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日本人の無宗教性・・・その2 [探求]

  前回紹介した「信仰心および無神論のグローバル・インデックス――2012(GLOBAL INDEX OF RELIGIOSITY AND ATHEISM - 2012)」というアンケートが示しているように、日本人は「信仰心」で世界最低レベル、「無神論」率で世界最高レベルにあるようだ。

  もっとも、そのアンケートに含まれる“RELIGIOSITY”という語は結構やっかいな語だ。「信仰心」、「信心深さ」、「敬虔」、「宗教性」等々に訳されるが、アンケ-トは次のような設問になっていたようだ。


 「あなたが礼拝する場所に通っているかいないかに関わりなく、あなたは自分を信心深い人間(a religious person)であると言いますか、それとも信心深い人間ではないと言いますか、それとも確固たる無神論者(a convicted atheist)だと言いますか? 」


 こういう設問でおそらく問題となりうることは、「信心深い・敬虔な(religious)」という言葉が、無神論との対立関係に置かれることである。つまり、こういう選択肢だと、「信心深さ」が何らかの「有神論」の立場と等価だということになってしまう。しかし、信仰心や敬虔さをもっていると自負していても、それが「神」に結びつかない日本人は多いはずだから、そういう人はこういうアンケートに答えるのに気づまりを覚えるのではないだろうか?

 
  同じことは、シカゴ大学の調査にも言えるかもしれない。「私は神の存在を信じない」のパーセンテージが低いのに、「私は、神が本当に存在していることを知っているし、そのことについて何の疑いも抱いていない」という有神論的な立場も極端に低かったのは、スミス博士が想定しているように日本人が極端な選択肢を回避する傾向があるということよりも、無神論vs有神論という西欧的な問題設定そのものに違和感を感じる日本人が多いからなのかもしれないのだ。


 


  
  こうした意識のずれは、「宗教」を定義しようとする試みにつねにつきまとうものだ。岩波書店の『哲学事典』の「宗教」の項目の「宗教の定義」を見てみよう。「宗教」の定義としてももっとも普通に使用されるのは「実体論的定義」だ。つまり、それはたとえば「超自然的な存在への信仰」という定義である。「超自然的な存在」の代わりに、「絶対的なもの」、「聖なるもの」等々のようなものでも構わないのだが、いずれにせよ、そのような存在に対する信仰によって「宗教」を定義すると、「仏教や儒教のような非有神論的な宗教がこぼれ落ちてしまう」危険がある、と同事典は指摘しているのだが、ひょっとしたら、あのグローバルなアンケートには、そうした配慮がいまいち欠落しているのかもしれない。



  もっとも、それは穿(うが)ちすぎで、ギャラップ社のアンケートが用意した四つの選択肢、つまり、「自分は信仰心のある人間だと思う」、「信仰心のある人間だとは思わない」、「確固たる無神論者だと思う」、「判らない/無回答」という四つの選択肢に答えづらいものがあったとしても、答えづらいと感じた人は「判らない/無回答」を選べばよかったのだから、ギャラップ社のアンケート結果にケチをつける理由にはならないかもしれない。



  ちなみに、「宗教」の「実体論的定義」に問題があることは見たとおりだが、岩波の事典によると、それに代えて「機能論的な定義」が持ち出されることもあるという。引用しよう。



「   これ(=「実体論的定義」)に対して、人間の生活の中で宗教が果たす機能に注目する宗教の定義があり、実体論的定義と対比的に用いられてきた。機能論的定義として有力なのは、宗教とは「人聞が直面する究極的諸問題への応答である」とするものである。宗教とは「われわれに究断的に関わるものである」ティリツヒを引き緋いだもので、ベラーなどによって用いられた[宗教の進化]。機能論的定義では宗教の定義はかなり広くなってしまう傾向があり、たとえばユートピア的な唯物論思想であるマルクス主義なども宗教に合められることになる。  」




  少し言葉が難しいが、言われていることは簡単である。神のような絶対的存在との関連で定義するのではなく、われわれの生活の中で、われわれが抱えている(究極的な)問題に答えを出してくれるという働き(=「機能」)という点から「宗教」を定義してみよう、という考え方だ。家族の行く末、病人の未来、子供の誕生、結婚の可能性、生活の安定、生存の可能性・・・・・・個々人が抱える「究極的問題」は様々だが、それに答えてくれるものが「宗教」なのだという捉え方は、「実体論的な」捉え方よりもよほど日本人にはピンと来るものかもしれない。しかし、同事典が指摘するように、これでは「宗教」の範囲が広すぎてしまい、生きる指針を与えてくれるものはすべて「宗教」になってしまう。こういう文脈で「マルクス主義」を持ち出すのはかなりの年配の人だろう(この項の執筆者は宗教学者の島薗進氏で、氏は1948年生まれのようだ)。今なら、AKB48などが有力候補になるのではないだろうか?



