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フェリーニの『道(La Strada)』について・・・その1 [探求]

 最近、平成生まれの学生とともにフェリーニの『道』を観る機会があった。(正確に言えば、『道』をはじめとする古典的な映画を何本か観たのだが、以下では、単純化して『道』についてのみ語る)。

 こういう古い映画を若い人に見せる場合、「はたして共感してくれるだろうか?」という一抹の不安を抱いてしまうものだが、それは要らぬ心配だった。映画(だけではないが)に対する共感に世代や年齢は関係ないという平凡な事実を再確認しただけだった。年をある程度とっていても、「何これ?」という反応しか示さない人がいたのも想定通りだった。要するに、作品を理解するうえで重要なのは年齢や世代ではなく、感性のあり方の違いなのである。


 それはともかく、ちょっと解説じみたことを求められて言葉に詰まってしまうことがあった。もう何回も観ている作品なので、自分の感想まじりのことならいくらでも言えるが、この作品にせよフェリーニにせよ、他人に提供できるほどの知識を私はこれまで仕入れたことがなかったので、『道』の背景について聞かれて答えられないこともあった。そのことが心残りに感じられたこともあったし、意味不明の箇所がいくつかあってそれを明らかにしたいという気持ちが前々からあったので、これを機にちょっとだけ勉強してみようという気持ちになった。

 これを書くにあたって解説書を何点か読んでみたが、とりわけ有益だったのは、『道』のスクリプトや関係者の証言などを収録しているPeter Bondanella and Manuela Gieri(ed): La Strada, Rutgers University Press(1987)だった。あまり注目されていない点を中心に、以下で、私が興味深いと思ったことを記しておくことにした。


 1. 『道』の最初のイメージ 
 2. テーマ曲の由来
 3. ジェルソミーナの造形









1. 『道』の最初のイメージ:明確な出来事と詩的インスピレーション

 


 『道』という作品が誕生したきっかけについては、すでに多くが語られているようだ。一番わかりやすい記述を英語版のWikiから拾ってみよう。共同で脚本を書いたトゥリオ・ピネッリとフェリーニが、期せずして、同じような構想を抱いた時のことである。フェリーニ自身の証言を聞くことにしよう。


 「僕が『青春群像』を撮影している最中に、トゥリオがトリノの家族に会いに出かけたことがあった。当時は、ローマと北部の間に自動車道路などなかったので、山道を進んで行かなければならなかった。くねくねと曲がりくねった道の一つで、一人の男がカレッタ(防水布に包まれた荷車の一種)を引っぱっている姿が見えた・・・。小柄な女性が後ろから荷車を押していた。ローマにもどると、トゥリオは自分が見たことや、路上での彼らのつらい生活を物語にしたいという願望を僕に語った。「次の映画にうってつけのシナリオになるよ」と彼は言った。僕も同じようなストーリーを夢想していたのだが、決定的な違いがあった。僕のストーリーは、旅回りの小さなサーカス団とジェルソミーナという名前の頭の弱い少女が中心のストーリーだった。そこで僕たちは、僕のみすぼらしいサーカスの人々と、トゥリオの火をおこして自炊しながら山々を放浪する人々を一つにしたのだ」(http://en.wikipedia.org/wiki/La_Strada)。



 別の回顧的な文章を読むと、ピネッリは、「行商人」の夫婦の苦労だったり、「公道での不可解な殺人」だったり、「ジプシーや曲芸師の悪業」について語ったようだった(Bondanella and Gieri,p.183‐185)。幌(ほろ)に“ZAMPANO”と書かれたあの荷車をジェルソミーナが押している姿や、サーカス内の喧嘩、ザンパノによる窃盗・殺人といった出来事は、すでに脚本家の頭に最初のイメージがひらめいた時から存在していたようだ。

 


(荷車を押すジェルソミーナ:『道』の原イメージの一つ)
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(ジプシーや曲芸師の喧嘩や殺人:『道』の原イメージの一つ)
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 ピネッリの念頭にあったイメージは、社会の底辺の人々の労苦や犯罪的な行為だったわけだが、これらは、いかにも「ネオ・リアリズモ」にふさわしい題材だった。『自転車泥棒』の延長線上にあるドラマだ。
 
