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道徳の起源 ―― エドワード・O.ウィルソンとのインタビュー (2) [海外メディア記事]

  ドイツ『シュピーゲル』誌のエドワード・ウィルソンとのインタビュー の二回目。

 ウィルソン自身は科学による啓蒙に希望を託しているが、それでも人間自身がコンピューターのような存在に変貌を遂げることを望んでいる訳ではない。なぜなら感情が人間を人間たらしめるものだとウィルソンは考えているからだ。

 ちなみに、文中に出てくるウィルソンの言葉は、正確には以下の通りである。

 “We have Palaeolithic emotions, medieval institutions and God-like technologies” (われわれがもっているのは、旧石器時代の感情と中世の諸制度と神のような科学技術である)。

 
 こうした「感情」が人間本性の根底にあるのだとすれば、それは科学による「啓蒙」をもってしてもビクともしないのではないかと思うのだが・・・・



Interview with Edward O. Wilson: The Origin of Morals

By Philip Bethge and Johann Grolle February 26, 2013

http://www.spiegel.de/international/spiegel/spiegel-interview-with-edward-wilson-on-the-formation-of-morals-a-884767-2.html






 道徳の起源 ―― エドワード・O.ウィルソンとのインタビュー (2)



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サッカーファン。「あなたは集団に属さなければならない」とウィルソンは言う。「それが人間の精神の最強の性向の一つで、それは変えることはできないでしょう。でも、われわれは戦争を回避できるくらいには進化していると私は思います・・・でも、集団間の競争の喜びを放棄することはないでしょうね。サッカーを例にしてみると、人間は、チーム・スポーツや、チーム・スポーツに結びついた国家や地域の誇りを生き甲斐にするものです。」




シュピーゲル: このいわゆる集団選択がヒトの進化にとって決定的に重要だとあなたはおっしゃいます。しかし、伝統的に見ると、科学者たちは血縁選択によってヒトの社会的行動の出現を説明していますよね。

ウィルソン: 血縁選択は、多くの理由で、説明としてあまり良いものではありませんね。


シュピーゲル: しかし、あなた自身が長い間この理論の提唱者だったではありませんか。なぜ心変わりをしたのですか?

ウィルソン: おっしゃる通りです。1970年代、私は血縁選択理論の主要な提唱者の一人でした。最初、その考え方はとてももっともなものに思えたのです。たとえば、もしあなたが私の兄弟で、われわれは遺伝子の半分を共有しているという理由で私があなたを優遇するとしたら、私はあなたのために多くの犠牲を払うことになるでしょうね。私は子供をもつチャンスをあきらめて、あなたを大学に進学させ大家族をもつことになるかもしれません。問題はですね、よくよく考えてみると、血縁選択は何も説明していないのですよ。それに代えて、私は選択が多様なレベルに作用するという結論に達したのです。(集団選択の考え方に立てば)、一方で、個人が互いに競合し合う普通のダーウィン的な自然選択はつねに働いています。しかしそれに加えて、これらの個々人は集団を形成してもいるのです。個々人は一緒にいるので、その結果、集団対集団という構図にもなるのです。


シュピーゲル: 血縁選択から離反したことは、あなたの同僚の多くからかなり激しい反応を引き起こしましたね。


ウィルソン: いいえ、そんなことはありませんでしたよ。強力な反応はありましたが、そのキャリアが血縁選択の研究にあるような比較的小さなグループの人々の反応でしたからね。

シュピーゲル: それはあまりに安直な言い方ではありませんか? 結局のところ、137名の科学者があなたの主張への回答書に署名しました。彼らは「進化論を誤解している」といってあなたを非難したのですから。

ウィルソン: ご存知のように、ほ​​とんどの科学者は自分の部族に閉じこもってそこから出ようとしない人々なのです。自分の人生が、手放すことができない特定の理論に縛られているからですよ。



シュピーゲル: ヒトが血縁選択で進化するのと集団選択で進化するのでは、かなりの違いがありますか?

ウィルソン: 全然違ってきますよ。進化を理解することだけが、人類についての真の理解を得るチャンスを提供してくれるのです。われわれは個体のレベルでの選択と集団のレベルでの選択の相互作用によって規定されていて、個体の選択は、われわれが罪と呼ぶものの多くの原因となるのに対して、集団選択は有徳の大部分の原因となるのです。われわれはだれでも、集団のための自己犠牲とエゴイズムや利己心との間で絶えず葛藤状態にあるのです。それどころか、私は、法律から創造的な芸術に至るすべての人文科学のテーマのすべては、個人選択対集団選択のこうした相互作用に基づいているとすら言いたいのです。




シュピーゲル: こうしたヤヌスの顔のような人間の本性が、結局、われわれの最大の強みなのでしょうか?

ウィルソン: その通りです。こうした利他主義と利己主義の間をゆれる内心の葛藤が人間の条件なのです。そしてそうした条件が新たなものを産み出しのだし、われわれの努力や創意工夫や想像力の源となるのかもしれません。永遠に続く葛藤がわれわれ人類をユニークなものにするのです。



シュピーゲル: では、どうしたらこの葛藤をうまく処理できるのですか?

ウィルソン: うまく処理するなんてないのですよ。その葛藤と生きていくしかないのです。



シュピーゲル: この人間の条件のどちらの要素のほうが強いのですか? 

ウィルソン: こんな言い方をしてみましょうか。もしわれわれが主に集団選択に影響されているならば、われわれは一種のアリの社会で暮らしていることになるでしょう。



シュピーゲル: ・・・・究極的な共産主義?

