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人格のアイデンティティーとは(3) [探求]

スタンフォード大学の「哲学百科事典(
Stanford Encyclopedia of Philosophy)」の「人格のアイデンティティー」を紹介する第三回目。第三章の「3.通時的アイデンティティーについての諸々の説明(Accounts of Our Identity Through Time)」を見ていく。ようやく、ここにきて、アイデンティティーについての大筋が見えてくる感じである。




Personal Identity (Eric T. Olson)

First published Tue Aug 20, 2002; substantive revision Thu Oct 28, 2010

http://plato.stanford.edu/entries/identity-personal/






 人格のアイデンティティー(3)





 3. 通時的アイデンティティーについての諸々の説明



 持続の問題に対して提起されたほとんどすべての答えは三つのカテゴリーのどれか一つに当てはまる。第一のカテゴリーは心理的アプローチであるが、それによればある種の心理的な関係が成り立っていることが人が持続するために必要であるか十分である(あるいは必要十分である)。あなたは、あなたから心的な特徴――信念、記憶、好み、合理的思考の能力などのもの――をある意味で受け継ぐ未来の存在であるし、あなたは、その心的な特徴をこうしてあなたが受け継いだ過去の存在でもある。これがどのような種類の継承でなければならないかについては論争がある――たとえばそれが、ある種の肉体的連続性によって支えられていなければならないかどうか、または「枝分かれしてはならない」という条件が必要なのかどうか、という論争である。また、どんな心的な特徴が受け継がれる必要があるかについても意見の相違がある。(これらの問題のいくつかについては後で立ち帰るつもりでいる)。しかし、20世紀初頭から人格の同一性について論じてきた哲学者のほとんどは、何らかの心理的アプローチを支持してきた。以前に言及した「記憶の基準(Memory Criterion)」はその一例である。心理的アプローチを支持した人としては、ジョンストン(1987)、ギャレット(1998)、ハドソン(2001)、ルイス(1976)、ナーゲル(1986,40)、ヌーナン(2003)、ノージック(1981)、パーフィット(1971; 1984, 207)、ペリー(1972)、シューメーカー(1970; 1984, 90; 1997; 1999)、アンガー (1990, ch. 5; 2000)がいる。

 第二の考え方は、私たちの通時的アイデンティティーは何らかの生物的で肉体的な関係のうちに成り立つというものである。あなたは、あなたの肉体をもつ、またはあなたと同じ生命体である過去または未来の存在である。あなたが生き延びるか滅びるかは心理的事実とは何ら関係がない。これを身体的アプローチ(Somatic Approach)と呼ぼう。(これは、誰が誰であるかを発見する際に心理的な証拠よりも肉体的な証拠の方が優先権があるという見解と混同されるべきではない。それは証拠の問題 (Evidence Question)と関係するのである)。この考え方の提唱者には、エイヤーズ (1990: 278–292)、カーター(1989)、マッキ―(1999)、オルソン(1997)、ヴァン・インヴァーゲン (1990)、ウイリアムス (1956–7, 1970)がいる。

 真実はこれら二つの見解の中間にあると考える人もいるだろう。私たちは、生き延びるために心的な連続性と肉体的な連続性の両方を必要としているのであって、もう一方のものがなければどちらか一方だけでは十分ではないだろう。ここでテストケースを紹介してみよう。あなたの脳が私の頭に移植されたと想像してみよう。結果として二つの存在が生じる。あなたの大脳とあなたの心的な特徴のほとんどをもつ人格と、脳が取り除かれ頭が空っぽになった存在である。後者は生物学的に生きているといえるかもしれないが心的な特徴を何ら持っていない。脳移植の結果あなたの脳を得た方があなたなのだと言う人々は、あなたが存続するためには心理的なものを含む何らかの関係があれば十分であると思っているがゆえに、普通そう言うのである。その人たちは心理的なアプローチを受け入れている。頭が空っぽになった植物人間の方があなたであると言う人は、身体的アプローチのようにあなたのアイデンティティーは全く非-心理的なものに成り立っていると見なしているために、そう言うのである。

 心理的なアプローチも身体的アプローチも、私たちが存続するために必要なものがあると考える点で一致している――つまり、私たちの通時的アイデンティティーは、自分自身とは違うもののうちに成り立つか、そこから必然的に由来すると考える点で一致しているのである。このことを否定する第三の見解があって、それは基準を立てることに反対する反基準主義(Anticriterialism)である。心的な連続性と身体的な連続性はアイデンティティーが成り立つための証拠となるが、常にそれを保証するわけではないし、必要ではないかもしれないとその見解は考える。どんな種類の連続性も、あなたが生き延びるための必要十分条件とならないのである。存続の問題に対する唯一の正しい完ぺきな答えは、ある時点で存在する人格が別の時点で存在する人格と同一なのは、その両方の人格が同一である場合に限るという内容のない言明なのである、というのである(スワインバーン1984、ローウィー1996: 41ff、メリックス1998、ジィマーマン1998)。反基準主義はあまり理解されていないが、もっと注目されるに値する考え方である。

 持続の問題には答えがなければならないように思われる。これら三つの見解のうちのどれか一つ、あるいは私がまだ言及していないもう一つの見解のどれかが真でなければならない。あなたのようなものが存在しているならば――そこに坐っていて今この文章を読んでいるものが存在してるならば――、それが存続するために必要であり十分である何らかの条件がなければならない。それらの条件は心理的なものを含むか、ただ単に生物的で肉体的な連続性しか含まないのか、それとも何か別のものを含んでいるか――それとも、反基準主義が述べるように、そうした条件は内容も情報もないものであるかのいずれかである。おまけに、真でありうるのは、そうした見解のうちせいぜい一つであるだろう。しかしながら、私たちはセクション8でこの主張を訂正することになるだろう。







」(つづく)

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