 それに対して、フェリーニは、同じようなイメージを共有してはいたが、決定的な違いがあった。上の引用では、その違いが「サーカスとジェルソミーナ」に求められていたが、多分それは誤解を与える言い方だ。そういう個別的な要素が問題なのではなく、もっと微妙な違いがあったはずだ。ピネッリはその違いを「彼も同じアイディアを抱いていたが、それは、それほどドラマティックではなくもっと陽気なトーンだった」と述べている(Bondanella and Gieri,p.185)。


 言い換えると、『道』の骨子をなすドラマの要素――身売り、大道芸人のつらい生活、仲間割れ、窃盗、殺人、離別、死――そのものに、フェリーニの主たる関心があったわけではなかったようだ。むしろ、そうした悲惨なエピソードの数々が陰惨なものに沈みこまないような語り方や陽気な「トーン」を求めていた。そうした陽気なトーンをフェリーニが、ジェルソミーナ(あるいは、ジュリエッタ・マシーナ)に託していたことは言うまでもない。フェリーニが描いたジェルソミーナの絵コンテは、ジュリエッタ・マシーナ以上に底の抜けたような陽気さを感じさせるものだ。



(ジェルソミーナの原イメージ。Bondanella and Gieri,p.18)
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(ザンパノの原イメージ:アンソニー・クインよりもはるかに獰猛そうだ。Bondanella and Gieri,p.19)
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 しかし、フェリーニとピネッリの食い違いはそういうことだけではなかったようだ。フェリーニが『道』を構想した当初に抱いていたイメージはもっと漠然としたもののようだった。ピネッリはドラマを求めたが、フェリーニが求めていたのはドラマではなかった。フェリーニは何度かそのことに言及しているが、すべて曖昧である。曖昧だからこそ興味深いとも言えるのだが。少し引用してみよう。



 「・・・『道』の構想の始めのころは、映画についての混乱した感情しかなかった。書きかけて中断したノートは、はっきりとしない憂鬱の感覚、影のように付きまとい、あいまいで扱いにくく、記憶や予感からなる罪悪感を僕の中に引き起こした。この感覚は、運命のせいで、何故とも知らないままに離れられない二人の人間の旅路を、しつこく示唆した。その物語りを生み出すのはとても簡単だった。・・・


   「奇跡的な沈黙の中で、海に雪が降る。雲の不可思議な形。晴れた夜にナイチンゲールの歌声が空を満たし、とつぜん止む。八月の昼に小さな鬼が出てきてオークの木の下で口をあけて寝ようとする人々を悩ます」・・・この映画についての最初のメモはこんな具合だった。でも何を意味していたのか? どんな映画だというのか?  昔、ガンベットラ (Gambettola) に小さな男の子がいた。農夫の息子だったが、彼は、納屋で牛が鳴くと、赤い巨大なラザニアが壁から現れるのが見えるとか、とても長いカーペットが空中に浮かんで、それが左耳から頭を突っ切って、陽の光にあたって少しずつ消えていく、ということを僕たちに語ってくれたものだ。この少年はまた、二時になると、登楼から黒ずんだ銀の大きな球が二つ飛び出して、頭の中を横切って行くとも語っていたものだった。変わった子供だったが、ジェルソミーナもちょっとそういう所がなければならなかった」(Bondanella and Gieri,p.181-183)。


 
 「憂鬱」や「罪悪感」はドラマのラストを示唆するものだろうか? 鬼が眠ろうとする人を悩ますというイメージは、ジェルソミーナが野原で寝ているザンパノの目を開ける場面を想起させる。それに対して、海に雪が降ったりナイチンゲールが突然鳴き止んだりする場面は映画にはとり入れられなかったように思われる。ひょっとしたら、イル・マットが倒れる時の鳥のさえずりや、ラストでザンパノが波打ち際で顔を洗う時の白い波しぶきに、そうしたイメージが活かされたのかもしれない。いずれにせよ、海に降る雪や夜にナイチンゲールが鳴きやむというイメージは、「無人」のイメージであり、さらに言えば「孤独」のイメージである。「孤独」というモチーフがこの映画を支配していることはすぐに触れることにする。


