伊良部、福留、日本人選手はもういいよ・・・ [海外のニュース記事]
伊良部の死亡と福留のトレードのニュースをきっかけとして、MLBを見続けてきた専門家の一人が「日本人選手の将来」を語った記事を紹介する。
…と言っても、この“Baseball Nation”という新聞は初めて見た(笑)。でも、まあ、グーグルのニュースでピック・アップされていたのを見つけたものなので、アメリカでは真っ当なメディアとして通っているのは間違いないと思う。
この記事を書いたのは、“Baseball Nation”の編集者のAl Yellon。自分で紹介しているように、熱烈なカブス・ファンのようだ。なので、福留には誰よりも深く失望した一人なのだろう。
しかし、その福留よりもあの井川よりも松坂を失敗の最たる選手として挙げているのは少し意外に思われる。まあ、コスト・パフォーマンスの悪さという点では群を抜いているのだろうが、日本人としては松坂にはまだまだ先があると、つい甘く見てしまうのに対して、アメリカ人にとって松坂はもう終わった選手と見えるのだろう。
このAl Yellonによれば、イチローと松井の二人を除けば、他のすべての選手は失敗した選手(failures)だった、ということになる。日本人プレイヤーはもういいよ、こりごりだ、ダルビッシュは気になるけどね、という(おそらく多くのアメリカのMLBファンが抱いている)気持ちがよく出ていると思われたので、ここに紹介する。
Hideki Irabu, Kosuke Fukudome And The Future Of Japanese Players In MLB
By Al Yellon - Editor
http://mlb.sbnation.com/2011/7/29/2303422/hideki-irabu-kosuke-fukudome-future-japanese-players-mlb
「
伊良部秀輝と福留孝介とMLBにおける日本人選手の将来
2011年7月29日・・・伊良部秀輝が水曜日に亡くなった――自殺であるのは明らかなようだ――が、これは、彼が1997年にMLBの一員になったとき、どれほど高いレベルでの獲得合戦があったかを悲しい気持ちで思い出させるニュースだった。
野茂英雄が1995年ドジャースでデビューし新人王を獲得して脚光を浴びたとき、彼は1960年代以降メジャーリーグで登板した初の生粋の日本人選手となった。それをきっかけとして、アメリカのスカウトが大挙して日本に押し寄せ、何チームもが日本の選手やチームと交渉しようと必死の努力をくり広げた。伊良部が在籍したNPBのチームである千葉ロッテ・マーリンズは、協定を結んでいたサンディエゴ・パドレスとの契約を進めていた。その契約によれば、伊良部がパドレスの選手になる代わりに、マーリンズの選手がメジャーリーグの春季キャンプを見学できたり、低レベルのマイナー選手数人をトレードで獲得できる、というものであった。
伊良部はパドレスに行くことを拒否した。彼は、ヤンキース以外ではプレーしないと言ったのだ。これで交渉はご破算になった。最終的に、ヤンキースは、有望な若手外野手ルーベン・リベラ(これまた、大失敗だったが)、マイナー・リーグのラファエル・メディナ、そして現金300万ドルをパドレスに支払って、伊良部との交渉権を獲得した。首をかしげたくなるような交渉がさらに続いた。伊良部は最終的に850万ドルの契約金と、4年で1250万ドルの契約を結んだが、そのうち1250万ドルは現金だった。
しかも伊良部はハズレだった。春季キャンプの試合で伊良部が一塁のベースカバーを怠ったとき、ジョージ・スタインブレナーが伊良部を「太ったヒキガエル(fat pussy toad)」と呼んだのは有名な話だ。彼はヤンキースと険悪になり、最終的には野球界のシベリアともいうべきモントリオール・エクスポズに追放された。2004年にテキサス・レンジャーズで投げたのがメジャーでの最後で、2009年に独立リーグであるゴールデン・リーグのロング・ビーチ・アーマダーで短期間投手をしていた。
伊良部の一件で、日本人の多くの選手がメジャーを目指す流れが止まったわけではなく、合計で40名以上もの日本人が名乗りをあげ、その多くは高い評価で喧伝されていた。長谷川滋利、城島健司、高津臣吾、松井稼頭男、新庄剛志、石井一久、4600万ドルの井川慶(もう一人の大失敗だったヤンキースの選手だが、彼はまだファームで投げている)、そしておそらく、すべての日本人選手のうちでもっとも有名な松坂大輔。
松坂は、伊良部の騒動の直接の結果として生まれた「ポスティング・システム」によってメジャーと契約を交わした最初の日本人選手ではないが(最初はイチローだ)、松坂はダントツで金のかかる選手だった。フリー・エージェントではない(NPBでフリー・エージェントになるには9年かかるのだ)日本人選手は、所属チームが「入札可能であることを告知する(post)」することができる。MLBのチームは、非公開の入札を提出することができる。最高入札額を提示したMLBのチームだけがその選手と交渉する権利を獲得するのだ。当時日本球界で最高の投手であると考えられていた松坂がレッド・ソックスに移籍するのに、総額で1億ドル以上かかったのだ。
金持ち球団のレッド・ソックスでさえこの契約を後悔しているにちがいない。そしてカブスも、トレードされたばかりの福留孝介に費やされた4800万ドルを後悔しているに違いないのだが、福留は、2007年12月の契約時には日本の最高の打者であると報じられていたのだ。福留のパワー・ナンバー(power numbers:ホームラン数・打点・長打率の数値)がそのままメジャー・リーグでの数字になることはなかったし、彼の出塁率(通算0.369)と守備はメジャー・リーグ級であるとしても、結局彼は金のかかる控え選手として終わりそうだったので、今週数名の若手有望選手と引き換えにインディアンズにトレードされた。
イチローと松井秀喜を除けば、MLBで(2~3年以上にわたって)成功と言える成績を維持できた日本人のポジション・プレーヤーはいなかった。これはどうしてなのか? 理由の一つは異文化への適応の難しさがあげられるだろう。彼らは、故郷や家族から遠く離れ、通訳が近くにいないとチーム・メイトと気軽な会話さえすることが出来ないのだ。もう一つの理由はMLBの球場の広さと投手力の違いをあげることが出来るだろう。タフィー・ローズやマット・マートンのような選手がメジャー・リーグではパッとしなかったのに日本に渡るとオール・スターに選出されるほどの活躍をしたという事実が、雄弁に多くを物語っているのだ。
別の、おそらくもっと重要な要因は、日本からやって来て失敗した選手のほとんどが30才をすぎてから契約した選手だったことかもしれない。彼らの全盛期はすでに日本にいたときだったのであり、その時に残した成績にMLBのチームは金を払っているのだ。これほど失敗例が多く、福留やダイスケのような選手に巨額のドルが支払われたことを考えると、近い将来MLBに渡る日本人選手が減るという事態もあるだろう。ただし、ダルビッシュ・有のような選手は例外である。ダルビッシュは今シーズン終了後ポスティングにかけられるだろう。ダルビッシュは、日本人の母とイラン人の父親の間に生まれた子供なので、たいていの日本人よりも肉体的に大きいし、来月になるまで25才にもなっていないのである。
だから、過去15年間で日本人選手が洪水のように押し寄せたが、その勢いは衰えて滴(しずく)がしたたり落ちるような勢いになるかもしれない。そうなると一流の中の一流しかMLBに来なくなり、たちの悪い契約選手が太平洋を越えてくる数も減るだろう。それは別の影響を及ぼすかもしれない―――日本のスター・プレイヤーのほとんどを日本に留めて、MLBに選手が流出することに頭を悩ませてきた日本の二つのリーグには追い風になる、という影響である。
」(おわり)
…と言っても、この“Baseball Nation”という新聞は初めて見た(笑)。でも、まあ、グーグルのニュースでピック・アップされていたのを見つけたものなので、アメリカでは真っ当なメディアとして通っているのは間違いないと思う。
この記事を書いたのは、“Baseball Nation”の編集者のAl Yellon。自分で紹介しているように、熱烈なカブス・ファンのようだ。なので、福留には誰よりも深く失望した一人なのだろう。
しかし、その福留よりもあの井川よりも松坂を失敗の最たる選手として挙げているのは少し意外に思われる。まあ、コスト・パフォーマンスの悪さという点では群を抜いているのだろうが、日本人としては松坂にはまだまだ先があると、つい甘く見てしまうのに対して、アメリカ人にとって松坂はもう終わった選手と見えるのだろう。
このAl Yellonによれば、イチローと松井の二人を除けば、他のすべての選手は失敗した選手(failures)だった、ということになる。日本人プレイヤーはもういいよ、こりごりだ、ダルビッシュは気になるけどね、という(おそらく多くのアメリカのMLBファンが抱いている)気持ちがよく出ていると思われたので、ここに紹介する。
Hideki Irabu, Kosuke Fukudome And The Future Of Japanese Players In MLB
By Al Yellon - Editor
http://mlb.sbnation.com/2011/7/29/2303422/hideki-irabu-kosuke-fukudome-future-japanese-players-mlb
「
伊良部秀輝と福留孝介とMLBにおける日本人選手の将来
2011年7月29日・・・伊良部秀輝が水曜日に亡くなった――自殺であるのは明らかなようだ――が、これは、彼が1997年にMLBの一員になったとき、どれほど高いレベルでの獲得合戦があったかを悲しい気持ちで思い出させるニュースだった。
野茂英雄が1995年ドジャースでデビューし新人王を獲得して脚光を浴びたとき、彼は1960年代以降メジャーリーグで登板した初の生粋の日本人選手となった。それをきっかけとして、アメリカのスカウトが大挙して日本に押し寄せ、何チームもが日本の選手やチームと交渉しようと必死の努力をくり広げた。伊良部が在籍したNPBのチームである千葉ロッテ・マーリンズは、協定を結んでいたサンディエゴ・パドレスとの契約を進めていた。その契約によれば、伊良部がパドレスの選手になる代わりに、マーリンズの選手がメジャーリーグの春季キャンプを見学できたり、低レベルのマイナー選手数人をトレードで獲得できる、というものであった。
伊良部はパドレスに行くことを拒否した。彼は、ヤンキース以外ではプレーしないと言ったのだ。これで交渉はご破算になった。最終的に、ヤンキースは、有望な若手外野手ルーベン・リベラ(これまた、大失敗だったが)、マイナー・リーグのラファエル・メディナ、そして現金300万ドルをパドレスに支払って、伊良部との交渉権を獲得した。首をかしげたくなるような交渉がさらに続いた。伊良部は最終的に850万ドルの契約金と、4年で1250万ドルの契約を結んだが、そのうち1250万ドルは現金だった。
しかも伊良部はハズレだった。春季キャンプの試合で伊良部が一塁のベースカバーを怠ったとき、ジョージ・スタインブレナーが伊良部を「太ったヒキガエル(fat pussy toad)」と呼んだのは有名な話だ。彼はヤンキースと険悪になり、最終的には野球界のシベリアともいうべきモントリオール・エクスポズに追放された。2004年にテキサス・レンジャーズで投げたのがメジャーでの最後で、2009年に独立リーグであるゴールデン・リーグのロング・ビーチ・アーマダーで短期間投手をしていた。
伊良部の一件で、日本人の多くの選手がメジャーを目指す流れが止まったわけではなく、合計で40名以上もの日本人が名乗りをあげ、その多くは高い評価で喧伝されていた。長谷川滋利、城島健司、高津臣吾、松井稼頭男、新庄剛志、石井一久、4600万ドルの井川慶(もう一人の大失敗だったヤンキースの選手だが、彼はまだファームで投げている)、そしておそらく、すべての日本人選手のうちでもっとも有名な松坂大輔。
松坂は、伊良部の騒動の直接の結果として生まれた「ポスティング・システム」によってメジャーと契約を交わした最初の日本人選手ではないが(最初はイチローだ)、松坂はダントツで金のかかる選手だった。フリー・エージェントではない(NPBでフリー・エージェントになるには9年かかるのだ)日本人選手は、所属チームが「入札可能であることを告知する(post)」することができる。MLBのチームは、非公開の入札を提出することができる。最高入札額を提示したMLBのチームだけがその選手と交渉する権利を獲得するのだ。当時日本球界で最高の投手であると考えられていた松坂がレッド・ソックスに移籍するのに、総額で1億ドル以上かかったのだ。
金持ち球団のレッド・ソックスでさえこの契約を後悔しているにちがいない。そしてカブスも、トレードされたばかりの福留孝介に費やされた4800万ドルを後悔しているに違いないのだが、福留は、2007年12月の契約時には日本の最高の打者であると報じられていたのだ。福留のパワー・ナンバー(power numbers:ホームラン数・打点・長打率の数値)がそのままメジャー・リーグでの数字になることはなかったし、彼の出塁率(通算0.369)と守備はメジャー・リーグ級であるとしても、結局彼は金のかかる控え選手として終わりそうだったので、今週数名の若手有望選手と引き換えにインディアンズにトレードされた。
イチローと松井秀喜を除けば、MLBで(2~3年以上にわたって)成功と言える成績を維持できた日本人のポジション・プレーヤーはいなかった。これはどうしてなのか? 理由の一つは異文化への適応の難しさがあげられるだろう。彼らは、故郷や家族から遠く離れ、通訳が近くにいないとチーム・メイトと気軽な会話さえすることが出来ないのだ。もう一つの理由はMLBの球場の広さと投手力の違いをあげることが出来るだろう。タフィー・ローズやマット・マートンのような選手がメジャー・リーグではパッとしなかったのに日本に渡るとオール・スターに選出されるほどの活躍をしたという事実が、雄弁に多くを物語っているのだ。
別の、おそらくもっと重要な要因は、日本からやって来て失敗した選手のほとんどが30才をすぎてから契約した選手だったことかもしれない。彼らの全盛期はすでに日本にいたときだったのであり、その時に残した成績にMLBのチームは金を払っているのだ。これほど失敗例が多く、福留やダイスケのような選手に巨額のドルが支払われたことを考えると、近い将来MLBに渡る日本人選手が減るという事態もあるだろう。ただし、ダルビッシュ・有のような選手は例外である。ダルビッシュは今シーズン終了後ポスティングにかけられるだろう。ダルビッシュは、日本人の母とイラン人の父親の間に生まれた子供なので、たいていの日本人よりも肉体的に大きいし、来月になるまで25才にもなっていないのである。
だから、過去15年間で日本人選手が洪水のように押し寄せたが、その勢いは衰えて滴(しずく)がしたたり落ちるような勢いになるかもしれない。そうなると一流の中の一流しかMLBに来なくなり、たちの悪い契約選手が太平洋を越えてくる数も減るだろう。それは別の影響を及ぼすかもしれない―――日本のスター・プレイヤーのほとんどを日本に留めて、MLBに選手が流出することに頭を悩ませてきた日本の二つのリーグには追い風になる、という影響である。
」(おわり)
ダイアン・アーバス:ヒューマニストかそれとも覗き見趣味か [海外のニュース記事]
写真家ダイアン・アーバスについて考察した『ガーディアン』紙の記事を紹介する。これは、記事の中にも書かれているように、最近出版されたアーバスの新しい伝記本に刺激されたものであるようだ。
記事の書き手のショーン・オヘイガン(Sean O'Hagan)はイギリスでは名高い写真批評家であるようだ。
写真家で何か論じてみたくなるという人はあまりいないと思うが、アーバスは例外中の例外。その特異な作品と特異な生き方を少しでも知ると、もっと知りたくなる。私もボズワースの伝記は持っている。彼女のフリーク好きは事実だが、それはあくまで素材にすぎず、あまりフリークとの一体性を強調することには賛成できないとオヘイガンは述べているが、それに私も同意する。
アーバスはかつて写真について“a mystery about a mystery”と述べた。訳し方が難しい。世界は謎に満ちているが、それを撮るという行為(とその成果としての写真)も謎なのだ。だから、写真を撮るということは、謎の謎なのだ。謎にかかわるそれ自体が謎に満ちた行為なのだ。写真を撮りながら、アーバスはその謎の謎を反芻していただけなのだ。おそらくその単純な奥深さが、今日でも観る者を魅了するものなので、そこに写り込んだもの――フリーク、奇形、異常etc――は謎の一要素にすぎないのである。
ちなみに、あまりアーバスについて知識がない人は、グーグルの画像検索を試してみられたい。“Diane Arbus”で検索すると232000件もヒットするので、十二分に堪能できるに違いない。
Diane Arbus: humanist or voyeur?
Sean O'Hagan
guardian.co.uk, Tuesday 26 July 2011 11.56 BST
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2011/jul/26/diane-arbus-photography-sideshow
「
ダイアン・アーバス:ヒューマニストかそれとも覗き見趣味か
不安を抱え込んだアメリカの写真家が自らの命を絶って40年すぎたが、彼女の写真は依然としてカメラの略奪的本性を明らかにし続けている。

