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ストレスで脳の質量が減少するとき(前半) [海外のニュース記事]



 最近は減ったが、自分の勉強もかねてサイエンス関連の記事を意識的に好んで訳した時期があったが、科学に関しては、ドイツの『シュピーゲル』の記事が一番簡潔で面白い、というのが私の印象。ちなみに、どれほど紹介したかは、右のサイドバーにある“Search Box”で「シュピーゲル」と入れてみると判る。

 イギリスの『インディペンデント』紙の科学記事も面白いが、少し無駄に長いのが欠点。『ニューヨーク・タイムズ』は文章に少し劇的な脚色があるのが特徴か?

 今日は、久しぶりに時間があったので、ちょっと『シュピーゲル』誌の特集記事の一つを紹介してみようと思った。ストレスの話である。男性のストレス過多が不妊に関係しているという最近の研究の紹介から始まる。全体は三部構成になっているが、それを二回に分けて紹介しよう。

 過剰なストレス社会の実例として、真っ先に東京の街角の写真が掲げられているのが印象的である。


Wenn die Hirnmasse schrumpft
Samiha Shafy
http://www.spiegel.de/spiegelwissen/0,1518,747304,00.html



「 ストレスで脳の質量が減少するとき





人間はストレスなしで生きていくことは出来ない――でも、生物に備わるストレスのシステムは現代の世界のために創られたものではないので、簡単にバランスを崩しやすいのだ。緊張状態が長く続くとどのような影響が出るか、研究者が解読した。



 初めはきっと間違えてしまったのだと、彼は思った。「ダーウィンが聞いたら、墓の中で泣くかもしれませんね」。トリアー大学の心理生物学者のディルク・ヘルハマー(Dirk Hellhammer)はそう言って、愉快そうにくすくす笑った。「しかし、われわれのデータに誤解の余地はありませんでした。よりによって、活発で支配欲が強く、何事にも注意を怠らない男性の方が、精子の数とテストステロンの値が低かったのです」
。ちょっと誇張すれば、マッチョな男性ほど不妊にむすびつく傾向があると言えるかもしれない、とヘルハマーは言うのだ。

 実験室で雄のラットに能動的にも受動的にもストレスに関わらせて、そして――ラットの死後に――その脳や睾丸やホルモンを調べた後で、ヘルハマーは、筋肉質の男性がなぜ不妊に結びつく傾向があるのかの生物学的な原因を発見できたと思ったのだ。

 「高いレベルのストレスを伴う活動状態にたえずいる活動的な男性においては、生きていくうえで重要でないあらゆる身体部位の――生殖器もその一つ――血管が収縮してしまうような血液の分布状態になっているのです」とヘルハマーは述べた。「だから睾丸での血流が悪くなり、それによってテストステロンの生産量が落ちてしまうのです」。





 ヘルハマーは白髪で、口ひげと四角い眼鏡をかけた大柄な男性だ。彼は四半世紀にわたって教授職に就いているが、今でも講義では熱っぽい口調で話す。さて、彼の話の本当のポイントは次の点にあるのだ。「もしあなたが、こうしたマッチョの男性たちにサイコセラピーを行って、子供をもちたいという希望が叶えられないことに苦しんでいるかと尋ねたら、その通りですよという答えが返ってくるでしょう。サイコセラピーは彼らの心の状態を改善してくれるでしょう」。しかし、問題を解決したいと思うならば、その背後にある生物学的メカニズムを知っておかなければならない、とヘルハマーは言う。

 

 本来ストレスは有用なものである



 解決策は非常に単純であることが判明した。自己意識が強く、競争心 にあふれ高いストレスのかかる日常生活を送り、健康な女性を妻にむかえ少なくとも5年間子作りに励んだが無駄だった男性たちに対して、ヘルハマーは、ストレス軽減のための4ヶ月間に及ぶ標準的なプログラムを処方した。カップルに対するセラピーでは、とくに私生活での緊張を取り除くようにした。「4ヵ月間で15組のカップルのうち7組のカップルで妊娠が起こりました」とヘルハマーは自慢げに語った。

 本来ストレスは有用なものである。私たちは、筋肉を作り上げ強く持続力をもつようになるには、肉体を酷使しなければならない。同様に、精神的に発達し新たなものを学ぶためには、心に過度な負担をかけることが必要なのである。ストレスとはまず思考能力と集中力をシャープにするものだ。ストレスは肉体と精神に対して――せまり来る危険や難局にうまく対処できるようにするために――すぐに反応するような態勢をとらせるものである。

 ただし問題は次の点にある:生物としての私たちに備わっているストレスのシステムは過去の遺産である、という点にあるのだ。ストレスは、生きるか死ぬかがすぐに問題になるような状況のためのものである――だから、肉食獣から攻撃されるようなときのためにあるのであって、親権の争いだとか解雇の危険だとかいつも期限に追われたり成果を出せというプレッシャーなどに苦しんでいるときのためではないのである。「進化とは人間と環境との間の絶え間のない適応のプロセスです」。そう語るのはチューリッヒ大学病院の精神科の院長エーリッヒ・ザイフリッツ(Erich Seifritz)。「しかし、いつの間にか、私たちの進化の発達が追いついていけそうもないほど、環境が激変してしまったのです」。

