So-net無料ブログ作成
検索選択
ブログパーツ

悪 その6 : アドルフ・アイヒマンの裁判(1) [探求]

 クレア・カーライル女史による「悪」の本性について考えるシリーズの6回目。

 「悪」について哲学的に考える上でもっとも重要な転回点となったハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』が論じられる。





Evil, part 6: The trial of Eichmann (1)

Clare Carlisle
guardian.co.uk, Monday 19 November 2012 09.00 GMT

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2012/nov/19/evil-trial-eichmann-morally-responsible





 悪 その6 : アイヒマン裁判(1)

ヒトラー政権下の移送業務の責任者を有罪と見なしたとき、裁判所は彼を自由で、道徳的に責任のある人間として認識した


Eichmann-trial-1961-008.jpg

アドルフ・アイヒマンは、ヒトラー政権下の輸送業務の責任者としてふるまう以外に選択肢がなかったと主張した




 1961年、哲学者のハンナ・アーレントはエルサレムに向かいアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した。被告人は1942年から終戦までヒトラー政権下で輸送業務の責任者だった男で、その仕事はヨーロッパ全土からポーランドの死の収容所へと移送することだった。アーレント――1930年代にナチス政権から逃れたドイツ系ユダヤ人だった――は、『ニューヨーカー』誌の一連の記事でアイヒマンの裁判について書き記し、1963年、本の長さほどもある『エルサレムのアイヒマン : 悪の陳腐さについての報告』と題された報告書を出版した。われわれは2週にわたってアイヒマンの裁判を取りあげるが、それは、この裁判が――アーレントの論争を呼んだ分析のためだけではない――独特の意味で哲学的な意義をもつものだからである。




 「悪の陳腐さ」というアーレントのフレーズがアイヒマンの犯罪を軽微なものにしているように思えたので、多くの人がこのフレーズにかみついたのは当然のことだった。しかしアーレントにとって、このフレーズは単に「裁判で明白になった」一つの事実を記録したにすぎなかった。アイヒマンを調べた心理学者と同様に、この哲学者はアイヒマンが普通の人間であることに強い印象を受けた。実際、アイヒマンは思いやりのある夫であり、父親であり、兄弟であり、息子であり、友人であるように見えた。しかし、アーレントは、まさにこの正常さを「恐るべきもの」と見なし、アイヒマンの悪の陳腐さそのものが「ぞっとするもの」だと述べたのである。


 アーレントは次のように書いた。「個人的な昇進を目指すときの異常な勤勉さを別にすれば、彼には動機というものがまったくなかった。それにこの勤勉さそのものもいかなる意味でも犯罪的ではなかった。上司を殺してその地位を奪い取ろうなどということは決してしなかっただろう。彼は単に、俗な言い方をすれば、自分が何をしているか理解していなかっただけなのだ」。アイヒマンは操り人形ではなかったにせよ、途方もなく――そして破滅的なほど――思考しない(thoughtless)人間だったとアーレントは結論づけた。アーレントによれば、とりわけ極端なこのケースは悪一般について重大なことを明らかにしているという。つまり、こうした思考の欠如は、悪しき本能をすべてかき集めた以上の破滅をもたらしうる、というのである。


 どのような意味でアイヒマンは思考しなかったのか? 彼の裁判記録を読むと、彼は知性がなかったわけでもないし反省することがなかったわけでもないことが判る。実際、彼は裁判官に、輸送業務の責任者のポストに就くためにベルリン(「それは自分の意志に反していたし、自分の希望にも反していました」)に移動した後、彼はカントの『実践理性批判』を読んだと語った。普遍的な法になるような原則に従ってのみ行動せよ、というカントの道徳哲学の中心的な教義にはもうなじんでいた、と彼は説明した。ポーランドに何千人ものユダヤ人を移送する業務に取り組むようになると、彼はカントの道徳をより詳細に勉強するようになった。「旅をするとき、あまりしゃべらず、もの思いにふけるのが私の習慣です」と、アイヒマンは裁判官に語った。


 カントの「定言命法」が言い表しているのは、個人的で自己中心的な偏りがまったくない道徳の原理である。誰に対しても妥当するはずの規則だけを尊重するという点で、道徳的な人間は、自分自身の利益を他人の利益よりも優先したり、自分自身の自由を他人の自由よりも高いものとして評価したりすることを拒絶する。そのような人の道徳性は人間性そのものに対する敬意によって導かれている――あるいは、人間の尊厳に対する敬意に導かれている、と言ってもいいだろう。そしてその尊厳は人間の自由に基づいているのだ。実際、この種の道徳的行為だけが真に自由な行為だとカントは主張したのだが、それは、われわれの欲望や感情や性癖などは自然の因果的秩序の一部であり、したがって物理的法則に従属しているにすぎないからである。人間は、自分自身の法則を選択することによってのみ、自己の自由を実現できるのであり――そして、この選択は物理的・経験的な諸力に影響されないものなので、道徳的法則だけが、自由に選びうる唯一の法則なのである。

  カントの理解についてのアイヒマンのコメントは少し混乱していたが、彼は定言命法について十分理解していることを証明した。では何が間違っていたのだろうか? 1942年までは、このカントの道徳原理にしたがって人生を送ろうと自分は努めていた、とアイヒマンは述べた。(この時期には、1930年代の初期からナチスと親衛隊に積極的に関与したことも含まれるだろう)。しかし、ユダヤ人を移送するという任務を与えられたとき、彼はもはやカント的な道徳の理想に従うことができないと思った。自分は自由を奪われていたので――カント的に言えば――道徳的な主体でいることができなくなった、と彼は述べた。「私は自分自身と折り合いをつけようと努力していましたが、何も変えることができないし、何もできないと思いました。そこで私は自分にこう言いきかせたのです。「私はカントの要求に従って生きていたかったが、当分そんな生き方をするのはできそうもない」。


 裁判でアイヒマンは自分が「新しい」「空前絶後の」政治状況にいたと語った。彼の言い分では、こうした政治状況は道徳の根本的な方向性の喪失をもたらした。「(当時の状況を別の時代と比べる)比較の可能性はなかったし、どうしたらそれが出来るのか、誰も知りませんでした。そして戦争が起こりました。私がしなければならないことはたった一つのことでした」。これらの言葉はゾッとさせるものがあるが、悲劇的でもある。「たった一つのこと」が記しているのは個人的なレベルでの全体主義、つまり、たった一回しかない人生を、他のあらゆる配慮――道徳性や人間性を含む配慮――を排除する恐るべき一つの目的に切りつめてしまうことだった。



 アイヒマンが裁判にかけられたとき、彼は自分がなぜあのような行動をしたのかの説明をする責任を負わされた。彼を有罪としたとき、裁判所は彼を自由で道徳的に責任ある人間として認めた。もちろん、このことは、自分は「何もできなかった」というアイヒマンの主張を拒否したことを意味する。カント的に言って、裁判所は、彼が悪をなしうると考えることによって、彼の人間としての尊厳を承認したのである。悪の陳腐さについてのレポートの後書きで、アーレントは次のように書いた。「判決において、裁判所は、そのような犯罪は、巨大な官僚機構が国家の資源を利用することによってしかなされえないことを認めたのは当然のことだった。しかしそれがやはり犯罪である限りにおいて――当然ながら、それこそ裁判の前提なのだが――、官僚機構の歯車のすべては犯罪の加害者という姿に、つまり、人間という姿に戻されたのである」。





」(つづく)
















コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。