福島第一原発事故を写真でたどる [海外のニュース記事]
原発事故関連で、今日(3月24日)話題になったことは、水の放射能汚染で乳幼児に対する水道水の使用を控えるようにという政府の通達があって、ミネラル・ウォーターが軒並み品薄になったということか。
私は、個人的にはまだ騒ぐほどのレベルではないと思っているが、こうした「リスク」関連については冷静になれる人は少くないのが常だ。幼児を抱えていて首都圏に住んでいて関西に実家のある女性は、関西に一時的に避難する人は少なくないのだろう。これを機に「リスク」についてのきちんとした知識が広まることを望むが、とりあえず、まだ心配するほどのレベルには達していないが、まだ油断は禁物という段階である。
原発に関連して3月23日から24日にどのようなことが起こったかを写真でまとめたスライド・ショーをイギリス『ガーディアン』紙がアップしたので、それを紹介しよう。
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/mar/24/fukushima-nuclear-plant-in-pictures
「 福島第一原発事故を写真でたどる
1.福島県富岡町の福島第一原発の原子炉から煙があがる

2.東京周辺の庁舎に配る24万本のペット・ボトルの発送を手伝う市職員。これは、損壊した原発施設からの放射能漏れのために水道水が乳幼児にとって安全ではないとされた後で乳幼児に汚染されていない水を供給する計画の一部である。

3.他の家族が食糧配給センターでボトル詰めの水を集めている間、女性に抱きかかえられている赤ん坊。岩手県山田町にて。

4.東京電力の社員が福島第一原発の中央制御室で機器の数字をチェックしている様子を捉えた原子力保安院のプレス用写真。

5.福島第一原発の一号機と二号機の中央制御室の計器類を見る東京電力の作業員。

6.一号機と二号機の監視室でデータを収集する原発の作業員。

7.電源が回復した後の第一原発の中央制御室。

8.福島第一原発の中央制御室。

9.東京電力の副社長のノリオ・ツズミ(写真中央)とその部下が、郡山の避難所にいる避難民にお詫びのために頭を下げる。

10.かつてはその地域で育てられた野菜が売られていた場所で空っぽの棚に目を落とす店主。本日、日本の政府は、故障した原発付近の4県に対して、高い放射線量を示す農作物の出荷停止を命じた。

11.茨城県水戸市の酪農家で地面に流された放射線物質に汚染された牛乳を眺める農夫。

12.福島第一原発の放射能漏れのインパクトを受けた市役所での集会で不安な気持ちを語る住民。

13.東京電力が発表したこの写真は一号機の原子炉から黒煙が上がっているのを示している。

14. 放射性物質の降下が怖いために、福島県いわき市ではショッピングモールがある通りは誰もいなかった。

16.東京の北部にある臨時の避難所になったサイタマ・スーパーアリーナの通路を埋めつくす避難者たち。

17.国際原子力機関(International Atomic Energy Agency:IAEA)の理事会の開会を宣言する事務局長の天野之弥。原発の危機に対処する上で「穏やかだが堅実な進歩」があったことを日本が報告する中、トップレベルの会合が開かれた。

18.東京で反戦・反原発の行進をしている中で警官とにらみ合うデモ参加者。

19.放射線検知器のスコープ越しにとらえた画像はは放射線量の(ミリレントゲン単位での)値がわずかであることを示している。

」
私は、個人的にはまだ騒ぐほどのレベルではないと思っているが、こうした「リスク」関連については冷静になれる人は少くないのが常だ。幼児を抱えていて首都圏に住んでいて関西に実家のある女性は、関西に一時的に避難する人は少なくないのだろう。これを機に「リスク」についてのきちんとした知識が広まることを望むが、とりあえず、まだ心配するほどのレベルには達していないが、まだ油断は禁物という段階である。
原発に関連して3月23日から24日にどのようなことが起こったかを写真でまとめたスライド・ショーをイギリス『ガーディアン』紙がアップしたので、それを紹介しよう。
http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/mar/24/fukushima-nuclear-plant-in-pictures
「 福島第一原発事故を写真でたどる
1.福島県富岡町の福島第一原発の原子炉から煙があがる

2.東京周辺の庁舎に配る24万本のペット・ボトルの発送を手伝う市職員。これは、損壊した原発施設からの放射能漏れのために水道水が乳幼児にとって安全ではないとされた後で乳幼児に汚染されていない水を供給する計画の一部である。

3.他の家族が食糧配給センターでボトル詰めの水を集めている間、女性に抱きかかえられている赤ん坊。岩手県山田町にて。

4.東京電力の社員が福島第一原発の中央制御室で機器の数字をチェックしている様子を捉えた原子力保安院のプレス用写真。

5.福島第一原発の一号機と二号機の中央制御室の計器類を見る東京電力の作業員。

6.一号機と二号機の監視室でデータを収集する原発の作業員。

7.電源が回復した後の第一原発の中央制御室。

8.福島第一原発の中央制御室。

9.東京電力の副社長のノリオ・ツズミ(写真中央)とその部下が、郡山の避難所にいる避難民にお詫びのために頭を下げる。

10.かつてはその地域で育てられた野菜が売られていた場所で空っぽの棚に目を落とす店主。本日、日本の政府は、故障した原発付近の4県に対して、高い放射線量を示す農作物の出荷停止を命じた。

11.茨城県水戸市の酪農家で地面に流された放射線物質に汚染された牛乳を眺める農夫。

12.福島第一原発の放射能漏れのインパクトを受けた市役所での集会で不安な気持ちを語る住民。

13.東京電力が発表したこの写真は一号機の原子炉から黒煙が上がっているのを示している。

14. 放射性物質の降下が怖いために、福島県いわき市ではショッピングモールがある通りは誰もいなかった。

16.東京の北部にある臨時の避難所になったサイタマ・スーパーアリーナの通路を埋めつくす避難者たち。

17.国際原子力機関(

18.東京で反戦・反原発の行進をしている中で警官とにらみ合うデモ参加者。

19.放射線検知器のスコープ越しにとらえた画像はは放射線量の(ミリレントゲン単位での)値がわずかであることを示している。

」
日本が世界に示した教訓 [海外のニュース記事]
今回の原発事故は、世界の原子力政策に多大な影響を与えたことは、すでに多くの報道が伝えた通り。オバマ政権も大変力を注いでいた「原発ルネッサンス」にストップをかけたようだし、ドイツのメルケル首相も原発の期限延長を考え直すという声明を発表したようだ。
ドイツは特に反原発運動が盛んなお国柄。昨年11月の放射性廃棄物輸送の際には、非常に大規模なデモがあちこちで繰り広げられた(この時の模様はここで紹介した : http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-11-09)
だから、今回の福島第一原発の事故がドイツでどう報じられるか、非常に興味があった。まあ、内容は、ある意味で、読む前から判っているんですけどね。
以下で紹介するのは、12日付だから、地震が起きた翌日のドイツ『ツァイト』紙の記事。『日本が世界に示した教訓』というタイトルが気に入って紹介する気持ちになった。
掲げられる主張は、3/3のタイトルにもなっている「 第十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをすることなかれ」に尽きている、と言っていいのだろうか。「第十一番目の戒め」とは、十戒に続く十一番目の戒律、という意味。「汝、無理を承知の賭けをすることなかれ」と訳したが、直訳すれば「あなたはポーカー遊びをするべきではない」。電気という国民生活に直結した分野で、万が一の事故が起きたら取り返しのつかないばくちのような技術を用いるべきではないという意味。主張としては、ハンス・ヨーナスのようなドイツの哲学者が40年ほど前に言い出したときからある考え方だ。
もう、ドイツではかなりの人がこういう意見を当然と見なしているのだろう。原発に積極的だったメルケル首相も、この記事が出た3日後に原発政策の見直しを公言した。ひるがえって、日本の電気事業やエネルギー政策はどうなるのか? 大幅な見直しがあるのか? しかし、東京電力の面の皮が厚そうな幹部をみると、そんなドラスティックな転換は期待できないような気もするのだが。しかし結局大惨事には至らなかったとしても、福島やその周辺の農産物は非常に長い期間市場に出回ることもないだろうし、これほどの多大な被害を出しておいて従来通りのやり方で押し通す訳にはいかないだろう、と思うのだが・・・・。
Japans Lehre für die Welt
http://www.zeit.de/2011/12/japan-kernenergie-leitartikel?page=1
「 日本が世界に示した教訓
人類は学び直さなくてはならない。それには共感は必要ではない、理解力があれば十分なのだ。