(1968年、ポートレイトのためにポーズをとるダイアン・アーバス)
ダイアン・アーバスは、1971年7月26日、48歳のときに自ら命を絶った。没後40年となるこの日に彼女の芸術的遺産について再検討してみることも価値があることだろう。彼女の写真は今日でも観る者の多くに問題を突きつけてやまないが、それは彼女が、サーカスや見世物小屋にいた「フリークス」の写真を撮ることで(彼女は彼らの多くとずっと友人関係を続けていた)、肖像写真の伝統的な境界線を超え出てしまったからだ。
アーバスは、自分が撮る余所者(よそもの)たちの間にいるとき安らぎを感じていたのは間違いないとしても、彼女はまた、余所者たちを撮るときに罪悪感にみちた喜びのスリルをまた経験したに違いない。「見世物小屋に行くときはちょっとしたスリルがあった」。彼女は、ある夜コニー・アイランドのサーカス小屋を訪れたときのことを思い返して、そう告白していたからだ。1960年代当時、芸人たちはサーカス小屋で生計を立てていたのだ。「私は恥辱と畏敬の入り混じったような感情を抱いた」。
彼女の作品を観ると私たちは、どうして彼女は、批評家のスーザン・ソンタグが――彼女特有の上から目線で――言うところの「痛ましく、哀れで、不快でもある」人々を見たがるのかということに疑問を感じるだけでなく、われわれ自身もどうしてそのような人々を見たがるのか、という疑問を感じるようになる。ソンタグの『写真論』の中のおそらく最も怒りに満ちたエッセイで、ソンタグは、アーバスの視線が「距離感や特権に基づいている、つまり、写真を観る者が見るように求められている物が本当に異質な他者であるという感情に基づいている」と主張した。
この「異質な他者」は、かつてと今では違っている。われわれは今、こうした「他者」がいたる所――それが、「ビックリするような身体」を扱う覗き見趣味のTV番組であれ、露出狂や結合双生児についてのドキュメンタリーであれ――にあるような時代に生きているからだ。それにもかかわらず、アーバスの黒白の肖像写真は――特に、精神障害者や身体的異常を抱えた人々を撮った写真は――観る者を不安にし、心をかき乱すような力を失っていないのだ。これらの写真では、彼女の意図がどのようなものであったとしても、残酷が優しさを凌駕しているように見える。さらに、彼女の肖像写真を観ると、私たちは常にアーバスに立ち戻ってしまうのだ。あの被写体を撮ろうとしただけでなく彼らと親しくなろうという必要を感じた彼女自身に。異常なものに飽くことなく魅了された彼女自身に。しばしばもろく崩れた彼女の心の有り方に。(彼女が自殺した理由はいまだにはっきり判っていない)。
今年後半、『ダイアン・アーバス:緊急事態をスローモーションで(Diane Arbus: An Emergency in Slow Motion)』という題名の新しい伝記が出版される予定になっている。著者はパシフィック大学の心理学の教授のウィリアム・トッド・シュルツ(William Todd Schultz)。彼は、彼が「精神分析的伝記」と呼ぶものを専門としている。アーバスを扱ったパトリシア・ボズワース(Patricia Bosworth)の有名な本と同様に、やはりこの伝記でも、写真にある程度の光を当てる試みの中で探究の対象となるのは、このアーチストの人生――と彼女の心――なのである。この研究のために、シュルツはアーバスのセラピストと長時間語り合った。これは、口うるさいことで定評のあるアーバス財団の気に入るやり方ではなかっただろう、と私は推測する。アーバス財団は、シュルツの最近の言葉によると、「芸術を解釈するどんな試みもその芸術の価値を下げてしまう、という考え方――その考え方に私は同意できないが――を抱いているらしい」。
しかしアーバスにとっては、ナン・ゴールディン(Nan Goldin)にとってと同様に、人生と芸術は切り離しがたく結びついているのだ。だが、最近では、アーバスが被写体に対して一体感を感じたことは、ソンタグが主張したように、一種の物好きな覗き見としてではなく、世界を理解し世界の周辺部に新たな光を当てる一つの方法として解釈されてきた。「「フリークス」に一体感を感じた悲劇的な人物という役割をアーバスにあてがうのは、彼女が成し遂げたことを矮小化することである」と、サンフランシスコ現代アート美術館の写真部門のキュレーターをしているサンドラ・S・フィリップスは、2004年にスミソニアン・マガジンにそう語った。「彼女は、新たな写真芸術の最前線にいた偉大なヒューマニストの写真家でした」。
私は、この発言の前半には同意できるが、後半には同意できない。アメリカの偉大な批評家でキュレーターだったジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski)が、1967年にニューヨーク近代美術館で“New Documents”と題されたグループ展でアーバスの作品を初めて展示したときに認めたように、アーバスは、たしかに、粗野であるかと思えば確固としていて、心をかき乱すようなものかと思えば啓発的でもあるような新しい写真美学の先駆者だった。しかし、彼女をヒューマニストと言うのはいかがなものだろう? そのように言える人は、人間性に関する考え方が本質的に悲観的で、神経症的なナルシシズムの要素をもっている人だけだろう。
アーバスは、彼女が撮影した人々に対して大きな共感を抱いていただろうが、彼らの余所者という身分にどれほど彼女が一体感を感じていたとしても、彼女はその一人ではなかった。彼女には彼女なりの悩みがあったが、それらは別次元の悩みだった。彼女が残した作品が力強いのは、その暗い様式美やその荒涼としたビジョンのためだけでなく、その写真を観る者に対して問いを発するからでもあるのだ。その問いとは、見ることの限界についての問いであり、写真が見る者にとって代わりそれを略奪してしまう本性をもっていることについての問いであり、そうしたことすべてにわれわれも共犯として加担していることについての問いである。
われわれがアーバスの写真を観るとき、その被写体が今ではほとんど消滅してしまった時代と場所に結びついているとしても、われわれ自身が侵入者か覗き見をしている者であるかのように感じざるをえない気持ちになる。ある種の共犯の感覚 ――彼女と私たちの共犯の感覚――が彼女の写真の力の核心部分にあるのだ。彼女の写真は、われわれのよりよい本能が目をそらすように命ずるときでさえも、われわれを捉えて離さない。たぶん彼女の最大の才能は、彼女が本能的にその葛藤を理解していたことであり、そして誰よりもその葛藤を芸術的に利用したことだったのである。
」(おわり)
記事の書き手のショーン・オヘイガン(Sean O'Hagan)はイギリスでは名高い写真批評家であるようだ。
写真家で何か論じてみたくなるという人はあまりいないと思うが、アーバスは例外中の例外。その特異な作品と特異な生き方を少しでも知ると、もっと知りたくなる。私もボズワースの伝記は持っている。彼女のフリーク好きは事実だが、それはあくまで素材にすぎず、あまりフリークとの一体性を強調することには賛成できないとオヘイガンは述べているが、それに私も同意する。
アーバスはかつて写真について“a mystery about a mystery”と述べた。訳し方が難しい。世界は謎に満ちているが、それを撮るという行為(とその成果としての写真)も謎なのだ。だから、写真を撮るということは、謎の謎なのだ。謎にかかわるそれ自体が謎に満ちた行為なのだ。写真を撮りながら、アーバスはその謎の謎を反芻していただけなのだ。おそらくその単純な奥深さが、今日でも観る者を魅了するものなので、そこに写り込んだもの――フリーク、奇形、異常etc――は謎の一要素にすぎないのである。
ちなみに、あまりアーバスについて知識がない人は、グーグルの画像検索を試してみられたい。“Diane Arbus”で検索すると232000件もヒットするので、十二分に堪能できるに違いない。
Diane Arbus: humanist or voyeur?
Sean O'Hagan
guardian.co.uk, Tuesday 26 July 2011 11.56 BST
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2011/jul/26/diane-arbus-photography-sideshow
「
ダイアン・アーバス:ヒューマニストかそれとも覗き見趣味か
不安を抱え込んだアメリカの写真家が自らの命を絶って40年すぎたが、彼女の写真は依然としてカメラの略奪的本性を明らかにし続けている。

