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1%を愛する神 [海外メディア記事]

 『ニューヨーク・タイムズ』紙の「オピニオン」欄に載った一文を紹介する。

 この文章は、大統領候補のミット・ロムニー氏が使った「神のもとにある(under God)」という表現の歴史を簡潔に述べたものだが、それはアメリカの宗教右派の歴史に重なり合うもののようだ。

 アメリカの政治にも歴史にも疎い私は、アメリカの保守勢力はずっと昔から宗教的信条を前面に出していたのだろうな、と漠然と思っていたが、どうもそうではないようだ。政治という場面に宗教勢力が入りこみ始めたのは大恐慌後であり本格化したのはあの赤狩りの頃だったとは、ずいぶん新しい現象という気がする。これは完全に現代史に属する現象であり、また、政教分離の原則というタガがいかにしてゆるんで行ったかのプロセスでもあるだろう。
 


 ちなみに、補足説明を少ししておこう。

 ・「忠誠の誓い」についてはwikiの説明を見てほしい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%AA%A0%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)
ここに神に対する言及があることが政教分離に対する違反になるとはしばしば指摘されることで、それどころか、国教禁止条項を侵すものだという判決が下されたこともあるのだが、その点についてもやはりwikiの「政教分離」の項目を見られたし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E5.90.88.E8.A1.86.E5.9B.BD.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.95.99.E5.88.86.E9.9B.A2


 ・この一文の著者であるケビン・M.クルーズについては、この文章の下の掲げられている説明をそのまま紹介する。「ケビン・M.クルーズはプリンストン大学の歴史学の準教授で、間もなく出版される『神のもとにある国家:企業、キリスト教、そして宗教右派の台頭(One Nation Under God: Corporations, Christianity, and the Rise of the Religious Right)』の著者である」。




January 17, 2012, 9:00 PM
For God So Loved the 1 Percent …
By KEVIN M. KRUSE

http://campaignstops.blogs.nytimes.com/2012/01/17/for-god-so-loved-the-1-percent/






 なぜなら神は1%をかくも愛したがゆえに…
ケヴィン・M.クルーズ




 ここ数週間でミット・ロムニーは、制限されることのない資本主義のイメージ・キャラクターになったわけだが、彼はこの役割が気に入っているようだ。経済的平等についての懸念は、実は、階級間の争いについての懸念なのだ、と彼はNBCのマット・ロウアーに語った。


 「アメリカを99%対1%に分断するという考え方を大統領が奨励したら、神のもとにある一つの国家(one nation under God)という概念とまったく相容れない新たな思潮がこの国に押し寄せてくることになります」と彼は語ったのだ。


 ロムニー氏が言及していることは、おそらく彼が意図するようなものではなかったのだ。


 
 「神のもとにある一つの国家」という概念には格調高い由緒があって、「この国は、神のもとにあるがゆえに、地上から滅ぶことはない」というゲティスバーグでリンカーンが述べた希望に由来しているのだ。ところが、リンカーンの後、このフレーズは何十年も政治的な言語表現から姿を消していた。その表現が再び使われるようになったのは20世紀の中頃だったが、まったく異なった様相のもとで現われたのだった。大企業のリーダーや保守的な聖職者が、フランクリン・D.ルーズベルトのニューディール政策をこきおろすためにその表現を武器として用いたのだ。



 あの大恐慌時に、大企業の威信は株価とともに地に堕ちてしまった。大企業のリーダーは企業のパブリック・イメージを回復すると同時に、福祉国家という「忍び寄る社会主義」を押し退けるのに躍起となった。特に、デュポンやゼネラル・モーターズのような企業によって出資・設立された「アメリカ自由連盟(American Liberty League)」は、攻撃的な資本主義擁護論をおしすすめた。もっとも、ほとんどの人はその努力を利己的なプロパガンダとして退けたのだが。(民主党の幹部は冗談まじりに、この組織は「アメリカ・セロファン同盟」と名付けられるべきだ、なぜなら「第一に、セロファンはデュポン社の製品だからだし、第二に、(設立の意図が)透けて見えるのだからだ」と言ったものだ。)



