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サンダ対ガイラ セントーサ島の闘い [雑感]

  昔、怪獣ものの映画が盛んに作られた後、マンネリを打破するためか、怪獣同士を対決させるという子供の目にもコミカルに映る作品がいろいろ作られるにいたった。モスラ対ゴジラとか、キングギドラを始めとして怪獣がわんさか出てくるものとか。その一環だったと思うが、「サンダ対ガイラ」という作品もあった。映画そのものは見なかったのだが、映画のポスターが恐ろしげというか、滑稽だったことは今でも覚えている。画像検索したら、たくさん出てきた。




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動画もたくさん見られるのね。一例です。





 こんなことを久しぶりに思い出したのは、数日後に行われる米朝首脳会談のニュースを見ていた時だった。トランプと金正恩が並んでいるように合成された画面を見ていたら、「ああ、サンダ対ガイラみたい」と思ったのである。


 多くの人が思っているほど、世界は賢明さや知性によっては成り立っていない。むしろ、愚かさによって成り立っている。愚かさによって憎しみや紛争や戦争が発生する。その尻拭いも愚かな人間たちによって可能になる。事態は論理的に進んでいる。

 
 トランプや金正恩が英雄視されるようなことは絶対間違っているにちがいないのだが、そうなりそうなのは、歴史の流れそのものが間違っているせいではないのか? ともあれ、こんな対決は嗤いをもって見物するしかないなと思っている。 












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ドイツの旅6 [雑感]

 今回のドイツへの旅の目的は、ケルン大聖堂でイースターをこの目で見ることにあった。そのミサの内容をお伝えしたいと思う。



 前日の夜九時から前夜祭というか、復活したイエスを光に譬えるミサがあった。聖堂の外で採火して大小のローソクに灯し、それが暗闇の中のわずかな光となって、徐々に大聖堂を照らし出していく光景はひじょうに趣があるのだが(この模様はYouTubeで見ていて知っていた)、夜遅いということもあり、こちらへの出席は見合わせ早く寝ることにした。

 土曜日は晴れだったが、翌日は起きてみると、一転して雨がしきりに降っている。開始のどれくらい前に行けばいいか見当がつかなかったが、一時間前には大聖堂内に入れるように行動した。ケルン駅から大聖堂の入り口まではわずかな距離だが、傘をもっていないのでかなり濡れてしまった。入り口の係の人が、私たちの濡れた様子を見て何か言いたげな顔をしていたが、すぐに中に入る。検査か何かがあるのかと思ったが、何もなかった。昨年の夏、ローマに行ったときは、大きな教会には必ず銃を携行する軍人がいたし検査も受けたが、あれは、直前、バルセロナでテロがあったために市内全体で警戒態勢を敷いていたからだったのか? それともケルンの大聖堂が鷹揚なだけなのか?


 一時間前でも、ひょっとしたらもう満席なのではないかという不安もあったのだが、まだ人はまばらだった。前から4~5番目の列に座った。前方右手の小さな礼拝堂で別のミサが行われていた。何枚か写真を撮る。



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 暗闇にわずかにあざやかな光を通すステンドグラス。やはり教会の華だ。もっとも、ステンドグラスはドイツの教会の伝統にはないもので、戦後の空襲からの復興にともなってステンドグラスが加えられたときに批判が噴出したという。ドイツ人には華美だと映るのだろうか?




