So-net無料ブログ作成
ブログパーツ
 

過去の自分と未来の自分に対する態度の違いはなぜか [海外メディア記事]

  自分が過去において大いに変化したことは認めるのに、これからの自分はあまり変わらないだろうと考える傾向は、どの年齢層の人間にも等しく見られるものらしい。そうした研究結果に触れた『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を紹介する。


 こうした傾向は何故生ずるのか? いくつかの考え方が紹介されている。「歴史の終わり幻想(end of history illusion)」というフレーズがいきなり出てきて面食らうが、これは、わかりやすく言えば、「今の自分は個人史のいわば頂点に立っている」という幻想で、これまでは山あり谷ありでやって来たが、もうそうした変化は起こらないだろう、という思い込みのこと。そう思い込みがちになるのは、今の自分が正当化されるような気分になれるから、と心理学者は説明する。


 しかし、そうした解釈よりも、最後にあがっている解釈、過去を思い出すのは簡単だが、未来を想像するのは骨が折れるからという解釈の方がすっきりするように思うのだが、どうだろうか。
 




 
Why You Won’t Be the Person You Expect to Be


By JOHN TIERNEY
Published: January 3, 2013,

http://www.nytimes.com/2013/01/04/science/study-in-science-shows-end-of-history-illusion.html?ref=science







 なぜ人は思った通りの人間にならないのか?





 われわれが過去の自分を思い出すとき、その自分は今の自分とはずいぶん違っていたように見える。年月が経つうちに性格や嗜好が大きく変わってしまうことは周知の事実だ。しかし、これから先の自分を考えるとき、どういうわけか、われわれは自分が変わることはないだろうと思い込むのである。これは、人々の自己認識についての研究の記述の中で、心理学者のチームが火曜日発表したものである。

 
 彼らはこの現象を「歴史の終わり幻想(end of history illusion)」と呼んだ。その幻想を抱く人々は、「これからの将来において自分がどれほど変化するかを過小評価する」傾向があるのだという。 18歳から68歳までの19000人以上の人々を対象にしたこの研究によれば、十代の若者から退職した高齢者にまでこの幻想は根強くあるのだという。



 「中年の人は――私もそうですが――十代の頃の自分を、しばしば喜びと悔しさが入り混じったような感情とともに振り返るものです」と語るのは、執筆者の一人でハーバード大学の心理学者であるダニエル・T.ギルバート(Daniel T. Gilbert)。「私たちが決して理解しようとしないことは、将来の自分が振り返るときも、今の自分について同じことを考えるだろうということです。私たちは、どんな年齢であっても、今の自分が最後の判断を下していると思うのだし、私たちは、どんな年齢であっても、間違ってしまうのです」。


 心理学者の中には、木曜日に『サイエンス』誌に発表されたこの結果に感心し、その裏づけとなる証拠の多さに感銘を受ける人もいた。この研究の参加者は、過去および現在における、性格上の特徴や好み――好きな食べ物、休暇地、趣味、バンド――-について尋ねられ、将来の予測をするように求められた。若い人の方が高齢の回答者よりも、過去十年間でより多くの変化があったと答えたが、それは驚くべきことではない。


 しかし、これからの10年で性格の特徴や好みがどうなっていくかを予測するように求められると、あらゆる年齢層の人々が一貫して変化はあまり起こりそうにもないと答えたのである。

 
 たとえば、典型的な20歳の女性の今後10年間の予測は、典型的な30歳の女性が20代に自分がどれほど変わったかの思い出ほど根本的なものではなかった。こうした不均衡は、60代にいたるまでのすべての回答者の間に根強く見られた。


 こうした不均衡は記憶違いからくるものではないようだ。なぜなら、人々が覚えている性格の変化は、性格上の特徴が年齢とともにどのようにシフトするかを記録する独立した調査と非常によく一致していたからである。人々は、自分がこれからの将来でどのくらい変化するかを想像するよりも、かつての自分を思い出す方がずっと得意であるようだった。


 
 なぜだろう? ギルバート博士と共同研究者であるハーバード大学のジョルディ・コイドバック(Jordi Quoidbach)とバージニア大学のティモシー・D.ウィルソン(Timothy D. Wilson)には、いくつかの理論があった。まっ先に思いついた理論は、人々は自分自身の美点を過大評価する傾向があるというありがちな理論だった。


 「私たちは、個人的な進化のピークに達したばかりだと信じると、気分が良くなるわけです」とコイドバック博士は言った。「この「いま知っていることをあの頃知っていたなら」という経験は、私たちに満足感や{今の自分は有意義な人間だという}感覚を与えてくれますが、自分の好みや価値観が一時的なものにすぎないと判ると、あらゆる決断が疑わしくなって不安になってしまいかねませんからね」。



 あるいは、精神的エネルギーに関係があるのかもしれない。将来を予測することは、単に過去を思い出すことよりも多くの作業を必要とする。「人々は、個人的変化を想像することが困難だということを、変化そのものがありそうにないということと混同しているのかもしれない」と執筆者たちは『サイエンス』誌に書いている。


 この現象には弱点もある、と執筆者たちは述べた。たとえば、人々は、若い頃に、後になってしばしば後悔するようになる決断――たとえば、タトゥーをしたり、配偶者を選ぶ決断――をするからだ。


  これからの自分はあまり変わらないだろうという幻想は、懐具合についての疑わしい期待を生み出す場合もあるかもしれない。それは、研究者たちが、好きなバンドを見るためにどれくらいのお金を払うつもりがあるかを尋ねた実験で示したことだ。


  10年間ずっと好きだったバンドについて尋ねられると、回答者の多くは、今でもそのバンドのコンサートに出かけるなら喜んで80ドルは出すと回答した。しかし、今のお気に入りバンドについて、10年後にそのバンドのコンサートを見にどれくらい喜んで払うかと尋ねられると、その価格は129ドルにはね上ったのだ。彼らは10年前からのお気に入りであるクリードやディクシー・チックスなどがその輝きのいくぶんかを失ってしまったことは理解しても、コールドプレイやリアーナは永遠に輝き続けるものと思っているのは明らかなのだ。



  「「歴史の終り」効果は、個人の想像力の失敗を意味しているのかもしれません」と言うのはノースウェスタン大学の心理学者ダン・P.マクアダムス(Dan P. McAdams)。彼は、人々が自分の過去と未来の人生について構築するストーリーについての別の研究を行ってきた。彼は、人々が過去については複雑でダイナミックなストーリーを語るのに、未来については変化のほとんどない曖昧で平凡な予測をするのをしばしば耳にしてきた。



  マクアダムス博士は、1980年代にゲームの『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートル(Teenage Mutant Ninja Turtles)』に夢中だった4歳の自分の娘と交わした会話を覚えている。いつかはそのタートルたちもお気に入りじゃなくなるかもしれないよと彼が娘に言ったら、彼女はその可能性を認めることを拒んだのだ。しかし、20代になってから、彼女は、4歳の心の片隅ではお父さんが正しいかもしれないことを理解していた、と告白したのだ。


  「4歳の彼女にも判っていたのです、好みが変わると何がタートルの代わりになってくれるのかを想像するもできなかったので、自分が変化するという考えに抵抗していたということをね」とマクアダムスは述べた。「心の中では、自分は変わるかもしれないと疑念をもっていたけど、どのように変化するのかが想像できなかった。だから、自分は変化せずに続いていくんだと言い張ったのです。たぶん、こんなことは、われわれの誰にでも起こっていることですよ」。






」(おわり)




















コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。