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マルクス主義の人気が再び上昇しているのはなぜか? (1) [海外メディア記事]

 日本でも『蟹工船』が再び読まれるようになったことが話題になったが、ヨーロッパでも、リーマン・ショックの直後からマルクス・ルネッサンスという現象が顕著になったのだという。それを伝えるイギリス『ガーディアン』紙の記事を紹介しよう。

 失業や不況といった経済的要因も重要だが、下にも書かれているように、特に若者にインパクトを及ぼしたのは、いわゆる「アラブの春」の相次ぐ革命という政治的要因だったようだ。「アラブの春」はアメリカの「占拠せよ」の運動のバックボーンにもなっていたことが思い出される。

 一つながりの記事なのだが、ちょっと長いので2回に分けて紹介する。


Why Marxism is on the rise again
Stuart Jeffries
guardian.co.uk, Wednesday 4 July 2012 20.00 BST


http://www.guardian.co.uk/world/2012/jul/04/the-return-of-marxism





マルクス主義の人気が再び上昇しているのはなぜか? (1)

  資本主義は世界中で危機状態だ--しかし、いったい何がその代わりになるというのか? あの19世紀ドイツの哲学者の思想はどうなんだ? そうだ、カール・マルクスがいま主流なのだ--そしてその行き着く先がどうなるかは神のみぞ知るだ




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昨年ロンドン東部で行われたパブリック・セクターの労働者のストライキ






 階級闘争は、かつてはたいそう単純なことのように見えた。マルクスとエンゲルスは、売り上げが歴史上二番目のベストセラーである『共産党宣言』で次のように書いた。「ゆえに、ブルジョワが生み出しているのは、自分自身の墓堀人である。ブルジョワの没落とプロレタリアの勝利はともに避けがたい」。 ちなみに言えば、歴史上最大のベストセラーは聖書だ--"50 Shades of Grey”のように思われるかもしれないが("50 Shades of Grey”は、2011年出版されて世界的に大ヒットしたエロチック小説--訳者註)。



 マルクスとエンゲルスが墓掘り人について書いてから164年たった今日、事態はほとんど正反対になっている。プロレタリアは、資本主義の墓を掘っているどころか、生命維持装置上で資本主義の延命を行っているのだ。史上最大の社会主義革命(中国の革命)で表向きは解放されたかに見えた労働者たちは、過労と低賃金で自殺の瀬戸際にまで追い込まれながら、西側の人々がiPadで遊んでいられるようにしてくれている。中国のお金は、それがなければ破産していたアメリカを潤している。



 この皮肉にみちた事態はマルクス主義の主導的な思想家においても見失しなわれていない。「資本主義の支配は、今日地球上のいたるところで、中国共産党の存在に依存しているのだが、中国共産党は、グローバル化した資本主義の企業に安い労働力を提供することで、商品価格を引き下げ労働者から団結の権利を奪っているのだ」とフランスのマルクス主義思想家でありパリ第8大学の哲学の教授であるジャック・ランシエール(Jacques Rancière)は述べる。「幸いなことに、今日の世界ほど馬鹿げていない、そしてもっと公正な世界を期待することは可能である」。



 この期待は、おそらく、経済的な破局を迎えつつあるわれわれの時代のとても起こりそうに思えなかった別の事実を説明してくれるかもしれないーーその起こりそうに思えなかった事実とは、マルクスおよびマルクス主義的思想に対する関心の復活である。政治経済学におけるマルクスの傑作である『資本論』の売上げが、『共産党宣言』や『経済学批判要綱』と同様に、2008年以来急上昇しているのである。英国の労働者が劣化したシステムを立ち行かせるために銀行を救済し、富める者は鼻面をしっかりと飼い葉桶に突っ込んでいる一方で、それ以外の者たちは借金や雇用の不安やもっと悪いことで苦しんでいる間に、『資本論』等のマルクスの著作の売り上げが上昇したのである。『資本論』のルネッサンスに当て込んで歌って踊ってのミュージカルを創作したHe Nianという中国人の演劇ディレクターまでも現われた。



 そして、豊かなひげを生やした革命的理論家の運命のおそらく最もうるわしい逆転と言えることだろうが、カール・マルクスは、最近、ドイツの貯蓄銀行 (Sparkassen)のケムニッツの顧客によって、10人の候補者の中からの選出によって、新たに発行されるマスターカードの上に描かれることになったのだ。1953年から1990年まで共産主義国だった東ドイツにおいて、ケムニッツはカール・マルクス・シュタットとして知られていた。ベルリンの壁崩壊から20年以上がたった今でも、旧東ドイツがマルクス主義の過去を消し去っていないのは明らかだ。ロイターが報じたところによると、2008年でも、東ドイツの住民に対するアンケートの結果、その52%は自由市場経済を「不適切」だと思っており、43パーセントは社会主義が戻ってくるのを望んでいた。カール・マルクスは死にハイゲート(Highgate)の墓地に眠っているが、クレジット・カードに飢えたドイツ国民の間では健在なのだ。マルクスが生きていれば、自分のイメージがカードの表面に描かれてドイツ人をさらに借金まみれにすることになるという皮肉をありがたく思っただろうか?