原子力発電所の設計図を前に説明する責任者
日本人はわれわれドイツ人にとって縁遠い存在だ、とても縁遠い存在だ 。彼らの言語も、彼らの文化も、 彼らの自制心も 彼らの容貌も。しかし、ある程度の苦痛には、あらゆる人間を似た者同士にするものがある。その苦痛の程度には到達してしまった、いやそれをもう超えてしまったのだ。地震による揺れ、津波の襲来、致命的な放射線の脅威――これらが何を意味するのかは、誰でも思い描くことは出来る。誰に頼ればいいかわからず途方に暮れる人々、家族の行方が分からない人々、放射線量を計るガイガー・カウンターの数値を見たいと思うが不安を隠せない 人々。こうしたことが判るには翻訳はいらない。われわれの想像力で十分だし、隣人愛で十分だ。しかし、それはどれくらい長く続くのだろうか? 数週間? それとも数か月?
ともかく、世界は暴君カダフィによって犠牲になった何千人もの人々に対して同情の念を寄せていたのだが、それは、日本で起きた大惨事によって中断してしまった。カダフィは、福島のニュースの陰に隠れて、恥ずべき勝利を勝ち取っているようだ。われわれは、あちこちに定めなく同情心をさ迷わせること以上のことができていないのではないか? それともあまりに過剰な世界によってわれわれも限界に追い込まれているのだろうか? 先週おきた出来事はすばやい答えを返すことが出来るようなものではない、とりあえずは正確な分析をする必要があるのである。
1/3 日本で間違っていることがドイツで正しくなることなどありえない
そう、福島はチェルノブイリではない、なぜなら今回問題なのは、死滅しつつある独裁国家における廃炉に近い原子炉ではなく、ドイツにあるのと同じような沸騰水型原子炉であり、事故は民主主義的な国、しかもドイツやフランスと同じくらい技術的に進んだ、ハイテクの国で起きたからである。日本で間違っていることがドイツで正しくなることなどありえない。
そう、それに自然は重要ではない。自然災害とはああいうものであり、容赦がないものだ。しかしそうしたことは予見できたことであり、日本政府もこの2011年3月11日にいたるまで常に、わが国の政府が言っているように、原発は安全だと言ってきたのである。何と言っても、原発は安全だということは、自然のどんな猛威が襲って来ようと、常に原発は安全だということを意味するのである。
そして、ここで問題なのは原子力エネルギーだけではない、進歩というものにストップがかかったのである。制限のない、若々しい、まさに思春期によくあるような楽観主義のこの100年はこの2011年3月11日でたぶん終了してしまったのであろう。この100年は、ずっと前から疑念に悩まされてきたのだが、そのたびごとに進歩の次の段階へとするりと逃げのびてきた。石炭から石油へ、石油から原子力発電へと。この楽観主義は、すべての問題は、たとえそれが科学技術が引き起こした問題であっても、遅かれ早かれ技術的に解決されると信じていた。自己を制限しようとする考え方、特定の科学技術は放棄しようという考え方、世の中には人間が支配できないものもあるのだという考え方は主流の思想にも現われたが、それが実際上どういう結果をもたらすかを考えて、人々はそうした考え方をとらなかった。
ドイツ政府もこうした古い考え方に捉われていたし、とりわけメルケル首相がそうだった。首相は物理学者の目で原子力を見ていたし、それが彼女には客観性のオーラを与えた。今でも、政治的に追いつめられると、彼女は科学に解決策を求める。「安全はすべてに勝る」とメルケル首相は、方針の変更の理由を述べる中で、そう言った。しかし、日本でもドイツでも、それは事実に反する。日本の原子力発電所はマグニチュード8までの地震に対して耐震設計がなされていたが、マグニチュード9の地震にはつかまってしまったのであるから。
ただ、日本の政府は、なぜこうした安全性の基準に満足したのだろうか? マグニチュード9の地震は、マグニチュード8の地震に比べて10倍も強大で、それに相応しい安全性の技術にかかるコストも飛躍的に上昇するからなのであろう。そうなると原子力発電は、他のエネルギー源よりも高価になり、企業の利益が大幅に減少するだろう。だから、ドイツの原発が約束通り検査される際に、ありとあらゆることが明らかになるだろうが、安全を求めるあまりコストが高くつきすぎてはならないのである。安全性は最優先ではない、経済的な損得勘定と同じ程度なのだ。リスクと利益は一体のものである。一方が高まれば他方も高くなるのである。
2/3: 重要な出来事が続く毎日がわれわれの政治に過度な負担を強いる
日本人はおそらく政府を信頼していたのだろうし、彼らはおそらく、原発が耐用年数を迎え、もう安全でもないし採算も取れなくなったとき政府が知らせてくれるだろう、と考えたのだろう。その希望は裏切られた。そしてわが国の場合はどうか? 今の連立政権を信用していいのだろうか? もっとも古く、最も危険な原子炉の稼働期間を延長することを平気で決めてしまった政権を? 現政権はどうして延長を決めてしまったのだろう? それは、これらの廃炉となるべき原子炉が循環エネルギー時代へのつなぎ技術として放棄できなったからなのか? しかし、もしそうであったとしても、原発建設計画の延期くらいはすぐにでもできるだろう。多くのことから考えて、現政権は原子力産業のみに何かを与えようとしているらしいし、原発関連のロビー活動につぎ込まれた莫大なお金が物を言っているらしいのだ。
原子力は、わが国が所有している最も危険な技術である。しかし、原発について国民投票のようなことは一度として行われてこなかった。今や、日本で起きたこの恐るべき大惨事を考えるならば、国民投票が行われるだろう。メルケル首相はバーデン-ヴュルテンベルク州の州議会選挙をシュトゥットガルト駅に関する住民投票にしたいという意向をもっていたが、その選挙は今となってはドイツ連邦首相の原発政策に関する投票となることだろう。それは、野党がそう望むからなのではなく、目下のところそれ以上に重要なテーマが存在しないからだ。おまけに、シュトゥットガルトの勢力関係は真の国民投票にはうってつけだ。連立を組む二つの政権党は原子力政策を熱心に推進しており、野党の政党はすべて原子炉の稼働期間の短縮に賛成なのだから。
そして、次の日曜日になるべく早い脱原発政策が支持を得るならば、万事は元通りになるのではないだろうか?
すでに述べたように、問題は原子力エネルギーだけなのではない。この週末のことを思い出す人は判るだろうが、現代における最大の災害の一つが起きたということだけでなく、劇的なもろもろの出来事がここ数十年で最大の形で一挙にまとまって起こったのだ。本来、3月の2番目の週末は、ユーロ危機の克服と新しい財務体制が大見出しに来るはずだった。しかし、それは見出しに現われなかった。リビアで飛行禁止区域が設定されるべきかどうかということの方が重要で緊急を要する問題になったからだ。しかし、そのリビアの問題も背後に退いてしまった。日本が大きな地震に見舞われ、津波の襲来を受けたからだが、それらに原発の事故が覆いかぶさったのだ。
世界の新たな重圧はどこから来るのか、われわれの政治家に過大な要求をつきつけたりれわれの共感を過度に強いるこの密度の濃い一連の出来事はどこに由来するのか?それは、ますます多くの人間が存在するようになったことに由来するのだ。ますます多くの人間がますます多くの人間を目にするようになったことに。ますます多くの人間が声を上げるようになったことに。ますます多くの人間がますます旅行をし、ますます消費をし都市に住むようになったことに由来する。ますます多くの都市が大陸の縁に、砂漠に、浜辺に、河口のデルタ地帯に建設されるようになったことに由来する。
世界はより高速に、より狭く、より活気にあふれ、より自由に――そして、より危険になった。そして持続的に連鎖反応しあい、膨大な影響を及ぼし合う世界が生まれた。そこからただちに、この世界を取り囲むこの何十億という身近の、あるいは縁遠い人々を愛せよという主張をしたとしても、その主張からは何も奪われはしない。その反対に、この何十億という人々を愛せという主張は変わらないのである。
3/3 : 第十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをすることなかれ
それゆえ、試しにこの世界を冷静な眼差しで眺めてみるべきだ。いったいアラブ人がわれわれとどんな関係があるというのか? まあ、少なくともアラブ人は石油を提供してくれているし、まもなくとても長い直流の送電線で太陽光発電による電気をい提供してくれるだろう。あるいは革命が失敗したら、難民になるかもしれない。それから、ベルリンから9000キロ離れた所に暮らす日本人とは何の関係があるというのか? 少なくとも、彼らはわれわれのものととてもよく似た原子炉をもっているのだ。
新たに生まれつつある世界市民に対して愛情は必要ない、理解力があれば十分だ。
それでも、新たに発生する要求事項について思い違いをする人もいるだろう。だから福島の災害から教訓が引き出されなければならない。現代の市民にとっての十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをするな、――なぜなら、掛け金があまりに高額であり、あまりに多くの人間が巻き沿いを食らうからである。この点でも、チェルノブイリとの違いがあるのであって、今回の原発の事故はほとんど空っぽな地域で起こったことではなかったからである。人口密度の高い産業地域に影響を及ぼしているのであり、悪い展開になるならば、地球上で最大の都市の一つである東京都とその周辺の約4000万人が暮らす一帯に影響を及ぼすことになるのである。
原発で想定外のリスクが発生する確率は極端なまでに、そしてありえないほど低い。しかし緊急事態が発生した場合、その結果はありえないほど極端なものになる。
この数日の出来事の別の教訓は、汝、無関心になってはならない、である。いまアラブ諸国で独裁者が食い止めようとしていることは、何十年もの間、無視され否定されてきたことである。それが今ではすべてがコントロールされず、ある国で起きたことが隣国に伝わり、後10年もたてば今いる支配者の大半は一掃されているに違いない。
ますます速度を増し複雑になっていく世界をたった二つのルールで渡ろう思うならば、それは無謀なことだろう。しかし歴史を動かすに足りるほどの出来事が起きたこの週から、真っ先に二つのことが導き出されるのである。想定外のリスクと指数的に高まっていく影響には用心しなければならない、ということ。そして、長い間しかるべき仕方で見られることのなかった場所では、いつか恐るべきことがおこるものである、ということ。
そして、出来る人は、日本を援助しよう。
」
ドイツは特に反原発運動が盛んなお国柄。昨年11月の放射性廃棄物輸送の際には、非常に大規模なデモがあちこちで繰り広げられた(この時の模様はここで紹介した : http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-11-09)
だから、今回の福島第一原発の事故がドイツでどう報じられるか、非常に興味があった。まあ、内容は、ある意味で、読む前から判っているんですけどね。
以下で紹介するのは、12日付だから、地震が起きた翌日のドイツ『ツァイト』紙の記事。『日本が世界に示した教訓』というタイトルが気に入って紹介する気持ちになった。
掲げられる主張は、3/3のタイトルにもなっている「 第十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをすることなかれ」に尽きている、と言っていいのだろうか。「第十一番目の戒め」とは、十戒に続く十一番目の戒律、という意味。「汝、無理を承知の賭けをすることなかれ」と訳したが、直訳すれば「あなたはポーカー遊びをするべきではない」。電気という国民生活に直結した分野で、万が一の事故が起きたら取り返しのつかないばくちのような技術を用いるべきではないという意味。主張としては、ハンス・ヨーナスのようなドイツの哲学者が40年ほど前に言い出したときからある考え方だ。
もう、ドイツではかなりの人がこういう意見を当然と見なしているのだろう。原発に積極的だったメルケル首相も、この記事が出た3日後に原発政策の見直しを公言した。ひるがえって、日本の電気事業やエネルギー政策はどうなるのか? 大幅な見直しがあるのか? しかし、東京電力の面の皮が厚そうな幹部をみると、そんなドラスティックな転換は期待できないような気もするのだが。しかし結局大惨事には至らなかったとしても、福島やその周辺の農産物は非常に長い期間市場に出回ることもないだろうし、これほどの多大な被害を出しておいて従来通りのやり方で押し通す訳にはいかないだろう、と思うのだが・・・・。
Japans Lehre für die Welt
http://www.zeit.de/2011/12/japan-kernenergie-leitartikel?page=1
「 日本が世界に示した教訓
人類は学び直さなくてはならない。それには共感は必要ではない、理解力があれば十分なのだ。

原子力発電所の設計図を前に説明する責任者
日本人はわれわれドイツ人にとって縁遠い存在だ、とても縁遠い存在だ 。彼らの言語も、彼らの文化も、 彼らの自制心も 彼らの容貌も。しかし、ある程度の苦痛には、あらゆる人間を似た者同士にするものがある。その苦痛の程度には到達してしまった、いやそれをもう超えてしまったのだ。地震による揺れ、津波の襲来、致命的な放射線の脅威――これらが何を意味するのかは、誰でも思い描くことは出来る。誰に頼ればいいかわからず途方に暮れる人々、家族の行方が分からない人々、放射線量を計るガイガー・カウンターの数値を見たいと思うが不安を隠せない 人々。こうしたことが判るには翻訳はいらない。われわれの想像力で十分だし、隣人愛で十分だ。しかし、それはどれくらい長く続くのだろうか? 数週間? それとも数か月?
ともかく、世界は暴君カダフィによって犠牲になった何千人もの人々に対して同情の念を寄せていたのだが、それは、日本で起きた大惨事によって中断してしまった。カダフィは、福島のニュースの陰に隠れて、恥ずべき勝利を勝ち取っているようだ。われわれは、あちこちに定めなく同情心をさ迷わせること以上のことができていないのではないか? それともあまりに過剰な世界によってわれわれも限界に追い込まれているのだろうか? 先週おきた出来事はすばやい答えを返すことが出来るようなものではない、とりあえずは正確な分析をする必要があるのである。
1/3 日本で間違っていることがドイツで正しくなることなどありえない
そう、福島はチェルノブイリではない、なぜなら今回問題なのは、死滅しつつある独裁国家における廃炉に近い原子炉ではなく、ドイツにあるのと同じような沸騰水型原子炉であり、事故は民主主義的な国、しかもドイツやフランスと同じくらい技術的に進んだ、ハイテクの国で起きたからである。日本で間違っていることがドイツで正しくなることなどありえない。
そう、それに自然は重要ではない。自然災害とはああいうものであり、容赦がないものだ。しかしそうしたことは予見できたことであり、日本政府もこの2011年3月11日にいたるまで常に、わが国の政府が言っているように、原発は安全だと言ってきたのである。何と言っても、原発は安全だということは、自然のどんな猛威が襲って来ようと、常に原発は安全だということを意味するのである。
そして、ここで問題なのは原子力エネルギーだけではない、進歩というものにストップがかかったのである。制限のない、若々しい、まさに思春期によくあるような楽観主義のこの100年はこの2011年3月11日でたぶん終了してしまったのであろう。この100年は、ずっと前から疑念に悩まされてきたのだが、そのたびごとに進歩の次の段階へとするりと逃げのびてきた。石炭から石油へ、石油から原子力発電へと。この楽観主義は、すべての問題は、たとえそれが科学技術が引き起こした問題であっても、遅かれ早かれ技術的に解決されると信じていた。自己を制限しようとする考え方、特定の科学技術は放棄しようという考え方、世の中には人間が支配できないものもあるのだという考え方は主流の思想にも現われたが、それが実際上どういう結果をもたらすかを考えて、人々はそうした考え方をとらなかった。
ドイツ政府もこうした古い考え方に捉われていたし、とりわけメルケル首相がそうだった。首相は物理学者の目で原子力を見ていたし、それが彼女には客観性のオーラを与えた。今でも、政治的に追いつめられると、彼女は科学に解決策を求める。「安全はすべてに勝る」とメルケル首相は、方針の変更の理由を述べる中で、そう言った。しかし、日本でもドイツでも、それは事実に反する。日本の原子力発電所はマグニチュード8までの地震に対して耐震設計がなされていたが、マグニチュード9の地震にはつかまってしまったのであるから。
ただ、日本の政府は、なぜこうした安全性の基準に満足したのだろうか? マグニチュード9の地震は、マグニチュード8の地震に比べて10倍も強大で、それに相応しい安全性の技術にかかるコストも飛躍的に上昇するからなのであろう。そうなると原子力発電は、他のエネルギー源よりも高価になり、企業の利益が大幅に減少するだろう。だから、ドイツの原発が約束通り検査される際に、ありとあらゆることが明らかになるだろうが、安全を求めるあまりコストが高くつきすぎてはならないのである。安全性は最優先ではない、経済的な損得勘定と同じ程度なのだ。リスクと利益は一体のものである。一方が高まれば他方も高くなるのである。
2/3: 重要な出来事が続く毎日がわれわれの政治に過度な負担を強いる
日本人はおそらく政府を信頼していたのだろうし、彼らはおそらく、原発が耐用年数を迎え、もう安全でもないし採算も取れなくなったとき政府が知らせてくれるだろう、と考えたのだろう。その希望は裏切られた。そしてわが国の場合はどうか? 今の連立政権を信用していいのだろうか? もっとも古く、最も危険な原子炉の稼働期間を延長することを平気で決めてしまった政権を? 現政権はどうして延長を決めてしまったのだろう? それは、これらの廃炉となるべき原子炉が循環エネルギー時代へのつなぎ技術として放棄できなったからなのか? しかし、もしそうであったとしても、原発建設計画の延期くらいはすぐにでもできるだろう。多くのことから考えて、現政権は原子力産業のみに何かを与えようとしているらしいし、原発関連のロビー活動につぎ込まれた莫大なお金が物を言っているらしいのだ。
原子力は、わが国が所有している最も危険な技術である。しかし、原発について国民投票のようなことは一度として行われてこなかった。今や、日本で起きたこの恐るべき大惨事を考えるならば、国民投票が行われるだろう。メルケル首相はバーデン-ヴュルテンベルク州の州議会選挙をシュトゥットガルト駅に関する住民投票にしたいという意向をもっていたが、その選挙は今となってはドイツ連邦首相の原発政策に関する投票となることだろう。それは、野党がそう望むからなのではなく、目下のところそれ以上に重要なテーマが存在しないからだ。おまけに、シュトゥットガルトの勢力関係は真の国民投票にはうってつけだ。連立を組む二つの政権党は原子力政策を熱心に推進しており、野党の政党はすべて原子炉の稼働期間の短縮に賛成なのだから。
そして、次の日曜日になるべく早い脱原発政策が支持を得るならば、万事は元通りになるのではないだろうか?
すでに述べたように、問題は原子力エネルギーだけなのではない。この週末のことを思い出す人は判るだろうが、現代における最大の災害の一つが起きたということだけでなく、劇的なもろもろの出来事がここ数十年で最大の形で一挙にまとまって起こったのだ。本来、3月の2番目の週末は、ユーロ危機の克服と新しい財務体制が大見出しに来るはずだった。しかし、それは見出しに現われなかった。リビアで飛行禁止区域が設定されるべきかどうかということの方が重要で緊急を要する問題になったからだ。しかし、そのリビアの問題も背後に退いてしまった。日本が大きな地震に見舞われ、津波の襲来を受けたからだが、それらに原発の事故が覆いかぶさったのだ。
世界の新たな重圧はどこから来るのか、われわれの政治家に過大な要求をつきつけたりれわれの共感を過度に強いるこの密度の濃い一連の出来事はどこに由来するのか?それは、ますます多くの人間が存在するようになったことに由来するのだ。ますます多くの人間がますます多くの人間を目にするようになったことに。ますます多くの人間が声を上げるようになったことに。ますます多くの人間がますます旅行をし、ますます消費をし都市に住むようになったことに由来する。ますます多くの都市が大陸の縁に、砂漠に、浜辺に、河口のデルタ地帯に建設されるようになったことに由来する。
世界はより高速に、より狭く、より活気にあふれ、より自由に――そして、より危険になった。そして持続的に連鎖反応しあい、膨大な影響を及ぼし合う世界が生まれた。そこからただちに、この世界を取り囲むこの何十億という身近の、あるいは縁遠い人々を愛せよという主張をしたとしても、その主張からは何も奪われはしない。その反対に、この何十億という人々を愛せという主張は変わらないのである。
3/3 : 第十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをすることなかれ
それゆえ、試しにこの世界を冷静な眼差しで眺めてみるべきだ。いったいアラブ人がわれわれとどんな関係があるというのか? まあ、少なくともアラブ人は石油を提供してくれているし、まもなくとても長い直流の送電線で太陽光発電による電気をい提供してくれるだろう。あるいは革命が失敗したら、難民になるかもしれない。それから、ベルリンから9000キロ離れた所に暮らす日本人とは何の関係があるというのか? 少なくとも、彼らはわれわれのものととてもよく似た原子炉をもっているのだ。
新たに生まれつつある世界市民に対して愛情は必要ない、理解力があれば十分だ。
それでも、新たに発生する要求事項について思い違いをする人もいるだろう。だから福島の災害から教訓が引き出されなければならない。現代の市民にとっての十一番目の戒めは、汝、無理を承知の賭けをするな、――なぜなら、掛け金があまりに高額であり、あまりに多くの人間が巻き沿いを食らうからである。この点でも、チェルノブイリとの違いがあるのであって、今回の原発の事故はほとんど空っぽな地域で起こったことではなかったからである。人口密度の高い産業地域に影響を及ぼしているのであり、悪い展開になるならば、地球上で最大の都市の一つである東京都とその周辺の約4000万人が暮らす一帯に影響を及ぼすことになるのである。
原発で想定外のリスクが発生する確率は極端なまでに、そしてありえないほど低い。しかし緊急事態が発生した場合、その結果はありえないほど極端なものになる。
この数日の出来事の別の教訓は、汝、無関心になってはならない、である。いまアラブ諸国で独裁者が食い止めようとしていることは、何十年もの間、無視され否定されてきたことである。それが今ではすべてがコントロールされず、ある国で起きたことが隣国に伝わり、後10年もたてば今いる支配者の大半は一掃されているに違いない。
ますます速度を増し複雑になっていく世界をたった二つのルールで渡ろう思うならば、それは無謀なことだろう。しかし歴史を動かすに足りるほどの出来事が起きたこの週から、真っ先に二つのことが導き出されるのである。想定外のリスクと指数的に高まっていく影響には用心しなければならない、ということ。そして、長い間しかるべき仕方で見られることのなかった場所では、いつか恐るべきことがおこるものである、ということ。
そして、出来る人は、日本を援助しよう。
」
日本人が教えてくれるいくつかのこと [海外のニュース記事]
『ニューヨーク・タイムズ』の元東京支局長だったニコラス・D.クリストフの日本を讃える一文を紹介する。
世界各国から人的・物的支援が寄せられ、日本が決して孤立しているわけではないことを再確認できる機会が増えているが、かつて日本にいた経験のある人々が日本人の美点に触れてくれることも、一種の後方支援かなと思って読むことにしよう。
The Japanese Could Teach Us a Thing or Two
By NICHOLAS D. KRISTOF
Published: March 19, 2011
http://www.nytimes.com/2011/03/20/opinion/20kristof.html?hp
「
日本人が教えてくれるいくつかのこと
ニコラス・D.クリストフ
公開日:2011年3月19日
ちょうど今予算のどこを切り詰めるかという議論で起こっているように、アメリカが苦境に立つとき、われわれアメリカ人は、しばしば、最も無力で弱い人々を踏みつけにするようなことをする。
だからわれわれアメリカ人は日本から学ぶことができるのである。日本では、地震と津波と放射線漏れによって、社会がバラバラになってしまうどころか、かつてないほど結びつきを強めているからだ。最近の日本における無私と禁欲と規律の典型は、福島第一原発のあの作業員たちだ。彼らは日本国民を危険にさらす完全なメルトダウンを防ごうとして危険な量の放射線を浴びても無名のまま不平一つ漏らすことはしなかったのである。
日本で最も有名な銅像は、忠誠心と忍耐力と義務感の模範を示した犬のハチ公の銅像であろう。ハチ公は、主人が職場から帰路につく駅に毎日迎えに行ったのだが、1925年のある日主人は職場で死んでしまい二度と戻ってくることはなかった。それから約10年後に死ぬまで、ハチ公は忠実に、万一主人が帰ってこないかと思って夕方になると駅に迎えに行くのだった。
いつの日か、日本は忠誠心と義務への献身のもう一つ別のシンボルを建立することになることを私は願っている。原発で働いているあの作業員たちの銅像が建立されることを。
私は『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長として5年間日本に住んでいたが、日本政府の無能ぶりと二枚舌に対してしばしば批判的だったために、私は日本に対して敵対心をもつ者と見なされる時もあった。しかし、実は、私は日本人の礼儀正しさと無私の精神を大事なことだと思うようになったのだ。この国には一種の倫理規定が行き渡っていて、もし土砂降りに巻き込まれた場合、安いレストランであっても傘を貸してくれることなどはその典型的な例である。一日か二日後に傘は返してくれるはずだと思われているのだ。地下鉄で財布をなくしても、それは戻ってくるはずだとみんな思っているのである。
今回の地震は日本のそうした二面性を画面に映し出した。日本政府は哀れだった。そして、日本国民はこのありえない苦難に品位と節度をもって耐え、立派に振る舞っていた。
最近自分のブログを書いているときに思い出したのだが、6000人以上の人が亡くなった1995年の神戸の震災を取材中、私は窓が粉々になった多くのショップから商品を略奪する人々の例をいたる所で探して回った。私は、2台の自転車が行方不明になった家を発見したが、報道をするにつれて、それは救助活動のために利用されたのかもしれないと思えるようになった。
とうとう私は、3人の若者が彼の店から食料品をつかみとって逃げ去るのを目撃したコンビニの店主に出会った。私は店主に、同じ日本人がこんなさもしいことをすることに驚かないかどうかと尋ねた。
