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ローマへ (サン・クレメンテ聖堂 -- 準備編その4)  [雑感]

サン・クレメンテ聖堂(英語: Basilica of Saint Clement )


予定では、ローマ到着の一日目の最後に見るのが、このサン・クレメンテ聖堂。 


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 この聖堂は教皇クレメンテ1世に捧げられたが、特徴的なのはこの建物が三層構造になっていること。(1)現在の聖堂は1100年の直前に建てられたもの。(2)現在の聖堂に下に4世紀の聖堂があり、それはローマのとある貴族の邸宅を改造したもの。その邸宅は、一世紀に短期間、初期の教会として使われていたようだが、その地下は2世紀にはミトラス教(=秘儀宗教の一種)の礼拝堂として使われていた。(3)そのローマの貴族の邸宅は、64年のネロ帝の大火で焼失した共和制時代の別荘兼倉庫だった建物の跡地に建てられた。

 これだけの歴史の重曹の上に成り立っている点で、この聖堂は、歴史好きな人間には、たまらなく魅力的である。一度キリスト教の集会所として使われていながら、その後ミトラス教の礼拝所に変更されたのは、おそらく、一般に市民には、キリスト教とミトラス教のうるさい区別など大して重要ではなかった、ということなのかもしれない。


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  上の画像もそうだが、ミトラス神の典型的なポーズは「牛を屠る」ポーズである。これは、ミトラス教の儀式のクライマックスをなした「タウロボリウム」の決定的瞬間を描いたものである。そもそも、


  このような図像はミトラス礼拝所の中央に必ず置かれ、その前ですべての儀式が行われた。儀式には不明な点が多々あるにせよ、牛を屠るというアルカイックな供犠の形態がミトラス教の中心にあったことは確実である。さてタウロボリウムだが、この儀式は凄惨なものであったらしい。天井部分を梁である程度覆った穴に秘儀参入者をしゃがませ、その真上で牛を屠るのである。50リットルもの鮮血が参入者に降り注ぐ。文字通り、血の洗礼である。この洗礼を受けた者は尊敬の念で見られ、より高次の身分、新たな生を獲得したと見なされた。ここには、犠牲獣の死が同時に新たな生の誕生でもあるという、古代の供犠一般に共通する論理が、もっとも剥き出しの形で現われているように思われる。


 この儀式は、おそらくイニシエーションの儀式に由来するものであろう。世界のどこであれ、イニシエーションは、子供の時代に別れを告げ大人の仲間入りをする儀式であった。古代では、大人になるということは、男にとって、戦士になることを意味した。したがって、死の覚悟を心に刻み付けるために、死に直面するような体験を通過することが求められるのである。タウロボリウムは、秘儀参加者に、そのことをもっとも直接的に体験させたのである。

 
 キリスト教の儀式は、そうした古代の残酷な儀式性をすべて否定する方向に向かう。確かに、血なまぐさい犠牲はあるのだが、それはイエスの死のみである。他の宗教儀式が、屠った動物を結局は料理し豪勢な食事を享受したのに対して、キリスト教徒は、イエスの贖罪の死を回想し、イエスの肉体と血のシンボルであるパンと葡萄酒を味わうという質素な晩餐にもって代えた。貧困を旨としたイエスの生き方に倣ったものだったろう。

















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ローマへ (サント・ステファノ・ロトンド -- 準備編その3) [雑感]

サント・ステファノ・ロトンド(英語:Santo Stefano Rotondo)

 
 この教会は、教皇シンプリキウス1世(468-483)によって殉教者ステファノスに捧げられた教会だという(もっともステファノスの遺品は何一つないのだという)。それ以前は、外国兵士のための宿舎だったそうだ。円形の教会としては最古のもの(「ロトンド」は「円形」を意味する)。



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 スタンダールが『ローマ散歩』でこの教会に触れているが、彼がこの教会を訪れた1828年当時、この教会が立つチェリオの丘は、広大なブドウ園を管理する農家が点在する以外にほとんど住む人がいなかった田園だったようだ。

 それはともかく、殉教者ステファノスに捧げられているわけであるから、ステファノスについて述べなければならない。最初期のキリスト教は迫害と受難の連続であったが、ステファノスは最初の殉教者であった、根拠のない罪状で捉えられたステファノスは法廷で、告発をした人々に対してひるむこともなく、イスラエルで預言者が迫害を受けてきた歴史を語り、聴衆の怒りを買う。


