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エヴァンゲリオン(福音)とは  ― その2 [探求]

  「マルコ福音書」における「福音」には、死に対する意識(恐れあるいは覚悟)が濃密に込められている。

 そのことは、この福音書に登場する「福音」の前後の文脈をみるとよく判ると思う。マルコで「福音」は8回登場する。冒頭に登場する「福音」にどれほど挑戦的な意味が込められているかは、前回示した。2~3番目と最後の使用箇所は、ごく一般的な意味で用いられている。


1. 「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)。

2. 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて」(1:14)

3.「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた」(1:15)。

8.「それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(16:15)。


 ここで「福音」は、イエスの死からの復活を意味している。そしてそこで打ち切ると、中途半端な理解にとどまってしまうことになる。それが判るには、4番目から7番目の箇所を見る必要がある。



4.「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」(8:35)。


5.「わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永違の命を受ける」(10:29-30)。


6.「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。しかし、まず、福音があらゆる民に宣ベ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(13:9-13)。


7.「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」(14:8-9)。



 一読して判ると思うが、これらに共通しているのは「死」である。なぜ福音と死が関係するのか? しかし、それを述べる前に、それぞれの文脈を簡単に述べておこう。まずは7.から。


 7.は、とある女性が高価な香油でイエスの頭にかけたことに弟子たちが憤慨したことに対して、イエスが言った言葉。埋葬の準備をしてくれたのだから、記憶されるべき有難い行為なのだと言っている。もうイエスの死は既定事実であるかのようである。


 4.から6.に共通しているのは、「わたしのため、また福音のため」迫害や死の危険にさらされることを覚悟しておけ、しかしそれ以上の報酬が待っているのだという命令と励ましである。

 福音とは、全世界に宣べ伝える価値があるとされる一方で、同時に、迫害や死を招くものでもある。なぜか? それは、6.で述べられているように、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」という現実があったからである。イエスに従う者たちは、当時、あらゆる方面から憎悪を買っていた。全世界を敵に回していたと言っても良いのかもしれない。


 元来、イエスの運動は民衆レベルでユダヤ教の刷新を目指すべく、家族も家も財産も捨てて、村から村へと放浪しながら新しい秩序を実現しようとする運動として開始された、という説が有力視されている(新約聖書の研究者ゲルト・タイセンが最初に唱えた説である)。


 しかし、家や家族というのは当時の社会の基本となる単位であったし、それは今でも変わっていない。そうした社会秩序に反する主張を掲げる集団は、社会の根幹を揺るがしかねない存在として見なされるので、当然ながら地域の共同体では歓迎されない。イエスは、生まれ故郷では見るべき成果もなくそこを後にせざるを得なかったというエピソードを福音書は伝えているが、それは当然のことであった。そして、イエス亡き後で一握りの人々がその意志を受けついだが、エルサレムでの布教活動はたいした成果を挙げることができなかった。やはり正統的なユダヤ教の生活規範から逸脱する部分があったことが響いたのであろう。そうして、彼らは、紀元40年以降、ユダヤ人の伝統的な居住地域を離れ、広大なローマ帝国の領内に散って布教活動を開始するようになる。

 しかし、エルサレムにおいて起こったことは,至るところで起きる可能性があった。彼らの家や財産を持たない生き方は、伝統的な生活習慣から大きく外れていたし、一神教の非融和的宗教性のゆえに、ローマの宗教的な慣習とも、しばしば軋轢(あつれき)を起こしたからである。

 もちろん、親兄弟を含め一切を捨て去るラディカルな生活習慣を堅持していたのは、中核をなすごく一部の信徒たちであっただろうし、やがて在家の信者も増えることになるので、そうした最初期の生活信条は次第に変容していくことになる。

 
 しかし、そうした変容にもかかわず、もっとも肝心な部分は変容することなく受けつがれていった。その部分とは、上の引用の3.に出てくる「神の国」の到来と「福音」であった。

 basileia tou theouは、普通、「神の国」と訳される。しかし、basileiaは、最近では「国」ではなく、「支配」と訳すべきだと説く研究者が多いし、そう訳すべきだと私も思っている。「神の支配」とは、「人間の支配」に対する反対概念である。そこには、エルサレムであれローマであれ、人間の支配体制が、経験的に差別や不平等や暴力に満ちていることに対するアンチテーゼ、異議申し立てが含まれている。「神の支配は近づいた」とは、現在の支配構造を終わらせなければならないという意識を表明するものだ。それは、今ある世界に対する拒絶、「反-世界」に対する信念である。もちろん、それは、武力によって支配体制を終わらせようという過激な政治集団の信条とは違っていた。暴力は暴力を生むだけで何の解決にもならないとキリスト者たちは直観していたようだ。真の「福音」は、まったく違う形で始まらなければならないのだと。


 マルコ福音書が書かれた当時、キリスト教徒は、どこにいても、世間から注目を集めるようなまねはせず、ひそかに息を殺すような生活をしていただろう。彼らの心の奥底には「反-世界」的志向があったが、それは極力隠しておかなければならなかった。イエスが福音書で数々の奇跡的行為をした後で、それを誰にも語ってはいけない、口外してはいけないと何度も言うのは、隠れて生きなければならなかった当時のキリスト教信者たちの生き方を代弁・擁護する意図が込められていたのではないか、という解釈がある。イエスが説くように、自分の信念を語る必要はないし、語ってはならないのだ。極力、自分が何者であるかを外部に現わしてはならないのだ。

 しかし、いつまでも隠し通せるわけには行かないだろう。何しろ、「すべての人に憎まれる」という現実があるのだから、すべての人の目を欺きとおすことは不可能である。そのときが来たら、安心せよ、イエスがしたように、心のままに語ればいい。むち打たれ死に至ることがあるかもしれない。そのときが来たら、安心せよ、イエスがそうだったように、死からの復活があるのだ。


  
 このように、マルコ福音書から、書かれた当時の教団信者のおかれた厳しい現実を読み取ることが可能である。しかしそうした現実にもかかわらず、それは、あえて次のような書き出しで始めた。


 「神の子イエス・キリストの福音の初め」。


 「福音」がローマ皇帝を賛美する言葉であるとすれば、この「イエス・キリストの福音」は「反-福音」と言うべきものである。それは、現在の世界のあり方に対して根底から異議を唱える「反-福音」、「反-世界」を説く「反-福音」である。信者たちは死の覚悟をもってそれを読んだにちがいない。



 先ほど名前をあげたゲルト・タイセンは、どこかで、マルコ福音書は「アングラ文書」のようなものだったと書いている。つまり、秘密裏に、地下出版されるような内容だったのである。この書物を書いたとき、作者は、後のキリスト教が世界の大宗教になるなどという予感は微塵もなかっただろう。後には、キリスト教の正典として扱われ、「聖なる書物」と見なされるようになるなどとは。それは、執筆当時の状況からは、まったくかけ離れた理解の仕方なのである。


 それよりも、ここには、稀な勇気が書き記されている。そう言ったほうが事実に合致しているように私は思うのである。







                                             (おわり)
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