「いいや、そりゃ誤解ですよ」と店主は私に言った。「あの物盗りは日本人なんかじゃない。外人だったよ」。
確かに、不平も言わずに辛抱強くする――日本語で言うと「ガマン」だが――という倫理が日本に行き渡っていることが、なぜこの国が三流の指導者に甘んじているのかの原因なのかもしれない。また、日本の緊密な社会構造は、そこに適合しない者に対する差別を生みだしているのかもしれない。弱い者いじめは、小学校から企業の役員室までのいたる所にある問題である。在日朝鮮人と部落民として知られている下層階級は、日本の汚点である。実際、あの恐ろしい1923年の大震災の後、日本人は在日朝鮮人に対して牙をむき(放火した、あるいは何らかの方法で地震を引き起こしたという咎(とが)で)、推定6000人の在日朝鮮人を虐殺したのだ。
だから、日本の共同体優先の考え方にも欠点はあるのだが、それでも、われわれアメリカ人が一歩でも二歩でも日本に近づけるように歩み寄るとしたらそれは有益なことだろう。貧富の格差は日本の方が穏やかであり、日本では企業の大物実業家であっても、アメリカで一般的な華やかな報酬を見れば気恥ずかしい思いをするだろう。貧しい地域であっても――朝鮮人や被差別部落地区を含む――学校は立派な授業をしている。
妻と私は、子供たちを日本の学校に通学させたとき、集団重視の生活態度が子供たちに叩き込まれる様を目にした。先生が病気になっても、代わりの先生はいなかった。子供たちが先生役を担当した。わが息子のグレゴリーが学校の運動会を終えて帰宅したとき、彼が出たすべてのイベントで一番だったことに私たちは感激した。その感激は、すべての子供が一番だったことを理解するまでのことだったが。
グレゴリーの誕生日のために、クラスメートを招待したときに、私たちは椅子取りゲームの仕方を彼らに教えた。それが実は災いだった! 子供たち、特に女の子たちは、自分の椅子を得るために他人を押しのけなければならないことに深い負い目を感じたのだ。そこで起こったのは、世界の歴史の中で最も礼儀正しく、最も申し訳なさそうで、最も競争心のない椅子取りゲームだった。
われわれは押しの強いアメリカ人だ。われわれは時に人生や予算の交渉を、音楽がストップしたときに(子供などの)最弱者が歓声とともにはじき飛ばされなければならない競争のように扱っている。しかし、われわれアメリカ人が今、共通の利益のために私心なく自分たちの関心を一つにしている日本人から少しは学びとってくれればいいのにと私は思っている。われわれは日本人に同情の念をもつべきだ、それはそうだが、日本人から学ぶこともできるのである。
」(おわり)
世界各国から人的・物的支援が寄せられ、日本が決して孤立しているわけではないことを再確認できる機会が増えているが、かつて日本にいた経験のある人々が日本人の美点に触れてくれることも、一種の後方支援かなと思って読むことにしよう。
The Japanese Could Teach Us a Thing or Two
By NICHOLAS D. KRISTOF
Published: March 19, 2011
http://www.nytimes.com/2011/03/20/opinion/20kristof.html?hp
「
日本人が教えてくれるいくつかのこと
ニコラス・D.クリストフ
公開日:2011年3月19日
ちょうど今予算のどこを切り詰めるかという議論で起こっているように、アメリカが苦境に立つとき、われわれアメリカ人は、しばしば、最も無力で弱い人々を踏みつけにするようなことをする。
だからわれわれアメリカ人は日本から学ぶことができるのである。日本では、地震と津波と放射線漏れによって、社会がバラバラになってしまうどころか、かつてないほど結びつきを強めているからだ。最近の日本における無私と禁欲と規律の典型は、福島第一原発のあの作業員たちだ。彼らは日本国民を危険にさらす完全なメルトダウンを防ごうとして危険な量の放射線を浴びても無名のまま不平一つ漏らすことはしなかったのである。
日本で最も有名な銅像は、忠誠心と忍耐力と義務感の模範を示した犬のハチ公の銅像であろう。ハチ公は、主人が職場から帰路につく駅に毎日迎えに行ったのだが、1925年のある日主人は職場で死んでしまい二度と戻ってくることはなかった。それから約10年後に死ぬまで、ハチ公は忠実に、万一主人が帰ってこないかと思って夕方になると駅に迎えに行くのだった。
いつの日か、日本は忠誠心と義務への献身のもう一つ別のシンボルを建立することになることを私は願っている。原発で働いているあの作業員たちの銅像が建立されることを。
私は『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長として5年間日本に住んでいたが、日本政府の無能ぶりと二枚舌に対してしばしば批判的だったために、私は日本に対して敵対心をもつ者と見なされる時もあった。しかし、実は、私は日本人の礼儀正しさと無私の精神を大事なことだと思うようになったのだ。この国には一種の倫理規定が行き渡っていて、もし土砂降りに巻き込まれた場合、安いレストランであっても傘を貸してくれることなどはその典型的な例である。一日か二日後に傘は返してくれるはずだと思われているのだ。地下鉄で財布をなくしても、それは戻ってくるはずだとみんな思っているのである。
今回の地震は日本のそうした二面性を画面に映し出した。日本政府は哀れだった。そして、日本国民はこのありえない苦難に品位と節度をもって耐え、立派に振る舞っていた。
最近自分のブログを書いているときに思い出したのだが、6000人以上の人が亡くなった1995年の神戸の震災を取材中、私は窓が粉々になった多くのショップから商品を略奪する人々の例をいたる所で探して回った。私は、2台の自転車が行方不明になった家を発見したが、報道をするにつれて、それは救助活動のために利用されたのかもしれないと思えるようになった。
とうとう私は、3人の若者が彼の店から食料品をつかみとって逃げ去るのを目撃したコンビニの店主に出会った。私は店主に、同じ日本人がこんなさもしいことをすることに驚かないかどうかと尋ねた。
「いいや、そりゃ誤解ですよ」と店主は私に言った。「あの物盗りは日本人なんかじゃない。外人だったよ」。
確かに、不平も言わずに辛抱強くする――日本語で言うと「ガマン」だが――という倫理が日本に行き渡っていることが、なぜこの国が三流の指導者に甘んじているのかの原因なのかもしれない。また、日本の緊密な社会構造は、そこに適合しない者に対する差別を生みだしているのかもしれない。弱い者いじめは、小学校から企業の役員室までのいたる所にある問題である。在日朝鮮人と部落民として知られている下層階級は、日本の汚点である。実際、あの恐ろしい1923年の大震災の後、日本人は在日朝鮮人に対して牙をむき(放火した、あるいは何らかの方法で地震を引き起こしたという咎(とが)で)、推定6000人の在日朝鮮人を虐殺したのだ。
だから、日本の共同体優先の考え方にも欠点はあるのだが、それでも、われわれアメリカ人が一歩でも二歩でも日本に近づけるように歩み寄るとしたらそれは有益なことだろう。貧富の格差は日本の方が穏やかであり、日本では企業の大物実業家であっても、アメリカで一般的な華やかな報酬を見れば気恥ずかしい思いをするだろう。貧しい地域であっても――朝鮮人や被差別部落地区を含む――学校は立派な授業をしている。
妻と私は、子供たちを日本の学校に通学させたとき、集団重視の生活態度が子供たちに叩き込まれる様を目にした。先生が病気になっても、代わりの先生はいなかった。子供たちが先生役を担当した。わが息子のグレゴリーが学校の運動会を終えて帰宅したとき、彼が出たすべてのイベントで一番だったことに私たちは感激した。その感激は、すべての子供が一番だったことを理解するまでのことだったが。
グレゴリーの誕生日のために、クラスメートを招待したときに、私たちは椅子取りゲームの仕方を彼らに教えた。それが実は災いだった! 子供たち、特に女の子たちは、自分の椅子を得るために他人を押しのけなければならないことに深い負い目を感じたのだ。そこで起こったのは、世界の歴史の中で最も礼儀正しく、最も申し訳なさそうで、最も競争心のない椅子取りゲームだった。
われわれは押しの強いアメリカ人だ。われわれは時に人生や予算の交渉を、音楽がストップしたときに(子供などの)最弱者が歓声とともにはじき飛ばされなければならない競争のように扱っている。しかし、われわれアメリカ人が今、共通の利益のために私心なく自分たちの関心を一つにしている日本人から少しは学びとってくれればいいのにと私は思っている。われわれは日本人に同情の念をもつべきだ、それはそうだが、日本人から学ぶこともできるのである。
」(おわり)
日常生活への復帰に向けてそろそろ動き出す [雑感]
あの一件があって一週間以上が経過して、そろそろ元の日常生活への復帰に向けて皆が動き始めているのではないか。
もっとも、まだ震災や原発関連のニュースには目が釘付けになるし、近くのコンビニやスーパーにも十分な食料がなかったり、行く先々で照明が暗く人が少なかったり、かと思うと駅が異常に混んでいたり、都心で暮らす人間にも当分あの震災の影響下での暮らしは続くだろうが、いつまでも過酷で悲惨な状態を引きずっている訳にもいかない。それは被災した人でさえそうだ。人間はそれほど長く悲嘆に暮れていることに耐えられないのである。
今日は、妻が携帯を換えたいと言うので、家族で秋葉原のヨドバシに。妻が携帯を換えたいと思ったのは,古いものだと緊急地震速報がキャッチできないかららしい。彼女は、地震に少し過敏になっている。この一週間で数キロやせたそうだ。総じて女性は男性よりも敏感なのだろう。地震直後、近くの公園に小学生が集められたのだが、涙ぐむ女子生徒たちを尻目に、男子生徒は追いかけごっこではしゃいでいたそうだ。
ヨドバシ・カメラは、私は、この一週間で二度目だった。震災二日後の先週の日曜日の夜、妻の両親からの依頼があった。電池式のラジオ(それがない場合は、単二のラジカセでもいい)とガス・コンロがほしいと言うので、私は秋葉原に来てみた。最初、ドンキホーテに行ったがコンロも携帯ラジオも見事に売り切れ。ヨドバシに行ってみたら、辛うじて単二のラジカセがあった。単二の電池も辛うじてあったが、他の電池は売り切れだった。そうか、みんな再度の地震や停電に備えているのかと先読みする人々の敏捷さに感心したが、その時点では、それが嵩じてトイレット・ペーパーやらガソリンやらカップラーメンやら売り切れ続出になるとは思ってもみなかった。たぶん、まだその時点では、生活物資全般を少しでも買い込んでおこう、という熱は高まっていなかったのではないか? しかし、週が明けて原発問題が深刻さを増すのと比例する形で、買いだめ熱が増していったのではないだろうか? しかし、買いだめといいマスクをする人が軒並み増えたことといい、こんな浅ましく愚かしい動きには絶対同調したくなかった。福島の人を差し置いてマスクをするなどは言語道断だと思った。しかし、今日の土曜日あたりは、近所の店でも少しずつ商品が量的にも質的にも復活しつつあるようだったし、マスクをする人もほとんど見かけなかった。東京の人間はそれほど浅ましくも愚かしくもないのか? それとも早くも熱が冷めたのか? まあ、前者だということにして、東京の人間を少しは見直すことにしようと思った。
ヨドバシから帰って、久しぶりに外食。浅草のごく庶民的な洋食店の『モンブラン』に行く。ハンバーグやチキン・ソテーなどごくありきたりなものしか置いてない。だが今となっては、こうしたありきたりな食事こそが何よりの食事なのだという感慨が真っ先に私たちを捉えるのである。
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原子炉で戦う真のヒーローたち [海外のニュース記事]
福島第一原発内部で白い防護服に身を包んで、消火活動に当たっている50名たらずの人々―――それに焦点をあてた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を紹介する。
9.11のときの真のヒーローがあの貿易センタービルに駆け上っていった消防士たちだったように、今回の大震災の真のヒーローはあの原子炉で作業している人々ではないか(彼らは、欧米のメディアで“Fukushima50”(フクシマ・フィフティー)と呼ばれているようだ)。
いや、たぶん、沢山の人々がいたる所でヒーローのような働きをしているのだろうが、福島第一原発で作業しているあの人々も「真のヒーロー」にあげることが出来るに違いないのである。
彼らの名前や顔などは公表されていない。そんなことは問題ではないという人もいるかもしれないが、実は、彼らの安全性についてはほとんど何も配慮されていないようなのである。彼らは、文字通り命を懸けて作業をしている。一国の命運がかかっているのだから、そんなこと当然だろうという空気の中で、彼ら作業員の安全に対する配慮があまりにも欠けているのが大いに気になる。
ひょっとしたら東京電力の幹部や政府首脳によって良いように使われた挙句に見殺しの憂き目にあうだけではないのか、そんな嫌な空気が漂っているようなのだが、そんな空気を以下の記事は良く伝えているような気がする。
原文は2部に分かれているが、それらをまとめた形で紹介する。
Last Defense at Troubled Reactors: 50 Japanese Workers
By KEITH BRADSHER and HIROKO TABUCHI
Published: March 15, 2011
http://www.nytimes.com/2011/03/16/world/asia/16workers.html?hp
「
故障した原子炉での最後の砦:50人の日本人作業員たち
火曜日に福島第一原子力発電所に残っていたのは――そして、より広範囲に及ぶ原発の惨事を防ぐ日本の最後の可能性となったのは――放射線や火災に立ち向かう、技術者たちのわずかなクルーだった。
彼らは、故障した原子炉から漏れ出る水素ガスが空気と触れ合って発火する度に発生する周期的な爆発に聞き耳を立てながら、真っ暗闇の中を懐中電灯だけを頼りに迷路のような装置の間を這って進むのである。

