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双極性障害に苦しんだある女性の半生(4)   [海外メディア記事]

 双極性障害に苦しんだリンダ・ローガンの半生の記録の四回目。

 精神病による妄想の世界をくぐり抜け、何度かの入退院の後、ようやくミシガン湖畔の自宅で落ち着いた時間を取り戻せるまでにいたる経緯がつづられる。 




The Problem With How We Treat Bipolar Disorder

By LINDA LOGAN
Published: April 26, 2013

http://www.nytimes.com/2013/04/28/magazine/the-problem-with-how-we-treat-bipolar-disorder.html?pagewanted=4&_r=2&src=me







双極性障害治療の問題


(Page 4 of 6)


 私の医療記録によると、春ごろの私は、自分がカナダの鉄道の駅にいて、今は1976年だと思っていたようだった。私は、出発ホームを探しながら、タオルを詰め込んだスーツケースを引きずって病棟の周りを歩き回っていた。ウツ状態の襲撃が始まりだったとすれば、精神病は最後の一撃だった。境界の感覚――どこで私が終わり、どこで他人や周囲の環境が始まるかという感覚――があやふやで、行をはみ出して書きつける幼児のようだった。私は自分を人間として見なしていなかった。私は自分をアスファルトの道に落ちている黒いパスタだと思い描いた。その頃の日記には鉛筆で同じことがくり返し書きつけられていた――Tの文字や別の語をどこまでも書きつけたり、通常の言葉と通常ではない言葉を交互に書きつけたりしていた。 “They will have a stronstrazzly negative reaction to them. I need held . . . In stortingitoat — plus, the idea of [X] a new set of residential pleomorph — exoskeleton weitropstite jejoined to be betters. blep.”という具合だった。



 私は幻覚に浸っていた。色々な世界が容易に手に入った。現実はオプションの一つだった。長方形の虹が娯楽室の窓から差し込んでいた。日曜日の朝は、存在しないオルガンの音楽が近所一帯に鳴り響いていた。ジャン=フランソワ・ミレーのポスターの農夫たちが枠組みから抜け出して、壁中をねり歩いていた。


 自己というものは、精神病においても、どれほど希薄な形ではあれ、存続していると言う研究者がいる。ノース・カロライナ大学の社会医学の教授であるスー・エストロフ(Sue Estroff)は、自己を「前面に出てきたり、背景に退いたりするもの。精神病に際しては、自己は引っ込んでいる」と述べている。しかし、「あなたはそこにいるのです」と彼女は私に言った。私はそうは思わない。あの頃、私が外出を許されていたら、私は自分の影が現実にあることも疑っただろう。



 初夏の頃になると、精神病は消え、私の明晰な意識は戻っていた。子供たちが訪ねて来た。彼らは私をソファからカーペットに引きずりおろした。私たちは声を立てて笑い、同時に泣いた。私は何か根本的なものが高まってくるのを感じた。



 その夏もだいぶ経ち、私が再び退院できるほどまでに回復するようになって、私たち一家はシカゴ地区に移住することに決めた。私が信頼している父の主治医と治療を続けられ、しかも私が家族の近くに居られるようにするためだった。しかし、新しい家に移住した7ヶ月後に、私は病院に戻っていた。次の半年間にもう2回にわたって入・退院を繰り返すことになった。私が1991年8月に最後の退院を果たしたとき、私は38歳で、もう自己破壊に執着することはなかったが、私は回復したのではなく、もっと正確に言えば、救い出されたのだった。



 子どもたちの世話をしながら家事のきりもりをすることは、非常に困難な作業のように思われた。夫と私は、フルタイムの家政婦が必要だと思った。私たちは素晴らしい女性を見つけ、彼女は何をなすべきかを判ってくれた。料理をし掃除をするだけではなく、母親の代わりにもなる必要があったのだ。彼女の助けに感謝しながら、私は、自分の役割が奪われたかのようにも感じていた。



 私は外来患者として毎週私の医師の診察を受け続けていた。しかし、私はやる気を失っていて、あまり改善は見られなかった。私は100通りもの違った組み合わせや投薬量(モノアミン酸化酵素抑制薬、三環系抗うつ薬、後に、選択的セロトニン再取り込み阻害薬を含む)を試したというのに、父には一日にわずか3錠のリチウムで健康を維持していたのだから、どうして父の病気を治せたのかと私は医師に尋ねたことがあった。「あなたのお父さんはフォードだったからですよ。あなたはフェラーリです」。これが褒め言葉なのか侮辱なのか、私は判らなかった。



 最後の退院からの数年間、私は自宅近くのミシガン湖の湖畔で多くの時間を過ごした。数百もの浜辺の石を集めて、大きさや色や形や重さによって石を整理した。すぐに石でいっぱいの靴箱が数ダースにもなった。時々、桟橋でワカサギを探しているロシア系の漁師に話かけた。老齢の女性たちと並んで歩いて、シ-グラスを見つける手助けをすることもあった。昼は毎日3時間の睡眠を取ったが、目覚ましの設定を忘れないようにした。それは、子供たちが学校から帰ってきたときに私が目覚めていられるようにするためだった。彼らが帰ってきても寝室のドアが閉まっていることが何度もあったからだ。





」(つづく)














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