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フランツ・カフカ : プラハから全世界へ [海外メディア記事]

 130年前の7月3日、フランツ・カフカはプラハで生まれた。生誕130年を祝う記事がチラホラ目についたので、そのうちの一つを紹介しよう。「ドイチェ・ヴェレ」のHPのフロント・ページに掲載されたスライド・ショーである。






FRANZ KAFKA: VON PRAG IN DIE GANZE WELT

03.07.2013

http://www.dw.de/themen/s-9077






フランツ・カフカ : プラハから全世界へ



・ 詩人:フランツ·カフカhttp://www.dw.de/image/0,,16898305_302,00.jpg

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 フランツ・カフカは1883年7月3日にプラハで生まれた。詩人ならではの特徴である並外れた感受性を備えていた。彼は大都市の雰囲気を貪欲に吸収し、その中で、怖れることと愛することを学び、現代の不条理な側面に対する感覚を育んだ。そこで彼は、彼に影響を与えた人々や書物に出会った。そして、そこには、今度は彼が影響を与えることになる人々も暮らしていた。





・ 作品:『変身』http://www.dw.de/image/0,,16917540_302,00.jpg

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 ある男が、朝、目覚めると、自分が巨大な毒虫に変身してしまったことを発見する。それは、彼にとって、社会的な存在の終わりだった。彼は仕事を失い、彼の家族さえも彼を突き放す。その男、グレゴール・ザムザという男も名前も、心理的には、変わってはいない。したがって、この本は、人間はいつ人間になるのか? と問いかけているのである。




・ 訴えられた人間: 『審判』http://www.dw.de/image/0,,16223482_302,00.jpg

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 ある日、ヨーゼフ・K.は、法廷に対して申し開きをしなければならないことを知る。しかし何のことで申し開きすべきなのかは、判らないのだ。確かなことは、司法の歯車が回り始めたということだ。その理由が判るという希望を抱くこともないまま、ヨーゼフ・K.は法廷の歯車の中に身を置く。国家はあまりに強大であることを彼は知る。そして、人間があまりにも小さい存在であることも。画像は、オーソン·ウェルズの映画 『審判』のシーン。





・ 不安な人間:『城』http://www.dw.de/image/0,,15911116_302,00.jpg

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 K.は測量士として田舎の城に立ち入ることを望んでいる。建物自体には入口が見つからず、彼は城に属する村に滞在しなければならなくなる。しかし、城主は村人に何もしていないのに、村人たちはなぜ城主に対して大きな不安を抱いているのか? 不安の心理について語る小説だ。画像はドイッチェン・テアターで上演された芝居の『城』より。




 
・  大都市:プラハhttp://www.dw.de/image/0,,16911021_302,00.jpg

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 プラハは、カフカが生きていた頃は、ヨーロッパ文化の中心地の一つだった。ハプスブルク帝国の重要な都市として、1900年ごろのプラハは、世界に開かれた多文化の大都市であり、おまけにドイツ語とチェコ語の文学の中心だった。フランツ・カフカのように、ドイツ語とチェコ語を自由に操れる作家は多くいた。知的にも心理的にも、都市とそこに住む人々が詩人に影響を与えた。





・ 超-父親: ヘルマン·カフカhttp://www.dw.de/image/0,,16895722_302,00.jpg

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 ヘルマン・カフカ(1852-1931) ―― これぞ男性といわんばかりの画像! 堂々として、力強く、自信にあふれている。彼の職業は肉屋だった。家庭では、彼の言葉は法律だった。1919年の有名な『父への手紙』で、若いカフカは子供時代をこう要約している。「僕は貧弱で、ひ弱で、か細く、あなたは強く、大きく、どっしりしていた」。 しかし、息子は自分を擁護する。彼は文学的に強い男性を滑稽な存在へ転化させるのである。





・  国家創設者:テオドール・ヘルツル (http://www.dw.de/image/0,,16895724_302,00.jpg

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 ボヘミアでは、強硬な国家主義者たちが集結し何度も反ユダヤ的暴動を起こした。だから、フランツ・カフカのような世俗的態度のユダヤ人でも、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとするテオドール・ヘルツル(1860年から1904年)の理想を熱烈に支持していた。カフカは、パレスチナ旅行を検討したが、健康上の理由から断念せざるを得なかった。しかし、彼は人生の最後の年にヘブライ語を学んでいる。






