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アマゾンを梱包から取り出す (2) [海外メディア記事]

 前回の続き。炭鉱で栄えた小さな町がアマゾンの倉庫を迎えるまでの歴史が簡潔に描かれている。時代の流れの速さや非情さ、そしてこれからどこに行きつくのかという不安を感じさせる内容になっている。


Amazon unpacked

By Sarah O’Connor February 8, 2013 12:30 pm

http://www.ft.com/cms/s/2/ed6a985c-70bd-11e2-85d0-00144feab49a.html#slide0





 

 アマゾンを梱包から取り出す (2)






 リー・ホール炭鉱が正式にオープンしたのは、1960年7月の雨の降る火曜日だった。鉱夫とその家族はテントの下に身を寄せ合って弁当を食べ、
最初の石炭が巻き上げられて姿を現すと、三つの楽団がその時のために特別に書かれた序曲を奏でた。それは、第二次世界大戦後に新たに国有化されたイギリスの石炭産業を運営するために設立された石炭庁(Coal Board)が計画し採掘した初めての鉱山だったが、おりしも中央電力庁がすぐ隣に石炭の火力発電所を建設している最中だった。それは、石油という競争相手が勢力を増す中で石炭に対する信頼を挑戦的に示すデモンストレーションだった。「多くの人が言うように、石炭という王者は死んではいないし、今後とも私たちとともにいてくれるだろう」。鉱山労働者国民連合の地元の書記は群衆にそう語った。



 間もなく、イギリス中の鉱夫がこの現代的な新しい鉱山にやって来た。石炭庁と地元の議会は急増する人口に対処するために団地や学校を建設した。タイン川流域の人々にはピアトリー団地が、スコットランドやウェールズの人々にはスプリングフィールド団地が建てられましたね」。16歳のとき炭鉱建設に参加したブライアン・ガーナーはそう回顧した。「信じられないくらいでしたよ、当時、町は活気にあふれ、たくさんのお金がとびかってました。朝の10時に職場を離れて10時5分に別の職場で仕事を始められましたからね」。金曜日や土曜日の夜ともなれば、リー・ホール鉱山福祉センター・社交クラブの外側には、建物を一周するほどの長蛇の列が出来たものだった。


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上:ルグレー炭坑で働いていた人々の今日の姿。下:1971年4月、今は閉鎖された炭坑における鉱夫たち




 ルグレーの炭鉱はすぐにイギリスで最も生産性のある炭鉱になった。それは最新の機械や技術をすべて備えた「若者の炭坑」でした、と語るのはそこで25歳のときに電気技師として働き始めたケン・エドワーズ。しかし、仕事は汚いものだったし危険だった。1972年に、地元紙の記者が坑道のツアーをした。「聞こえてくるのは石炭を運ぶベルトコンベアーとエアポンプの音だけ。鉱夫のヘッド・ランプからのかすかな一筋の光によってかろうじて暗闇が軽減されるだけだ」と女性記者は書いた。彼女は爪や耳や鼻や髪の毛から黒い粉塵をとり去るのに2日かかった。



 良い時代は長くは続かなかった。1990年のクリスマスの4日前に炭坑が閉鎖される頃には、週ごとに30万ポンド赤字が増えていっていると、ブリティッシュ・コール(British Coal)スポークスマンはロイター通信に語った。800人以上の人々が、今日のお金に換算すると380ポンドから900ポンドの週給に相当する職を失った。町議会の議長は必死に慰めになるようなことを言おうとした。「とてもショックでしたね」と彼は地元紙に語った。「[しかし]私たちは多くの人々がやってきたことを行わなければならないし、新たな分野、特に情報技術や高度なテクノロジーを探さなければなりません。私たちには多くの専門知識と素晴らしい地理的な利点があります。これがルグレーの終わりになっていいはずがない」。



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アマゾンの倉庫にある「やる気を起こさせる」パネル



 ビル全体が紫色で豆電球に飾られた「ビジョン不動産」の机の後ろで、ドーン・グッドウィンは、アマゾンに言及したとき、歯と歯を合わせながら空気を吸いこんだ。「私たちは皆、町づくりのためになるだろうと考えたのです」と彼女は言う。彼女は、人々が流入し、その中には家を借りたリ買ったりするやり手の幹部たちも来るだろうと期待した。しかし、残業するほどの忙しさはまるでない。派遣会社を介したアマゾンの仕事がどれほど続くか判らないので、みんな慎重になっていると彼女は言う。借り手の一人で独身の若い女性は、アマゾンの仕事を得たが、勤務中に病気になった後で失職してしまった。彼女は、求職者の給付金が再び交付されるのを待ちながら3ヶ月間は必死になって家賃を払った。「誰にとってもまずい成り行きよね」とグッドウィンは顔をしかめて言った。アマゾンの倉庫の隣にある小さなカフェの「ユニット9」でさえも売り上げが伸びてない。経営者の女性は、30分間の休憩では、従業員がセキュリティを通り抜け店にやって来て、何かを食べてまた戻っていく時間がないのだろうと推測する。


 市民相談所(Citizens Advice Bureau)の窮屈なオフィスでは、ジリアン・アストベリーとアンジェラ・ジョーンズが統計の数字に向かってアマゾンがこの地域に与える影響を試算していた。雇用の問題や不当解雇について問い合わせる人の数は増えてはいないが、コミュニティの借金やホームレスの問題に改善が見られたわけでもなかった。彼らが推測した最良の答えは、かつてと違いが出るほど市民は持続的な仕事にありつけていない、というものだった。


 アストベリーは、派遣会社は「必要悪」だと言うが "必要悪"であると言うが、人々が一時的な職場に出入りを繰り返すのは理想的なことではない、仕事が突然打ち切りになり、従業員が給付金が交付されるまでまったくの無収入の状態に置かれるようなときは特にそうだ、と強調した。・・・



 ルグレーの市民相談所の小さなオフィスからはるか離れたところで、英国のエコノミストたちも、ますます多くの人が就業しているのによりなぜ経済が脆弱なままなのかという問題に頭を悩ませている。フルタイムで働いている人は、2008年のリーマン・ショックのときよりも依然として約50万ほど少ないのだが、何らかの職に従事している人の数は、前回のピーク時のときを上回っているのである。エコノミストの考えでは、不安定で一時的、自営でパートタイムの仕事が増加しており、それはそれでイギリスの労働市場の柔軟性を示すものだが、経済成長がとらえどころのない状態にとどまることに寄与してもいるのである。


 ルグレー最大の不動産会社のCレジデンシャルを経営しているアンジ・クーニーは、仕事の本質が後戻りできない方向に変化しつつあるので、もう過去のことを恋しがるのは止めるべきだと考えている。アマゾンのような会社がわざわざ「こんな小さい古い場所」にやって来たのは「とても素晴らしい」こと、と彼女は、どう猛そうな、まるでこの街の肩に手をかけて揺さぶってやりたいと言わんばかりの表情で言った。「人々は一生続く仕事を期待していますが、もうそんなご時世じゃないでしょう?」。




」(おわり)

















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