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乙な寄り道の場所 ―― 日比谷図書館特別研究室 [雑感]

  家に帰りたくないとき、家に帰ってもしようがないとき、どこに行くか? 
 
  男性ならば、バーや飲み屋に行く人が多いのだろうが、私にはついにそういう習慣が根づくことはなかった。酒は好きなんだけどね。人が(たくさん)いる場所が好きではないし、そういう場所に一人で行くことも、一人でいることも好きではないのである。

  20代の頃は、サウナのあるカプセルホテルをたまに使った。その頃は独身だったから、家に帰っても誰もいなかったのだが、それが嫌でカプセルホテルに泊まることがよくあった。あのカプセルの狭さが自分の身の丈に合っているように感じられたものである。最近は、もはや独身ではなくなって久しいのだが、ここ一年くらい、またたまに、カプセルホテルを使うことがある。横浜スカイビルのカプセルホテルはとても快適だ。でも、なぜそんなところに泊まる必要があるのかって? その点については聞きっこなしということにしよう。


  今日、乙な寄り道の場所を見つけた。日比谷図書館の特別研究室である。日比谷の図書館は、これまでもたまに利用したことがある。素敵な図書館だが、ここの欠点は、いつも、利用者であふれていること。今日初めて4階にある「特別研究室」を利用したのだが、その快適さは私の想像以上だった。

  2時間300円でゆったりとした読書スペースが利用できる有料図書館である。存在自体は以前から知っていたが、無料の座席が満員であるような状況に遭遇したことがなかったので、これまで利用する機会がなかった。今日は、最初からこの研究室目当てに出かけた。午後4時すぎに、初めて足を踏み入れたが、その時、全32席中、利用者はわずか5~6人だった。一番端の席に座って洋書を読み始めたが、二席離れた所にいたのは高校3年生であろう、東大の入試問題を解いていた。日比谷高校の生徒だろうな。

  その高校生もじきに帰った。5時すぎに地下のカフェに食事をしにいって帰ってみると、もう研究室内には誰もいなかった。


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 カード・キーがないと入れないので、二時間以上、研究室のスペースを一人占めできた。たまに窓外にひろがる日比谷公園の闇とその向こうのビル群に視線を移しながら、洋書をゆっくり読んで時間を過ごした。こんな贅沢なひとときをこんなに割安に利用できるなんて想像してもいなかった。こういう所は、読むべきものをもってないと楽しめないので、その良さを誰もが享受できるものではないが、少なくとも私のお気に入りスポットになることは確実である。

 ただ惜しいのは8時で終わってしまうこと。他のフロアは10時まで開いているのにね。でも、利用者が少ないのだからしようがない。3階に移動してみると、驚いたことに、ほとんどすべての席が埋まっていた。夜の8時でこれかよ! 一瞬絶句した。幸い、退出する人がいたので、その席に座ることができたが、やはり混雑した状況では気が散ってしようがない。少々のお金を払っても4階の研究室に行くのが得策だ、と思った次第である。
 










  
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人生は美しい [雑感]

 「 ちょうど今、ナターシャが中庭から窓のところにやって来て、私の部屋に風がもっと自由に入るよう窓を開けてくれた。塀(へい)の下には、輝くばかりの青々とした芝生が細長く伸びているのが見える。塀(へい)の上には澄みわたった青空が広がり、太陽の光があたり一面にふりそそいでいる。人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ。 」



 トロツキーの遺書の最後のパラグラフである。遺書の全文を読みたい人は、https://www.marxists.org/nihon/trotsky/1930-3/isyo.htmで読むことができる。


 イタリアの俳優・監督のロベルト・ベニーニが、この遺書からインスピレーションを得て、『ライフ・イズ・ビューティフル』を作ったことは良く知られている。もっとも、この映画をこの間授業で取り上げたとき、この映画自体を知らない学生が非常に多かったので、私の中の常識はもうすでに常識ではなくなっているのかもしれないけれど・・・ 。

