。

 弁天山といっても児童公園である。その一角の小高い所に鐘があるのだが、狭いところに寺の関係者や鐘つきをする人、大勢の野次馬(including us)がいて(写真では余計なものは映さないようにした)、立錐の余地もなかったが、何とか鐘の近くに場所を確保する。普段はどちらかといえば陰気な場所だが、明かりに照らされると風情が感じられるようになる。

001.JPG

003.JPG


 カウントダウンが始まり、ゼロになると同時にお坊さんが鐘を打つ。腹に響くような音だ。それを三度ほど聞いて帰ってきた。お参りをしようかと思ったが、浅草寺も浅草神社もあまりに込んでいて断念した。それにしても、煩悩が三つくらいは減っただろうか?

008.JPG




コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

2013大晦日の浅草寺 [雑感]

 大晦日の正午ごろの浅草寺の写真をアップ。お昼を食べに境内を横切ったのだが、けっこう人出がすごい。数年前までは大晦日はまだ閑散としていたような記憶があるのだが、ここ数年で、松の内の参拝客だけでなく、普段の参拝客も増えたように感じる。明日から数日間は殺人的な混雑なのでなるべく近寄らないようにしている。

2013-12-31 12.54.07.jpg



 例年、大みそかは早くからお酒を飲んで早々に寝てしまうのだが、そろそろ、子供も大きくなって夜遅くまで起きていられるようになったので、いっしょに除夜の鐘の現場を見に行ったり、除夜詣でもしようかなと思っている。

 鐘つき会場の弁天山。

2013-12-31 12.52.26.jpg








コメント(1) 
共通テーマ:ニュース

浅草羽子板市2013と店の並び [雑感]

 夜、食事の後にぶらっと羽子板市を見に出かけた。

 雨が降り出していたので閑散としていた。実は、昼も浅草寺境内を横切ったのだが、その時はひどい混雑。個人的には、夜の浅草寺くらいは閑散としていてほしいと思う。


 雨宿りしつつ、宝蔵門の所から何枚か撮った。

002.JPG

001.JPG



 去年も羽子板市を撮影してアップしたのだが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-12-20-2)、それを改めて見返してみて気づいたことがあった。去年も宝蔵門の所から一枚撮ったのだが、それと今年のを比べると、手前から「江戸勝」・「橘屋」・「高砂」という店の並びが一緒なのだ。

 この場所は、仲見世をとおって境内にやって来る人の目にまっ先に入る場所だから、一等地といっていいだろう。どの店がどの場所を占めるかは、店の格や実力などによっておのずと決まっているのだろう。きっと、何げなく並んでいるようにしか見えないようでも、きびしい序列みたいなものがあるんだろうな、と遅ればせながら知った次第。

 さて、今夜からは雪が降るかもしれないという。ひどく寒いので早々に退散した。こういう時、店番の人はつらいだろうな。はたして、来年も「江戸勝」の店番は同じ女性だろうか?  




コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

ニーチェの弁神論 [雑感]

 世間一般の人と違って私は夏休みモードに突入している。ただし、自由な時間を利用して思う存分しているのは読書&原稿書きであるが。その成果の一部を以下に記しておこう。お読み頂ければ判るように、一種の覚え書きである。
 








 ニーチェの弁神論


 ニーチェといえば、あの「神は死んだ」という言葉や晩年のキリスト教批判があまりに有名なので多くの人が無神論者だと思っているようだが、必ずしもそう簡単に割り切ることはできない一面がある。このことは、初期の『悲劇の誕生』でニーチェが堂々と展開している「弁神論」の個所を読むならば、納得がいくはずだ。さっそくその箇所を見てみよう・・・と言いたいところだが、少しだけその前提となる点をいくつか見ておこう。


 「弁神論」とは、本来、いたる所に悪が存在するこの世界でいかにして神の存在(あるいは宗教の存在)を正当化できるかという問題設定である。つまり神の存在を肯定しながら悪の問題をどう説明するかという多分に倫理的な観点に立つ問題設定が「弁神論」であるのだが、ニーチェはそうした観点そのものを受け入れようとはしていない。世界が悪に満ちていることは言うまでもないことだ。だから、そういう意味では神も宗教も存在理由をもたない。これはニーチェにとって自明なことであった。だからニーチェには「弁神論」という考え自体縁遠いものだと言えるのだが、しかし他方で、「弁神論」の美的な解釈というものも可能であるというのがニーチェの偽らざる信念であった。『悲劇の誕生』はそうした解釈を提示する数少ない例の一つである。つまり、


 「美的現象としてのみ存在と世界は永遠に正当化される」(第5節)
 「存在と世界は美的現象としてのみ正当化された形で現象する」(第24節)



