老舗を擬態する老舗・・・銀座『萬福』 [雑感]
銀座の『萬福』に行った。ラーメン関連本に良く取り上げられていたのでずーと昔から名前は知っていたが、具体的な場所が今一つ判らず、この店にまで行き着いたことがなかった。先日の夕刻たまたま店を発見したとき、嬉しくなって思わず足を踏み入れたのだが・・・・
こういう老舗には敬意を払って麗々しい言葉で取りまとめておくのが礼節であるということは知らない訳ではないのだが、やはり正直に思ったことを書いておこう。
・古い昭和の音楽がレトロな内装の店内をひっきりなしに流れるのが五月蠅く閉口した。老舗であることをこんなふうに喧伝するのはあざとく押し付けがましいだけだし、浅薄ですらあるのが判らないのだろうか?。
・そのくせ、店内を切り盛りしていたのが中国系の(たぶんバイトの)女性であったのは、いかがなものだろう。中国人のつっけんどんで下手な日本語で注文を聞かれても、他の店ならば何も気にすることはない。下手ながら一所懸命に日本語を話してくれることに秘かに声援を送りもするだろう。しかし、店内をレトロに改装し古い時代の音楽をこれ見よがしに流しながら、給仕にバイトの外国人を置いている有り様には、私が老舗に期待するものと決定的に違う何かがあった。私が老舗に期待するのは、特別なことではない。内装でも音楽でもなく、店の人間が昔ながらのスタイルで淡々と仕事をこなしているその風情であるのだが、そういう風情がこの店にはまるで感じられなかった。まあ、私が訪れた時間帯にたまたまそうだったのかもしれないが・・・

・肝心のラーメンだが、出汁の奥行きが感じられず、ただ重い醤油味というスープに、柔わ柔わの麺が浸かっているというものだった。近くの『共楽』や浅草の『来集軒』などの古くからあるラーメン屋には、歳月を乗り越えてきただけのことはあると感じさせる何かがあるのだが、ここのラーメンにはそういう際立ったものを感じることはなかった。これも、たまたま私が訪れた時間にそうだっただけなのかもしれないが・・・

少し不安に思って、『食べログ』の他の書き込みを少し読んでみたのだが、「至福の一杯」、「東京ラーメンの原風景」・・・・こういう美辞麗句を目にして、まるで違う店のことを書いているのではないかとますます不安になってしまった。
まあ、いろいろ考慮に入れても、みなさん少し褒めすぎですよ、と言わせていただきたいのである。
こういう老舗には敬意を払って麗々しい言葉で取りまとめておくのが礼節であるということは知らない訳ではないのだが、やはり正直に思ったことを書いておこう。
・古い昭和の音楽がレトロな内装の店内をひっきりなしに流れるのが五月蠅く閉口した。老舗であることをこんなふうに喧伝するのはあざとく押し付けがましいだけだし、浅薄ですらあるのが判らないのだろうか?。
・そのくせ、店内を切り盛りしていたのが中国系の(たぶんバイトの)女性であったのは、いかがなものだろう。中国人のつっけんどんで下手な日本語で注文を聞かれても、他の店ならば何も気にすることはない。下手ながら一所懸命に日本語を話してくれることに秘かに声援を送りもするだろう。しかし、店内をレトロに改装し古い時代の音楽をこれ見よがしに流しながら、給仕にバイトの外国人を置いている有り様には、私が老舗に期待するものと決定的に違う何かがあった。私が老舗に期待するのは、特別なことではない。内装でも音楽でもなく、店の人間が昔ながらのスタイルで淡々と仕事をこなしているその風情であるのだが、そういう風情がこの店にはまるで感じられなかった。まあ、私が訪れた時間帯にたまたまそうだったのかもしれないが・・・
・肝心のラーメンだが、出汁の奥行きが感じられず、ただ重い醤油味というスープに、柔わ柔わの麺が浸かっているというものだった。近くの『共楽』や浅草の『来集軒』などの古くからあるラーメン屋には、歳月を乗り越えてきただけのことはあると感じさせる何かがあるのだが、ここのラーメンにはそういう際立ったものを感じることはなかった。これも、たまたま私が訪れた時間にそうだっただけなのかもしれないが・・・
少し不安に思って、『食べログ』の他の書き込みを少し読んでみたのだが、「至福の一杯」、「東京ラーメンの原風景」・・・・こういう美辞麗句を目にして、まるで違う店のことを書いているのではないかとますます不安になってしまった。
まあ、いろいろ考慮に入れても、みなさん少し褒めすぎですよ、と言わせていただきたいのである。
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兵どもが夢の跡・・・今年の三社祭 [雑感]
本来であれば、今週末は三社祭が行われるはずだったが、広く報道されたように、大震災の被災者に配慮して、祭の華である神輿(みこし)の渡御(とぎょ)は中止。例年であれば人込みでごった返す有様からは一変して、浅草の街はどこもいたって静かだった。
夕食後の7時ごろに浅草神社に出向いてみる。浅草寺境内は露店も開いておらず閑散としていた。森閑とした闇に没しようとする浅草神社。
静かな境内を歩いていると、例年ならばいたる所で聞こえるあの威勢の良い掛け声が、あたりの森閑さのゆえにかえって、脳裏によみがえってきた。荒れ放題の夏草に兵どもの夢の跡を見て取った芭蕉のような気分にしばし浸った。