彼らは、息がしづらいマスクを介して呼吸したり背中に重い酸素タンクを背負っている。彼らは、目に見えない放射線が体内に侵入するのをかろうじて防いでくれる、ぴったりしたフードつきの白いフルボディのジャンプスーツを着用している。
彼らは、後に残った顔を見せることもない50人の、氏名が公表されることもないオペレーターたちだ。彼らは、すでに部分的に溶融し放射性物質を放出していると考えられる、危険なまでに露出した燃料棒に海水をかけ、完全なメルトダウン(そうなったら、何千トンという放射性粉じんを大気中にまき散らし何百万もの日本人を危険にさらすだろう)を防ぐために志願したり、任命された人々だ。
彼らは、火曜日と水曜日、故障した三基の1号機、2号機、3号機の原子炉に、即席の消火ポンプを通して、毎分数百ガロンの海水を必死に送り続けたのだ。政府高官が水曜日に認めた多くの問題の中には、プラント内にまだ別の火災が起きているらしいことや、原子炉を取り囲む格納容器が破裂したかもしれないことを示す様々な証拠があった。その原子炉は3号機だが、放射性物質を含む蒸気を放出しているように見えた。
作業員たちは、次第に深刻になっていく――おそらく生命にかかわるような――犠牲的な任務をするように求められているのだが、そのことはこれまで暗黙のうちに認められているだけだ:日本の厚労省は、火曜日、作業員の被曝量の法的制限を、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトへと引き上げる予定であることを明らかにしたが、この数値は、アメリカの原子力発電所の労働者にとって許容される最大被曝量の5倍にあたるのである。
この変更が意味するのは、作業員が今やもっと長時間原発の現場にいることができるということである、と同省は語った。「作業員の健康を考慮するならば、それ以上引き上げるのは考えられないでしょう」と厚生労働副大臣の小宮山洋子は記者会見で述べた。原子力発電所を救うためにもっと多くの作業員が投入されるかもしれないということも示唆された。
このプラントの運営会社である東京電力は、作業員がどれくらい長く被曝に耐えることになっているかという点も含めて、作業員についてはほとんど何も言及してこなかった。
東京電力が公表したいくつかの詳細は悲惨なイメージを浮かび上がらせる。地震以来、死亡した作業員5名、様々な理由で負傷した作業員22名、行方不明者2名である。ある作業員は、突然、胸をつかんで立っていられなくなった後で入院し、別の作業員は、破損した原子炉付近で放射線の爆風を受けた後で、治療を施された。3号機の原子炉で起きた水素爆発では11名の作業員が負傷した。
原子炉の作業員たちは、自分たちの職業が、消防士やエリート戦闘部隊に見られるのと同じ団結力を特徴としているのだと言う。 原子炉の食堂で交わされる会話はしばしば、重大な事故のときに作業員は何をするかという話題になるのだという。
そこでのコンセンサスは、家族には逃げろと警告を発した後で、自分は最後まで持ち場を離れずにとどまる、ということに常になるのだという。合計して13年の間に3つのアメリカの発電所で幹部作業員を務めたことのあるマイケル・フリードランダーはそう語った。
「確かに家族の健康と安全は気になるけど、その施設にとどまるのは義務だからね」と彼は言った。「何年もの間、他の連中と訓練を受けたり、交代で勤務したからには、ある種の忠誠心や仲間意識が生まれるものさ」。
こうした自然に生まれる絆に加えて、日本での職業はアイデンティティーを与え、恩義を植え付け、特に熱心な献身の念を抱かせるのだ。経済的な苦境が続いたせいで、多くの日本人にとって終身雇用を神聖視する考え方は崩れてしまったが、それでも職場は共同体意識を感じさせる強力な源泉であり続けている。フリードランダー氏は、アメリカで同じような事故が起きたら、非常に危険な環境から他のみんなが逃げ去った後でも、間違いなく50人くらいは志願してその場に残るだろうと述べた。しかし、日本人は、個人は集団のために犠牲になるべしと信じるように育てられているのだ。 (前半おわり)
原子炉の作業員たちは尋常ではないリスクに直面している。東京電力は、放射線レベルが上昇した火曜日、わずか50名ばかりを現場に残して、故障したプラントから750名の緊急スタッフを避難させた。比較してみると、3基ある現役のGE社製の原子炉に通常かかわる人員は、監督を含み一基当たり10名から12名だという―――このことは、後に残された少人数のクルーたちは、静かで何もない一日に当番になる人数と大差ないことを示しているのだ。
福島第一原発は、汚染の深刻さという点では、チェルノブイリに匹敵するわけではない。ウクライナの原子炉は、1986年に爆発して10日間もの間、大量の放射線をまき散らした。しかし、その原発の作業員たちは一致団結して事に当たった。
チェルノブイリに駆けつけた原発従業員や消防士の中には、炎上する原子炉を制御し葬り去ろうと志願した者が沢山いたが、彼らすべてにリスクについての真実が言われたかどうかははっきりしていない。3か月以内に、28名が放射線被曝により死亡した。そのうち19名は、皮膚の大部分が被曝によって焼けただれたことに由来する感染症によって亡くなったと、国連のある科学委員会の最近の報告書が明らかにした。そして106名が、感染症にかかりやすくさせる吐き気や下痢や血球低下などを伴う放射能疾患を発病した。
その報告書によると、放射能疾患を発病した人々は、後に、他の問題も抱えるようになった。白内障、放射線からのやけどによるはなはだしい傷、白血病や別の血液の癌によって多くのものが死亡した。
チェルノブイリ原発の作業員の中には、福島第一原発で現在測定される値をはるかに上回る高レベルの放射能に曝された者もいた――特に、放射線を含んだ煙の中を、原子炉めがけて消火剤を投下したヘリコプターのパイロットなどがそうだった。
原子炉付近の放射能は、火曜日に2号機で爆発が起こり4号機で火災が発生した後では、400ミリシーベルトに達したと報じられたが、それ以降は原発の正門では0.6ミリシーベルトもの低い値に低下してしまった。 東京電力も日本の関係省庁も、エンジニアたちが必死になって、金曜日の地震と津波によって破壊された電気系統やポンプや他の機器を修理しようとしている原子炉の建屋内部の放射線レベルについての統計データを何も公表していない。
しかし、原発の専門家は、原発内部の放射線レベルは正門で計測された数値よりももっと高いだろう、なぜなら原子炉格納容器が放射線が外部に出るのを防いでいるからだ、と述べている。
専門家によると、原発一帯は今では放射線に汚染されているので、従業員が長時間、原子炉の近くで作業するのは困難になってしまった。 原発の緊急事態の際の手順について専門家が説明してくれたところによると、作業員は、原発の最も損傷を受けた箇所に交代で出たり入ったりを繰り返すことになるようだ。
原発の高レベルの放射線を示す箇所での作業に関わるとき、作業員たちは一列に並んで、数分間作業に当たり、次の作業員にバトンタッチをするケースもあると、神戸大学都市安全研究センターでかつて教授を務めたこともあるイシバシ・カツヒコは語った。
東京電力は、原発内に残った50名の作業員の名前やその他の情報を公表することを拒んでいるし、彼らが疲れたり気分が悪くなるときどのようにして気分を和らげてもらっているかについて総務部の幹部が発言したこともないのだ。
福島第一原発の原子炉で火事と戦い海水を放出している人の中には、日本の自衛隊員や、警察官や消防署員がいる。
防衛大臣の北沢俊美は、自衛隊の隊員が、4号機の過熱した燃料貯蔵プールに放水するために、東京電力が使えるヘリコプターを飛ばすように招集をかけてもいいと述べた。ところが、同じ日に、原発から約3マイル離れたところに常駐していた原発監視グループのメンバーたちは、18マイル離れた場所に移動してしまった。(当局は後になってヘリコプターを使って原子炉4号機に放水するのは実行できないかもしれないと述べた)。原発の運営者が、福島第一原発の作業員の被曝量を制限しようとしているならば――そして現場で働く50名を補うために数百人のボランティアを招集しようとするつもりならば――、チェルノブイリが何らかの慰めとなる先例を提供してくれるかもしれない。
事故後のチェルノブイリの現場をクリーンにするために、ソヴィエト連邦は、連邦を構成する共和国の規模におうじた数の作業員を徴集し、被曝を制限するシステムを作り出した。
「原発周辺の放射能を含んだ廃棄物を一掃し石棺を作り上げるために60万もの人々が送り込まれました」。そう語るのは、先に挙げた研究書の著者で、ヴァンダービルト医学部教授にしてメリーランド州ロックヴィルにある国際疫学研究所の科学部長のジョン・ボイス博士。作業員たちが汚染された区域に送り込まれたのは、ごく限られた期間だけだったのである。
」(おわり)
日本の回復力を測る予測不可能なテスト [海外のニュース記事]
今回の地震は、私個人にとって被害はない訳ではなかったが、東北地方の人々のそれに比べれば無に等しいので、それについて書くことはしない。今日はその後片づけも済んだのだが、それでも何をする気力もわかない状態で、ぼーっとTVを見ているだけだった。
考えてみると、昨年の一月にハイチでの地震をここで取り上げたことがあったが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-16)、その時はハイチの悲惨さに目を奪われる思いだったが、やはり、遠い異国で起きることと自国で起こることでは感じるリアリティーに天地の差があることは今になってハッキリと判る。あの時は、ハイチで起こったことと同様の、あるいはそれをはるかに凌駕する災禍がわが国を襲うとは、想像することさえできなかった。
しかし逆に考えてみれば、かつて私がしたように、メディアを通して、全世界の人々が日本に注視のなまざしを向けているのだ、ということも、心の内のどこかに留めておかなければならないとも思う。この出来事を狭く国内問題と捉えてはならないのだろう。もはや日本だけの問題などというのは存在しないのだから。そう考えて、この出来事が海外でどう報じられているかを紹介するのも無意味ではないかなと思ったのである。まずは『ニューヨーク・タイムズ』に載った東京在住のアメリカの科学者の一文を紹介しよう。金曜日の夜に書かれたものらしい。
ちなみに、タイトルに使われている「テスト」という語は、日本語の「テスト」よりも重い意味をもち、「試練」や「あるものの真価を計るもの」という意味である。
An Unpredictable Test of Japan’s Resilience
By ROBERT J. GELLER
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/03/11/an-unpredictable-test-of-japans-resilience/
「 日本の回復力を測る予測不能なテスト
ロバート・J.ゲラー
東京 ――― 私がこの文章を日本の自宅でタイプしているとき、日本のテレビ・チャンネルはすべて、金曜日に東北地方の太平洋沖で発生した地震によって引き起こされた信じられない被害の報道にその放送時間のほとんどすべてを費やしている。地震による揺れと津波と火災が組み合わさって、この信じがたい被害を引き起こしたのだ。過去の経験に照らし合わせると、最も被害の激しい地域との通信が未だに絶たれている現状では、被害の全貌が完全に明らかになるまで数日はかかるだろう。
