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1パーセントの人々による自己破壊 (1) [海外メディア記事]

 アメリカ社会で進行する格差の問題を扱った『ニューヨーク・タイムズ』紙のオピニオン記事を紹介する。今年は、昨年ほど「われわれは99パーセントだ」の運動は反響を呼んでいないし、あまり大統領選にも反映していないようだ。しかし、その運動が訴えた現実は厳然として存在し続けているはずなのだ。

 少し長いので2回に分けて紹介する。少数のエリートが自分の特権を守ろうと閉鎖的な体制を作ることによって衰退していったヴェネツィアの歴史をひも解くことから始まる。




 
The Self-Destruction of the 1 Percent

By CHRYSTIA FREELAND
Published: October 13, 2012


http://www.nytimes.com/2012/10/14/opinion/sunday/the-self-destruction-of-the-1-percent.html




「 

 1パーセントの人々による自己破壊 (1)




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17世紀のヴェネツィアの大運河の堤防やドゥカーレ宮殿を描いたレアンドロ・バッサーノの絵画





 14世紀初頭に、ヴェネツィアはヨーロッパで最も裕福な都市の一つだった。その経済の中心にあったのがコレガンツァ(colleganza)で、交易のために一回航海するたびごとに出資するために結成された合資会社の始まりのような組織だった。コレガンツァの栄光は、リスクを恐れない起業家たちに、商業的な航海に出資した名望ある実業家と利潤を分けあえるようにし、新規参入者に経済を開いたことだった。


 主たる受益者はヴェネツィアのエリートたちだった。開かれた経済がすべてそうであるように、ヴェネツィアの経済も激動にみちていた。今日の私たちは社会の流動性を良いものとして考える。しかしトップにいる人々にとって、流動性は競争を意味する。都市国家ベネチアがその経済の絶頂期にあった1315年、上流階級は特権を独占する行動に出た。つまり、貴族階級を公式に登録する黄金名鑑(Libro d’Oro)を出版することで、社会の流動性にきっぱりと終止符を打とうとしたのである。その名鑑に登録されていない人は、支配層の寡頭体制に加わることができなくなったのである。


 ほぼ二十年前に始まっていたこの政治的シフトはきわめて顕著な変化だったので、ヴェネツィア人はそれに「貴族閉鎖(Serrata)」という名前を与えた。すぐに、政治的な閉鎖は経済的な閉鎖にもなった。少数独裁体制の独裁者のもとで、ヴェネツィアは次第に新規参入者に対して交易の機会を打ち切るようになった。最後には、コレガンツァが禁止された。統治するエリート層は自分たちの近視眼的な自己利益のために行動したのだが、長期的に見ると、「貴族閉鎖(Serrata)」は彼らにとっての終わりの始まりとなったし、もっと一般化していえばヴェネツィアの繁栄にとっての終わりの始まりになった。1500年頃のヴェネツィアの人口は1330年よりも少なくなっていた。17世紀と18世紀にヨーロッパの他の都市が成長する中で、ヴェネツィアは縮小し続けたのである。


 このヴェネツィアの繁栄と衰退の物語りは、ダロン・アセモグル(Daron Acemoglu)とジェームズ・A.ロビンソン(James A. Robinson)の著作『国家はなぜ失敗するのか:権力・繁栄・貧困の起源(Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty)』の中で、成功する国家と失敗する国家を分けるのは、その政治制度が包括的であるか少数精鋭的かどうかという点にあるという自説を具体的に示す例として、語られたものだ。少数精鋭国家は支配的なエリートによってコントロールされるが、エリートたちの目標は、自分たち以外の社会からできる限り多くの富を抽出することにある。包括的な国家は、経済的機会へのアクセスを誰に対しても与える。包括性が多いほど繁栄も大きなものとなり、それがより一層の包括性を創り出そうとする意欲を生み出すこともしばしばあるという。

 

 米国の歴史はそうした好循環として読むことができる。しかし、ヴェネツィアの物語りが示しているように、好循環が断ち切れてしまうことがある。包括的なシステムによって利益を得たエリートたちが、トップに登りつめるために使ったハシゴを外してしまおうという誘惑にかられることもあるだろう。そうなると最終的に、彼らの社会は少数精鋭的になり、その経済は衰退していくのである。


 それは、資本主義にはそれ自身を破壊する種子が含まれていると書いたカール・マルクスによって予想された未来であった。そして、それは今日のアメリカが直面している危険でもある。そこでは、1パーセントの人間がそれ以外のすべての人間から遠ざかり、そのギャップをさらに拡大するような経済的、政治的、社会的政策を追求し――最終的には、アメリカを豊かにし、その1パーセントの人間が最初に富を築くことを可能にした開かれたシステムを破壊しようとしているのである。


 トップにいる人々とそれ以外の人々との間に広がっている社会的な溝(それはとりわけ教育面で広がっている)のうちに、アメリカの忍び寄る「貴族閉鎖(Serrata)」を見ることができる。底辺や、中間層のアメリカ社会は疲弊しており、こうした層の苦しんでいる家庭の子供たちの学業成績は、他の階層の子どもたちより遅れをとっている。

 エコノミストの指摘によると、中産階級の苦境は大部分がグローバル化や技術革新の結果である。文化も一役買っているだろう。白人の労働者階級についての近著において、チャールズ・マレー(Charles Murray)は、空洞化した中間層を、伝統的な家族に関する価値観や昔ながらの労働観から離れて行ってしまったといって非難している。マレーによれば、そうした価値観は富裕者層には広く行きわたっているという(マレーは富裕者層を非難しているが、それは文化的相対主義が広がるのを許したためにすぎない)。

 どちらの言い分にもそれなりの真実がある。しかし、1パーセントの人々が、アメリカ社会で増大している格差に対する応分の責任を逃れることはできない。この高まる不平等の背後には経済的な勢力があるだろうが、オバマ大統領のかつての予算局局長だったピーター・リチャード・オルザグ(Peter Richard Orszag)が私に語ってくれたように、公共政策は、こうしたトレンドを和らげたというよりむしろ悪化させてしまったのである。



」(つづく)


















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