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静かに進行する幇助死推進の動き [海外メディア記事]

 
昨年の秋、ブリタニー・メイナードという女性が自らの幇助自殺をネット上で宣言して実際に亡くなったことが話題になった(このブログでも扱ったhttp://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2014-10-29)。実は、あの一件は静かに波紋を広げているようなのだ。そのことを報じるPBSの映像を、transscriptの翻訳とともに、紹介しよう。






After Brittany Maynard, right-to-die movement finds new life beyond Oregon
March 7, 2015 at 1:30 PM EDT

http://www.pbs.org/newshour/bb/brittany-maynard-right-die-movement-finds-new-life-beyond-oregon/


「 ブリタニー・メイナードの死後、死の権利運動はオレゴン州を越えてよみがえる

 





 昨年の秋、合法的に自分の生を終わらせるためにオレゴン州に引っ越してきた29歳のブリタニー・メイナードさんが話題となったおかげで、自殺幇助の問題が再びスポットライトを浴びることになった。いまや、自殺幇助運動がふたたび勢いづてきたことが、何百万もの人々にとっての終末期ケアに影響を及ぼすことになるかもしれない。NewsHourのスティーブン・フィーがレポートする。




 
スティーブン・フィー: 何百万ものアメリカ人と同様、オレゴン州のパム・ワルドもまた、自分自身の人生を終わらせるために昨年この州に越してきた脳腫瘍に苦しむ29歳の女性のブリタニー・メイナードさんの映像に釘付けになった一人だった。

パム・ワルド: 「あのビデオを見ました。何度も見返して、特にあのビデオを最後に見たとき、彼女の目から視線をそらすことはありませんでした」。

スティーブン・フィー: メイナードさんはカリフォルニア州に住んでいたが、オレゴン州の尊厳死法を利用するために移住してきた。オレゴン州は、運動の支持者たちによって医師幇助死( physician assisted dying )と呼ばれているが、より一般的には医師幇助自殺( physician assisted suicide)として知られているものを許可している。

ブリタニー・メイナード: 「私は、母と夫に見守られながら、夫と共有している二階の寝室で死ぬことにします」。


スティーブン・フィー: メイナードさんは、11月に自分の命を絶ったが、「共感と選択(Compassion and Choices)」という名のグループのメディア戦略で大々的に利用されることとなった――20年前、その前身のグループは、オレゴンで全米最初に誕生することになる死の権利法案を推進するうえで決定的な役割を果たしたグループである。

1994年には、パム・ワルドさん自身もオレゴン州の尊厳死法を支持していた。

スティーブン・フィー: 「それであなたは賛成票を投じたわけですが、でも「自分に関係することだ」とは考えてはいなかったのですね」。

パム・ワルド: 「ええ、まったく。あれは同情心からの行動でした。そんな状況になったとしたら、選択する権利があって当然でしょう。どのように人生を送り、どのように死ぬかを選択できることは重要なことです」。

スティーブン・フィー: 「しかし、その後、あなた自身がそうした状況になってしまったわけですね」。

パム・ワルド: 「そうです」。

スティーブン・フィー:  「どこであなたは---どこで、自分自身の話となったのですか」。


パム・ワルド: 「ええと・・・これが私の夫です」。


スティーブン・フィー:  2011年、パムさんの43歳の夫だったベン・ワルドさんは、早期の癌が再発したことを知った――すぐに、癌は深刻な影響を及ぼし始めた。パムと娘のボニーは、かつては頑丈だったベンが急速にやせ細っていくのを目撃した。癌が骨に転移すると、痛みは耐え難いものとなった。

パム・ワルド : 「ベンは真夜中に私を起こしてこう言いましたた。「パム、話がある。もうこれ以上はだめだ、判っているだろう。もう僕は死ぬんだ、パム。君とボニーと良い人生が送れた。こんな風に生き続けていたいとは本当は思っていない。オレゴン州の尊厳法死を調べてみたいんだ」」。