最大の地震が生ずるのはプレートが重なり合う地点においてである。 ストレスがたまり、そのたまったストレスが、このような大規模な地震によって放出されるのである。金曜日に起きた地震に規模の上で匹敵できる地震は、過去100年の間に4回発生した。1952年のカムチャツカ沖地震、1960年のチリ沖地震、1964年のアラスカ沖地震、2004年のスマトラ沖地震である。残念なことに、特定の大地震の具体的な時間、場所、および規模を予測することは、現時点では不可能であり、おそらく本質的に不可能なことであろう。
そこでわれわれがしなければならない地震の危険に対する対処策は、耐震構造の建築物とインフラを設計し構築することであり、そして、地震の後で迅速かつ効果的に実行することができる対応措置をもつことである。 問題は、マグニチュード9の地震は地球規模では(過去100年間に5回発生したのだから)予測可能な出来事ではあっても、どこかの特定の地域でマグニチュード9の地震が起こる確率はとても低いので、そうした出来事は、当該地域の住民や政府にとっては常に予期できない出来事である、ということなのである。さらに、マグニチュード9の地震の威力は甚だしいものなので、どれほど準備したところで甚大な被害と多くの死傷者の発生を防止することはできないのである。
実際日本はどのように対処したのか? 震源地から約200マイル離れた東京では、深刻な被害はほとんどなかったが、携帯電話や固定電話のサービスが復旧するまで約8時間かかった。鉄道や地下鉄のサービスは、地震後停止したし(ほとんどが予防措置としてだったが)、未だに再開されていない路線もいくつかある。それにまた、国民が正確な情報を得るまでに受け入れがたいほど長い時間がかかった。もちろん、震源地に近ければ近いほど事態は深刻さの度合いをずっと増していく。宮城県や岩手県の多くの町村は深刻な被害を受けたようだし、多くの家屋や道路が未だに水没の状態にある。津波は、家々や車や輸送用コンテナを、悲劇的にも津波に呑みこまれた人々もろとも、海へと運び去った。道路や線路はずたずたにされた。福島県にある原子力発電所では、放射性物質がある程度――その総量がどれほどかは今のところ判っていない――漏れ出したようだ。
ハリケーン・カトリーナは、アメリカの政府や社会や国民が、大規模災害に対処する能力がどれほどあるのか、あるいはどれほどその能力を欠いているかについて、X線のような洞察力を与えてくれた。金曜日の地震の後での復元と復興の作業は、それと似てはいるが、おそらくもっと大規模なテストを日本に対して提供することになるだろう。私は、日本がこの難題を乗り越えられることを、十分に確信しているわけではないが、切に願っている。
ロバート・J.ゲラーは東京大学で地球および惑星科学の教授をしている。
」
東京大空襲資料展開催のお知らせ [雑感]
今年も「東京大空襲資料展」が浅草公会堂で今日から開催されるということなので、とりあえず行ってきた(11日まで開催)。
私は、毎年、なにがしかの寄付をさせてもらっている。今年は、郵送された寄付金の振り込み用紙を紛失して事前に寄付できなかったので、会場で少額ながらお金を箱に入れてきた。賛同の意思の表明として。
展示の内容自体は毎年ほとんど変動がない。(今年は村岡信明という画家の作品が集中的に取り上げられていたのが、例年とちょっと違う点か。香月泰男とシャガールをまぜ合せたような印象深い絵だった)。一昨年と昨年このブログで資料展のことを詳しく紹介したので、東京大空襲およびその資料展について興味がある人は、以下に示すURLをクリックしてご覧いただきたい。ただし、どちらも非常に悲惨な写真を含んでいるので、注意されたし。
2009年 : 「東京大空襲 資料展」 (http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-09-1 )
2010年 ; 「東京大空襲資料展に行ってきた」 (http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-03-10 )
今日は平日ということもあり、わりと閑散としてた。高齢者ばかりが目立つ。しかし、これでは一種の回顧展になってしまう。主宰者の意図もそういう所にあるのではないだろう。もっと多くの若い人に来てもらわないといけないのだが…
しかし考えてみると、今年は開催期間が土日と重ならないので、多くの来場者は望めない? とくに若い人が来るのは期待できない? でもそれではアカンのだ、この場を借りてささやかながら宣伝をしておこう、という気持ちを抑えることが出来なくなったので、以下でこの資料展について宣伝めいたことを述べておこう。
11日まで浅草公会堂で「東京大空襲資料展」が開かれています。入場無料です。親切なキュレーター(案内のひと)がたくさんいて、当時の悲惨な状況についての丁寧な説明を聞くことが出来ます。また、空襲とはどんなものだったかがよく判るビデオが上映されています。どれも無料です。
今年からの新機軸なのだろうか、未だに浅草に残る戦災の跡を巡るツアーが行われています。一定数の希望者が集まり次第、ガイドが無料で案内してくれるそうです。どんどん申し込みましょう。
または、一人でたどれるように、「浅草戦跡マップ」なるものが200円で販売されています。自分の時間や嗜好に合わせた形で、戦争に触れ見聞を広めることが出来ます。とにかく、一人でも多くの人に来てほしいと思っています。
出口のところに焼夷弾で破壊された浅草の拡大写真が貼られていた。 時間の流れは速いのか遅いのか? 過去はどれほど遠いのか近いのか? わずか66年前の浅草の有り様を伝える惨憺(さんたん)たる写真は、見る者にそう自問するように訴えているようだった。
かつての深夜放送に耳を傾ける―――金曜パックの一投稿 [雑感]
かつてラジオの深夜放送が若者から絶大な人気を博していた時代があった。
最初のリスナーは浪人生や大学生だったのだろうが、次第に高校生や中学生までもが聴くようになった。1970年代前半、折しもフォークソングの流行とも相まって、つまりフォーク・シンガー(吉田拓郎、南こうせつ等)がDJをしたことも手伝って、中・高学生の大半が、勉強の片手間にラジオを聞くようになった。
私自身もそうだった。私は、もう中学で授業を聞く気持ちは失せていた。授業時間はほとんど寝る時間だった。家では、ひどいときは午前5時ごろまでラジオを聴く昼夜転倒生活をするようになった。私が暮らしていた地域ではTBS系列の「パック・イン・ミュージック」が流れていたので、自然とそれに親しむようになった。特に、金曜日をよく聴いた(略して「金曜パック」、あるいは「金パ」)。昨年逝去された野沢那智と、白石冬美の名コンビ(通称ナッチャン・チャコチャン)である。
こう書いても、ほとんどの人は知らないだろう。これは、あの番組の質の高さを考えると、実にもったいないことだと思う。「金パ」の72年から最終回までの録音したものを、以前、とある方からお借りしてDVDに収めていたのであるが、何となく聞き直すことはしないできてしまった。これではいかんと思い、最近になって少しずつ聴きなおしている。昨日聴いた部分に、「珠玉の」としか言いようのない投稿がいくつかあった。ふと、ここで紹介してみようという気持ちになった。放送日は、実に、1972年10月20日で、「合いの子」のためにみんなからいじめられる「ミーちゃん」という女の子の話である。
文中に「ハーフ」という表現がチラリと出てくるが、「ハーフ」という表現は当時はまだなく、「合いの子」が普通だった。国際結婚はまだ稀で、「合いの子」のほとんどは、日本人と米軍関係者の間に生まれた子供だっただろう。この「ミーちゃん」は、ハーフではなくクウォーターらしいので米軍とは無関係なのかもしれないが、読み出しの部分が少し切れているので(借りうけた最初の音源がすでにそうだった)、詳細は不明。最初は固有名詞が無遠慮に出てきて判りづらい。しかし話が進むにつれ、そんな細部は気にならなくなり、この女の子の独特の語り口に引き込まれるのではないかと思う。約10分、御用とお急ぎでない人は、ぜひお聞きください。
失われた家系(いえけい)を求めて、in vain――横横家の巻 [雑感]
時々たまらなく家系(いえけい)のラーメンが食べたくなる。あの濃厚で、豚骨のエッセンスを凝縮したようなトロ~リとしたスープは何ものにも代えがたい。それは、ラーメン好きの私にとっても新たな「刷り込み(imprinting) 」の経験に等しいものであった。
もう15年くらい前の話。本牧埠頭の近くにあった信じがたいほど汚い店にたまたま車で立ち寄ったことがあった。移転前の「本牧家」だった。信じがたいほど不潔な店内で、信じがたいほど粗雑なラーメンだったが、一度食べて忘れられない味として長く記憶に残った。その後、知り合いに六角家に連れていってもらったことがあり、その時「家系」というジャンルがあることを知ったのだった。家系が横浜の隠れた文化の一つになっていることも。そして家系の総本山が吉村家であることも。
さっそく、当時はまだ杉田にあった吉村家にも行ったのだが、当時の吉村家は、もうすでに、土日の昼ともなると数百人の行列は当たり前というほど人気化していた。で、味の方は、とっくに十分すぎるほど劣化していた。もう、家系のラーメン屋としては死んでいた。私は、何度となく行ったが、吉村家で美味いラーメンに出会ったことは一度もなかった。そりゃ、あの行列を相手にしなけりゃならないのだから、どこかで誤魔化すしかないだろう。家系特有の濃厚でトロ~ンとした豚骨スープは、そう簡単に大量に作り出すことは出来ないのだ。だから、濃厚さを犠牲にして、どこかで誤魔化すしかない。横浜駅近辺に移転する前の吉村家はまだ誤魔化す方法をあみだしてはいなかったと思う。移転した後の吉村家の関心は、薄いスープをいかに誤魔化すかという一点に集中していたのだろう。やがて、解法が導き出された。それは、醤油の比率を高めてスープの薄さを誤魔化そうという方法だった。その誤魔化しの戦略が何故か上手くいって、偽物の家系の味が、いつしか、スタンダードになってしまった。六角家系やその他の系列は劣化した味を出し続けて停滞していった。六角家などは見かけ上は系列店を増やし人気化しているような体裁をとっていたが、それは表面だけのことだった。どうも、他の系統のラーメンより、家系は、コンスタントな味を維持するのが難しいようだし、とくに「量をこなす」という要請とは、徹底してそりが合わないらしい。評判の良い店でも、劣化は避けられないように思われる。というか、劣化は評判の良さと正比例しているようなのだ。杉田家の劣化については、すでにこのブログで記事で述べている(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-23 )。最近では、青物横丁の「まこと家」の劣化ぶりが某所で大いに話題になった。たぶん、移転前の吉村家が劣化した時点で、「美味い家系」というものは消滅していたのだ。少なくとも「家系」の良心的な味を伝える店は、とっくの昔に絶滅してしまった。
というわけで、冒頭に述べた「時々たまらなく家系(いえけい)のラーメンが食べたくなる」という思いは、実現不可能なノスタルジーのようなものだ、ということは判っているのである。判っているのだが、これは「刷り込」まれた子供が、なおも、存在しえない母親を求めるのと同じように、時として探してしまうものなのである。
・・・というわけで、長すぎるイントロダクションはこれくらいにして、昨日、最近評判の良さそうな「横横家」にわざわざ行ってきた。小泉元首相の息子(名前忘れた。というか、そもそも覚えていない)が通っていた、そしてラグビーで有名だった関東学院大学の近くである。もっとも、今は春休みの期間だから、学生は見当たらなかったが、大学が始まると、関東学院の学生御用達の店になるのだろうな。