」(つづく)












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魚がし寿司@浅草で特上寿司をテイクアウト [雑感]


 一般の人にはどうでも良いことだが、私個人は、この時期はとても忙しい。入試の仕事があるからだ。今週の金・土は朝早く出かけなければならない。金曜日の朝6時頃の吾妻橋の様子。





 この日は、夜は普通に帰れたが、家の者も忙しいらしく、私が夕食を買うことになった。色々考える余地がないので手近な所で済ますしかない。自宅の近くにある「魚がし寿司」からテイクアウトすることを思いつく。実は、近いと言いながら利用するのは初めて。何となく、狭い店内に紫煙が立ち込めているイメージがあって敬遠してきたのだ。が、店に入ってわかったことだが喫煙は午後7時以降に限るのだそうだ。



 歳月に耐えてきたような店の外観。いつも混んでいるイメージがあるが、この日はまだ5時半ごろだったので、まだ一人も客がいなかった。





 特上寿司三人前と、子供のためにカンピョウ巻きと鉄火まき(サビ抜き)をテイクアウトで頼む。二人の板さんが黙々と仕事をする。すばやい仕事で10分足らずで出来あがり。特上寿司1500円×3+鉄火600円+のり巻き300円で5400円也。確かに安い。ただし、特上寿司のネタは値段相応のものかな。でも、やはり「魚がし寿司」は、評判に違わず、庶民の味方の寿司屋だった。特上寿司の外観。



 

  子供のために鉄火巻きさび抜きにしてもらったはいいが、なぜか特上寿司の方をさび抜きにしてもらうのを忘れてしまった。(頼んだらしてくれただろうか? 何となく微妙だな)。カミさんが子供のにぎりのわさびを落としていた。と、一部手をくわえて、それなりに「魚がし寿司」が使えることが判明した本日の夕食であった。












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731部隊の人体実験に関連のある跡地の発掘が始まる [海外のニュース記事]



 この記事がアップされた日は、シリアの緊張が高まったりニュージーランドの地震があったりとビック・ニュースが結構あったのに、『ガーディアン』紙の「最も読まれている記事」のトップだったのがこの記事であった。

 なぜ? たぶん、731部隊の活動がほとんど向こうでは知られていないからなのだろうか?

 若い人はほとんど知らないだろうが、この731部隊は戦時中のみならず、戦後の帝銀事件などにも関係する(かもしれない)、昭和史の暗部の一つである。こういうことは松本清張を読むとよく判る。

 しかし、1989年に大量の人骨が発見されてすぐに調査をすべきだったのに、今頃になってようやく調査に乗り出すとは呆れ返るほどの怠慢というか、意図的な不作為と言うしかない。保守的な政治家たちがあの戦争については徹頭徹尾「臭いものにふた」という姿勢をとり続けてきたことを、この件はよく示していると思う。

 なお、この記事は、元来は、ミドリ十字の幹部のことや、生体実験についてのもっと具体的な記述が含まれていたが、どこからか横やりが入ったと見え、その部分は削除されたようだ。下に紹介するのは、現在読むことのできる記事の方である。


Japan unearths site linked to human experiments
Justin McCurry in Tokyo
guardian.co.uk, Monday 21 February 2011 21.01 GMT

http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/21/japan-excavates-site-human-experiments


 731部隊の人体実験に関連のある跡地の発掘が始まる

 東京にかつてあった軍医学校の跡地は、細菌戦の研究で捕虜を使っていた帝国陸軍の731部隊に関連があるとされている。

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軍医学校の元看護婦だったイシイ・トヨは、2006年に、731部隊について60年間守ってきた沈黙を破った。

 
 日本の厚労省は、 戦時下における細菌戦の研究の犠牲者の遺体が眠っているかもしれない軍医学校の跡地を発掘し始めた。

 その学校は731部隊に関連がある。731部隊とは、大量破壊兵器を開発する取り組みの一環として、捕虜たちに致命的な実験を行った旧日本帝国陸軍の一部隊であった。

 かつて日本の政府はその部隊の存在は認めたものの、元メンバーの証言や文書による証拠の増大にもかかわらず、その部隊の活動について議論することは拒んできた。2002年、日本のとある裁判所は、被害者に対して補償する義務を日本国政府は何ら負うものではないと述べた。

 かつて軍医学校で看護婦をしていたイシイ・トヨが、第二次世界大戦が終わりアメリカの占領軍が東京に侵攻してきたとき、遺体の一部を埋める手助けをしたと述べてから、日本国政府は一億円をかけて調査を始めることに同意した。