 『悲劇の誕生』が神や宗教に言及するさいにも、当然、この観点に立っていることは留意しておく必要がある。



 もう一つの大前提をあげるならば、『悲劇の誕生』の基調をなす「ペシミズム(悲観主義)」という世界観である。『悲劇の誕生』はショーペンハウアーの強い影響のもとに書かれたものであるが、ショーペンハウアーの「ペシミズム」がその全体の基調となっていることは、ニーチェ自身もはっきり認めている。しかし、その例証のためにニーチェが引用する古代ギリシアの伝説は、「ペシミズム」という言葉をもってしても言い当てられないほどの凄まじさを内包している。



 「 ミダス王はディオニュソスの従者であった賢いシレノスを長いあいだ森の中に追い求めたが、捕えることができなかった。しかし、王がついにシレノスを手中におさめたとき、王は、人間にとってもっとも善いこと、もっともすぐれたことは何であろうか、と問うた。

 この半獣はじっと身じろぎもせず口をつぐんでいた。だが、とうとう王に強いられて、けたたましい笑い声をあげ、突然こう述べた。

 「みじめな一日族よ、偶然と労苦の子よ、お前にとって聞かないほうが一番ためになることを、どうして私に言わせようとするのか? もっとも善いことは、お前にとって全く手の届かないものだ。つまり、生まれなかったこと、存在しないこと、無であることだ。しかし、お前にとって次に善いことはーーすぐに死ぬことだ」。・・・

 いまや、われわれの目の前に、オリンポスのいわば魔の山がその姿をあらわし、その根底を見せている。ギリシア人は、存在の驚愕と恐怖とを知っていたし、また感じていた。そもそも生存できるために、ギリシア人は、こうした凄まじい恐怖の相の前に、オリンポスの神々という輝かしい夢の産物を立てなければならなかったのだ」(第3節)




 
 「存在の驚愕と恐怖(die Schrecken und Entsetzlichkeiten des Daseins)」を古代ギリシア人は感じていた――プロメテウスの苦難やエディプス王の悲惨な末路や・・・、ギリシア悲劇の救いのない陰惨な出来事の多くを思い出していただきたい――がゆえに、それを打ち消すために「オリンポスの神々という輝かしい夢の産物を立て」た。このことが、「存在(Dasein)を美的現象として正当化」することに結びつくわけである。ここから、『悲劇の誕生』の「弁神論」は、以下のように導き出される。



「 生きるために、ギリシア人は、これらの神々を最も深い必要から創造(schaffen)しなければならなかった。・・・ 恐怖というティタン族の神々の秩序から、歓喜というオリンポスの神々の秩序が、ゆっくりした経過をたどりながらアポロ的な美の衝動を通して発展していった。それは、棘(とげ)のある藪の中からバラの花が咲き出るようなものだった。もしも存在(Dasein)がより高い栄光につつまれて神々のうちに示されていなかったとしたら、あれほど鋭い感受性のもち主で、あれほどはげしい欲求をもち、あれほど苦悩にたいして類ない能力をそなえていたあの民族は、どうして存在することを耐えることができただろうか? 芸術を人生の中へと呼びこむ衝動が…オリンポスの世界を成り立たせ、そこでギリシア人の「意志」は美化する(verklaeren)鏡をかかげたのである。こうして神々は、人間の生を身をもって生きることにより、人間の生を正当化する――これだけが満足のいく弁神論なのだ!  こうした神々の澄んだ陽の光のもとで存在することが、それ自体として追求するに値するものと感じられるのである」(第3節)


 

 これが『悲劇の誕生』のニーチェの「弁神論」である。「アポロン的」な神の正当化というべきであろう。おそらくこれより一層根本的な形の弁神論があって、それは「ディオニュソス」的な弁神論と呼ぶことができるかもしれない。しかし、アポロン的な弁神論であれディオニュソス的な弁神論であれ、ニーチェが古代ギリシア人の文化の根底に見て取った宗教(または芸術)の誕生は、おそらくは同じことに帰着するはずなのだが、話が複雑化するので今はこの点に立ち入らない。


 アポロン的な弁神論に戻ろう。まず大前提となるのは「存在の恐怖」である。しかし、生き延びるためにはその恐怖に直面せずにすむようにし、それを「美化」――あるいは「理想化」――しなくてはならない。 (“verklaeren”はやはり、どこかしらネガティヴな意味がこもるものとして理解すべきだろう)。この「美化」(あるいは「理想化」)は「創造」行為であるが、「創造」の別名は「幻想(Illusion)」である。“Illusion”は『悲劇の誕生』で頻出する言葉だが、それは「幻想」とも「錯覚」とも「妄想」とも訳せるかもしれない。いずれにしても、神を創造する“Illusion”は「生き延びるための戦略」から生ずるものである限り、ニーチェはそこにある程度の正当性を見出すのである。

