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コーランは偶像崇拝を禁止していない [海外メディア記事]

 シャルリ・エブドの一件で誤解してはならないことは、偶像崇拝についてである。過激派はムハンマドを漫画に描くことを、偶像崇拝を禁じたイスラム教に対する冒涜であるかのように主張しているが、それはコーランに根拠を持つ主張というわけではないらしい。つまり、コーランははっきり偶像を禁止しているわけではないようなのだ。そのことを解説したドイツ国際放送ドイチェ・ヴェレ(Deutsche Welle)の記事を下に掲げておく。

 しかし、かりにコーランに偶像崇拝禁止が打ち出されていたとしても、それをビジュアルが氾濫している現代の状況にそのまま適用するのは、やはり時代錯誤だろう。旧約聖書では偶像崇拝の禁止が強く打ち出されている。おそらく、ユダヤ教ではその戒めはまだ守られているだろう。しかし、モーセの映画がいまアメリカで上映されているが、そういうことに対してユダヤ教徒が「これはわれわれの宗教に対する冒涜だ」と抗議するだろうか?

 やはり、宗教の戒律に抵触するとはいっても、それを理由に表現の自由を制限しようとするのは、あってはならないことなのである。たしかに、シャルリ・エブドの一部の漫画に低俗な表現があったのは問題だっただろうが、それは公序良俗の問題なのである。




Die Angst vor der Macht der Bilder
http://www.dw.de/die-angst-vor-der-macht-der-bilder/a-18186266



  画像のパワーに対する不安



  「シャルリ・エブド」は、恐れることなく、世界を描いた。しかし、過激派が風刺家とその画像を狙ったのはなぜか? 宗教における画像の禁止の歴史を手短かに示そう。




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預言者ムハンマドとカアバ神殿



 イスラム教徒は絵画や写真や映画を好まない――イスラム教を宣伝するものは別だが。しかし、そうするとき彼らは、コーランやイスラム教の創始者のムハンマドに依拠することはできない。コーラン――信者にとっては神の言葉だが――を読む人は、画像の禁止の明確な証拠を見い出すことはない。神は、人間やそれ以外の生き物を創造した、とそこには書かれている。人間には創造はできないとも書かれている。人間が生き物の絵を描いたとしても、そこに生命を吹き込むわけではないのだと。


 テュービンゲン大学の東洋学のルディ・パレート ―― イスラムの研究者の間で今日に至るまで標準的に使われているコーランの翻訳は彼に由来する ―― は、「画像の禁止」をコーランよりも後に書かれたハディースの文献に見つけた。ハディースは、預言者ムハンマドの伝承された言行や言い伝えを集めた文書群である。そこに、画像に対して批判的で、ときには敵意を抱いているような文書がある。ハディースは10万もあると推定されている。




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コーラン


 また、イスラム法学のフィクフでも、画像の禁止について論争があった。ハディースを書いたアル・ブハリは、ムハンマドの次のような金言を伝えている。「私は神の使いが次のように言うのを聞いた。天使たちは、犬や画像がある家や部屋には入らないものだと」。預言者は、人間が生き物を描写することで「神を模倣」しようとすることを恐れたのだろうか? 犬はイスラム教では汚れたものである。偶像と同一視される画像も汚れたものである。したがって、画像があるところで、祈ることはできないのである。



 イスラム教では画像は禁止されていない


 画像の一義的な禁止は、ムハンマドの死後200~300年後に書かれたハディースからも読み取れない。いずれにしても、そうした文書は歴史的に理解されなくてはならない。コーランと同様に、ハディースも均一な内容を語っているわけではないからである。同じコーランでも、後の章は前の章を撤回したり、補ったり修正したりしている。どれが正しいかとか、その神学的意義については、今日までイスラムの学者たちが意見を戦わせているのである。



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 メッカ巡礼 預言者ムハンマドはカアバ神殿から偶像を取り去った



 「汝いかなる像を作ることなかれ」。この戒めの背後にあるのは、とりわけ偶像崇拝に対する恐れである。神ではなく画像に祈りを捧げるべきではないし、像で神を模倣すべきでもない。紀元630年メッカ入城後、ムハンマドがカアバ神殿から偶像を取り去ったのは、おそらくそうした理由からだった。それにより、カアバ――イスラム教誕生以前からすでに聖地だった――は、イスラム教の中心的な聖地になった。異教徒の神々は、すぐにそこにはいられなくなった。スイス人の東洋学者シルビア・ネフは、「イスラム教誕生以前のアラブ人の偶像崇拝に対して闘いを挑み、一神教的な信仰によって置き換えられなければならなかった」と書いている。


 メッカの偶像破壊運動は、画像のパワーに対する不安を証拠立てているのではないか? スンニ派では、画像の禁止はさらに徹底されている。しかし、つねに禁止というわけではない。そうでもない限り、イスラムの絵画が誕生した理由がわからなくなるからだ。本の挿絵や細密画には、時にはベールをした、時にはベールなしの姿で、預言者ムハンマドとその母アーミナが描かれている。イブラヒム(アブラハム)も、コーランの伝統の別の人物と同様に絵画的に描かれた。ペルシャ人の挿絵は、宗教的なテーマも世俗的なテーマも描くのだが、大いにもてはやされたものだ。同じことは、ムガールの細密画や挿絵にも当てはまる。19世紀に写真が、20世紀にテレビが登場して、生きた存在を描くことについてイスラム教徒の間で議論が盛んになったのである。
 



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 ビザンチンでの画像をめぐる論争は、東方教会で画像の禁止を終わらせた


 
 キリスト教でも生きた存在の描写について論争がなかったわけではない。「旧約聖書は明確に神の像を描くことを禁止していますからね」と東洋学のネフは思い起こさせる。だから、ビザンチンで8世紀から9世紀にかけて、偶像崇拝禁止論者と偶像崇拝者を巻きこむ像をめぐる論争があったのも納得がいくことである。論争の焦点は、世界の支配者としてのイエスと聖母マリアだった。その両者の絵を描いていいのだろうか? 東方教会の正統派は、像を描いてもよいという決断を下した。それによて、イコンという聖画像の豊かな伝統が誕生した。


 西方の教会でも、像が偶像崇拝につながるかもしれないと怖れる人がいた。紀元600年頃、教皇グレゴリウス1世は偶像を敵視することにも過度に偶像を崇拝することにも反対すると明言した。同時に、彼は像の教育的利点を認識していた。794年のフランクフルト教会会議も同様の主張をした。かくして、カトリック教会は、12・13世紀になってようやく像を無条件で認めるようになった。しかし、16世紀になって宗教改革が起こり、再び偶像が破壊されるようになった。カルバンやツウィングリのような改革者たちは教会から像を追放した。マルティン・ルターは「冒涜を促し、信仰の喪失を引き起こ」しかねない像を用いないようにと警告を発した。


 神の怒りに対する不安


 この偶像の禁止は、宗教史の中では奇妙に見えるものだが、かつて誕生したばかりの一神教を保護したのであった。3つのアブラハムの宗教 ―― ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教 ――は、偶像崇拝の禁止を守らなければ、神の怒りが下されるのを恐れたのである。しかし、多くのことが起こり、その禁止は空洞化してしまった。今日、過激思想の持ち主たちが、アッラーの名のもとに偶像禁止を蒸し返そうとしている。彼らは、ムハンマドが描かれることに腹を立てる。「パリで起ったように画像を理由に人を殺害するなんて、像と神を区別しようとしたがらないイスラム教の少数の集団の政治的戦略ですよ! 」と美術史家のホルスト・ブレーデンカンプは、南ドイツ新聞でのインタビューで語った。







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