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妄想とは何か (1) [探求]

  スタンフォード大学の「哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy)」の「妄想(Delusion)」の項目を紹介する。

 「妄想」というテーマについては、私自身けっこう強いこだわりがあって、以前にもエドワルド・ハンダートの論文を紹介したことがある。(「妄想-生き延びる戦略(序論)」(http://miksil.blog.so-net.ne.jp/2010-11-03)や「妄想-生き延びる戦略」(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2009-09-29-1))。

 結局、妄想がなぜ興味深いトピックスになるかと言えば、その逆を考えてみればすぐわかる。つまり、虚偽ではない、「真の」、「外的現実」についての本当の知覚とは何か、という問いと表裏一体なのである。だから、妄想について問うことは、真理とは何か、現実とは何かという問いからそれほど離れてはいないのである。



Delusion  First published Wed Sep 16, 2009; substantive revision Fri Oct 11, 2013  By Lisa Bortolotti.

http://plato.stanford.edu/entries/delusion/






  妄想  (1)



  妄想とは、痴呆や統合失調症のような精神病理的障害の症状の一つであり、妄想的な障害を特徴づけるものでもある。ここに妄想の二つのケースの短い描写を紹介しよう。最初の例はエロトマニア(Erotomania)、つまり、自分はステータスの高い人(しばしば有名人)によって愛されているという妄想の報告例である。次の例はコタール妄想、つまり自分は死んでいるという妄想の報告例である。



  「彼女は、彼が自分なしには空虚なので自分のことを追いかけていることを、しかし自分たちが一緒になることを敵が妨げていることを知っていた。その敵の中には多くの人々がいた。自分の家族、クラスメート、隣人たち、そして自分たちを離れ離れにさせようと画策している多くの人々がいた。彼女は自分の下す結論が正しいことがわかっていた。なぜなら彼が愛してくれていることを示すメッセージを自分に送ってくれるからだった。それらのメッセージはしばしば特定の州の車のナンバープレートであったり、紫という色だったり、彼女が周囲から受け取る別のサインだったりするのだが、それらは彼女に彼が自分を愛してくれていることを証明してくれているのであった」(Jordan et al. 2006, p. 787)。


  「彼女は繰り返し自分が死んでいると述べ、診断に先立つ2週間前に(つまり、2004年11月19日の入院のころに)死んだとしつこく言いはった。こうした信念を述べるとき、彼女は極度にふさぎ込み涙を流し、自分がいる病院が「天国」なのかどうかをとても知りたがった。どうして自分が死んだと思いたがるのかと尋ねられると、「どうしてかは判らないわ。インフルエンザにかかって、11月19日にここに来たのは知っています。多分私はインフルエンザで死んだんだわ」と彼女は答えた。興味深いことに、彼女は、「ボーイフレンドに対してちょっと奇妙な感じを覚えた。彼にキスできない、奇妙な感じなの――彼が私を愛していることはわかっているのだけれど」とも述べた」(McKay and Cipolotti 2007, p. 353)。



  エロトマニアの場合にしばしばそうなるように、妄想の中身は俗っぽいものになることもあるし、間違っている必要もない。自分の夫が浮気をしているとか隣人がテロリストだという妄想を人が抱き、それが実際正しい信念であることもあるかもしれないからだ。コタール妄想の場合のように、妄想の中身がとても奇妙であることもある。別の例をあげよう。鏡に映った自分を自分だと認識できない例があるのだが、それは、鏡の中の人物が自分の鏡像ではなく赤の他人であるという妄想であり、カプグラ妄想は、自分の配偶者や親せきが詐欺師にすり替えられたという妄想である。どんなタイプの妄想もある程度は修正できない(rigid)、つまり、反証が示されてもそれに抵抗する傾向があるので容易に放棄されないのである。すべての妄想は心から確信をもって述べられるのだが、妄想をもっている人々の振る舞いはその妄想の中身とつねに完全に首尾一貫しているというわけではない。迫害の妄想をもっていて自分は悪意をもつ人々に追われていると信じる人々は、大変おびえた状態で暮らしていて、その結果として仕事を辞め街から街へと転居することもある。それとは逆に、人々の振る舞いに大きな影響を及ぼさない妄想もある。入院患者の中には、看護士が自分を毒殺しようとしていると言いながら、食事を食べるのをやめない人もいるのである。


