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人間の進化における宗教、パート3 [海外メディア記事]

 ロバート・ベラーの書物についてのエッセイの第三回目。


 宗教といえば、たいていの人が内面的な信仰というイメージを思い浮かべるだろうが、それはとても新しい現象である。時代を過去に遡れば遡るほど、宗教は個人的なものから集団的なものになり、信仰よりも儀式という側面が強くなることは、20世紀の宗教学が次第に傾斜していった考え方だが(ハリソンから始まりブルケルトが深化させた)、ベラーはそうした傾向を踏まえて、文化人類学的な観点からそれを追認していったようだ。





Religion in Human Evolution, part 3: the primacy of ritual over language


Andrew Brown
guardian.co.uk, Monday 30 July 2012 08.29 BST

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/jul/30/religion-in-human-evolution-rituals







 人間の進化における宗教、パート3:言語に対する儀式の優位性

儀式は、教説されるよりも演じられるとき、演ずる人々を変身させる力を持つ




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 ブラジルにおける儀式の踊り 




 ロバート・ベラーはブラジルの孤立した先住民族のカラパロ族から例をスタートさせる。カラパロ族は物語りも儀式ももっているが、儀式の方が、儀式に付随して語られる物語りよりも、ずっと長く続くようだ。これは、われわれの予想の正反対である。われわれは、書物の宗教の中で育ったので、文書や、少なくとも物語りがあらゆる宗教の屋台骨だと想像しがちである。これは間違いなのだ。儀式は神話に先立っている。儀式は言語そのものより先立っているかもしれないし、儀式が言語を可能にしたのかもしれないのだ。


 ヒョウを見ると決まった叫び声を上げ、ヘビに対しては別の叫び声をあげるサルがいる。これはコミュニケーションだが――異なる叫び声を聞いて、他のサルたちは適切な反応を返すのだから――、まだ言語ではない。言語が始まるのは、音が記号となり、その記号が別の記号を指し示すときだ。その意味で、メタファーが話し言葉の最初の形式なのであって、後になって獲得された混乱したものではないのだ。いずれにしても、言語とメタファーに向かう発展は、一挙に起こったものではないし、また、たった一人の先見の明のある人に起こったわけでもない。メタファーの使用を理解する人が世界でただ一人しかいなければ、どうしようもないことだからだ。


 集団的なドラミングと歌唱に伴う反復が冗長性を提供し、その冗長性が足場となって、記号と音が外界の事物を意味すると同時に、そうした事物を表わす音声記号を意味するようになるのだが、そうした様子をベラーはとても偏屈だが重要な作家であるテレンス・ディーコンを引用して説明する。これこそ言語を形作る偉大な濃縮なのであり、それは音楽に依存するのだ。われわれが知る限り、集団的に音楽を作る種は人間だけだ。鳥は歌うが、調和して歌うことはない。人間だけが声を合わせてコーラスにできるのである。

 カラパロ族の儀式は主に音楽で、神話はシナリオというよりもコメントとして機能しているのだが、それでも、音楽が支配するという考え方そのものは神話に組み込まれたものである。カラパロ族は様々な存在を、それが生み出す音に応じて分類する。「初めに」いた「強大な存在」は、「音楽」を通して自分自身を表現する。人間は「話し言葉」を使用する。動物を含むその他の生き物は「呼び声」をもっている。無生物は「ノイズ」を生み出す。


 これらの儀式に付随して語られる物語りは、正確に言えば、神々についてではなく、「強大な存在」についてである。そうした存在と人間の違いは完璧でも絶対的でもない。ベラーは次のように書いている。


 「最古の人類、黎明期の人類は、強大な存在と密接な関係のうちに生活をしていて、多くの点でそうした存在に似ていた。黎明期の人類の子孫である今日の人間は、そうした能力を欠いているので、とてつもなく創造的で危険なエネルギーをもった強大な存在を警戒しなければならないのだ」。



 カラパロ族の儀式には準備に一年以上かかるものもある。そんな労力に見合う報酬があるのだ。強大な存在に向けて歌が捧げられ、歌われることで同時にその存在が誕生するのである。



 「自己と、歌が捧げられるものとの一体化が結果として生ずる。神話において強大な存在が人間の話し言葉に参加するように、儀式では、人間が強大な存在の音楽性に参加し、そうすることでその変換のパワーを獲得するのである」。



 このようにして、いったい何が変貌するのか? 明らかに、こうした儀式には健康に関わるものもあるが、主な効果は踊り手たちが一つのコミュニティーへと変貌することであると思われる。儀式の実行者たちは自分たち自身を、特定の家族集団のメンバーとしてというよりも、カラパロ族として見なすのだ。



 「経済的にそれが意味することは、誰もが参加する義務があるということであり、誰もがどれほどの貢献をしたかに関わりなく受け取るということである。(寛大さ、謙虚さ、柔軟性、および社会的困難に直面したときの平静や、他者に対する尊重の念などの概念を包む)カラパロ族の生活の最も基本的な価値を表わすイフチス(Ifutisu)が、家族の領域を超えて、コミュニティーのすべての人々に拡げられるのである」。



 こうした変化は、教説されるというよりは演じられるものであるのだから、それは、この変化を演じる人々を変貌させるパワーをもつ。神々、あるいは強大な存在に対処することは、自分の役割を変えるだけでなく、自分の全人格を永続的に変えることなのだ。こうした事柄のいくつかは、今日のある種の宗教にも当てはまることは明らかである。現代的な形態のペンテコステ派キリスト教は、人格を変貌させる儀式や反復的な音楽を中心に構築されている。しかし、カラパロ族は、後に失われてしまう根本的な平等を維持している。彼らには、演技者と観客、あるいは司祭と一般人との永続的で恒久的な分断というものがない。農業と富の蓄積が起こりそれが文明を生み出すにつれて、こうした平等は一変することになる。国家建設の最初の兆候として人間の犠牲が行われるのである。




」(つづく)











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