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生きるというトラウマ(その1) [海外メディア記事]

 トラウマについて精神科医が語った文章を『ニューヨーク・タイムズ』より紹介する。オリジナルは2ページにわたっているので、二回に分けて紹介する。

 筆者は『日常生活のトラウマ(The Trauma of Everyday Life)』という本を上梓する予定だそうだ。




The Trauma of Being Alive

By MARK EPSTEIN
Published: August 3, 2013

http://www.nytimes.com/2013/08/04/opinion/sunday/the-trauma-of-being-alive.html?src=recg





生きるというトラウマ(その1)



 私の父が脳腫瘍で亡くなってから4年半経った頃、88歳になる母親と話していたとき、母が自問しているのを聞いて私はびっくりした。「もう吹っ切れていると思っているんでしょうね」と母は言ったのだが、私の父、ほぼ60年連れ添った夫を失ったことの痛みについて母は語っていたのだ。「もう4年以上たつのに、まだ気持ちの整理がつかないのよ」。


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 私が幼いころから母がこんな風に語ってくれたから私は精神科医になったのか、それとも私が精神科医になったから今こんな風に母は語ってくれるのかは判らないが、私は母とこんな会話ができるのがうれしかった。悲嘆(グリーフ)は語られる必要がある。悲嘆を心の中に抱えたままでいると、それはそれ自身の支えまでも食い尽くしてしまいかねないからだ。


 「トラウマが完全に消えることはないんだよ」と私は答えた。「時間とともに変わったり、ちょっとソフトになったりはするけど、完全に消えることはないんだ。もう吹っ切れるべきだとどうして考えるの? そんなに上手く行くとは思わないな」。母が私の意見について思案しているときに、ほっとしたような様子が浮かんだのがはっきり見てとれた。


 「吹っ切れてなくても罪悪感を感じる必要はないのね?」と母は尋ねた。「最初の夫が死んでから10年もかかったのよ」と母は急に思い出し、大学時代の恋人のことを、20代だったときに心臓病でその恋人が急死したことを思い返していた。それは母が私の父と出会う数年前のことだった。「ゆっくりでいいのね」。


 私が10歳か11歳だったある日スクラブル遊びをしていて、ある単語を調べるために母の古びたウェブスター辞書を開くまで、母の最初の夫について私はまったく知らなかった。その表紙の内側に、彼女の名前が、黒インクの手書きで書かれていた。ただそれは現在の名前ではなかった(それに、旧姓でもなかった)。別の、見たこともない名前、シェリー・エプスタインではなく、シェリー・スタインバックと書かれていた。(母ならではの筆跡だから)まったく見慣れたものであると同時にまったく見たこともない母の一面がそこにあった。


 「これは何?」。私は色あせた青い辞書を掲げてそう尋ねたことは今でも覚えているし、母は混乱しながらも真相を語ってくれた。そのことは、その後めったに語られることはなかったし、少なくとも、私の父が四半世紀後に死ぬまで語られることはなかった。父が死んでから母は、今度は自分の意志で、その話をもち出しはじめた。最初の夫の死のトラウマが完全に消えていたのかどうかははっきりしない。そのトラウマが私の父の死という文脈でまた表面に現われてきたようなのだ。





 トラウマは大きな災難の結果起こるものとは限らない。それは一部の人にだけ生ずるというものでもない。日常の生活は無常の悲嘆に満ちているのだから、トラウマの底流はいたる所に流れている。私としては、心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder)に苦しんでいない人は、心的外傷前ストレス障害(pre-traumatic stress disorder)に苦しんでいる、と言いたいほどだ。災難の可能性を意識することなく生きていくことはできない。どっちみち、死(とその従妹である老齢や病気や事故や離別や喪失)の運命が私たちすべてに重くのしかかっているのだ。それを免れる人はいない。私たちの世界は不安定で予測不可能であり、信じられないほどの科学の進歩にもかかわらず、それをコントロールしようとする私たちの能力にはお構いなく動いている。


 母への私の答え――トラウマが完全に消えることはないという答え――は、私が精神科医として長年学んできたものを指し示している。トラウマに抵抗し、その完全なインパクトを感じないように身構えると、私たちはトラウマのもつ真実を失ってしまうのだ。私はセラピストだから、自分の悩みを認識して自分の弱さを認めることがいかに困難であるかは判っている。「もう吹っ切るべきじゃないの?」という母の反射的な反応はとても一般的なものだ。私たちの多くはすぐ普通に戻ろうとする欲求が強くあり、そのために、内心に感じる自分自身の苦しみに目を閉ざすばかりか、その結果として、他者の苦しみにも目を閉ざしてしまうのだ。


 災難に見舞われると、私たちは、その時は共感的な反応を示しても、心の底では、しばしば条件づけられたように、「普通」こそわれわれみんながいるべき場所だと考えるようになるものだ。ボストン・マラソンの爆破事件の犠牲者は、回復するまでに何年もかかるだろう。戦争からの帰還兵たちは心の内に戦場の体験を抱えている。私たちは、一つのコミュニティとして、こうした人々を何年も心の中に留めることができるだろうか? それとも、彼らも前に進むだろうと期待して、私たちも前に進もうとするのだろうか? 私の友人の一人の父親が、四歳になる息子――私の友人だ――に、母親が自殺した後で、前に進んでいくことを期待したように。その父親は、ある朝「お母さんはもういないんだ」と息子に告げて、二度と母親のことは話題にしなかったのだ。





」(つづく)











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