  ここで私は妄想を中心とした哲学的な論争のいくつかを取り上げるだけにする。セクション1で、私は妄想の哲学的な意義を概観する。セクション2で、私は妄想についての異論の多い定義をめぐる諸問題を紹介してから、妄想のタイプのありがちな区別のいくつかを説明する。セクション3で、私は妄想の本質と形成に対するもっともすぐれた理論的アプローチを取り上げ、そうしたアプローチから生ずる概念的な問題に光を当てる。セクション4で、私は妄想に関する哲学的な文献においてもっともよく議論されるテーマから三つを取り上げ再検討する。その三つのテーマとは、妄想は非合理的なものかどうか、妄想は信念かどうか、妄想はどの程度自己欺瞞のケースと重なり合うのかというテーマである。こうした問題の検討は、最終的には、妄想が別の病理的信念や非病理的信念とどれほど違うのかということを理解することに帰着するのである。



    1.妄想の哲学的な意義
       1.1 心の哲学と心理学の哲学における妄想
       1.2 精神病理学の哲学における妄想
       1.3 道徳的心理学と神経倫理学

    2.妄想の本質
       2.1 妄想を定義する
       2.2 妄想の諸タイプ           
 
   3.妄想に対する理論的アプローチ 
       3.1 妄想についての神経心理学的説明と精神力動的説明
       3.2 妄想のボトムアップ理論vsトップダウン理論
       3.3 妄想形成の一要因理論、二要因理論、述定錯誤理論

    4.妄想と連続性のテーゼ
       4.1 妄想は非合理的なものか?
       4.2 妄想は信念か?
       4.3 妄想は自己欺瞞と重なり合うものか?       
 



   1.妄想の哲学的な意義



    近年、妄想は、少なくとも三つの違う領域の哲学者の関心を引きつけてきた。私は取り上げられてきた一般的な問題を手短に要約してから、こうした領域のそれぞれにとって発生する具体的な議論のいくつかの実例を提供する。



   1.1 心の哲学と心理学の哲学における妄想


   心の哲学と心理学の哲学では、妄想の形成に関係のある認知的プロセスを理解しようとするさまざまな試みが現れたが、それらは、認知的神経心理学で広く共有されている前提、つまり、そうしたプロセスを理解することでノーマルな認知のもっと経験的に健全な理論が形成されることになるだろうという前提に基づいていた(Marshall and Halligan 1996, pp. 5–6; Langdon and Coltheart 2000, pp. 185–6)。例えば、妄想は病理学的な信念であると仮定してみよう。そうした妄想はいかにして生ずるのか? 人が妄想的信念を形成するのは、奇妙な経験に対する反応としてなのか? あるいは、推論になんらかの欠陥があるために妄想的信念を形成してしまうのか? 妄想形成を詳しく説明できるならば、非病理的な信念の形成の詳細も具体的に肉づけできるだろうと思われていたのである。    

 上の問いかけがすでに示唆しているように、妄想を研究すると、志向性についての概念的問いかけや、志向性と合理性と自己-知の関係についての問いかけにまで発展していくものである。さらに、知覚と認知と意図的な振る舞いとの相互作用も再検討したくなるものである。一つの根底的な問いは、何が最初なのか、経験が先なのか信念が先なのかという問いである(Campbell2001)。妄想は、世界を見る見方を変更するとても奇妙な確信なのか、それとも何らかの異常な経験を説明するために練り上げられ、信念として承認されるにいたった仮説なのか? 論争の対象となる別の問題は、妄想が想像上の行為と特徴を共有している(Currie 2000)とか、欲求と特徴を共有している(Egan 2009)とか、知覚と特徴を共有している(Hohwy and Rajan 2012)とかするならば、妄想はそもそも信念として特徴づけられるべきかどうかという点である。もし妄想が合理性の規範からの著しい逸脱を示していて、ほかの信念と矛盾していたり利用できる証拠に応えられないこともしばしばあるとすれば、妄想は信念といえるのだろうか?  ベインとペイチェリー(Bayne and Pacherie (2005))やボルトロッッティー(Bortolotti (2009))は、妄想が信念という本質をもっているという説を擁護したが、これは今でも熱い議論が交わされている問題である。

 シュウィッツゲーベル(Schwitzgebel (2012))は最近興味深い立場を擁護したが、それによると、妄想は信念の傾向性の一部にしかマッチしないので、妄想は中間的な状態(信念でもないし非-信念でもない)であるという。シュウィッツゲーベルの立場は、最近、妄想は意図的な行為を説明したり予測したりするうえで信念としての役割を果たしていると主張する哲学者たちの反論を受けた( Bortolotti 2012; Bayne and Hattiangadi 2013)。



