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人格のアイデンティティーとは(4) [探求]

スタンフォード大学の「哲学百科事典(
Stanford Encyclopedia of Philosophy)」の「人格のアイデンティティー」を紹介する第四回目。第四章の「心理学的アプローチ」を見ていく。




Personal Identity (Eric T. Olson)

First published Tue Aug 20, 2002; substantive revision Thu Oct 28, 2010

http://plato.stanford.edu/entries/identity-personal/






 人格のアイデンティティー(4)



 4.心理的アプローチ

 ほとんどの人は――やはり、西洋哲学の教師や学生のほとんども――「心理的アプローチ」に即座にひかれるものを感じる。たとえあなたの脳が移植されても、自分の脳があればうまくやっていけるのは明白であるように見えるし、しかもそれはあなたの脳があなたの記憶とほかの心的な特徴を伴っているからだ、ということも明白であるように見える。脳を移植された人は、自分があなただと信じるだろう。そしてこの信念がどうして間違っているといえるだろう ? そうなると、私たちの通時的アイデンティティーは心理学に関係していると容易に想定したくなるのだ。しかしながら、この確信から「持続問題」に対するもっともな答えに至るのは悪名高いほど困難なのである。

 私たちの通時的アイデンティティーはどんな心理的関係のうちにあるのだろう ? 私たちはすでに記憶に言及した。過去または未来の存在があなたであるのは、あなたが今、かつてその存在がもった経験を思い出せる時に限るのであり、またその逆がなりたつときに限る。この主張は二つの反論に直面することになるのだが、その反論は 18世紀にシーアジェントとバークリーによって発見されたが(see Behan 1979)、リードとバトラーによって議論の対象になったことの方が有名である(細部についてはPerry 1975を参照)。

 まず第一に、ある大学生の少女が図書館の本を期限が過ぎても返さなかったために罰金を受けたと想定してみよう。後年、その大学生は中年の弁護士になっているが、彼女は罰金を支払ったことを覚えているとしよう。もっと後になって、もう高齢になった彼女は法律家としての経歴は覚えているが、罰金を支払ったことだけでなく、若い時に自分がした他のすべてのことすっかり忘れてしまっているとしよう。「記憶の基準」によれば、その大学生の少女は中年の法律家であり、その法律家はその老女であるのだが、その老人はあの大学生の少女ではないことになってしまう。これはありえない結果である。もしXとYが同一で、YとZが同一ならば、Xと Z が違う二人であることはありえない。同一性とは推移的な関係であるが、記憶の連続性はそうではないのだ。

 第二に、あなたはあなた自身の経験しか思い出すことができないということは記憶という観念そのものに属しているように思われる。罰金を支払ったこと(あるいは支払うという経験)を覚えていることは、自分自身が支払ったことを覚えているということである。だから、あなたとはその経験をあなたが思い出すことができるところの人間である――つまり、記憶の連続性が人格のアイデンティティーにとっての十分条件である――と言うことは内容のない、新たな情報を与えない言い方なのである。それが新たな情報を与えない言い方であるのは、誰かが過去のある経験を真に覚えているかどうかをあなたが知っているならば、あなたはすでにその人がその経験をした人であるかどうかを必ず知っていることになるからである。例えば私達が、今存在しているプロットが、過去のある時点で存在していたことを私たちが知っているクロットと同一人物であるかどうかを知ろうとしているとしてみよう。記憶の基準が私たちに語るのは、プロットがクロットであるのは、プロットが、その過去の時点で生じた クロットの経験を今思い出すことができる場合である、ということである。しかし、プロットがその時点での クロットの経験の一つを思い出せるらしいことが真の記憶として見なしうるのは、プロットが実際にクロットである場合にかぎるのである。プロットが クロットであるかどうかを語る原則を適用する以前に、私たちはプロットがクロットであるかどうかをすでに知っていなければならないのだ。(ただし、このことは、記憶のつながりが私たちの存続にとって必要条件であるという主張に対する反論とはならないことに注意せよ。この主張には、内容がないとか新たな情報を与えないということはないのである)。


