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中国は100年前の帝国主義 [海外メディア記事]

 毎日新聞の記事のタイトル「尖閣:「中国は100年前の帝国主義」 ドイツ紙が批判」(http://mainichi.jp/select/news/20120925k0000m030099000c.html)につられて読んでみたら、あまりに簡潔すぎるので元記事を紹介しようと思った次第。ドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事より。

 ヨーロッパ各国も、やはり大国中国に対する警戒心を相当持っていることが窺えて面白い。と同時に、大国主義的な主張の背後で、中国政府も窮地に追い詰められているので、領土をめぐる紛争が生じた場合は第三国を間に立ててつねに逃げ道を用意してやる必要があると述べている。これがヨーロッパの標準的な考え方なのだろうか。





Chinesisch-japanischer Inselstreit
Wie vor hundert Jahren

23.09.2012.
Von PETER STURM

http://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/chinesisch-japanischer-inselstreit-wie-vor-hundert-jahren-11901201.html




「 

100年前と同じ

2012年9月23日 中国は大国的なやり方で島や海域をめぐる日本との争いを解決したいと思っている――これは、とっくに過ぎ去ったと思われている時代への逆行なのだ




 西側の人間が中国を批判するのを(ドイツの元首相の)ヘルムート・シュミットは好まない。彼がなぜ好まないのかの理由は驚くべきものだ。中国は100年前のイギリスや他の大国がしたようなことしかしないから、というのがその理由だ。しかし、100年前のイギリスや他の大国がしたことは帝国主義であり、したがって悪しきものだということをわれわれは学んだ。では、なぜ――もちろん、中国の行動についてのシュミットの評価が正しいと仮定したうえでのことだが――中国を批判してはならないことがあろうか?


 現在、中国は西側で激しく批判されている。中国は、島や海域をめぐって日本やアジアの他の国々との紛争にのめり込んでいる。日本とのやり取りの中でその基調ははっきりと先鋭化した。中国がその隣国に対して経済戦争(不買運動)で脅しをかけ、日本はそれに耐えられるか、それを望むかと問いかけたのだ。


 
 この紛争の解決はどうしても必要だ。だがそれには、両国にその準備があることが前提となる。いま両国から聞こえてくるのは、ほとんどためにならないものばかりだ。「奴らはそんな連中だ」という決まり文句による古い偏見が繰り返し声高に叫ばれるが、それは、その都度反対側にいる人々がその正しさを証明しているように見えるからなのだ。


 両国の世論はともに容赦のないものになっているが、政府の公式見解は少し違っている。日本は、その膨張政策に対して1945年に多くの人命を失った末の敗北という代償を支払った。したがって、政府は平静を保つよう努めているが、これは選挙が始まれば必ずしも容易ではなくなることだ。それに対して中国は、たしかに、19世紀および20世紀に海外の大国によって大いに苦しめられた。しかし、そんな経験をしたからといって、中国は、外交政策の分野でこの方法――それがどんなに評判の悪い方法であっても――を他国に適用するのはやめようとはならないのだ。自国の影響が及ぶ領域を拡張することは大国の「古典的な」政策の一つである。おまけに、中国政府は世界中からほぼ毎日のように、中国こそ21世紀の「唯一の」勝者などといったことを聞かされている。そんな信念が次第に北京で根をはっていっても驚くにあたらない。中国が「古典的」な政策アプローチを度を越して行うとすれば――残念ながら、それは除外できないが――、それはとっくに過ぎ去ったと思われている時代への逆行となるだろう。


 今こそ、かつてないほど政治的理性が問われている。中国の指導層がそれをもっていることは、台湾の場合で見て取れる。確かにこれは北京の「重大関心事」であるに違いない。しかし、台湾が併合の野心などまったくもっていないということを別にすれば、北京は今のところ現状を受け入れている。


 では、東シナ海の島をめぐる紛争ではどうしてそういかないのか、ということが問題となる。中国の態度は、日本が領土を拡張しているだけではないかという疑念に近い。もちろん、中国のデモ参加者の多くは激昂しており、善良な愛国者が隣国に対して怒りをぶつけているだけだと思っているのだろう。結局、責任は政府にあるのだ。政府は島を争点にすることで、国民に対して自分自身をギリギリの状態に追い込んでしまったからだ。

 
 
  騒々しい声明とともに中国政府は怨念を呼び覚ましあおり立ててしまった。もし北京で理性が勝利するならば、人民の動きを何度も抑圧してきた政府にとって、さらなる抗議を防ぐことくらい簡単にできるだろう。しかし、それは一党独裁の共産党の威信がさらに低下することにつながりかねない。国内では党の腐敗――と、それに伴う諸々のこと――が目につくようになった。もう、尊大な他国に対して、こんな連中に国の名誉を守らせておくわけにはいかない――指導部の内外の国家主義者はそう主張するかもしれない。このような考え方が行きわたると、中国の共産党の指導者は問題をさらにもう一つ抱えることになるのだ。よく知られているように、窮地に追いつめられたと感じる独裁的な指導者ほど危険なものはほとんどないのである。


  戦争の危険などを口にすべきではない。中国の指導者層を窮地から救う必要があるだろう。いずれ米国が、日本を同盟国として理解し扱うという意味での当事者として、一役買うことになるだろう。東南アジアの大国であるインドネシアを含む他の国も、中国との対話に乗り出すことになるだろうし、そうすべきなのだ。どんなことがあっても、中国に、東アジア・東南アジアにおけるすべての島の紛争をその都度二国間で「解決」させようとしてはならない。


 思うに、どんな道をとおっても、中期的に解決できない紛争があるという認識に至ることはないだろう。だから、紛争の当事者同士が、互いの意見が異なっていて――残念ながら――現在は意見の一致をみることができないと理解し合うだけでも、大きな進歩となるだろう。しかし大国中国はそんな度量を示すだろうか? もしそうすれば、それは100年前のイギリスや他の多くの国が似たような状況で行なったこと以上のものになるだろう。そうなれば、中国に対する批判も減ることになるだろう。






」(おわり)

















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