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サイコパスとしての資本家 [海外メディア記事]

  金持ち、資本家、ウォール街で働く人々を「サイコパス(変質者)」と同列に扱った評論文を『ニューヨーク・タイムズ』より紹介する。冒頭で示されているように、そうした扱いが正当であることを示した研究結果があるらしい。 

  かなり素朴な資本主義批判である。恐らく10年前なら、いや5年前でも、こうした批判が『ニューヨーク・タイムズ』の紙面を飾ることはなかっただろう。しかし、昨年の「われわれは99%だ」の運動以降、こうしたストレートな資本主義批判がすっかり時代の一つのトレンドになってしまったことを感じさせる文章である。
 
  Op-ed欄に掲載されたこの一文は、私が訳し始めたときも訳し終えてアップしたときも、全記事の人気ランキング(MOST E-MAILED)の第二位だった。筆者は文筆家・批評家で、『ジェーン・オースティンの教育』という書物を著したことのある文学畑の人のようだ。





Capitalists and Other Psychopaths

By WILLIAM DERESIEWICZ
Published: May 12, 2012


http://www.nytimes.com/2012/05/13/opinion/sunday/fables-of-wealth.html






 資本家とそれ以外のサイコパス(性格異常者)たち



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  この国では、金持ちについての議論が進行中だ。つまり、金持ちとは誰か? 金持ちの社会的役割とは何か? 金持ちは善か悪か? といった議論である。最近のある研究(http://theweek.com/article/index/225046/why-is-wall-street-full-of-psychopaths)によると、ウォール街で働く人々の10パーセントが、他者に対する関心や共感を欠落し、「虚言、作話(さくわ)、人心操作の能力が並はずれている」ことから、「臨床的な意味でのサイコパス(性格異常者)」であるそうだ。(国全体に占めるサイコパスの割合は1パーセントである)。別の研究(http://www.pnas.org/content/early/2012/02/21/1118373109.abstract)は、金持ちの方が、嘘をついたりごまかしたり法律を破る傾向が高いと結論づけた。

 こうした主張で私が驚いた唯一のことは、そもそもそんなことを驚くべきことだと思う人がいるということだ。ウォール街とは、その純粋な形態における資本主義であり、資本主義とは悪しき行動に基づくものだからだ。だから、ウォール街にサイコパスがあふれていることなどは、ほとんどニュースになるべきことではないのだ。ほぼ同じことは、イギリスの作家バーナード・マンデヴィル(Bernard Mandeville)が3世紀前に、風刺的な詩と哲学的な論考を配した『蜂の寓話(The Fable of the Bees)』で主張していたことだ。


 この書物の副題は『私悪すなわち公益(Private Vices, Publick Benefits)』である。経済の領域でのマキャベリ――われわれがそうでありたいと願う姿ではなく、われわれのありのままの姿を示した人――だったマンデヴィルは、商業社会が繁栄を生み出すのは、われわれが生まれつきもつ欲求――詐欺、贅沢、プライド――を活かすことによってなのだと主張した。「プライド」とはマンデヴィルによれば虚栄心だ。贅沢とは感覚的なものに浸ろうとする欲求だ。広告業界の人間ならば誰もが知るように、こうしたものが需要を生み出すのだ。詐欺があるのはサプライサイドだ、と今日のわれわれならば言うだろう。「どんな仕事や地位にも詐欺はつきもの。偽りのない職業など存在しない(All Trades and Places knew some Cheat, / No Calling was without Deceit)」。


 言い換えれば、エンロンやBPやゴールドマン・サックスやフィリップ・モリスやGEやメルク等々のことだ。不正会計、脱税、不法投棄、製品の安全性違反、談合、過剰請求、偽証などなど。ウォルマートの贈収賄スキャンダル、ニューズ社の盗聴事件――どんな日の新聞のビジネス欄をめくって見ても、そんなニュースが目に入ってくる。従業員を酷使したり、顧客を傷つけたり、土地を破壊したり。その挙句に一般の市民にそのつけを払わせる。こんなことは珍しくもないことだ。これが資本主義というシステムのあり方なのだ。やりたい放題やって、捕まったらシラを切ろうとすればいいのである。

 
 私はいつもビジネス・スクールという概念を愉しいものだと思ってきた。それはどんなコースを提供しているのだろう? 寡婦や孤児から金を巻き上げるコースか? 貧しい人々を虐げるコースか? 二股をかけるコースか? 一般市民を食い物にするコースか? 数年前に『企業(The Corporation)』という題名のドキュメンタリーがあったが、それは企業も人格であるという前提を受けいれたうえで、それはどんな人格なのかという疑問を投げかけるものだった。その答えは、まさに、サイコパス、つまり、他人に無関心で、罪悪感を抱くことができず、ひたすら自分自身の利益に専念するサイコパスだったのだ。


