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妄想とは何か (2) [探求]

  スタンフォード大学の「哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy)」の「妄想(Delusion)」の項目を紹介する第二回目。題名からすると、妄想の定義、妄想の本質が語られていることになるが、少し分類に重きを置きすぎているきらいはあるかな。




Delusion

First published Wed Sep 16, 2009; substantive revision Fri Oct 11, 2013

By Lisa Bortolotti 

http://plato.stanford.edu/entries/delusion/





「  妄想 (2)


 




   2.妄想の本質 



  我々は妄想の実例をいくつか見たが、まだ定義には触れなかった。妄想はいかにして定義され分類されるのだろうか?


  2.1 妄想を定義する。


  よく利用される妄想の定義が表だって言及するのは、妄想の形成に関与する根底的なメカニズムよりも表層の特徴である。表層の特徴とは、妄想が行為となって現れる現象のことであり、それらはしばしば認識的な言葉で記述される、つまり、それらの記述には、信念や真理や合理性や正当化といった概念が含まれるのである(たとえば、「妄想とは、経験的に支えてくれるものをほとんど持っていないにもかかわらず、確信をもって人が抱く信念のことである」という定義におけるように)。「精神障害の診断と統計マニュアル」の用語解説によると(DSM-IV 2000, p. 765 and DSM-5 2013, p. 819)、妄想とは、それに反する証拠があるにもかかわらず存在し続ける、外的現実についての不正確な推論に基づいた間違った信念のことである。


  妄想: 他のほとんどの人が信じていることにもかかわらず、そしてそれに反対する異論の余地のない明白な証明または証拠を構成するものがあるにもかかわらず確固としてもち続けられる、外的現実についての不正確な推論に基づいた間違った信念のこと。その信念は、妄想を抱く人が属している文化やサブカルチャーの他のメンバーが普通に受け入れているような信念ではない(例えば、宗教的な信仰箇条などではない)。間違った信念が間違った判断を含んでいるとき、それが妄想と見なされるのは、その判断がとても信じられないほど極端である場合にかぎられる。



  妄想の本質に関心のある哲学者たちは、このDSMの定義の弱点をきわだたせる多くの問いかけを発してきた。例えば、認知的な障害や欠陥を含む他の病理的な現象から妄想をどうやって我々は区別できるのか? 妄想と、非病理的だが妄想と同じぐらい間違っていたり正当化されていない信念とをどうやって我々は区別できるのか? こうした問いが目指しているのは、妄想ならではのものは何かということと、何が妄想を病理的なものにするのかということを把握することである。


  「 妄想とは、(a)大きな確信とともに抱かれ、(b)合理的な反証があってもびくともせず、(c)同じ社会的・文化的集団のメンバーによって間違っているとか奇妙だとして退けられてしまうような信念である、と一般的には受け入れられている。妄想は文脈的に依存していて多様に規定され多次元的であるため、もっと正確な定義は多分不可能であるだろう。通常の定義的な特徴をすべて満たすような妄想カテゴリーの実例を見出すのは容易であるし、だから、妄想の定義を全面的に放棄するのは時期尚早だろう。同様に、毎日の診療行為において、その信念をそれだけで取り出してみると妄想の標準的な基準に合わない妄想もつ患者もいるのである。この点で、妄想は症状(symptom)というよりも症候群(syndrome)に似ている」(Gilleen and David 2005, pp. 5-6)。



  DMSの妄想の定義に対する反例は容易に見いだされる。そこで提起された基準のすべてを満たしているわけではない妄想も存在すれば、その基準のすべてを満たしていても妄想的とは普通見なされない非合理的な信念も存在するからである。コルザート(Coltheart)はDMSの定義の大きな問題点を次のように要約している。