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 私たちの前列にいた御婦人方。ドイツ人だったが、たぶんケルン大聖堂は初めてだったのだろう、まるで「お上りさん」みたいにスマホで撮影していた。が、カシャカシャ撮っているうちに、聖堂の関係者から制止された。大ぴっらに撮影するのはまずいようである。見られるように、開始30分前ごろでも、まだだいぶ空席があった。



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 大聖堂の天井部分。写真からだと空間の奥行の感覚があまり伝わらないのが残念だが。




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 あと10分で開始というあたりでは、もうだいぶ席が埋まっている。前方のミサも終わり、そこに参列していた人々が移動してくる。席につけない立見の人がここかしこに目立ってくる。合唱隊の少年たちが前を横切る。プロの撮影家なのだろうか、許可をもらっているのだろう、しきりにシャッターを切っているが注意を受けない。司教らの登場で少し雑然とする中、大音量のパイプ・オルガンが鳴り出す。教会のパイプ・オルガンというと、もっとしめやかな感じなのかなと思っていたが、攻撃的とも思えるほどの大音量である。


 こうして、イースターのミサが始まった。参列してみていろいろな感慨を得たが、次回は、個人的な感想よりも、ミサの進行状況と内容の詳細を紹介することにしたい。








(つづく)









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ドイツの旅5 [雑感]

 今回の旅行の目的はケルン大聖堂でイースターを体験することであったが、いざケルンに到着して、大聖堂を一通り見た後は、肝心のイースターまでは、もう何もすることがなくなってしまった。博物館のような所に行くのも食傷気味である。晴れた土曜日だったが、この天気にふさわしい場所が思いつかないので、食事をしてホテルに帰ることにする。ただ、帰路の途中にあった「ナチス記録センター」に立ち寄ることにした。


 戦争に至る経緯や戦争犯罪の記録が、情緒性を交えずに残されている。フランクフルトにも類似の記念館があったのだが、すっかり忘れていた。ケルンの記録センターは、かつてのゲシュタポの本部だったところ。地下には独房があり拷問も行われていたらしい。壁にはいろいろな書き込みが消されずに残っている。

  

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 晴れた土曜日で、街は観光客であふれていたが、さすがにこういう場所に立ち寄る人は多くはない。多くはないが、熱心に資料に見入る若者たちがいたことが印象的だった。



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 ひときわ印象的だったのは、壁に書かれた次の書き込み。だいたい次のように訳すことができる。

 「誰一人君のことを思い出してくれる人がいないときでも、君のお母さんは君のことを思い出してくれる。ハンス・ヴァインスハイメ 1944」。



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 こう書くことによって、誰かを励ましたかったのだろうか。あるいは自分自身の生きる希望を消さないようにしたかったのだろうか。説明文を読むのを忘れてしまったのだが、そうした事実関係を確かめるのを忘れさせるくらい、この言葉は深く心につきささった。








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ドイツの旅4 [雑感]

 ケルン大聖堂は、周囲とあまりに隔絶した、そして黒光りするような古めかしい姿だったので、おもわず「巨大な墓」という第一印象を抱いてしまった。そしていくら眺めても、何か人を拒絶するようなオーラが常につきまとっているように感じられた。この点についてはまたいずれ書こう。


 大聖堂は、一目で全体をつかむのはできないので、ぐるりと回ってみたくなる。しかし、二度三度とめぐっても全体をつかめたという気にはとてもなれない。 



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 塔が高すぎて一枚の写真に収めることができない。



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 駅から近づいて階段を上った根元部分にカメラ屋があるのが少し不自然なところであった。


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 いろいろな角度から撮っても、単なる部分のショットにすぎないという不全感が常に残ったし、もういいや、これで充分という気持ちにならなかった。汲みつくせないほどの細部へのこだわりがあり、局面局面で思いがけないほどの変化に富んでいた。私は、子供を連れてなければ、何度も周囲を回ったに違いない。


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 この聖堂の建設に600年もの歳月が費やされた(もっとも、宗教改革の混乱で中断期間が相当あったそうだが)。この聖堂が具現化している情熱こそ、良くも悪くも、キリスト宗教の本質だった。そして、このような情熱は、おそらく19世紀の後半を境にして、衰退の道を歩み始めるのであるが、おそらくその前触れは、ゴシック教会が体現している物質的外面性や儀式的修飾性を一切除き去って、聖書の文字の権威にのみ宗教性を見出そうとした宗教改革にあるのだろう。物質的な威容によって宗教性を誇示しようとすることは、キリスト教の精神性とは無縁であるという考え方である。したがって、困難な建築物への意志そのものが非キリスト教的と見なされたのである。こうして、大聖堂の建築はいうまでもなく、公共的な建築物の威信が低下するようになる。しかし、プロテスタンティズムの宗教的精神性の威信も、まったく別の意味で衰退の道をすでに歩み始めていた。こうした点については、また別の機会に譲る。








