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イチロー、ヤンキースタジアムでデビューをはたす [海外メディア記事]

 イチローのトレードの話題が一段落して、さて、注目はヤンキースのプレーヤーとしてどうなるかと、次の段階に移ろうとしている。ヤンキー・スタジアムのデビュー戦に触れた『ニューヨーク・タイムズ』の記事を紹介する。 

 イチローのデビュー戦が、バレンタインのほぼ10年ぶりのニューヨークでの試合と重なるという奇遇もあったりして、歳月を感じさせる内容になっている。 



Rivalry Lacks Sizzle, but Suzuki Is Winner in Home Debut for Yankees


By DAVID WALDSTEIN
Published: July 27, 2012


http://www.nytimes.com/2012/07/28/sports/baseball/yankees-defeat-red-sox-in-suzukis-debut.html?ref=sports




「 
  ライバル対決は緊張に欠けた試合だったが、スズキはヤンキースの本拠地のデビュー戦で勝者となった



イチローは外野でも絶えず動いている。投球の間であっても、彼が次のプレーに備えて体中のあらゆる関節をほぐすようにしながら、足を伸ばしたり返球の動作をしている姿を目にすることができる。金曜日のヤンキースタジアムでは彼が頬を引っ張ったりつねったりする姿を見たファンがいたかもしれないが、その動作にだって理由はあるのだ。




 
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ラウル・イバニエス、対レッド・ソックス戦で1回に2ラン・ホームランを放つ。イチローは4打数1安打で、2得点をあげた。






 「とてもドキドキしていたんですよ」。ヤンキースのホーム・ゲームのデビュー後に彼はそう語った。「ヤンキースタジアムでの僕の最初のゲームがボストン・レッドソックス戦だったからね。日本では、これが現実なのかどうか、自分が夢を見ていないかどうかを確かめるためには、頬をつねるんですよ。それが今の僕の本当の気持ちなのです」。


 ほぼ12シーズンにわたってシアトル・マリナーズの一員だったから、スズキはレッド・ソックスとは何度となく対戦してきたし、2001年10月にはマリナーズの一員として、ヤンキースタジアムでのプレーオフという雰囲気がもつ重圧としびれるような感覚も体験していた。


 ヤンキースとレッド・ソックスの東地区の争いが引き起こす熱狂を、彼は10年以上にわたって遠くから見るばかりだったのだが、今週の金曜日に彼はその争いに参加する機会を初めて得たのだ。


 しかし彼が見たものは、いつもは過熱する宿命の対決にはほど遠い一戦だった。ピン・ストライプのユニフォームを着てブロンクスにスズキが初めて登場した試合で、ヤンキースはレッド・ソックスを10-3で圧倒し、ボストンのさえない今シーズンをさらに印象づけたのだった。


 レッド・ソックスはヤンキースの先発フィル・ヒューズから3本のホームランを打ったが、ヒューズは7月1日以来の勝ち星をあげた。3本のホームランはすべて走者なしのときに出たソロ・ホームランだったのだ。ヤンキースはパワーをもっと効果的に使い、2本の2ラン・ホームランを打った(1本目はラウル・イバニェス、2本目はラッセル・マーティン)。


 8回にはカーティス・グランダーソンの満塁本塁打が出て、今シーズンの真実をレッド・ソックスに突きつけたのであった。つまり、これでボストンに対して6勝1敗と勝ちを重ねたヤンキースの方が今シーズンはずっと強いのだという真実を。


 この敗戦で、最下位のレッド・ソックスはアメリカン・リーグ東地区でヤンキースとは11.5ゲーム差となった。



 スズキのデビュー戦の観客は49571人だった(2010年9月25日の対ボストン戦以降、レギュラー・シーズンでは最大の観客数だった)。ヤンキースがシアトルとのトレ-ドで月曜日に彼を獲得してから4試合目となるこの試合で、彼は4打数1安打、得点2を記録した。


 初回にライトの位置についたとき、ライトの観客席にいてこれまで通りに「イーチーロー(EE-CHEE-RO)」と声援を送るファンに向かって、彼は帽子を取っておじぎをした。


 「帽子を取ってお礼をしたくてね。一種のおじぎですよ」と通訳を介して彼は言った。「でも、プレー中だったので、どうしようかちょっと悩みました。でも問題なかったですね。もしおじぎをしている間にヒットがあったら、あの歓声はブーイングに変わったでしょうね」。


 スズキに対するブーイングはなかったが、試合前にボストンのボビー・バレンタインが紹介されたとき、わずかにブーイングが起きた。彼にとってこの試合は、2002年9月29日(その2日後に彼はメッツに解雇された)以来となるニューヨークの試合だった。


 試合前、バレンタインはビジター・チームの監督室に座って、この試合のめぐり合わせを思って眉を上げたり首を振ったりした。彼のニューヨークでの久しぶりの試合が、スズキのニューヨークでのデビュー戦の夜になったのだ。バレンタインがこの日本の英雄ともいうべき外野手に日本で初めて会ったのは17年前、バレンタインが千葉ロッテ・マリーンズの監督で、スズキがオリックス・ブルー・ウェーブのプレーヤーだったときだ。


 両チームともに日本の下位のチームだったが、いま二人は、激しい宿命の争いを繰り広げてきた――そしてこれからも繰り広げるだろう――チームの敵味方に分かれて再会することになったのだ。


 「こんなことになるなんて面白いよね」とバレンタインは言った。「僕たち二人がここで再会することになるなんて誰も思いもしなかったことだよ。そうじゃないかい?」


 スズキがヤンキースの一員になる意義をバレンタインほど理解している球界関係者はほとんどいない。バレンタインは、2004年から2009年までマリーンズの監督として再度日本に戻っていた。日本にいる間、彼はシアトル・マリナーズでスズキが偉業を成し遂げる様子が毎日報道されるのを見ていた。彼はまた、2003年にヤンキースに来てパワーとクラッチ・ヒッティングで感銘を与えた外野手のマツイ・ヒデキについての情報と報道を一般の日本人がどれほど渇望し、その渇望がいつまでも消えることがなかった様子を目撃していた。


 当時どれほど多くの日本人選手がアメリカにいたとしても、マツイとスズキは、常に他の選手よりも大きく扱われたのであった。


 「他の選手はみんな付け足しだった」とバレンタインは言った。「どの日の、どの新聞のスポーツ・ニュースもそうだった。一面の見出しも裏の一面もね。4打数1安打であっても、4打数2安打でなかったという理由で見出しになったよ。ホームランが一本出ても見出しになった、それが試合を決めた一本でなかったとしても、それが今季何本目のホームランだからという理由で、見出しになったんだ」。


  「彼らは、首都圏一帯だけでなく、国中で大スターだった。とくにマツイはそうだった。イチローはビッグチームでプレーしていなかったので、マツイほど大スターだったわけではなかったけどね」。


 マツイに対する注目の方が高かったが、それは彼がヤンキースでプレーしていたからだ。スズキがヤンキースに加わり、あの憎らしいレッド・ソックス戦の初戦を戦った今となっては、スズキに対する関心はこれまでにないレベルにまで高まったのだ。



 「このトレードがイチローにとってポストシーズンの出場権になるだろうことを考えると、あと数週間もすれば、イチローに対する関心は急上昇することになるだろうね」とバレンタインは言った。「彼はセンター・ステージに戻ったのだと僕は思う」。




」(おわり)







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