(生の必要性に由来するならば、“Illusion”は正当なのだという信念は、多分、ニーチェの一環した信念だったはずだ。このことを単純化して、「生」が関係するならば、あらゆることは正当化できるのだとすれば、ニーチェが忌み嫌ったキリスト教も、「生」の必要性に由来するものであるとすれば、正当化できるのではないかと思われるのだが、どうだろう)。




 以上のことから、いくつかのことを雑感的に引き出してみよう。



1. ハンダードという精神医学の研究者が、妄想を肯定的に捉えて「生き延びるための進化的戦略としての妄想を形成する脳の能力」という論文を書いたことをこのブログで紹介したことがあったが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29-1)、ニーチェの弁神論はこうした包括的な観点の中で捉え直す必要があると私には思われる。



2. 上で述べたことはアポロン的な世界観である。これをニーチェは(第一節で引用されているが)ショーペンハウアーの考え方から引き出したのだろう。参考のために、ニーチェにとってもっとも印象的だったショーペンハウアーの考え方の一節を掲げておこう。ショーペンハウアーは、人間がこの世界でどのような位置にあるかを、次のような比喩的な言い回しで語っていた。
 

 「四方はてしなく、山なす波が、猛りつつ起伏している荒れ狂った海上で、一艘(そう)の小舟にひとりの舟人がすわり、そのたよりない小舟に命を託している。それと同じように、苦悩の世界のまっただ中で、個体としての人間が安らかにすわっているのは、『個体化の原理』にささえられ、それに命を託しているからである」。




 この「個体化の原理」については詳しく解説することはできないが、簡単に説明してみると、この例にあるように、世界は大海のような絶えざる(ヘラクレイトス的な)流れであるわけだが、人間はその切れ目のない連続的な世界をあたかも非連続的な「個体」から成り立っているかのように捉える。そうした「幻想」によって世界を人間にとって御しやすいものとして捉えるわけである。「個体化の原理」の意義はそこにある。アポロン的な世界観はそうした幻想に立脚しているのである。


 しかし、それをあたかも否定するかのような別の原理がある。上の例からまた引き合いに出せば、それは、小舟を苦もなく飲み込んでしまうような海の破壊的・否定的な作用である。その作用そのものになることに「ディオニュソス的なもの」の原理があるのだが、この点にさらに深入りすることはできない。ただし、確かなことは「アポロン的なもの」も「ディオニュソス的なもの」も、やはり“Illusion”である点では変わりないということだ(第18節の冒頭部分を参照)。時として「アポロン的なもの」は表層的な錯覚であるのに対して、「ディオニュソス的なもの」はもっと根底的で真実に近いものという捉え方を見かけるが、そんな把握はありえない。いずれも「生き延びる戦略として妄想」のヴァリエーションなのである。いずれも「存在の恐怖」になす術もなく飲み込まれてしまうのを防ぐために、人間が自己と世界の間に掲げる幻想なのである。だから、どちらがより高次のものという捉え方はありえない。



3. ニーチェが他の個所で「弁神論」を試みているのかどうか私は知らない。おそらくないだろう。そういう意味で、『悲劇の誕生』の弁神論は「若気の至り」というか、初期の著作の未熟な部分にすぎないと評価する人もいるだろう(というか、それが通説かもしれない)。とくにワーグナーを神格化するような気持ちは、ニーチェ自身から急速に消え失せていったわけだから、確かに同書に成熟していない部分が多々あったことは否定できない。しかし、ワーグナーに関わる点をすべて度外視しても、『悲劇の誕生』には奇妙だが決定的な点が色々あるように思えてならない。たとえば、そこで語られる「(演劇のための)舞台」とは一種の「教会」なのではないかと思わせるような書き方があったりするし、マルチン・ルターの内にディオニュソスのドイツにおける生まれ変わりを見たりするような点に、ニーチェの内にある「宗教的な」体質(体臭?)を感じ取らないわけにはいかない。それは「若気の至り」では済まない根本的なものを蔵しているのではないだろうか?  