 関係者によれば、これまでのところこの旧軍医学校跡地が実験のために使用された証拠は見つかっていないとのことである。

 「この調査で何かが見つかるかどうかは判りませんね」と厚労省のカワウチ・カズヒコはAP通信に語った。「何かが掘り起こされても、それは731部隊に関係したものではないかもしれませんしね」。

 この発掘で、日本が生きた人間に対して実験を行ったという物理的な証拠が明らかになるならば、政府は日本が戦時中に行ったことを議論しなければならないという圧力に直面するだろう、と専門家は見ている。「生体に対する医学実験が行われたことを示す痕跡をともなった骨や臓器が発見されるならば、政府は、戦時下での医療犯罪があったことを認めざるを得なくなるでしょう」。何十年もこの事件を研究しているグループのリーダーであるトリイ・ヤスシはそのように述べた。「そうなったらビッグ・ニュースでしょうが、731部隊の関与を証明するためには、もっと多くの証拠が必要になるでしょう」。

 88才のイシイ・トヨは、2006年に61年間の沈黙を破って、1945年8月の日本の降伏を受けて、敷地内に多数の死体や骨や身体の部分を埋めるように自分と同僚たちは命令されたのだと主張した。

 その当時の保守党の政権は、5年前に、その主張をめぐってイシイと会談し、この件について調査・追求することを約束した。

 しかし、住民が立ち退いてアパートが昨年取り壊されるまで、当局は発掘作業を延期してきた。2009年に誕生した現在の中道左派政権は、自民党政権よりも大きな意欲を示して、日本の戦時中の歴史の暗いエピソードを調査しようとした。

 東京の新宿区の軍医学校跡地は、1989年に発掘されて、戦時中の実験の犠牲者だったかもしれない数十人が集団で葬られていた別の跡地に近接している。

 しかし、研究者たちは、ドリルで開けられた穴があったり切除された部分があった頭蓋骨を含む遺骨は731部隊に関連していないし、犯罪的な活動を示す証拠は何もなかった、と結論づけた。

 厚生省は、それらの遺骨は「医学教育」のために使われたか、日本での分析のために戦闘地域から収容された日本人ではないアジア人のものと結論づけた。

 中国北部のハルビンに拠点を置いていた731部隊は、何万にも及ぶ捕虜に対して実験を行ったのだが、そのほとんどが中国人か朝鮮人で、連合軍の戦争捕虜もわずかながら含まれていた。25万もの人が実験台になったと推定する歴史家もいる。そのうちのいくつかの遺体が、分析のために中国から東京に輸送されたと考えられている。

 歴史的な証言によると、捕虜たちは、男性であれ女性であれ、軍人によって「マルタ(丸太)」と呼ばれ、意図的に発疹チフスやコレラなどの病気に感染させられた後で、麻酔なしで生体解剖に付された。四肢を切断されたり臓器を摘出された者もいた。

 731部隊の主要メンバーは、長年にわたる生物兵器の研究結果をアメリカの占領軍に与えることと引き換えに、訴追の免除を秘かに与えられた。製薬業界や厚生省や学界の高い地位に上りつめた者もいた。」
 









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リシアの気泡の輝き [雑感]

 
 私の机には小ぶりの水槽が置いてある。以前紹介したことがあった(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-10-28 /http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-10-31 )。その時はレッドチェリー・シュリンプを入れていたのだが、それは別の水槽に移して、水草をシンプルにして別の種類のエビを入れてみた。実は、水草のトリミングが面倒になったから、というのが真相である。

 しかし、あまりにシンプルすぎるのもつまらないので、リシアを置いてみることにした。リシアは稚エビの餌にもなるらしい、ということもリシアに注目した理由の一つであった。

 お約束通り、リシアネットを自作して水槽に沈めた。それからまだ2週間足らずしか経っていないのだが、もう、ご覧のとおりネットからはみ出すほどの成長ぶりである。





 しかし、そればかりではなく、二つあるネットの内の一方のリシアが美しい気泡をつけているではないか。

 リシアという水草に人気があるのは、この気泡が美しいからなのだ。おもわず、写真にとっておこうという気持ちになリ、最初は携帯で撮ったのだが、それでは飽き足らないのでわざわざ一眼レフにストロボを装着して撮ってみた。









 一本一本のリシアが、まるで、真珠の冠をつけているようだ。植物の控え目だが着実な生命の活動のしるしを目にしているようでもあり、見飽きることがない。魚やエビとは違った癒(いや)しを与えてくれるのだ。


 しかし難点もあって、それは成長しすぎること。いずれはネットからあふれて水面に浮き上がってくるはずだ。それをどうするかで頭を悩ましそうだ。そういう細々した処理やトリミングが大変だから、水槽のレイアウトを変えて単純化したはずなのに、気がつくと元の木阿弥になっているのは何故だろう?






