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銃乱射事件容疑者の素顔 [海外メディア記事]

 コネティカット州ニュータウンの小学校で男が銃を乱射し、子供20人を含む26人が死亡した事件で、銃を乱射したとみられるアダム・ランザについて現在得られる限りの情報を集めた記事を『ニューヨーク・タイムズ』紙より。

 記事にあるように容疑者はアスペルガーだったという情報もあり、そういう方面でも尾を引きそうな事件である。




A Gunman, Recalled as Intelligent and Shy, Who Left Few Footprints in Life

By DAVID M. HALBFINGER
Published: December 14, 2012

http://www.nytimes.com/2012/12/15/nyregion/adam-lanza-an-enigma-who-is-now-identified-as-a-mass-killer.html





 銃乱射の容疑者は、成績は良いが内気として記憶され、生前ほとんど足跡を残さなかった



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 彼は高校一年の特別英語クラスに黒いブリーフケースをもってきて、すぐに出入りできるようにドア近くの席に座った。授業で指名されると、優秀な答えを返したが、緊張して落ち着かず、まるで声を出して話さなければならないのが苦痛であるかのように言葉を吐き出していた。

 
 背が高く、青白くやせこけていたアダム・ランザ(Adam Lanza)は、級友が思い出せるわずかなことと言えば、コネティカット州ニュータウンの高校を歩いているときに両手をぴったり体につけていたり、ボタンダウンの半袖シャツのポケットにペンを入れていたことくらいだった。



 彼は注目を避けるためにあらゆることをしたようだった。


 金曜日までは。



 当局によれば、ランザ氏(20)は戦闘服を着て、わが国の歴史の中で最悪の学校乱射事件のひとつを実行した。彼は、彼の母が働いている小学校で子供20人と大人6人を撃ち殺した。その後、彼は自分に銃を向けたようだ。警察によると、それに先立って、彼は自分の母親も射殺していた。



 彼の短く終わった青年時代に、ランザ氏は、ネット上であれ他の場所であれ、ほとんど足跡を残すことはなかった。彼は、ニュージャージー州ホーボーケンに住む彼の兄ライアン――金曜日に数時間、この虐殺事件の加害者として誤認報道された――とは異なり、Facebookのページももっていなかった。


 アダム・ランザは、彼の高校の卒業アルバム、2010年のクラスのアルバムに顔を載せてすらいなかった。彼の写真が載るはずのところには「カメラ嫌い(Camera shy)」と書かれていた。その年に卒業した人々は、彼が卒業したとは思えないと述べた。


 現在コネティカット大学の二年生のマット・ベイアーや高校の他の同級生たちが思い出せることは、ランザ氏が社会的な状況の中で心中いかに気づまりだったかということだ。


 個別にインタビューを受けた幾人かは、彼には発達障害があったというのが共通の理解だったと語った。彼らによると、その障害は高機能型の自閉症と考えられるアスペルガーだと聞かされていた。


 「そのために彼をいじめていたことはなかったと思います」とベイヤー氏は言った。「私が見るかぎり、みんなは彼のことをほっときましたよ、それだけです」。


 警察当局は、ランザ氏がそのような障害をもっていたかどうかをくわしく調べるつもりだと金曜日語った。


 発達障害に詳しいと語る元同級生の一人はランザ氏を「とてもフラットな感情」の持ち主と述べ、「彼を見ても、どんな感情を彼が今抱いているのか全然わからない」と付け加えた。


 他の人によると、ランザ氏が明らかに気まずい思いをしていることで、彼を理解していない人たちはくすくす笑うこともあったと語った。


 「彼は困った立場に置かれるととても気まずいと感じていたのは判りました」と語るのは、現在コネティカット大学に在籍するオリビア・デヴィーロ。「多分、彼には適切な注意や手助けが与えられなかったのだと思います。彼はあまりに注目されなかったので、だれも立ち止まって、彼には普通とは違うことが起こっているのかもと――彼も話しかけたがっているのだとか、メンタル面での助けを求めているのだとかいったことを―――気づいてあげることがなかったのです。高校では、彼の様子を見て、「なぜ彼はあんな風にふるまっているの?」とわざわざ考える人は一人もいませんでした」。