スティーブン・フィー: オレゴン州の法律では、末期患者の余命が六か月かそれ以下であるという医師の診断がなければならない。もう一人の医師が署名し、患者の精神状態が健全であることに両医師が同意して初めて、医師は生命を終わらせる処方箋を書くことができる。患者は、最初に(死ぬための)薬を要求してから15日経った後で、再び薬を要求しなければならない。しかし、患者がひとたび薬を手にしたら、医師の役割は終わるのである。


スティーブン・フィー: 法律が1997年に施行されてから、1300人以上の人が生命を終わらせる処方箋を受けとった---しかし、実際にその薬を飲んで死んだのは859人だけだった。それ以外は服薬する前に死ぬ人もいたし、心変わりをする人もいた。

スティーブン・フィー: ベンの健康が悪化するにつれて、彼とパムはブリタニー・メイナードをサポートしたグループである「共感と選択(Compassion and Choices)」から援助を仰いだ。2012年、同グループは彼らを二人の医師にとりつぎ、医師たちはベンの望みを承認した。

パム・ワルド: 「月曜日、ベンに処方の許可がおりました。それはつまり、水曜日には処方箋が入手できるということです。処方箋があっても、しばらくは様子を見ようと、当時の私は考えていました。夫ともう少し一緒にいられるだろうと思っていたのです。でも彼は私にこう言いました。「パム、僕は今週の金曜日に薬を飲みたいんだ」」。

スティーブン・フィー:  ポートランドの医師であるビル・トフラーもブリタニー・メイナードと同じ状況に直面した。彼もブリタニーさんの話に心が動いた。トフラーの40歳の妻が癌と診断されたのは2009年のことだった。


トフラー医師 : 診断がなされた後、私たちには5年もの歳月に恵まれました。そして彼女は、わずか4ヶ月半前に亡くなりました」。

スティーブン・フィー: トフラー医師と妻にとって、自殺幇助は選択肢の一つではなかった。彼が主催する医師たちのグループ(Physicians for Compassionate Care Education Foundation)は、終末期の患者に致死薬を処方することに反対している。

トフラー医師: 「もう限られた時間しか残されていないことが判っていたので、一日一日が違って見えましたよ、それは、妻がはっきり癌と診断される以前の私には見えなかったことです。そして、患者さんたちには、私が彼らを医師として尊重していることを判ってもらいたいのです、どれほど障害があろうと、どれほど重病であろうと、彼らの生には意味と価値があるということを認識してほしいのです。患者自身にそのことが見えてなくとも、私はそう考えていたいのです」。



スティーブン・フィー: でも、死にまつわる恐怖や痛みはどうするのです? 患者が求めた場合、助ける必要があるでしょう? と私はトフラー医師に尋ねた。

トフラー医師:  「それはとても怖い時間です。その時、私は当人のそばに来たいのです。彼らと一緒に歩きたいのです。私は私になれる最良の医者でいたいのです。私は、その時まで以上に医師であるように求められているのです。私は当人が自殺するのを手伝う人間であるわけではありません。それはあまりに安易です」。

スティーブン・フィー:  米国医師会は、ある政策提言書の中で、次のように述べている。「医師幇助自殺は、治療者としての医師という役割とは根本的に相容れない」。ある種の宗教団体、とくにカトリック司教全米会議は、医師幇助自殺に強力に反対してきた。


調査会社のギャラップによると、自殺幇助を支持するアメリカ人はわずかの差で多数派となっている。幇助自殺が合法なのは、オレゴン州、ワシントン州、バーモント州だけだが、ブリタニー・メイナードさんの死以来、十を超える州が尊厳死法の制定を議会に提出したか提出を再考している最中である。


そして、幇助自殺の支持者たちは法廷でも前進を遂げた。モンタナとニューメキシコ両州での判決は、幇助死への扉を開いた。先月、カリフォルニア州とニューヨーク州で原告が幇助死を認める訴訟を起こしたし、カナダの最高裁は、国が幇助死を全国的に禁じていることに違憲の判断を下した。