 
  今週後半ロンドンでは、社会主義労働者党(Socialist Workers' Party)主催の5日間のフェスティバルである「マルクス主義2012(Marxism 2012)」に数千人が参加するだろう。これは毎年恒例のイベントだが、主催者であるジョセフ・チューナラ(Joseph Choonara)の心を打つのは、近年の参加者に若者がとても増えているということだ。「とくに若者にとってマルクス主義に対する関心が復活しているのは、それが資本主義や、現在われわれが置かれている資本主義の危機を分析するツールを提供してくれるからです」とチューナラは言う。


 マルクス主義の妥当性を説く書籍がたくさん現われた。英文学の教授であるテリー・イーグルトン(Terry Eagleton)は、昨年、マルクスが正しかった理由(Why Marx was right)という書物を出版した。フランスの毛沢東主義の哲学者アラン・バディウ(Alain Badiou)は、表紙に赤い星を配した(とっても毛沢東的で、とってもナウだ)『共産主義の仮説』という赤い小冊子を出版したが、そこで彼は支持者に共産主義的思想の第三世代の先頭を切れと呼びかけた(先行する二つの世代とは、フランス共和国が設立された1792年からパリコミューンの虐殺があった1871年が第一世代で、1917年から毛沢東の文化大革命が崩壊した1976年までが第二世代だという)。しかし、こんなことはすべて妄想ではないだろうか?


 マルクスの時代遅れの思想がわれわれの役に立つことがあるとすれば、それは、アップル社が技術革新で名声を築くことに手動の織機が役立つ程度のことではないだろうか? 社会主義革命と共産主義的社会に対する夢は、2012年では見当違いの夢ではないだろうか? 結局のところ、ブルジョワは自分自身の墓堀人を生み出しはしなかったと、私はランシエールに言いたいのだ。しかしランシエールは悲観的になることを拒む。「ブルジョワは、賃金を搾取して危機に当て、それを利用してその敵を骨抜きにしてしまったのだ。しかし、われわれは歴史的必然という観念を逆転させて、現在の状況が永遠につづくと結論づけてはならない。墓堀人たちはまだ存在している、極東の工場で搾取されすぎた労働者のように、不安定な条件の中で労働している者たちという形をとって、まだ存在しているのだ。そして今日の大衆の動き--ギリシアやその他の場所での動き--は、政府や銀行に彼らの危機のしわ寄せを国民に負わせないようにしようという新しい意志が存在することを示してもいるのだ」。


 これは、少なくとも、70歳代のマルクス主義者で大学教授をしている人間の見通しだ。マルクス主義的な考え方をする若者たちはどうだろうか? 私は、ロンドンのゴールドスミス・カレッジの英語・演劇科に通う22歳の学生である--英語・演劇科で文学士号を取ったばかりの--ジャスウィンダー・ブラックウェル・パルに、どうしてマルクス主義の考え方をまだ妥当だと見なしているのかと尋ねてみた。「大事なことは、若者たちは、サッチャーが権力の座に就いていたときやマルクス主義がソ連に関連づけられていたときにはまだ生まれていなかったということよ」と彼女は言った。「私たちは、自分が今経験しているものを理解する一つの方法としてマルクス主義を見ようとしている。エジプトで起こっていることを考えてみて。ムバラクが倒されたとき、とても刺激的だったじゃないの。あの出来事は多くの固定観念を壊したのよ--民主主義は、イスラムの世界では人々が戦って勝ち取るものだとは思われていなかった。あれは革命を出来事としてではなく過程として正当化したの。だからエジプトで革命が起き、それから反-革命の動きがあり、その反-革命に反対する動きがあったでしょ。私たちがそこから学んだことは、組織化することの重要性だったのよ」。


 これは、確かに、西欧におけるマルクス主義のルネッサンスを理解するキーとなる点だ。若者にとってマルクス主義は、スターリンの強制収容所との結びつきという汚点に染まっているわけではない。若者にとって、フランシス・フクヤマの1992年の書物『歴史の終わり』における勝ち誇った態度――資本主義は異論の余地なく正しく、それを打倒するのは想像することも困難だとする態度――は、それが年長者に及ぼしたほどのインパクトを若者たちの想像力に及ぼすことはないのである。



」(つづく)










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