 「彼らはこれを聞いて、心においてひどくかりかりきてしまい、彼に対して歯ぎしりをなした。だが彼が聖霊に満ちて天を見つめると、神の栄光と、神の右に座っているイエスが見えた。そして言った、「見よ、私は天が聞け、人の子が神の右に立っているのを見る」。彼らは大声で叫び、自分の耳をふさぎ、思いを一つにして彼に襲いかかった。そして彼を町の外にほうり出し、石をぶつけることにした。そして証人たちが自分の衣を脱いで、サウルと呼ばれる若者の足もとに置き、ステフアノスに石をぶつけた。彼は声をあげて言った、「主イエスよ、我が霊をお受け下さい」。また膝をっき、大声で叫んだ、「主よ、彼らにこの罪をきせ給うな」。こう言って、彼は亡くなった。

 サウルは彼の殺害に一緒になって賛同していた。その日には、エルサレムにある教会に対して大きな弾圧が生じた。使徒以外は、すべての者がユダヤ、サマリア地方に散らされた。真面目な人たちがステフアノスを葬り、彼について大いに哀悼の意を表した」(使徒行伝7:54~8:2)。



 一応法廷での証言に続く個所なのだが、挑発されたと思ったユダヤ人の聴衆たちが勝手にステファノスを引きずり出して、石を投げつけて殺した、と読める。おそらくは私刑(リンチ)で殺されたのではないか? そして迫害を行う者の一人にサウル、後のパウロもいたという構成が面白い。

 が、それはともかく、サント・ステファノ・ロトンドは殉教者に捧げられた教会だけあって、その見どころは、円形の壁に沿って並べられている殉教の場面を描いたフレスコ画である。


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 これらを見終えた文豪のディケンズは次のような感慨をもらしたという。


「サント・ステファノ・ロトンドは、ローマ郊外にある、円形の湿っぽくかび臭い古い教会だが、その壁を覆っている忌まわしい絵画のおかげで、ずっと私の心に浮かんできてはかき乱すことになるだろう。これらの絵は、聖人や初期のキリスト教徒の殉教を描いたものだ。こんな惨劇と虐殺のパノラマは、たとえ夕食に豚を一頭丸々生(なま)で食べることができる人であっても、夢に思い描くことすらできないものだ」。

 



(つづく)   
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ローマへ (ラテラノ洗礼堂 -- 準備編その2) [雑感]

 まずはラテラノ洗礼堂(英語:San Giovanni in Fonte)。


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 今回、ローマの古い建造物や遺構を紹介するにあたって、主に参考にしたのはマチルダ・ウェッブ著『初期キリスト教時代のローマの教会とカタコンベ(MATILDA WEBB: THE CHURCHES AND CATACOMBS OF EARLY CRISTIAN ROME)』。それによると、


 ラテラノ洗礼堂は、4世紀後半にいたるまでローマにある唯一の洗礼堂だった。(しかし、キリスト教公認前に、大ぴらに洗礼などできたのだろうか? たぶんそんなことはないと思うのだが、ここら辺は不明としておくほかはない)。 国教化以降は、その他の洗礼施設もできて洗礼も年に一度のイースターの祭日に限定されなくなったという。

 この洗礼堂ができる前には浴場だったそうだ。やはり、水(あるいはお湯?)が湧き出る場所だったのだろう。

 元来、洗礼は、それまでの人生を捨てて、キリスト教徒として再生を果たす儀礼である。洗礼盤は新たに生まれかわる場所であるから、それは、一種の子宮として、それを満たす水は羊水として考えられる余地がある。実際、チュニジアには女性の子宮を模した洗礼盤があったようだが、ラテラノの洗礼盤はどうだろうか? 


 洗礼堂の中でもひときわ目立つ八角形の台輪には二行連句が刻まれている。 のちに教皇レオ1世となるセクストゥス3世の助祭長の作とされる。原文はもちろんラテン語だが、英語の訳と日本語の私訳を以下に示そう。洗礼という儀式がどういうものであるか、ということがうまく表現されている。



Here is born a people of noble race, destined for Heaven,
whom the Spirit brings forth in the waters he has made fruitful.
Mother Church conceives her offspring by the breath of God,
and bears them virginally in this water.
Hope for the Kingdom of Heaven, you who are reborn in this font.
Eternal life does not await those who are only born once.
This is the spring of life that waters the whole world,
Taking its origin from the Wounds of Christ.
Sinner, to be purified, go down into the holy water.
It receives the unregenerate and brings him forth a new man.
If you wish to be made innocent, be cleansed in this pool,
whether you are weighed down by original sin or your own.
There is no barrier between those who are reborn and made one
by the one font, the one Spirit, and the one faith.
Let neither the number nor the kind of their sins terrify anyone;
Once reborn in this water, they will be holy.