 第一の問題に対する一つの答えは、直接的な記憶のつながりから間接的な記憶のつながりに転換することで「記憶の基準」 を修正することである。あの老齢の婦人が若い大学生であるのは、法律家が大学生の時の生活を覚えている時点でその法律家が持っていた経験を彼女が思い出せるからである。第二の問題は、記憶を新しい概念によって置き換えることによって、伝統的に対処されてきた。その新たな概念とは「回想的認知」だったり「記憶に準ずる経験」だったりするのだが、それらは記憶によく似ているが同一性は要求されないものである。私は、私がしたわけではなくほかの誰かがしたことをしたのを覚えているということは自己矛盾しているとしても、私はそれについての「記憶に準ずる経験」はもっている、という考え方である(Penelhum 1970: 85ff., Shoemaker 1970。批判についてはMcDowell 1997)。

 しかしながら、どっちみち大した結果にはならないのである。なぜなら、オリジナルの「記憶の基準」も修正された「記憶の基準」ももっと明白な難問に直面するからだ。それは、私が思い出すことができないし、それについての「記憶に準ずる経験」ももっていないし、間接的に記憶の連鎖を重ねていっても現在の私が結び付くことがないような私の過去の時点がたくさんある、ということである。例えば、昨晩私が夢を見ることもなく眠っていた時に私の身の上に起ったことを私が思い出せる時点というものは存在しない。「記憶の基準」には、私が全く意識を持たなかったどんな時点でも私は決して存在しなかったというばかばかしい主張が含まれている。昨晩私のベッドで眠っていた男性は別人だ、ということになってしまうのである。


 もっとましな解決策は因果的な依存関係に訴える(Shoemaker 1984, 89ff.)。私たちは、心理的なつながりと心理的な連続性という二つの概念を定義できる。ある未来の時点である存在が現在の私と「心理的につながっている」のは、その存在がその時点での心理的な状態にいられるのは、大部分は、私の現在の心理的状態のおかげなのだ。以前の経験について現時点で記憶(または記憶に準ずる経験)をもっているということは、ある種の「心理的なつながり」――ある経験 がその経験の記憶を因果的にひき起こすというつながり――であるが、別の種類の「心理的なつながり」も存在している。重要なことは、自分の現在の心的状態は、意識がなかった時点で自分がいた心的状態によって部分的に因果的にひき起こされていることもある、ということである。例えば、私の現在の信念のほとんどは、私が昨晩寝ていた時に持っていた信念と同じである。そうした信念は、自己自身が引き続き存在するように因果的にひき起こしていたことになるのだ。こうして、私たちは第二の概念を次のように定義できる。私が過去または未来の私と「心理的に連続」しているのは、私の現在の心的状態のいくつかが、心理的つながりの連鎖によって、過去または未来の私の置かれている心的状態に関連する場合である。


さて、ある時点で存在しているある人 Xが別の時点で存在する Yと同一であるのは、一方の時点での Xが、他方の時点での Yと心理的に連続している場合に限る、としてみよう。このように考えるならば、「記憶の基準」に対するもっとも明白な反論は回避できる。

 しかしそれでも重要な問題は答えられていないのである。ちょうどあるコンピューターのドライブの内容を別のコンピューターのドライブにコピーできるように、あなたの脳のすべての心的内容を私の脳にコピーできるとしてみよう。そして、このプロセスが二人の脳のこれまでの内容を消去してしまうとしてみよう。これが心理的連続性の場合であるかどうかは、どのような種類の因果的依存関係が重要であるかにかかっている。結果として生ずる存在(私の脳とあなたの心的内容を備えた存在)は、心的には以前のあなたに似ていて、かつての私には似ていないだろう。その人は、ある意味で、あなたの心的特性を受け継いだことになるだろう――が、しかしそれは滑稽な受け継ぎ方である。それは正しいあり方なのだろうか ? あなたは、「脳の状態の移転」によってある人間から別の人間へと文字通り移ることができるのだろうか ? 「心理的アプローチ」を主張する人々はそうは考えないのである (Shoemaker 1984: 108–111 and 1997, Unger 1990: 67–71)。(Schechtman 1996 は、心理的連続性の戦略に対する興味深い反論を提示しているが、彼は「心理的アプローチ」を放棄していない.)。

 


」(つづく)





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