 たしかに、倫理的な企業もあるし倫理的なビジネスマンもいるが、資本主義における倫理とは、各人の選択にまかされたものであり、資本主義の本質にとってはまったく外的なものだ。市場にモラルを期待するのは、カテゴリーを取り違えるミスを犯すことだ。資本主義の価値観はキリスト教的価値観の対極だ。 (わが国の市民生活の中で最も声高な主張をするキリスト教徒がどうして自由市場の最も好戦的な支持者であるかは、彼らの良心の問題である)。資本主義的価値観はまた民主主義の価値観の対極である。キリスト教の倫理と同じく、共和国政府の原則は、他者の利益を考慮するようにわれわれに求める。それに対して、資本主義は、利益だけをひたすら追求するものなので、結局頼れるのは自分だけ、と信じこませようとするからだ。


  「雇用創出者(job creator)」ということが最近よく話題になるが、このフレーズは、右翼プロパガンダの第一人者であるフランク・ランツ(Frank Luntz)が、アイン・ランド(Ayn Rand)にならって作りだしたものだ。これを言い換えれば、金持ちが所有しているすべてのものに対してと同様に、金持ちに対しても、私たちは感謝すべきだということであり、感謝以外のすべては嫉妬にすぎないということである。


 (それに対して指摘しておきたい)第一のことは、起業家が雇用創出者ならば、労働者は富の創出者である、ということだ。企業家は富をつかって労働者のために雇用を創出する。労働者は労働力をつかって起業家のために富を創出する――つまり、賃金や他の補償金に加えて、余剰生産を創出するのだが、それが企業収益となる。どちら側にとっても、他方に利益をもたらすことがゴールではないのだが、しかしそういうことが実際に起こっているのだ。

 
 また、起業家と金持ちは異なったものであり、カテゴリーとして部分的にしか重なっていない。大半の金持ちは起業家ではない。金持ちとは、名門企業の役員や、別種の組織の管理者や、裕福な医師や弁護士や、最高の成功をおさめた芸能人やスポーツ選手や、単に遺産を受けついだ人や、それに、そう、ウォール街で働く人々のことだ。


 重要なことは、起業家も金持ちも、頭脳や汗やリスクを独占しているわけではない、ということだ。どの起業家にも劣らぬほど賢明な科学者――や芸術家や学者――はいるのだが、ただ彼らは起業家とは違う報酬に興味をもっているだけなのだ。定職につきながらコミュニティ・カレッジに通うシングル・マザーは、どのヘッジファンド・マネージャーにも負けないほど懸命に努力している。いつ失うかもしれない職(たぶん、あの「雇用創出者」の一人のおかげで)を頼りに、住宅ローンを組む――あるいは、学生ローンに入ったり、子供を身ごもる――人は、会社を起こす人と同じくらいのリスクを負っているのである。


 
 政策に関わる大問題は、私たちが何に対してどれくらい税金を支払うか、どれ位を誰に対して支出するか、という問いをどう考えるかに懸かっている。「雇用創出者」は新しい語かもしれないが、その語によって言い表される媚びへつらい――とそれが伝える軽蔑の念――は新しいものではない。「貧しいアメリカ人は自分自身を憎むように駆り立てられる」とカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)は 『スローターハウス5』で書いた。「彼らは自分自身を嘲(あざけ)り、自分より優れた者を讃える」。われわれの最も破壊的な嘘は「アメリカ人である以上、金を稼ぐのはとても簡単なことだ」というものだ。その嘘はさらに続く。貧しい者は怠け者で愚かで邪悪だ。金持ちは素晴らしく勇気があり善良だ。金持ちは私たちに施しを雨あられのように恵んでくれる。



 マンデヴィルは、私利の個人的追求が公共の利益をもたらすことがあると信じていたが、彼は、アダム・スミスと違って、それが自然にそうなるとは考えなかった。スミスの「神の手」は「見えざる」ものだった――現代風に言えば、市場の自動調節機構である。マンデヴィルの手は「熟練の政治家の巧妙な手腕」を――現代の言葉でいえば、立法、規制、課税を――含んでいたのだ。あるいは、彼が詩句で言い表したように、「悪徳も有益となる/それが正義によって刈り込まれ縛られるときには(Vice is beneficial found, / When it’s by Justice lopt, and bound)」。




」(おわり)



 




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