  いずれにせよ、日本人は、正月の初詣に際して、「究極的問題」のことをほんのわずかな間でも念頭に浮かべ、それを無言の声にのせて祈りをささげるという風習をもっている。その際の場所は神社仏閣であることが多いが、場所は大した問題ではない。毎年300万人を超える人が正月に明治神宮に初詣に繰り出して祈願をする。明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社であるが、そのことを知っている日本人がどれほどいるだろうか? 祭神に祈りを捧げる行為を「宗教的行為」と呼んで何の不都合もないはずだが、私を含め毎年の正月に初詣に行くのを欠かさない(が、特定の信仰をもたない)人のどれ位が、自らの行為を「宗教的(religious)」と呼び、自分を「信心深い(religious)」と言い表すだろうか。



  ちなみに、英語の“religion”の語は“religare”という古代ローマの語に由来する。語源については、すでに古代ローマの哲学者のキケロが間違った説明を与えていたほど、もう古くから謎になっていた言葉のようだが、今日の学者の多くはreligionの語源を“religare”に求めている。“religare”は“re-ligare”。“re”は強意の接頭辞で、それ自体には意味はないようだ。“ligare”は「結びつける」という意味のようだ。英語で言えば“bind”である(http://en.wikipedia.org/wiki/Religion)。だから、“religion”とは、人々をある存在へと結びつける行為や、そのような行為をとおして結びつけられた人々の集団を指す言葉だったはずだ。


 そして、この“religion”は、西欧的な「実体論的」な(あるいは、一神教的な)解釈のもとでは、「唯一の神との結びつき」という意味に解されるようになる。そして、そのような結びつきを内心にもつ人が“a religious person”と見なされるのだ。 



 しかし、すでに示唆されたように、“religion”はそうではない意味に解することもできるはずだ。超自然的存在を必要としない結びつき、人と人とを結びつけるものとしての“religion”である。結び(bind)つけられた人々の集合は、英語では
“bond”と表現できる。つまり、“religion”の元来の意味は、“bond(きずな)”を形成する行為のことである。(大した確証があるわけではないが、この意味が“religion”の最も根源的な意味ではないかと私は思っている。語源的な問題はともかく、そうした趣旨を主張をした学者は少なからずいる。人々を一つに束ね社会を統制するものとしての宗教という捉え方である。宗教の、特に儀式的な部分は、ほとんどがそうした一体化、そうした統制に関係しているはずなのだ)。


 思うに、せめて年初の一日の一瞬くらいは、自分の「究極的な問題」に正直に向き合おうとして、多くの日本人が大挙して特定の場所に出向くが、それは集団的な行為の一環と見ることもできるし、日本人としての一体性を体感する行為であるように思われるのだ。「実体論的定義」では、それはおよそ「宗教的」とは言いがたい。だが「機能論的」に、「宗教」を「人々を一体化するもの」と考えるならば、初詣の行為は確かに宗教的と言えるのだ。習慣的な行為にすぎないと言えばそうだし、願い事も各個人の私的なものだから、私的な行為のようにしか見えないが、わざわざ特定のところに出向くという行為が多くの日本人に共有されており、その共有のあり方に“bond”を形成するものとしての“religion”という側面が現われているように思われる。それは、かろうじて残っている日本人の一体性に関わろうとする行為の残欠であリ、宗教の残欠なのである。
 




  宗教心をめぐる各種アンケートの結果にある種の不整合があるとすれば、それは「宗教」という言葉を日本人に対して適用することが少し難しいからである。その点を除くならば、おそらく日本人は「宗教的」ではないし、「信心深く」もない。それを良い方向に解釈すれば、迷信深くないということ、さらには(一神教的な)拘束や迷妄から自由であることを意味する。理性的である、とすら言えるだろう。しかし、他方から見て、自分を“religious”ではないと考える日本人が目立って多いということは、日本はそれだけ社会的なきずな(“bond”)が希薄だということを意味していると思われるのである。 








(おわり)




















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