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成功者でありながら統合失調症の患者でもあること [海外メディア記事]

  この記事の筆者であるエリン・サックスの名前を初めて見たのは、境界性パーソナリティー障害と闘ったマーシャ・M.リネハンの記事を紹介したときだった(境界性パーソナリティー障害と闘う(1)・・・・http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2011-06-25)。

  その時から気になっていて、サックスという名前は記憶の片隅に残っていた。そのサックスが『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿していることを知って、それを紹介してみようという気持ちになったのは自然の成り行きだった。
 
  サックスは統合失調症を患っていながら法学部の教授に昇りつめた人だが、最近は、精神医学の領域でも活躍をしているようだ。その活動を支えているのは、自分と同類の人間が少なからずいるはずだという信念であろう。この一文も、精神疾患を抱える人々に大きな希望を与える内容になっている。



Successful and Schizophrenic

By ELYN R. SAKS
Published: January 25, 2013

http://www.nytimes.com/2013/01/27/opinion/sunday/schizophrenic-not-stupid.html?src=me&ref=general





成功者でありながら統合失調症の患者でもあること




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 30年前、私は統合失調症と診断された。診断後の見通しは「重症」だった。あなたは決して自立できないだろうし、職を得ることも、愛するパートナーを見つけることも、結婚もできないだろう。介護施設があなたの家になるだろう。精神疾患で衰弱した人々といっしょに娯楽室でテレビを見ながら一日を過ごすことになるだろう。症状が治まれば、こづかい稼ぎのような仕事ならできるだろう。精神科に入院したのは28歳の時が最後だったが、その時の医師は私に両替屋のレジで働きなさいと励ましてくれた。それがうまくできれば、あなたの能力を見直して、もっと難しい仕事につけるようにするし、フルタイムの仕事だって可能かもしれない、と私は言われたのだ。


 そのとき私は一つの決心をした。自分の人生の物語りを書こうという決心を。今日、私は南カリフォルニア大学グールド・ロースクールの主任教授である。私はカリフォルニア大学サンディエゴ校の医学部精神科で非常勤の講師をしており、新精神分析センター(New Center for Psychoanalysis)にも籍を置いている。マッカーサー財団から私はジーニアス・グラント(genius grant:天才賞)を授与された。


 私は長年にわたって統合失調症という診断と戦ったが、私は自分が統合失調症の患者であり生涯にわたって治療を受ける立場であり続けることを受け入れるようになった。確かに、優秀な精神分析療法や投薬治療は私の成功になくてはならないものだったからだ。私が受け入れることを拒んだのは私の診断後の見通しだった。


 従来の精神科の思考法とその診断のカテゴリによれば、私のような人間は存在しないのである。だから、私は統合失調症の患者ではないか(どうぞ、私の心に押し寄せる妄想たちにそう言ってください)、私は自分の業績を成し遂げられたはずはなかったのである(どうぞ、南カリフォルニア大学の人事委員会にそう言ってみてください)。しかし、私は統合失調症の患者であるし、私は私の業績を自分で成し遂げたのだ。そして、私は南カリフォルニア大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究者と共同研究を行い、私が例外でないことを示すことができた。私以外にも、統合失調症をもち妄想や幻覚といった症状に苦しみながら、顕著な学問的業績をあげたり専門職で偉業を達成した人がいるのである。



 過去数年間にわたり、スティーブン・マーダー、アリソン・ハミルトン、エイミー・コーエンを含む共同研究者と私は、ロサンゼルス在住の20人の高機能統合失調症の患者と会合をもってきた。彼らは軽度の妄想や幻覚的行動のような症状に苦しんでいた。彼らの平均年齢は40であった。男女半々で、半分以上はマイノリティだった。全員が高校を卒業しており、大多数が大卒あるいは大学院卒の学歴をもっているか、それを目指して勉強中だった。彼らは大学院生だったり、経営者だったり、技術者だったり専門職に就いていた。その専門職には医師、弁護士、心理学者、非営利団体の最高経営責任者が含まれていた。