神社脇に神輿が鎮座している一角だけが明かりで照らされていた。

全くの偶然から私が浅草に住みついて10年以上が経過した。浅草とも東京下町とも本来無関係の私にとって、よく語られる下町の人情とか浅草の人間の心意気などというものはまったく事実とは無関係のものに思えたし、まったくの虚構にしか思えなかった。私は今でもかなりの程度そう思っている。
しかし、今年の神輿渡御の中止の決定には、浅草の人間の紛れもない心意気を私は感じた。心意気とは、威勢の良い祭りを誇示することだけではない。ぐっとこらえて中止の断を下すのも立派な心意気だ。私は、住み始めて初めて、浅草の人間に対して敬意の念を感じた。経済的には大きな損失かもしれないが、そんな目先の損得勘定にこだわるような人間とは訳が違うんだという啖呵(たんか)がそこに響いているように思われた。
(それとは別に、赤坂プリンスホテルに暫定的に避難している福島の被災者を大量に受け入れる計画が進んでいるという新聞記事(http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110521dde041040012000c.html )を朝読んだとき、これまた浅草の人間の心意気だなと思い、ついホロッと来てしまった。うちの子供が通っている小学校にも福島の子供たちがいっぱい来てくれたらいいなと思う。)
「がんばれ東北 がんばろう日本」の横断幕の架かる仲見世を通って帰路についた。

夕食後の7時ごろに浅草神社に出向いてみる。浅草寺境内は露店も開いておらず閑散としていた。森閑とした闇に没しようとする浅草神社。
静かな境内を歩いていると、例年ならばいたる所で聞こえるあの威勢の良い掛け声が、あたりの森閑さのゆえにかえって、脳裏によみがえってきた。荒れ放題の夏草に兵どもの夢の跡を見て取った芭蕉のような気分にしばし浸った。
神社脇に神輿が鎮座している一角だけが明かりで照らされていた。
全くの偶然から私が浅草に住みついて10年以上が経過した。浅草とも東京下町とも本来無関係の私にとって、よく語られる下町の人情とか浅草の人間の心意気などというものはまったく事実とは無関係のものに思えたし、まったくの虚構にしか思えなかった。私は今でもかなりの程度そう思っている。
しかし、今年の神輿渡御の中止の決定には、浅草の人間の紛れもない心意気を私は感じた。心意気とは、威勢の良い祭りを誇示することだけではない。ぐっとこらえて中止の断を下すのも立派な心意気だ。私は、住み始めて初めて、浅草の人間に対して敬意の念を感じた。経済的には大きな損失かもしれないが、そんな目先の損得勘定にこだわるような人間とは訳が違うんだという啖呵(たんか)がそこに響いているように思われた。
(それとは別に、赤坂プリンスホテルに暫定的に避難している福島の被災者を大量に受け入れる計画が進んでいるという新聞記事(http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110521dde041040012000c.html )を朝読んだとき、これまた浅草の人間の心意気だなと思い、ついホロッと来てしまった。うちの子供が通っている小学校にも福島の子供たちがいっぱい来てくれたらいいなと思う。)
「がんばれ東北 がんばろう日本」の横断幕の架かる仲見世を通って帰路についた。
これは美味い! 『蕎上人』のぶっかけ [雑感]
それほど頻繁でもないけれど、季節の変わり目ごとに一家揃ってうかがう『蕎上人』(わが家のこの店の典型的な楽しみ方は、http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-01に描かれている)。この店に来ると子供がやたら活気づき、エビのてんぷらを何人前も頼んだり、若女将の息子さんと遊んだりと異彩を放つせいか、すっかりお店の方に覚えられてしまった。客としてのけじめを乱すような真似はしたくないのだが、子供のことだからと大目に見てもらっている。感謝に堪えません。