ここで天に召される定めの高貴な一族の人間が生まれる
霊が、実りあらしめた水の中で、その人間を生み出す。

母なる教会は、神の息により、子孫を宿し
処女のままに、この水の中で出産する。

天の王国を望め、この洗礼盤で再生する者よ、
永遠の生は、出産を一度しか経験しない者を、待ってはいない

これは、全世界を浸し、
キリストの傷に由来する生命の泉。

罪ある者よ、浄められるために、聖なる水の中に下りよ、
それは罪深い者を受け入れ、その者を新たな人間にする。

罪のない者にしてほしいなら、この盤で清められよ、
汝を押しひしぐものが原罪であろうと汝の罪であろうと。

再生する者と、一つの洗礼盤、一つの霊、一つの信仰によって一体となった者たちの間には
いかなる隔たりもない。

罪の数や種類によって恐れを抱くことがないように、
この水の中で再生すれば、その者は聖なる存在となる。







(つづく)
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ローマへ (準備編その1) [雑感]

 10数名の学生とともに、ローマに行くことになった。

 8月のほぼ最後の一週間をかけて、主にカタコンベ・初期の聖堂からヴァチカンにいたるまでのキリスト教のモニュメントを体感しようという企画である。もっとも、私が興味を抱くのは、キリスト教が公認される以前の遺構に限られる。したがって、カタコンベが最大の焦点になるのだが…ただ、カタコンベ内は撮影禁止であり、なかなかデータという形で残しづらいのが難点ではあるが、さて、どうなることやら。

 今回の旅は、大学側の協力を得た。補助金と助成金で7万もの支援が受けられるのは嬉しいことだが、やはりお金が交付されるとなるときちんと書類を書かないといけない。これが結構面倒であった。また旅行会社との交渉も自分一人で行ったのだが、このやり取りも、時には楽しくないこともあったし、学生一人一人との連絡も苦労があった。しかし一応すべてクリアした今となっては、あとは事前の下調べに磨きをかけるだけである。

 
  ローマに到着したその日のスケジュールを下に掲げてみよう。これは学生が選定・作成したもので、いかに彼らが優秀であるかを物語っている。



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  さて、私は26~7年前にローマに一泊したことがあるが、その時はフィレンツェをメインにしたので、ローマは文字通り一泊しただけだった。その時の印象を少しだけ語ろう。驚いたのは、ホテルの部屋につくなりテレビをつけたら、関西系のお笑い番組をやっていたことだった。しかも吹替なしで。誰も分からないような番組をどうして流すのだろう? あれはいまだに謎。ローマの町並みは、通り過ぎただけだったが、小汚いという印象しかない。おまけに、翌朝フィレンツェ行きの列車に遅刻しそうになったために急ぎ足で駅に向かっていたときケッチャプをコートにかけられた嫌な記憶がある。つまり、詐欺の一種にあいそうになったわけだが、こっちは遅刻しそうだったので、詐欺師の男に取り合っている余裕がなくそれきりだった。当時私は貧乏オーバードクターだったのだが、イタリア人には金をもっていると思われたのだろうか? 何しろ、バブルははじけたと言っても、まだまだ金満日本という印象は強かったころだったからね。しかし、まあ、ケッチャプのかけられ損である。
 
 フィレンツェのホテルの女性に紹介してもらったクリーニング店にコートをもって行くと、出てきたのは6~70のお婆さん。おそらく、フィレンツェから一歩も外にでたことがないような典型的な庶民のお婆さんである。かつては白かったのだろうが、何十年着続けている間に茶色に変色してしまった割烹着のようなものを着ていたのが今でも印象に残っている。私の顔を見るなり、彼女は拒絶反応を示した。私が英語で事情を説明しても、英語など通じない。「別のところに行っておくれ」とにべもない反応を示したが、私が投宿しているホテルの名前を叫ぶと態度が変わり受けつけてくれた。始めはそっけなくても、根が良いのがすぐ判るような反応だった。

 他には、タクシーでぼったくられたということくらいかな、悪い思い出は。まあ、ある程度は覚悟しなくてはならないとは思うものの、学生を引き連れているのだから被害はないに越したことはない。

 次回は、上の表にあるラテラノ大聖堂、サント・ステファノ・ロトンド、サン・クレンメンテ教会を話題にすることにしよう。                             (つづく)

 










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乙な寄り道の場所 ―― 日比谷図書館特別研究室 [雑感]

  家に帰りたくないとき、家に帰ってもしようがないとき、どこに行くか? 
 