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中東の反乱鎮まる気配なし [海外のニュース記事]



 中東の反乱は一向に鎮まる気配はなく、バーレーン、イエメン、モロッコにまで拡大しつつある。

 もはや独裁的指導者が強権を発動して民衆を抑え込むという時代ではないのかもしれない。果たして、この動きがアジアや中国・北朝鮮にまで波及するかどうかが今後の見どころになっていくだろう。

 とりあえず、今日は『ガーディアン』紙のスライドショーより。


Arab world protests continue in Bahrain, Yemen and Morocco – in pictures


http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/20/arab-and-middle-east-protests-protest#/?picture=371923545&index=0 「     アラブ世界の抗議活動はバーレーン、イエメン、モロッコでも続けられる



 ・ ラバト、モロッコ:政治改革と王権の制限を求めるために街頭に押し寄せるモロッコ人たち





 ・ サナア、イエメン:サナア大学のキャンパスの外で数百人のイエメン人がデモをする中、シェービング・フォームをまき散らしアリ・アブドゥラ・サーレハ大統領の退陣を求める反政府抗議活動の活動家。





 ・ マナマ、バーレン:パール広場でバーレーンの反政府抗議活動をしていたバーレーン人が掲げるポスターには前チュニジア大統領のベン・アリ(中央)、前エジプト大統領のホスニ・ムバラク(左)、前イラク大統領のサダム・フセインが並び、その下にはバーレーンの国王ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ の写真とアラビア語で「すぐに」を表わす言葉が記されている。





 ・ サナア、イエメン:大統領のアリ・アブドゥラ・サーレハのポスターを掲げ、反政府系のデモに向かって絶叫する現政権の支持者たちを押しとどめるイエメンの警官。





 ・ マナマ、バーレン:パール広場で平和の象徴としてのバラを配るバーレーンの反政府活動家たち。




 ・ マナマ、バーレン:「おぉ殉教者よ」と読めるヘッド・バンドを締めてパール広場ですかさずVサインを見せた若い反政府系活動家。






 ・ ラバト モロッコ: 首都でデモを張り、政治改革と王権に対する制限を要求するモロッコ人たち





 ・ サナア、イエメン:アリ・アブドゥラ・サーレハ大統領を支持する女性たちがある集会でポスターを掲げる。サーレハの支持者たちは、反政府勢力のデモを分断させようとしたのだがこの国の騒乱状態が9日目に突入したとき、ついに銃弾が発射された。





 ・ チュニス、チュニジア: モハマド・ガンヌーシの暫定政府の総辞職を求めてデモをする間に、スローガンを口々に叫ぶ抗議活動家たち。







 







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福臨門魚翅海鮮酒家 丸ビル店で結婚記念を寿ぐ [雑感]


 先週末、○回目の結婚記念の食事を丸ビルの最上階で行った。去年は「浅草今半」(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2010-02-14-1 )、その前の年がやはり浅草の天ぷら屋の「中清」(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-02-15 )、その前年が「吉兆」西洋銀座店だったか?

 毎年、これという基準もなく何となく選んでいるだけなのだが、コブ付だから個室があるところを優先して考えるのだが、今年は、やはり何となく眺望に惹かれて、福臨門の丸ビル店にしてみた。

 丸ビル店は初訪問。というか、私は丸ビル自体初めて。東京駅の丸の内方面はまるで縁がない。行ったのはバレンタインの前日の土曜日。

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 通された個室からは、ちょうど真正面に皇居を見おろすことが出来た。富士山もきれいに見えた。こういう所で食事するメリットの一つは、子供が飽きて騒がしくならないこと。

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 「芍薬」のコースにした。しかし、場所と福臨門のネームバリュ―に対する対価が含まれていることを考えると、もう少し上のコースの方が良かったかもしれない、と後から気づいたが。



 ・前菜。とても上品な味。

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 ・キノコ入りふかひれの澄ましスープ。やはり上品な味わい。ただし、上品すぎて子供は一口で飲むのを止めてしまった。

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 ・冷製の蒸し鶏。直近で食べた「筑紫楼」のそれと比べて少し硬い。

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 ・金鶏の姿揚げ。ここの名物の一つだ。パリッとした皮が美味い。

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 ・オマール海老とブロッコリー。これは油っこくで私的にはくどすぎた。

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 ・白金豚と南瓜の細切り炒め。素朴ながら、野菜がとても美味い。

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 ・季節野菜とキノコのあんかけ。野菜の名前は、聞いたが忘れてしまった。独特の苦みがあり、面白い味。

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 ・具沢山のチャーハン。子供には、これが一番好評だった。ここは、やはり、あまり子供向けではないかな。お店の人は、家族連れで来てくださいとしきりに言っていたが・・・
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 ・デザート

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 ・結婚記念日だと聞いて、特別に作っていただいたおまんじゅう。去年も、その前の年もそうだが、結婚記念日だと告げておくと、たいていは、こうしたおまけがつくものだ。