 
 トロツキーの遺書を収録している上のURLでも書かれているが、この遺書は、肉体の衰えから死が間近に迫っていることを自覚したトロツキーが書き記したものである。

 スターリンとの権力闘争に敗れ、亡命生活を余儀なくされ、最後には、故郷ロシアからはるか離れたメキシコに流れついた。しかも、スターリンが放つ刺客に怯えながらの生活だったはずだから、トロツキーの晩年の人生は不自由や制約や欠乏に満ちていただろうと想像される。そういう意味で、彼の人生は不運や不幸のうちに終わったと言うことができるだろう。事実、彼の最期は、ピッケルで頭を砕かれるという悲惨なものだった。


 言うまでもなく、遺書とは、死に臨んでもっとも述べておきたいと思うことを書き残すためのものである。遺書を書いたときのトロツキーの心をもっとも打ったのは、自分の個人的な不運に満ちた暗い後半生ではなく、むしろ、「人生は美しい」という感慨だった。死に直面して、生きることの美しさが何よりもトロツキーの胸に迫った。そのことに、私はとても深い感銘を覚えるのである。



 死にのぞんで、「人生は美しい」という言葉を書き記すことができるだろうか? 個人的な不運や不幸を意識しながら、それらを凌駕するような人生の美しさを肯定できるだろうか?  今の私には、そう自問して、確たる答えを思いつくことは出来ないと感じられる。そんなポジティヴな感慨をもつことができれば良いのだけれど、と思うばかりである。







 

 
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2016年元日午前3時@浅草寺 [雑感]

 大晦日は、お節を食べてお酒を飲んでいるうちに眠くなって、紅白が始まると同時にベットに入り、8時頃にはもう寝ていた。目が覚めると3時近くだった。子供は除夜の鐘を聴きに行くと言っていたが、もう帰って寝ているだろう。ごそごそ起きて浅草寺へ行くことにする。すると、結構すごい人出だった。


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 宝蔵門まではぶらぶら歩いて行けたが、門をくぐると、何と、警察の規制が入っているではないか。去年はなかったような記憶があるのだが、今年は暖冬で人出が多いのかしら? 2~30分は足止めを喰らった。隣のヤンキーっぽい女性が笑いながらしゃべっている。「・・・・イスラム国の消滅をお願いするって? イスラム国ってよく知んないんだけど・・・」。こんな言葉を聞きながらじっと待っているのは辛いぞ。


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 賽銭をあげてすばやく外に出る。外の喧騒にみちた光景。後は屋台で買い食いするくらいしか楽しみはない。何でわざわざこんなことのために、こんな多くの人が集まるのか不思議である。自分の家の近くで済ませれば十分だろうに。


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 JA提供の鏡餅が異彩を放っていた。わたしの教え子の一人がJAに就職するんだよな。TPPで大変だろうけど・・・。なぜか、今年は騒々しい年になるのではないかという漠然とした思いを胸に帰路についた。


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羽子板市始まる [雑感]

 昼に、浅草寺境内を通りかかったら、何と、羽子板市が始まっているではないか。

 そうか、もうそんな時期か、その日その日をやり過ごしているだけなので、今日が何日なのかも怪しい。そんな視野狭窄の状態なので、羽子板市を目の当たりにするまで、もう年末だという意識もなかった位だった。


 羽子板市は、夜に見るに限るので、夕食後に再び境内へ。

 わたしは、羽子板そのものよりも、少し遠くから眺めた小屋の風情の方が好きだ。闇の中から電灯に照らされた羽子板の小屋が浮かび上がる佇(たたず)まいは、たまらなく美しい。電灯の少しわびしい明かりまでもが美しく感じられる。日本の美の極致のようなものがあると言ったら言いすぎだろうか? 





