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映画の哲学・・・その二 [探求]

 スタンフォード大学の「哲学百科事典」の「映画の哲学(Philosophy of Film)」の第二章を紹介する。中心にあるテーマは、そもそも映画とは何かという問いである。



http://plato.stanford.edu/entries/film/




「  2. 映画の本性



 哲学的な映画研究の初期に支配的だった問いは、シネマ――これは、映画が製作・配給・封切られる制度的な構造を強調する言葉だったが――が芸術形式として見なせるかどうか、というものだった。シネマは芸術という名誉ある称号にふさわしいとは思われていなかったのだが、それには二つの理由があった。第一の理由は、初期の頃には、ヴォードヴィルののぞき見ショーやサーカスの幕間劇などで映画が上映されたことが挙げられる。大衆文化である以上、映画には通俗性があるので、演劇や絵画やオペラや、それ以外の芸術と同類と見なされるには不向きであるように見えたのである。第二の問題として、映画は、他の芸術形式からあまりにも多くのものを借用しているように思われたことが挙げられる。多くの人にとって、初期の映画は舞台演劇か日常生活の記録以上のものではないと思われた。映画を舞台演劇の記録と見なす根拠は、映画というものは、舞台上の演技を見ることができる人々よりも多くの観客に提供できるものであるから、というものだった。しかし、そうなると、映画は芸術への接近手段にすぎないものとなり、それ自体独立した芸術形式ではないことになってしまう。他方で、映画が日常生活の記録となると、それは生活をあまりに直接的に再現するものになってしまい、もはや芸術と見なすことはできなくなってしまう。主導的な意識による媒介がほとんどないように思われたからである。



 映画は独立した芸術形式として考察されるに値するという主張を正当化するために、哲学者は映画の存在論的構造を研究した。そこにある希望は、映画が他の芸術とは著しく異なっていることを明瞭にする映画の捉え方を創り上げることだった。この理由から、映画の本性に関する問いは、[「映画の哲学」の]古典期と呼んでいい時代の理論家にとって決定的に重要な問いであった。


 映画という新しい芸術形式についての論文を書いた最初の哲学者であるヒューゴー・ミュンスターバーグは、物語を提示するうえで映画が利用する技術的デバイスによって、映画の独自性を求めようとした(Munsterberg 1916)。フラッシュバック、クローズアップ、およびモンタージュなどが、映画製作者が物語を提示するために採用する(しかし演劇にはない)技術的手段の例である。ミュンスターバーグにとって、こうした手段の使用によって、映画は、演劇から区別されるのであった。

  ミュンスターバーグはさらに続けて、映画が物語りを展開していく上でこれらの技術的手段が果たす役割を観客がいかに理解できるか、という問いを立てた。彼の答えは、これらの手段はすべて心的なプロセスの対象化である、というものだった。たとえば、クローズアップは、何かに注意を向けるという心的な行為に対応するものを視覚的な形で提示するのである。観客は自分の心の働きにはなじんでいて、クローズアップを見るときその対象化された心的機能を認識できるので、そうした映画的手段がどんな働きをするかを自然に理解できるのである。ミュンスターバーグの理論のこの側面のために、彼は現代の認知的な哲学者に結びつけられるが、彼は、自分が見ているものが対象化された心的機能であることを観客がいかにして知るのかを説明してはいないのである。

 ミュンスターバーグがあの論文を書いたのはサイレントの頃だった。やがて画面と同調するサウンドトラック――いわゆる「トーキー」――が出現し主流になるにおよんで、映画は根底的に変わっていった。この重大な技術革新が興味深い理論的反省を生み出したことは驚くに当たらないことである。


 著名な芸術心理学者のルドルフ・アルンハイムは、トーキーはサイレント映画という高みからの失墜だという驚くべき主張をした (Arnheim 1957) 。ユニークな芸術形式であるために、映画は、それ特有のメディアに忠実でなければならないという考えに依拠して、アルンハイムは音声をともなう映画を
二つの異なる芸術のメディアの混淆として見下した。その二つは満足のいく全体を構成しないというのである。


 アルンハイムにとって、サイレント映画は、動く物体を提示する能力に力点を置くことで、芸術的な身分を得たのである。実際、彼にとって、映画の芸術的側面は、[音のない物体という]抽象物を提示する能力にあったのだが、その能力は、映画がサウンドトラックを採用し始めると、すっかり失われてしまった。トーキーの黎明期近くで執筆していたアルンハイムは、今日のわれわれが芸術形式の自然な発展と認識しているものを、以前に達成された高みからの失墜としてしか見ることができなかったのである。


 アンドレ・バザンは職業的な哲学者でもなかったし学者ですらなかったが、いまだに映画の哲学という領域に多大な影響を及ぼしている一連の論考でアルンハイムの評価に反論を加えた(Bazin 1967; 1971)。バザンにとって、重要な対立は、音と無声映画との対立ではなく、映像に焦点を当てる映画とモンタージュを強調する映画との対立だった。モンタージュは、セルゲイ・エイゼンシュテインなどの多くの映画監督にとって映画ならではの独特の側面として現われたのだが、バザンはサイレント時代に戻り、映画芸術を達成するもう一つの手段があることを実証した、その手段とは、カメラに世界の実際の本性を明らかにさせることに対する関心である。映画は写真に基礎をもつのだから、映画はリアリズムの性格をもつという考え方に依拠することで、バザンは、芸術形式としての映画の未来を、世界を「時間的に凍結された形で」提示するという能力を発展させられるかどうかに懸かっていると主張する。


 自説を展開するとき、バザンは、彼がリアリズムと呼ぶ映画のスタイルを、長廻しとディープ・フォーカスによって特徴づけたうえで高く評価した。ジャン・ルノワール、オーソン・ウェルズ、イタリアのネオ・レアリズムの作家たちこそ、バザンによれば、映像というメディアの真の可能性を実現した映画制作のこの映像本位の伝統の頂点に立つ映画製作者なのである。

  

 いわゆる「古典的な映画理論」の先駆的研究において、ノエル・キャロル(1988)は、フィルムの本性を規定しようとする古典的な理論家の試みにおいて多くの不当な前提が関与していると主張した。特に、彼は、映画製作の特定のスタイルと、映像というメディアそのものの本性についてのもっと抽象的な主張とを混同したといって、古典的な理論家たちを非難した。彼の告発は、映画のスタイルを映像の本性の中に基づけることで正当化しようとする試みの終焉をもたらしたように見えた。


 しかし、最近、バザン自身の行き過ぎた点はともかく、映画のリアリズムについてのバザンの主張は息を吹き返した。ケンドール・ウォルトンは、非常に影響力のある論文(1984)において、映画は、その基礎を写真にもっているために、スクリーン上に現われる対象を観客が実際に見ることを可能にするリアリスティックなメディアであると主張した。この透明性テーゼ(transparency thesis)は、哲学者や美学者の間で多大な議論の対象となった。たとえば、グレゴリー・カレーは、リアリズムという形式を依然として擁護してはいるが、透明性テーゼは拒否する。彼の主張によれば、映画のリアリズムとは、スクリーン上に描かれた対象が、現実の対象を識別するために使用されるのと同じ認識の能力を作動させるという事実の結果なのであるという。


 映画はリアリズムという性格をもつのかどうかという議論は、映画の哲学者の間で熱い議論のテーマであり続けている。ごく最近では、画像製作にとってデジタル技術が出現したために、この見解が妥当であるかどうかについての非常に根本的な問いが提起されている。



                    」(つづく)

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