 同時に、ほとんどが未婚で子供をもっていなかったが、それは彼らが統合失調症と診断されたことからすれば当然であった。(私の共同研究者と私は、高機能統合失調症の人々を人間関係という観点から見る別の研究を行なうつもりでいる。私は40代半ばで結婚した――それは、今まで私に起こった最良のことだった――が、それは、それ以前の18年間デートもしたことがなかった私にとって、考えられない出来事だった)。4分の3以上は病気のために2回から5回の入院歴があったが、一度も入院したことのない人が三人いた。



 こうした統合失調症の人々は学業や高レベルの仕事でどうして成功するにいたったのか? この研究に参加した人々は皆、投薬や治療に加えて、統合失調症を活発化させないテクニックを開発していたことを私たちは知った。ある人にとって、このテクニックは認識的なものだった。修士号を持つある教師は、自分の幻覚と向き合って、「それが現実だという証拠は何だ? それとも、単に知覚の問題にすぎないのか?」と問いかけるようになったと語った。別の参加者は、「私を軽蔑するような声はたえず聞こえてきますよ… 聞き流せばいいんです」と語った。


 症状に対する警戒策の一つは、「より本格的な症状の経験を防ぐために」「トリガーを見きわめること」だと、非営利団体のコーディネーターを務めるある参加者は言った。たとえば、混雑した街中であまりに長い間人と一緒にいると症状が出てくることがあるなら、友人と旅行するときは独りになる時間を組み込むとよいのだそうだ。 


 私たちの参加者が引きあいに出した別のテクニックの中には、感覚から入ってくるものをコントロールすることも含まれている。ある人にとって、このことは自分の生活空間をシンプルに保つことを意味するが(壁には何も飾らず、テレビもなく、ただ静かな音楽をながすだけにする)、他の人にとって、それは気晴らしの音楽を意味する。「何も耳に入ってこないようにしたいときは、うるさい音楽を聞くことにしているわ」と認定看護師助手である参加者は言った。さらに、運動、健康的な食生活、アルコールを避けることや、十分な睡眠をとることを挙げる人もいた。神への信仰や祈りが重要な役割をはたしている人もいた。



 私たちの研究の参加者が症状を管理する助けとなっているテクニックのうち最も頻繁に言及されるものの一つは仕事だった。「仕事は私という人間の重要な一部でした」と私たちのグループにいるある教師は言った。「ある組織にとって有用な人間になりその組織で尊敬されていると感じるとき、そこに所属することにある種の価値が生まれるものです」。そう述べる人は週末にも働いているのだが、それは「気晴らしという要因」のためだという。言い換えれば、仕事に没頭することで、あの狂おしい部分が脇に追いやられることもしばしばあるのだ。


 私個人のことを言えば、おかしくなり始めるたびに、私は医師や友人や家族に救いの手を求めることにしていて、私は彼らから多大な支援を得てきた。おいしいもの(私の場合はシリアル)を食べ、静かな音楽を聴く。刺激はすべて最小限に抑える。普通は、こうしたテクニックと、薬を増やしたりセラピーの時間を長くしたりすると、症状はなくなっていく。しかし、仕事――頭を働かせること――が私の最良の防御策だ。仕事をしていれば精神が集中するし、あの悪魔どももおとなしくしてくれるのだ。私の精神は私の最悪の敵であると同時に私の最良の友でもある、と私は言えるようになった。


 だからこそ、医師が患者に充実したキャリアを期待したり追求したりするなと言うのはとてもやりきれないのである。精神疾患に対する従来の精神科医のアプローチが、特徴的な一群の症状を見ることで終わっている――人間を見ない――ことが、残念ながらあまりに多すぎる。従って、多くの精神科医は、薬で症状を治療することが精神疾患を治療することだという見解を抱いている。しかし、これでは、個人の力や能力は考慮に入らないし、患者が世界で何を達成したいと望んでいるかをメンタル・ヘルスの専門家が過小評価することにつながっているのだ。