(つづく)











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ドイツの旅3 [雑感]

  フランクフルト滞在三日目は、観光客の誰もが行くような所に行ったが、特にこれと言うこともなく、なにか課題を淡々とこなす修学旅行のような一日になった。そのなかで一つだけ挙げると、シュテーデル美術館で出会ったある作品。ちょうどルーベンス展が開催されていたが、それとは別の常設展示の所に、ベックリンの「海辺の別荘」があったのである。


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 べックリンは「死の島」で有名だが、その先駆けになったような作品である。夕刻、海辺の別荘に着くと、女性が待っている。この別荘が何か、この女性が誰なのかは何も示唆されていない。週末に自分の別宅に行ったというのとはまるで違う不気味さが漂っている。好きな絵というのとは違うが、心の奥に沈殿しているものをかき乱す何かが描かれているような気持ちになる。少なくとも私にはとても気になる絵なのであった。シュテーデル美術館の一室でこれを見かけたとき、私は跳び上がりそうになった。


 翌日は、ケルンに移動。ライン河の風光を眺めようとあえて遅い列車にしたのだが、混雑のため座れず。意図が裏目に出て結構辛かった。まあ、イースターの祝日なのだから、混雑は考慮に入れておくべきだった。車内で立っている乗客と、ケルンデ降りて歩き出す人々。




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 列車がケルン駅に近づくと、大聖堂の偉容も視野に入ってくる。しかし、その姿は、遠くからでも、あまりに異様に見えた。あまりに異様すぎて、周囲との釣り合いがまるでとれない。




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 遠くから見てもそうなのだから、間近で見たときは、もう異様という言葉しか思い付かなかった。偉大ではなく、異様なのである。周囲の日常からあまりにかけ離れているので、そういう言葉しか出てこない。ふと、ニーチェの有名な断章に出てくる「巨大な墓場」という言葉が頭をよぎる。私は、ニーチェのキリスト教解釈にはぜんぜん同調しないのだが、それでも、なぜかニーチェの言葉が自然と浮かぶのを押さえることができなかった。






(つづく)










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ドイツの旅2 [雑感]

  というわけで、フランクフルト二日目は、荷物の追跡とホテルへの配送が行なわれているかの確認から始まった。確認は朝の10時頃とれたが、荷物がなかなか届かない。わが息子は、日本で飛行機に乗る前の格好で丸二日以上過ごすことになったが、まあ、男の子だからね、苦情も言わず淡々としていた。

  下の写真は、ホテルのバルコニーから撮った駅周辺の様子と、早朝にもかかわらず列を作る人々(旅行者か通勤の人か、みんな朝が早い)、それと、昼に散歩をしたときに寄った「ラーメン潤」の外観。日本から航り頑張っている新潟-燕三条のラーメン屋さんである。よい味を出していた。



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結局、ホテルに荷物が届いたのは夜8時。荷物のことが気になって、市街地を少し散歩する程度のことしかできなかった。もっともフランクフルトは金融の地だから、見所が多いわけではない。いかにもエリートという風情のドイツ人が多かったし、小綺麗な街並みだったが、まあ、それ以上の感想はなし。いちばん印象深いのは中央駅の佇まいだった。まるで白黒映画の一場面に自分がいるかのような錯覚に浸れる。行き交う人々もここでは皆生き生きとしている。駅構内の店が夜遅くまでやっているのもありがたい。荷物の到着を待ちくたびれていつのまにか寝てしまったために、この日の夕食はキャンセルしたのだが、夜の10時頃に駅構内にいったら、普通に多くの店が開いていた。マックのハンバーガーと、息子の時間潰しのために、アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」の原書を購入してホテルに戻った。