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  歌舞伎のような芸能に興味のない人間にも、こういう美的なものがなければ人間の生は途端に殺伐として味気ないものになってしまうものだよなと感じさせるような華がここにはある。師走の暗い夜の中で、まるで希望のようなものを周囲に発散しているかのようだ。購入した客への三本締めを聞きながら、境内を後にした。



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そうか、もう師走なんだ [雑感]

 仲見世を歩いていたら、正月の飾りが目に入った。


 そうか、もう師走なんだ。浅草寺周辺にはクリスマスは存在せず、12月に入るともう正月の飾り付けが始まる。正月気分まっしぐら、なのである。もっとも、数十メートル離れた通りにはクリスマスのイルミネーションが煌々(こうこう)と輝いているはずだが。


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(夜の八時ごろの仲見世)



 何もしないうちに時間だけが経っていったような、そんな思いに捉われるのは師走恒例のこと。今年も何もなく・・・・いや、子供が中学に入ったし、本も出した。それ以外にも頑張ったはずなのだが、何となく思い出せない。そして、一年経ってしまったということが、あらためて、少し重く感じられるのである。 ・・・(以下略)






 

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ポール・サイモンの「ナイト・ゲーム」 [雑感]

 高校の頃に聴いていた曲をyoutubeでサーフィンしていたら、ポール・サイモンの「ナイト・ゲーム」に行き当たった。

 当時は特に素晴しいとは思わなかったが、いま聴くとその叙情性にしみじみとした気分になる。どうぞお時間のある方は、クリックしてお聴きください。



Night Game by Paul Simon







 こういう曲は、聴いて感じ入るだけで十分ではあるのだが、歌詞の部分で少し気になるところがあったので、ちょっと考えてみようと思った。(原詞と私訳は以下に示してある)。


 8回裏ツーアウトで同点という状況で、なぜかピッチャーが死に、歌詞の焦点はゲームから離れ、(たぶん)ピッチャーを弔うセレモニーが暗示される。季節が移り、それでも存在し続けるスタジアム。

 そしてスリーアウト。シーズンは敗北に終わった。え?? しかし、まだ8回で同点だったはずじゃないのか? 試合はどうなったんだ? そんな無粋なことが私には気になったのである。


 the pitcher died のところが意味不明なのである。辞書でdieを調べると、「残塁で得点できない」というベースボール的な意味が載っているが、これは関係ないだろう。文字通り「死ぬ」と取ると、次の一連のセレモニー的な部分とスムーズにつながるのだが、それだと歌詞の内容があまりに現実離れしてしまう。おそらく、「やられた、打ち込まれた」という意味でdieを使っている、と考えるべきなのだろう。Never say die ! が「弱音を吐くな、悲観するな、がんばれ」という意味で使われるから、the pitcher died は、もうそんな応援の言葉が通用しない状況になってしまったこと、打ち込まれてもう終わってしまったことを意味している、と考えてかまわないように思われる。

 ピッチャーは好投したが残念ながら打たれてしまった。しかし観客は惜しみない拍手で讃えた。まるで故人を讃えるかのように。故人の偉業を記憶に刻みつけるかのように。勝敗なんて二の次だ、ベースボールよ、スタジアムよ、ありがとう。しかし、ふとあたりを見るともう凍てつく夜だ。多くの歓声を包んできたこの古いスタジアムにまた冬がめぐってきたのだ。

 まあ、そんなところかな、と思う。



Night Game
 
There were two men down
And the score was tied
In the bottom of the eight
When the pitcher died

And they laid his spikes
On the pitcher’s mound
And his uniform was torn
And his number was left on the ground

Then the night turned cold
Colder than the moon
The stars were white as bones
The stadium was old
Older than the screams
Older than these teams

There were three men down
And the season lost
And the tarpaulin was rolled
Upon the winter frost


「 ナイト・ゲーム

ツーアウトだった
スコアは同点
八回の裏
そのときピッチャーが打たれた

そして彼らはピッチャーのスパイクを
マウンドの上に置いた
そして彼のユニフォームは引き裂かれ
彼の背番号が地上に残された

そして夜は冷えてきた
月よりも冷え
星は骨のように白かった
スタジアムは古かった
歓声よりも古く
プレーをしているチームよりも古かった

スリー・アウトになった
シーズンは敗北に終わった
防水シートが広げられた
冬の霜の上に

 