 これは統合失調症に限ったことではない。今月初め、『児童心理学および精神医学ジャーナル』誌に投稿された研究は、発達障害の一種である自閉症と診断された人々の中には、後になって自閉症の症状を示さなくなる人々がいることを示した。その人々は回復したように見えたのだ――何年も行動療法や治療を受けたおかげだが。最近の『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』誌のある記事は、高機能自閉症の大人を雇って、その尋常ではない記憶能力と細部への注意力を活用している新しい会社のことを記していた。


 私は統合失調症についてポリアンナのような楽天主義者のように思われたくはない。精神の病は本当に窮屈な思いをさせるものだし、それを美化しないことは大事なことだ。誰もが映画『ビューティフル・マインド』のジョン・ナッシュのようにノーベル賞を受賞できるわけではない。しかし、創造的思考の種子が精神疾患のうちに見出されることもしばしばあるだろうし、人間の脳の適応したり創造する力を人々は過小評価しているのである。


 症状を考慮するだけでなく、個々人の長所を探そうとするアプローチがあれば、精神疾患を取り巻く悲観論はある程度払拭されるかもしれない。統合失調症の一人の患者が言ったように、「病気の中にある健全さ」を見つけることが治療のゴールとなるべきなのだ。医師たちは患者に、もっと人間関係を発展させたり、意味のある仕事につくように励ますべきなのだ。医師たちは患者を勇気づけて、自分の症状を管理するテクニックの自分なりのレパートリーを見つけて、自分で定めた生活の質を目指すようにさせるべきなのだ。そして、医師たちは患者に、そうしたことを実現させる資源――セラピー、薬、支援――を提供すべきなのだ。



 「すべての人間は、世界にもたらすことのできるユニークな才能やユニークな自己をもっている」。私たちの研究に参加している一人はそう言った。その人が言い表したのは、統合失調症や他の精神疾患のもち主であっても、誰もが望んでいることを望んでいるという現実である。その誰もが望んでいることとは、ジクムント・フロイトの言葉を借りると、仕事をすることと愛することなのである。




( 筆者は南カリフォルニア大学法学部教授であり回顧録『定まらぬ中心:狂気をめぐる私の旅』の著者でもある )





」(おわり)


















コメント(3) 

コメント 3

中島正順

はじめまして、私の息子が統合失調症で、昨年冬、急死しました。常用していた薬の副作用だったようです。
学校にも行けず、病院での生活が長く、悩む息子には「それでも普通なんだよ。病気も個性の一つ」 といい続けてきました。
何が正しくて何が間違っているかさえ不分明に感じられる現代で、言葉に惑わされず、個々の状態を見つめ対処することが大切なのだと考えています。
息子にこの文章を読ませたかったです。

私のサイトに息子の詩集を掲載していますが、そこからこちらへリンクを張らせていただきます。ご覧になって不都合があれば連絡をください。その際にはすぐ削除します。
よろしくおねがいします。
他のページも読ませていただきます。
ありがとうございます。
by 中島正順 (2013-09-15 09:18) 

LP大好き

初めまして。私も統合失調症と2,3か月前に診断された者です。

日本では精神の病気はまだまだ途上国でしょうし、かといって患者を人体実験のように治療することは天罰がくだること間違いなしです。

どのような医師に治療していただくかで患者生活もかなり違ってくると私は確信しています。

辛い時もあるかもしれません。
一日も早くご健康を取り戻されますように!
by LP大好き (2014-08-06 20:58) 

すーちゃん

はじめまして。
私自身が統合失調症で、けっこうボロボロですが、それでもまだ生きています。
たまたまこの記事を目にしまして、勇気を貰った気持ちです。

統合失調症であることを私は隠して生きていますが、この記事のかたのように生きて見たい気にもなっております。

勇気を。。。希望を。。。
ありがとうございました。

by すーちゃん (2014-10-12 22:24) 

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