(1968年、ポートレイトのためにポーズをとるダイアン・アーバス)
ダイアン・アーバスは、1971年7月26日、48歳のときに自ら命を絶った。没後40年となるこの日に彼女の芸術的遺産について再検討してみることも価値があることだろう。彼女の写真は今日でも観る者の多くに問題を突きつけてやまないが、それは彼女が、サーカスや見世物小屋にいた「フリークス」の写真を撮ることで(彼女は彼らの多くとずっと友人関係を続けていた)、肖像写真の伝統的な境界線を超え出てしまったからだ。
アーバスは、自分が撮る余所者(よそもの)たちの間にいるとき安らぎを感じていたのは間違いないとしても、彼女はまた、余所者たちを撮るときに罪悪感にみちた喜びのスリルをまた経験したに違いない。「見世物小屋に行くときはちょっとしたスリルがあった」。彼女は、ある夜コニー・アイランドのサーカス小屋を訪れたときのことを思い返して、そう告白していたからだ。1960年代当時、芸人たちはサーカス小屋で生計を立てていたのだ。「私は恥辱と畏敬の入り混じったような感情を抱いた」。
彼女の作品を観ると私たちは、どうして彼女は、批評家のスーザン・ソンタグが――彼女特有の上から目線で――言うところの「痛ましく、哀れで、不快でもある」人々を見たがるのかということに疑問を感じるだけでなく、われわれ自身もどうしてそのような人々を見たがるのか、という疑問を感じるようになる。ソンタグの『写真論』の中のおそらく最も怒りに満ちたエッセイで、ソンタグは、アーバスの視線が「距離感や特権に基づいている、つまり、写真を観る者が見るように求められている物が本当に異質な他者であるという感情に基づいている」と主張した。
この「異質な他者」は、かつてと今では違っている。われわれは今、こうした「他者」がいたる所――それが、「ビックリするような身体」を扱う覗き見趣味のTV番組であれ、露出狂や結合双生児についてのドキュメンタリーであれ――にあるような時代に生きているからだ。それにもかかわらず、アーバスの黒白の肖像写真は――特に、精神障害者や身体的異常を抱えた人々を撮った写真は――観る者を不安にし、心をかき乱すような力を失っていないのだ。これらの写真では、彼女の意図がどのようなものであったとしても、残酷が優しさを凌駕しているように見える。さらに、彼女の肖像写真を観ると、私たちは常にアーバスに立ち戻ってしまうのだ。あの被写体を撮ろうとしただけでなく彼らと親しくなろうという必要を感じた彼女自身に。異常なものに飽くことなく魅了された彼女自身に。しばしばもろく崩れた彼女の心の有り方に。(彼女が自殺した理由はいまだにはっきり判っていない)。
今年後半、『ダイアン・アーバス:緊急事態をスローモーションで(Diane Arbus: An Emergency in Slow Motion)』という題名の新しい伝記が出版される予定になっている。著者はパシフィック大学の心理学の教授のウィリアム・トッド・シュルツ(William Todd Schultz)。彼は、彼が「精神分析的伝記」と呼ぶものを専門としている。アーバスを扱ったパトリシア・ボズワース(Patricia Bosworth)の有名な本と同様に、やはりこの伝記でも、写真にある程度の光を当てる試みの中で探究の対象となるのは、このアーチストの人生――と彼女の心――なのである。この研究のために、シュルツはアーバスのセラピストと長時間語り合った。これは、口うるさいことで定評のあるアーバス財団の気に入るやり方ではなかっただろう、と私は推測する。アーバス財団は、シュルツの最近の言葉によると、「芸術を解釈するどんな試みもその芸術の価値を下げてしまう、という考え方――その考え方に私は同意できないが――を抱いているらしい」。
しかしアーバスにとっては、ナン・ゴールディン(Nan Goldin)にとってと同様に、人生と芸術は切り離しがたく結びついているのだ。だが、最近では、アーバスが被写体に対して一体感を感じたことは、ソンタグが主張したように、一種の物好きな覗き見としてではなく、世界を理解し世界の周辺部に新たな光を当てる一つの方法として解釈されてきた。「「フリークス」に一体感を感じた悲劇的な人物という役割をアーバスにあてがうのは、彼女が成し遂げたことを矮小化することである」と、サンフランシスコ現代アート美術館の写真部門のキュレーターをしているサンドラ・S・フィリップスは、2004年にスミソニアン・マガジンにそう語った。「彼女は、新たな写真芸術の最前線にいた偉大なヒューマニストの写真家でした」。
私は、この発言の前半には同意できるが、後半には同意できない。アメリカの偉大な批評家でキュレーターだったジョン・シャーカフスキー(John Szarkowski)が、1967年にニューヨーク近代美術館で“New Documents”と題されたグループ展でアーバスの作品を初めて展示したときに認めたように、アーバスは、たしかに、粗野であるかと思えば確固としていて、心をかき乱すようなものかと思えば啓発的でもあるような新しい写真美学の先駆者だった。しかし、彼女をヒューマニストと言うのはいかがなものだろう? そのように言える人は、人間性に関する考え方が本質的に悲観的で、神経症的なナルシシズムの要素をもっている人だけだろう。
アーバスは、彼女が撮影した人々に対して大きな共感を抱いていただろうが、彼らの余所者という身分にどれほど彼女が一体感を感じていたとしても、彼女はその一人ではなかった。彼女には彼女なりの悩みがあったが、それらは別次元の悩みだった。彼女が残した作品が力強いのは、その暗い様式美やその荒涼としたビジョンのためだけでなく、その写真を観る者に対して問いを発するからでもあるのだ。その問いとは、見ることの限界についての問いであり、写真が見る者にとって代わりそれを略奪してしまう本性をもっていることについての問いであり、そうしたことすべてにわれわれも共犯として加担していることについての問いである。
われわれがアーバスの写真を観るとき、その被写体が今ではほとんど消滅してしまった時代と場所に結びついているとしても、われわれ自身が侵入者か覗き見をしている者であるかのように感じざるをえない気持ちになる。ある種の共犯の感覚 ――彼女と私たちの共犯の感覚――が彼女の写真の力の核心部分にあるのだ。彼女の写真は、われわれのよりよい本能が目をそらすように命ずるときでさえも、われわれを捉えて離さない。たぶん彼女の最大の才能は、彼女が本能的にその葛藤を理解していたことであり、そして誰よりもその葛藤を芸術的に利用したことだったのである。
」(おわり)
陳腐な悪のテロリズム [海外のニュース記事]
ノルウェーの無差別殺人事件については、いろいろ報道がされているものの、興味深い記事は今のところ出ていない。ひょっとしたら、何も出ないのかもしれない。
少し「おやっ」と思ったのは、父親が「殺人ではなく自殺すべきだった」と突き放すように言い放ったビデオを見たとき。父親は元外交官だったらしい。今は引退してフランスで悠々自適の生活を送っている。つまり容疑者一家は、社会的に高い身分を享受していた富裕層に属していたので、貧困を移民のせいにして移民排撃にフラストレーションのはけ口を求めるという右翼にありがちな動機はなかったようだ。
裁判では、容疑者の精神状態が問題になるだろう。すでに弁護人がそういう方向性を示唆している。しかし、それは法廷の戦術というものだろう。サイコパス的な要因はあるとしても、容疑者は「狂っている」わけではないと思われる。
したがって、おそらく純然たる「思想的犯罪」ということになるのだろう。もっとも、そう言うのは少し飾りすぎた表現になるかもしれない。ブレイビク程度の反イスラム、反移民、反リベラル的な言動は世界中に満ちあふれていて、それらの断片をつなぎ合わせれば、犯行前にアップされたあのマニフェストの一つや二つは誰にでも書けるだろうからである。
そういう意味で、下に掲げるヘニング・マンケルとともに、この事件は「悪の陳腐さ(the Banality of Evil)」の一例にすぎない、と言うべきなのかもしれない。ものすごく忌まわしい事件であるが、その張本人はごく陳腐な人間にすぎない、と言うべきなのかもしれない。なされたことはとてつもない「悪」だが、その「悪」事をしでかした人間を、政治的・精神的・精神分析的に持ち上げるのは間違っているのだろう。
そういう冷静な観点からこの事件を捉えたヘニング・マンケルの、『ガーディアン』紙に載った一文を紹介しよう。記事の最後に記されているが、ヘニング・マンケルは人気のある犯罪小説の作家。私は知らなかったが、多くの作品が日本語に翻訳されているようだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%AB
判りづらい表現がいくつかあるので、簡単な解説をつけておこう。
悪の陳腐さ・・・・これについては、このブログの6月の記事でも扱ったので、そちらをご覧いただこう。 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-06-19
最近この「悪の陳腐さ」という考え方が良く引き合いに出されているような気がするが、それだけ陳腐な悪の例が世界的に蔓延しているからだろうか?
超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)・・・・「超人」は哲学者ニーチェが創った言葉。“Uebermensch”はドイツ語。「末人」と対比的に使われる。ニーチェの意図はともかく、その語が人種差別的文脈で使われるとき、優越した人種が「超人」、排斥されるべき人種が「末人」というふうに使われる。
「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである(The only thing we have to fear is fear itself)」・・・・
1929年の世界恐慌時にアメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトが言った言葉。恐怖心が社会全体に蔓延することが、最も恐るべきことである、という意味。以下の記事では、テロリズムはそうした事態に立ち至ることを狙っているのだから、変に萎縮してはならない、という主張の一環として用いられている。
Henning Mankell
guardian.co.uk, Monday 25 July 2011 20.00 BST
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jul/25/norway-attacks-anders-behring-breivik
「
ノルウェーでのテロ攻撃:アンネシュ・ベーリンク・ブレイビクは歴史に名を残す怪物の仲間入りをするだろう
この事件は、ヒトラーのナチズムのトレード・マークだった超人のメンタリティーという亡霊の再来だ。牧歌的な国がまた悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されている。

(裁判所での審理を終えて立ち去るアンネシュ・ベーリンク・ブレイビク。彼はオスロでの爆弾テロとウトヤ島での若者の大量虐殺の容疑で起訴された)
70人以上を殺したことを自供したこの32歳のノルウェー人は、出廷する条件として二つのことを要請した。ユニフォームを着用したいということと、審理を公開してほしいということである。
このことが今回の事件を一層複雑にしている。この忌まわしい犯罪を犯した男は、自分の行動を擁護する政治的計画を練っていたようだ。彼を単に「狂人」として退けることは出来ないし、彼はそれ以上の存在だ。彼は自分自身を兵士と見なしており、自分が重要な言い分をもっていると考えている。
問題は、その言い分がどのようなものであるかという点だ。
われわれはその答えを、ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが1961年にイスラエルで行われたアイヒマンの裁判の際に書いた書物の中に見つけることができる。この裁判のことを知らない人のために言うと、アイヒマンとは、ヒトラーが地表から除去されるべきだと考えたユダヤ人、ジプシー等の人々の大量抹殺について彼が受けた命令をためらわずに実行した、大いに恐れられたナチスの幹部であった。アイヒマンは、ナチスドイツが1945年の春に瓦解して逃亡生活を送っていたが、イスラエルの秘密警察であるモサドの幹部によってアルゼンチンで捕えられ、極秘にイスラエルに移送された。彼は死刑宣告をうけ、後に絞首刑に処せられた。
『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』の中で、アーレントは、他の人間に対して共感を寄せることもなく、無差別に殺そうとする人間の心中を理解しようと試みている。そうした人間は、しばしば、庭いじりが好きで犬や子供と遊ぶ普通の人々である。彼らと路上ですれ違っても、狂った殺人者だと思う人はいないだろう。
われわれがこのノルウェー人について知っていることも、陳腐さを示している。彼は内心の怒りによって引き裂かれている。彼はイスラム教徒に反発を感じている。彼は多文化社会で人々が様々な仕方で出会うことに反発を感じている。彼はグローバリズムの野心を嫌悪しており、現代という観念そのものを攻撃しようと望んでいる。彼は、生きていて呼吸している人々を槍で攻撃しようとする冷血なドン・キホーテなのである。
すべてがうまく計画されていた。表面的には、これから起ころうとすることを示唆するようなものはほとんど何もなかった。逮捕された後、彼は自分の行動を「残忍だったが、必要なことだった」と述べたと報道されている。彼はノルウェー人を「目覚めさせる」ために戦争を始めた。彼はユニフォームを着用して行動することを望み、審理がメッセージを送信できる舞台になることを望んだ。
彼はおそらく、やがて時がたてば、自分はノルウェーを「救った」ヒーローになるだろう、と想像しているのだろう。あるいは、人間の顔をした怪物たちの殿堂に加わることに満足する様子を想像しているのだろう。
こんな事件をわれわれが待ち望んでいたかどうかと問うてみるべきだろう。こんな残忍なテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか? しかも、イスラム教を盾にとりその宗教の名のもとに行動していると称する人間によってではなく、別の政治的・宗教的な動機をもつ人間、極右で、キリスト教原理主義の要素をもつ国家主義者が起こしたテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか?
ノルウェーで起こったことは超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)という亡霊の再来であると言えるかもしれない。そのメンタリティーは、第二次世界大戦中にノルウェーを占領し苦しめたヒトラーのナチズムのトレード・マークだった。
われわれが昨日まで確信していなかったが、少なくとも今は知っていることが一つある。それは、どんな文脈であれ、どんな宗教的、政治的、イデオロギー的文脈であれ、テロ行為の正当化を人々は見つけることが出来る、ということだ。テロリズムとはイスラム教の信仰と同義であると主張した人々は間違っていた、ということが今となっては判るのである。
遠くにある、そしていろいろな意味で牧歌的なノルウェー、石油と富をもつノルウェーという国が、突然、悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されたのである。
このような行為に対して自分自身と自分の国家を完璧に守ることは不可能かもしれないが、われわれは試みなければならない。もしわれわれが門戸を閉ざし始め、恐怖心からすべてを決定するようになれば、テロ行為をした人間が勝利を収めることになるのだから、われわれは開かれた社会を守らなければならない。そうした人間が望むのは恐怖を社会に注ぎ込むことなのである。フランクリン・ルーズベルトが言うように「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである」。
ノルウェー人の若者が自分の行動をどれほど懸命に正当化しようと、われわれには理解できないことが残る。それは、面識のない若い男女に銃口を向け引き金を引いた人間の心に去来していたのは何か、ということである。
どんな野蛮な行為にも、人間的な要素があるものだ。それが野蛮な行為をかくも非人間的なものにするのである。
ヘニング・マンケル(Henning Mankell)は、犯罪小説のクルト・ヴァランダー (Kurt Wallander) シリーズの著者である
」(おわり)
少し「おやっ」と思ったのは、父親が「殺人ではなく自殺すべきだった」と突き放すように言い放ったビデオを見たとき。父親は元外交官だったらしい。今は引退してフランスで悠々自適の生活を送っている。つまり容疑者一家は、社会的に高い身分を享受していた富裕層に属していたので、貧困を移民のせいにして移民排撃にフラストレーションのはけ口を求めるという右翼にありがちな動機はなかったようだ。
裁判では、容疑者の精神状態が問題になるだろう。すでに弁護人がそういう方向性を示唆している。しかし、それは法廷の戦術というものだろう。サイコパス的な要因はあるとしても、容疑者は「狂っている」わけではないと思われる。
したがって、おそらく純然たる「思想的犯罪」ということになるのだろう。もっとも、そう言うのは少し飾りすぎた表現になるかもしれない。ブレイビク程度の反イスラム、反移民、反リベラル的な言動は世界中に満ちあふれていて、それらの断片をつなぎ合わせれば、犯行前にアップされたあのマニフェストの一つや二つは誰にでも書けるだろうからである。
そういう意味で、下に掲げるヘニング・マンケルとともに、この事件は「悪の陳腐さ(the Banality of Evil)」の一例にすぎない、と言うべきなのかもしれない。ものすごく忌まわしい事件であるが、その張本人はごく陳腐な人間にすぎない、と言うべきなのかもしれない。なされたことはとてつもない「悪」だが、その「悪」事をしでかした人間を、政治的・精神的・精神分析的に持ち上げるのは間違っているのだろう。
そういう冷静な観点からこの事件を捉えたヘニング・マンケルの、『ガーディアン』紙に載った一文を紹介しよう。記事の最後に記されているが、ヘニング・マンケルは人気のある犯罪小説の作家。私は知らなかったが、多くの作品が日本語に翻訳されているようだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%AB
判りづらい表現がいくつかあるので、簡単な解説をつけておこう。
悪の陳腐さ・・・・これについては、このブログの6月の記事でも扱ったので、そちらをご覧いただこう。 http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-06-19
最近この「悪の陳腐さ」という考え方が良く引き合いに出されているような気がするが、それだけ陳腐な悪の例が世界的に蔓延しているからだろうか?
超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)・・・・「超人」は哲学者ニーチェが創った言葉。“Uebermensch”はドイツ語。「末人」と対比的に使われる。ニーチェの意図はともかく、その語が人種差別的文脈で使われるとき、優越した人種が「超人」、排斥されるべき人種が「末人」というふうに使われる。
「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである(The only thing we have to fear is fear itself)」・・・・
1929年の世界恐慌時にアメリカ大統領だったフランクリン・ルーズベルトが言った言葉。恐怖心が社会全体に蔓延することが、最も恐るべきことである、という意味。以下の記事では、テロリズムはそうした事態に立ち至ることを狙っているのだから、変に萎縮してはならない、という主張の一環として用いられている。
Henning Mankell
guardian.co.uk, Monday 25 July 2011 20.00 BST
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jul/25/norway-attacks-anders-behring-breivik
「
ノルウェーでのテロ攻撃:アンネシュ・ベーリンク・ブレイビクは歴史に名を残す怪物の仲間入りをするだろう
この事件は、ヒトラーのナチズムのトレード・マークだった超人のメンタリティーという亡霊の再来だ。牧歌的な国がまた悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されている。