この店に一家で来るときは、日本酒を呑みながらつまみを片端から注文して、締めに「ゆずきり」を頼むのがいつものパターンなのだが、その日はあいにく「ゆずきり」がなかった。ではどうしようかとメニューを見ると、「ぶっかけ」なるものが目に入る。蕎上人は一茶庵系だから、何はともあれ変わり蕎麦(あるいは三色蕎麦、五色蕎麦)というのが一般了解であろう。私が変わり蕎麦の中で一番私好みのゆずきりをいつも頼んでいたのも、その了解を共有していたためであった。でも、たまには目先を変えてぶっかけを頼んでみることにした。
「ぶっかけ」といえば「讃岐うどん」でよく聞く。素うどんに薬味や具をのせて汁をぶかっけるあの「ぶっかけ」。もっとも讃岐うどんに関して私はほとんど経験値がなく、何となく貧相なイメージしか持ってなかったのだが、やって来た『蕎上人』の「ぶっかけ」はそんなイメージとはまるで違っていて、思わず驚いてしまった。

かつお節・天かす・ネギが赤・黄・青のコントラストをなして見た目にも美しく、とりわけネギの分量と配置が大胆だ。これにつゆをぶっかけてかき混ぜて食べるわけだが、このレイアウトを壊すのが一瞬ためらわれるほどだった。
他にきざんだ海苔と大根が写真から見てとれるだろうが、その下にはそば味噌が隠れているのだ。とくにプチプチしたそばの実が良いアクセントになっていて、とても美味しい。蕎麦のみならず、それぞれの薬味というか具の量が結構あるので、その一つ一つを堪能できるのも良い。今度くる時もこれを注文しようという気持ちになった。
それと、食べたときは気づかなかったのだが、写真を見て遅ればせながら気づいたことがある。そうか、これは単なる「ぶっかけ」なのではなく、やはり一茶庵系だけあって、五色そば風のぶっかけなのだ、ということを。
これから暑くなる季節にはぴったりの一品である。一度お試しあれ。
この店に一家で来るときは、日本酒を呑みながらつまみを片端から注文して、締めに「ゆずきり」を頼むのがいつものパターンなのだが、その日はあいにく「ゆずきり」がなかった。ではどうしようかとメニューを見ると、「ぶっかけ」なるものが目に入る。蕎上人は一茶庵系だから、何はともあれ変わり蕎麦(あるいは三色蕎麦、五色蕎麦)というのが一般了解であろう。私が変わり蕎麦の中で一番私好みのゆずきりをいつも頼んでいたのも、その了解を共有していたためであった。でも、たまには目先を変えてぶっかけを頼んでみることにした。
「ぶっかけ」といえば「讃岐うどん」でよく聞く。素うどんに薬味や具をのせて汁をぶかっけるあの「ぶっかけ」。もっとも讃岐うどんに関して私はほとんど経験値がなく、何となく貧相なイメージしか持ってなかったのだが、やって来た『蕎上人』の「ぶっかけ」はそんなイメージとはまるで違っていて、思わず驚いてしまった。
かつお節・天かす・ネギが赤・黄・青のコントラストをなして見た目にも美しく、とりわけネギの分量と配置が大胆だ。これにつゆをぶっかけてかき混ぜて食べるわけだが、このレイアウトを壊すのが一瞬ためらわれるほどだった。
他にきざんだ海苔と大根が写真から見てとれるだろうが、その下にはそば味噌が隠れているのだ。とくにプチプチしたそばの実が良いアクセントになっていて、とても美味しい。蕎麦のみならず、それぞれの薬味というか具の量が結構あるので、その一つ一つを堪能できるのも良い。今度くる時もこれを注文しようという気持ちになった。
それと、食べたときは気づかなかったのだが、写真を見て遅ればせながら気づいたことがある。そうか、これは単なる「ぶっかけ」なのではなく、やはり一茶庵系だけあって、五色そば風のぶっかけなのだ、ということを。
これから暑くなる季節にはぴったりの一品である。一度お試しあれ。
関連ランキング:そば(蕎麦) | 浅草駅(東武・都営・メトロ)、田原町駅、蔵前駅
代官山ASO チェレステ 日本橋店で一席を設ける [雑感]
連休中は、私以外の家族は旅行に行っていたのだが、東日本を避けて関西に行くというその心意気(の無さ)に賛同できないこともあって、私は外出を控え自宅で静養に努めていた(「小人閑居して不善を為す」わけでもなく、不善も何も、あまり積極的に何かをなそうという気持ちが起こらなかった。外食はよくしているが感想をいちいち書く気にならない。ブログもすっかりご無沙汰になってしまった。この傾向はしばらく続くかもしれない)。
でも、全くどこにも出向かないのも恰好がつかないので(特に妻の母に対して)、家人が帰京したその晩に一席設けることにした。
こういう場合、義母に配慮して和食にするか、それとも子供の好みを優先して中華にするのだが、ちょっと目先を変えてイタリアンにしようと考えた。義母があるとき「イタリアンをたまには食べたい」と言うのを私が覚えていたからだ。義母が定宿にしている人形町のホテルの近辺にも良さそうな店があったのだが、小学生の子供はO.K.なのか問い合わせる必要性が出てくる。それは面倒なので、たぶんそういう必要性のない三越本店新館の一番上にある店を選んだ。
店の正式な名称は「代官山ASO チェレステ 日本橋店 」だが、少し長たらしいのがくどくて嫌味っぽい。代官山という地名に何の思い入れもない人間にとって、わざわざ「代官山」を冠するのは無意味に見えるのだが、そうは思わない人の方が多いのだろう。土地の本来の格から言えば、日本橋と代官山では比較にならないのだが、代官山に本拠を置く店が日本橋くんだりに支店を出してやったと言わんばかりの主張が店の名称に込められているようで、それはそれで面白いと言うべきなのだろうか?
まあ、そんなことはともかく、結果から言えば、まずまずだった。家族連れの客が少なくないせいだろう、店側の子供に対するサービスは申し分なかった。よほど徹底した教育がなされているのだろう。メニューにない子供向けの一品を頼むと、気軽に持ってきてくれた。それと、やはり老齢の客が多いせいだろう、もう老齢の域に達している義母にも受け入れられる味であった。頼んだコースの関係もあるのだろうが、和食として出されても違和感のないような一品もあった。長ったらしい店名が抱かせる取り澄ましたような雰囲気はなく、ごく普通の和やかな空気が店内に満ちていた。(そうなると店名の「チェレステ」が少し浮いてしまうのだが、まあ気にしないでおこうか)。
その日頼んだのは「オールシェフ饗宴コース」。一品ずつ違う料理長が腕を振るう競演の饗宴。まあ、業界人や内輪の人には受けるだろうが、それ以外の人間にはどうだろうか? まあ、その点も措くことにして、後学のために一品ずつ紹介しておこう。
前菜:さっと火を通したオマール海老と帆立のソテー。アーモンド薫る南瓜のピュレとグリーンピースのアイス添え。
これは皆に好評だった。特に、私の妻は、どんなジャンルの料理でも、軽さとヴァラエティーのために、前菜料理をもっとも好む傾向があるが、この晩も例外ではなかった。