 自分たちだけではやって行けないことを認識していたので、こうした企業家は新たな取り組みを始めた。豊富な資金力を使って、自分たちに共感してくれる聖職者を協力者として参加させたのだ。ある大物実業家によると、「他の誰よりも世論形成に対して影響を持っているのは聖職者だ」という世論調査の結果があったからのようだ。


 ロサンゼルスのファースト・コングリゲーショナル教会(First Congregational Church)のジェームズ・W.ファイフィールド牧師が名乗りをあげて、信仰と自由な企業活動の新たな連携に対する支持を表明した。「資本主義の恩恵は神に由来する」と彼は記した。「共通の利益と幸福のためにかくも多くのものを提供するシステムは、全能の神のご加護のもとで繁栄しなければならない」。


 ファイフィールド氏の解釈では、キリスト教も資本主義も、ともに個人が自力で昇降するシステムなので、両者はきわめてよく似ているのだという。それに対して、福祉国家は、十戒のほとんどに違反している。それは、連邦政府を「誤った偶像」に仕立て上げ、アメリカ人に隣人の所有物を欲しがる気持ちを起こさせ、富裕層から金を盗み取り、終いには、決して実現できないような約束をすることで偽証をした、というのであった。



 1930年代から1940年代にかけて、ファイフィールド氏とその支持者たちは、保守的な宗教・経済・政治を混ぜ合わせた新しい考え方を提唱したが、あるオブザーバーがそれを聖別して「キリスト教的リバタリアニズム(Christian libertarianism)」と命名したのは適切だった。ファイフィールド氏は自分のイデオロギーを洗練させ、単純だが強力なフレーズにまとめたのだった――それは「神のもとでの自由(freedom under God)」というフレーズだった。企業のパトロンや、アメリカ商工会議所のようなロビー団体から豊富な資金援助を得て、ファイフィールドの神のもとにある資本主義という福音は、個人的な説教や毎週のラジオ放送や月刊誌を通じて、アメリカ全土に直ぐに広まったのであった。



 1951年、このキャンペーンは、盛大に行われた合衆国独立記念の祝賀式で頂点に達した。保守系のオールスターからなる設立委員会のトップにはハーバート・フーバー前大統領とダグラス・マッカーサー将軍の名前が並び、ウォルト・ディズニーやロナルド・レーガンのような有名人も含まれていたが、ほとんどは、コンラッド・ヒルトン(Conrad Hilton:ヒルトン・ホテルの創業者)、J.C.ペニー(J. C. Penney:大手デパートの創業者)、ハーヴェイ・ファイアストンJr.(Harvey Firestone Jr:ファイアストン・タイヤの創業者)、ハワード・ピュー(Howard Pew:サン・オイルの創業者の一人)のような実業界の大物たちだった。



 大規模な広報キャンペーンで、彼らは、信仰と自由な企業活動の連携をうたった全面広告を利用して、「神のもとでの自由」のセレモニーで独立記念日を祝うように各自治体に働きかけた。彼らはまた、信仰と自由な企業活動との連携というテーマで全国的な説教コンテストを開催し、賞金をかけて聖職者たちを競わせた。数知れないローカル・イベントが、ラジオで全国に放送される番組「神のもとでの自由」によって推進された。この番組は映画制作者セシル・B.デミルの助力を得て制作され、ジェームズ・スチュワートが進行役となってCBSで放送されていた。



 ついにこれらの黒幕たちは、永久に消えることのない印象を与えたと信じた。「「神のもとでの自由」という言葉は自由というの語彙に新しい項目を追加するにいたったのだ」と彼らは豪語した。すぐに全国民が自分たち自身を「神のもとにある」と考えるようになるだろうと。実際、1953年、ドワイト・D.アイゼンハワー大統領が最初に大統領朝食会(presidential prayer breakfast)を主催した時のテーマが「神のもとにある政府(government under God)」であったし、アイゼンハワーは国民の信仰心を様々な仕方で高めようとした。1954年には、この「神のもとでのという意識」が全国を席巻するに及び、議会はこのフレーズを正式に忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)に加えることになったのである。



 最後になるが、経済的不平等について不平を言うことは「神のもとにある一つの国家」という概念と相容れないとロムニー氏が主張したのは正しい。しかしそれは、ちょっと前の時代の「1%の人間」がそうであることを望んだからにすぎないのである。

」(おわり)







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