  この領域で形成されつつある別の研究は、妄想をもつ人々が示す自己知(self knowledge)の失敗の可能性にかかわるものである。妄想では自己の知識が乏しいことがしばしば明らかにされてきた(Kircher and David 2003; Amador and David 1998)。受動性の妄想を語る人々は、ある動きや思考を自分自身のものとしては認識せず、自分個人の境界について歪んだ感覚をもっていることがある(Stephens and Graham 2000)。妄想をもつ人々は、妄想の中身と矛盾するような仕方で行為したり感じることがあるし、ほかの人ならば十分な理由とみなす理由が示されても、自分の妄想の中身を承認することはできないこともある(Gallagher 2009; Bortolotti and Broome 2008, 2009; Fernández 2010)。最後に、妄想を語る人々は、自分が経験した過去を思い出すのに困難を覚えたり、自分についてのしっかりした物語を作り上げることがないので、自分自身を未来に位置づけることに困難を覚えることもある(Gerrans 2009)。



   1.2 精神病理学の哲学における妄想 


   妄想の病因や妄想の信念としての身分についての文献に加えて、妄想の本質の別の側面や妄想がメンタルヘルスに及ぼす影響について研究する文献が精神病理学の哲学において増加中である。これらの文献が目指しているのは妄想の経験や妄想的な信念を精神病理的な研究や臨床的な実践というより広い文脈の中で概念化することである(ただし、そうかといって、メンタルヘルスの専門家や患者が妄想の診断や治療において直面する必要のある実際上の差し迫った問題を無視することはない)。精神病理学の哲学におけるもっと一般的な論争は、統合失調症や妄想的な障害にかかわるもので、たとえば、精神病理学的な障害を自然にあるものとして記述する困難や、正常なものと病理的なものの境界線の正当化を提供する困難に関するものである。そうした論争では妄想が顕著な役割を果たしている。例えば、「妄想」は自然にあるものなのかどうか(Samuels 2009)、臨床的に扱われる妄想を、神の啓示についての宗教的な信念やパラノイア的な信念などの正常な認知において広く行き渡っている妄想的な考え方から区別する原理的で価値判断のからまない方法があるのかどうか、そういう問いを哲学者たちは発している(Fulford 2004)。


  何が妄想を病理的な妄想にするのかという問いに対しては、少なくとも六つの排他的ではない答えが考えられる。

 ⅰ.妄想が病理的なのは、妄想ではないものとして現れるからである。妄想は信念に似ているが、行為を導くといった信念にある核心的特徴のいくつかを共有していないし、不合理な信念よりももっと高度に不合理であったり質的に違っている(Currie and Jureidini 2001 and Frankish 2009))。


 ⅱ.妄想が病理的なのは、その妄想をいだく人がフィクショナルで実際にはない現実に住んでいて、自分の周囲の人々と何らかの根本的な信念や習慣的な行為をもはや共有していないからである(Stephens and Graham 2004 and 2006; Sass 1994; Gallagher 2009; Rhodes and Gipps 2008)。


 ⅲ.妄想が病理的なのは、心理的に当然予想されることを妄想がかき乱し混乱させる――人々の思いをものともしない限りで――からであり、この特徴のために、妄想は合理化や解釈の余地を減らしてしまうからである(この考え方はCampbell 2001で探究されている)。 


 ⅳ.妄想が病理的なのは、(多くの不合理な信念とは違って)妄想が社会的行動を損ない、社会的な孤立や引きこもりをひきおこすために、妄想を抱く人の幸福に否定的な影響を与えるからである(妄想の多次元的な説明についてはGarety and Freeman1999、心の病一般の害に関する説明についてはBolton 2008)。


 ⅴ. 妄想が病理的なのは、妄想が犯罪にかかわる意味合いをもっているから、つまり、行為者が自分のした行為に対して法的な責任を取れるかどうかについての判断にかかわる意味合いをもっているからである。Hohwy and Rajan (2012)の主張によれば、意思決定や自立的行動や責任において著しい障碍を認めるとき、我々はそこに妄想を認める傾向があるのだという。


