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機会のギャップ [海外メディア記事]

 格差の拡大を憂える『ニューヨーク・タイムズ』のコラムを紹介する。

 終わりの方で「ゲットー(ghetto)」という語が使われている。この言葉は、ヨーロッパの都市でユダヤ人が強制的に住まわされた隔離地区のことであるが、いまや、格差社会の中の富裕層は、貧困層との接触を断つために自発的に隔離された環境を作り出して子供の養育にはげむというイメージが浮かんでくる。

 医療保険制度のことでいつまでも騒いでいる場合じゃないぞという警告だが、はたして聞き入れる耳をもつ人がいるのだろうか? 





語句の説明をいくつか:

チャールズ・マレー(Charles Murray)・・・アメリカの(リバタリアンの)政治学者。保守系のシンクタンクに所属している。今年出した著作“Coming Apart”(『崩壊する白人アメリカ人』)がアメリカで大きな反響を生み出したことは、別の記事で紹介した(http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11)。

ティモシー・ノア(Timothy Noah・・・アメリカのジャーナリスト。やはり今年出版した“The Great Divergence”(『大いなる格差』)が反響を呼んだ。


『おやすみなさいおつきさま(Goodnight Moon)』・・・マーガレット・ワイズ・ブラウン(Margaret Wise Brown)が1947年に出版した絵本。ベッドで子供に読み聞かせする定番の本らしい。


国民の気持ちが判らないエリート主義者(out of touch elitists)・・・検索すると判るが、オバマにもロムニーにもこの言葉が投げつけられているようだ。



The Opportunity Gap

By DAVID BROOKS
Published: July 9, 2012




http://www.nytimes.com/2012/07/10/opinion/brooks-the-opportunity-gap.html?_r=1





機会のギャップ



 この数ヶ月間チャールズ・マレー(Charles Murray)からティモシー・ノア(Timothy Noah)にいたるまでの論者がアメリカ社会の二極分化の進行に警鐘を鳴らす書物を著してきた。今、ハーバード大学の著名な政治学者ロバート・パトナム(Robert Putnam)と彼のチームがもっと恐ろしい研究書を出版しようとしている。


 ほとんどの研究は、大人の間にある(所得などの)結果の不平等に注目してアメリカ人の貧富の格差がいかに広がっているかを理解させようとしているのに対して、パトナムのグループは子供たちの間にある機会の不平等に注目したのだ。彼らの研究のおかげで、われわれは今後数十年でこの国がどうなっていくかを理解することができる。手っとり早く答えが知りたいって? それは、かつてないほどの分裂状態に陥るだろう、というものだ。


 パトナムのデータは私たちの多くが見聞きしてきたことを裏書きしてくれるものだ。つまり、豊かな家庭の子供と豊かでない家庭の子供たちは、まったく違う育ち方をし手にする機会も違うものになるというものだ。数十年前ならば、大卒の親であれ高卒の親であれ子供には似たような投資をしたものだった。最近になると、豊かな親は子供の将来にずっと多くの投資をするようになったが、豊かでない親にそのような変化は見られなかった。


 
 裕福な親は、かつてよりも多くの時間を費やすようになった。過去数十年の間で、大卒の親たちが『おやすみなさいおつきさま(Goodnight Moon)』を読んであげたり、その日一日のことについて子供に語って聞かせたり、スポーツをしている子供たちに声援を送ったりしながら費やす時間の量は4倍になった。高卒の親も育児の時間を増やしたが、その増加分はほんのわずかだった。


 30年前は、労働者階級の親たちが自分の子供と一緒に過ごす時間は、大卒の両親よりもわずかに多かった。今では、大卒の親のほうが毎日一時間も多く子どもと一緒に過ごしている。親が子供に注意を向ける時間のこうしたギャップは、そのような注意が最も重要であるはずの生後3年間で最大なのである。


 裕福な親は子供にもっと多くのお金を費やすようになった。過去40年以上もの間で、高所得の親が、家庭教師や課外の勉強などの学校外活動に費やした金額は、年間で5300ドルも増加した。財政的にきびしい低所得の階級の投資額は、インフレ分を調整しても、480ドルだけ増えたにすぎなかったのだ。