  男性ならば、バーや飲み屋に行く人が多いのだろうが、私にはついにそういう習慣が根づくことはなかった。酒は好きなんだけどね。人が(たくさん)いる場所が好きではないし、そういう場所に一人で行くことも、一人でいることも好きではないのである。

  20代の頃は、サウナのあるカプセルホテルをたまに使った。その頃は独身だったから、家に帰っても誰もいなかったのだが、それが嫌でカプセルホテルに泊まることがよくあった。あのカプセルの狭さが自分の身の丈に合っているように感じられたものである。最近は、もはや独身ではなくなって久しいのだが、ここ一年くらい、またたまに、カプセルホテルを使うことがある。横浜スカイビルのカプセルホテルはとても快適だ。でも、なぜそんなところに泊まる必要があるのかって? その点については聞きっこなしということにしよう。


  今日、乙な寄り道の場所を見つけた。日比谷図書館の特別研究室である。日比谷の図書館は、これまでもたまに利用したことがある。素敵な図書館だが、ここの欠点は、いつも、利用者であふれていること。今日初めて4階にある「特別研究室」を利用したのだが、その快適さは私の想像以上だった。

  2時間300円でゆったりとした読書スペースが利用できる有料図書館である。存在自体は以前から知っていたが、無料の座席が満員であるような状況に遭遇したことがなかったので、これまで利用する機会がなかった。今日は、最初からこの研究室目当てに出かけた。午後4時すぎに、初めて足を踏み入れたが、その時、全32席中、利用者はわずか5~6人だった。一番端の席に座って洋書を読み始めたが、二席離れた所にいたのは高校3年生であろう、東大の入試問題を解いていた。日比谷高校の生徒だろうな。

  その高校生もじきに帰った。5時すぎに地下のカフェに食事をしにいって帰ってみると、もう研究室内には誰もいなかった。


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 カード・キーがないと入れないので、二時間以上、研究室のスペースを一人占めできた。たまに窓外にひろがる日比谷公園の闇とその向こうのビル群に視線を移しながら、洋書をゆっくり読んで時間を過ごした。こんな贅沢なひとときをこんなに割安に利用できるなんて想像してもいなかった。こういう所は、読むべきものをもってないと楽しめないので、その良さを誰もが享受できるものではないが、少なくとも私のお気に入りスポットになることは確実である。

 ただ惜しいのは8時で終わってしまうこと。他のフロアは10時まで開いているのにね。でも、利用者が少ないのだからしようがない。3階に移動してみると、驚いたことに、ほとんどすべての席が埋まっていた。夜の8時でこれかよ! 一瞬絶句した。幸い、退出する人がいたので、その席に座ることができたが、やはり混雑した状況では気が散ってしようがない。少々のお金を払っても4階の研究室に行くのが得策だ、と思った次第である。
 










  
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人生は美しい [雑感]

 「 ちょうど今、ナターシャが中庭から窓のところにやって来て、私の部屋に風がもっと自由に入るよう窓を開けてくれた。塀(へい)の下には、輝くばかりの青々とした芝生が細長く伸びているのが見える。塀(へい)の上には澄みわたった青空が広がり、太陽の光があたり一面にふりそそいでいる。人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ。 」



 トロツキーの遺書の最後のパラグラフである。遺書の全文を読みたい人は、https://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-3/isyo.htmで読むことができる。


 イタリアの俳優・監督のロベルト・ベニーニが、この遺書からインスピレーションを得て、『ライフ・イズ・ビューティフル』を作ったことは良く知られている。もっとも、この映画をこの間授業で取り上げたとき、この映画自体を知らない学生が非常に多かったので、私の中の常識はもうすでに常識ではなくなっているのかもしれないけれど・・・ 。