ウィルソン: そうですね。かつては、ヒトは集団を強調する社会を形成しました。たとえばマルクス主義イデオロギーをいただく社会がそうでした。しかし、逆もまた真である。別の社会では個人がすべてです。政治的に言えば、それは共和党の最も右寄りの人々が理想とする社会です。


シュピーゲル: ある社会でどんなイデオロギーが支配的になるのかを決定するのは何でしょうか?


ウィルソン: もし国土が侵略されるならば、集団内の協力は極限まで進みますよ。それは人間の本能です。もし西部開拓時代のフロンティアにいるならば、われわれは極端な個人的なレベルに向かいがちになる。それが、まだアメリカのかなりの問題をなしているように思われます。われわれアメリカ人はまだフロンティアにいると思っているのですよ、だからわれわれは絶えず個人の自発性や個人の権利や、個人の業績に基づいた報酬を前面に出そうとするのです。



シュピーゲル: 以前あなたは、利他主義の「徳」と個人主義の「罪」を区別していました。新著であなたは人間の本性の「まずい方の天使と良い方の天使」について語っています。こうした言葉を使うほうが便利なのですか?

ウィルソン: 正直に言いますが、「徳」や「罪」という用語を使うことは、詩人が「比喩」と呼ぶものなのです。つまり、私は自分の考えが大ざっぱな形で受けとられることを望んだのです。でも、私たちが「徳」と呼ぶものの多くは、他人に対して振る舞いを良くする性向と関係しています。私たちが「罪」と呼んでいるものは、人々が主に私利私益から行っているものなのです。



シュピーゲル: しかし、他者に対するわれわれの徳ある態度はそんな大したものではないでしょう。部外者の集団は、だいたいが敵意をもって迎えられますし。


ウィルソン: その通りですね。人々は集団に属していなければならない。それが人間の精神の最強の性向の一つで、それは変えることはできないでしょう。でも、われわれは戦争を回避できるくらいには進化していると私は思います・・・でも、集団間の競争の喜びを放棄することはないでしょうね。サッカーを例にしてみると・・・

シュピーゲル:  ・・・・あるいはアメリカン・フットボールを例にしてみましょう。


ウィルソン: そうですね。アメリカン・フットボールは流血のスポーツですよ。人間は、チーム・スポーツや、チーム・スポーツに結びついた国家や地域の誇りを生き甲斐にするものです。それこそわれわれが目指すべきものなのです。なぜなら、やはり、こうした気迫は最も創造的なものの一つだからなのです。こうした気迫がわれわれを月面に着陸させたのだし、人々はそれからかくも多くの喜びを得たのです。そうした偉業が邪魔されるのを私は見たいとは思いませんね。それは人間であることの一部なのです。われわれは、ビッグ・ゲームや、チーム・スポーツや競争やオリンピックを必要としているのです。



シュピーゲル: 「ヒトは旧石器時代の感情をもっている(Humans have Paleolithic emotions)」というあなたの言葉がありますが・・・・

ウィルソン: ・・・・それと「中世の制度と神のような科学技術」をね。それが私たちの状況なのです。そして、われわれはそうした状況に対処しなければならないのです。



シュピーゲル: どうやって対処するのですか?


ウィルソン:人間の本性を十分に理解していないので、どうやって対処したいいか判らない、公共的な政策やガバナンスの状況でも判らない、ということが実にしばしばありますよね。われわれは、科学が提供する最良の方法で人間の本性を全然見てこなかったのです。新たな啓蒙が必要だと私は思います。18世紀に、最初の啓蒙が起きたとき、科学はその任務に当たらなかった。しかし、いまこそ科学がその任務に当たるべきだと私は思います。私たちは、より良い、科学に基づく自己理解を得るために、今の科学の知識を活用する必要がありますね。



シュピーゲル: その啓蒙のプロセスで、あなたは宗教を投げ捨てようとしたいように思われるのですが?


ウィルソン: いいえ。それは誤解ですね。私は、壮大な芸術や儀式や音楽のすべてを備えたカトリック教会が消えてしまうのを見たいとは思ってません。ただ、創造の物語りは放棄してほしいと思ってます、特にイエスの復活はね。



シュピーゲル: それは無駄な努力かもしれませんね・・・


ウィルソン: マリア様の身体が地球から天国へと昇天したことが可能だったかどうかと尋ねられたアメリカの生理学者がいました。彼はこう言ったのです。「私はその場にいなったので、その昇天が起きたのか起きなかったのかについては、どちらとも断言はできません。でも、一つのことは確信できます。それは、彼女は上空1万メートルのところで意識を失ったということです」。そこが科学の出番のところなのです。真面目に言うと、創造の物語りはない方が良いと私は思いますが。


シュピーゲル: この新しい啓蒙によって、われわれは人類のより高い状態に達することになるのでしょうか?

ウィルソン: われわれは自分を向上させたいと本当に望んでいるのでしょうか? 地質学的に見れば、ヒトはとても若い種であり、われわれがこんなにも混乱している理由はおそらくそれなのです。われわれは、まだ、戦争に行こうとする攻撃性と能力をかかえ込みながら生きているのです。しかし、われわれは本当に自分を変えようと望んでいるのだろうか? われわれは、実際にヒトのゲノムを変えることができる時代のちょうど入口に立っています。しかし、われわれはそんなことを望んでいるのだろうか? われわれは、もっと理性的で、あの旧石器時代の感情をもたない種族をわれわれは創造しようと望んでいるのだろうか? 私の答えは「ノー」です。それは、超人的な知能をもつロボットからわれわれ人間を区別する唯一のものは、われわれの不完全で、捉えがたく、たぶん危険ですらある感情だからです。そうした感情が、われわれを人間とするものなのです。

シュピーゲル: ウィルソンさん、この会話をありがとうございました。





」(おわり)

















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