  1.信念をもっている人でもその信念を抱く十分な理由をまったくもっていないかぎり、真なる信念も妄想になりうるのではないだろうか?   2.妄想は本当に信念でなければならないのだろうか――それは、想像する人が信念と取り違えた想像行為ではないのだろうか?   3.妄想はすべて推論に基づかなければならないのだろうか?   4.外的現実にかかわらない妄想もあるのではないだろうか? 「私は身体器官をもたない」とか「私の思考は私のものではなく、他人によって私の心の中に挿入されたものだ」は、統合失調症の患者がしばしば述べる信念だが、それらは外的現実にかかわるものではない。それにもかかわらず、それらはやはり妄想的信念なのだろうか?   5.共同体のメンバー全員が抱いている信念が妄想的ということはないのだろうか?  (Coltheart 2007, p. 1043) 



   
  「精神障害の診断と統計マニュアル」は最近改訂され、用語解説には何の変化もないが、統合失調症に関するセクションで現れる妄想の記述の中にはいくつかの興味深い変化が確認できる(DSM-IV, p. 275とDSM-IV-TR p. 299を、 DSM-5, p. 87と比較してみよ)。新しい記述は、コルザートらによって確かめられた問題のいくつかを考慮に入れているように思われる。例えば、 DSM-5では、妄想は間違いとしてではなく、「それに反する証拠が現れても変えられることがない固定的な信念」として記述されている。細かい点を別にすれば、DSMの妄想の定義と記述のスタイルにはある種の一般的なコメントが当てはまるのである。妄想が非合理的信念として定義され記述されている限り、妄想の認識上の「誤り」は別の心的障害の症状や非-病理的信念によっても共有されているので、妄想の身分を一義的に確定することは困難なのである。しかし、DSMのような定義は、それが定義しようとしている現象に対して必要十分な条件を提供することはできそうもない。せいぜいそれは、追求する価値のある研究領域を都合よく制限することによって、診療行為に役立ちさらなる研究を導くことができるにすぎないのである。



 DSMの定義に対して広くみられる批判は、妄想をもつことが、その妄想を語る当人の幸福にどのような結果を及ぼすかについて十分な考慮がなされていないという点にある。妄想についての最近の定義には、「機能の混乱」にこれまで以上に表立って言及するものがある(e.g., McKay et al. 2005a, p. 315)。Freeman (2008, pp. 24–26)は、妄想の多次元的な本質を強調し、妄想の主たる特徴の中に、根拠がなく確固としていて変更に抵抗するという点のみならず、心を独占し苦しめ、当人の人生の社会的な次元に干渉するという点を挙げている。






 2.2 妄想の諸タイプ



 2.2.1  「機能的」vs「器質的」


 妄想は、かつては、機能的なものと器質的なものに分けられた。現在、その区別はほとんどの人によって時代遅れなものと見なされている、少なくとも元来の形で特徴づけられたその区別は時代遅れなものと見なされている。妄想が(右の大脳半球に影響を及ぼす怪我のおかげで)脳の損傷の結果であるならば、それは「器質的」と呼ばれた。妄想は、もしそれが既知の実質的原因を何ら持たず主に精神力動的な(モチベーショナルな)要因によって説明されるならば、「機能的」と呼ばれた。神経病理学の発展とともに、これら二つのカテゴリーが重なり合うことがますます明らかになってきたのである。今日では、あらゆるタイプの妄想には生物学的基盤があるが、しかしそれが正確には突き止められない場合もある、ということが定説になっている。かつては実質的なものと機能的なものに分けられた妄想の現象の側面と症状の側面にほとんど違いはないと報告する研究もある(Johnstone et al. 1988)。    