 かりに初期の著作にあるそうした「宗教的」な要素は、ニーチェの思索が深化するにつれて捨てられていったのだと考えてみよう。しかし、最晩年になってまたニーチェは『悲劇の誕生』の考え方に舞い戻っていったのではないかと考えたくなるような箇所がいくつもあることも確かなことだ。たとえば、ニーチェは自分自身をディオニュソスと同一視するようになっていったが、そのことが最も判りやすい例の一つである。それ以外にも、最晩年の「芸術」についての考え方は、『悲劇の誕生』のくり返しのように見えることがしばしばある。


 かつて『権力への意志』として出版された時の断章番号を使うと、断章822に見出される印象深い言葉、つまり「真理は醜い。われわれが芸術をもっているのは、真理ゆえに没落することがないためである」という簡潔で印象深い言葉に含まれる洞察は、『悲劇の誕生』と同じ目線に立つものだ。芸術がなければ、世界の一切は醜い。そこに価値あるものなど何一つ存在しないのだ・・・ここにはシレノスの英知と同じものがあるはずだ。やはりシレノスは正しかった。「もっとも善いことは…生まれなかったこと、存在しないこと、無であることだ。しかし、お前にとって次に善いことはーーすぐに死ぬことだ」。ショーペンハウアーに対するニーチェの評価は劇的に変化したかもしれないが、ニーチェの「ペシミズム」的な気質は根本的に保たれていたと私は思うのである。



 同断章853でも同じ趣旨のことが述べられていた。これは『悲劇の誕生』を回顧する文章であるが、『道徳の系譜』にあったとしてもおかしくはない文章である。

 
「われわれは、生きるために虚言を必要とする。…形而上学、道徳、宗教、科学――これらは『悲劇の誕生』では虚言のさまざまな形式として考慮されている。これらの虚言の助けをかりてわれわれは生を信ずることができるのである。「生は信頼を注ぎ込むべきである」と、このような課題が立てられるのであるが、これはとてつもない課題である。これを解決するためには、人間は本性上すでに虚言者でなくてはならない。人間は何にもまして芸術家でなくてはならない。…芸術だ、何よりも芸術だ! 芸術は生を可能にする偉大な手段であり、生への偉大な誘惑者であり、生の偉大な刺激剤である」。




 晩年のニーチェの宗教批判は、宗教(とくにキリスト教)が生に対して根本的に否定的であることに向けられたものだった。生は肯定されなければならないのだ。だが、それ以前に、生を可能にする虚言(芸術)を肯定しなければならないのではないだろうか? 


 ここには奇妙な点が多々ある。というのも、ニーチェ自身、「芸術」という「虚言」を排した「生そのもの」を肯定してはいないからだ。「生」が可能になるには芸術的な虚言が必要だ。そうした媒介のない生をどうして肯定できようか?  ニーチェの洞察はニーチェ自身にはね返えざるをえない。つまり、ニーチェが「生」に関して言うこともすべてある種の虚言にならざるをえないのは言うまでもない。では、なぜニーチェは宗教を批判できるのか? なぜキリスト教の虚言性を非難できるのか? という疑問を抑えることはできない。そもそも生そのものが虚言に支えられているとすれば、生に関する考え方について何かを批判したり間違いを指摘するということに一体どんな意味があるというのだろう?  


 (それとも虚言性を無邪気に否定しているという点でキリスト教は非難されるべきなのだろうか? では、虚言性(芸術性)を根底に置くディオニューソス的・ルター的(?)宗教であるならば、肯定されるべきなのだろうか? ニーチェが「超人」に言及するときに念頭に置いているのは、そうした宗教性だったのだろうか? おそらくそう解釈すべきなのかもしれないが、でもまあ、これはつまらない解釈だな)。



 詳しい点にまで立ち入ることは最早できないが、私としては、ニーチェが『悲劇の誕生』で示した「弁神論」をニーチェはのり越えることはなかったのではないかと思う。つまり、あの処女作でニーチェは、既に、行き着くところまで行ったのではないかと思うのだ。あの異常な深さに比較すれば、後にニーチェがやってみせたキリスト教批判などは、俗受けはするだろうがきわめて底の浅いものであるようにさえ映るのである。


 問題は、あの弁神論から更に何かを引き出せるかということである。ニーチェが晩年の草稿で立ち返っていたのはその点であると思われる。しかし、晩年のニーチェはあの弁神論を追認することしかしなかった。「虚言」という言葉を狂犬のように投げつけることしかしなかった。宗教は虚言だらけだが、そもそも虚言抜きに生は可能ではない。とすれば、どこに真実があるのか? おそらく、それは、他の虚言よりも真実らしく見えると見なされる虚言にすぎないだろう。
 
 だが、こういう形で言葉をもて遊んでいるとき、すでに「虚」と「実」の区別は失われている。それは、つまり、「虚言」という言葉を使う根拠すら崩しているのである。そしてその議論全体の信憑性を無に帰する効果しかもたないのである。

 
 かくして、すべてが振出しに戻る。私には、まるで、あの弁神論でニーチェはすでに限界地点に達していて、そこから一歩たりとも進まなかったように思えるのである。








」(おわり)



コメント(0) 
共通テーマ:ニュース