・  友人:フランツ・ヴェルフェルhttp://www.dw.de/image/0,,16895729_302,00.jpg

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 モルダウ川沿いの長い夏の午後、プラハ・カフェでの長い夜。友人フランツ・ヴェルフェル(1890-1945)とともに、カフカはプラハの魔力を経験した。ほぼ年齢も変わらないヴェルフェルは、すでに文学界のスターだった。彼の成功でカフカは冷静でいられなかった。「ヴェルフェルが憎い」と彼は記している。「彼は健康で若く金持ちで、僕はすべての点でその反対だ」。しかし、二人は友人でい続けた。正反対でありながら、引かれ合ってもいたのだ。






・  哲学者:フリードリヒ·ニーチェhttp://www.dw.de/image/0,,16895736_302,00.jpg

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 1900年の夏に、カフカはニーチェの著作を読んでほとんど唖然となった。「そして、この灰の中からまばゆく灼熱の炎が舞い上がり、君がそれを見入ると、そのとき・・・・」。で、そのとき、一体なんだというのか? それからカフカはほとんど何も書こうとしなかった。ニーチェの芸術が彼に及ぼした印象はあまりにも大きかった。教会と国家の尊大さ、教養ある中間層の不毛さ ――これらすべてはカフカのテーマともなっていく。





・  婚約者:フェリーチェ・バウアーhttp://www.dw.de/image/0,,16895726_302,00.jpg

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 「優美で壊れた鼻。ブロンドの、ちょっとごわごわした、魅力のない髪、強そうなあご」。カフカは、1912年の最初の出会いのすぐ後で、フェリーチェ・バウアーのことをそう描写している。それにもかかわらず、彼女はカフカを魅了した。彼らは500通に及ぶ手紙を交わした。二人は二度婚約し、二度カフカは結婚の約束を解消した。フェリーチェはアメリカに渡る――5年間も彼女の心を奪った詩人から遠く離れようとしたのだ。





・  精神的な兄弟:ゼーレン・キルケゴールhttp://www.dw.de/image/0,,16895740_302,00.jpg

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 若い頃、ゼーレン・キルケゴール(1813-1855)は、多くの家族が様々な病気で死亡していくのを身をもって経験せざるを得なかった。それに応じて彼の哲学は陰鬱なものになっていった。カフカは魅了された。「そんな予感はあったが、本質的な違いにもかかわらず、彼の場合は僕の場合ととてもよく似ている」と彼は1913年に記している。これは、とりわけ、キルケゴールの私生活に当てはまる言葉だった。このデンマーク人も不運な恋を経験していたのだ。





・  精神科医:ジークムント・フロイトhttp://www.dw.de/image/0,,16895747_302,00.jpg

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 自我は弱い。それはもう、自分の家の主人ですらないのだ。「聞いたこともないようなことをフロイトの本で読んだ」とカフカは1912年に記している。詩人は精神科医の見識を評価した。その認識はすぐに明らかになった。しかし、それは人間を直すことができるのか? カフカは懐疑的だった。確かに、現代の心理学は実りある結果をもたらしている。「しかし、実は、何も起こってはいないのだ」。





・  出版者:クルト・ヴォルフhttp://www.dw.de/image/0,,16895746_302,00.jpg

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 クルト・ヴォルフは熱意ある人で、自分の周りに同時代の若い才能を集めた。しかし、カフカとの関わりは難しかった。1912年、彼はカフカの最初の小説集を出版したが、部数は800冊だった。売れ行きは芳しくなかった。「本は11冊売れた」とカフカは出版の数週間後に記している。「10冊は僕自身が買った。11冊目を誰がもっているか、知りたいものだ」。





・ 相談相手:マックス・ブロート (http://www.dw.de/image/0,,16895719_302,00.jpg

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 カフカは自己不信に苦しんだ。彼の友人マックス・ブロート(1884-1968)は、何度も何度も、彼を励ました。しかし、彼の死の年である1924年に、カフカは、自分の原稿のすべてを焼却するように頼んだ。マックス・ブロートは、この遺言を叶えないようにしようと心に決めた。その代わりに、彼はそこから著作を編集・出版し――そして、20世紀が生み出した最も重要な作品の一つを救った。

  


・  伝記作家:ソール・フリードランダーhttp://www.dw.de/image/0,,16895718_302,00.jpg

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 カフカの運命の中に、歴史家ソール・フリードランダー(* 1932年)は自分自身の運命を認めた。詩人と同様、フリードランダーの父親はプラハのカルル大学で学んだ。そして、カフカの妹と同様、フリードランダーの両親もドイツの強制収容所で死亡した。フリードランダーはホロコースト以前の時代に立ち返った――そして、もっとも見事でもっとも鋭いカフカの伝記の一つを書いた。















」(おわり)









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