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ドイツの旅1 [雑感]

3月末から一週間かけてドイツ旅行。主な目的はケルン大聖堂でイースターのミサを見ることだが、余裕を持って数日前にフランクフルトに到着。これをフランクフルト中央駅近くのホテルで書いております。

今回の旅、少しお金をけちって中華航空にしたのだが、結果的にはこれが大失敗。安かろう悪かろうの典型であった。そもそも羽田での出発が遅れたのが災いして、北京での乗り換えは気が気ではなかった。どうにか人間は間に合ったのだが、荷物が間に合わず。フランクフルトの手荷物受け取り所で待たされるは、その後の事務手続きで時間は食うはで、初日から散々である。

そのトラブルは仕様がない部分もあるのだが、まあ、中華航空にはもう乗りたくはないな。機体が古いし、これは予想できたことだが、中国人の民度もあれだしね。いちいち書きませんけどね。


ともあれ、以下の写真は少し泡を食って搭乗口に向かう途中の一枚と[中国語の表示が敵対的に見えたものだ]、バスに揺られてフランクフルト行きの飛行機のところにたどり着いたときのもの。なんの変哲もない写真に見えるだろうが、撮った本人にすれば、これからどうなることやらという、海外旅行の、とりわけ未知の地に行くときに感じるあの漠たる不安が漂うショットなのである。


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閑散としたキャンパス [雑感]

 さすがに3月の後半ともなると、終日、大学は閑散となる。今週末は卒業式だしね。でも、誰もいない方が好き。  新学期が始まる前に、原稿を書き上げなければならないとか仕事があるんだけど、一時的に全部ほうり出して、ちょっとドイツに行ってくる予定。気が向いたら、ここに、旅行の写真をアップしようかなと思っています。






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たまの贅沢 浅草の一新 [雑感]

 
 言うまでもなく、2月14日は世間的にはヴァレンタインであるが、わが家には違った意味をもつ。この日は、贅沢をしてもいい日なのである。考えてみると、最近は、家族そろって店で食事をする機会が減ったなぁ。そんなことを思いながら、浅草の一新に向かう。


 店内は清潔そのもの。白木のカウンター、お櫃、ネタ箱、わさびおろしなど、どれも相当使い込んでいるだろうに年季を感じさせず、新調したばかりかと見まがうほど。隅々に対する目配りが完璧である。やはり清潔感が寿司屋の命だよなと誰でも感じるに違いない。


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 目の前の皿に置かれる一品一品が、カウンターの白木や皿の深い緑とコントラストをなして、とても美しい。何よりもその美意識を堪能する。
 
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 シャリの赤酢も煮切りや漬けのネタも、本来の江戸前で甘味がない分、いくら食べても飽きがこない。主人も偉ぶるところが一切ないので気づまりを感じることなく楽しめた。いまの仕事がひと段落したら、また来ようかなと思った。


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演習室からの大雪の眺め [雑感]

 ご存知の通り、昨日(1月22日)の昼すぎ頃から吹雪が始まり、誰もが大雪の予感を抱きながら3限・4限の授業を行う。下の写真は、3時前に演習室から撮った吹雪の風景。ゼミでは、外の景色とは無関係に、人を愛せない心理についてのDさんの体験をめぐり語り合う。



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 5時すぎになるともう雪がたんまり積もっている。まだやるべき仕事があったのだが、家に帰れるかどうかが不安になってきたので帰ることに。無事に帰れたが普段の倍以上の時間がかかった。だが、私はまだよいほうだった。品川駅では駅構内への入場制限がかかり、ホームは人であふれかえっていた(瞬間的に、あの大震災の時を思い出した)。都心から郊外に帰る人は大変だったようだ。お気の毒様というほかはない。









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