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双極性障害に苦しんだある女性の半生(1) [海外メディア記事]

  『ニューヨークタイムズ』に掲載された、双極性障害に苦しんだリンダ・ローガンの半生の記録が興味深かったので、紹介する。 

 これは、 『サンデー・マガジン(Sunday Magazine)』誌にも掲載されたようで、そのときは“Selfless”というタイトルだった。“Selfless”とは、普通は「無私」という意味だが、ここでは文字通り、「自己」がない状態を指す。それは、筆者が双極性障害を「自己(self)」の消滅という独自の観点で捉えていることを反映したものだ。その捉え方は医学の標準的な考え方とも異なっているので、新聞掲載時のタイトルは「双極性障害治療の問題」と変えられたのだろう。


 でも、そうしたことよりも、筆者であるリンダ・ローガンが障害とともに歩んだ半生の曲折がひときわ印象深いのである。オリジナルは6ページにわたっているので、適度に分けて紹介する。




The Problem With How We Treat Bipolar Disorder

By LINDA LOGAN
Published: April 26, 2013

http://www.nytimes.com/2013/04/28/magazine/the-problem-with-how-we-treat-bipolar-disorder.html?src=me






双極性障害治療の問題



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 私の古くからの自己(my old self)を私が最後に見たのは、私が27歳でボストンで暮らしていたときだった。当時の私は大学院の成績は良かったし、親密な交友関係をもっていたし、作品をどんどん発表する創造的な作家だった。高校時代の恋人と結婚して、最初の子を授かったばかりだった。当時を振り返ると、私の最良の時間は、フロリダのビーチのたそがれの空の下で赤ん坊の長女を抱きかかえてぐるぐる回ったことや、夫と一緒にベッドに倒れこんで――足を壁につっかけながら――話し合うことだった。未来は大きく開けているように思えた。



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リンダ・ローガンから提供された写真。長女を妊娠していた1980年の筆者。





 私がウツになったと言える特定の時点があったとは思わない。私の病気はじっと身を潜め、徐々に姿を見せた末に容赦なく襲いかかったからだ。高校の頃にウツの予兆はあった。私は当時の数年を、誰からも注目されてないだろうと思いながら、全身黒づくめの格好でコール墨のアイシャドウをして廊下の壁にもたれながら歩いていた。しかし当時は、非常に深刻な問題だとは考えていなかった。


 5年間に3人の子供を産んだことによってホルモンのバランスが崩れ、博士論文を書くことがプレッシャーになり、そしてもともと気分障害にかかりやすい遺伝的素因があったことが相まって、私はそれまでに経験したことがなかった暗黒の場所にたどり着いた。もちろん、すぐにそうと判ったわけではなかった。私は病気じゃないと思いこむことは気休めのガーゼだった。絶対に病気ではないと否定することは、アヘンのような中毒性をもった。誰もが私の妄想に同調してくれるようだった。ただ疲れているだけだよ、と私の家族は言ったものだった。子供の面倒はもっと誰かに見てもらって、博士論文も延期すべきだよと。



 骨の髄までヘトヘトになる疲労について他の若い母親に言うと、彼らは判っているわよと言わんばかりの目つきをして、「その通りよ」とつぶやいた。でも、私がベビーカーを公園まで押して来ることもやっとだったこと、息を吸いこんで店員に「パンパースはどこ?」と尋ねるのもやっとだったことを、他の母親たちは判ってなかった。私は原因を求めて、次々といろいろな医者に診てもらった。貧血や低血糖や甲状腺機能低下症の検査はすべて陰性だった。



 子供たちから得られる喜びは、今や悲しみと結びつけられるようになった。子供たちのシャンプーしたばかりの髪の香りを嗅ぐと、私は、必ず、いつまでも子供たちと一緒にはいられないんだという思いに捉われてしまうのだった。子供たちの背中を撫でていると、私は心の中で彼らの一生を先取りして、彼らとの別離、私の死や、最後には彼らの死に至りつくのだった。


 私は能力の感覚を失っていた。ある同僚が私の知性についての発言をしたとき、私は心の中で、私がどれほど愚鈍かを知らないほど間抜けなのねと彼を嘲っていた。誰かにどうやって生計を立てているのと尋ねられると、私は決まって「何もしてません(Nothing)」と答えた――それはきわめて効果的で、それで会話はストップしてしまうのだった。人と談笑する場面を思い浮かべるだけで耐えられない気持ちになった。ある晩、夫と一緒に車でパーティーに向かう途中、私は車から飛び降りたことがあった。


 子供が8歳と5歳と3歳だった30代半ばでこんな感情をもっているにもかかわらず、私は職業的には上手く立ち回っていた。地理学の博士論文は少し前に仕上げていたし、講師としてマサチューセッツ工科大学の共同授業を終えたばかりだったし、名声ある大学出版局に提出する博士論文の見直しをしている最中だった。しかし一週間に何回か、私は車を走らせて自宅近くのため池にやって来て木の下に座り、ジョギングしている人やその犬が走りすぎる中、自殺することを考えていた。詩のサークル仲間の所にいく途中にガン・ショップがあった。その時が来たらどこに行けばいいかを私は判っていた。


 私の一日は、かつては昼寝の中断があるくらいだったが、今では徐々に長時間の睡眠が時々目覚めの瞬間で中断されるという具合に変わっていた。夫と私は、私がウツであることを子供たちに説明しなかった。「ママは今日ちょっと疲れているの」と私たちは言ったものだった。一年ほど前に、あるセラピストは、子供たちには真相を話すべきですと私たちに言った。「でも、まだ子供なんですよ」と私たちは言った。「言ったところで何が判ります?」。 「子供だって判りますよ」とセラピストの彼女は言った。私たちがついに子供たちに話したとき、長女が私のところに来て、こう問いかけた。「なぜ秘密にしていたの? 私は、どこのお母さんもうちのお母さんと同じなんだと思っていたわ」。



 ため池で立ち止まってから数週間たち、もう自殺以外何も考えられなくなっていたころ、私はようやく夫に精神的苦痛が悪化していることを告げた。翌日、私は入院した。1989年の6月だった。私たちはボストンに住んでいたが、話し合って私はシカゴに行くことにした。15年も前のことだが、やはりウツ病で入院していた私の父の健康を回復させてくれた精神薬理学の先生の治療を受けるためだった。タクシーがわが家から遠ざかるとき、振り返ると、3人の子供が2階の窓の所に集まって網戸に手のひらを押しつけている様子が目に入った。こうして世界は崩壊していったのだった。




( リンダ・ローガンは現在シカゴ近郊に住んでいる。これは雑誌のために彼女が書いた最初の記事である。

 編者:マヤ・ラウ(Maya Lau) )


」(つづく)















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