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日本人の無宗教性・・・その1 [探求]

  最近、島田裕巳氏の『無宗教こそ日本人の宗教である』(角川書店)を読んで、少し考えることがあったので、ここでそれを記しておくことにする。ただし、断片的で雑感に近い書き方になることを予めお断りしておく。


 島田氏は、日本人が無宗教であることを示すために国内で行われた二つのアンケート結果を参考にしている。

 一つは、国学院大学が2003年10月に実施した「日本人の宗教意識・神観に関する世論調査」で、「あなたは何か、信仰とか信心とかをもっていますか」という問いに対して、「持っている」が26.1、「「持っていない」が70.9パーセントだった、というもの。


 もう一つは、2008年5月に読売新聞が実施した宗教観についてのもので、「あなたは、何か宗教を信じていますか」という問いに対して、「信じている」が26.1パーセント、「信じていない」が71.9パーセントだった、というもの。

 

 こういう数字からただちに日本人の「無宗教」的なメンタリティを結論として引き出せるかどうかは疑問かもしれない。国際的な比較の必要性が感じられるからだ。この点は後に立ち返ろう。


 しかし、他方で、読売新聞の同調査では、「現在、あなたが幸せな生活を送るうえで、宗教は大切だと思いますか、そうは思いませんか」という質問項目もあったが、それに対して、「そう思う」は36.6パーセントで、「そうは思わない」は59.1パーセントだった。島田氏はこの数字を捉えて「日本人の三分の一強が、宗教を大切なものと考えている」と記して、「日本人は実は宗教に熱心だ」という方向にもっていく。36.6パーセントが「宗教は大切だ」と答えたことが、「日本人は宗教に熱心だ」という主張の裏づけになるのだろうか? もちろん、それを裏づける事例は、他にもある。島田氏のあげているは、正月の初詣に行く人の異常なほどの数である。初詣の光景は、外国人から見ると驚異に映る。「日本人が習俗だと考えている初詣も、外国人の目から見れば、立派な宗教行事なのである」(同書、p.32)。



 この発言に少し注釈を加えよう。ほとんどの日本人は初詣を宗教行事と捉えないだろう。風習、習慣、「習俗」にすぎない、と考える。他方で、メッカに押し寄
せる巡礼者の大群を、TVで見る日本人は、イスラム圏の人々の信仰心に圧倒されるだろう。しかし、あれは信仰心の発露というよりも、昔からその文化圏の人々が行っている「習俗」の一種なのかもしれない。ラマダンや一日に何度もある礼拝も「習俗」かもしれない。「外国人の目から見れば」習俗にすぎないものも宗教行為に見えるのだ。だから、「外国人の目から見れば」、初詣も「宗教行事」なのだ。世界に類をみないほどの初詣の参拝数を誇る日本は、世界に類をみないほど「宗教に熱心だ」ということになるのだという。



 こうした簡単な紹介からでも『無宗教こそ日本人の宗教である』の大体の論旨は察しがつくだろう。だから、もうこれ以上立ち入るのはやめる。すこし苛立たしいのは「宗教」という言葉の曖昧さである。「日本人は無宗教だが、宗教に熱心だ」という主張において、「無宗教」の中の「宗教」と「宗教に熱心だ」における「宗教」は、それぞれ違う意味で使われていなければ、この主張はおよそナンセンスなものになってしまう。日本人は宗教をもっていないが、同時に宗教にすごく熱心だ、ということになってしまうからだ。まあ、これは少し言葉を補えば済む問題かもしれない。つまり、日本人は既成の教団やその教義を信奉していないという意味で「無宗教」だが、初詣の人出に示されるように、宗教施設に出向いて祈りをささげることには何らためらいを感じない、という意味では「宗教に熱心だ」と言える。かりに、前者の既成の教団や教義に対する信仰という意味の宗教を「宗教1」として、後者の初詣の祈願といった年中行事や習俗の一環の行為という意味での宗教を「宗教2」とすれば、『無宗教こそ日本人の宗教である』という本のタイトルは、『無「宗教1」こそ日本人の「宗教2」である』と読めばいいことになる。


 これと同様に、上の新聞社のアンケートも「あなたは、何か宗教を信じていますか」と単純に問うのではなく、「あなたは、「宗教1」を信じていますか」、「あなたは、「宗教2」を信じていますか」という形で行われれば、違った結果になったかもしれない。その時、日本人は世界に類をみないほどの宗教心に恵まれた国民という結果がでるかもしれない。もっともその場合でも、「世界に類をみないほどの「宗教2」心」と補足を加えなければいけないだろうが。



  しかし、こんな書き方は煩(わずら)わしすぎる。それに、島田氏が問題にしたいのは「宗教2」ではなく端的な「宗教」なのだ。「宗教」という言葉が多義的なのは十分認めたうえで、日本人は宗教に熱心だとあえて言いたいようなのだ。しかし、それは意図的に言葉の曖昧さを利用しているにすぎないようにも見える。それにまた、素朴な意味で判らないのは、なぜそれほどまでにして日本人が宗教に熱心だということにしたいのか、という点である。それが事実だからなのか? しかし、各種アンケートで日本人が無宗教であることは十分示されているのではないのか?  それともそれはどこか間違っていたか? そもそも、「宗教」の定義もしないで、意図的に「宗教」の曖昧さを利用して、無宗教な国民が宗教に熱心だと言いはるのは、それ自体曖昧な主張にしかならないのではないか? 