(裁判所での審理を終えて立ち去るアンネシュ・ベーリンク・ブレイビク。彼はオスロでの爆弾テロとウトヤ島での若者の大量虐殺の容疑で起訴された)
70人以上を殺したことを自供したこの32歳のノルウェー人は、出廷する条件として二つのことを要請した。ユニフォームを着用したいということと、審理を公開してほしいということである。
このことが今回の事件を一層複雑にしている。この忌まわしい犯罪を犯した男は、自分の行動を擁護する政治的計画を練っていたようだ。彼を単に「狂人」として退けることは出来ないし、彼はそれ以上の存在だ。彼は自分自身を兵士と見なしており、自分が重要な言い分をもっていると考えている。
問題は、その言い分がどのようなものであるかという点だ。
われわれはその答えを、ドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが1961年にイスラエルで行われたアイヒマンの裁判の際に書いた書物の中に見つけることができる。この裁判のことを知らない人のために言うと、アイヒマンとは、ヒトラーが地表から除去されるべきだと考えたユダヤ人、ジプシー等の人々の大量抹殺について彼が受けた命令をためらわずに実行した、大いに恐れられたナチスの幹部であった。アイヒマンは、ナチスドイツが1945年の春に瓦解して逃亡生活を送っていたが、イスラエルの秘密警察であるモサドの幹部によってアルゼンチンで捕えられ、極秘にイスラエルに移送された。彼は死刑宣告をうけ、後に絞首刑に処せられた。
『エルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』の中で、アーレントは、他の人間に対して共感を寄せることもなく、無差別に殺そうとする人間の心中を理解しようと試みている。そうした人間は、しばしば、庭いじりが好きで犬や子供と遊ぶ普通の人々である。彼らと路上ですれ違っても、狂った殺人者だと思う人はいないだろう。
われわれがこのノルウェー人について知っていることも、陳腐さを示している。彼は内心の怒りによって引き裂かれている。彼はイスラム教徒に反発を感じている。彼は多文化社会で人々が様々な仕方で出会うことに反発を感じている。彼はグローバリズムの野心を嫌悪しており、現代という観念そのものを攻撃しようと望んでいる。彼は、生きていて呼吸している人々を槍で攻撃しようとする冷血なドン・キホーテなのである。
すべてがうまく計画されていた。表面的には、これから起ころうとすることを示唆するようなものはほとんど何もなかった。逮捕された後、彼は自分の行動を「残忍だったが、必要なことだった」と述べたと報道されている。彼はノルウェー人を「目覚めさせる」ために戦争を始めた。彼はユニフォームを着用して行動することを望み、審理がメッセージを送信できる舞台になることを望んだ。
彼はおそらく、やがて時がたてば、自分はノルウェーを「救った」ヒーローになるだろう、と想像しているのだろう。あるいは、人間の顔をした怪物たちの殿堂に加わることに満足する様子を想像しているのだろう。
こんな事件をわれわれが待ち望んでいたかどうかと問うてみるべきだろう。こんな残忍なテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか? しかも、イスラム教を盾にとりその宗教の名のもとに行動していると称する人間によってではなく、別の政治的・宗教的な動機をもつ人間、極右で、キリスト教原理主義の要素をもつ国家主義者が起こしたテロ行為をわれわれは待ち望んでいたのだろうか?
ノルウェーで起こったことは超人のメンタリティー(Uebermensch mentality)という亡霊の再来であると言えるかもしれない。そのメンタリティーは、第二次世界大戦中にノルウェーを占領し苦しめたヒトラーのナチズムのトレード・マークだった。
われわれが昨日まで確信していなかったが、少なくとも今は知っていることが一つある。それは、どんな文脈であれ、どんな宗教的、政治的、イデオロギー的文脈であれ、テロ行為の正当化を人々は見つけることが出来る、ということだ。テロリズムとはイスラム教の信仰と同義であると主張した人々は間違っていた、ということが今となっては判るのである。
遠くにある、そしていろいろな意味で牧歌的なノルウェー、石油と富をもつノルウェーという国が、突然、悪の陳腐さの脅威に曝(さら)されたのである。
このような行為に対して自分自身と自分の国家を完璧に守ることは不可能かもしれないが、われわれは試みなければならない。もしわれわれが門戸を閉ざし始め、恐怖心からすべてを決定するようになれば、テロ行為をした人間が勝利を収めることになるのだから、われわれは開かれた社会を守らなければならない。そうした人間が望むのは恐怖を社会に注ぎ込むことなのである。フランクリン・ルーズベルトが言うように「私たちが恐れなければならない唯一のものは恐怖心そのものである」。
ノルウェー人の若者が自分の行動をどれほど懸命に正当化しようと、われわれには理解できないことが残る。それは、面識のない若い男女に銃口を向け引き金を引いた人間の心に去来していたのは何か、ということである。
どんな野蛮な行為にも、人間的な要素があるものだ。それが野蛮な行為をかくも非人間的なものにするのである。
ヘニング・マンケル(Henning Mankell)は、犯罪小説のクルト・ヴァランダー (Kurt Wallander) シリーズの著者である
」(おわり)
空撮されていたノルウェーでの銃乱射事件 [海外のニュース記事]
御存じのように、「キリスト教原理主義」を名乗る右翼の白人がノルウェーのウトヤ島で銃乱射事件を起こし、現在までに80名以上の死者が出た模様。容疑者はヒトラーの再来を目指したという報道もあるが、詳細は不明。興味深い記事が出たら紹介することにしたい。
容疑者と思われる男が銃を抱えて死体の間を歩いている姿がノルウェーの警察によってヘリコプターから撮影されていたようだ。その写真を含む数枚の写真を『ガーディアン』紙から紹介しよう。
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/jul/23/norway-attacks#/?picture=377194101&index=0
「
・ ノルウェー警察が容疑者だと信じるアンネシュ・ベーリンク・ブレイビクが、ウトヤ島の岸辺に横たわる死体の傍で、銃をかまえている様子を示すヘリコプターからの写真。

・ 負傷した女性が、救出された後で、ウトヤ島を臨む対岸に運ばれる。

・ ウトヤ島での乱射事件の最中に人々が避難している間、特殊部隊が武器を構える。

・ ウトヤ島の岸に横たわる覆いをかけられた死体。

・ ノルウェー国王ハラルドとソニア王妃が生存者を勇気づけるためにスンヴォーレンのホテルに到着した頃撮影された生存者たち。

・ 弔意を表すためにオスロ大聖堂の外側に集まった人々。

」
容疑者と思われる男が銃を抱えて死体の間を歩いている姿がノルウェーの警察によってヘリコプターから撮影されていたようだ。その写真を含む数枚の写真を『ガーディアン』紙から紹介しよう。
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/jul/23/norway-attacks#/?picture=377194101&index=0
「
・ ノルウェー警察が容疑者だと信じるアンネシュ・ベーリンク・ブレイビクが、ウトヤ島の岸辺に横たわる死体の傍で、銃をかまえている様子を示すヘリコプターからの写真。

・ 負傷した女性が、救出された後で、ウトヤ島を臨む対岸に運ばれる。

・ ウトヤ島での乱射事件の最中に人々が避難している間、特殊部隊が武器を構える。

・ ウトヤ島の岸に横たわる覆いをかけられた死体。

・ ノルウェー国王ハラルドとソニア王妃が生存者を勇気づけるためにスンヴォーレンのホテルに到着した頃撮影された生存者たち。

・ 弔意を表すためにオスロ大聖堂の外側に集まった人々。

」
神の子の顔の概念について [海外のニュース記事]
イギリスの『ガーディアン』紙のスライド・ショーを何気なく眺めていたら、一瞬ギョッとするような画像に遭遇した。
http://www.guardian.co.uk/news/gallery/2011/jul/20/24-hours-in-pictures?picture=377071697#/?picture=377071760&index=12

キャプションには「フランス アヴィニオン: イタリアのロメオ・カステルッチによる「神の子の顔の概念について(Sur le Concept du Visage du Fils de Dieu)」という劇のリハーサル中に子供たちが演技している」と書かれてある。
そうか、アヴィニオン演劇祭に今年もカステルッチが作品を出したのか。ひとまず納得。それにしても、またケレン味のある舞台のようだこと。
ロメオ・カステルッチ(Romeo Castellucci)は、どう説明すればいいのか? とりあえず、イタリアの演劇・舞台パフォーマンスの鬼才とでもいうべきか? ダンテの『神曲』に想を得た同名の作品が一番有名であろう。 YouTubeでその断片をいろいろ見ることができる。たとえば
http://www.youtube.com/watch?v=LOv3QsyJG2I
・・・・とまあ、これで終わりにしてもいいのだが、フランスの『ル・モンド』紙に批評記事が載っていたので紹介してみよう。あくどいまでのキワモノ的演出と恐ろしいほど真っ当な思想が同居しているような感じを私はもった。
ともかく、興味が湧いた人は、26日までオペラ-テアートルで上映されているので、急いで出かけてはどうか。それに間に合わない人は、来年の二月にパリで、冬にも何度か各地で公演予定だそうである。
Castellucci arrête le Christ à Avignon
Critique | | 22.07.11 | 15h00 • Mis à jour le 22.07.11 | 15h02
http://www.lemonde.fr/ete/article/2011/07/22/castellucci-arrete-le-christ-a-avignon_1551663_1383719.html
「 カステルッチ、キリストをアヴィニオンでとらえる
ほら、男の顔があなたを注視している。この顔は、キリストの顔を表しているのだが、15世紀に、アントネッロ・デ・メッシーナ(Antonello de Messine)によって描かれたものだ。この絵のタイトルは「救世主(Salvator Mundi)」。この絵が、ロメオ・カステルッチがアヴィニョンで公開した新たな創作の中心にある。やはりいつものように、彼の作品は観る者の心をかき乱し、(観客一人一人の内面を)分裂させ、混乱に陥れ、このイタリアの芸術家だけが分け入ることのできる領域へと導き入れるのである。
この顔は、絵画が大きく再現されているステージの背景から私たちを注視している。この計り知れないまなざしの下で、観客が目にする舞台は、全くつまらないものに見える。カステルッチにしては驚くべきリアリズムだが、真っ白なアパートというセットの中で、私たちは二人の男、一人の老人とその息子を見つける。父は赤痢の悪化に苦しみ、便意をこらえることが出来ない。息子は、出勤時に三度にわたって、父のおむつを取り換え洗浄しなくてはならず、最初のうちは愛情と忍耐をもって行っていたのだが、やがてそこに落胆と怒りが混じって来るのだ。
ロメオ・カステルッチはこの長い場面の演出を、多くの観客を不快にさせるような(そのために退席する者もいた)リアリズムによって行った。ここには無害な要素は何もない。カステルッチの舞台は、つねに、観る者を観客という状態に立ち返らせるのだが、彼らは、裸の老人がお尻を拭くことができず、おむつに足を通し、自分の老醜について子供のように泣く様子を一々見る羽目になるのだ。このイタリアのアーチストは何も省くことはしない。糞の臭いさえ省かないのだ。
その後、舞台はまったく別の次元に移る。カステルッチ自身がプログラムで述べたように、「スカトロジー(scatologie:糞尿譚)から終末論(eschatologie)への移行」である。キリストの顔が闇に没し、また現れる。そこに、一人、二人――十人ほどの子供がやって来る。今回のアヴィニョン演劇祭では、ほぼすべての舞台で子供が登場する。彼らは、通学カバンから、手榴弾に似せた小さなおもちゃを取り出し、争うようにして絵を爆破するのだが、絵の表面が変わることはない。アントネッロ・デ・メッシーナのキリストの顔は、依然として計りがたく手の届かない彼方にあるのである。
「あなたは私の羊飼いではない」
一連の魅惑的な映像が続くうちに、絵の表面の下、画布の背後で、何かが起こる気配がする。カステルッチは、偉大な造形作家でもあるのだが、キリストの顔を内部から攻撃するのだ。それは、まず手や足をつかって表面の繊細な皮膚を伸ばすかのようにして、いじくり回され歪められる。次に、大きなナイフが絵を切り刻み、赤黒い大量の液体(それは血というよりも前のシーンの排せつ物を想起させる)が絵一面に広がり、神の子の肖像画と舞台背後の黒い幕がずれていくのだ。
画布は最終的に引き裂かれ、大きな黒のパネルが現われる。そこには、まず、新聞から切り取った大きな活字で、「あなたは私の羊飼いである(You are my shepherd)」という文字が浮かび上がる。しかしやがて、それが「あたは私の羊飼いではない(You are not my shepherd)」であることに気づく、という仕掛けになっている。
以上のことをどう考えたらいいか? カステルッチのあらゆる舞台と同様に、観客は、この多義的な演出から、まったく個人的な意味を引き出すことができるだろう。しかし、この舞台のための解説のなかで、ロメオ・カステルッチは、面白い解釈を提供している。「父親の失禁は、実体の喪失、自己の喪失である。失禁を舞台化したのは、ケノーシス(kenosis:神性放棄)――この表現は、「空虚になる」という意味のギリシア語の動詞kénoôに由来する――、つまり、最も具体的な意味での人間的な次元を充分に取り込むために、自らの神性を放棄することになるキリストのこの世の試みに観客を直面させるためだった。それは、キリストが十字架で死ぬことによって人間の肉体に入り込む瞬間である。十字架に架けられてから、神は自らを低めて私たちのもっとも卑しい悲惨にまで降りてきたのだ。神は私たちに先んじて苦悩する、特に肉体的に苦悩するのである」。
「神の子の顔の概念について」を観終った後でも、アントネッロ・デ・メッシーナが描くキリストのまなざしは、その神秘性を変えないまま、あなたの脳裏から離れることはないだろう。はたして、あなたは注視したのか、それとも注視されたのか?
」(おわり)
http://www.guardian.co.uk/news/gallery/2011/jul/20/24-hours-in-pictures?picture=377071697#/?picture=377071760&index=12

