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さらにショッキングなものになったホロコーストの実態(2) [海外メディア記事]

 ホロコーストについての最新の研究結果を伝える記事の後半。

 ドイツは、日本と違って、戦争責任に正面から向き合ったといわれているが、それでも強制収容所の正確な数が今になって初めて判るということだから、どれほどきちんとした調査を行なったのか、かなり怪しい気配を感じる。どの国でも、後ろめたい過去はできるだけ封印したいもの。やはり、ドイツ人にしても、あの戦争のことを徹底的に調べるという気持ちにはならなかったのだろうか? この記事の最後の部分を読むと、研究者の冷ややかな視線と疑念を誰もが感じとることができる。

 もっとも、戦争の記憶を一刻も早く消し去ろうとした日本人にはドイツ人のことはとやかく言えないのだが。





The Holocaust Just Got More Shocking

By ERIC LICHTBLAU Published: March 1, 2013

http://www.nytimes.com/2013/03/03/sunday-review/the-holocaust-just-got-more-shocking.html?pagewanted=2&_r=0







さらにショッキングなものになったホロコーストの実態(2)





 この研究は、少数の生存者が未払いになっている保険証書や略奪された財産、没収された土地や別の金銭的な問題についての訴えを文書化する手助けをすることで、法的な意義をもつこともできた。



 「 被害者が知られていない収容所にいたという理由でどれほど多くの訴えが却下されてきたでしょう? 」と問いかけるのはフロリダの弁護士のサム・ダビン。彼は、ヨーロッパの保険会社に対して請求をおこそうとしている生存者グループの代表者である。




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地図:東欧におけるユダヤ人のためのゲットー


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地図:ナチス親衛隊の強制収容所




 研究者のリーダーであるメガジー博士によれば、このプロジェクトは、収容所やゲットーがどのように進化したかについてのホロコースト研究者たちの理解を変えてしまったという。


 研究者たちの発見によると、ヒトラーが政権の座について間もない1933年頃、第三帝国は、約1万人の政治犯を投獄するために作られた110の収容所を確保していた。ドイツがヨーロッパの隣国を侵略し占領し始めるにつれて、収容所やゲットーの使用法は、ユダヤ人だけでなく、同​​性愛者、ジプシー、ポーランド人、ロシア人や別の東欧における多くの民族集団を収容し、時には殺害するために拡大されていった。研究者の発見では、収容所やゲットーは、ナチスのニーズに応じて、役割や組​​織や規模が大きく変化していった。


 判明した中で最大の場所は悪名高いワルシャワのゲットーで、そこには最盛期で約50万人がいた。しかし、最小の収容所の一つであるドイツのミュンヘン=シュヴァービングでは、わずか20名程度の囚人が働いていただけだった。少人数の囚人たちが武装兵の監視のもとでダッハウ収容所からそこに移送された。彼らは、伝えられるところによれば、「シスター・ピア(Sister Pia)」として知られたナチスの熱烈な後援者の家で単純作業をするように命じられ、彼女の家の掃除をしたり、庭の手入れをしたり子供のおもちゃを彼女のために作ったりしたそうだ。



 この研究が2000年に始まったとき、メガジー博士は、戦後に出された推計値に基づいて、たぶん7000ほどの収容所とゲットーが見つけられるだろうと思っていたそうだ。しかし、その数字は登り続けた――最初は11500か所に、次いで20000か所に、それから30000か所に、そして今では42500か所にのぼっている。


 この数字は驚くべきものだ。奴隷労働のための収容所が3万か所。ユダヤ人のゲットーが1150か所。強制収容所が980か所。捕虜収容所が1000か所、性奴隷であふれかえった売春宿が500か所。それに、高齢者や弱者に安楽死処分したり、強制的に堕胎を行ったり、囚人を「ドイツ人化」したり、犠牲者を殺害センターに輸送したりするために使われた収容所が数千もあった。


 ベルリンだけでも、約3000の収容所といわゆるユダヤ人収容施設(Jew houses)があったこと(ハンブルクは1300か所)を研究者はつきとめ資料に残した。


 多くのドイツ人市民は、戦後になって収容所については知らなかったとしばしば主張してきたが、当時ナチスの強制収容所が広範囲にわたって存在していたことを知らなかったはずはないことを今回の調査結果は疑問の余地なく示している、と共同研究者のディーン博士は述べた。



 「当時のドイツのどこに行っても、必ず強制労働収容所や捕虜収容所や強制収容所に遭遇したはずです」と彼は言った。「それらは至る所にあったのですから」。






」(おわり)
















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