 デヴィーロさんは、小学校六年生かそれ以前のランザ氏が宇宙人の話をしたり「いろんなものを爆破する」話をしていた思い出があるが、それも思春期前の男の子たちがよくする話題にすぎないとした。


 それでも、金曜日にニュースを聞いた後、デヴィーロさんはニュータウンの友人に連絡をとったが、誰もが「やっぱりね」という口調だった。「みんな驚いていませんでした」と彼女は言った。「彼は私たちの高校とも結びつきをもっていなかったし私たちの町とも結びついていなかったから、こんなことをしでかしかねないように見えた、とみんな言ってたわ」。


 彼女はこうも付け加えた。「彼がだれかといっしょだったのを私は一度も見たことがなかった。彼と付き合いがあった人を一人も思い出せないの」。


 高校2年生の数学の特別授業のクラスの後方の席で隣だったベイヤー氏によると、ランザ氏は一年に単語を一つ言うか言わないかという程度だったが、それでもテストの点は良かったそうだ。なぜそれが判ったかというと、先生がテストを返却したときランザ氏の点数をちらっと見たことがあったから、とベイヤー氏は述べた。




 クラスメートの見えないところでは、ランザ氏の思春期は激しく揺れ動いていたようだ。彼の兄が2006年にコネティカット州のキニピアック大学(Quinnipiac University)に進学すると、家には彼と両親が残されたが――その結婚は明らかに破たんを迎えつつあった。



 2008年に両親は17年目にして離婚したと裁判所の記録は語っている。彼の父ピーター・ランザは、ゼネラル・エレクトリック社の税務担当の幹部だが、かれはスタンフォードに移住し、2011年1月にコネティカット大学の司書の女性と結婚した。


 彼の母ナンシーはニュータウンの家にとどまった。ニュータウンは、彼女が働いていた小学校から5マイルほど離れた広々とした新しい家々が集まる豊かな丘陵地だ。アダム・ランザもその家で暮らしていたと考えられた。


 友人たちの回想によると、ランザ夫人は息子たちの生活に口出しすることがとても多かったようだ。


 「母親は過保護で、何かとかまっていました」と語るのはジーナ・マクデイド。彼女の息子はライアン・ランザの遊び仲間で、彼の自宅(ジーナによればプール付き2階建ての植民地時代風の家)でずいぶん遊んだ。


 「美しい家でしたよ」とマクデイドさんは言った。「彼女は家の切り盛りが上手で、私よりもね。何よりも子供のことを優先していましたよ」。


 ベス・イズラエル(43)は、自分と家族はランザ家と同じ通りに暮らしていて、娘がアダム・ランザと一緒に学校に通っていたと述べた。彼女はこの3年はランザ家の誰にも話しかけたことはないと語った。


 「彼は社会に適応できない子供だった」とイズラエルさんは言った。「いつも問題を抱えていました。一人ぼっちだったし。友人が誰かなんて知らないわ」。


 母親とは時々話すことがあったというが、人づきあいがいい家族ではなかったと述べた。


 金曜日、警察官やFBIのエージェントがランザ家の近隣に集合し、通りを遮断し住民に家を離れるようにと要請した。


 午後にでた新たな報道では、ランザさんの生き残った息子であるライアンが殺人者と名指しする報道もあった。


 ライアン・ランザの身分証が、彼の弟の死体から発見されたために、間違った報道につながったようだ。


 ホーボーケンでライアン・ランザの隣に住むブレット・ウィルシーは、午後一時15分にインスタント・メッセージでライアンと連絡を取ったと述べた。


 「お母さんは死んだと思う、これからコネティカットに戻るよと彼は言いました」とウィルシー氏は述べた。「「やったのは弟だ」と言ってましたよ」。






」(おわり)




















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