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太陽の光という富 ――ハワイ島雑感 [雑感]

 たぶん一生行くことはないだろうと思っていたハワイで数日を過ごしてきた。太陽は没するまでその存在を強烈に主張し続けた。空の青・海の青が目に痛いほどだった。



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 アウトドアにもヴァカンスにも縁のない私は、ある種の快適さとともに場違い感をつねに抱き続けていた。置かれた文脈はぜんぜん違うのだが、アルベール・カミュのことがふと頭をよぎった。彼は作家として成功してから海辺の豪華なリゾートで過ごしたときに感じた違和感を次のように書いている。



  「大分以前のことだが、一週間のあいだ、私はこの世界の富に満たされて暮らしたことがある。私たちは浜辺の、屋根のないところで眠った。私は果実で養分をとり、ひとけのない海で半日を過ごすのだった。こうした時、私は一つの真実を学んだのだが、その真実は、皮肉、焦燥、そしてときには激怒をもって、安楽あるいは安定のしるしを受け取るように私に強いるのだった」(『裏と表』への序文)。




 富裕層の人間と一緒にそんな豪華な生活に浸るとき、カミュは居心地の悪さを感じると同時に、反射的に、アルジェの場末で育った少年時代の貧困を思い出す。所有ということに無関係な人々の暮らしに思いをはせる。そして、つねに光に包まれていたその暮らしが決して不幸なものではなかったという思いを新たにするのである。



   「貧しさは、私には、決して不幸とはならなかった。太陽の光がその富をばらまいていたからだ。… 私の幼年時代を支配していたあの美しい熱い太陽が、私からあらゆる怨恨を奪ってしまった。私は困窮のうちに生きていたが、同様に一種の悦びのうちにも生きていた。私は、自分に無限の力をいくつも感じていた。…


   私は、財産があり余り始めるやいなや消滅するあの自由に貪欲なのだ。最大の贅沢は、私にとっては、ある裸の状態といつも一致するのをやめはしなかった。私は、アラブ人やスペイン人の、あの何もない家が好きだ。… 」(同序文)


  


  ハワイはかつてポリネシア系の原住民が王国を構えていた。しかし1820年に多くの宣教師が移住したのを手始めとして、西欧列強諸国によって翻弄された歴史をもつ。私が数日を過ごした街の一番のシンボルはモクアイカウア教会というキリスト教の教会だが、ハワイの総人口でキリスト教信者の占める割合は30%未満と少ない(アメリカ本土と比べると)。おそらく原住民系の多くにとって、キリスト教はいまだに侵略者の宗教という位置づけになるのかもしれない。私立学校のカメハメハ・スクールズには、先住ハワイアンの 血を引く者しか入学できないらしい。意外に、民族性へのこだわり(つまりは、外来のものに対する抵抗感)が根深くあるようなのである。ひょっとしたら、彼らが何気なく口にする「アローハ」というあいさつにも、そういう複雑な感情が込められているのかもしれない、と考えるのは穿ちすぎだろうか?




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( 街のシンボルとされるモクアイカウア教会 )



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( イエスも、ここでは、侵略者のシンボル? )




  しかし、そんな面倒なことなどまったくないかのように、 原住民の血をひく人々は終始うつむき加減ながらおだやかな表情をくずすことなく黙々と仕事をしていた。私は朝一番の便で離島したが、旅行業者が手配した車の運転手は初老の男性だった。朝の4時半という非常識なほど早い時刻だったが、彼は4時半きっちりにホテルのロビーに姿を現した。空港に着いて別れるときにチップを手渡すと、屈託のない弾んだ「マハーロ(ありがとう)」という声が返ってきた。そのとき、カミュのあの「不幸とはならなかった」の一節を、私は思い返したのだった。やはり、太陽の光が一切を清算してくれているのだろうかと。






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