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 行ってみて分かったことだが、敷居の高さでは有数の福臨門だが、これは多分に伝説に近いものだということ。特定の食材を使った料理を除けば、それほど高い訳ではないし、私たちを担当した女性の接客も意外なほどフランクだった。

 その女性がこぼしていたが、ここ数年は社用族の利用の落ち込みが激しく、閑散この上ない状態が続いているのだという。ランチはともかく夜がひどいのだという。個室だから判らなかったが、帰るときに見渡したら、私たちの他に客は1~2組しかいなかった。土曜日でこれでは深刻だなぁと内心同情申し上げるしかなかった。上で述べた「伝説」もこの状況に一役買っているに違いあるまい。打開の手立ては・・・、難しいとしか言いようがないな。ここの料理も、華美を誇る味わいというわけではないしね。



 それから、丸ビルという建物にも原因があるのかもしれない。ここの、少なくとも飲食店が入っている35階・36階はコンセプト自体が失敗したのではないか、と思わせるほど閑散としていた。福臨門だけでなく、35階・36階の両フロアー全体が森閑としていた。どの店も同じような状態であるはずだ。だから、フロアー全体でコンセプトの練り直しを計るしかないだろう。

 しかし、食事をする前のことだが、一階でバレンタインのチョコを売る出店に人が群がっていたので、ちょっと写真を撮ろうとしたら、いかつい顔の警備員が歩み寄ってきて、許可はもらったのか、さもないと撮影は禁止だとけっこう高圧的な口調での警告をいただいた。こんな横柄な態度にこのビル全体のコンセプトが凝縮されているとしたら、先は暗いとしか言いようがないと感じた。

 




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雪の日の散歩――墨田川・仲見世・浅草寺 [雑感]


 珍しく朝早く――しかも、5時ごろ――起きて外を見ると雪が積もっているではないか。それで急に散歩する気分になった。重装備で外に出る。

 5時を過ぎたばかりだったから、まだ真っ暗だった。隅田川沿いを歩く。ほとんど人に出会わない。ホームレスもいない。この天気だからね。 



 スカイツリーも凍えて白い息を吐いているように見える。





 少しお腹を満たして、浅草寺の方へ。

 何事もないかのようにデンと構える大提灯。広重の絵はこんな感じじゃなかったかなと思ったが、帰って確かめるとぜんぜん違った(確かめたい人は↓をクリック
http://www.mane-ana.co.jp/hiroshige/asakusa.htm )。そもそも、江戸時代のころは「志ん橋」の大提灯は雷門の方にあったのか。





 誰もいない雪の仲見世。5時40分ごろ。風情や静寂と無縁な浅草の稀な風景。





 本堂に掛かる「志ん橋」の提灯が見えてくる。「志ん橋」は、新橋の芸者衆が寄贈したことに因む 誰もいない。一瞬だけでも本堂前を独占できたようで、少し嬉しくなったりして。
 それにしても、本堂の大提灯の方は、ライトアップを欠かさないのかしら? 6時前なので、朝の勤行もまだだ。雪の降る音以外は全くの静寂の中、大提灯に手を合わせて帰路についた











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食べログというケチくさいサイトの訂正要求 [雑感]


  食べログというケチくさいサイトがあって、まあ、それを利用している以上は自分自身も、たぶん、ケチ臭い部類に入るのだろうから、あまり声を荒立てて言うことでもないが、やはり報告はしておこう。

  訂正を要求するメールが来たのである。以前、品川にある「丸直」という元来は定食屋だが、いまはラーメンで人気化した店について書いたことがあった(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-01-20)。それをそのまま食べログにも投稿したのだが、その中でラオタを少し刺激する文言があったようだ。これは書いているときに、訂正が入るだろうなあという予感はあった。以下は、食べログからのメールの一部。

「 MikS@浅横日記 様

いつも食べログをご利用いただきありがとうございます。
食べログサポートでございます。

ご投稿いただきました「丸直」の口コミですが、

「ただ、当然とはいえ客が見事なまでにむさ苦しい男だらけ。左隣の小太りの男性は待っている間、一心不乱にゲーム機相手に格闘していて、ジャージャー麺が来ると一心不乱に爆食モードに切り替わったが、人間らしい要素が見当たらず、むさ苦しいサイボーグのような印象を与えた。前にいたラオタ風の三人組は楽しそうに談笑しながら食べていたが、30前後にしてどれもこれもメタボの危険水域に達しているのが無残なほど顕わだった。最近流行のラーメンが大食漢の男をますます大食漢にして見るも無残な存在に変貌させる手助けをしていること;ただでさえ女性に縁のなさそうな男がますます性的にも社会的にも孤立を深めるのに手を貸していること;そんなジャンクフード中毒の進行形の現場を目撃しているような感じに捉われた。ああいうラーメン好きの男のグループは、ラーメン・データベースやらブログやらの横のネットワークを利用したりして、相互に切磋琢磨し合いながら異形の存在へと転落していっているんだろうな。まあこんな感想は、まったくもって、大きなお世話なのだが。」