キャプションには「フランス アヴィニオン: イタリアのロメオ・カステルッチによる「神の子の顔の概念について(Sur le Concept du Visage du Fils de Dieu)」という劇のリハーサル中に子供たちが演技している」と書かれてある。
そうか、アヴィニオン演劇祭に今年もカステルッチが作品を出したのか。ひとまず納得。それにしても、またケレン味のある舞台のようだこと。
ロメオ・カステルッチ(Romeo Castellucci)は、どう説明すればいいのか? とりあえず、イタリアの演劇・舞台パフォーマンスの鬼才とでもいうべきか? ダンテの『神曲』に想を得た同名の作品が一番有名であろう。 YouTubeでその断片をいろいろ見ることができる。たとえば
http://www.youtube.com/watch?v=LOv3QsyJG2I
・・・・とまあ、これで終わりにしてもいいのだが、フランスの『ル・モンド』紙に批評記事が載っていたので紹介してみよう。あくどいまでのキワモノ的演出と恐ろしいほど真っ当な思想が同居しているような感じを私はもった。
ともかく、興味が湧いた人は、26日までオペラ-テアートルで上映されているので、急いで出かけてはどうか。それに間に合わない人は、来年の二月にパリで、冬にも何度か各地で公演予定だそうである。
Castellucci arrête le Christ à Avignon
Critique | | 22.07.11 | 15h00 • Mis à jour le 22.07.11 | 15h02
http://www.lemonde.fr/ete/article/2011/07/22/castellucci-arrete-le-christ-a-avignon_1551663_1383719.html
「 カステルッチ、キリストをアヴィニオンでとらえる
ほら、男の顔があなたを注視している。この顔は、キリストの顔を表しているのだが、15世紀に、アントネッロ・デ・メッシーナ(Antonello de Messine)によって描かれたものだ。この絵のタイトルは「救世主(Salvator Mundi)」。この絵が、ロメオ・カステルッチがアヴィニョンで公開した新たな創作の中心にある。やはりいつものように、彼の作品は観る者の心をかき乱し、(観客一人一人の内面を)分裂させ、混乱に陥れ、このイタリアの芸術家だけが分け入ることのできる領域へと導き入れるのである。
この顔は、絵画が大きく再現されているステージの背景から私たちを注視している。この計り知れないまなざしの下で、観客が目にする舞台は、全くつまらないものに見える。カステルッチにしては驚くべきリアリズムだが、真っ白なアパートというセットの中で、私たちは二人の男、一人の老人とその息子を見つける。父は赤痢の悪化に苦しみ、便意をこらえることが出来ない。息子は、出勤時に三度にわたって、父のおむつを取り換え洗浄しなくてはならず、最初のうちは愛情と忍耐をもって行っていたのだが、やがてそこに落胆と怒りが混じって来るのだ。
ロメオ・カステルッチはこの長い場面の演出を、多くの観客を不快にさせるような(そのために退席する者もいた)リアリズムによって行った。ここには無害な要素は何もない。カステルッチの舞台は、つねに、観る者を観客という状態に立ち返らせるのだが、彼らは、裸の老人がお尻を拭くことができず、おむつに足を通し、自分の老醜について子供のように泣く様子を一々見る羽目になるのだ。このイタリアのアーチストは何も省くことはしない。糞の臭いさえ省かないのだ。
その後、舞台はまったく別の次元に移る。カステルッチ自身がプログラムで述べたように、「スカトロジー(scatologie:糞尿譚)から終末論(eschatologie)への移行」である。キリストの顔が闇に没し、また現れる。そこに、一人、二人――十人ほどの子供がやって来る。今回のアヴィニョン演劇祭では、ほぼすべての舞台で子供が登場する。彼らは、通学カバンから、手榴弾に似せた小さなおもちゃを取り出し、争うようにして絵を爆破するのだが、絵の表面が変わることはない。アントネッロ・デ・メッシーナのキリストの顔は、依然として計りがたく手の届かない彼方にあるのである。
「あなたは私の羊飼いではない」
一連の魅惑的な映像が続くうちに、絵の表面の下、画布の背後で、何かが起こる気配がする。カステルッチは、偉大な造形作家でもあるのだが、キリストの顔を内部から攻撃するのだ。それは、まず手や足をつかって表面の繊細な皮膚を伸ばすかのようにして、いじくり回され歪められる。次に、大きなナイフが絵を切り刻み、赤黒い大量の液体(それは血というよりも前のシーンの排せつ物を想起させる)が絵一面に広がり、神の子の肖像画と舞台背後の黒い幕がずれていくのだ。
画布は最終的に引き裂かれ、大きな黒のパネルが現われる。そこには、まず、新聞から切り取った大きな活字で、「あなたは私の羊飼いである(You are my shepherd)」という文字が浮かび上がる。しかしやがて、それが「あたは私の羊飼いではない(You are not my shepherd)」であることに気づく、という仕掛けになっている。
以上のことをどう考えたらいいか? カステルッチのあらゆる舞台と同様に、観客は、この多義的な演出から、まったく個人的な意味を引き出すことができるだろう。しかし、この舞台のための解説のなかで、ロメオ・カステルッチは、面白い解釈を提供している。「父親の失禁は、実体の喪失、自己の喪失である。失禁を舞台化したのは、ケノーシス(kenosis:神性放棄)――この表現は、「空虚になる」という意味のギリシア語の動詞kénoôに由来する――、つまり、最も具体的な意味での人間的な次元を充分に取り込むために、自らの神性を放棄することになるキリストのこの世の試みに観客を直面させるためだった。それは、キリストが十字架で死ぬことによって人間の肉体に入り込む瞬間である。十字架に架けられてから、神は自らを低めて私たちのもっとも卑しい悲惨にまで降りてきたのだ。神は私たちに先んじて苦悩する、特に肉体的に苦悩するのである」。
「神の子の顔の概念について」を観終った後でも、アントネッロ・デ・メッシーナが描くキリストのまなざしは、その神秘性を変えないまま、あなたの脳裏から離れることはないだろう。はたして、あなたは注視したのか、それとも注視されたのか?
」(おわり)
気になる言葉――「気丈に」 [雑感]
ラモス瑠偉氏の奥方が亡くなられた。
そのことよりも、それを報じたデイリ―スポーツ紙の記事の表現の方に私の目は行った。
「 ラモス氏、妻の通夜で気丈に振る舞う
デイリースポーツ 7月21日(木)21時24分配信
元日本代表MFで、ビーチサッカー日本代表監督のラモス瑠偉氏の妻で19日に転移性肝がんで亡くなった初音さん(享年52歳)の通夜が21日、東京・千代田区の聖イグナチオ教会でしめやかに営まれた。サッカー界からはラモス氏とヴェルディ時代の黄金期を戦った三浦知良(現横浜FC)夫妻、武田修宏氏らに加え、前日本代表監督の岡田武史氏ら多数の関係者が参列した。
ラモス氏は憔悴(しょうすい)した様子ながら、気丈に喪主を務めた。参列した三浦は「ラモスさんの背中が少し小さくなったような気がした。本当に僕らの勉強になる夫婦だったし、残念です」と、故人をしのんだ。
」。
「気丈に」という言葉が二度使われているが、どうも違和感を覚える。辞書的には「気持ちがしっかりしている・こと(さま)」(大辞林)だから問題ないように見えるが、それは少し違う。
この表現は、気弱でかよわい人(主に女性、場合によっては子供)が、深い悲しみの中にありながらも、それを表に出すことをしない健気(けなげ)な有り様を指して使う表現で、ラモス氏のような(たぶん、普段から気持ちがしっかりしているであろう)男性に対して使うものではない。肝心なことは、気持ちの強さではなく、健気な様子が、傍から見て涙を誘うということなのだ。
ラモス氏も懸命に涙をこらえていたのかもしれないが、それは健気ということとは違うだろう。それを言いたいなら「懸命に涙をこらえていた」と言えば済むことだ。あまり男女の別を強調するのは良くない気もするのだが、男性にこの表現を使うのは、本来の慣用からは外れていると思う。男性が「気丈に」振る舞うのは当然であり、そこで「気丈に」という言葉を使うのは冗長なのだ。先の記事の場合も、単に「妻の通夜に立つ」、「喪主を務めた」で良いので、「気丈に」は要らない。「気丈に」と言うことで、かえって滑稽にさえ見えるのだ。
しかし、これは慣用的なニュアンスの問題だから、その慣用に縁のない(要するに、教養に欠けるということだが)人間が「別に問題ないじゃん」と言ってしまえば、それまでのことかもしれない。
だが、いくらスポーツ紙とはいえいやしくも天下の公器たる新聞なのだから、表現には細心の注意を払ってもらいたいものだ。
ちなみに、グーグルのニュースで「気丈」を検索すると、男性を主語にして「気丈」が使われている例がけっこう多いことが判る(そのほとんどがスポーツ紙)。もう蔓延してしまって改めるのは手遅れかもしれない。スポーツ紙は臆面もなく「ゲキを飛ばす」などという表現を広め続けた前歴があるが、その歴史にまた新たな一項目を付け加わえたと言うべきだろうか?
そのことよりも、それを報じたデイリ―スポーツ紙の記事の表現の方に私の目は行った。
「 ラモス氏、妻の通夜で気丈に振る舞う
デイリースポーツ 7月21日(木)21時24分配信
元日本代表MFで、ビーチサッカー日本代表監督のラモス瑠偉氏の妻で19日に転移性肝がんで亡くなった初音さん(享年52歳)の通夜が21日、東京・千代田区の聖イグナチオ教会でしめやかに営まれた。サッカー界からはラモス氏とヴェルディ時代の黄金期を戦った三浦知良(現横浜FC)夫妻、武田修宏氏らに加え、前日本代表監督の岡田武史氏ら多数の関係者が参列した。
ラモス氏は憔悴(しょうすい)した様子ながら、気丈に喪主を務めた。参列した三浦は「ラモスさんの背中が少し小さくなったような気がした。本当に僕らの勉強になる夫婦だったし、残念です」と、故人をしのんだ。
」。
「気丈に」という言葉が二度使われているが、どうも違和感を覚える。辞書的には「気持ちがしっかりしている・こと(さま)」(大辞林)だから問題ないように見えるが、それは少し違う。
この表現は、気弱でかよわい人(主に女性、場合によっては子供)が、深い悲しみの中にありながらも、それを表に出すことをしない健気(けなげ)な有り様を指して使う表現で、ラモス氏のような(たぶん、普段から気持ちがしっかりしているであろう)男性に対して使うものではない。肝心なことは、気持ちの強さではなく、健気な様子が、傍から見て涙を誘うということなのだ。
ラモス氏も懸命に涙をこらえていたのかもしれないが、それは健気ということとは違うだろう。それを言いたいなら「懸命に涙をこらえていた」と言えば済むことだ。あまり男女の別を強調するのは良くない気もするのだが、男性にこの表現を使うのは、本来の慣用からは外れていると思う。男性が「気丈に」振る舞うのは当然であり、そこで「気丈に」という言葉を使うのは冗長なのだ。先の記事の場合も、単に「妻の通夜に立つ」、「喪主を務めた」で良いので、「気丈に」は要らない。「気丈に」と言うことで、かえって滑稽にさえ見えるのだ。
しかし、これは慣用的なニュアンスの問題だから、その慣用に縁のない(要するに、教養に欠けるということだが)人間が「別に問題ないじゃん」と言ってしまえば、それまでのことかもしれない。
だが、いくらスポーツ紙とはいえいやしくも天下の公器たる新聞なのだから、表現には細心の注意を払ってもらいたいものだ。
ちなみに、グーグルのニュースで「気丈」を検索すると、男性を主語にして「気丈」が使われている例がけっこう多いことが判る(そのほとんどがスポーツ紙)。もう蔓延してしまって改めるのは手遅れかもしれない。スポーツ紙は臆面もなく「ゲキを飛ばす」などという表現を広め続けた前歴があるが、その歴史にまた新たな一項目を付け加わえたと言うべきだろうか?
なでしこジャパンを讃えるアメリカの選手たち [海外のニュース記事]
勝者も敗者も素晴らしかった。勝者に劣らず敗者も素晴らしかった。この記事にあるアメリカ選手の言葉を読むと、何というスポーツマンシップだろうと思ってしまうのだ。『ニューヨーク・タイムズ』の記事より。
As Japan Celebrates, Even the Losers Cheer Inside
By ANDREW DAS
http://goal.blogs.nytimes.com/2011/07/17/as-japan-celebrates-even-the-losers-cheer-inside/#
「
日本が勝利に沸くなか敗者でさえ内心で拍手喝采をした

(PK戦でアメリカを下した後でファンに感謝する横断幕を掲げる日本の選手たち)
日本にとって今回の女子ワールドカップの底流に流れる感情は、この春壊滅的な被害をもたらした地震と、それに続く原発災害の余波にいまだ苦しむ日本人に喜びと誇りを与えられるほど素晴らしく、出来るだけ長い間プレーができればなあという願いだった。先週のニューヨーク・タイムズは次のように報じた。
「
日本チームが地震と津波によって避難生活を余儀なくさせられた人々の忍耐からインスピレーションを得たのと同じように、日本は女子チームの感動的な活躍の背後で一つにまとまったのだ。それは、ハリケーン・カトリーナの後でセインツがスーパーボウルにまで漕ぎつけたときに、ニューオーリンズが経験したのと同じ高揚感なのである。
「私たちがこれまでしてきたことは、日本のためにもなります」。水曜日の準決勝で日本チームがスウェーデンに3-1で勝利した後、佐々木監督はそう語った。「私たちは、まだ震災から回復する途上にいます。被災地域には非常に多くの犠牲者がでました。サッカーでの勝利という小さなことでも日本の人々に勇気と希望を与えられるのです」
」。
日曜日の決勝で追いついて勝利を勝ち取った時、彼らの旅は終わった。そして歓喜がはじけた。
「日本の人々に少しは勇気と喜びを与えられたかなと感じてます」。ゴールキーパーの海堀あゆみはそう語った。「いつもそのことがやる気の源だった。日本のために何かをしたかったのです」。
彼女たちには判らなかったかもしれないが、日曜日に彼女たちが破ったアメリカの選手たちも、優勝のタイトルを取りがしたことにはがっかりしていたが、日本の偉業に関わることができたことを密かに誇りに思っていたのである。
MFのローレン・チェイニー:「日本には脱帽よ。彼女たちは自分たちの国をとても幸せにしたし、喜びをそれが必要とされている場所にもたらしたのだから。それはサッカーの勝ち負けよりも大きなことよ」。
GKのホープ・ソロ:「日本は私がいつも多大な敬意を抱いてきたチーム。このチームには何か大きなものが味方していたと、私は心底思う。優勝のタイトルは私もずっと望んできたけど、このタイトルを他のチームにあげられるのであれば、それは日本でなければならない、と私は思っていた。日本が優勝して私もうれしいし、彼女たちはほんとうに優勝に値するチームです」。
MFのカーリ・ロイド:「優勝するにふさわしい国が他にあったとしても、日本が優勝できて私も本当にうれしいし誇りに思う。心の奥底では、勝利することになるのはアメリカだと本当は思っていた。でもたぶん日本だったのでしょうね」。
」(おわり)
As Japan Celebrates, Even the Losers Cheer Inside
By ANDREW DAS
http://goal.blogs.nytimes.com/2011/07/17/as-japan-celebrates-even-the-losers-cheer-inside/#
「
日本が勝利に沸くなか敗者でさえ内心で拍手喝采をした