夕方の5時ごろ入る。半分くらいの入り。店内は、威勢の良すぎる声が飛び交う。こういうのは騒々しいだけで苦手。中盛りを「普通」で頼んだ。

口コミのサイトの評判をいくつか読んだが、それによると、この店は「吉村家直系」で、スープが濃厚なのが特徴、なのだそうだ。だが、吉村家直系ということは、私には、ああ、あの誤魔化しの系列に連なる店か、という以上のことは意味しない。やはり、予想通り、醤油の味が勝っていた。勝ちすぎていた。それに加えて、この店は、おそらく意図的に、鶏油を少し多めに使っている。鶏ガラを自分で処理してスープを自作すると判ることだが、鶏を多めに使うとスープはドロドロになる。チェーン展開している「天下一品」がそれを売りにしているが、横横家のラーメンは、まるで吉村家の醤油過多の戦略に天下一の戦略を足して二で割ったようなもので、一言で言えば、ドロドロでなおかつ塩分過多のラーメンだった。ここのスープが「濃厚」だと言う人は、スープの濃厚さが何かということがまるで判っていない。ここのスープで濃厚なのは塩分濃度だけだ。
これが美味いかどうかは、家系を求めて行った私にとっては二の次の問題だった。私が断言できるのは、悲しいかな、ここのラーメンは本来の家系の味とは何の関係もない、ということだけであった。
もう15年くらい前の話。本牧埠頭の近くにあった信じがたいほど汚い店にたまたま車で立ち寄ったことがあった。移転前の「本牧家」だった。信じがたいほど不潔な店内で、信じがたいほど粗雑なラーメンだったが、一度食べて忘れられない味として長く記憶に残った。その後、知り合いに六角家に連れていってもらったことがあり、その時「家系」というジャンルがあることを知ったのだった。家系が横浜の隠れた文化の一つになっていることも。そして家系の総本山が吉村家であることも。
さっそく、当時はまだ杉田にあった吉村家にも行ったのだが、当時の吉村家は、もうすでに、土日の昼ともなると数百人の行列は当たり前というほど人気化していた。で、味の方は、とっくに十分すぎるほど劣化していた。もう、家系のラーメン屋としては死んでいた。私は、何度となく行ったが、吉村家で美味いラーメンに出会ったことは一度もなかった。そりゃ、あの行列を相手にしなけりゃならないのだから、どこかで誤魔化すしかないだろう。家系特有の濃厚でトロ~ンとした豚骨スープは、そう簡単に大量に作り出すことは出来ないのだ。だから、濃厚さを犠牲にして、どこかで誤魔化すしかない。横浜駅近辺に移転する前の吉村家はまだ誤魔化す方法をあみだしてはいなかったと思う。移転した後の吉村家の関心は、薄いスープをいかに誤魔化すかという一点に集中していたのだろう。やがて、解法が導き出された。それは、醤油の比率を高めてスープの薄さを誤魔化そうという方法だった。その誤魔化しの戦略が何故か上手くいって、偽物の家系の味が、いつしか、スタンダードになってしまった。六角家系やその他の系列は劣化した味を出し続けて停滞していった。六角家などは見かけ上は系列店を増やし人気化しているような体裁をとっていたが、それは表面だけのことだった。どうも、他の系統のラーメンより、家系は、コンスタントな味を維持するのが難しいようだし、とくに「量をこなす」という要請とは、徹底してそりが合わないらしい。評判の良い店でも、劣化は避けられないように思われる。というか、劣化は評判の良さと正比例しているようなのだ。杉田家の劣化については、すでにこのブログで記事で述べている(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-01-23 )。最近では、青物横丁の「まこと家」の劣化ぶりが某所で大いに話題になった。たぶん、移転前の吉村家が劣化した時点で、「美味い家系」というものは消滅していたのだ。少なくとも「家系」の良心的な味を伝える店は、とっくの昔に絶滅してしまった。
というわけで、冒頭に述べた「時々たまらなく家系(いえけい)のラーメンが食べたくなる」という思いは、実現不可能なノスタルジーのようなものだ、ということは判っているのである。判っているのだが、これは「刷り込」まれた子供が、なおも、存在しえない母親を求めるのと同じように、時として探してしまうものなのである。
・・・というわけで、長すぎるイントロダクションはこれくらいにして、昨日、最近評判の良さそうな「横横家」にわざわざ行ってきた。小泉元首相の息子(名前忘れた。というか、そもそも覚えていない)が通っていた、そしてラグビーで有名だった関東学院大学の近くである。もっとも、今は春休みの期間だから、学生は見当たらなかったが、大学が始まると、関東学院の学生御用達の店になるのだろうな。
夕方の5時ごろ入る。半分くらいの入り。店内は、威勢の良すぎる声が飛び交う。こういうのは騒々しいだけで苦手。中盛りを「普通」で頼んだ。
口コミのサイトの評判をいくつか読んだが、それによると、この店は「吉村家直系」で、スープが濃厚なのが特徴、なのだそうだ。だが、吉村家直系ということは、私には、ああ、あの誤魔化しの系列に連なる店か、という以上のことは意味しない。やはり、予想通り、醤油の味が勝っていた。勝ちすぎていた。それに加えて、この店は、おそらく意図的に、鶏油を少し多めに使っている。鶏ガラを自分で処理してスープを自作すると判ることだが、鶏を多めに使うとスープはドロドロになる。チェーン展開している「天下一品」がそれを売りにしているが、横横家のラーメンは、まるで吉村家の醤油過多の戦略に天下一の戦略を足して二で割ったようなもので、一言で言えば、ドロドロでなおかつ塩分過多のラーメンだった。ここのスープが「濃厚」だと言う人は、スープの濃厚さが何かということがまるで判っていない。ここのスープで濃厚なのは塩分濃度だけだ。
これが美味いかどうかは、家系を求めて行った私にとっては二の次の問題だった。私が断言できるのは、悲しいかな、ここのラーメンは本来の家系の味とは何の関係もない、ということだけであった。
ストレスで脳の質量が減少するとき(後半) [海外のニュース記事]
ストレスに関する『シュピーゲル』誌の記事の後半部分。男性の精子数の減少にとって重要なのは母親の状態であるということを説いた記事をかつて紹介したことがあるが(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-04-27-1 )、今回の記事をその説に当てはめるならば、結局のところ母親が蒙っているストレスが子供に悪影響を及ぼし、それが男性の精子数の減少につながる、という因果関係がぼんやり見えてくるのではないかと思われるのである。
それにしても、かつては聞いたこともなかったがここ十数年ぐらいで顕在化してきた「引きこもり」のような現象も、結局はストレスの増加のために対人関係に対する敏感さが生まれついた環境によって早くから植えつけられた結果である、というふうに説明できるのだろう。そういう意味では、文明病的な側面があるのだろうな、というのがこの記事を読んで私が真っ先に思いついた感想。
それはともかく、「ストレス」にどう対処すればいいのか? という誰にも多少なりとも切実な問いに対して、この記事が与える答えは、最後の6行の中に与えられているのだろうか? まあ、簡単に言ってくれるなよ、というため息が聞こえてきそうな結論ではあるが。
http://www.spiegel.de/spiegelwissen/0,1518,747304-2,00.html
http://www.spiegel.de/spiegelwissen/0,1518,747304-3,00.html
「 ストレスで脳の質量が減少するとき(後半)
第2部:闘うか逃げるか