 2.2.2  単一主題的vs複合主題的

 すでに見たように、迫害妄想では、自分が敵意をもって追われ扱われると、そしてまた他人が自分に危害を加えようと思っている、と人は信じている。鏡像の中に自分を認めることができない妄想において、人は普通、鏡に映る像を反射像として認識する能力を保持しているのだが、自分自身の顔が鏡に映っていることを認識できないので、鏡に人がいるとは思っても、それは自分に大変よく似た赤の他人だと思ってしまうのである。どちらの場合でも、妄想は、どれほど反証を示しても抵抗し、自分の人生の隅々にまで影響を及ぼす。それらの違いの一つは、迫害妄想が複合主題的、つまり、一つ以上の主題にまで広がっていき、複数のテーマが関連しあうようになるのに対して、競争の中に自分を認めることができない妄想は単一主題的であり、妄想そのものの内容を別とすれば、別の(関連性のない)奇妙な信念が同一人物によって述べられる必要はないのである。だから、鏡の中に自分の像を認めるのに体系的に失敗し、自分にそっくりな人物がいて自分にまとわりついていると考えるようになるが(鏡像の中に自分を認めることができない場合のように)、それ以外には普通でない信念を何ら持っていない人は、単一主題的な妄想もっているのである。単一主題的な妄想で哲学的文献でしばしば言及される別の例はカプグラ妄想とコタール妄想である。カプグラ妄想は、親しい人(身内であったり配偶者)が詐欺師にとってかわられたという信念を含む。コタール妄想は、自分が身体から離脱したとか死んでしまったという信念を含む。迫害妄想はとてもよくある複合主題的な妄想である。自分は見知らぬ一団に取り囲まれていて連中は自分の行為をコントロールし徐々に人々の肉体を占領しつつあると信じる人は、多くの違った妄想をもっていることになるだろう(迫害と見知らぬ存在によるコントロール)。これらの妄想は相互に関連し合っていて、当人の人生の中で起こるほとんどの出来事を解釈するときに姿を現す。人の認識の多くの側面に影響を及ぼす妄想の別の例は、自分は天才だがしばしば人に誤解されるという信念であり(誇大妄想)、自分は有名人や権力者によって愛されているという信念である(エロトマニア)。



 
 2.2.3  輪郭的な妄想vs入念な妄想  


  単一主題的な妄想は輪郭的なものになりがちだが、複合主題的な妄想は入念な妄想になりがちだ(詳しい説明と実例についてはDavies and Coltheart 2000を参照)。輪郭的な妄想と入念な妄想の区別は、妄想と別の志向的状態がどれほど統合されているか、そして当人の妄想の認知が言語的な報告や観察可能な行動にどれほど明瞭にあらわれるかという点に関係する。妄想は多少なりとも輪郭的なものであるだろう。妄想が(妄想の内容と著しく関連する内容もった)別の志向的状態を形成するまでに至らず、その妄想を述べる人の行動の隅々にまで影響を及ぼすことがないならば、その妄想は輪郭的である。例えば、カプグラ妄想をもち、自分の妻が詐欺師にとってかわられたと信じてはいるが、しかし妻を捜しに出かけたりはしない人は、輪郭的な妄想をもってるように思われる。妄想を述べる人がその妄想状態から帰結を引き出しその妄想のテーマをめぐるような別の信念を形成するならば、その信念は入念な信念となりうる。例えば、カプグラ妄想をもつ人は、その詐欺師が悪い意図をもち、機会があれば危害を加えようと望んでいるといった筋道に沿って、妄想の内容に関連するパラノイア的な思考内容を展開していくこともあるだろう。 
 



 2.2.4 一次的妄想vs二次的妄想

 妄想が何らかの理由を根拠に述べられたり論拠をもって擁護されるかどうかによって、妄想は一次的または二次的なものと記述されることができる。一次的妄想と二次的妄想を区別する伝統的な仕方は、一次的妄想が「どこからともなく発生する」という考え方による(Jaspers 1963)。このような伝統的な特徴づけには問題があることが判ったのだが、それは、その妄想を抱く人の推論の過程で妄想が生ずるための先行要件があるかどうかを見極めることが難しいからであるし、それ以外にも方法論的な理由や臨床的な理由もあったからである (e.g., Miller and Karoni 1996, p. 489)。妄想に関する最近の哲学的な文献には、この区別についての新たな解釈を提供するものがあり、そこでは自分の妄想の内容を理由をもって承認することができる人と、それができない人を区別する必要性が感じられるようになった(Bortolotti and Broome 2008は作者のいる妄想と作者のいない妄想について語っている。Aimola Davies and Davies 2009は、同様の方針に基づいて、信念の病理と病理的信念を区別する)。






」(つづく)






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