So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

かつての日本人収容所を考古学者が探究する [海外メディア記事]

 戦後、その存在自体が忘れられてしまった日本人の強制収容所について触れたドイツ『シュピーゲル』誌の記事を紹介する。

 歴史学者ではなく考古学者が調査しているということが、忘却・消滅の深さを物語っている。ちなみに、記事の最後にも出ているが、この発掘作業についてはアイダホ大学のサイトで見ることができる(http://www.uidaho.edu/class/kicap/about)。


 
Archaologen untersuchen, was nach Pearl Harbor geschah

16.08.2013 | Von Angelika Franz

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/zwangsinterniert-in-idaho-a-916638.html







真珠湾後に起こったことを考古学者が探究する


真珠湾攻撃後、アメリカは「予防のために」約112,000名の日本人を収容所に隔離した。考古学者ステイシー・キャンプは、アメリカ現代史のこの暗い一章を探っている。


image-531205-galleryV9-leki.jpg
発見された茶碗の破片




 1941年12月7日、敵の戦闘機が真珠湾を攻撃したとき、アメリカ本土には約127,000名の日本人が住んでいた。彼らの大半(約80,000名)は、先祖の国を見たこともなかった。彼らや、しばしばその両親もアメリカで生まれ、アメリカ国籍をもっていた。


 しかし、米国太平洋艦隊の司令部に対する攻撃後は、日が経つにつれて感情が高まっていった――「ジャップは信用できない」という感情が。「ジャップはジャップだ!」と、西部防衛軍の司令官であるジョン・L.デウィット中将は、倦むことなくジャーナリストたちに再三語った。




 2月19日、大統領フランクリン・D.ルーズベルトは大統領行政命令第9066号に署名し、これにより軍の司令官は、「軍事地帯」と見なされる地域の「一部または全員」に立ち退きを求めることができるようになった。太平洋沿岸のオレゴン州、ワシントン州、カリフォルニア州、さらにはアリゾナ州に住んでいた112,000名の日本人にとって、この発令は収容所への強制移住を意味していた。



 いかなる逃亡も無意味だっただろう



 こうした収容所の一つに、アイダホ州の人里離れたビタールート山脈にあるクースキア(Kooskia)があった。兵舎は、収容所に転用される前は、刑務所として使われていたが、フェンスも監視塔もなかった。クースキアはロッキー山脈北部のとても奥地にあるので、脱走しても原野の中で無意味に終わっただろう。したがって、収容所が終戦後解散すると、そこの建物はすぐに再び朽ちてしまった。



 アイダホ大学の人類学者ステイシー・キャンプが、考古学的発掘作業で日米の歴史のこの部分を調査し始めたとき、その存在を証言するものは、かつて居住地があった整地された地面と、給水塔の土台となっていた大きな板状のコンクリートだけだった。



 7000名以上の日本人が収容されたミニドカ・リロケーション・センター(Minidoka Relocation Center)は十分に資料化されているが、クースキアはその256名の収容者とともにすぐに忘れ去られてしまった。「この夏、私たちは、収容者が商品を購入できる収容所の施設を探しました。発見したとは思いますが――これから検証しなければなりません」とキャンプは『シュピーゲル』詩に語った。



 収容者はハイウェイ12を建設した



 クースキアの日本人は、商品を購入するお金はもっていた。アメリカ政府は、収容者を労働力として投入しようと試みたが、これは収容所として初めての試みだった。週給50?60ドルの賃金で、彼らは、アイダホ州とモンタナ州をつなぐハイウェイ12の建設現場で雇われることが許された。仕事はハードで危険だったが、お金を稼げるチャンスがあり、他の大規模な収容所に比べて小さなクースキアの拘束条件は比較的良好だったので、クースキアの人気は高く、他の収容所の男たちがクースキアにとどまることを求めたほどだった。

 
 それゆえ、収容者のすべては男性だった。それ以外に発掘で判ったことは、収容者の多くが故郷の日本との固いきずなを示すものを持っていた―― あるいは少なくとも、自分の茶碗を持ちこんでいたことであった。「龍が描かれている日本の花瓶の破片も発見しました」とキャンプは述べた。「もう2010年に最初の破片を発見していたのですが、とても小さい破片だったし、それが龍だとするのも難しかったのです」。


image-531204-galleryV9-xmsp.jpg
龍の花瓶



 発見されたものの中には、カワウソの姿を示す彫り物があった。収容者がジョッキを持ちこんだのだろうか――それとも、建設現場から戻った後の夜の時間に加工したのだろうか? 「最後に、魅力的な茶碗を発見しましたが、それについてはさらに調べる必要があります」とキャンプはリストの項目を追加した。「それが日本で西洋人のために製造・輸出されたものなのか、日本人のために作られたかものかどうかを私たちは確かめていません」。


image-531202-galleryV9-zdbt.jpg
魅力的な茶碗






 この考古学者の仕事をインターネット上でたどりたいと思う人は、そうすることができる。「私はFacebookの私たちのサイトにたくさんの写真をアップしましたし、発掘の詳細を伝えるブログにのせる新しいエントリ(http://www.uidaho.edu/class/kicap/about)に取り組んでいるところです」とキャンプは記している。






」(おわり)



コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。