の部分が利用規約に定める削除対象に該当・類似していると
判断させていただきましたので、大変申し訳ございませんが、
下書き状態へ戻させていただきました。

■ 利用規約
http://tabelog.com/help/rules/

食べログはお店で食事をした際の感想・意見を共有する口コミサイト
ですので、お店とは直接関係の無い内容の書き込みはご遠慮下さい。
お手数をお掛けしますが、該当部分を訂正、または削除していただけ
ますと幸いでございます。




  いや、われながら、名文だとは言わないが、写実性に富む客観的な文章だと思うんですがね。実際、体重や容姿の観点からまっとうな人間であることを半分以上放棄した連中が周囲にいて、それを描写しただけなのである。店の描写なのだから「お店とは直接関係の無い内容の書き込み」ではない。評判のラーメン店に異形のラオタはつきもの。それはどんぶりやレンゲとまったく同じ意味で店の一部である。あるいは、百歩譲って、異形のラオタが店とは直接関係のないものであるとしても、食事をした時の周囲の状況の描写をしてはならないということはないし、実際誰もがそういう描写は避けて通れないので、食べログの主張は全く理屈の通らない言いがかりというものである。
 
 もっとも、食べログと議論するつもりはない。一度やってこりた経験があるので、スルーするしかないと思っている。両国のそば屋の『ほそ川』の感想に関連してだった。あの店は、まあ、接客がひどかった。http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-03-11。食べログの対応も杓子定規でひどかった。あれ以降しばらく食べログに投稿するのを止めていたが、相変わらずの体質のようだ。当然ながら、口コミの訂正などという面倒なことをするつもりはない。

  真相は、たぶん、「丸直」の常連が食べログに文句をつけたのだろう。実際いくら異形でも、上のように書かれれば不愉快に思うだろうし、訂正を要求する権利はある。しかし、こちらからも好物を食べたいだけなのに、そういう一品が供される場所に行って異形としか言いようのないゾンビのような存在に遭遇して不快感を覚える者の立場も少しは判ってほしいものだ。私としては、「他者危害原則」(他者に危害に与えないかぎり、何をしても許される)という自由主義の原則を持ちだせば、君たちにはラーメン屋に来る自由は存在しない、その容貌や服装によって観る者に視覚的な不快を与え、その不快は、良識に照らし合わせるならば、十分に「危害を与え」ているのだから、という点を判ってほしかったのだがな。当然通じないか。

  さて、実にくだらない話だったが、最後は文学的にしめてみよう。

 あの手のことは、くだらないと言われればそうだし、人権意識にもとると言われればそうなのだが、思わず言いたくなるものなのだ。『パリの憂鬱』のボードレールによれば、「良識」がそう言わせるのだそうだ。

  「      鏡

 おそろしく醜い男が入ってきて、鏡の中の自分を見詰めている。
 「――どうして鏡を見詰めるんですか、不快な思いをするだけなのに?」
 おそろしく醜い男は私に答える、「――それはですね、一七八九年の不滅の原理によれば万人は権利において平等である、故に私にも、鏡に己を映す権利がある、快か不快かは私の意識次第、というわけです。」
 良識の名において、私は正しかった。が、法律の観点からすれば、彼も誤ってはいなかった。

」 

(訳文は、http://homepage2.nifty.com./yamadakenji/spleen40.htmから取りました。)  









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美家古寿司の「まかない いなり寿司」を食す [雑感]

 

 先日のお昼、家の近くの栃木家で買い物をして出ようとしたら、美家古寿司の人とばったり出くわした。見ると、沢山のいなり寿司がのった盆をもっている。「ここで売っているんですよ~」とのこと。へ~それは知りませんでした。これは一度は食べてみなくっちゃと思ったのだが、その翌日には早くも栃木家に来てしまっていた。

 ちなみに、栃木家とはお豆腐の店。すぐ右側にある「レストラン大宮」とは親戚関係にあり、ともに伝法院通りに向かう道に面して建っている。美家古寿司も同じ町内にある。
 
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  栃木家の店内に入ると「美家古寿司の まかない いなり寿司」は豆腐が並ぶショー・ウィンドウの手前に控えめに並んでいた。以前はなかったはずだから、わりに最近始めたサービスだろう。油揚げは栃木家のものだろうからコラボというところか。2個入りで310円也。

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 家に帰ってきてテーブルに置いて見ると、ふくよかではち切れそう。よくデパ地下で目にする小ぶりなのとは違って健康優良児のおいなり。食べるのが惜しい感じになる。

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 良く煮汁の味がしみ込んだ油揚げ、揚げは薄くて食べやすい。すし飯は店のしゃりそのままに硬め。その中には、細長く切った煮イカ、ショウガ、レンコン、シイタケ、かんぴょう、白ごま等がさりげなく入っていて、そうした一つ一つが自己主張することは決してない。丁寧にじっくり手をかけたものをさり気なく出すのが美家古寿司の流儀だが、その心意気はこのいなり寿司にも息づいていた。少し濃い味の揚げと少しあっさり目の飯のバランスが良く、食べた後に特定の味の余韻だけが残るということがない。美味いと思った。

