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双極性障害に苦しんだある女性の半生(3)   [海外メディア記事]

 双極性障害に苦しんだリンダ・ローガンの半生の記録の三回目。

 ウツ状態から軽躁状態に振り子が動き、筆者の病気が双極性の障害であることが判明したことが語られる。




The Problem With How We Treat Bipolar Disorder

By LINDA LOGAN
Published: April 26, 2013

http://www.nytimes.com/2013/04/28/magazine/the-problem-with-how-we-treat-bipolar-disorder.html?pagewanted=3&_r=1&src=me







双極性障害治療の問題


(Page 3 of 6)




 私は、入院からほぼ3ヶ月たった1989年8月に退院し、夫と子供といっしょにボストンに戻った。子供たちは、多くの人と同様に、「退院」を「回復」と思い間違えていた。「良くなってないなら、どうして退院できたの?」と私の娘は尋ねた。退院するには、自己および他者にとって脅威にならず、日常生活の課題に――どれほどわずかであっても――参加できるほどの高いレベルで上手くやるといったことが求められたが、そうした要因を娘を説明するすべを私は知らなかった。回復は終わりではなくプロセスなの、と私は娘に言った。



 木の葉は色づき始めていた。ドングリが落ち、小さな爆弾のようにはぜた。私の車は私道にあったし、私の服はクローゼットの中にあった。しかし、色々なものがしっくりせず異様に見えた。「あれは誰の子ども? 」と私はいぶかった。「いつになったらお母さんが迎えに来るのだろう? 」。私の人との違いがどこよりもはっきり感じられたのは、中学校の私道だった。誰もが、私がずっと「不在」だったことを知っていたし、その理由も知っていた。私は他の母親の仕草を、そのリラックスした友達づきあいを、その打ち解けた様子を、笑った時に後ろにのけぞるような仕草を真似ようと試みた。


 隣人たちが歯がギザギザで恐ろしい目をしたカボチャを作るハロウィーンの頃になると、私の子供たちは、恐ろしいものが家の中にもいることに気づいた。私の最初の軽躁病エピソード(hypomanic episode)が現われたのだ。こうして、私のウツ状態が単なるウツ状態でないことが医師たちによって確認されたのだった――私は、父と同様に、双極Ⅱ型障害だった。双極Ⅱ型では、双極Ⅰ型とは異なり、ウツ病からの上ブレが躁状態ではなく、軽躁状態でストップする。躁状態の人は、グランド・ピアノを5台家に運ばせたり、百貨店のシアーズを買収しようとしたり、地元の野球チームと一緒に眠ようとしたりする。軽躁状態は、ある程度の抑制がある躁状態のことで、抑制されない躁状態が生み出す経済的・対人的災難は回避できるかもしれないが、それでも暴走列車のようなところはあるものだ。


 その頃ともなると、まだ痕跡として残っていた私の古い自己は、(陰鬱な気分と希薄な生命観をともなう)ウツ状態の自己に慣れてしまっていた。そこに今、新入りが加わったのだ。私は、混乱した古い自己、ウツ状態の自己、ずうずうしい軽躁状態の自己という三つに分裂したかのようだった。新入りの女がわれわれ二人と肩を並べて甲高く笑っているのを聞いているようなものだった。彼女の指令のもとで、われわれは夜に2時間眠った。われわれは一日にサンドイッチ半分とポテトチップス2個を食べた。われわれは朝3時に子供のお弁当を詰めた。われわれはMCAT(医科大学入学のためのテスト)の勉強を始めた(われわれが生物や化学の授業を受けたことがなかったことは、どうでもよい事のように思えた)。もうずっと会ってない友人に電話をかけた。軽躁状態の自己の活動は途切れることのないランチ・デートからお祭り騒ぎのような衝動買いにまでいたり、取り残されたボロボロの古い自己とウツ状態の自己は、「これは私たちじゃない」、「これは私たちがやっているんじゃない」と言うばかりだった。


 夫と一緒にベッドに行くことはもうなくなっていた。その代わりに私は、ノートに走り書きをしながら、夜更かしをしていた。私が眠らないことが息子を不安にさせた。「悪い夢を見たんだ」と彼は言った。「お母さんは真夜中でも下で何かやっていたでしょう。家の皆が寝ている間に、家がつぶれて落ちたんだ」。


 「そう」、私は彼を引き寄せてこう言った。「悪い夢ね。誰か怪我をしたの? 」。

 「いないよ、でも、あやうく猫が死ぬところだった」。

 私は、数週間ごとに、もっと小さな服を買わなければと思うようになった。「どうしたの、ママ? 」と娘が尋ねた。「身体が縮んでいるのね」。



 軽躁が私を食い尽くしていた。私の医師は、軽躁を抑えようと努力する中でリチウムの服用量を引き上げたが、そのために、私は、突然ウツ状態に逆戻りし、1990年の元旦後に私はシカゴに、あの施錠された精神科の病棟に戻ることになった。数週間後、子供たちがやって来た。私はロビーで彼らに会った。私が座っていた椅子は物質で出来ていないように見えた。壁は曲がっているように見えた。私の息子はワクワクしていた。「僕は科学的な発見をしたんだ! 」と彼は言った。「暗闇​では影はできないんだよ」。息子は私の医師たちよりもウツ状態を理解しているわ、と私は思った。「ママ? 」と彼はしばらく経って言った。彼の言葉は数マイル離れているように聞こえた。私は上体を後ろにそらし眠りこんだ。私は、4ヶ月間、家族と再会することはなかった。




」(つづく)















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