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1パーセントの人々による自己破壊 (2) [海外メディア記事]

 アメリカ社会で進行する教育上の格差の拡大、政治上の少数独裁体制への移行について述べられている。

 実に堂々とした論述だなと思ったら、これは記事というよりも、“Plutocrats: The Rise of the New Global Super-Rich and the Fall of Everyone Else”という書物からの抜粋で構成されているようだ。いずれにせよ、読ませる内容になっている。ずっと『ニューヨーク・タイムズ』紙の人気記事ランキング(MOST E-MAILED)の一位を占めていただけのことはあると思う。




少しばかり判りづらい言葉があるので、注釈を加えておこう。

企業用の交付金(Corporate pork)… pork barrelという形で使われることが多いが、これは、政治家が選挙での支持確保を目的に、地元選挙区において経済的に非効率な事業を行う利益誘導のこと。porkはそのための交付金のことか。下の文章では、「豚肉」とかけて使われている。



泥棒男爵(robber baron)… 19世紀のアメリカ合衆国で蘇った、寡占もしくは不公正な商習慣の追求の直接の結果として、それぞれの産業を支配して莫大な私財を蓄えた実業家と銀行家を指した、軽蔑的な意味合いの用語。


 
The Self-Destruction of the 1 Percent

By CHRYSTIA FREELAND
Published: October 13, 2012


http://www.nytimes.com/2012/10/14/opinion/sunday/the-self-destruction-of-the-1-percent.html?_r=1&pagewanted=2
http://www.nytimes.com/2012/10/14/opinion/sunday/the-self-destruction-of-the-1-percent.html?pagewanted=3&_r=1






「 

 1パーセントの人々による自己破壊 (2)






勝者がすべてをさらっていく経済がトップの人々を富ませたときでさえ、彼らの税負担は軽減された。組合の法的権限が弱体化され、大富豪の資金援助を受けたシンクタンクが反組合の主張を執拗に続けたときでも、高い役員報酬に対する許容度は高まった。1950年代には、最上位の所得を得ていた人々に対する限界所得税率は90%を超えていたが、これは今日の民主党員さえたじろがせる数字だった。それに対して、2009年の最も裕福な納税者上位400名のうち、連邦所得税をまったく払わなかった者は6名、10パーセント以下しか払わなかった者は27名だった。35%以上支払った者は皆無だった。


 歴史的に見ると、米国はヨーロッパよりも高い社会的流動性を享受してきたし、左右両陣営もこのオープンな経済のあり方をこの国の経済的活力の重要な源泉と見なしてきた。しかし、最近の研究のいくつかが示したところによると、今日のアメリカでは、自分が生まれた社会階層から抜け出ることはヨーロッパよりも難しくなっているのだ。カナダの経済学者のマイルズ・コラーク(Miles Corak)が発見したことだが、所得の不平等が大きくなるにつれて、社会的流動性は低下するのだ――この現象を、大統領経済諮問委員会(White House Council of Economic Advisers)の委員長であるアラン・B.クルーガー(Alan B.Krueger)はグレート・ギャツビー・カーブ(Great Gatsby Curve)と呼んだ。


 学業こそアメリカの中産階級を生み出したものだが、それはもはや上昇することはない。スーパー・エリートたちはその子供に際限もなく資金をつぎ込んでいるが、公立学校は資金難にあえいでいる。これこそ新たな「貴族閉鎖」だ。エリート教育は、すでにトップにいる人々にしか利用可能ではなくなりつつある。ビル・クリントンとバラク・オバマは娘たちを名門の私立学校に入学させた。私も自分の娘に同じことをしたが。


 今年の始めにスイスのダボスで開かれた世界経済フォーラムで、私はその時ブラウン大学の学長だったルース・シモンズ(Ruth Simmons)にインタビューを行った。彼女はアイビー・リーグの大学を首席で卒業した初のアフリカ系アメリカ人で、ゴールドマン・サックスの役員を務めてきた人だ。ハーバードで鍛えられた文学研究者のシモンズ博士は、貧しい学生がもっとブラウン大学に入学できるように努力したが、アイビー・リーグの「黄金名鑑」とも言える「レガシー(legacy admission:卒業生の親族・子孫が優先的に入学できるシステム)」を廃止する時期に来ているのではないかと尋ねたところ、彼女は笑ってこう受け流した。「ダメよ、私には孫娘がいるの。まだそんな時期じゃないわ」。


 
 アメリカの「貴族閉鎖」がもっとはっきりした形をとることもある。トップにいる人々の有利になるように経済のルールをねじ曲げてしまうのだ。今日の少数独裁体制の仲間内(なかまうち)資本主義は、ヴェネツィアのものよりはるかに巧妙だ。それは主に2通りの動きをする。