パスタ:桜海老のフリットをのせたタリオリーニ。サーモン入り春キャベツのクレマを添えて。
ラーメン界でいう「和えそば」。こういう趣向は一瞬楽しくなるが、こういう趣向によって肝心の味が良くなるかと言うと、そうでもなかった。



魚料理:あいなめのスープ仕立て。ジェノペーゼ風味の帆立のムースを添えて
やはりこれも別に用意されたスープをかけていただく「和え物」の一種だが、和えた結果はと言うと、まるで和食のテイストになっていた。上で老齢の方にも受け入れられる味とかいたのはこの一品。あいなめのカリカリに焼いた表面とスープのミスマッチが却って面白い趣向になっている。義母がいたく気に入っていたのが何より。

肉料理: イベリコ豚の炭火焼。オッソブーコ風。
オッソブーコ(ossobuco)とは、手持ちのイタリア語の辞書によると、「骨髄のはいっている子牛の骨付きすね肉の煮込み」のこと。写真では判りづらいが、イベリコ豚の上に、くり抜いた中心部分に脂を仕込んだゴボウが載っており、そのゴボウとイベリコ豚のアンサンブルがオッソブーコ風だということらしい。しかし、手が込んでいる割には美味いとは感じられなかった。ただ重いだけで皆の不評を買っていた。

デザート: 以下にご覧の三品。どれも月並みに感じられた。ここはデザートには力を入れてないのかな?