 
 結果として、行動のギャップが広がりつつある。1972年には、所得の下位4分の1に属する子供たちは、上位4分の1の子供たちとほぼ同じ数の活動に参加していた。今日、両者の間には裂け目がある。


 放課後にスポーツをする率は、豊かな家庭の子供たちのほうがほぼ2倍だ。スポーツチームのキャプテンになる率は2倍以上だ。劇場に行ったり年鑑を読んだりボーイ・スカウトに入ったりといったスポーツ以外の活動だと、その率はもっとずっと高くなる。宗教的な礼拝に出席する率はさらにずっと高くなる。


 豊かな家庭の子供たちのほうが積極的になったというだけではない。貧しい家庭の子供たちはもっと悲観的になり社会とのつながりを失ってしまったのだ。社会に対する信頼感は、すべての所得グループで低下したが、1975年から1995年までの間に、下位3分の1に属するアメリカの若者の間では急落し、それ以来ずっと低水準にとどまっている。パトナムは、アスペン・アイデア・フェスティバル(Aspen Ideas Festival)のために用意したメモで次のように書いた。「労働者階級出身の子供たちが冷笑的でパラノイア的になったのは全くもっともなことだ。なぜなら、家族、友人、教会、学校、地域社会といったわが国の社会を構成する主たるもののほとんどすべてが子供たちの役に立たなかったからだ」。 その結果、貧しい家庭の子供たちは、彼らに目的意識や責任感を与えてくれるかもしれないボランティア活動に参加しなくなった。彼らのテストの点数は低いままだ。彼らの機会はますます制限されていくのである。



 長期に及ぶ一連の文化的・経済的・社会的トレンドが相まって、こうした悲しい状態をつくり上げてしまったのだ。伝統的な社会規範は捨てられたが、それは非嫡出子が増えたことを意味する。シングル・マザーにとっては、ますます競争的になっていく世界に子供を立ち向かわせるための時間や資金はますます少なくなっている。労働者階級用の職は激減してしまったが、それは、多くの親がストレスを抱えこみすぎて、自分の子供にさけるエネルギーも時間もお金ももてない、ということを意味しているのである。


 裕福で知的な人々は、精力的で知的な人々と結婚する可能性が高い。そうしたカップルは、周囲から切り離された文化的なゲットーの中で、精力的で知的な子供たちを育てるわけだが、そのゲットーで子どもたちは、自分と同じ恩恵にあずかれない子供たちについてはほとんど知ることがないし、そんな子供たちに影響を与えることもなくなっていくのだ。



 政治システムが高齢者の医療にもっとお金をつぎ込むようになる間に、児童福祉に費やされるお金は減ってしまった。



 機会均等は、かつてはわが国のアイデンティティーの核心をなしていたのに、今では二の次、三の次の問題になってしまった。もしアメリカが本当にこの状況を変えたいと思い、もしこの国が(恵まれている上位三分の二だけではなく)すべての人的資本を活用したいと思っているのであれば、アメリカ国民はとても不快な決定をいくつかしなければならないだろう。


 リベラル派は、子育てをする前に結婚をするべきだという規範を進んで擁護し、それについて確固とした道徳観をもつようにしなければならないだろう。保守派は、労働者階級の利益になるような勤労所得控除や他のプログラムにもっと多くのお金が使われるように、増税や収入のカットを喜んで受け入れなければならないだろう。


 政治家に立候補する人は階級間の分裂につけこむような時間を減らして、その分裂を直すことにもっと多くの時間を費やさなくてはならないだろう――対立候補を国民の気持ちが判らないエリート主義者(out of touch elitists)などと呼ぶことは控えて、この問題に包括的に対処する政策の日程作りにもっと時間を費やさなければならないだろう。それを実行するのは政治的に厳しいことだが、それをやらないのは国家にとって自殺行為なのである。



 
」(おわり)








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