(PK戦でアメリカを下した後でファンに感謝する横断幕を掲げる日本の選手たち)
日本にとって今回の女子ワールドカップの底流に流れる感情は、この春壊滅的な被害をもたらした地震と、それに続く原発災害の余波にいまだ苦しむ日本人に喜びと誇りを与えられるほど素晴らしく、出来るだけ長い間プレーができればなあという願いだった。先週のニューヨーク・タイムズは次のように報じた。
「
日本チームが地震と津波によって避難生活を余儀なくさせられた人々の忍耐からインスピレーションを得たのと同じように、日本は女子チームの感動的な活躍の背後で一つにまとまったのだ。それは、ハリケーン・カトリーナの後でセインツがスーパーボウルにまで漕ぎつけたときに、ニューオーリンズが経験したのと同じ高揚感なのである。
「私たちがこれまでしてきたことは、日本のためにもなります」。水曜日の準決勝で日本チームがスウェーデンに3-1で勝利した後、佐々木監督はそう語った。「私たちは、まだ震災から回復する途上にいます。被災地域には非常に多くの犠牲者がでました。サッカーでの勝利という小さなことでも日本の人々に勇気と希望を与えられるのです」
」。
日曜日の決勝で追いついて勝利を勝ち取った時、彼らの旅は終わった。そして歓喜がはじけた。
「日本の人々に少しは勇気と喜びを与えられたかなと感じてます」。ゴールキーパーの海堀あゆみはそう語った。「いつもそのことがやる気の源だった。日本のために何かをしたかったのです」。
彼女たちには判らなかったかもしれないが、日曜日に彼女たちが破ったアメリカの選手たちも、優勝のタイトルを取りがしたことにはがっかりしていたが、日本の偉業に関わることができたことを密かに誇りに思っていたのである。
MFのローレン・チェイニー:「日本には脱帽よ。彼女たちは自分たちの国をとても幸せにしたし、喜びをそれが必要とされている場所にもたらしたのだから。それはサッカーの勝ち負けよりも大きなことよ」。
GKのホープ・ソロ:「日本は私がいつも多大な敬意を抱いてきたチーム。このチームには何か大きなものが味方していたと、私は心底思う。優勝のタイトルは私もずっと望んできたけど、このタイトルを他のチームにあげられるのであれば、それは日本でなければならない、と私は思っていた。日本が優勝して私もうれしいし、彼女たちはほんとうに優勝に値するチームです」。
MFのカーリ・ロイド:「優勝するにふさわしい国が他にあったとしても、日本が優勝できて私も本当にうれしいし誇りに思う。心の奥底では、勝利することになるのはアメリカだと本当は思っていた。でもたぶん日本だったのでしょうね」。
」(おわり)
なでしこジャパンに声援を送るNY・タイムズの記事 [海外のニュース記事]
ワールドカップの優勝をかけた対日本戦を控えて、NY・タイムズ紙がなでしこジャパンのことを記事にした。決勝で対戦する敵国チームの情報を流した記事かと思いきや、どうも様子が違う。読んでいくと、これはゲームの勝敗を超えて日本チームに対して送る一種の声援なのだ、ということが判るはずである。そして、そうした友好的な空気がアメリカのチーム内にもあるということも。
そういう意味で、アメリカとの一戦には非常に微妙なものが絡んでくるかもしれないと私は感じてしまうのだが、いやいや、本番になったらそうした心情的なものはみんな振り切ってプレーするはず、とも思える。さて、どうなるだろうか?
オリジナルの記事は二ページに分かれているが、一まとめの形で紹介する。
Japanese Team Comes of Age, and Lifts a Country
By JERE LONGMAN and KANTARO SUZUKI
Published: July 14, 2011
http://www.nytimes.com/2011/07/15/sports/soccer/japans-world-cup-team-lifts-a-country.html?_r=1
http://www.nytimes.com/2011/07/15/sports/soccer/japans-world-cup-team-lifts-a-country.html?pagewanted=2&_r=1
「
進歩した日本チームが日本を湧き立たせる

(午前5時の東京。日本が女子ワールドカップの決勝に進出することになり歓喜するファンたち)
ドイツ フランクフルト ―― 日本が女子ワールドカップの準々決勝で二度目のディフェンディング・チャンピオンとして大会を迎えたドイツに対戦する直前、監督の佐々木則夫は、厳粛で、残酷ですらあるインスピレーションを選手たちに与えた。
彼は、3月11日に日本の東北地方沿岸を襲い、15,000人以上の人命を奪い、日本の女子プロサッカーチームの一つに今シーズンを断念させることを余儀なくさせた地震と津波のスライド・ショーの画像を選手たちに見せたのだ。
「あの画像は私たちの心の奥底に触れました」とMFの宮間は記者たちに語った。
画像に鼓舞されたこともあり、日本はドイツに対して、そのトレードマークである優雅で技巧的なパス回しのみならず、背が高く体も大きなドイツチームに臆することのない度胸をも見せつけて、1-0で勝利した。日本は試合中に4枚のイエローカードの警告を受けたが、これは筋肉よりも技術的な洗練で知られているチームとしてはめったにない出来事だった。
「日本チームはこれまでにない情熱と激しさをもってプレーしているね」と語るのは、1999年に合衆国がワールド・カップで優勝したとき監督だったトニー・ディシッコ(Tony DiCicco)。「一試合にイエローカードが四枚だって? これは、いつもの日本にとっては、ワールドカップ二大会分だよ」。
日本は、日曜日にここドイツで、アメリカとワールドカップの決勝で対戦することになる。アメリカチームは今年になって日本に三度勝利しており、通算の成績は22勝0敗3引き分けである。これまでは、両者の関係は、お姉ちゃんと妹(Big Sister, Little Sister)の関係だった、とディシッコは言った。しかし、もやはそうではないのだ。
「自分たちは勝てると、日本チームは感じています」と、ESPNのために分析記事を書いたディシッコは日本について語った。「こういうことは、これまでほとんど一度もなかったことです」。
日本チームが地震と津波によって避難生活を余儀なくさせられた人々の忍耐からインスピレーションを得たのと同じように、日本は女子チームの感動的な活躍の背後で一つにまとまったのだ。それは、ハリケーン・カトリーナの後でセインツがスーパーボウルにまで漕ぎつけたときに、ニューオーリンズが経験したのと同じ高揚感なのである。
「私たちがこれまでしてきたことは、日本のためにもなります」。水曜日の準決勝で日本チームがスウェーデンに3-1で勝利した後、佐々木監督はそう語った。「私たちは、まだ震災から回復する途上にいます。被災地域には非常に多くの犠牲者がでました。サッカーでの勝利という小さなことでも日本の人々に勇気と希望を与えられるのです」。
日本は世界で4位にランクされていて08年の北京五輪では銅メダルをかけた一戦に進んだりしたが、女子サッカーが本国の新聞の一面を飾ったり、スポーツファンの注目を野球や相撲から奪い取ったことはあまりなかった。
東京では木曜日の午前3時、水曜日の夜と言った方がいいかもしれないが、サポーターの集団たちは、テレビで日本対スウェーデンの一戦をライブで見るために、目をこすってコーヒーを飲みながらスポーツ・バーに向かっていた。
トレンディーな渋谷にあるスポーツ・バーのM-SPOには数十人のファンが集結していた。終電を逃し迷い込んだ人も中にはいたが。もう一度目の覚めるような勝利をしてくれれば、悲しみに暮れる国民も奮い立つでしょう、と語るファンもいた。
「もし勝利したら国全体が元気になるでしょうね」。実家も故郷の気仙沼も津波で大きな被害を受けたダイチ・ミウラ(22)はそう語った。「いつまでも震災の問題でくよくよしているわけにはいかない。前に進まないといけないし」。
日本の勝利のニュースは朝刊を飾るには時間的に遅すぎた。しかし、大手スポーツ紙の一つである日刊スポーツは、ウェブ・サイトに、「なでしこの夢が、ついに、実現した」という大見出しを掲げた。
日本の女子チームは、日本の伝統的な美を象徴するピンクの花にちなんで、なでしこという愛称で親しまれている。選手のユニフォームの胸元はピンクになっている。なでしこという花にはたくましさという性質もあるが、その性質は選手に反映している、とは佐々木監督が好んで言うことである。
「今夜は日本の女子サッカーの歴史で画期的な出来事だった」と、友人のキスノ・カオルコ(51)と娘のハルコ・スギヤマ(21)といっしょにスポーツバーに来ていたナオキ・スギヤマ(61)は語った。三人とも日本代表の青いユニフォームを着ていた。「私たちがいま欲しいと思っているものが一つあって、それは優勝です」。
米国との対戦成績はこれまで一方的だったが、両国の関係は友情にあふれるものでもあった。アメリカの選手たちは、アメリカでプロとしてプレーしてきた日本の先駆者であるMFの澤穂希――日本のミア・ハム(Mia Hamm)のような選手――のことがとりわけ好きだ。今回のワールド・カップで、澤(32)はメキシコ戦でハットトリックを記録し、水曜日の対スウェーデン戦での勝利では勝ち越しのゴールを決めた。彼女は今やちょっとしたセレブになっているのだ。(1ページ終わり)
(2ページ)
「彼女は日本ではプリンセスともクィーンとも呼ばれています」。そう語るのは、アメリカチームの花形FWで、澤とはかつて同じクラブのチームメートだったアビー・ワンバック(Abby Wambach)。「彼女はチーム全体を背負っている人ですからね」。
ワンバックは、木曜日にデュッセルドルフで日本人記者とのテレビ・インタビューの中で、「あなたの活躍で日本の国民が鼻高々になっているのは知っているわ、あなたが日曜日にまずいプレーをしてくれたらいいんだけれどね」と軽口を言って澤をからかった。
澤の最近の調子を考えると、それはありそうにもないことが判る。彼女に先導される形で、対スウェーデン戦で日本のボール・ポゼッションは60%だった。日本は統率が取れていて、戦術をよく理解し、スキルがある―― 水曜日に行われたもう一つの準決勝でアメリカの中盤を混乱させたフランスチームと似ていないこともない。5月にアメリカが日本とエクシビション・マッチを戦った時から、日本は進歩したのだ。今や日本チームは好機を絶妙で大量のゴールに結びつけているのだ。
「彼女は偉大なリーダーですよ」。アメリカチームのキャプテンのクリスティー・ランポーン(Christie Rampone)は澤についてそう語った。「日本チームの血液は彼女から流れてくる。彼女を抑えなければ」。
女子プロサッカーのボストン・ブレーカーズで日本のDFの鮫島彩と最近チームメートになったアメリカチームの選手は5人もいる。彼女の以前のチーム、テプコ・マリーゼのスポンサーは東京電力だったが、同社は、地震と津波の余波を受けて複数のメルトダウンと重大な放射能漏れを経験した福島第一原子力発電所の運営会社である。
同チームは、震災後に今季の活動を停止し、鮫島はアメリカに活躍の場を求めた。彼女とチームメイトたちは原子力発電所でパートタイムの従業員として働いていたが、地震発生の時は合宿のためにその場にはいなかった、と現在ボストン・ブレーカーズの監督をしているディシッコは話してくれた。
「彼女は、ボストンに来る前に、カウンセリングを受けたそうです」とディシッコは言った。「原子炉のおかげで、彼女が個人的に、つまり彼女の家がということですが、どれほどの被害を受けたのかはよく判りません。でも、ゼネラル・マネージャーが私に語ってくれたところによると、彼女たちはもう二度と家には戻れないらしい。彼女たちが今しているのはサッカーのプレーですが、彼女たちにとってそれに劣らぬほどの大きな使命は、国が立ち直る手助けをすることなのです」。
アメリカチームのゴールキーパーのホープ・ソロ(Hope Solo)によれば、こういう事情があるから、心情的に日本はワールドカップで優勝する本命になったというのだ。
「彼女たちは、試合よりも大きなもの、試合以上のもののためにプレーしています」とソロは言った。「それほど大きな感情を抱いてプレーする相手とは対戦しづらいものがありますね」。
」(おわり)
そういう意味で、アメリカとの一戦には非常に微妙なものが絡んでくるかもしれないと私は感じてしまうのだが、いやいや、本番になったらそうした心情的なものはみんな振り切ってプレーするはず、とも思える。さて、どうなるだろうか?
オリジナルの記事は二ページに分かれているが、一まとめの形で紹介する。
Japanese Team Comes of Age, and Lifts a Country
By JERE LONGMAN and KANTARO SUZUKI
Published: July 14, 2011
http://www.nytimes.com/2011/07/15/sports/soccer/japans-world-cup-team-lifts-a-country.html?_r=1
http://www.nytimes.com/2011/07/15/sports/soccer/japans-world-cup-team-lifts-a-country.html?pagewanted=2&_r=1
「
進歩した日本チームが日本を湧き立たせる

