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双極性障害に苦しんだある女性の半生(6) [海外メディア記事]

 双極性障害に苦しんだリンダ・ローガンの半生の記録の最終回。


 治癒してサポートする側に回れたと言っても、依然としてフルタイムの活動は無理で、かつての教育活動には戻れなかったし、長年連れ添った夫との別れを経験するし… … それでも、60歳を迎えて、かつてのヒット曲“Life Is but a Dream(人生は夢にすぎない)”を歌いながら孫と遊ぶことを楽しみにしていると記すあたりに、この女性の強さが感じられる。「人生にイエスと言う」ということは、こういうことなんだなと。




The Problem With How We Treat Bipolar Disorder

By LINDA LOGAN
Published: April 26, 2013

http://www.nytimes.com/2013/04/28/magazine/the-problem-with-how-we-treat-bipolar-disorder.html?pagewanted=6&_r=4&src=me






双極性障害治療の問題


(Page 6 of 6)


 
 精神障害をもつ多くの人にとって、自己の変様が、その病気の最も心をかき乱す点の一つなのだ。医師たちがその問題に関わろうとせず、自己のどの部分が消えてしまったのかと尋ねたりせず、その喪失に対処する策を見つける手助けをしてくれないとき、患者たちの絶望は高まっていくのである。


 メンタル・ヘルス分野では、この必要性を認識し始めている人々がいる。コロラド州ブルームフィールドの感覚運動心理療法研究所(Sensorimotor Psychotherapy Institute )のア​​シスタント・ディレクターをしている心理学者のジャニーナ・フィッシャー(Janina Fisher)は、私が病気だった数十年前に比べると、治療的対話の中で自己が果たす役割には「大変化」があったと私に語ってくれた。ほとんどが臨床心理士や、医師ではない専門家によって創設された新しいセラピーや治療哲学は、精神疾患をもつ人々において自己がはたす役割を認識している。患者は彼女に言うらしい、「私はただ、かつての私になりたいだけなの」と。フィッシャーは患者たちを勇気づけて、あなたの精神的なトラウマはあなたの人生の一部だが、あなたの人生を支配してはならないことを認識させている。


 父の主治医が遠くに行ってしまった後にかかり始めたシェフトナーとのやりとりの中で、私たちは自己について語り合ったが、それは私がその話題をもちだすときだけだった。だから、私は、精神障害をもつ人々のためのサポート・グループの運営の手伝いを楽しんで行ってきたのだ(過去3年間にわたって私はずっと楽しんでやってきた)。普通、そのグループは8人だが、12人のときもある。私たちは、毎週水曜日の午後に、地元の図書館の地下室の席につく。私たちは、お互いが心の中で何を考えているかを知っているけれ、私たちは仲の良い他人であって、友人ではない。A.A.(Alcoholics Anonymousの略 : 飲酒問題を解決したいと願う相互援助の集まり)や他の自助グループと同様、私たちは当事者が主導するグループで、精神障害をもつ人々が精神障害をもつ人々のために運営するグループである。私たち一人ずつ過去一週間について語っていく――ちょっとした成果、ぶり返し、医師との面会、家族との葛藤について。自己は常にはっきりとしたトピックになるわけではないが、自己の喪失――良くなりつつある人にとっては、自己の再構築――は、このグループにつねにつきまとうテーマである。


 それほど以前でもないある日、中年の男がわれわれのグループにやって来た。彼は過去一年間色々なグリーフ・ケアのグループに出席したが、どれもピンとこなかったと語った。「どうして?」と誰かが尋ねた。その人はこう言った。「そこにいる誰もが他人の喪失について悲嘆に暮れていたからです。私は自分自身のために悲嘆に暮れていたのです。病気になる前の自分、今の私がそうである自分のことでね」。


 
 入院からの20年間、私の昔の自己の多くの部分ははぐれながらも戻ってきた。しかし、すべての部分が帰路についたわけではない。パーティーに行く途中で車から飛び降りるような真似を私はもうしないが、まだ社交的なイベントには落ち着きを感じることはない。日中起きているのに特別の努力は必要なくなったが、一日中の活動はしていない――私が活動的なのは朝から昼下がりまでだ。教育活動に復帰することはできていない。簡易ベッドと柔らかな枕と半日はオフという要求をする人間を歓迎してくれる雇用者がどれほどいるだろう?

 約5年前のある朝、夫と私は居間のソファで話し合っていた。私はまだパジャマを着て、ウールのハイキング・ソックスを履いていた。彼は私の足をさすりながら、もう行くよと言った。それは、優しくもあり残酷でもある場面だった。ちょっと経って、彼はスーツケースに服を何着か投げ入れて出ていった。しかし、私の自己は――打ちひしがれ、悲嘆にくれ、怒りながら――変わることはなかった。


 
 今日、私の心は軽やかだ。創作活動が私の人生にこっそり戻ってきたからだ。シカゴで親友が何人もできたからだ。でも私の最大の喜びは私の子供たちだ――子供たちは、ひやひやさせながらも、職業につき、結婚生活を送っている。私は楽しみにしている、孫の顔を見ることを、フロリダのビーチで深まる夜の星のもと赤ん坊を抱いてぐるぐる回りながら、1950年代のヒット曲“Life Is but a Dream(人生は夢にすぎない)”を歌うことを。今年6月で私は60歳になる。私は色々な自己が集うのを祝うために、ささやかなパーティーをしようと予定している。何よりも先に出欠状を送ったのは私の昔の自己だった。






」(おわり)
















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