不意に生ずる危険においては、二つの根源的な反応が、時代を超えて有効であることが実証されてきたが、それは闘うか逃げるかという反応である。そして、人間の脳は今日に至るまでそのような反応をするようにプログラム化されている。脳は、神経伝達物質の放出とともに、身体に行動の態勢をとらせることが瞬時にして出来るのである。
生物学的なストレス反応は、間脳の一領域である視床下部において、副腎皮質ホルモン(CRH)とバソプレシンの放出とともに始まる。警告を発するこれらの物質は、下垂体腺の内に、別の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の放出を促す。ACTHは、血液を通して副腎皮質へと至り、そこでコルチゾールというストレスホルモンの生産を刺激する。副腎髄質では、さらに、アドレナリンとノルアドレナリンという二つのストレスホルモンが形成される。
全身がプレッシャーに合わせて瞬時に切り替わる
これらのホルモンの共通した働きは、体全体がプレッシャーに合わせて瞬時に切り替わるようにすることである。鼓動が早まり、血圧が急上昇し、体により多くの酸素が行き渡るように、呼吸の速度も早くなる。 肝臓は、筋肉や脳がより多くのエネルギーを消費できるように、糖を供給する。骨格筋に流入する血液が増加する。体を過熱から守るために、汗腺が刺激される。
戦闘行為において生存率を高めてくれるわけではないものはすべて、戦闘が行われている間は、抑止される。それは、性欲、疲労、飢餓感、消化や免疫システムなどである。膀胱と腸はすぐに空になれというシグナルを受けとる。戦闘や闘争に必要とされない生殖器などの体の部分では、血管は収縮しているのだ。
ストレスのシステムは、同時に、何かがうまくいかない場合に備えてもいる。感覚を鋭くして痛みの感度を下げるようなホルモンが放出されるのだ。万一負傷した場合、失血死しないように血液が凝固しやすくなったりする。一定量を超えると、脳内のコルチゾールは、CRHとACTHのさらなる放出にブレーキをかける。そうしてストレス反応が低減していくのである。
こうした生物学的メカニズムは、我々の祖先にとって、マンモスの狩猟やおそいかかるクマとの戦いのような場面で、生死にかかわるような重要性をもっていた――それに今日でも、例えば、とっさに車をよけたり、むかつく発言に対して気の利いた受け答えをするようなときに、そうしたメカニズムは大いに役に立っているのである。
しかし、まずいことに、ストレスのシステムは、戦いや逃走が問題ではない場合であっても、容易に活性化してしまうものだ。締め切りが近づいているのに、パソコンの空白の画面を凝視しているときや、上司の機嫌が悪いときや、交通渋滞のときにも、ストレスのシステムは活性化する。だから、日常の疲労が続くと、いつかは体がつねに警戒態勢を撮ってしまうようになることもある。問題は、警戒のために供給されるエネルギーは――たとえばジョギングやダンスをすることで、発散でもしない限り――消費されない、ということである。スポーツがストレスに有効なのは、それが、生理的学に見れば、(戦闘と逃走という)あの二つの根源的な反応に等しいからなのである。
社会の変化や、職場でのプレッシャーの増大や私生活での負担などはすべての人に影響を与えている。しかし、すべての人々がプレッシャーの下で同様の反応をしているわけではないし、すべての人が疲労性のウツ病にいつかはかかるというわけでもない。ストレスのシステムが長期にわたってバランスを崩してしまうのは何故なのだろうか?
「最終的には、やはり遺伝的要因と環境との相互作用なのです」とエーリッヒ・ザイフリッツは言う。生まれてまだ数日しか経っていない赤ちゃんのストレスに対する反応はまちまちなのである。メリーランド大学の心理学者ネイサン・フォックス(Nathan Fox)の長期におよぶ研究が明らかにしたことだが、おしゃぶりを取り上げられたときに、泣き叫ぶ時間が最も長かった赤ちゃんは、その後の人生においても、ストレスに対する反応がより過敏になる傾向があるのだそうだ。
第3部:誰も張りつめた脳の犠牲者になる必要はない

(抗うつ剤の処方件数は、年々増加する一方)
しかし、遺伝的特質は変化することもある――子供がどんな状況で生まれ大きくなったか次第なのだ。環境の影響、ライフスタイル、栄養状態が個々の遺伝子を化学的な規則にしたがってどのように再プログラム化するかという問いに関わる生まれたての研究分野をエピジェネティクスという。メチル基の結合や除去といった、いわゆるメチル化を通して、細胞内で特定の遺伝子の活性が長期的に変化することがあるのである。
トリアー大学の心理学の教授のヘルハマーは、人生の早い時期に環境によってもたらされた遺伝子の活性化や遮断を、人生の後になって生ずるストレス障害にとっての「断トツに最重要な危険因子」だと見なしている。ヘルハマーの説明によると、出生前および出征後の最初の数年の間に子供の中枢神経は発達するが、その時、子供は、母親のストレスや幼児期の負の環境に反応するのだという。「妊娠が望まれたものだったかどうか、パートナーがいるのかどうか、事故があったかどうか重い病気にかかったかどうか、そういうことも何らかの役割を果たしているように思われます。それに、経済的な苦境や社会的な支援のような不確かな要因も加わります」とヘルハマーは述べる。
ホルモンの警報システムが、人生のあまりに早い段階から持続的ストレスに合わせて作動すると、それは大人になってからも苦境に対してとくに敏感に反応するのだという。「妊娠の初期・中期・後期の三つの期間すべてにわたって出生前にストレスをうけると、例えば、海馬のコルチゾール受容体の量に影響が出ますし、それによって後々ストレスに弱い体質ができるのです」とヘルハマーは説明した。
脳の容量が減少する
ストレスに苦しむ社会では、妊婦もまた大きなプレッシャーのもとにあるので、結果的に、生まれつきストレスに対して特に敏感に反応する子供がますます多く生まれるようになる。大きくなって心が疲れるようなことが多くになると、生まれつきストレスに敏感な子供は、心が耐えられる限界に他の子供よりも速く到達する。それは、時に不吉な結果をもつこともある。「正常でないストレスが長引けば長引くほど、それを元に戻すことは難しくなるのです」と、ベルリンのシャリテ大学病院でストレスを研究しているマズダ・アドリ(Mazda Adli)は警告している。ストレス・ホルモンが高いレベルで持続すると、身体に備わる報酬システムにおいて中心的な役割を果たす神経伝達物質であるドーパミン(「幸福ホルモン」と呼ばれることもある)の生産量が抑えられてしまう。抑うつ性の障害の危険が高まるのである。
それによってノルアドレナリンの放出にもブレーキがかかってしまうのだが、このことは、注意力や集中する能力に対して負の影響を及ぼす。おまけに、持続的なストレスは、感情制御やうつ状態の成立に重要な役割を果たしているセロトニンという神経伝達物質の放出を低減するのである。
ニューロンの活動パターンは時間とともに変化する。脳の不安中枢である扁桃状部に過度の刺激を与えてみる。すると、一年経つうちに脳の構造的な変化が生じることさえあるのだ。「海馬や眼窩前頭皮質の中央部のような脳の特定の領域は、感情の処理作業にかかわっているのだが、そうした領域が収縮してしまい、脳全体の容量が減ってしまうのです」とアドリは説明する。
イスラエルの医師サミュエル・メラメード(Samuel Melamed)とテルアビブ大学の彼のチームは、慢性的なストレスが体にどのような影響を及ぼすかを調べている。被調査者のグループ――様々な分野の1万人を超える職業人だが――のほぼ20パーセントに、臨床的に明らかな疲労の症状があったことを彼らは証明した。
「そういう人々の血中には炎症を示すバイオマーカーがより多く見つかりますし、脂質やコレステロールの値も高いのです」とメラメド氏は述べた。「これらは、心臓病、脳卒中、糖尿病の古典的な危険因子です」。疲労を抱える人々の悩みとしては、睡眠の問題や頻繁な感染症、胃腸の問題や筋肉、骨、関節の病気などがある。メラメードもまた、負担が長引くと男性の生殖能力が減少することを示すデータを発見したのである。
とくにストレスの危険にさらされているのは若者たちだ、とイスラエルの研究者は述べた。「多くの若者が慢性的に睡眠不足に陥っているし、若者はストレスに対処するための十分な戦略をまだもつにいたってないことが多いですからね」。
ストレスの有害な影響は可逆的である
しかし、科学者たちは希望に満ちたメッセージももっている。それは、誰も張りつめた脳の犠牲者になる必要はない、ということである。ストレスの神経に対する有害な影響は、じゅうぶん可逆的であるらしいからだ。
では、ストレスに対する十分な戦略とはどのようなものであるのだろうか? 「まず第一にあげられるのは、ありきたりなものですよ」とメラメードは言い、次のように列挙した。「運動、十分な睡眠、バランスの取れた食事、規則的な休息です。それから、特に重要なのは、休暇ですね」。ベルリンのシャリテ大学病院の院長でストレスを研究しているイザベラ・ホイザー(Isabella Heuser)は次のように補足した。「仕事があって、十分な給料をもらって、高い評価を得て安定した感情的ネットワークをもっていれば、誰だって忍耐の幅は広がるでしょう。これらはすべて人間を保護する要因なのです」。
ホイザーによれば、危険な組み合わせは、高い要求を掲げながら他人にあれこれ決められることなのだという。「服従的な態度に自らを追いやろうとせず、意思表明をして何かを形にしようとすべきなのです」。
決定的に重要なのは、私たちが自分の人生をどれほどコントロールできているか、という点にあるように思われる。そして、私たちが自分の人生に何らかの意味を与えることができているかどうか、なのである。チューリッヒの精神科医のザイフリッツによると、「否定的な出来事であっても、それを何らかの仕方で自分の人生に組み込むことができる人は、滅多にストレスの病気にかからない」のだそうである。
」(おわり)