(午前5時の東京。日本が女子ワールドカップの決勝に進出することになり歓喜するファンたち)
ドイツ フランクフルト ―― 日本が女子ワールドカップの準々決勝で二度目のディフェンディング・チャンピオンとして大会を迎えたドイツに対戦する直前、監督の佐々木則夫は、厳粛で、残酷ですらあるインスピレーションを選手たちに与えた。
彼は、3月11日に日本の東北地方沿岸を襲い、15,000人以上の人命を奪い、日本の女子プロサッカーチームの一つに今シーズンを断念させることを余儀なくさせた地震と津波のスライド・ショーの画像を選手たちに見せたのだ。
「あの画像は私たちの心の奥底に触れました」とMFの宮間は記者たちに語った。
画像に鼓舞されたこともあり、日本はドイツに対して、そのトレードマークである優雅で技巧的なパス回しのみならず、背が高く体も大きなドイツチームに臆することのない度胸をも見せつけて、1-0で勝利した。日本は試合中に4枚のイエローカードの警告を受けたが、これは筋肉よりも技術的な洗練で知られているチームとしてはめったにない出来事だった。
「日本チームはこれまでにない情熱と激しさをもってプレーしているね」と語るのは、1999年に合衆国がワールド・カップで優勝したとき監督だったトニー・ディシッコ(Tony DiCicco)。「一試合にイエローカードが四枚だって? これは、いつもの日本にとっては、ワールドカップ二大会分だよ」。
日本は、日曜日にここドイツで、アメリカとワールドカップの決勝で対戦することになる。アメリカチームは今年になって日本に三度勝利しており、通算の成績は22勝0敗3引き分けである。これまでは、両者の関係は、お姉ちゃんと妹(Big Sister, Little Sister)の関係だった、とディシッコは言った。しかし、もやはそうではないのだ。
「自分たちは勝てると、日本チームは感じています」と、ESPNのために分析記事を書いたディシッコは日本について語った。「こういうことは、これまでほとんど一度もなかったことです」。
日本チームが地震と津波によって避難生活を余儀なくさせられた人々の忍耐からインスピレーションを得たのと同じように、日本は女子チームの感動的な活躍の背後で一つにまとまったのだ。それは、ハリケーン・カトリーナの後でセインツがスーパーボウルにまで漕ぎつけたときに、ニューオーリンズが経験したのと同じ高揚感なのである。
「私たちがこれまでしてきたことは、日本のためにもなります」。水曜日の準決勝で日本チームがスウェーデンに3-1で勝利した後、佐々木監督はそう語った。「私たちは、まだ震災から回復する途上にいます。被災地域には非常に多くの犠牲者がでました。サッカーでの勝利という小さなことでも日本の人々に勇気と希望を与えられるのです」。
日本は世界で4位にランクされていて08年の北京五輪では銅メダルをかけた一戦に進んだりしたが、女子サッカーが本国の新聞の一面を飾ったり、スポーツファンの注目を野球や相撲から奪い取ったことはあまりなかった。
東京では木曜日の午前3時、水曜日の夜と言った方がいいかもしれないが、サポーターの集団たちは、テレビで日本対スウェーデンの一戦をライブで見るために、目をこすってコーヒーを飲みながらスポーツ・バーに向かっていた。
トレンディーな渋谷にあるスポーツ・バーのM-SPOには数十人のファンが集結していた。終電を逃し迷い込んだ人も中にはいたが。もう一度目の覚めるような勝利をしてくれれば、悲しみに暮れる国民も奮い立つでしょう、と語るファンもいた。
「もし勝利したら国全体が元気になるでしょうね」。実家も故郷の気仙沼も津波で大きな被害を受けたダイチ・ミウラ(22)はそう語った。「いつまでも震災の問題でくよくよしているわけにはいかない。前に進まないといけないし」。
日本の勝利のニュースは朝刊を飾るには時間的に遅すぎた。しかし、大手スポーツ紙の一つである日刊スポーツは、ウェブ・サイトに、「なでしこの夢が、ついに、実現した」という大見出しを掲げた。
日本の女子チームは、日本の伝統的な美を象徴するピンクの花にちなんで、なでしこという愛称で親しまれている。選手のユニフォームの胸元はピンクになっている。なでしこという花にはたくましさという性質もあるが、その性質は選手に反映している、とは佐々木監督が好んで言うことである。
「今夜は日本の女子サッカーの歴史で画期的な出来事だった」と、友人のキスノ・カオルコ(51)と娘のハルコ・スギヤマ(21)といっしょにスポーツバーに来ていたナオキ・スギヤマ(61)は語った。三人とも日本代表の青いユニフォームを着ていた。「私たちがいま欲しいと思っているものが一つあって、それは優勝です」。
米国との対戦成績はこれまで一方的だったが、両国の関係は友情にあふれるものでもあった。アメリカの選手たちは、アメリカでプロとしてプレーしてきた日本の先駆者であるMFの澤穂希――日本のミア・ハム(Mia Hamm)のような選手――のことがとりわけ好きだ。今回のワールド・カップで、澤(32)はメキシコ戦でハットトリックを記録し、水曜日の対スウェーデン戦での勝利では勝ち越しのゴールを決めた。彼女は今やちょっとしたセレブになっているのだ。(1ページ終わり)
(2ページ)
「彼女は日本ではプリンセスともクィーンとも呼ばれています」。そう語るのは、アメリカチームの花形FWで、澤とはかつて同じクラブのチームメートだったアビー・ワンバック(Abby Wambach)。「彼女はチーム全体を背負っている人ですからね」。
ワンバックは、木曜日にデュッセルドルフで日本人記者とのテレビ・インタビューの中で、「あなたの活躍で日本の国民が鼻高々になっているのは知っているわ、あなたが日曜日にまずいプレーをしてくれたらいいんだけれどね」と軽口を言って澤をからかった。
澤の最近の調子を考えると、それはありそうにもないことが判る。彼女に先導される形で、対スウェーデン戦で日本のボール・ポゼッションは60%だった。日本は統率が取れていて、戦術をよく理解し、スキルがある―― 水曜日に行われたもう一つの準決勝でアメリカの中盤を混乱させたフランスチームと似ていないこともない。5月にアメリカが日本とエクシビション・マッチを戦った時から、日本は進歩したのだ。今や日本チームは好機を絶妙で大量のゴールに結びつけているのだ。
「彼女は偉大なリーダーですよ」。アメリカチームのキャプテンのクリスティー・ランポーン(Christie Rampone)は澤についてそう語った。「日本チームの血液は彼女から流れてくる。彼女を抑えなければ」。
女子プロサッカーのボストン・ブレーカーズで日本のDFの鮫島彩と最近チームメートになったアメリカチームの選手は5人もいる。彼女の以前のチーム、テプコ・マリーゼのスポンサーは東京電力だったが、同社は、地震と津波の余波を受けて複数のメルトダウンと重大な放射能漏れを経験した福島第一原子力発電所の運営会社である。
同チームは、震災後に今季の活動を停止し、鮫島はアメリカに活躍の場を求めた。彼女とチームメイトたちは原子力発電所でパートタイムの従業員として働いていたが、地震発生の時は合宿のためにその場にはいなかった、と現在ボストン・ブレーカーズの監督をしているディシッコは話してくれた。
「彼女は、ボストンに来る前に、カウンセリングを受けたそうです」とディシッコは言った。「原子炉のおかげで、彼女が個人的に、つまり彼女の家がということですが、どれほどの被害を受けたのかはよく判りません。でも、ゼネラル・マネージャーが私に語ってくれたところによると、彼女たちはもう二度と家には戻れないらしい。彼女たちが今しているのはサッカーのプレーですが、彼女たちにとってそれに劣らぬほどの大きな使命は、国が立ち直る手助けをすることなのです」。
アメリカチームのゴールキーパーのホープ・ソロ(Hope Solo)によれば、こういう事情があるから、心情的に日本はワールドカップで優勝する本命になったというのだ。
「彼女たちは、試合よりも大きなもの、試合以上のもののためにプレーしています」とソロは言った。「それほど大きな感情を抱いてプレーする相手とは対戦しづらいものがありますね」。
」(おわり)
ドイツが日本に敗れる波乱 [海外のニュース記事]
ほとんど誰も予想しなかったことだが、なでしこジャパンがドイツに勝った。
というか、試合内容からすれば、日本が勝った試合というより、ドイツが負けた試合という意味合いが強いと思う。それはともかく、私は勝利を共に喜ぶ気持ちに劣らず、敗北を共に悲しむ気持ちも抱いてしまうので、敗者の弁をドイツ『シュピーゲル』誌の戦評より紹介しようと思った次第である。
http://www.spiegel.de/sport/0,1518,773469,00.html
Fußball-WM der Frauen
Der Traum ist aus
Von Peter Ahrens, Wolfsburg
「
夢は終わった
ペーター・アーレンス
ヴォルフスブルク
こんなことになるとはだれも予想しなかった。ドイツが、ワールドカップの準々決勝で日本に屈したのだ。ドイツの選手のプレーはあまりにプランを欠いていたし、普段なら期待できるフリーキックやコーナーキックでも得点を上げることができなかった。ファンはショックを受け、決勝トーナメントから大きな魅力がなくなってしまった。
今大会の組織委員長のシュテフィー・ジョーンズは、試合前夜、ドイツが日本に3-0で勝った夢を見た。ヴォルフスブルクの土曜日の夜に夢が破れたのは彼女だけではなかった。本当に信じられないことが起こったのだ:今大会の優勝候補であり、世界チャンピオンであり、このワールド・カップの盛り上がりを刺激してきたドイツチームが、準々決勝の日本戦で、延長の末0対1で敗退したのだ。こんな結果になるとは誰も予想していなかった。
ドイツの選手たちは、試合終了のホイッスルの後、雷に打たれたようにピッチに崩れ落ち、じっとうずくまっていた。DFのバベット・ペーターとMFの同僚シモーヌ・ラウデーアは、流れる涙を拭おうともしなかった。120分前には歓声がとどろいていたスタジアムには集団的ショック状態のようなものが支配していた。試合終了のホイッスルが鳴り響いてからしばらくは、たった今何が起こったのか観衆がまだ把握できないかのように、スタジアムは完全に静まりかえっていた。
ドイツチームのシルヴィア・ナイト監督は、敗退後選手たちを代弁して、次のように述べた。「サッカーではこのようなことが起こるもの。私はチームを責めたりはしない」と監督は語った。もっとも、この日の試合運びには批判の余地が十分あっただろう。チームには熱意があり、よく走り、試合に集中していた。しかし、すべてがその場の思いつきだったし、ゴールに迫る気迫がなかった。フランス戦で見せた軽快さ、サッカーというゲーム楽しさ――そうしたものが消えていたのだ。メラニー・ベーリンガーが例外なく蹴ったフリーキックとコーナーキックは、体格的に劣る日本人には圧力となるだろうし得点の期待を呼び覚ましたが、結局、効果はなかった。「得点できそうな15回もの状況から一本もゴールを決められないなら、勝つことはできないでしょうね」とナイト監督は言った。
この試合は始めからどこかがおかしかった。MFのキム・クーリッヒは試合開始のわずか4分後の最初のプレーで不運にも膝を負傷してしまい、そのすぐ後に退場せざるを得なかった。「あれが痛かったわ」とナイト監督は言った。監督はクーリッヒを前回のグループリーグ最終戦のフランス戦で温存したのだが、イエローカードを一枚もらっていたクーリッヒを対日本戦でどうしても投入したかったからだ。チームドクターのベルント・ラザールツェウスキーによれば、クーリッヒは十字じん帯損傷で、おそらく一か月はプレーができないだろうとのことである。

(右ひざを痛めたクーリッヒ。これがその後に大きく影響した)
ナイト監督はポジションの変更をせざるを得なくなり、DFの控えのリンダ・ブレゾニクがMFに入った。クーリッヒに替わって投入されたビアンカ・シュミットは、右のサイドバックに回った。チームは、このポジションの変更で目に見えるほど悪くなった。ブレゾニクは、普段クーリッヒがするようなダイナミックなボール回しができないのだ。「リンダにとって、あの役割は少し重荷だったようだ」とゴールキーパーのナディーネ・アンゲラーは分析した。一時間後、ナイト監督はリンダ・ブレゾニクを別の選手に交代した。
そのころまで、チームはいくつかの決定機を作り出していたが、あまりにも多くの攻撃が運任せのものだった。パスはあてどもない方向にころがった。集中力のないプレーがあちこちに見られた。バレット・ペーターやシモーヌ・ラウデーアのような、これまではあれほど確実なプレーをしていた貢献度の高い選手にまで、そうした空気が伝染してしまった。インカ・グリンクスとセリア・オコイーノ・ダー・ムバビを主体とする攻撃陣は奮闘したが、それ以上のことは出来なかった。

(シュートを放つインカ・グリンクス)

(心配そうに試合を見つめるシルヴィア・ナイト監督)
ゴール前で日本は危険を感じさせるプレーをほとんど見せなかった
しかし、ドイツチームがこの試合に負けるだろうと感じる者はいなかった。日本の選手は何度かカウンターを仕掛けようと試みたが、ゴール前では無害になる場合がほとんどだった。そして、ゲーム開始から108分が経過したとき、 日本のストライカーが初めてゴールラインのところまでやって来た。その時はもう後の祭りだった。丸山桂里奈がDFのサスキア・バルトゥシアクを振り切り、彼女の蹴ったボールはキーパーのアンゲラーを素通りしてネットに突き刺さった。

(DFを振り切りシュートを放つ丸山)

(歓喜するなでしこの選手たち)
このゴールはドイツのゴールキーパーを唖然とさせたばかりではなかった。「敗退するかもしれないなんていう考えは浮かばなかった。リードされたときでも、まだシュートをすればいいのだからという感覚を私はまだもっていたわ」。その感覚が間違いの原因だったのだ。ドイツチームは日本のゴールめがけて猛烈に攻め入ったが、そこにはプランがなかったし、明晰な頭脳もなかった。ストライカーのアレクザンドラ・ポップを投入したが、何も変わらなかった。「ポップを投入してゴールに向かう力が増すだろうと期待したけど、そうならなかったわね」。ナイト監督は自責の念を抑えられずにそう語った。
ベテランのプレイヤーであるビルギット・プリンツとアリアーネ・ヒンクストは、自分たちの長年にわたる成功に満ちた代表としてのキャリアがこの夜あっけなく終わりを迎えるのを、ベンチから見ているより仕方がなかった。どちらも、ワールドカップ終了後に引退することを大分前に発表していた。プリンツにとってこの大会は二重にほろ苦い大会だった。キャプテンとして、主力選手としてワールドカップを迎えながら、三連覇ならなかったディフェンディング・チャンピオンの控え選手として終わったからだ。「ビルギットに対しては特に申し訳なく思う。ベテランのプレイヤーにとても悲しい思いをさせてしまったからね」とナイト監督は言った。彼女はいずれにせよ監督を続けるだろう。彼女の契約は、ワールドカップ直前に、2016年にまで延長されたからだ。「ドイツチームが勝つ大会はまだたくさんあるわよ」とナイトは言った。しかし、自国でのワールドカップに勝利することは、しばらくの間は可能ではなくなったわけだ。今回めぐってきた好機はこの土曜日で消えてしまい、もう取り消すことはできない。

(敗北が決定してうなだれるドイツ選手たち)
失意のどん底だった選手たちは、やや気持ちを取り戻した後で、無表情のまま、サポーターたちへの感謝の気持ちを表わす横断幕を手にしてスタジアムを一周した。そこには「一つのチーム、一つの夢、数百万のファンの人々」と書かれていた。その夢が終わってしまったのだ。

(「一つのチーム、一つの夢、数百万のファンの人々、ありがとう」)
」(おわり)
というか、試合内容からすれば、日本が勝った試合というより、ドイツが負けた試合という意味合いが強いと思う。それはともかく、私は勝利を共に喜ぶ気持ちに劣らず、敗北を共に悲しむ気持ちも抱いてしまうので、敗者の弁をドイツ『シュピーゲル』誌の戦評より紹介しようと思った次第である。
http://www.spiegel.de/sport/0,1518,773469,00.html
Fußball-WM der Frauen
Der Traum ist aus
Von Peter Ahrens, Wolfsburg
「
夢は終わった
ペーター・アーレンス
ヴォルフスブルク
こんなことになるとはだれも予想しなかった。ドイツが、ワールドカップの準々決勝で日本に屈したのだ。ドイツの選手のプレーはあまりにプランを欠いていたし、普段なら期待できるフリーキックやコーナーキックでも得点を上げることができなかった。ファンはショックを受け、決勝トーナメントから大きな魅力がなくなってしまった。
今大会の組織委員長のシュテフィー・ジョーンズは、試合前夜、ドイツが日本に3-0で勝った夢を見た。ヴォルフスブルクの土曜日の夜に夢が破れたのは彼女だけではなかった。本当に信じられないことが起こったのだ:今大会の優勝候補であり、世界チャンピオンであり、このワールド・カップの盛り上がりを刺激してきたドイツチームが、準々決勝の日本戦で、延長の末0対1で敗退したのだ。こんな結果になるとは誰も予想していなかった。
ドイツの選手たちは、試合終了のホイッスルの後、雷に打たれたようにピッチに崩れ落ち、じっとうずくまっていた。DFのバベット・ペーターとMFの同僚シモーヌ・ラウデーアは、流れる涙を拭おうともしなかった。120分前には歓声がとどろいていたスタジアムには集団的ショック状態のようなものが支配していた。試合終了のホイッスルが鳴り響いてからしばらくは、たった今何が起こったのか観衆がまだ把握できないかのように、スタジアムは完全に静まりかえっていた。
ドイツチームのシルヴィア・ナイト監督は、敗退後選手たちを代弁して、次のように述べた。「サッカーではこのようなことが起こるもの。私はチームを責めたりはしない」と監督は語った。もっとも、この日の試合運びには批判の余地が十分あっただろう。チームには熱意があり、よく走り、試合に集中していた。しかし、すべてがその場の思いつきだったし、ゴールに迫る気迫がなかった。フランス戦で見せた軽快さ、サッカーというゲーム楽しさ――そうしたものが消えていたのだ。メラニー・ベーリンガーが例外なく蹴ったフリーキックとコーナーキックは、体格的に劣る日本人には圧力となるだろうし得点の期待を呼び覚ましたが、結局、効果はなかった。「得点できそうな15回もの状況から一本もゴールを決められないなら、勝つことはできないでしょうね」とナイト監督は言った。
この試合は始めからどこかがおかしかった。MFのキム・クーリッヒは試合開始のわずか4分後の最初のプレーで不運にも膝を負傷してしまい、そのすぐ後に退場せざるを得なかった。「あれが痛かったわ」とナイト監督は言った。監督はクーリッヒを前回のグループリーグ最終戦のフランス戦で温存したのだが、イエローカードを一枚もらっていたクーリッヒを対日本戦でどうしても投入したかったからだ。チームドクターのベルント・ラザールツェウスキーによれば、クーリッヒは十字じん帯損傷で、おそらく一か月はプレーができないだろうとのことである。