 ちなみに、youtubeの画像が良いね。最初の2枚は、ヤンキースタジアムのモニュメント・パークで、ジョー・ディマジオの額の除幕式がおこなわれたときに、大のヤンキース・ファンだったポール・サイモンが「ミセス・ロビンソン」を歌って華をそえたときの画像である。3枚目の画像に若いポサダが写っているのも印象的だ。


 「ナイト・ゲーム」は沈んだ曲調に聞こえるせいか、悲しい曲と思われがちだが、野球というゲームを単純に肯定している曲だと思う。沈んだ曲調は、シーズンが終わってしまったことの寂寥感から来るものだ。興奮と感傷を超えて、そして時の流れに抗うかのように、スタジアムは存在している。そのことに対する静かな讃歌である。このyoutubeの画像を作った人はそうしたことが判っているようだ。









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太陽の光という富 ――ハワイ島雑感 [雑感]

 たぶん一生行くことはないだろうと思っていたハワイで数日を過ごしてきた。太陽は没するまでその存在を強烈に主張し続けた。空の青・海の青が目に痛いほどだった。



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 アウトドアにもヴァカンスにも縁のない私は、ある種の快適さとともに場違い感をつねに抱き続けていた。置かれた文脈はぜんぜん違うのだが、アルベール・カミュのことがふと頭をよぎった。彼は作家として成功してから海辺の豪華なリゾートで過ごしたときに感じた違和感を次のように書いている。



  「大分以前のことだが、一週間のあいだ、私はこの世界の富に満たされて暮らしたことがある。私たちは浜辺の、屋根のないところで眠った。私は果実で養分をとり、ひとけのない海で半日を過ごすのだった。こうした時、私は一つの真実を学んだのだが、その真実は、皮肉、焦燥、そしてときには激怒をもって、安楽あるいは安定のしるしを受け取るように私に強いるのだった」(『裏と表』への序文)。




 富裕層の人間と一緒にそんな豪華な生活に浸るとき、カミュは居心地の悪さを感じると同時に、反射的に、アルジェの場末で育った少年時代の貧困を思い出す。所有ということに無関係な人々の暮らしに思いをはせる。そして、つねに光に包まれていたその暮らしが決して不幸なものではなかったという思いを新たにするのである。



   「貧しさは、私には、決して不幸とはならなかった。太陽の光がその富をばらまいていたからだ。… 私の幼年時代を支配していたあの美しい熱い太陽が、私からあらゆる怨恨を奪ってしまった。私は困窮のうちに生きていたが、同様に一種の悦びのうちにも生きていた。私は、自分に無限の力をいくつも感じていた。…


   私は、財産があり余り始めるやいなや消滅するあの自由に貪欲なのだ。最大の贅沢は、私にとっては、ある裸の状態といつも一致するのをやめはしなかった。私は、アラブ人やスペイン人の、あの何もない家が好きだ。… 」(同序文)


  


  ハワイはかつてポリネシア系の原住民が王国を構えていた。しかし1820年に多くの宣教師が移住したのを手始めとして、西欧列強諸国によって翻弄された歴史をもつ。私が数日を過ごした街の一番のシンボルはモクアイカウア教会というキリスト教の教会だが、ハワイの総人口でキリスト教信者の占める割合は30%未満と少ない(アメリカ本土と比べると)。おそらく原住民系の多くにとって、キリスト教はいまだに侵略者の宗教という位置づけになるのかもしれない。私立学校のカメハメハ・スクールズには、先住ハワイアンの 血を引く者しか入学できないらしい。意外に、民族性へのこだわり(つまりは、外来のものに対する抵抗感)が根深くあるようなのである。ひょっとしたら、彼らが何気なく口にする「アローハ」というあいさつにも、そういう複雑な感情が込められているのかもしれない、と考えるのは穿ちすぎだろうか?