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  私の小さいころは、運動会とか遠足とかの時は巻き寿司とおいなりさんがお弁当だったものだ。いわゆるハレの日の食べ物だった。そんな古い記憶がふと蘇ってきてしまった。

 皆さんも、浅草にお越しの節は、小腹の足しに、あるいはちょっとした手土産に、いかがでしょうか、 「美家古寿司の  まかない いなり寿司」を。 栃木家で昼すぎごろから売っています。

 (今度、まかないじゃなくてお店の方に伺いますね) 
 



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瞑想は脳を変えるのか? [海外のニュース記事]

 

少し前の1月28日に『ニューヨーク・タイムズ』紙に載った記事だが、 数日間ずっと「もっとも読まれている記事」の一位の座を譲らなかったので、紹介してみようと思っていたが、時間的余裕がなかなか見つけられないで今日に至ったわけである。ちなみに、私は、個人的には、瞑想や座禅やヨガには全然興味はない。
 
 
 瞑想がアメリカで流行しているらしい。それも都市部で。記事の最初に「瞑想リトリート(meditation retreat)」という言葉が出てくる。まあ意味は何となく分かる。人里離れたところに引きこもって瞑想にふけることだろう。日本にも座禅の体験合宿みたいなのはあるし、森田療法なんていう本格的な治療法もあった。しかし一応グーグルで“meditation retreat”を検索したら、何と約 4100000 件ものヒットがあった。それほどの流行なのである。
 

 そういう流行を後追いするように、瞑想には脳の変化をもたらす作用があるという研究結果が出されたそうだ。それを紹介したのが以下の記事で、数日間にわたって『ニューヨーク・タイムズ』紙のオンライン版で注目度一位にあったのも、こういう流行が背景にあるからなのか、ということがようやく判った次第である。
 

 ちなみに、やはり「瞑想 脳」でグーグルで検索すると、瞑想が脳の灰白質を増大させるというたぐいのことは、日本でも知れ渡っていることであるのがよく判る。でも、誰も科学的な研究に興味があるわけではなく、脳研究の最新成果という箔がほしいだけなのも一目瞭然。
 
 
 さて、瞑想は脳を変えるのか?  たぶんそうなのだろう。瞑想に疎い私にはそうとしか言えないが、これは別に大したことではないと思う。「瞑想が脳を変える」ことを意外と感じる人は、脳に対する硬直した見方をしているのであって、脳が柔軟で驚くほどの可塑性をもっている器官であることはすでに十二分に実証されていることだ。そういう一般的な知識をもっていれば、ことさら瞑想でなくとも、脳にインパクトを及ぼすものは他に掃いて捨てるほどあるわけだから、こういう研究はあまり大した意味はないのではないか、と私は思ってしまう。読書も、ジョギングも、食事も「脳を変える」ことは出来るのである。
 
 
  この記事を書いたSINDYA N. BHANOO女史――どう読むのか? インド系であるのは判るが――は、インドの誇り高き文化の一つである瞑想法がアメリカで流行しているのを憎からず思ってこの記事を書いたのだろうと思われる。彼女は現実的な人のようだから瞑想には懐疑的なようだが、研究そのものを悪く言っているわけではない。節度ある書き方である。
 
 
 この記事に対する読者のコメントの中に、「自分はカート・ヴォネガットの講演を聞いたことがあるが、そこで彼は瞑想と読書を同じものと見なしていた」という聡明なコメントがあった。そう、瞑想は、その名を冠した所に行かなければ得られない訳ではない。しようと思えば、手近な所で、いつでも、どこでも、できるものなのである。たぶん、正座する必要もないのである。 


January 28, 2011, 10:29 AM
How Meditation May Change the Brain
By SINDYA N. BHANOO

http://well.blogs.nytimes.com/2011/01/28/how-meditation-may-
change-the-brain/?scp=2&sq=meditation&st=cse

 瞑想はいかにして脳を変えるのか
  
 
 12月の休暇の間、私の夫は10日間の瞑想リトリートに行っていた。何が面白くて瞑想なんかにと私は思ったが、彼は活気に満ちエネルギッシュな様子で戻ってきた。


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 瞑想という経験は自分をとても変えてくれたので、3月の末まで毎日2時間、朝1時間と夜1時間、瞑想することに決めたんだと彼は言った。瞑想が本当に彼の生活の質を向上させるものかどうか、もし向上させてくれるならばどのようにしてか、を見きわめる実験をするというのだ。
 

