So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ
 

悪魔祓いについて(1) [探求]

 ある必要から、「悪魔祓い(exorcism)」について調べることにした。

 
 すでに二~三年前から、暇を見つけては間歇的に、「悪魔祓い」や「憑依」を扱った人類学の書物や論文を十数点ほど読んできたのだが、何しろ専門の領域ではないので思い通りには行っていない。いまのところ一番よく理解できたのは、スリランカの悪魔祓いに詳しいブルース・カフェラーという学者の見解であった。それは、彼の見解の卓越さというよりは、文章の読みやすさに由来しているのかもしれない。まったくの門外漢にも取っつきやすく書くことができるということは、よほどの才能がなければできないということが、こういう読書をすると身にしみて判るものである。

 さて、彼の著作『悪魔を讃えて』(Bruce kafferer: A Celebration of Demons,1991, Smithsonian Institute Press)に基づいて、悪魔祓いとはいかなるものか、悪魔祓いは何を目指すのか、悪魔祓いという前時代的行為から何を引きだせるのかを考えてみることにしたい。

  
 第4章の「悪魔による病:診断と社会的文脈(Demonic Illness: Diagnosis and Social Context)」から始めたい。


 ・「悪魔祓いの理論と診断の実践(Exorcist Theory and Diagnostic Practice)」の節の概要  



・ 悪魔による病は、「不安、怒り、亡くなった親族への愛着、激しい性的渇望、妬みと嫉妬」などの激しい感情の状態が突発的に生ずることによって始まる(p.69)。おそらくは憑依をともなうことが多いと思われるが、それは本質的なことではないようだ。

・ 悪魔祓い師は、この心的な失調状態を、患者が徐々に悪魔の世界によって浸食されるものとして解釈する。

・ 悪魔の攻撃は、人が物理的にも心的にも一人でいるときに発生しやすい。つまり、この世界内の孤独(Aloneness)が悪魔の活動の条件である(p.70)。


・ スリランカ社会では、通常、仏陀(やその他の神々)によって定められた宇宙的秩序のもとで、人々はその生の営みを送っている。しかし、何らかのきっかけによって孤立しその秩序から締め出されたように感じる孤独な人に悪魔が忍び寄り、その人の心の空隙を満たそうとする。それが、様々な激しい感情の噴出として現れる、というのである。


・ 病の原因は、「三つの体液(wind, blood(or bile), phlegm)」の理論によって、いわば生理的なレベルで説明される(p.71)。


 注記 … 西欧のいわゆる「四体液説」でも、blood,bile,phlegmは出てくる。そこに、windは見られないが、「(霊)気」あるいは「霊魂(プネウマ)」の重要性は、たとえば、ガレノスやアーユルヴェーダにおいて、認識されていたのだから、スリランカの病気観は、それほど特殊なものではなさそうである。



・ 他方で、患者の社会的な背景が詳しく調べられる。職場や近所でのもめごと、土地をめぐる争い、カースト間の葛藤などが、悪魔の攻撃をもたらす要因である。他人に由来する呪いや魔術の力に対する信念が広く共有されているので、病の原因を悪魔のみならず他者に求める悪魔祓いの傾向もあるという(p.73)。本人の責任が問われることは限られているという。



・ おそらく、こうした点を掘り下げると、悪魔祓いは、精神科の治療と重なり合って見えてくる。しかし、精神科の治療には投薬があり、現代科学の結晶である治療薬が脳内の化学物質に作用し、それにより治癒がもたらされる、とわれわれの多くは信じている。それに対して、悪魔祓いは、まったく違うルートをたどり、まったく違った手段に訴える。そこにはいわゆる科学性はないのだが、それにもかかわらず効果を発揮し患者の治癒に至るのはなぜだろう? そこが悪魔祓いというテーマを探ることの面白さの一つである。    


                                       (つづく) 








コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント