ドイツの旅3 [雑感]
フランクフルト滞在三日目は、観光客の誰もが行くような所に行ったが、特にこれと言うこともなく、なにか課題を淡々とこなす修学旅行のような一日になった。そのなかで一つだけ挙げると、シュテーデル美術館で出会ったある作品。ちょうどルーベンス展が開催されていたが、それとは別の常設展示の所に、ベックリンの「海辺の別荘」があったのである。

べックリンは「死の島」で有名だが、その先駆けになったような作品である。夕刻、海辺の別荘に着くと、女性が待っている。この別荘が何か、この女性が誰なのかは何も示唆されていない。週末に自分の別宅に行ったというのとは違う不気味さが漂っている。好きな絵というのとは違うが、心の奥に沈殿しているもの少し撹乱する何かが描かれているような錯覚を与えるのである。シュテーデル美術館の一室でこれを見かけたとき、私は跳び上がりそうになった。
翌日、ケルンに移動。ライン河の風光を眺めようとあえて遅い列車にしたのだが、混雑のため座れず。意図が裏目に出て結構辛かった。まあ、イースターの祝日なのだから、混雑は考慮に入れておくべきだった。車内で立っている乗客と、ケルンデ降りて歩き出す人々。


列車がケルン駅に近づくと、大聖堂の偉容も視野に入ってくる。しかし、その姿は、遠くからでも、あまりに異様に見えた。あまりに異様すぎて、周囲との釣り合いがまるでとれない。

遠くから見てもそうなのだから、間近で見たときは、もう異様という言葉しか思い付かなかった。偉大ではなく、異様なのである。周囲の日常からあまりにかけ離れているので、そういう言葉しか出てこない。ふと、ニーチェの有名な断章に出てくる「巨大な墓場」という言葉が頭をよぎる。私は、ニーチェのキリスト教解釈にはぜんぜん同調しないのだが、それでも、なぜかニーチェの言葉が自然と浮かぶのを押さえることができなかった。
(つづく)

べックリンは「死の島」で有名だが、その先駆けになったような作品である。夕刻、海辺の別荘に着くと、女性が待っている。この別荘が何か、この女性が誰なのかは何も示唆されていない。週末に自分の別宅に行ったというのとは違う不気味さが漂っている。好きな絵というのとは違うが、心の奥に沈殿しているもの少し撹乱する何かが描かれているような錯覚を与えるのである。シュテーデル美術館の一室でこれを見かけたとき、私は跳び上がりそうになった。
翌日、ケルンに移動。ライン河の風光を眺めようとあえて遅い列車にしたのだが、混雑のため座れず。意図が裏目に出て結構辛かった。まあ、イースターの祝日なのだから、混雑は考慮に入れておくべきだった。車内で立っている乗客と、ケルンデ降りて歩き出す人々。


列車がケルン駅に近づくと、大聖堂の偉容も視野に入ってくる。しかし、その姿は、遠くからでも、あまりに異様に見えた。あまりに異様すぎて、周囲との釣り合いがまるでとれない。

遠くから見てもそうなのだから、間近で見たときは、もう異様という言葉しか思い付かなかった。偉大ではなく、異様なのである。周囲の日常からあまりにかけ離れているので、そういう言葉しか出てこない。ふと、ニーチェの有名な断章に出てくる「巨大な墓場」という言葉が頭をよぎる。私は、ニーチェのキリスト教解釈にはぜんぜん同調しないのだが、それでも、なぜかニーチェの言葉が自然と浮かぶのを押さえることができなかった。
(つづく)
2018-03-31 11:19
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