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靖国にはヒーローしかいない [雑感]

 今朝の朝日新聞の記事によると、安倍首相がダボス会議の場で次のように語ったという。

 「いわゆるA級戦犯を称揚するためではない。そこには(戦争の)ヒーローがいるのではなく、戦争に倒れた人々の魂があるだけ。憎しみもないし敵意もないし、人を辱めようというつもりはない」(http://www.asahi.com/articles/ASG1Q7WBDG1QUTFK017.html?iref=comtop_list_pol_n03)。



 「ヒーロ―」という言葉を聞くと、私は、かつてサッカー日本代表の監督をつとめたイビチャ・オシムを思い出す。監督就任後、初の国際試合で勝利した後のインタビューで、オシムは次のように語った。



 「
 ―― 今日2ゴールした三都主はMFに適正があると思うか?

 今日は彼だけがヒーローではない。英雄とは、すでに墓の中にいる偉大な人物のことを指す。三都主はまだ生きているではないか。この英雄の定義というのは私なりのものだが、ある試合で得点を挙げてヒーローになり、ある試合で失敗をしてけなされるのは、選手にとって気持ちのいいものではないだろう。私にとって重要なのは、代表に選ばれていることを(選手に)自覚してほしいということ。その一員であることに誇りを持つことが大事だ。

」  (http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200608/at00010195.html



 私は特にサッカーが好きだという訳でもオシムに興味があったというわけでもないのだが、なぜかこの時のインタビューは記憶に残っている。その理由を言う前に、このインタビューがかなり混乱しているということを言っておかなければならない。記事には述べられていないが、たぶん、「今日のヒーローは三都主ですよね・・・」という形で、インタビューアーが「ヒーロー」という言葉を使ったのだろう。そして、たぶん、オシムは何を聞かれているのか理解できなかったのだろう。でなければ、オシムが「ヒーロー」という言葉に関して、「ヒーローとは、すでに墓の中にいる偉大な人物のことを指す」と断ったりしなかったはずだからである。しかし、そのインタビューアーも、この記事を書いた記者も、この記事を読んだほとんどの人もオシムが何を言っているのか判らなかっただろう。

 
 私は、オシムのその言葉に接したとき、「ヒーロー」という言葉の古い意味がまだ(少なくともヨーロッパでは)人々の脳裏に残っているのを知って、少なからず驚いた。サッカー好きともいえない私が、オシムの言葉を覚えていたのは、そういう事情があったためである。

 
 「ヒーロー」という言葉は、たいへん古い由来をもつ言葉なのだが、ネットで調べても出てこなかったので、手近かにある書物(ハンナ・アレント『人間の条件』第25節)から引用してみよう。



 …the word "hero" originally, that is, in Homer, was no more than a name given each free man who participated in the Trojan enterprise and about whom a story could be told. … In Homer, the word heros has certainly a connotation of distinction, but of no other than every free man was capable. Nowhere does it appear in the later meaning of ''half-god,'' which perhaps arose out of a deification of the ancient epic heroes.

 (「ヒーロー」という言葉は、元来は、つまりホメロスにおいては、トロイア戦争に参加し、物語りの対象となりうる自由人一人一人に与えられた名称にすぎなかった。・・・ホメロスでは、ヒーローという言葉はたしかに卓越という含意をもっているが、しかしその卓越はあらゆる自由人がなしうるものにすぎなかった。「半神」という後の意味で使われることはない。それは、たぶん、古代の叙事詩における英雄たちを神格化したことから生じたものであろう)
 


 

 
 「ヒーロー」という語が、元来の「戦争に参加した者」から、「戦死者」に転じ、それが後に神格化されて「半神(half-god)」という意味で使われるようになったことが、この説明で判るだろう。


 オシムの脳裏にホメロスの一節があったわけではないだろうが、ヒーローとは「墓の中にいる偉大な人物」のことだという発言から、少なくとも「戦死者」や「半神」という意味でオシムが理解していたことは確かであると言っていい。こういう古くからある言葉の意味が、まだヨーロッパでは共有されているのだ。 少なくとも、ヨーロッパの教養層では共有されている、と言うべきなのかもしれないが。
 

 オシムにインタビューした人にとっては、ヒーローとは、アメリカのアクション映画のヒーローのような人物のことだったのだろう。だから彼には、オシムの言葉が理解できなかったのは確かだろう。それと同様に、安倍首相の「靖国には戦争のヒーローがいるのではない」という言葉も、少なくともヨーロッパの教養ある人々には、違和感を引き起こすに違いない。なぜなら、靖国には戦争のヒーローしかいないからだ。





  ヒーローには哀悼の意が捧げられなければならない。「憎しみも敵意もなく」哀悼の意が捧げられなければならない。ただし、それは、どんな国のどんな人にも当てはまるのでなければならない。誰もが戦争の犠牲になった人に哀悼の気持ちを捧げられる場でなくてはならない。そこで初めて死者に平安が訪れるのだ。アーリントンの国立墓地はそのような場所である。何人もの歴代の日本の首相がアメリカ大統領とともにそこを訪れ、哀悼の意を表した。哀悼の意を両国の指導者が共有することで、戦争は追想の対象となり正式に過去のものになるのだ。しかし靖国神社はそのような場所ではない。アメリカ大統領が現状のままの靖国神社を訪れることは決してないだろう。そこは、日本人の鎖国的メンタリティーが凝縮された場所にすぎないからだ。そこに、靖国をめぐる問題の核心がある。





コメント(1) 
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コメント 1

山ちゃん

ヒーローの持つ深い意味が理解できました。

欧米人の教養、常識と日本語とは大きな差があることにきずきます。

毎回、丁寧な時事解説を交えたお話に興味を持って拝読しております。ますますのご活躍を期待申し上げます。
by 山ちゃん (2014-02-17 06:38) 

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