  こうした「奇跡的沈黙」や「孤独」のイメージ、ありえない妄想を語る少年、それに似て陽気だが誰からも相手にされないジェルソミーナ、これらが混然一体となって、これから生まれようとする映画のインスピレーションとなっていたわけだが、リアリズムの「ドラマ」ではすくい取れないこうした要素、あえて言えば「詩的な」要素こそ、フェリーニが『道』の構想で一番思い悩んだ部分だったのではないかと、私は推測する。




 ガンベットラの少年を思い起こしてみよう。遠慮会釈ない言い方をすれば「精神薄弱」の子供ということになるだろうが、フェリーニがその子供のことを回想してそこに見出そうとしたのは知性の欠如ではなく、普通の人間にはない「別次元の現実を見たり聞いたりできる能力」であったことを、上の一文は語っている。同じことは、ジェルソミーナにも当てはまるはずだ。


  『道』の通常の紹介でまずいのは、ジェルソミーナの頭の弱さが強調されることだ。そういう情報をもって観ると、彼女の言動はすべて頭の弱い女性の間の抜けたものの数々という意味しかもたないことになってしまう。しかし、そう観てしまうと、彼女のもつ能力が目に入らなくなってしまうし、フェリーニの意図を見逃してしまうことになる。


 たとえば、ジェルソミーナは雨が降ることを予言できる。子供たちとすぐに交流できる。樹の声を聞くことができる。しかし彼女の最大の能力は、ある種の人々との心の交流ができるということだと思う。そのある種の人々とは「孤独」な人のことだ。

 
 作品中、ジェルソミーナが人と目と目を見つめ合うシーンが二度ある。一度目は、田舎の結婚式で難病の子供の部屋に連れて行かれたシーン。彼女は、瞬時に、その子供の置かれた状況を理解しその子をじっと見つめほほ笑む。安心したかのように、その子も見返すシーンだ。このシーンにジェルソミーナの能力がよく表われていると思うのだ。

 

(「心配しないで」と言わんばかりの微笑みで少年を見る)
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(警戒心を解いてジェルソミーナを見つめる寝たきりの少年)
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 この箇所は、フェリーニ自身がすでにある個所で解説している(『フェリーニ』ジルベール・サラシャ著、近藤矩子訳 p.116-117。今ではあまり見かけない差別狩りの対象になってしまうような表現が含まれているが、そのまま引用する)。


 「ぼくがリミニの近くの小さな村ガンベットラで、おばあさんの家にいたころ、百姓の子どもたちといっしょに遠征して、丘の向こう側の、昔僧院だった農場に入ってみたことがある。不可思議な部屋や通路や地下室のある奇想天外な建物を探っていくうちに、僕たちはとある屋根裏部屋で、よく熟するように拡げられたリンゴとトウモロコシの袋の間に、寝床のようなものをみつけた。それはベッドですらなく、粗末な床にすぎなかったが、その上に白痴の子どもがいた。働かない者にたいする、したがって異常に生まれついた者にたいするあの防御本能から、百姓たちは、おそらく彼が餓死することを希望しつつ、子供をほとんど打ち棄てていたのである。このことはぼくにショックを与え、強い印象をのこしたが、ぼくはこれを『道』に取りいれた。・・・ぼくがこれを入れたのは、たぶんジェルソミーナにしかと孤独を意識させたかったからだ。農場ではお祭りがある。ジェルソミーナは結局ひとといっしょにいて、歌や皆の陽気な楽しみに加わるのが好きな女だから、病人を見にゆこうと叫ぶ子どもたちにひっぱられてついて行く。他人から離れて、苦しんでいる――したがってきわめて神秘的な次元にある――この子どもの出現。ぼくの考えでは、これはすぐそこに立ちあらわれて、まじまじと彼を眺めるジェルソミーナのクローズアップにつなぐことによって、ジェルソミーナの孤独というものをかなり強力に暗示しうると思ったのだ」。



  ここでのフェリーニの説明によれば、この病気の子供を見ることによってジェルソミーナは自分の孤独を初めて意識するようになったことになる。自分の意識のレベルが少し変わったというわけだが、ジュリエッタ・マシーナの演技はそういう監督の意図を裏切っていて、そこに自分の同類がいることが瞬時に判ったかのような自然な共感を示しているように私には見える。



