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生きるというトラウマ(その2) [海外メディア記事]

 母親のトラウマの話をおりまぜながらトラウマについて精神科医が語った文章の後半。

 筆者の母はが心の奥底で10年間、ひょっとしたら60年間、トラウマを静かに抱えていたというエピソードがひときわ印象深い。




The Trauma of Being Alive   (Page 2 of 2)


By MARK EPSTEIN
Published: August 3, 2013

http://www.nytimes.com/2013/08/04/opinion/sunday/the-trauma-of-being-alive.html?pagewanted=2&_r=0&src=recg






生きるというトラウマ(その2)



 1969年、スイスの精神科医エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kubler-Ross)は、末期患者の診療にたずさわった後、画期的な著書『死ぬ瞬間(On Death and Dying)』の出版によって、死のトラウマを世間に認知させた。彼女は、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という悲嘆(グリーフ)がたどる5段階のモデル??を粗描した。彼女の著書は当時は急進的だった。死を普通の会話のトピックにしたからだが、それは思わぬ効果ももたらした。つまり、私の母がそうだったように、悲嘆(グリーフ)が正当な行為であると人々に感じさせる効果をもたらしたのであった。


 しかし、喪の悲しみは時刻表をもたない。悲嘆(グリーフ)は誰にとっても同じというわけではない。それに常に消え去るとは限らない。今日のセラピストの間で悲嘆についてコンセンサスめいたものがあるとすれば、トラウマに対処するもっとも健全な方法は、それを遠ざけようとするよりは、それに浸ろうとすることであるという信念である。反射的に普通に戻ろうとするのは逆効果なのだ。みんなに合わせて普通でいようとすると、トラウマを抱えた人(私たちのほとんどがそうだが)はかえって違和感を覚えてしまうものなのだ。



 トラウマというと何か大きな変化の避けがたい結果であると私たちは考えがちだが、日常の生活は限りない小さなトラウマに満ちている。物が壊れる。他人に感情を傷つけられる。ダニがライム病を運んでくる。ペットが死ぬ。友人が病気になったり死ぬことだってある。


 「今わが連隊は一斉射撃の目に合っている」と、 60歳になる友人が先日、自分の最も身近な知人の様々な病気を列挙しながら語っていた。「我々は山を越えようとしているところだ」。まさにその通りだが、人生の根底にトラウマがあるのはどの世代に限ったことではない。学校に入学する日と介護施設に入所する最初の日はとてもよく似ている。別れや喪失は誰の心にも響くものだ。


 私の母が、最初の夫の死から立ち直るのに10年もかかったと洩らしたとき、私は驚いた。母が立ち直り始めた頃、私は6歳か7歳だったのか、と私は心中密かに思った。私の父は、思いやりのある医師だったが、母の歴史のその側面には触れようとはしなかった。母が父と結婚したとき、母は最初の結婚式の写真を保管のために姉に預けた。私はその写真のことは知らなかったし尋ねてみようと思ったこともなかったが、父が亡くなった後、母は、自分の人生のこの隠された期間について突然オープンになった。それは、60年間めったに話題にされることなく、待機していたのだ。



 母は、私の父の死に対処するに際して、最初の夫が亡くなったときと同じプレッシャーのもとに自分を置いたのだろう。以前のトラウマが後のトラウマを条件づけて、困難は重くなるばかりだった。彼女と話すとき、私は精神科医であることを嬉しく思い、自分の仏教的な性向に感謝した。深刻にならずに普通にしようよといった気休めを言わずに済んだからだ。


 進んでトラウマ――それが大きいものであれ小さいものであれ、昔からのものであれ最近のものであれ――に直面すること、それがトラウマから立ち直る鍵なのだ。トラウマは、私たちが思うような仕方で消えることはないかもしれないが、おそらく消える必要はないものなのだ。トラウマは無くすことのできない人生の側面なのである。トラウマをかかえ込んでいるにもかかわらずではなく、トラウマをかかえ込んだ結果として、私たちは人間的でいられるのである。





」(おわり)











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