 第一は、国の希少な資源を自分の方に流れ込ませるチャンネル作りだ。「政府に依存する」「47パーセントの国民」についてのミット・ロムニーの発言が馬鹿馬鹿しいのはこの点にある。実は、政府の支援をもっとも効率よく得ている――そしてその支払いを他人にさせている――のは、経済のピラミッドのトップにいる人々、特にトップのそのまた先端にいる人々なのである。



 物証その1は、2008年に7000億ドル投じて超党派でなされたウォール街の救済である。物証その2は、仲間内での回復だ。経済学者エマニュエル・サエス(Emmanuel Saez)とトマス・ピケティー(Thomas Piketty)は、2009年から10年にかけての経済の回復期でのインカムゲインの93%が納税者の上位1%のものになったことを見出した。トップの0.01パーセントの人だけでこうした付加的な収益の37パーセントを獲得し、世帯当たり平均して420万ドルを獲得したのだ。



 仲間内資本主義の第二の現象はもっと直接的である。企業や産業部門が確保する税法上の特典や貿易上の保護や政府の補助金である。企業用の交付金(Corporate pork :もちろん元来は豚肉の意味)は、本当に党派を超えて人気のある食べ物だ。石油や鉄鋼の企業がジョージ・W.ブッシュ政権下で勝ち組だったように、クリーン・エネルギーや生命保険の企業が現政権での勝ち組だった。



  権力あるものがさらにいっそうの権力をもとうとする衝動は何ら驚くものではない。競争と平坦な競技場は、私たちを一つの集団として見た場合には良いものだが、個々の事業者にとっては苦難の種である。ウォーレン・E.バフェットはこのことが判っている。「真に偉大なビジネスは、投下された資本に対する高いリターンを保障してくれる永続的な「堀」をもっていなければならない」と、彼は2007年の投資家への毎年恒例の手紙の中でそう説明した。「資本主義の「創造的破壊」は社会にとってとても有益であるが、それは投資の確実性を不可能にしてしまう」。マイクロソフト社は、競合他社を単純に締め出すことによって、裁判所によって停止されるまで、堀を掘りつづけようとした。オープン・プラットフォーム経済から多大な利益を上げたアップルでさえも、iPhone5の買い手に自社の劣った地図アプリを押しつけようとせざるを得なかった。


 ビジネスマンは、自分は自由市場経済の擁護者だというポーズをとるのが好きだが、シカゴ大学経営大学院(University of Chicago Booth School of Business)の経済学者のルイジ・ジンガレス(Luigi Zingales)
が主張したように、「ほとんどのロビー活動は、既存の業界の利益を促進するという意味では業界寄り(pro-business)だが、真に自由でオープンな競争を促進するという意味で、市場寄り(pro-market)であることはない」のである。





 19世紀初頭、米国は地球上で最も平等主義的な社会の一つだった。「わが国に貧民はいない」とトマス・ジェファーソンは1814年の手紙の中で自慢した。「わが国民の大多数は労働者だ。肉体労働も専門職の仕事もせずに暮らしていける金持ちは少数であり、しかも適度な富しか持っていない。労働者階級のほとんどは財産を所有し、自分の土地を耕し、家族を持ち、労働に対する需要があるので、十分な食料を確保し、見苦しくない服を着、適度な労働をし家族を養っていけるだけの報酬を、富者や有資格者から得ることができるのである」。


 
 ジェファーソンにとって、この平等こそ、アメリカが享受していた例外的な状況の核心にあったものだ。「これ以上に望ましい社会状況がありうるだろうか?」


 こうしたすべてが工業化とともに変わってしまった。フランクリン・ルーズベルトが1932年にコモンウェルス・クラブでの演説で主張したように、産業革命は「財界の巨人たち」のおかげでなし遂げられた。「彼らのやり方は細心の注意を払って精査されてはいないが、彼らが用いた手段がどうであれ、彼らは結果を出すにつれて賞賛された」。アメリカは泥棒男爵(robber barons)を必要としていたのかもしれない。ルーズベルトは、米国が「清濁あわせ飲んだ」のは正しかったと述べた。

 
 しかし、こうした巨人たちが富と権力を蓄積し、アメリカのフロンティアから無償の土地が消え去ったたとき、この国は「貴族閉鎖」の脅威に直面したのである。ルーズベルトが述べたように、「われわれが知っているような機会の平等はもはや存在しない」。その代わりに、「われわれは、経済的な少数独裁体制に向けて、まだそこに到達していないとしても、着実につき進んでいる途中なのだ」。


 
 今日のアメリカで、金持ちとそれ以外の者のギャップが、南北戦争後の大好況時代(Gilded Age)のどの時期よりも大きくなっているのは偶然ではない。今も、当時と同様、巨人たちがその経済力に見合うだけの一層大きな政治的発言権を求めている。今も、当時と同様、避けがたい危険は、彼らが自分たちの私利私欲を共通善と混同することだ。大富豪の政治的台頭に付きまとう皮肉は、ヴェネツィアの少数独裁体制と同様、そうした政治家が、自分たちを生み出したシステムにとっての脅威になる、ということなのである。









」(おわり)


















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