 ⅵ.妄想は病理的なのは、その病因のためである。他の信念とは違い、妄想は機能が失調したあるいは欠陥が生じたメカニズムによって生み出されるものである。例えば、妄想の形成プロセスは知覚異常や推論上の偏りや欠陥によって特徴づけられるかもしれないのである。



  ⅰ)にとっての難点は、根拠がないのに変更には抵抗する一般的な信念の非合理性(迷信や、エイリアンによる誘拐に対する信念)と妄想の非合理性の種的な違いをどう説明するかとい点にある。正常な人々にも妄想的な現象が広くいきわたっていることを示すものは沢山あるが、それは正常なものと病理的なものをきれいに分ける境界線なるものが一つの単純化にすぎないということを示している(Maher 1974, Johns and van Os 2001, and Bentall 2003)。 


  ⅱ)とⅲ)の説明は、常識をものともせずある種の際立った経験を伴う妄想には当てはまるかもしれないが、嫉妬や迫害といったもっとありふれた妄想にも等しく当てはまるとは思われない。それに、誰かに信念としての妄想を帰することで、その人の振る舞いの説明や予測が特に困難になるということは常に明白だとは限らない。


  ⅳ)で述べられた見解は、人の心理的・社会的生活の別の側面に及ぼす影響という点から妄想と非合理的信念の区別をとらえているがゆえに、とても魅力的である。しかし、妄想の説明の中で幸福や害という概念を使うことは問題があるだろう。なぜなら、妄想をもって生きていくほうが、妄想をもたずに生きていくことよりも望ましいこともありうるからである。自分は長年テレビの有名なニュースキャスターであったと信じるのをやめ、その代わりにずっと精神的に悪かったということを受け入れ始めることは低い自尊感情を生み出し、それによってうつ状態や自殺念慮を生み出すこともあり得るからである。


  ⅴ)の犯罪的な観点からの妄想の説明にとっての難点は、妄想を経験する人々が示す振る舞いが人それぞれであるという点にある。自律的な決断が著しくできず、そのために行為者が責任を持てない行為を生み出してしまう妄想もあるだろうが、これが一般化できる現象であるということは明白ではない。妄想が存在してるからというだけで、自律性や責任がないということになるだろうか?  Broome et al.(2010) は、犯罪的な行為における妄想の役割についての興味深い問題を提起するケーススタディーを取り上げている。



  なぜ妄想は病理的なのかという問いに対するⅵ)の病因論的な答えは、もっと良く研究される必要がある。現在のところ、推論の偏りは正常な推論にも影響を及ぼし、妄想をもつ人々においてのみ存在するわけではないということが、研究者たちの一致した見解であるように思われる。知覚異常はある種の妄想形成を説明できるが、あらゆる妄想形成の核心的要因であるとは限らない。信念の形成に含まれる仮説の評価システムに生ずる問題は、あらゆる妄想の起源にあるかもしれないが、その問題は恒常的な欠陥なのかパフォーマンス上の誤りにすぎないのかについては意見の一致は全く見られない。だから、病因論的考察によって、病理的信念と非病理的信念がカテゴリーとして区別できるという考え方が支持されるかどうかは明らかではない。



  1.3 道徳的心理学と神経倫理学


  道徳的心理学と神経倫理学が研究するのは、心の哲学と精神病理の哲学における妄想の本質についての議論が、妄想をもつ人が道徳的な共同体にどのような形で参加する権限があるかという問題に、どれほどの意味を持つかということである。この中には、人の権利や責任が、その人が妄想をもつことでどれぐらい影響を受けるかということをよりよく理解する試みも含まれる。例えば、妄想をもつ人がある種の仕方で扱われることに同意する能力をもはや持たなくなるのはどのような時かを決定し、彼らに十分なケアを施すことを確約し彼らの利益を守ることは重要である。そしてもし彼らが、妄想の内容を信じることによって引き起こされた暴力的な行為やその他の犯罪を犯した場合、その行為に対して道徳的な責任があると見なしうるかどうかを理解することも重要である。


  妄想をもつ人がその精神的な疾病の急性期にいる場合によく見られる合理的思考や自己知の失敗の結果として、その人にはまるで「二つの心」があるように見えたり、首尾一貫した信念や好みをもつ統一的な行為者として常に現れるとは限らなくなることもある(Kennett and Matthews 2009)。その結果として、彼らは自律的な思考や行為に対する能力を発揮することが(局所的にあるいは一時的に)できなくなることも考えられるのである。





」(つづく)








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