 
 トロツキーの遺書を収録している上のURLでも書かれているが、この遺書は、肉体の衰えから死が間近に迫っていることを自覚したトロツキーが書き記したものである。

 スターリンとの権力闘争に敗れ、亡命生活を余儀なくされ、最後には、故郷ロシアからはるか離れたメキシコに流れついた。しかも、スターリンが放つ刺客に怯えながらの生活だったはずだから、トロツキーの晩年の人生は不自由や制約や欠乏に満ちていただろうと想像される。そういう意味で、彼の人生は不運や不幸のうちに終わったと言うことができるだろう。事実、彼の最期は、ピッケルで頭を砕かれるという悲惨なものだった。


 言うまでもなく、遺書とは、死に臨んでもっとも述べておきたいと思うことを書き残すためのものである。遺書を書いたときのトロツキーの心をもっとも打ったのは、自分の個人的な不運に満ちた暗い後半生ではなく、むしろ、「人生は美しい」という感慨だった。死に直面して、生きることの美しさが何よりもトロツキーの胸に迫った。そのことに、私はとても深い感銘を覚えるのである。



 死にのぞんで、「人生は美しい」という言葉を書き記すことができるだろうか? 個人的な不運や不幸を意識しながら、それらを凌駕するような人生の美しさを肯定できるだろうか?  今の私には、そう自問して、確たる答えを思いつくことは出来ないと感じられる。そんなポジティヴな感慨をもつことができれば良いのだけれど、と思うばかりである。







 

 
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2016年元日午前3時@浅草寺 [雑感]

 大晦日は、お節を食べてお酒を飲んでいるうちに眠くなって、紅白が始まると同時にベットに入り、8時頃にはもう寝ていた。目が覚めると3時近くだった。子供は除夜の鐘を聴きに行くと言っていたが、もう帰って寝ているだろう。ごそごそ起きて浅草寺へ行くことにする。すると、結構すごい人出だった。


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 宝蔵門まではぶらぶら歩いて行けたが、門をくぐると、何と、警察の規制が入っているではないか。去年はなかったような記憶があるのだが、今年は暖冬で人出が多いのかしら? 2~30分は足止めを喰らった。隣のヤンキーっぽい女性が笑いながらしゃべっている。「・・・・イスラム国の消滅をお願いするって? イスラム国ってよく知んないんだけど・・・」。こんな言葉を聞きながらじっと待っているのは辛いぞ。


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 賽銭をあげてすばやく外に出る。外の喧騒にみちた光景。後は屋台で買い食いするくらいしか楽しみはない。何でわざわざこんなことのために、こんな多くの人が集まるのか不思議である。自分の家の近くで済ませれば十分だろうに。


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 JA提供の鏡餅が異彩を放っていた。わたしの教え子の一人がJAに就職するんだよな。TPPで大変だろうけど・・・。なぜか、今年は騒々しい年になるのではないかという漠然とした思いを胸に帰路についた。


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羽子板市始まる [雑感]

 昼に、浅草寺境内を通りかかったら、何と、羽子板市が始まっているではないか。

 そうか、もうそんな時期か、その日その日をやり過ごしているだけなので、今日が何日なのかも怪しい。そんな視野狭窄の状態なので、羽子板市を目の当たりにするまで、もう年末だという意識もなかった位だった。


 羽子板市は、夜に見るに限るので、夕食後に再び境内へ。

 わたしは、羽子板そのものよりも、少し遠くから眺めた小屋の風情の方が好きだ。闇の中から電灯に照らされた羽子板の小屋が浮かび上がる佇(たたず)まいは、たまらなく美しい。電灯の少しわびしい明かりまでもが美しく感じられる。日本の美の極致のようなものがあると言ったら言いすぎだろうか? 





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  歌舞伎のような芸能に興味のない人間にも、こういう美的なものがなければ人間の生は途端に殺伐として味気ないものになってしまうものだよなと感じさせるような華がここにはある。師走の暗い夜の中で、まるで希望のようなものを周囲に発散しているかのようだ。購入した客への三本締めを聞きながら、境内を後にした。



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そうか、もう師走なんだ [雑感]

 仲見世を歩いていたら、正月の飾りが目に入った。


 そうか、もう師走なんだ。浅草寺周辺にはクリスマスは存在せず、12月に入るともう正月の飾り付けが始まる。正月気分まっしぐら、なのである。もっとも、数十メートル離れた通りにはクリスマスのイルミネーションが煌々(こうこう)と輝いているはずだが。


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(夜の八時ごろの仲見世)