(右ひざを痛めたクーリッヒ。これがその後に大きく影響した)
ナイト監督はポジションの変更をせざるを得なくなり、DFの控えのリンダ・ブレゾニクがMFに入った。クーリッヒに替わって投入されたビアンカ・シュミットは、右のサイドバックに回った。チームは、このポジションの変更で目に見えるほど悪くなった。ブレゾニクは、普段クーリッヒがするようなダイナミックなボール回しができないのだ。「リンダにとって、あの役割は少し重荷だったようだ」とゴールキーパーのナディーネ・アンゲラーは分析した。一時間後、ナイト監督はリンダ・ブレゾニクを別の選手に交代した。
そのころまで、チームはいくつかの決定機を作り出していたが、あまりにも多くの攻撃が運任せのものだった。パスはあてどもない方向にころがった。集中力のないプレーがあちこちに見られた。バレット・ペーターやシモーヌ・ラウデーアのような、これまではあれほど確実なプレーをしていた貢献度の高い選手にまで、そうした空気が伝染してしまった。インカ・グリンクスとセリア・オコイーノ・ダー・ムバビを主体とする攻撃陣は奮闘したが、それ以上のことは出来なかった。

(シュートを放つインカ・グリンクス)

(心配そうに試合を見つめるシルヴィア・ナイト監督)
ゴール前で日本は危険を感じさせるプレーをほとんど見せなかった
しかし、ドイツチームがこの試合に負けるだろうと感じる者はいなかった。日本の選手は何度かカウンターを仕掛けようと試みたが、ゴール前では無害になる場合がほとんどだった。そして、ゲーム開始から108分が経過したとき、 日本のストライカーが初めてゴールラインのところまでやって来た。その時はもう後の祭りだった。丸山桂里奈がDFのサスキア・バルトゥシアクを振り切り、彼女の蹴ったボールはキーパーのアンゲラーを素通りしてネットに突き刺さった。

(DFを振り切りシュートを放つ丸山)

(歓喜するなでしこの選手たち)
このゴールはドイツのゴールキーパーを唖然とさせたばかりではなかった。「敗退するかもしれないなんていう考えは浮かばなかった。リードされたときでも、まだシュートをすればいいのだからという感覚を私はまだもっていたわ」。その感覚が間違いの原因だったのだ。ドイツチームは日本のゴールめがけて猛烈に攻め入ったが、そこにはプランがなかったし、明晰な頭脳もなかった。ストライカーのアレクザンドラ・ポップを投入したが、何も変わらなかった。「ポップを投入してゴールに向かう力が増すだろうと期待したけど、そうならなかったわね」。ナイト監督は自責の念を抑えられずにそう語った。
ベテランのプレイヤーであるビルギット・プリンツとアリアーネ・ヒンクストは、自分たちの長年にわたる成功に満ちた代表としてのキャリアがこの夜あっけなく終わりを迎えるのを、ベンチから見ているより仕方がなかった。どちらも、ワールドカップ終了後に引退することを大分前に発表していた。プリンツにとってこの大会は二重にほろ苦い大会だった。キャプテンとして、主力選手としてワールドカップを迎えながら、三連覇ならなかったディフェンディング・チャンピオンの控え選手として終わったからだ。「ビルギットに対しては特に申し訳なく思う。ベテランのプレイヤーにとても悲しい思いをさせてしまったからね」とナイト監督は言った。彼女はいずれにせよ監督を続けるだろう。彼女の契約は、ワールドカップ直前に、2016年にまで延長されたからだ。「ドイツチームが勝つ大会はまだたくさんあるわよ」とナイトは言った。しかし、自国でのワールドカップに勝利することは、しばらくの間は可能ではなくなったわけだ。今回めぐってきた好機はこの土曜日で消えてしまい、もう取り消すことはできない。

(敗北が決定してうなだれるドイツ選手たち)
失意のどん底だった選手たちは、やや気持ちを取り戻した後で、無表情のまま、サポーターたちへの感謝の気持ちを表わす横断幕を手にしてスタジアムを一周した。そこには「一つのチーム、一つの夢、数百万のファンの人々」と書かれていた。その夢が終わってしまったのだ。

(「一つのチーム、一つの夢、数百万のファンの人々、ありがとう」)
」(おわり)
『角萬』に江戸の面影を見る [雑感]
依然として暑い7月某日の昼、自転車に乗って竜泉の『角萬』に行ってみた。
前から一度は行ってみたいと思っていたのだが、竜泉は私の住んでいる東武線浅草駅近辺から近いようで遠く、中々その気になれないでいたのだ。
行きたいと思ったのは、ラーメン二郎に比されるほどのボリュームのある肉そばが食べたいと思ったからではない。ボリュームが欲しければ二郎系のラーメン屋にでも行けばよいのだし、そもそもここの肉そばに入っているようなバラ肉は、私の大いに苦手とするものである。だから蕎麦が目当てである訳ではない。では、いったい何のために?
蕎麦や蕎麦屋に対して私が興味を抱く理由の一半は、そこに歴史があるからだ。江戸の食文化は多彩を極めたが、その中でも人気度という点からすると蕎麦は別格ともいえる存在であったし、それゆえ、残された資料も格段に多く、したがって蕎麦の歴史について説く書物も数多い。そういう書物を時に読むのも楽しい経験だが、いや、そういう歴史的な知識とは無縁の、もっとちょっとしたことにも時間の奥行きとしか言えないものを感じ取ることができる。前回の『室町砂場』の時に記したような女性従業員の挨拶の涼やかなアンサンブルなどもその一例である。
さて、『角萬』に興味をもったのは、いつか図書館から借りた植原路郎著『蕎麦辞典』で言及されていたことを確かめたかったからである。今回これを記するに当たり、また借りて確かめてみた。たとえば、同書145ページの「そば屋の店構え」にはこう書かれている。
「江戸時代の面影を浅草竜泉寺町の「角万」にそれらしい例が見られる。店に入れば上り框があり、急ぎの客は畳に上がらず、上り框に腰かける(今は卓、椅子もおいてある)。・・・」
私が借りた本は平成14年の改訂版だが、この記述は、昭和46年の初版そのままだろう。だいたい、いまは「竜泉寺町」などという言い方はしない。今日ある『角萬』(昔は「萬」ではなく、「万」だったのか?)の建物は、昭和40年代に植原氏が見た『角万』のそれとは違って、建て替えたものだろう。だが、確かに、一階の右側には上り框は現在も存在していた。きっとそのレイアウトは変わっていないのだろう。私が行ったときには、上り框で4人が蕎麦を食べていたが、それ以上は畳に上がれないほど窮屈だった。元来はテーブルなどを置く場所ではなかったのだ。胡坐をかいて食べるか、框に腰を掛けるだけだった。酒を飲みながらゆっくり食べたい人は二階に上がったらしい。上り框以外の平土間はそばを打つための場所で、一階で客がそばを食べる場所は、今からすると信じがたいほど狭かったことになる。蕎麦屋は手狭な場所に工夫をこらして、客の時間的余裕に応じた造りにしていたわけだ。
そういえば、女将がこの『角萬』で修業した『浅草翁そば』にしても、今改築中の『並木藪』にしても、片側は畳の上り框になっていることを思い出した。『室町砂場』もそうだ。みんなテーブル席にしてもよさそうなのに、そうしないのは、何か伝統の形を残したいと店の人間が思っているからなのだろうか? たぶんそうなのだろう。『並木藪』が新たにオープンした暁に、一階のレイアウトがどうなっているか、注目したいところだ。
さて、蕎麦はというと、大半の人が冷肉そばを食べている中、私はざるそばを注文した。たしかに太い。あまり歯応えが良いとも思えない。もっとも、歯応えなんぞというと、ダメダメ、蕎麦は噛むものじゃない。「蕎麦は手繰るもんだ」という人が出てくるかもしれない。「手繰る」という作法は、たぶん明治期の落語家が作り上げた神話にすぎないと思うのだが、あれは細切りの麺でしか可能ではないはずだ。蕎麦といえばあの紋切り型を持ちだしてくる人間に対しては、『角萬』に連れてきて、「さあ、手繰ってみてくれよ」と言いたくなる。そんなサディスティックな想像をかきたてる太さだ。


さて、蕎麦はというと・・・「これで850円はちょっと高いなあ」というのが正直な感想だった(たとえば『浅草翁そば』と比較すれば、だが)。しかし、植原氏によれば昭和40年代に江戸の風情を伝える店は『角万』くらいしかなかったらしいのだが、その言に基づくかぎり、改築されたとはいえ今の『角萬』には江戸の風情の名残りの名残りくらいは残っていることになるだろう。ちょっとだけ江戸の時代にタイムスリップしたような錯覚を味わえるのだとしたら、値段のことを言うのは野暮というものだと思わなければならないだろう。
前から一度は行ってみたいと思っていたのだが、竜泉は私の住んでいる東武線浅草駅近辺から近いようで遠く、中々その気になれないでいたのだ。
行きたいと思ったのは、ラーメン二郎に比されるほどのボリュームのある肉そばが食べたいと思ったからではない。ボリュームが欲しければ二郎系のラーメン屋にでも行けばよいのだし、そもそもここの肉そばに入っているようなバラ肉は、私の大いに苦手とするものである。だから蕎麦が目当てである訳ではない。では、いったい何のために?
蕎麦や蕎麦屋に対して私が興味を抱く理由の一半は、そこに歴史があるからだ。江戸の食文化は多彩を極めたが、その中でも人気度という点からすると蕎麦は別格ともいえる存在であったし、それゆえ、残された資料も格段に多く、したがって蕎麦の歴史について説く書物も数多い。そういう書物を時に読むのも楽しい経験だが、いや、そういう歴史的な知識とは無縁の、もっとちょっとしたことにも時間の奥行きとしか言えないものを感じ取ることができる。前回の『室町砂場』の時に記したような女性従業員の挨拶の涼やかなアンサンブルなどもその一例である。
さて、『角萬』に興味をもったのは、いつか図書館から借りた植原路郎著『蕎麦辞典』で言及されていたことを確かめたかったからである。今回これを記するに当たり、また借りて確かめてみた。たとえば、同書145ページの「そば屋の店構え」にはこう書かれている。
「江戸時代の面影を浅草竜泉寺町の「角万」にそれらしい例が見られる。店に入れば上り框があり、急ぎの客は畳に上がらず、上り框に腰かける(今は卓、椅子もおいてある)。・・・」
私が借りた本は平成14年の改訂版だが、この記述は、昭和46年の初版そのままだろう。だいたい、いまは「竜泉寺町」などという言い方はしない。今日ある『角萬』(昔は「萬」ではなく、「万」だったのか?)の建物は、昭和40年代に植原氏が見た『角万』のそれとは違って、建て替えたものだろう。だが、確かに、一階の右側には上り框は現在も存在していた。きっとそのレイアウトは変わっていないのだろう。私が行ったときには、上り框で4人が蕎麦を食べていたが、それ以上は畳に上がれないほど窮屈だった。元来はテーブルなどを置く場所ではなかったのだ。胡坐をかいて食べるか、框に腰を掛けるだけだった。酒を飲みながらゆっくり食べたい人は二階に上がったらしい。上り框以外の平土間はそばを打つための場所で、一階で客がそばを食べる場所は、今からすると信じがたいほど狭かったことになる。蕎麦屋は手狭な場所に工夫をこらして、客の時間的余裕に応じた造りにしていたわけだ。
そういえば、女将がこの『角萬』で修業した『浅草翁そば』にしても、今改築中の『並木藪』にしても、片側は畳の上り框になっていることを思い出した。『室町砂場』もそうだ。みんなテーブル席にしてもよさそうなのに、そうしないのは、何か伝統の形を残したいと店の人間が思っているからなのだろうか? たぶんそうなのだろう。『並木藪』が新たにオープンした暁に、一階のレイアウトがどうなっているか、注目したいところだ。
さて、蕎麦はというと、大半の人が冷肉そばを食べている中、私はざるそばを注文した。たしかに太い。あまり歯応えが良いとも思えない。もっとも、歯応えなんぞというと、ダメダメ、蕎麦は噛むものじゃない。「蕎麦は手繰るもんだ」という人が出てくるかもしれない。「手繰る」という作法は、たぶん明治期の落語家が作り上げた神話にすぎないと思うのだが、あれは細切りの麺でしか可能ではないはずだ。蕎麦といえばあの紋切り型を持ちだしてくる人間に対しては、『角萬』に連れてきて、「さあ、手繰ってみてくれよ」と言いたくなる。そんなサディスティックな想像をかきたてる太さだ。
さて、蕎麦はというと・・・「これで850円はちょっと高いなあ」というのが正直な感想だった(たとえば『浅草翁そば』と比較すれば、だが)。しかし、植原氏によれば昭和40年代に江戸の風情を伝える店は『角万』くらいしかなかったらしいのだが、その言に基づくかぎり、改築されたとはいえ今の『角萬』には江戸の風情の名残りの名残りくらいは残っていることになるだろう。ちょっとだけ江戸の時代にタイムスリップしたような錯覚を味わえるのだとしたら、値段のことを言うのは野暮というものだと思わなければならないだろう。
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