 正直に言うが、私は瞑想の効果には懐疑的である。
 

 しかし、今では、夫のように瞑想する者は、脳内の変化によって恩恵を得ているのかもしれないと述べる科学者もいるのだ。研究者の報告によれば、1日30分の瞑想を8週間にわたって行った人は、記憶や自我の感覚や共感やストレスなどに関係ある脳の部分の灰白質密度の中にかなりの変化が見られたのだという。この発見は、1月30日に発行される『精神医学研究(Psychiatry Research)』の「神経画像(Neuroimaging)」 特集号に掲載される予定である。


  実験参加者が瞑想の訓練を始める前と後に脳をMRIブレイン・スキャナーにかけてみたら、学習と記憶にとって重要な領域である海馬の灰白質が増大していることが判明したのである。そのスキャン画像は、不安やストレスに関連する領域である扁桃体における灰白質の減少を示してもいた。瞑想の訓練をしなかった対照群にそのような変化は見られなかった。
 

 しかし、こうした研究に参加したボランティアたちは、日頃の生活でもストレスの軽減をみんな求めているが瞑想は一度もしたことがなかった人たちだったのだが、彼らはいったいどのような瞑想をしたのだろうか? 最近は、とても多くの人々が瞑想のことを話題にする。私たちが住むベイ・エリアから四マイル四方の中に、何らかのタイプの瞑想のクラスを提供するカルチャー・センターが少なくとも6つあって、「で、今日の座禅はどうだった?」といった会話がしばしば耳に入ってくるのである。


 
 ブリタ・ヘルツェルは、マサチューセッツ総合病院とハーバード・メディカル・スクールで心理学を教えていて今回の研究の主執筆者であるのだが、彼女によれば、参加者が行ったのはマインドフルネス瞑想(mindfulness meditation:精神を集中する瞑想)であるのだが、これは1970年代後半にアメリカに導入された瞑想の形式なのだそうだ。これは、私の夫が従ったのと同じ古代仏教の技術にまでさかのぼるルーツをもっているのだという。


  「メインの考え方は、いろいろなものを利用して自分の注意力を一点に集中させることなのですが、その一点は呼吸の感覚や感情や思考であってもいいし、または、どんなものであれ身体的な感覚を凝視することであってもいいのです」と彼女は言った。「しかし大事なのは、精神をさ迷わせるのではなく、今ここに精神を立ち戻らせることなのです」。
 

 一般的には、瞑想者は、黙ったまま、椅子や床に正座するのだが、時にはガイドがセッションを指導することもあるでしょう、とヘルツェル博士は言った。

 
 もちろん、人間の脳が複雑であることを忘れないことが大事である。灰白質(grey matter)密度の増加が本当に何を意味するのかは、文字通り、まだ未知の領域(grey area)なのだ。


  「この分野は非常に出来たばかりで、私たちもまだ十分知識があるとは言えない状態なのです」とヘルツェル博士は語った。「これらの研究はまだ準備段階の発見にすぎないと言えるでしょう。ここには何かがあるとは思っていますが、これらの発見をくり返して、それが本当に意味しているのは何なのかを突き止めなければなりません」。


  瞑想の利点をピンポイントに突き止めるのは難しいことだったが、2009年のある研究は、瞑想が冠状動脈性心臓病の患者の血圧を下げることを示した。また2007年のある研究は、瞑想者の注意持続時間(attention span)は、瞑想を行わない人よりも長いことを見い出した


  
 瞑想者の脳と瞑想していない人の脳の間には構造的な違いがあるということを示した研究は以前にもあったが、瞑想の時間を経た後で灰白質に変化が見られたことを記録したのは、この新しい研究が初めてであった。
 

  ヘルツェル博士は、自分のチームが最終的に証明したいと思っているのは、瞑想が人々の生活を決定的に改善するのはどのようにしてなのかという点にあるのですと述べた。


  「瞑想が幸福感を高め、生活の質を向上させることは、多くの研究によって見い出されてきたことですが、どうしたらそれを客観的な形で示せるかはずっと難しいことでした」と彼女は言った。「どうしてそうなるのかについては、脳に関しても心理学的メカニズムについても比較的わずかなことしか判っていませんからね」。



  専門誌“PLoS One”に掲載された2008年のある研究で研究者は、瞑想者は、苦しんでいる人が立てる音を耳にするとき、瞑想しない人に比べて、他者に対する共感に関係する部分である側頭頭頂接合部(temporo-parietal junction)の活性度が高かったことを発見した。
 

 「瞑想する人は、誰かが苦しんでいるとき、その人を助けようという気持ちが一段と強まり、より多くの思いやりをもって行動するのかもしれません」とヘルツェル博士は述べた。
 

  さらなる研究が必要であるが、それは私にはよい知らせだ。
 

  今のところ、夫は朝5時に起きて夜10時にはへとへとになっているという事実にもかかわらず、私は、夫のちょっとした実験を喜んでサポートしている。


  夫が妻に対する共感に満ちあふれて、私がゴミ出しやガソリン入れが好きじゃないのを知っているので、私のためにゴミを出してくれたり車にガソリンを入れてくれるならば――そんなことは我慢できるからだ。」













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