 
 生命倫理学者のアーサー・カプラン――かつては幇助自殺には反対だったが今はその支持者になっている――によると、議論の条件はここ20年間で変わってはいない、ブリタニー・メイナードのケースをめぐってずいぶん話題になることが増えたとしても、何も変わってはいないという。

 メイナードさんが昨年末に亡くなる前に、私たちは彼に話を聞いた。


アーサー・カプラン: 「私の考えでは、この論争でこれまでと違っている点は、ブリタニー・メイナードさんが29歳で、魅力的で、理路整然としていて、死を選択する権利についてほとんど情熱的と言ってもいいくらいであったことです。そのおかげで、これまで関心を払わなかったグループ、つまり若い人々にとっても議論の焦点ができたのです」。


 ジャック・キボキアン医師のような人物に対する恐れから、1990年代の死の権利運動は脱線してしまったのだが、終末期ケアが改善したおかげで死の苦痛に対するアメリカ人の懸念は緩和した、とカプランは述べた。


ブリタニー・メイナード: 「この幇助死がわたしにどれほどの安堵を与えてくれたかは、言葉にならないほどです・・・・」。

 しかしカプランは、ブリタニー・メイナードのケースが自殺幇助の支持者に新たなはずみを与えるかもしれないと述べた。

 アーサー・カプラン: 「彼女のおかげで、政治状況がシフトして、婚姻法が拡大され同性愛者が広く認知されるのに関わった人々が動き出して、「これは私が望む選択だ。彼女も選択したのだから、これは私の関心事である」と言い出すようになるかもしれませんからね」」。

スティーブン・フィー: 2012年5月4日に、パムとベンは、リビングルームに親しい友人を集めた。彼らは一緒に歌を歌い、その後、共有する寝室で、パムはベンに彼の人生を終わらせる薬を手渡した。彼は躊躇せずにそれを飲んだ。

パム・ワルド: 「夫のもとに来て、私たちが初めて一緒になったころ、私たちは一緒にベッドに横になって、彼は考えごとをしながら、手をこんな風に動かしたものよ。手がしょっちゅう動くの。こんなふうにね。考え事をするときも、何をするときも。

 
忘れられないのは、彼の手が胸の上にこんなふうにあったこと。私はその上に私の手を置いた。でも、彼の手があんなふうに動くことはなく、じっとしていた。安らかだったから。そして、彼の最後の言葉は「ありがとう」だった。 そして、2時間後に亡くなりました」。


スティーブン・フィー: ベン・ワルドは75歳だった。

オレゴン州の経験から、私たちは何を学ぶことができるか?

オレゴン州保健局のカトリーナ・ヘドバーグ――幇助自殺の問題に関して彼女は中立的だ ――は、オレゴン州の尊厳死法についての統計を調査している。


カトリーナ・ヘドバーグ: 「最初の頃、この法律には多くの懸念を人々が抱いていました。市民権のない人、教育のない人や、障害をもつ人等に対して不当に多くこの法律が使われるのではないかという懸念ですね。ところが、私たちが実際に見出したのは、この幇助死に参加する人々が、自分の死に関するタイミングや方法をコントロールしたいと願っている人々であるということです」。


それでも、トフラー医師は、自身の妻との経験から学んだように、最後の月日は決して短縮されるべきではないと言う。

トフラー医師: 「私たちは結婚して40年たっていました。最後の5年間が私たちの最良の年月だったと私は思っています――彼女が実際には末期の癌だと診断されてからの5年間がね。私は、その最後の5年間を他の何かに代えようとは思いませんね」。

スティーブン・フィー: パムについて言うと、彼女は今、「共感と選択(Compassion and Choices)」のためにボランティア活動をしていて、彼女が身をもって知ったプロセスのガイド役となって、他の家族の世話をしている。

パム・ワルド:  「死んでいくことや死について話をしたいと思う人はいません。しかし、いったん私たちがそういう状況に立ち至ると、それは本当に愛の行為になるのです。本当にね」。



」(おわり)










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