…という訳で、趣向倒れや月並みな一品もあったが、総じてサービスは良く、そういう点では楽しい時間を過ごせたし満足度の高い店であった。これまで、わが家が子連れで三越に来るときは判を押したように特別食堂だったが、その慣習はそろそろ廃れる時が来たのかもしれない。
でも、全くどこにも出向かないのも恰好がつかないので(特に妻の母に対して)、家人が帰京したその晩に一席設けることにした。
こういう場合、義母に配慮して和食にするか、それとも子供の好みを優先して中華にするのだが、ちょっと目先を変えてイタリアンにしようと考えた。義母があるとき「イタリアンをたまには食べたい」と言うのを私が覚えていたからだ。義母が定宿にしている人形町のホテルの近辺にも良さそうな店があったのだが、小学生の子供はO.K.なのか問い合わせる必要性が出てくる。それは面倒なので、たぶんそういう必要性のない三越本店新館の一番上にある店を選んだ。
店の正式な名称は「代官山ASO チェレステ 日本橋店 」だが、少し長たらしいのがくどくて嫌味っぽい。代官山という地名に何の思い入れもない人間にとって、わざわざ「代官山」を冠するのは無意味に見えるのだが、そうは思わない人の方が多いのだろう。土地の本来の格から言えば、日本橋と代官山では比較にならないのだが、代官山に本拠を置く店が日本橋くんだりに支店を出してやったと言わんばかりの主張が店の名称に込められているようで、それはそれで面白いと言うべきなのだろうか?
まあ、そんなことはともかく、結果から言えば、まずまずだった。家族連れの客が少なくないせいだろう、店側の子供に対するサービスは申し分なかった。よほど徹底した教育がなされているのだろう。メニューにない子供向けの一品を頼むと、気軽に持ってきてくれた。それと、やはり老齢の客が多いせいだろう、もう老齢の域に達している義母にも受け入れられる味であった。頼んだコースの関係もあるのだろうが、和食として出されても違和感のないような一品もあった。長ったらしい店名が抱かせる取り澄ましたような雰囲気はなく、ごく普通の和やかな空気が店内に満ちていた。(そうなると店名の「チェレステ」が少し浮いてしまうのだが、まあ気にしないでおこうか)。
その日頼んだのは「オールシェフ饗宴コース」。一品ずつ違う料理長が腕を振るう競演の饗宴。まあ、業界人や内輪の人には受けるだろうが、それ以外の人間にはどうだろうか? まあ、その点も措くことにして、後学のために一品ずつ紹介しておこう。
前菜:さっと火を通したオマール海老と帆立のソテー。アーモンド薫る南瓜のピュレとグリーンピースのアイス添え。
これは皆に好評だった。特に、私の妻は、どんなジャンルの料理でも、軽さとヴァラエティーのために、前菜料理をもっとも好む傾向があるが、この晩も例外ではなかった。
パスタ:桜海老のフリットをのせたタリオリーニ。サーモン入り春キャベツのクレマを添えて。
ラーメン界でいう「和えそば」。こういう趣向は一瞬楽しくなるが、こういう趣向によって肝心の味が良くなるかと言うと、そうでもなかった。
魚料理:あいなめのスープ仕立て。ジェノペーゼ風味の帆立のムースを添えて
やはりこれも別に用意されたスープをかけていただく「和え物」の一種だが、和えた結果はと言うと、まるで和食のテイストになっていた。上で老齢の方にも受け入れられる味とかいたのはこの一品。あいなめのカリカリに焼いた表面とスープのミスマッチが却って面白い趣向になっている。義母がいたく気に入っていたのが何より。
肉料理: イベリコ豚の炭火焼。オッソブーコ風。
オッソブーコ(ossobuco)とは、手持ちのイタリア語の辞書によると、「骨髄のはいっている子牛の骨付きすね肉の煮込み」のこと。写真では判りづらいが、イベリコ豚の上に、くり抜いた中心部分に脂を仕込んだゴボウが載っており、そのゴボウとイベリコ豚のアンサンブルがオッソブーコ風だということらしい。しかし、手が込んでいる割には美味いとは感じられなかった。ただ重いだけで皆の不評を買っていた。
デザート: 以下にご覧の三品。どれも月並みに感じられた。ここはデザートには力を入れてないのかな?
…という訳で、趣向倒れや月並みな一品もあったが、総じてサービスは良く、そういう点では楽しい時間を過ごせたし満足度の高い店であった。これまで、わが家が子連れで三越に来るときは判を押したように特別食堂だったが、その慣習はそろそろ廃れる時が来たのかもしれない。
関連ランキング:イタリアン | 三越前駅、日本橋駅、新日本橋駅