  これと同じ、孤独な人間がお互いをそれと認め見つめあう瞬間が、ジェルソミーナとイル・マットの間にもあった。


 (演技を終えて食事に向かうイル・マットを見つめるジェルソミーナ)
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 (ジェルソミーナを見てなぜか吹き出しそうになるのをこらえるイル・マット)
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 イル・マットは、ジェルソミーナがザンパノによって必要とされていることを教えた。どんな人間であっても何らかの役に立っているのだと。しかし逆説的ながら、そう教えるイル・マット自身が誰よりも孤独なのである。サーカスの人間から必要とされていないことを知らされて、イル・マットは「おれは一人で自由でいたい人間だ。おれは一人でやっていける」と言い放つ。同じように、最後の場面で、酒場から放り出されたザンパノも「誰もいなくも平気だ。ひとりで居たいんだ」と虚勢をはる。しかし、それが本心からでないことは一番最後の場面が雄弁に語っている。ザンパノが最後になってひとりで居られないことを正直に認めたのに対して、イル・マットは遂にそんな正直な告白をすることはなかった。その点で、イル・マットはザンパノ以上に救いがたく孤独だった。上に掲げた二つのショットは、そんな孤独な存在が同じ孤独な存在を認めた瞬間なのである。


  しかし、「逆説的」という言葉を上で使ったが、これは逆説的でも何でもないのかもしれない。イル・マットの教えは、誰よりも孤独を知っている人間だからこそ可能だったのかもしれない。


 ちなみに、「イル・マット」とは“il matto”というイタリア語の音訳。“il”は冠詞で、“matto”は英語の“mad”と同根の形容詞。英語的に書けば“the mad”である。もっとも、“il matto”は、“the mad”ではなく“the fool”と英訳されている。


 「イル・マット」は、キチガイを意味する「キ印」と訳されたこともあるが、そんな意味ではないだろう。「イル・マット」は狂った人間ではない。作品の中で「イル・マット」という表現は、綱渡りの前口上で女性がマイクを使って見物客に語りかける場面で使われている。無謀とも見えることを平気でやってのける男に対する名称として使われているのだから、「命知らず」とか「無鉄砲」というようなニュアンスのこもった「大ばか者」くらいの意味だ。しかし、それは狭い解釈かもしれない。この作品では、ジェルソミーナ、ガンベットラの少年、寝たきりの子供と同じ――フェリーニは上の引用文で「神秘的」という言葉を使っている――次元に「イル・マット」は属している。だから、「マット」の意味も、それら4人に共通する意味で捉えるべきなのかもしれない。そしてそれを日本語で言い表すのは非常に難しいことなので、やはり、「イル・マット」と音訳するのがもっとも無難なのかもしれない。
 



 さて、先ほどの「奇跡的な沈黙の中で、海に雪が降る」を含むフェリーニの回顧的文章にもどろう。そして、中断した先の文章を紹介してみよう。



「 もし僕が実際よりもっと恥知らずで何でも打ち明けてしまえるならば、登場人物に生気を与えた別の理由やもっと深いルーツを指摘できることだろう・・・自責の感情や、望郷の念や、後悔や、裏切られた無垢というおとぎ話や、信頼できる関係からなる純粋な世界といったものに対するもの悲しい希望や、見捨てられてこうしたすべてが不可能であることを知った体験などなどである。要するに、カトリック教会によって不断の努力とともに培われ、積み上げられ、管理されてきたあの曖昧で混乱した罪の意識というものを、である。


  僕がこの映画を作ったのは、僕が、ちょっと気の違ったところがありちょっと聖女のようでもある少女のような女性(bambina-vecchina)に惚れたからだ。僕がジェルソミーナと名づけたあの不器用で、滑稽で、とても優しい道化の女性にね。今でも、彼女のトランペットの音楽を聞くといつでも、僕の心は憂鬱で屈服したようになってしまうのだ」(Bondanella and Gieri,p.183-184)。