 何もしないうちに時間だけが経っていったような、そんな思いに捉われるのは師走恒例のこと。今年も何もなく・・・・いや、子供が中学に入ったし、本も出した。それ以外にも頑張ったはずなのだが、何となく思い出せない。そして、一年経ってしまったということが、あらためて、少し重く感じられるのである。 ・・・(以下略)






 

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ポール・サイモンの「ナイト・ゲーム」 [雑感]

 高校の頃に聴いていた曲をyoutubeでサーフィンしていたら、ポール・サイモンの「ナイト・ゲーム」に行き当たった。

 当時は特に素晴しいとは思わなかったが、いま聴くとその叙情性にしみじみとした気分になる。どうぞお時間のある方は、クリックしてお聴きください。



Night Game by Paul Simon







 こういう曲は、聴いて感じ入るだけで十分ではあるのだが、歌詞の部分で少し気になるところがあったので、ちょっと考えてみようと思った。(原詞と私訳は以下に示してある)。


 8回裏ツーアウトで同点という状況で、なぜかピッチャーが死に、歌詞の焦点はゲームから離れ、(たぶん)ピッチャーを弔うセレモニーが暗示される。季節が移り、それでも存在し続けるスタジアム。

 そしてスリーアウト。シーズンは敗北に終わった。え?? しかし、まだ8回で同点だったはずじゃないのか? 試合はどうなったんだ? そんな無粋なことが私には気になったのである。


 the pitcher died のところが意味不明なのである。辞書でdieを調べると、「残塁で得点できない」というベースボール的な意味が載っているが、これは関係ないだろう。文字通り「死ぬ」と取ると、次の一連のセレモニー的な部分とスムーズにつながるのだが、それだと歌詞の内容があまりに現実離れしてしまう。おそらく、「やられた、打ち込まれた」という意味でdieを使っている、と考えるべきなのだろう。Never say die ! が「弱音を吐くな、悲観するな、がんばれ」という意味で使われるから、the pitcher died は、もうそんな応援の言葉が通用しない状況になってしまったこと、打ち込まれてもう終わってしまったことを意味している、と考えてかまわないように思われる。

 ピッチャーは好投したが残念ながら打たれてしまった。しかし観客は惜しみない拍手で讃えた。まるで故人を讃えるかのように。故人の偉業を記憶に刻みつけるかのように。勝敗なんて二の次だ、ベースボールよ、スタジアムよ、ありがとう。しかし、ふとあたりを見るともう凍てつく夜だ。多くの歓声を包んできたこの古いスタジアムにまた冬がめぐってきたのだ。

 まあ、そんなところかな、と思う。



Night Game
 
There were two men down
And the score was tied
In the bottom of the eight
When the pitcher died

And they laid his spikes
On the pitcher’s mound
And his uniform was torn
And his number was left on the ground

Then the night turned cold
Colder than the moon
The stars were white as bones
The stadium was old
Older than the screams
Older than these teams

There were three men down
And the season lost
And the tarpaulin was rolled
Upon the winter frost


「 ナイト・ゲーム

ツーアウトだった
スコアは同点
八回の裏
そのときピッチャーが打たれた

そして彼らはピッチャーのスパイクを
マウンドの上に置いた
そして彼のユニフォームは引き裂かれ
彼の背番号が地上に残された

そして夜は冷えてきた
月よりも冷え
星は骨のように白かった
スタジアムは古かった
歓声よりも古く
プレーをしているチームよりも古かった

スリー・アウトになった
シーズンは敗北に終わった
防水シートが広げられた
冬の霜の上に

 








 ちなみに、youtubeの画像が良いね。最初の2枚は、ヤンキースタジアムのモニュメント・パークで、ジョー・ディマジオの額の除幕式がおこなわれたときに、大のヤンキース・ファンだったポール・サイモンが「ミセス・ロビンソン」を歌って華をそえたときの画像である。3枚目の画像に若いポサダが写っているのも印象的だ。


 「ナイト・ゲーム」は沈んだ曲調に聞こえるせいか、悲しい曲と思われがちだが、野球というゲームを単純に肯定している曲だと思う。沈んだ曲調は、シーズンが終わってしまったことの寂寥感から来るものだ。興奮と感傷を超えて、そして時の流れに抗うかのように、スタジアムは存在している。そのことに対する静かな讃歌である。このyoutubeの画像を作った人はそうしたことが判っているようだ。









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