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( 街のシンボルとされるモクアイカウア教会 )



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( イエスも、ここでは、侵略者のシンボル? )




  しかし、そんな面倒なことなどまったくないかのように、 原住民の血をひく人々は終始うつむき加減ながらおだやかな表情をくずすことなく黙々と仕事をしていた。私は朝一番の便で離島したが、旅行業者が手配した車の運転手は初老の男性だった。朝の4時半という非常識なほど早い時刻だったが、彼は4時半きっちりにホテルのロビーに姿を現した。空港に着いて別れるときにチップを手渡すと、屈託のない弾んだ「マハーロ(ありがとう)」という声が返ってきた。そのとき、カミュのあの「不幸とはならなかった」の一節を、私は思い返したのだった。やはり、太陽の光が一切を清算してくれているのだろうかと。






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早朝の隅田川を歩く [雑感]

 久しぶりに早く起きた。何と午前3時半ごろ。こんなに早く目が覚めたのは、子供の中学受験で連日早く起きざるをえなかった頃以来である。せっかくなので、朝の空気を吸いながら隅田川沿いを歩くことにした。

  久しぶりに拝む朝焼け。きれいはきれいだが、何か少しどぎつい原色のために率直に褒めるのを躊躇わせる絵を前にしているかのような気持ちになる。

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 朝のすがすがしい空気にはまるでそぐわない感想だが、少し毒々しさを帯びた朝焼けを見て、ムンクの『叫び』のバックを思い出してしまった。もっとも、絵と違って、ここには叫びも狂気もない(たぶん)。

 散歩する数名と会う。川べりに来るときにはまだ寝ていた墨田公園のホームレスたちも、帰る頃にはダンボールの家を片付けていた。公道を使っていいのは夜だけで日がのぼる頃には家をたたむ。それがホームレスの仁義というか不文律であるようだ。折り目正しい生活だよなあ、俺ももう少し折り目正しい生活をしなきゃ、と思いながら帰路につく。












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散策 2015/04/22 [雑感]

思考力低下。注意力散漫。気分を変えるために散策。



誰もいない屋上。広い世界の一片。尖塔

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北へ向かう車

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入港する遊覧船

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狭い路地。往来する人間たち

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私がこの街に越してきた頃は、時代遅れのものがまだ残っていたが、もうほとんど消えてしまった。貴重な例外とも言える「革漉所」。とっくの昔に活動は停止しているが。

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時間の経過を物語る建物の裏側

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今年も祭りが近づく

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この祭りを生きがいにしている人もいるらしい。祭りの輪に加わる者、そこから外れる者、始めから輪の外にいる者。世の中に多様な人間がいるように、一つの町内にもいろんな人間がいる・・・・・・。こうして午後の散策を終える






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2015年元旦午前4時@浅草寺 [雑感]

 大晦日から年越は、静かに読書をして過ごしていた。しかし、なかなか眠くならないので午前3時半すぎに、浅草寺に参詣しにいこうかと思い立った。浅草に住み始めてずいぶんになるが、こんな早い時刻に詣でるのは初のこと。

 4時近いので、閑散としているかなと思ったが、結構騒々しかった。やはり若い人が多い。平均年齢は20歳前後ではないかな? 仲見世の混雑。

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 宝蔵門。ライトアップのせいか妙にあでやかである。

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 混んでいるといっても、さすがにまだ規制が入るほどの混雑ではない。規制に備えて、もう大勢の警官が配備されていたが。

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 本堂の中。私は5円を投入。けちだね~とは思うが、神仏に対する信心のなさの表われなので、それに見合っている額だと思う。

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 夜を徹して営業している屋台も多い。本堂の階段の上で撮影しようとしていたら、すかさず警官に「立ち止まらないで下さい」と警告を受けてしまった。正月の浅草寺は情緒がない。日が昇れば、参拝客の増加とともに境内全体が騒然とした殺気に覆われてくる。皆さん、こんな騒々しい所に来るもんじゃないですよ。

 ともあれ、私にとって、こうして2015年は明けたのであった。



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