 今の引用の前半では、『道』のモチーフを掘り下げればカトリック的な感性に行きつくかもしれないこと、しかし、フェリーニは決してその点は掘り下げようとしないことが示唆され、後半では、ジェルソミーナに対する愛情が一番の動機であったことが語られている。実は、作品の中にも、フェリーニがあげていた二つの要素、キリスト教的な教義と「不器用で、滑稽で、とても優しい道化の女性」という二つの要素が同時に示されている個所がある。つまり、下に掲げたが、聖女としてのジェルソミーナを示唆するショットだ。もっとも、これは底の浅い仕掛けのように私には見えるが。



 (「純潔の聖母(Madonna Immacolata)」のポスターを背にするジェルソミーナ) 
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  『道』にキリスト教の影響があることはしばしば指摘されてきた。しかし、私としては、矛盾するような言い方になるが、「影響」を示唆するものは多々出ているが、「影響」などというものは何もなかったのではないかと考えている。フェリーニは、ロッセリーニが『神の道化師』でしたように、聖人の伝記をテーマに選ぶようなことに関心をもたなかった。フェリーニは、ロッセリーニに劣らぬくらい宗教的な関心をもっていたのかもしれない。なにしろ、『神の道化師』の脚本を担当したのはフェリーニ本人だったのだから、関心を共有していなかったはずはないだろう。しかし、フェリーニはそうした関心を、ジェルソミーナやイル・マットやガンベットラの少年の妄想や寝たきりの子供の孤独のレベルで受け取ろうとしたのだろう。つまり、そのような人々の側に立って聖なるものを理解しようとしたのである。そのような人々の存在だけで十分なのであって、それに加えてなぜ既成の宗教をことさら引っ張り出す必要があっただろう?
 

  ただし、あの寂しい修道院は例外だ。


 助監督のモラルド・ロッシ(Moraldo Rossi)の回想によると、『道』の撮影は、「クララ会(Poor Clares: 直訳すれば「貧しいクララたち」)」の三人の修道女がひっそりと息をひそめて暮らしていた「バーニョレージョ(Bagnoregio)にある古い、半分朽ちた修道院」で開始された(Bondanella and Gieri,p.188)。「クララ会」とは、聖フランチェスコの最初の女性の弟子であった「アッシジのクララ(Clare of Assisi)」が創設し、清貧の暮らしを第一にした修道会(the Order of Poor Ladies: 直訳すれば「貧しい女性たちの修道会」)のこと。映画で言えば、ザンパノが泊めてもらったにもかかわらず不遜にも窃盗を働くあの修道院が映画の出発点だったようだ。映画にも、修道女たちの清貧の暮らしぶりが簡潔ではあるがきちんと描かれていた。



 (丘の上にあるバーニョレージョの街の今の様子。かつては廃墟寸前で「死にゆく街」と呼ばれていたそうだ)
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(薪を切リ出す修道女。厳しく孤独な生活の一端だ) 
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  なぜこの修道院から撮影を始めたのだろう? ロッシも誰も書いてないので判らないが、フェリーニが脚本を担当したばかりだったロッセリーニの『神の道化師』とのつながりを思わざるをえない。しかしそれは表面的なつながりにすぎないのかもしれない。ロッシによれば、フェリーニは修道院のすべてが気に入り、そのありとあらゆるものに自分の世界を見出そうとしたらしい。彼にとって、そこは、『道』の撮影を始めるのにうってつけの場所だったようだ。もっとも、そこの何かを作品に反映させようとしたわけではないだろう。何らかのインスピレーションをその古い修道院から汲み取ろうとしただけだっただろう。そのインスピレーションとは、あの「奇跡的な沈黙」や「屋根裏部屋」に見捨てられていたあの「寝たきりの少年」と同じ意味をもつものだったのだろう。つまり、そこには並外れた「孤独」があったのだ。ただし、そのような「孤独」にもかかわらず修道院が現在まで受け継がれてきたことの奇跡を彼は感じとってもいたのではないか?  そして、その奇跡は、ジェルソミーナの死にもかかわらず、彼女のトランペットのメロディーがザンパノの記憶の底に残りつづけたあのラスト・シーンに反映されたのではないだろうか?  そう私は推測するのである。






」(つづく)










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