 …と、こういった疑問が頭をもたげてきたので、島田氏の書物には欠落していた国際的な調査がないのかどうかを調べてみようという気持ちになった。で、ネットで検索したら、二種類の調査結果を発見したので、それをここで紹介することにしようと思った次第である。   




  一つ目は、シカゴ大学のTom W. Smithによる“Beliefs about God across Time and Countries”と題された2008年に行われた(ただし発表されたのは2012年)の調査(http://www.norc.org/PDFs/Beliefs_about_God_Report.pdf)。
 

 残念ながら、調査や集計の方法についての細かい説明がないために不明な点もあるのだが、世界43か国を対象にした調査らしい。スミス教授の論文には、調査対象となった43か国から30か国を抜き出して一覧にしたものがいくつか掲載されている。そのうち最初のものを以下に掲げよう。
 
  テーマは「無神論および神への強い信念に関してランクづけした世界各国一覧」で、左側の数字は「私は神の存在を信じない」に同意するパーセンテージ、右側の数字は「私は、神が本当に存在していることを知っているし、そのことについて何の疑いも抱いていない」に同意するパーセンテージである。


Belief About God Across Time and Countries 7.jpg
 


 面白いのは、左側の無神論に積極的に同意するかどうかについては、日本は30か国中19位とアンチ無神論の傾向が強いのに対して、神に対する強い信仰の欠如という点では旧東ドイツを抑えて第一位に輝いているという点だ。旧東ドイツのように神に対する信仰心が弱いのであれば、それと相関的に無神論の傾向も強くなるのが首尾一貫しているように思えるのだが、どうも日本人は信仰心については首尾一貫性がないというか、強い信念は欠いているが、無神論というほどではなく、初詣などの機会には神仏に対して手を合わせることはあるということだろう。この研究を発表したスミス教授によると、これは「強い、極端な選択肢を回避するという日本人の全般的な応答のパターンに合致している」という。






 さて、もう一つ見てみよう。ギャラップ社が2011年から12年にかけて、57か国5万人の男女を対象にして実施した、「信仰心および無神論のグローバル・インデックス――2012(GLOBAL INDEX OF RELIGIOSITY AND ATHEISM - 2012)」という名の調査である(http://redcresearch.ie/wp-content/uploads/2012/08/RED-C-press-release-Religion-and-Atheism-25-7-12.pdf)。
 

 最初に掲げる表1は、信仰心がある(religious)と答えた人のパーセンテージ(GLOBAL RELIGIOSITY INDEX FOR 2012)。  

 次の表2は、無神論者(atheist)だと答えた人のパーセンテージ(GLOBAL ATHEISM INDEX FOR 2012)。


 その次に掲げた表は、詳しいアンケート項目の数値である。それぞれ「自分は信仰心のある人間だと思う(A religious person)」、「信仰心のある人間だとは思わない(Not a religious person)」、「確固たる無神論者だと思う(A convicted atheist)」、「判らない/無回答(Don't know/ No response)」のパーセンテージを示している。



表1

RED-C-press-release-Religion-and-Atheism-25-7-12 9.jpg


表2

RED-C-press-release-Religion-and-Atheism-25-7-12 10.jpg


表3

RED-C-press-release-Religion-and-Atheism-25-7-12 4.jpg






 一見して分かる通り、信仰心の低さと無神論者の割合のいずれでも、中国に次いで日本は二番目である。しかし、中国における宗教は政治的な弾圧の対象になりがちであること(および、共産党のイデオロギーが宗教の代用をしていること)を想起するならば、中国の数字はそのまますんなりと認めるわけにはいかないように思う。


 また、先ほどのアンケートは、過去のアンケートとの連続性を重視して「東ドイツ」というもはや存在しない国家を挙げていたが、ギャラップのこの調査では「ドイツ」に一括している。「ドイツ」は「信仰心」では51パーセント、「無神論者」の率では15パーセントとなっている。やはり「無神論者」の率は高いが日本ほどではないことが判る。

 

 最後の表を見ると、先のアンケートと同じように、日本では「判らない」という態度保留の答えが群を抜いて多いことが判る。しかし、先ほどのアンケートでは「私は神を信じない」が8.7パーセントと低かったのに対して、このアンケートでは確固たる無神論者だと答えた人が31パーセントの高率になっている。「判らない」を折半して、「信仰心のある人間だとは思わない」と答えた人と無神論者だと答えた人を足すと、だいたい7割強の人が「無宗教」の側にいることになる。これは、島田氏が参考にした日本国内の二つのアンケートと符合する数字であるので、かなり実態を反映していると考えても良いのではないかと思われる。


 とりあえず、この二つのアンケートから、日本人は「信仰心」は世界最低(あるいは、最低レベル)で、「無神論者」の率は世界最高(あるいは、最高レベル)であるのは確かであるように思われる。さて、ここから何を取り出すべきか? 何事もトップ(レベル)であることは誇らしいことではないだろうか?




(つづく)


















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